U2
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* 「Walk On」は、[[ミャンマー]]の民主主義指導者[[アウンサンスーチー]]に贈られたもの。 | * 「Walk On」は、[[ミャンマー]]の民主主義指導者[[アウンサンスーチー]]に贈られたもの。 | ||
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== 日本での活動 == | == 日本での活動 == |
2010年3月10日 (水) 03:09時点における版
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U2(ユーツー)はアイルランド出身のロックバンドである。メンバーはボノ(ボーカル・ギター)、ジ・エッジ(ギター・キーボード・ボーカル)、アダム・クレイトン(ベース)、ラリー・マレン・ジュニア(ドラムス)からなる。1980年のデビュー以降、政治的な信条と渇愛を力強く歌い上げる作風で世界的に数多くのファンを持つグループである。アルバムの総売り上げは1億7千万枚を超える。グラミー賞獲得数22はロックバンドとしては最多である。
目次 |
メンバー
- ボノ (Paul David Hewson、1960年5月10日 - ) - ボーカル、ギター
- ジ・エッジ (Dave Howell Evans、1961年8月8日 - ) - ギター、コーラス、ピアノ
- アダム・クレイトン (Adam Charles Clayton、1960年3月13日 - ) - ベース
- ラリー・マレン・ジュニア (Lawrence Joseph Mullen, Jr.、1961年10月31日 - ) - ドラムス
来歴
結成とデビュー
1976年、ダブリンのマウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバー募集の貼り紙を出した。これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))が集まり、5人でアマチュア活動を始める。バンド名は「フィードバック(Feedback)」や「ハイプ(Hype)」を経て、ディック脱退後の1978年に「U2」と決まった。地元のタレントコンテストで優勝し、CBSアイルランドと契約。1979年に限定シングル『U2:3』でデビューする。アイルランド国内で人気を得て、1980年にアイランド・レコードと契約を結びメジャーデビューを果たす。
初期3部作
スティーブ・リリーホワイトのプロデュースで、1980年にファーストアルバム『ボーイ』を発表。1981年に『アイリッシュ・オクトーバー』、1983年に『WAR(闘)』をリリースする。全英ヒットチャート1位を獲得した『WAR(闘)』は初期を代表するアルバムとなり、シングル「ニュー・イヤーズ・デイ」もヒットした。精力的なライブツアーにより、人気はイギリス、ヨーロッパ大陸、アメリカへと拡大。『ローリング・ストーン』誌は、U2を1983年度の最優秀バンドに選出した。
荒削りな演奏とボノの熱唱に乗せて、社会問題や宗教観をストレートに表現する姿勢は、当時のポストパンク(ニュー・ウェイヴ)世代の中では異彩を放っていた。この期間のレコードジャケットには、上半身裸の少年(音楽仲間の弟、ピーター・ローウェン)の写真が使われている。
中期3部作
新たにプロデューサにブライアン・イーノとダニエル・ラノワを迎え、1984年に『焔』を発表。1987年の次作『ヨシュア・トゥリー』が全英・全米ヒットチャートを制覇し、グラミー賞最優秀アルバム賞に選ばれるなど、世界的なスーパーバンドとして認められる。1988年には、アメリカツアーのドキュメンタリー映画『魂の叫び』を公開し、同名のアルバムもリリースした。
この3部作アルバムは、マニアの間では「アメリカ3部作」とも言われている(歌詞などで、アメリカに関する供述が多いためであるが)。実際はそればかりでもなく、「ヨシュア・トゥリー」などではチリのピノチェトに関する歌などもある。
アンビエント音楽の主要人物であるイーノとラノワと交わることで、音楽性は内省的な方向へ深化した。また、アメリカのルーツ・ミュージックに傾倒し、ロックの源流であるブルースやゴスペル、ソウル・ミュージックなどの要素を積極的に取り入れた。『魂の叫び』には、ボブ・ディランやB.B.キング、ヴァン・ダイク・パークスらが参加し、B.B.キングはツアーでも共演している。
シンセポップ3部作
東西ドイツ統一の自由と混沌に満ちたベルリンで制作したアルバム『アクトン・ベイビー』(1991年)から、バンドのスタイルは前衛的な方向へ一変する。1993年の『ZOOROPA』、1997年の『ポップ』とテクノ系デジタルロック路線を突き進み、大掛かりなセットを組んだスタジアムツアーも話題をさらった。
従来のイメージを払拭するかのように、サウンドやビジュアルは官能・退廃・ユーモアに彩られ、ボノのボーカルもファルセットを交えた中性的な歌唱法へ様変わりした。この大胆な実験性が認められ、特に『アクトン・ベイビー』は大きなセールスを記録している。
この3部作は、ファンの間で「電脳3部作」とも言われており過去に使わなかった歌詞なども頻繁に登場したりする(「シュガー」「ハニー」「ベイビー」等)
原点回帰
2000年には、イーノとラノワを再び迎え、新作『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』を発表。2004年の『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』ではリリーホワイトもプロデュースに復帰した。デビューから20周年を越えた新境地として、初期を思わせる素朴さと、1990年代のスタイルを織り交ぜ、現代的でありつつも原点に回帰したロックサウンドを完成させた。両アルバムとも高い評価を得て、グラミー賞において計15の部門賞を獲得した。
また、インターネット経由の音楽配信に積極的な姿勢を持ち、iPodのCM曲を提供した他、全446曲入りの究極のアルバム『ザ・コンプリートU2』を、iTunes Music Store限定でリリースした。
2008年には「Vertigo Tour」を収録した3D映画『U2 3D』を世界公開(日本では2009年3月公開)。2009年には、最新アルバム『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』を発表し、「U2 360° Tour」が行われている。
特徴
これまでに発表した作品は、2007年現在累計約1億7千万枚のセールスをあげている。音楽業界最高の名誉であるグラミー賞で獲得した賞は2007年に22を数え、バンドとしては最多を記録している。2005年にはロックの殿堂入りを果たし、「Vertigo Tour」が同年のコンサート収益1位を記録するなど、依然トップクラスの人気を誇っている。
結成した高校時代から既に25年以上経っているが、デビュー前にジ・エッジの兄が抜けた以外は不動の4ピースバンドとして活動を続けている。ギャラは貢献に関係なく四等分され、プライベートでもメンバーの家族含めて常に連れ添っている姿は、仕事以外付き合いがないバンドが多い中で珍しい。そのためか、よく『奇跡のバンド』と評される。メンバーの中ではボーカリストであり、慈善活動家としても精力的なボノの存在が目立つことが多いが、ジ・エッジの技巧的なギタープレイや、ドラム・ベースの重厚なリズムセクションも実力を知られている。
長い音楽活動の中であらゆるジャンルの音楽を取り込む試みを実行しており、バンドのイメージも時代ごとに様変わりしている。とくに1980年代と1990年代の全く異なる方向性については、ファンや音楽評論家の間に賛否両論を招いた。しかし、愛の尊さを伝える姿勢や、社会問題に関与する行動など、ロックバンドとしての「生真面目さ」を一貫して持ち続けている。
ライブやツアーについて
right|200px|thumb|POPMART TOURの巨大ステージセット ライブバンドとしても評価が高く、毎回異なるコンセプトとパフォーマンスは、ショービジネス界に大きな影響を与えている。特に1992年から始まった「ZOO TV TOUR」では、ステージ上に巨大なテレビを多数設置、パフォーマンスに合わせて異なる映像やメッセージを流す、ドイツ製車トラバントを照明として使用、会場の中まで花道を置くステージ等、当時としては画期的なコンセプトであった。『ローリング・ストーン』誌は、「ビートルズのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドに匹敵する革新性」と評した。
1997年からの「POPMART TOUR」では、高さ17m×幅51mの巨大スクリーンとミラーボール式のレモンのオブジェ等約180億円の費用をかけ、スタジアム公演のみのツアーとなった。
2001年からの「ELEVATION TOUR」、2005年からの「VERTIGO TOUR」は一見シンプルなステージに戻ったものの、細部に最先端の装置・照明・映像を駆使し、米SPIN誌等批評家からも世界で最も良いライブを行うバンドとして評されている。
社会派ロックバンド
音楽による社会問題提起に熱心であり、宗教紛争、反核、人権、薬物依存症などについてメッセージ性の強い曲を発表している。また、アフリカの発展途上国やエイズ問題などへのチャリティー活動にも積極的に参加している。
- 母国アイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの宗教対立に対し、不偏の非暴力主義をアピールした。『WAR(闘)』のオープニング曲「ブラディ・サンデー」では、北アイルランド問題の「血の日曜日事件」を取り上げ、IRAの活動を批判する立場を示した。このため、IRA支持者から脅迫されたこともあった。
- 1984年、エチオピア飢餓救済を目指すバンド・エイドのチャリティーシングル「Do They Know It's Christmas」にボノとアダムが参加。1985年にはライヴエイドに出演する。その後、ボノはアフリカ諸国の経済的自立を支援する様々な国際的プロジェクトに関与している。2005年にはボブ・ゲルドフらとLIVE 8開催に貢献し、ステージではポール・マッカートニーと共演した。
- 「ZOO TV TOUR」でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下のサラエヴォを衛星中継し、包囲された市民の惨状を観客に伝えた。ビル・カーター制作のドキュメンタリー番組『Miss Sarajevo』を元に、ルチアーノ・パヴァロッティとの共演で同名のシングルを発表(「パッセンジャーズ」名義)。停戦合意後の1997年には、NATO平和維持軍監視下のサラエヴォで「POPMART TOUR」を開催し、入場料収入全額をボスニアの戦争孤児支援基金「ウォー・チャイルド」へ寄付した。
- 1992年にグリーンピースのセラフィールド抗議活動に参加し、放射線防護服を着てビートルズの『4人はアイドル』(原題:Help!)のジャケットを真似るパフォーマンスを行った。
- アパルトヘイトや軍事政権などの人権問題を取り上げ、アムネスティ・インターナショナルの活動に協力している。「VERTIGO TOUR」ではスクリーンに世界人権宣言を映した。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、アウンサンスーチーら人権運動家へのトリビュートソングも発表している。
- 2002年の第36回スーパーボウルのハーフタイムショーで、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の犠牲者全員の氏名をスクリーンに映し、追悼の意を表した。
- バラク・オバマは民主党予備選や大統領指名受諾演説でU2の曲を使用。2009年1月、U2はオバマの大統領就任式祝賀コンサートに出演し、キング牧師が「I Have a Dream」の演説を行ったリンカーン記念館でキング牧師へのトリビュートソング「プライド」と「シティ・オブ・ブラインディング・ライツ」を演奏した。
関連する人物・団体
- シン・リジィのリーダーで、同郷の先人であったフィル・ライノットから、駆け出し時代に多くのアドバイスを受けており、メンバーにとっては尊敬の対象となっているTemplate:要出典。
- バンドの誕生に影響を与えたアーティストはザ・クラッシュ、ラモーンズなど。ライブではビートルズやエルヴィス・プレスリーの曲をカヴァーしている。元『ザ・バンド』のロビー・ロバートソンのソロアルバムにメンバー全員で参加したほか、「ZOO TV TOUR」では衛星中継を介し、ルー・リードと共演を行った。
- U2に影響を受けた後進のバンドはコールドプレイ、キラーズなど。メアリー・J・ブライジ、グリーン・デイはU2と共演したシングルを発売しヒットを記録している。メアリー・J・ブライジとは「one」のデュエットを、グリーン・デイとはチャリティー目的でザ・スキッズのカバー「The Saints Are Coming」を発表している。「The Saints Are Coming」のビデオは、イラクから帰還した米軍ヘリがニューオリンズに救援物資を投下するといった内容のもので、YouTubeで公開され話題となった。
- ブライアン・イーノとはPassengers(パッセンジャーズ)の共同名義で、1995年に架空のサウンドトラックアルバム『Original Soundtrack 1』を発表した。シングルカット曲「ミス・サラエボ」ではオペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティと共演。また、「Holi」名義で小林明子が参加している。
- 映画監督ヴィム・ヴェンダースはU2のPVを撮影し、U2が映画主題歌を提供するなど関係が深い。ボノの構想をヴェンダースが監督し、映画『ミリオンダラー・ホテル』が製作された。
- 『魂の叫び』を監督したフィル・ジョアノーの映画『ウィズアウト・ユー』(原題:Entropy)では、スティーヴン・ドーフがU2のPV監督という主人公を演じる。劇中では「POPMART TOUR」の模様が映る他、ボノとラリーが本人役でカメオ出演している。
- 写真家・映像作家のアントン・コービン(Anton Corbijn)は、『WAR(闘)』以降のジャケット写真を撮影している。写真集やPVも手がけるなど、ビジュアル面での貢献が大きい。
エピソード
- バンド名の由来については、アメリカの偵察機U-2、ドイツの潜水艦II型Uボート、You too(ファンへのシンパシーを表す)などの諸説があった。しかし、メンバー自身が語るところでは「バンド名を決める際に挙げた候補の内、一番ましなものを選んだだけで、特に意味はない」とのこと。むしろ「U2」という無意味な言葉の解釈の自由こそが魅力と語っている(『U2 BY U2』 シンコーミュージック・エンタテイメント刊より)。ちなみに、『アクトン・ベイビー』収録曲の「ズー・ステーション」はベルリンの実在する駅名(ドイツ語でZoologischer Garten)だが、そこへ行く電車路線はU2という。
- 「ZOO TV TOUR」のMCでは、ボノが開催地のどこかへ電話をかけるコーナーがあった。フランスのミッテラン大統領、ドイツのコール首相、アメリカのホワイトハウス(ブッシュ大統領には繋いでもらえず)、大統領候補のビル・クリントン(本人との会話に成功)などのほか、ピザ屋にピザ1万枚の宅配を注文したこともあった。日本公演での相手は初日が横綱曙、2日目は117番(NTTの時報ダイヤル)相手に「マドンナにつないでくれ」と言っていた(マドンナは当時来日中だった)。
- バンド初期の頃は、ポップ・ミュージックを毛嫌いしており「聞くに値しない」と考えていた。そのためか、ペット・ショップ・ボーイズがU2の代表曲である『Where the streets have no name』をハウス調にしてカバーしたときは激怒し、両者の関係が悪化してしまったTemplate:要出典。しかし1990年代に入ると、ハウスやシンセミュージック、ついにはポップ・ミュージックまでも積極的に取り込んでいく。自身のアルバムに『POP』と名付け、ペット・ショップ・ボーイズとも和解。ライブではABBAのメンバーと共演し、『Dancing Queen』をカバーするまでになった。
- 2004年発売のアルバム『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』からのシングル『Vertigo』がiPodのCMソングに起用され(U2が自らの楽曲をCMソングに起用することを了承したのはこれが初めて)、また、"iPod U2 Special Edition"も発売された。加えて、2005年に発売された動画再生に対応したiPodのCMでは、動画機能のアピールのために「Original of the Species」のライブ映像が使用されている。
- アルバム制作中に2度盗難事件に遭っている。1981年のアメリカツアー中『アイリッシュ・オクトーバー』の歌詞原稿を入れたバッグが盗まれたが、2004年に発見者からの連絡で23年ぶりにメンバーの手元に戻った。2004年にはフランスで『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』のサンプルCDが盗まれ、ネット流出が心配される騒ぎとなった。
- 映画「Shooter」(邦題「ザ・シューター/極大射程」)の中で、主人公が大佐と人質交換のときの仲介人にボノを冗談半分で(顔は真剣そのもの)指名していた。映画「ブローン・アウェイ」ではトミー・リー・ジョーンズ演じるIRAテロリストがU2の曲をかけながら爆弾を作るシーンがある。
- 「Walk On」は、ミャンマーの民主主義指導者アウンサンスーチーに贈られたもの。
歌詞において、メロディと英語の歌詞のフィーリングが合わない場合他の国の言語に置き換えて歌う部分もU2の歌ではいくつか見られる(アルバム「焔」の「プレスリーとアメリカ」におけるアパッチ語や、アルバム「ヨシュア・トゥリー」における「ワン・トゥリー・ヒル」におけるフランス語など)これはボノ本人もインタビューで語っている。
日本での活動
- 1983年のWAR TOURでの来日の際、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」に出演し、『New Year's Day』を演奏。途中、ギターの音が出なくなるトラブルに遭った。
- 1998年のPOP MART TOURでの来日の際、3月6日にボノがテレビ朝日系『ニュースステーション』に生出演し、約15分にわたってインタビューに答えた。
- 2003年10月から2004年3月26日の最後の放送まで『ニュースステーション』10代目メインテーマ曲を「Where the Streets Have No Name(約束の地)」で担当した。
- 2006年春に延期されたワールド・ツアーの振替公演が同年11月29、30日と12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた。来日時には、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に12月1日に出演、TBS系のNEWS23ではインタビューを受けた。ボノが日本のテレビ番組に出演するのは8年ぶり、U2としては23年ぶりのことである。
- 2006年11月、ボノは安倍晋三元首相を表敬訪問し、日本の発展途上国 (特にアフリカ)への援助を要請。また、2000年に日本が提案した基金によりエイズ患者の手に治療薬が渡っていることを賞讃した。そして安倍首相にサングラスをプレゼントし、首相もそれをかけるパフォーマンスを見せた。
日本公演
- WAR TOUR(1983年) 大阪・フェスティバルホール(11月22日)、愛知・瀬戸市文化センター(11月23日)、東京・渋谷公会堂(11月26日)、東京・渋谷公会堂(11月27日)、東京・新宿厚生年金会館(11月29日)、東京・中野サンプラザ(11月30日)※11月30日は、ワールドツアー最終公演。
- THE LOVETOWN TOUR(1989年) 横浜アリーナ(11月23日)、東京ドーム(11月25日、26日)、大阪城ホール(11月28日、29日、12月1日)
- ZOO TV TOUR(1993年) 東京ドーム(12月9日、10日)※12月10日は、ワールドツアー最終公演。
- POP MART TOUR(1998年) 東京ドーム(3月5日)、大阪ドーム(3月11日)
- VERTIGO TOUR(2006年) さいたまスーパーアリーナ(11月29日、30日、12月4日)
- ※2006年4月4日日産スタジアム公演の振替公演。延期は、「メンバーの家族の病気により、メンバーが家族に付き添いたい。」という理由による。日本以外でも、いくつかの国の公演が延期された。尚、さいたま公演ではスタジアム形式ではなく、アリーナ形式(ただしステージセットはスタジアム仕様)で行なわれた為、従来の会場よりも、より身近に公演を楽しむことが出来た。
ディスコグラフィ
日本盤はユニバーサルミュージックからの発売。
アルバム
- 11位 プラチナム(UK)、104位 プラチナム(US)、世界総売り上げ350万枚
- 1位 2xプラチナム(UK)、12位 4xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,000万枚
- 1位 2xプラチナム(UK)、12位 3xプラチナム(US)、世界総売り上げ850万枚
- 1位 6xプラチナム(UK)、1位 ダイアモンド(US)、世界総売り上げ2,850万枚
- 1位 4xプラチナム(UK)、1位 5xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,450万枚
- 2位 4xプラチナム(UK)、1位 8xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,750万枚
- 1位 プラチナム(UK)、1位 2xプラチナム(US)、世界総売り上げ750万枚
- 1位 プラチナム(UK)、1位 プラチナム(US)、世界総売り上げ700万枚
- 1位 2xプラチナム(UK)、3位 4xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,200万枚
- 1位 4xプラチナム(UK)、1位 3xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,000万枚
- 世界総売り上げ350万枚
ライブアルバム
- 2位 3xプラチナム(UK)、28位 3xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,000万枚
ベストアルバム
- 1位 5xプラチナム(UK)、2位 2xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,850万枚
- 2位 2xプラチナム(UK)、3位 プラチナム(US)、世界総売り上げ750万枚
- 2004年 ザ・コンプリート・U2 (iTunes Store限定) - The Complete U2
- 2006年 ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ - U218 Singles
- 4位 2xプラチナム(UK)、12位(US)、世界総売り上げ500万枚
主に使用された曲
- 『With or Without You』:フジテレビ系『眠れる森』挿入歌
- 『Hold Me, Thrill Me, Kiss Me, Kill Me』:映画『バットマン・フォーエヴァー』主題歌
- 『The Hands that Built America』:映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』主題歌
- 『Where the Streets Have No Name』:テレビ朝日系『ニュースステーション』10代目オープニングテーマ
- 『Elevation』:映画『トゥームレイダー』のテーマ
- 『Vertigo』:『iPod』CMソング
- 『Theme from Mission: Impossible』:映画『ミッション:インポッシブル』主題曲(アダム・クレイトン&ラリー・マレン・ジュニアとして)
- 『Beautiful Day』:映画《幸せの1ページ》エンディング曲
参考文献
- スローガン 『Artist file 10 U2 FILE』 シンコーミュージック・エンタテイメント 2005年4月 ISBN 4-401-61913-7
- 和久井 光司 『地球音楽ライブラリー U2』TOKYO FM出版 2006年5月 ISBN 4-88745-157-1
- U2/前むつみ監訳/久保田 祐子ほか訳 『U2 BY U2』 シンコーミュージック・エンタテイメント 2006年11月 ISBN 4-401-63041-6
外部リンク
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