PUFFY

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PUFFY(パフィー)は、大貫亜美吉村由美の2人から成る日本女性歌手コンビである。「パフィー声」 と称される、ふたりの声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴で、CD上でのハーモニーは、実際にはその多くで2人がユニゾンで歌うハーモニー・パートを多重録音しており、2人がそれぞれ違うパートを歌うデュオとは異なる。 当初は奥田民生プロデュースによる一曲限りのユニットの予定であった。ソニー・ミュージックアーティスツ,Ki/oon Records所属。2002年からは北米ツアーを行い、アメリカ合衆国カナダにおいては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している。

目次

来歴

デビュー前夜

東京都出身の大貫亜美は、高校在学中に男子生徒と結成したロック・バンド、ハノイ・セックスでカバーしたハノイ・ロックスの曲のデモテープを、「落選通知を受け取るために」 ソニーのオーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、応募動機からわかるように気軽なアマチュアバンドであったハノイ・セックスは、進学準備のため解散してしまった。

亜美もまた、志望職種であったスチュワーデスに必要な英語学習のため進学を決めたが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、神田外語学院に通うかたわらソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属して歌唱指導を受けるなど、ソロ歌手としてデビューへの準備を進めていた。

大阪府出身の吉村由美は当時いわゆるヤンキーで、高校を中退して鉄筋工等のアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていた。特に音楽等の文化活動は行っていなかったが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって、ソニー主催「ちょっとそこまでオーディション」 に応募させられ、亜美同様、意外にも合格した。どのような芸能活動を行いたいか、というソニー側の質問に「歌手」と答えた由美は、SMA所属のアーティストとして大阪から上京することになった。

SMAの事務所で初めて対面した亜美と由美は、互いに魅力を感じたが、双方の内気な性格から当初は打ち解けなかった。わずかに年長の亜美に由美が敬語で対応する様な関係がしばらく続いた。しかし、歌手として抜きん出た能力を持てぬままデビューを待つという同じ境遇にあったふたりは、その不安の解消先を互いの友情に求めるようになり、由美が亜美の実家に出入りするまでに親密な関係となった。

さらに音楽活動においても、コンビとして行うことで困難に対処できると考えるようになったふたりは事務所にそれを提案し、すでに亜美のソロ音源(後に由美のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『solosolo』 として発表された) が録音されていたにも関わらず、特に議論されることなく容れられた。同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュースに関心を示していたことから、ふたりは彼に託されることになった。

その頃、米国のロックバンド、ジェリーフィッシュが来日公演を行っていた。そのドラムスを担当し、優れた作曲家でもあるアンディ・スターマーは、才能を認め合う関係である奥田を通じてSMAと関係があった。バーで亜美と由美のマネージャーからグループ名の案を求められたスターマーは、"The Puffy" を提案し、これが採られた(後にTheは削られた)

デビュー直後

パフィーとなった亜美と由美は、ラジオ番組を持つ、真心ブラザーズ『サマーヌード』 のミュージック・ビデオに客演する(この時はトレードマークのジーンズではなく、スカート姿だった) 奥田の下でアルバム制作を進める、等を行っていたが、1996年5月プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』 でメジャーデビューした。

ELOに影響された、きらめくような曲調と不可解な(ナンセンス、無内容ともいう) 歌詞を持つこの曲は極めて高い音楽性と普遍性、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが「自然体」 「脱力系」等と評された、力みのない、しかし計算されたパフォーマンスで表現した。

これは、当時Jポップシーンを席巻していた小室ファミリーの緊張感や露骨な向上心の対極に位置するものであり、わずかな市場の隙間かと思われたそのニッチは実はかなり大きなものであったことが、“小室系”に馴染めない、あるいは飽き足らないリスナーによる支持が生んだ『アジアの純真』 のミリオン・ヒットという形で示された。

勢いに乗ったパフィーは『アジアの純真』 を収録したアルバム『amiyumi』 2ndシングル『これが私の生きる道』 と相次いで奥田による質の高い作品を発表し、その年の音楽新人賞を総なめにした。NHK紅白歌合戦にも出演が確実視され、実際にNHK側からもオファーがあったのだが、TVKテレビ「ゆく年くる年LIVE DI:GA SPECIAL」への出演が先に決定していたため、辞退した。ローカル局のために紅白の出演を蹴ったことで「天下のNHKがTVKテレビに負けた」 と報道された。

なお、この時は由美が出演直前に自転車事故で左脛骨骨頭剥離骨折による全治6週間の怪我を負ってしまったため、ゆく年くる年LIVE DI:GA SPECIALへの出演は不可能となり、番組には亜美のみが出演している。

こうした成功は単なる音楽的成功というより、さらに広範な文化的成功と呼ぶべきものであり、日本のみならず台湾等の東アジア地域にも波及した。特に一部の若い女性たちは、パフィーの登場によって初めて自分を表現できるスタイルを見出し、安室奈美恵のスタイルを模したアムラーに対し、パフィラーが現れた。とはいえ、傾向は大きく異なるものの、安室奈美恵とパフィーは、多くの資本とプロの技術により巧みに作り出された商品、いわゆるアイドルであったことにちがいはなかった。

全盛期

奥田は、パフィーが過去のアイドル達の様に短期間で消費されてしまう事を嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。パフィーもまた、こうした彼の人間性とミュージシャンとしてのぬきんでた才能を、「先生ちゃん」と呼んで慕った。この様に、基本的には奥田がパフィーのプロデューサーであったが、彼はパフィーが特定の指導者に依って立つことを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託した。2003年のアルバム 『NICE.』及び2004年のミニアルバム 『59』 では、アンディー・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全ての収録曲を作曲した。それにより、これまでの「複数の作曲者から作品の提供を受け、おもちゃ箱的な多彩さを持つが、ともすれば全体の脈絡を欠いたアルバム」から、「統一された雰囲気の中から大人の落ち着きを醸し出す、トータル・アルバムとして完成度の高い」、パフィー作品の一つの到達点を示した。

安定して優れた音楽作品を発表し続けたことが、パフィーの人気を確立した主な要因であるが、大貫と吉村のキャラクターとしての魅力も無視できない。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。また、彼は、1997年10月に放送開始されたパフィーの冠番組である「パパパパパフィー」における、スタジオセットのデザインも行った。この番組は、デビュー直後のHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP出演時に、内気な性格と経験不足から何も喋ることができないパフィーに対し、「その様なことでは、もし冠番組を持ったときに、どうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした松本人志が発した架空のTV番組のタイトルを、そのまま採用して生まれたものであった。この番組が4年間に渡り毎週放送されたことは、デビュー時のブームで獲得した認知度を定着させる上で重要な役割を果たした。ホスト役を務める事で経験を積んだパフィーは、徐々に息のあった話芸を見せるようになった。この番組は、音楽活動と併せて、パフィーの活動の両輪とも言うべき重要な位置を占めた。同番組ではユースケ・サンタマリアピエール瀧及川光博大泉洋などの全国的にまだ認知されていなかったタレントが多数出演し、後のPUFFYの交友関係を広げていくものとなった。

また、パフィーを直接キャラクター化したものではないが、コナミ音楽ゲームpop'n music』のメインキャラクターである『ミミ(ウサギ)』と『ニャミ(ネコ)』は、明らかに亜美・由美2人のキャラ性をモチーフとしている。人気の高さが窺える。

北米大陸へ

2000年、パフィーは米国テキサス州で行われたロック・フェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるパフィー達が送り込まれたのである。このSXSWで手応えを掴んだパフィーは、2002年には初の北米ツアーを行い、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』を発表し、一定の評価を得た。北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けての事である。

2004年には、ツアーを通じてカートゥーン・ネットワークの重役がパフィーの存在を知った事から、同局の『Teen Titans』の主題歌を担当、更にパフィーをモデルにしたアニメHi Hi Puffy AmiYumi』が制作され、全米で放送された。この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。パフィーは、アイドルとミュージシャンの中間点に位置するグループであり、デビュー以来、徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示していたのだが、"Hi Hi"の成功を受けて、キャラクターとしての魅力を再確認させられる事になった。

現在

2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードレーベル移籍した。これはソニー・ミュージックエンタテインメント内の配置転換である。また、この年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」に出演し、ビートルズの「エブリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」などを歌った。

2006年1月16日(月)、米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する、2010年迄に日本へ1000万人の外国人旅行者を招こうと言う施策である『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国に於ける観光親善大使に、国土交通大臣より任命された。6月にアルバム『Splurge』を発表し、兵庫慎司の全曲解説[1]渋谷陽一ライナーノーツが寄せられた。このアルバムでは、PUFFY自身ソロ名義も含めて6曲を作詞しており、兵庫慎司より「いつの間にこんなにいい作詞家になってたんだPUFFYは」と賛辞を送られている。アルバムを引っさげ、北米ツアー「Splurge! Splurge! Splurge! 2006」を行い、帰国後にロック・イン・ジャパンなどのロック・フェスに参加する等、盛んな活動を続けている。同年結成10周年を迎えた。曰く「こんなに続くとは思わなかった」(10周年記念日比谷野音でのライブMCより)

デビュー10周年を迎えた2006年以後、2枚のベストアルバムがリリースされた。また、『Splurge』以降の音楽性は、嘗ての様に複数の作曲者から作品の提供を受けるといった傾向に戻っている。曲の提供は基本的に、二人の好きなアーティストに依頼しており、椎名林檎横山健斉藤和義the pillows山中さわおなどは複数の楽曲を提供している。また、他者に楽曲提供をすることの少ないアーティスト達(吉井和哉細美武士グループ魂ギターウルフ)からも楽曲提供が行われている。

2008年には、アヴリル・ラヴィーンの東京ドーム公演にゲストとしてライブ出演。シンディ・ローパーSNUFFのトリビュート盤[2]に参加。 2009年7月、アルバム「Bring it!」でフランスデビューを果たし、パリで行われたJapan Expoにてライブ参加。7000人のファンを沸かせた。その後全国ツアー「PUFFY TOUR 2009 Bring it!」など、いまだ精力衰えずライブ活動を行っている。

2010年元日、初のオフィシャルファンクラブ結成が発表された[3]

作品

シングル

CDコード リリース日 タイトル 作編曲者 オリコン
1st single ESDB-3659 1996年5月13日 アジアの純真
作詞:井上陽水
作曲・編曲:奥田民生
最高位3位
ミリオンヒット
2nd single ESDB-3722 1996年10月7日 これが私の生きる道
作詞・作曲:奥田民生 最高位1位
ミリオンヒット
3rd single ESDB-3748 1997年3月12日 サーキットの娘
作詞・作曲・編曲:奥田民生 最高位1位
4th single ESDB-3749 1997年4月16日 渚にまつわるエトセトラ
作詞:井上陽水
作曲・編曲:奥田民生
最高位1位
5th single ESDB-3817 1997年12月12日 MOTHER/ネホリーナハホリーナ
作詞・作曲・編曲:奥田民生 最高位5位
6th single ESDB-3832 1998年3月14日 愛のしるし
作詞・作曲:草野正宗
編曲:奥田民生
最高位3位
7th single ESDB-3860 1998年8月29日 たららん/パフィーのツアーメン
作詞:PUFFY・奥田民生
作曲・編曲:アンディ・スターマー
最高位4位
8th single ESDB-3888 1998年12月12日 パフィー de ルンバ
作詞:PUFFY
作曲:田村依子 編曲:笹路正徳
最高位14位
9th single ESDB-3907 1999年4月1日 日曜日の娘
作詞・作曲:奥田民生
編曲:笹路正徳
最高位15位
10th single ESDB-3913 1999年6月9日 夢のために
作詞・作曲:奥田民生 最高位12位
11th single ESCB-2122 2000年4月5日 海へと/プールにて
作詞・作曲・編曲:奥田民生 最高位15位
12th single ESCB-2173 2000年9月27日 ブギウギ No.5
作詞・作曲・編曲:奥田民生 最高位22位
13th single ESCB-2229 2001年4月25日 あたらしい日々
作詞:PUFFY
作曲・編曲:アンディ・スターマー
最高位28位
14th single ESCL-2287 2001年12月5日 青い涙
作詞・作曲:三田二郎
編曲:奥田民生
最高位32位
15th single ESCL-2293 2002年2月6日 ハリケーン
作詞:湯川れい子
作曲:井上大輔 編曲:奥田民生
最高位36位
16th single ESCL-2351 2002年11月20日 赤いブランコ/Planet Tokyo
作詞:PUFFY
作曲:アンディ・スターマー
最高位45位
17th single ESCL-2495 2004年2月11日 SUNRISE
作詞:PUFFY
作曲:アンディ・スターマー
最高位24位
18th single KSCL-841 2005年7月13日 はじまりのうた/ナイスバディ
作詞:PUFFY
作曲・編曲:アンディ・スターマー
最高位33位
19th single KSCL-896 2005年11月16日 Hi Hi
作詞:PUFFY
作曲:アンディ・スターマー
最高位107位
20th single KSCL-978 2006年4月12日 モグラライク
作詞・作曲・編曲:奥田民生 最高位35位
21st single KSCL-988 2006年5月24日 Tokyo I'm On My Way
作詞・作曲:デクスター・ホーランド 編曲:亀田誠治 最高位58位
22nd single KSCL-1073 2006年11月22日 働く男
作詞・作曲:奥田民生 最高位41位
23rd single KSCL-1137 2007年7月18日 Boom boom beat/お江戸流れ星IV
作詞:PUFFY
編曲・作曲:アンダース・ヘルグレン、デビッド・マイアー
最高位47位
24th single KSCL-1167 2007年9月5日 オリエンタル・ダイヤモンド/くちびるモーション
作詞:井上陽水
作曲・編曲:奥田民生
最高位55位
25th single KSCL-1253 2008年5月21日 All Because Of You
作詞・作曲:ブッチ・ウォーカーアヴリル・ラヴィーン 最高位34位
26th single KSCL-1271 2008年8月6日 マイストーリー
作詞:PUFFY
作曲・編曲:アンダース・ヘルグレン、デビッド・マイアー
最高位44位
27th single KSCL-1345 2009年2月25日 日和姫
作詞・作曲:椎名林檎 最高位38位
28th single KSCL-1432 2009年7月29日 誰かが
作詞・作曲:チバユウスケ 最高位30位

コラボシングル

アルバム

  1. amiyumi(1996年7月22日)
  2. JET CD(1998年4月1日)
  3. FEVER*FEVER(1999年6月23日)
  4. SPIKE(2000年10月12日)
  5. THE HIT PARADE(2002年2月20日 カバーアルバム)
  6. NICE. (2003年1月22日 アメリカカナダでも発売。但し収録曲が若干異なる。ジャケットも日本盤とは異なり、ジョンとヨーコの平和のベッド・インを模したもの。なお、日本版の9曲目「K2G~キミにGo!~」は、本アルバム発売前から九州旅客鉄道2枚きっぷ・4枚きっぷ」のCMソングとして使用されていた。)
  7. 59(2004年3月31日)
  8. Hi Hi Puffy AmiYumi(2005年5月11日 全米メジャーデビューアルバム)
  9. Splurge(2006年6月28日 デビュー10周年記念アルバム)
  10. honeycreeper(2007年9月26日)
  11. Bring it!(2009年6月17日)

ベストアルバム

  1. The Very Best of Puffy / amiyumi jet fever(2000年7月5日)
  2. Hit&Fun(2007年2月14日)
  3. PUFFY AMIYUMI × PUFFY(2009年3月25日)

リミックスアルバム

  1. PRMX1999年12月31日
  2. PRMX TURBO2003年9月18日

企画アルバム

  1. solosolo大貫亜美吉村由美名義、1997年8月6日

参加作品

日本国内での出演

現在放送中の出演番組

過去の出演番組・映画

コンサート


CM

外部リンク

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