2002 FIFAワールドカップ
出典: Wikipedio
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Template:国際サッカー大会情報ボックス thumb|250px|right|東京タワー・ジャパンブルーライトアップ(2002年5月25日) 2002 FIFAワールドカップは、2002年5月31日から6月30日にかけて、日本と韓国で共同開催された第17回FIFAワールドカップである。
目次 |
大会招致の経緯
これまで、FIFAワールドカップは欧州と南北米大陸間で交互に行われてきたが、1986年に国際サッカー連盟(FIFA)のジョアン・アヴェランジェ会長(当時)が「初のアジア・アフリカ大陸による開催」案を打ち出した。その後、同会長から大会開催の打診を受けた日本サッカー協会が各国に先駆けて招致に名乗りをあげ、当時の低迷する日本国内のサッカー界の活性化も念頭に置いた上で1988年にFIFAワールドカップ日本開催を構想、1989年に各国に先駆け招致準備委員会を組織する。日本はFIFAワールドカップを「より平和の祭典」としてメッセージ性あるイベントにしようと提案し、トヨタカップなどの開催実績と「平和で安全」、「豊かな経済」、「政治的安定」、「自由と民主主義」、「世界の先進国」である点などを示し日本で開催する意義を謳った。また、「バーチャルスタジアム構想」(使用していないスタジアムに巨大なスクリーンを配置し3次元映像を投影。あたかも実際に目の前で選手がプレーしているように観客に観せる日本が誇る最新映像技術を駆使した仮想のスタジアム観戦システム)を提案し、史上最大の計400万人がスタジアムで観戦することが可能な大会にすることを謳った(バーチャルスタジアム構想はその後、メガビジョンという大画面投影技術へ姿を変えた。しかし、放映権の問題があったため、実際にメガビジョンが使われたのは準決勝1試合だけであった)。
その一方で、FIFAが想定するアジア初のワールドカップ開催に日本が立候補すると知った韓国は「アジア初」を賭けて日本に続く形で1993年11月に立候補を表明、1994年に招致委員会を組織した。日本よりも招致活動に出遅れた韓国は、同1994年にFIFA副会長に選出された鄭夢準大韓サッカー協会会長(現代重工業顧問。韓国国会議員)を先頭にして、現代財閥を中心に韓国国内の政財界をあげての招致活動に乗り出し、「南北朝鮮共同開催案」を持ち出すなどして日本の招致活動に激しく対抗した。そして、1995年2月に日本と韓国の両国は正式に立候補を表明し、9月末にFIFAワールドカップ開催提案書を提出する。結局、両国以外の立候補は無かったために日本と韓国のみが正式に立候補した。
開催国決定は当初、1996年6月1日のFIFA臨時理事会で会長、副会長を含む理事21人の投票によって決定される予定だった。しかし、時期を同じくしてFIFA会長選挙を控え、一貫して日本を推していたFIFAのアヴェランジェ会長の会長派と欧州のFIFA理事派の勢力が次期会長職を巡って対立し始める。そして、アヴェランジェ会長の会長続投を阻止しようと反会長派の欧州理事たちは日本と韓国の共同開催(日韓共催)を強く推進したが、南米の会長派はあくまでも日本による単独開催を支持した為にアフリカの理事らの動向が投票を左右することとなった。ただ、こうした状況の中で次第に日韓共催案が現実味を帯び始める事となる。
直前になって欧州理事らが、欧州の各国サッカーリーグに選手を受け入れてもらう立場にあるアフリカ理事の票を押え多数派となった。その為、開催国を決定する投票日前日の定例理事会前に行われたパーティー会場でアフリカ理事らとの歓談から趨勢を悟ったアヴェランジェ会長は定例理事会で日韓両国による共同開催案を自ら提案、満場一致の拍手の賛成決議で定例理事会は幕を閉じた。結局、投票を待たずして1996年5月30日FIFA理事会は「ワールドカップは単独開催」という規則を無視し、FIFA事務局長のジョセフ・ゼップ・ブラッターの名でホテルで投票を待つ日本招致委員会に対し日韓共催を打診する文書を送り、欧州アフリカ理事らの動向を掴めなかった日本は想定外となる共同開催決定に苦渋の決断で受け入れを表明。翌日の5月31日には、FIFAと開催国に決定した日本と韓国による共同開催決定の会見が開かれた。ちなみに、もしも日本が共同開催の受け入れを拒否した場合は「韓国の単独開催」か「開催地決定の延長」、「中国での開催」などといった諸案があった。
結局、決着はアヴェランジェ会長・南米派と反会長・欧州派のFIFA内部の政治的対立の産物でもあったが、アヴェランジェ会長は名誉ある退席を選んだが、アヴェランジェ会長は程なくしてFIFAの会長職から引退する形で退いた。また、当ワールドカップ組織委員会委員長には、FIFA副会長の鄭夢準大韓サッカー協会会長が就任した。
その後、1997年後半に韓国はアジア通貨危機に巻き込まれてデフォルト寸前の不況に陥り、国際通貨基金 (IMF) の管理下に入った<ref>[1](pdf注意)</ref>。IMF経由の日本を中心とした金融支援やIMFによる米国式経済の導入によって大量の失業者を生みながらも経済はV字回復した為に最後まで日本単独開催には至らなかった。しかし、経済回復は対米輸出に頼った状態であった為に2001年のアメリカ同時多発テロ事件で韓国経済がまたも失速し<ref>[2](pdf注意)</ref>、試合会場となるスタジアム建設が滞る事態となった。結局、開催1年前を切って既に観戦ツアーやチケットの販売が始まっていた事や韓国での開催が韓国経済を上向きにさせるとの見解に立った日本政府からの融資(輸銀融資30億ドル)を受けて、韓国でのスタジアム建設は続けられて日韓共催はようやく実現した。
なお、鄭夢準大韓サッカー協会会長は、韓国へのワールドカップ誘致と韓国代表ベスト4に導いた業績を背景に2002年大韓民国大統領選挙への立候補を表明している(投票日前日に盧武鉉との取引に応じて立候補取り止め)。
日本国内への影響
日本国内には、1993年にJリーグが開幕した時以上の影響がこの大会の開催によってもたらされた。当時の日本サッカー界は前回大会で史上初めての出場を果たしたものの、この頃のJリーグには平成不況とブームの沈静化の影響が直撃していた。その結果、それらの影響で資金繰りに行き詰るJリーグクラブが急激に増え始め、それまでのずさんな各クラブの経営実態を浮き彫りにする事となってしまった。
ところが、そんな状況を一変させたのが本大会の開催だった。それまでは日本国内でサッカー人気があまり盛り上がらなかったが、本大会の開幕が近づくに連れてマスコミを中心にして次第にサッカー人気が盛り上がって行った。そして、本大会が開幕すると、日本代表が出場しない他国同士の試合でも、強豪国を中心にテレビの視聴率は軒並み30%以上を記録、日本各地で「ワールドカップフィーバー」が巻き起こり、一躍にして国民的な関心事になった。その一方で、試合以外でも大会期間中には日本人女性の間でイングランド代表のデビッド・ベッカムやトルコ代表のイルハン・マンスズに対して注目が集まって熱狂的なブームが巻き起こり、若い日本人男性の間では大会期間中にベッカムがセットしていたソフトモヒカンの髪型を真似た「ベッカムヘアー」が流行った。また、カメルーン代表の合宿地である大分県日田郡中津江村(現在の日田市中津江村)が、カメルーン代表の本大会前の来日遅刻騒動によって、全国から意外な注目を集めるなどの珍事も起きた。
なお、この影響は大会終了後も約4年間程は続く事となる。日本代表の試合は毎試合ごとに満員の観客席で埋まり、日本代表関連の試合中継も毎試合ごとに高視聴率を記録、試合の前後はメディアが毎回派手に扱った。また、若者を中心に欧州のプロサッカーリーグやフットサルなどへの注目を向けるきっかけも作った。そして、Jリーグでも大会開幕を控えた2001年頃から観客動員数が急激に好転し、その後も徐々に増加を始めた。ただ、本大会の影響はそれだけに留まらず、Jリーグ加盟を目標として標榜するアマチュアのサッカークラブが多数誕生するきっかけも作った。
予選
本大会に出場できるのは32か国で、各地域の出場国の出場枠数は、アジア:2.5、アフリカ:5、北中米カリブ海:3、南米:4.5、オセアニア:0.5、ヨーロッパ:13.5であった。これに、予選を免除された、前回フランス大会優勝国のフランスと開催国の日本、韓国が加わる(なお、2001年に2006年大会からの前回優勝国枠廃止が決まったため、フランスは最後の前回優勝による予選免除国となった)。
南米予選では過去最多の優勝を誇るブラジルが予選でなかなか本来の力が発揮できずに苦しむものの、終わってみれば過去の優勝国が勢揃いしたように、順当な結果が多かった。ただ、死のグループに入っていたとはいえ、オランダが予選落ちしたのが最大の波乱とされる。大の飛行機嫌いで知られるデニス・ベルカンプが早々に代表から引退した影響がなかったとはいえない。なお、これがオランダ人の映画プロデューサー、ヨハン・クレマーによる世界最弱代表チーム同士の対戦、アザー・ファイナル構想のきっかけとなった。
日本と韓国が抜けたアジア予選では、サウジアラビアと中華人民共和国が勝ち抜いた。中華人民共和国代表にとっては初出場で、ユーゴスラヴィア出身のボラ・ミルティノヴィッチ監督は5大会連続で別の国から本大会に参加する記録を作った。また、イラン代表は2大会連続で大陸間プレーオフに回ったが、アイルランド代表に破れ、連続出場を逃した。オセアニア予選1位のオーストラリアは南米予選5位のウルグアイとの大陸間プレーオフに破れた。
本大会前には、ロベルト・バッジョ、ロマーリオらが代表に選ばれなかったことがトピックの一つとされた。
出場国
アジア
- Template:JPNf(開催国、2大会連続2回目)
- Template:KORf(開催国、5大会連続6回目)
- Template:KSAf(3大会連続3度目)
- Template:CHNf(初出場)
ヨーロッパ
- Template:IRLf(2大会ぶり3回目)
- Template:ITAf(11大会連続15回目)
- Template:ENGf(2大会連続11回目)
- Template:CROf(2大会連続2回目)
- Template:SWEf(2大会ぶり10回目)
- Template:ESPf(7大会連続11回目)
- Template:SVNf(初出場)
- Template:DENf(2大会連続3回目)
- Template:GERf(13大会連続15回目、西ドイツ時代を含む)
- Template:TURf(12大会ぶり2回目)
- Template:FRAf(前回優勝国、2大会連続11回目)
- Template:BELf(6大会連続11回目)
- Template:POLf(4大会ぶり6回目)
- Template:PORf(4大会ぶり3回目)
- Template:RUSf(2大会ぶり9回目、ソビエト連邦時代を含む)
南米
- Template:ARGf(8大会連続13回目)
- Template:URUf(3大会ぶり10回目)
- Template:ECUf(初出場)
- Template:PARf(2大会連続6回目)
- Template:BRAf(17大会連続17回目)
北中米カリブ海
- Template:USAf(4大会連続7回目)
- Template:CRCf(3大会ぶり2回目)
- Template:MEXf(3大会連続12回目)
アフリカ
- Template:CMRf(4大会連続5回目)
- Template:SENf(初出場)
- Template:TUNf(2大会連続3回目)
- Template:NGAf(3大会連続3回目)
- Template:RSAf(2大会連続2回目)
本大会
thumb|400px|right|日本×ベルギー戦 (埼玉スタジアム) 2002年6月4日
概要
21世紀に入って初となるFIFAワールドカップは、大会史上初めて日本と韓国の2か国による共同開催となったが、アジアで開催された事も初めてであった。2002年5月31日から6月30日の31日間に、日本と韓国それぞれ10か所、計20都市で64試合を行った。ブラジルが5度目の優勝を遂げた。開催国である日本は決勝トーナメント進出、韓国は4位の成績を残した。
大会の開催期間は通常より約10日から2週間程度早まり、末日ではあるが珍しく5月からの開催となった。これは、ヨーロッパや南米とは異なる日韓の気候、つまり梅雨を考慮したためと言われている。大会前は、フーリガンの暴動などを危惧する声が聞かれたが、大きなトラブルはなく終わった。日本では当初寄付金が集まらずに赤字が懸念されたが、円安の影響などで大幅な黒字となった。また、高円宮夫妻が韓国を公式訪問し、開会式に出席した。皇族の韓国訪問は第二次世界大戦後初である。
ソウルで行われた開幕戦では、前回優勝国のフランスが初出場のセネガルと対戦。この試合でセネガルが1対0で勝利し、波乱の大会の幕開けとなった。前評判が高く優勝候補の筆頭と目されていたフランスは結局、事前の対韓国の親善試合で負傷したジダンの抜けた穴を埋めることができず、アンリ、トレゼゲ、シセと3か国の得点王を擁しながらグループリーグで1得点もあげられずに敗退した。
開催国の日本は、初戦でベルギーと2対2で引き分け、ワールドカップで初の勝ち点を獲得すると、次戦のロシア戦に1対0で勝ち、ワールドカップ初勝利を挙げる。そして、次のチュニジア戦も2対0で危なげなく勝利し、グループリーグ1位通過で、初の決勝トーナメント(ベスト16)進出も決める。
もう一つの開催国の韓国もまた、ポーランドとポルトガルから勝利をあげ、グループリーグ1位で通過した。フィーゴなどの有力選手をそろえ前評判が高かったポルトガルが第三戦の韓国戦で2名が退場となり敗れたことにより第1ラウンドで敗退するという波乱があった。
[[ファイル:020607beckhamPK.jpg|thumb|right|200px|アルゼンチンvsイングランド
試合を決めたベッカムのPK]]
アルゼンチン、ナイジェリア、スウェーデン、イングランドが集まり「死のグループ」と呼ばれたグループFでは、両国の歴史的背景や前回大会の遺恨から「因縁の対決」と言われているアルゼンチン対イングランド戦が日本の札幌会場の札幌ドームで実現して大きく注目された。優勝候補と目されていたアルゼンチンが第1ラウンドで敗退するという波乱があった。
次回開催が決まっているドイツは、世界一のGKと評されたカーンや、新星FWクローゼの活躍などで初戦で8対0の大勝を収めるなどして決勝まで進出した。
決勝トーナメントでは、日本は1回戦でトルコと対戦し0対1で敗れ、初のベスト8進出はならなかった。韓国はイタリア、スペインに勝利し、アジア勢として初の準決勝に進出した。韓国国内がこの快進撃に熱狂する一方、韓国選手のラフプレーに審判が笛を吹かないなどの誤審が審判の買収疑惑として問題となった。横浜国際総合競技場で行われた決勝は、前評判が決して高いとは言えなかったドイツとブラジルの戦いとなった。優勝回数1位と2位の国同士であるにもかかわらず、ワールドカップではこれが初対戦で、注目を集めた。この試合を2対0で勝利したブラジルが5度目の優勝に輝いた。大会の得点王はブラジル代表FWのロナウド(8ゴール)。
大会呼称問題
共催決定後、日本と韓国の両国内では頻繁に大会の呼称についての議論が行われた。ただ、その多くは韓国側からの一方的な問題提起であったためにサッカーファン以外も含んだ多くの日本人からは戸惑いや反発が起こった。日本側からの批判としては、韓国側の主張は共催の精神を無視して、自らを日本よりも優先的に取り扱わせようという反日意識が根底にあるという指摘があり、日本海呼称問題などとの関連性を指摘する声までも挙がった。
大会の呼称は当初、アルファベット順で「2002 FIFA World Cup Japan/Korea」とする予定だったが、韓国の反対もあり、日本はKorea/Japanとする譲歩をする代わりに決勝戦を行うことを要求した。1996年に「2002 FIFA World Cup Korea/Japan」で決定した。
日本語の表記は、当初「自国語の表記は自由」との合意が取れていた(日本の主張による)ということで「2002 FIFAワールドカップ日本・韓国」と表記していた。しかし2000年4月、FIFAは「2002年FIFAワールドカップ・コリア・ジャパン」と表記することを求めてきたが、日本はこれを拒否。更にその後韓国が「『日本・韓国』と表記するのは正式名称(Korea/Japan)と異なっており、開催合意に背く」として抗議した。この抗議はFIFAワールドカップの組織委員会に認められ、「韓国・日本」と表記しなければならなくなった。但し、国名部分を省略して「2002 FIFAワールドカップ」と表記することも認められたので、これ以降日本国内では国名省略で統一されることになった。
また、これはあくまでも正式名称の問題であるために、日本では多くの場所で「ワールドカップ日本/韓国」という表記も見ることができた。なお、一般的に日本国内では大会終了後の現在でも「日韓ワールドカップ」と表記したり、呼んだりする事の方が多い。
一方、大会期間中に韓国国内では「2002 FIFA World Cup Corea」と看板に表記する例が見られたが、これが論争を呼んだ。"Corea" (コリーア)表記派からは「これはFIFAの正式な公用語であるフランス語における朝鮮の表記である "Corée"(コレ)から採ったもので、そもそも日本の植民地化が進行する以前の19世紀にはCoreaが英語での国名表記だった」という主張をした。一方の批判派からは「英語の大会名なのに一般的な英表記ではなく英語変綴りを混ぜ書きにしたのは、アルファベット順でJapanの後にKoreaが来るのを忌避するためである」という主張をした。なお、この他にもFIFAやフランス語、歴史認識などを絡めてまで主張する者も現れたために論争自体に嫌悪感を示す者もいた。
両国の開催都市選定
日本では当初、日本による単独開催を視野に大会開催の準備を進めていたために1993年1月に最初の国内開催都市候補地を選定した。候補の15か所(札幌市・青森県・宮城県・茨城県・埼玉県・千葉県・横浜市・新潟県・静岡県・愛知県・京都府・大阪市・神戸市・広島市・大分県)の中、この時点で開催予定施設が完成していたのは1994年アジア競技大会のために整備されていた広島市の広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)のみ、小幅な改修で対応可能だったのは大阪市の長居スタジアムのみで、あとは各自治体がスタジアムを新設する予定になっていた。
ただ、東京都は立候補を見合わせた。これは、トヨタカップや東京オリンピックの会場として世界的に知名度の高い新宿区の国立霞ヶ丘競技場が観客席への屋根設置(スタジアムの観客席の4分の3が屋根に覆われている事)などの改修条件を満たせなかった上に、2013年に開催予定の「多摩国体」用のメインスタジアムの整備計画もまだ確定していなかったからである(多摩国体用のメインスタジアムは後に東京スタジアムとして整備された)。その為、この時点でもしも日本開催が実現した場合は世界有数の人口を抱えながらも1974年の西ドイツ大会以来となる首都での開催がない大会になる事が確実になっていた。
また、参加チーム32か国・開催数64試合で行われたアメリカ大会では9会場、フランス大会では10会場で、日本開催でも採算面から10-12会場での開催が適当と目されていた。ただし、1996年6月に日韓共催が決定したことは、各立候補地域にとって深刻な問題になった。日本国内での試合数が32試合へと半減されたため、6試合前後と見込まれていた各会場の試合数は3-4試合にとどまる事になった。これにより、日本各地で試合会場となるスタジアム建設に対しての費用対効果や採算面からの疑問が提起された為に建設決定が延期される所も出て来た。その一方で、大分県知事の平松守彦は、2008年開催の大分国体メイン会場を兼ねるとの理由で大分スタジアム(現在の大分スポーツ公園総合競技場)の建設を決断し、自身も自治体の代表としてFIFAワールドカップの日本組織委員会(JAWOC)の副会長に就任するなどの積極的な行動を行った。これにより、大分県での開催は確実という見方もなされた。
1996年12月、JAWOCは国内開催都市として10か所を選定した。まず各スタジアムの開催条件充足を調べたが、広島市が予算を理由にしてバックスタンドへの屋根設置と座席改修を見送る事を事前発表していた広島ビッグアーチは開催不適格と判断され、広島市は開催候補都市から外された。アジア大会開催の経験に加え、国際平和都市として抜群の知名度を持ち、「平和のシンボル」としてFIFAからも開催を熱望されていた広島市の落選は、予想されていたとはいえ、衝撃を与えた。次いで、収容人員6万人を超える巨大スタジアム整備を理由に埼玉県と横浜市が、地域バランスの観点から札幌市・静岡県・大阪市・大分県が選出された。最後に投票によって8つの候補地から4開催地が決定された。ここではスタジアム整備構想が難航していた青森県(青森県営サッカースタジアム)・千葉県(千葉県立スタジアム)・京都府(京都スタジアム)が宮城県・茨城県・神戸市にそれぞれ敗れた。これは多くの事前報道の通りになった。
唯一の波乱とされたのが愛知県に対する新潟県の勝利だった。「トヨタカップ」のスポンサーでもあるトヨタ自動車の本社所在地・豊田市での会場となるスタジアム建設構想が具体化している上に県内には既にJリーグクラブの名古屋グランパスエイトがある愛知県に対し、新潟県は2009年の新潟国体での利用も兼ねた新潟スタジアムの着工こそ近かったものの、県内にはJリーグのクラブや全国で活躍する高校や大学が無く、ようやくアルビレオ新潟(現在のアルビレックス新潟)がJリーグを目指して活動を開始した段階だったため、「サッカー不毛の地」と評価されていた。しかし、新潟県はプレゼンテーションで「日本海側唯一の開催地(札幌市を除く)」としてアピールし、「日本全国が参加するFIFAワールドカップ」という意味を持たせられると主張して、愛知県を破った。この招致成功は、新潟県でアルビレックス新潟を中核として活発な地域スポーツ活動が展開されるようになるまでの重要な第一歩であったが、愛知県にとっては1981年の名古屋オリンピック招致失敗に続く大規模スポーツイベント開催の挫折となった。豊田市はFIFAワールドカップ前年の2001年に市営の豊田スタジアムを完成させたが、FIFAワールドカップの開催基準を満たす規模を持つスタジアムでありながら、肝心なFIFAワールドカップの試合には使用され無かった為に建設の意義を巡る批判を受けた。
その後、会場ごとの試合の割り振りが焦点になったが、特に埼玉県(埼玉スタジアム2002)と横浜市(横浜国際総合競技場)は決勝戦開催を巡って激しく争った。しかし、結局は1999年8月にスタジアム収容人数と各地からのアクセスに優れている横浜での決勝戦開催が決まった。その一方、埼玉県にはグループリーグの日本戦の初戦と準決勝があてがわれ、埼玉・横浜(第2戦)に続く日本戦の第3戦は地域バランスから大阪市(長居スタジアム)開催となった。
韓国でも日本と同様に国内での開催都市選定作業が進められ、共催という理由もあって日本と同数の10都市がFIFAワールドカップを開催したが、韓国国内の大都市(ソウル特別市と国内6か所の広域市)を網羅し、人口の少ない江原道を除く全国に万遍なく配置されたため、韓国社会で深刻な地域対立の新たな発生は抑えられた。しかし、国民の人口や国家の経済規模が日本の半分ほどしかない韓国が日本と同水準のスタジアム整備を行う事は大きな負担であったために、結局はその建設費の一部を日本からの借款で補う事となった。
大会運営資金
開催地決定後もJAWOCと開催する各自治体との緊張関係は続いた。各自治体はJAWOCに対してそれぞれ2億5000万円の運営資金を負担し、それ以外にも要員派遣やさまざまな補助金を与えていたが、2000年12月には開催経費の増大で財政が圧迫されたJAWOCから各1億円の追加負担を求められ、自治体自身や各議会からの批判が起こった。しかし、JAWOCからは円滑な大会開催に必要という理由を付けられたため、各自治体とも負担に応ぜざるを得なかった。なお、この追加負担分は、大会が予想以上の収益を挙げて終了した事ために各自治体へ返還された。
キャンプ地誘致合戦
本大会を印象づけるもう一つの争いとして、各自治体によるキャンプ地誘致合戦が挙げられる。キャンプ地に名乗りを上げた自治体は予選の段階での確約を含め、70以上に上った。
誘致に成功した都市の特徴としては、対戦会場に近く、交通の便に優れている都市や自然が豊かな地方が好まれた。中には川崎市のようにどこの国と決めず誘致活動のみに腐心したため、誘致に失敗した自治体もあった。また、徳島県鳴門市は第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜への人道的な扱いや地元住民との交流が縁で「バルトの楽園」として映画化もされている程に古くからドイツと親交がありながらも、グラウンドの整備の悪さのためにほぼ誘致が確定していたドイツ代表をみすみす逃がす事態も発生した。岐阜県古川町(現:飛騨市)のように、出場確定前から出場国(ルーマニア)と確約を結んだために誘致が実現できなかった自治体も多い。
また、実際には強豪国を中心に非公開の練習にする代表チームが比較的に多かった中で、デンマーク、エクアドル、セネガル、サウジアラビア、チュニジア、アイルランド代表などは交流に積極的であり、非常に好印象を与え、特にデンマーク代表の公開練習に至っては、地元のみならず全国からも多くのサッカーファンが詰めかけたといわれる。その他の国も、小学校や少年サッカースクール、各種福祉施設など小規模な交流は積極的に行われ、国同士の交換留学生なども送られた。これらの自治体は深い絆を生み、今もその国と親交が深い所が多い。また、代表の到着遅延によって世を騒がせたカメルーン代表を誘致していた大分県中津江村は全国にその名が知れ渡ることとなり、合併消滅した今日でも中津江村の名が「村」という表記付きで残されることとなった。
なお、新潟県十日町市はクロアチアとの交流が盛んになったが、2006 FIFAワールドカップが開催された時には日本との対戦が決まったために「どちらを応援するか?」でジレンマが起きたり、「日本を応援しないとはどういうことか」という批判が寄せられるなどした。もちろん日本は思想の自由があるので、どこを応援してもかまわない。
キャンプ地一覧
チケット・空席問題
thumb|220px|right|観戦チケット 日本語版(ドイツ対アイルランド戦 2002年6月5日,未使用品) thumb|220px|right|空席問題の一例・埼玉スタジアム(カメルーン対サウジアラビア戦 2002年6月6日) thumb|220px|right|空席問題の一例・埼玉スタジアム(日本対ベルギー戦 2002年6月4日) thumb|220px|right|空席問題に抗議する横断幕(日本対ベルギー戦)
前回大会の反省を活かして、FIFAは「今後、チケットを含めたツアー旅行は、原則認めない」とし、一部を除きチケットは原則単独販売のみとするとした。それに伴いチケット販売をバイロム社へ一元管理を委託し、またバイロム社もチケットを記名式にすることで、闇売買を防ぐ仕組みを導入した。 しかし結果的には前回大会同様に日本の組織委員会や観客も問題に頭を悩ませる事となり、バイロム社への責任問題へと発展した。問題の例としては、以下の通り。
- 記名されている、いないに関係なくチケット人気が高騰し、インターネットオークションでは高額な値段で売買される。このため、ヤフーオークションや楽天フリマは「チケットの異常な高額売買やそれに伴う詐欺行為を防止するため、日韓ワールドカップのチケットの出品は禁止」することを表明<ref>[3] ヤフー、W杯チケットのオークション出品を禁止 日本経済新聞 2002年5月17日付</ref><ref>[4] やっぱり出品されたW杯チケット 日本戦チケットにもユーザーは予想外の静観!? ITメディア 2002年6月号付</ref>、後日出品されたワールドカップのチケットの出品に対し、該当すると思われる出品に関しては片っ端から削除を行った。
- インターネット上のチケット販売サイトはアクセスが集中、購入できない状態が続いたものの、実際の試合では大量の空席が発生。販売サイトでは、実際にチケットが売り切れているにもかかわらず、ホストコンピューターの異常により画面上で「空席アリ」の表示が出続けていたため、チケットを求める人達のアクセスが減少せず、余計に混乱を招いた。
- チケットが試合直前までに到着しない。
- 日本で開催された試合ではチケットが全試合完売していたにもかかわらず、実際には大量の空席が存在することが明らかになった。そのため開催当初の予選リーグの試合では、いざ試合が始まってみると明らかに空席の目立つエリアが存在し、日本代表戦でも大量の空席があることが判明した。このため日本対ベルギー戦では「チケットはどこにあるのか?」と問題に抗議する横断幕まで出る事態となった。(右の画像を参照のこと。)
また大量の空席が存在しているという事態に、後日空席部分を調査、試合開始までにチケット販売が間に合うと判断された試合に関しては「最終販売」とし、チケットの予約・販売をチケットぴあに委託した。委託を受けたチケットぴあは、最終販売分を電話予約のみで受付し、会場近くのチケット受取所にて予約済みのチケットを手渡すという方法をとった。尚、チケット販売に関してはテレビを通して告知されたため、日本代表戦はチケットを求める大勢の人達がチケット販売日前日より予約電話番号に電話をし、販売前日の深夜にも拘らず「大変込み合っている」というアナウンスが流れる事態となった。
尚、大会後にはFIFAが日韓両国に対して1億円ずつの慰謝料を支払った。
また、日本国内では全試合完売だったのに対し、韓国国内では大量にチケットの売れ残りが発生、韓国国内で開催される決勝トーナメントですら空席が大量に発生した為に韓国政府が学生を動員して何とか会場の空席を埋めた。特に、西帰浦市で行われた決勝トーナメントの「ドイツvsパラグアイ戦」は韓国組織委員会の動員にもかかわらず、会場の空席が4割に達した。
韓国の八百長疑惑問題
本大会では多くの誤審疑惑が存在した。特に「韓国代表vsポルトガル代表戦」(ポルトガル代表へのカードの多発)、「韓国代表vsイタリア代表戦」(イタリア代表へのカードの多発、韓国代表選手がイタリア代表選手の後頭部を蹴るなどの明らかなラフプレーを無視)、「韓国代表vsスペイン代表戦」(取り消されたスペインの2ゴール)は、物議を醸した。韓国代表の相手国はいずれも上位進出候補の強豪国で、「ホスト国の韓国代表チームに対し意図的に有利な判定が行われたのではないか」との疑惑が広まり、事態沈静化のを図ったFIFAが、大会中に異例の声明を出すほどであった。そしてFIFAは急遽、これまでの『異なる大陸から審判を起用する慣例』を変えて、準決勝以降の試合は全て欧州出身の審判で固めた結果、皮肉にも不可解な韓国の快進撃は物の見事に止まる結果となった。
大会終了後7年が経過した後もこの誤審問題の記憶は薄れず、2000年代のサッカーの出来事を扱ったスポーツイラストレイテッド誌の記事でも韓国代表は「シンデレラ」として扱われたが、イタリア戦・スペイン戦でジャッジに大いなる疑惑があると記された<ref>http://sportsillustrated.cnn.com/2009/magazine/specials/2000s/12/09/soccer.highs.lows/index.html</ref>。
会場一覧
日本
韓国
結果
組み合わせ抽選
本大会のグループリーグの組み合わせ抽選は、開催国である韓国・釜山コンベンションセンターで、2001年12月1日に行われた。この抽選会の模様は全世界に生中継され、日本でもNHK(地上波とBS)、BSデジタル民放5局、スカイパーフェクTVにて、また民放ラジオもいくつかの局が「民放ラジオ共同制作」として生中継した。
抽選方法は以下の通りである。まず参加国を4つの「ポット」に分ける。
- ホスト国である日本と韓国、前回大会優勝のフランス、およびシード国としてブラジル、アルゼンチン、イタリア、ドイツ、スペインの5か国、計8か国を「ポット1」
- シード国以外のヨーロッパの残り11か国を「ポット2」
- シード国以外の南米3か国とアジア2か国を「ポット3」
- 北中米・カリブ海とアフリカの8か国を「ポット4」
- A-D組は韓国、E-H組は日本で試合を行う。
- フランスはA組(前回優勝国が開幕戦を行うため)、韓国はD組、日本はH組に決定。
- ポット1の残り5か国を順にドローし、B、C、E-G組に入れる。
- ポット1の国は、抽選で選ばれた組の1番に配置する。
- ポット2-4に選ばれた国は、各ポットからA組→H組の順に1カ国ずつ選ばれた後、選ばれた組の何番に配置されるかが抽選される。この選ばれた番号により、試合日等が決定される。
- ポット2のうち8か国を順にドローし、A-H組に入れる。
- ポット2の残り3か国を順にドローし、ポット1のヨーロッパ以外の国(日本、韓国、ブラジル、アルゼンチン)のいる組に入れる。
(今回はD組(韓国)、F組(アルゼンチン)、H組(日本)に入った) - ポット3の5か国を順にドローし、ポット2の残り3か国が入らなかった組に入れる。
- 尚、アジア大陸は出場国が合計4か国のため、韓国で開催されるA-D組と日本で開催されるE-H組に、それぞれ2か国ずつ均一に振り分けるようにする。そのため、予め中国は韓国側(A-C組)、サウジアラビアは日本側(E-G組)に振り分けるように抽選を行なう。
またシード国にアジア大陸及び南米大陸の国があるため、ポット2の残り3か国の抽選で選ばれなかった国がアジア大陸の国の組であれば、南米大陸の3か国の中で最初に選ばれた国は、ポット2の残り3か国の抽選で選ばれなかったアジア大陸の国の組へ、またポット2の残り3か国の抽選で選ばれなかった国が南米大陸の国の組であれば、その国の組がA-C組であれば中国がその国の組へ、E-G組であればサウジアラビアがその国の組へ、先に配置される。
(今回はポット3の抽選で最初に中国が選ばれた。中国の配置されるA組-C組の中で、ポット2の残り3か国の抽選で選ばれなかった国はブラジルのいるC組であったため、中国は先にC組に配置された。また3番目に選ばれたサウジアラビアは日本側で試合を行うため、日本側で3か国目が決まっていなかったE組とG組のうち、E→G組の順番によりE組に配置された)
- 尚、アジア大陸は出場国が合計4か国のため、韓国で開催されるA-D組と日本で開催されるE-H組に、それぞれ2か国ずつ均一に振り分けるようにする。そのため、予め中国は韓国側(A-C組)、サウジアラビアは日本側(E-G組)に振り分けるように抽選を行なう。
- ポット4の8か国を順にドローし、各組に入れる。
この結果、A組とF組に強豪が集中し、死の組と呼ばれた。
第1ラウンド
グループ A
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
A3 | Template:DENf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | +3 |
A4 | Template:SENf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 4 | +1 |
A2 | Template:URUf | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 | -1 |
A1 | Template:FRAf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 3 | -3 |
グループ B
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
B1 | Template:ESPf | 9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 4 | +5 |
B3 | Template:PARf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 6 | 6 | 0 |
B4 | Template:RSAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0 |
B2 | Template:SVNf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 7 | -5 |
グループ C
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
C1 | Template:BRAf | 9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 11 | 3 | +8 |
C2 | Template:TURf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 3 | +2 |
C4 | Template:CRCf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 | -1 |
C3 | Template:CHNf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 | -9 |
グループ D
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
D1 | Template:KORf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 | +3 |
D3 | Template:USAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 | -1 |
D4 | Template:PORf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 6 | 4 | +2 |
D2 | Template:POLf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 7 | -4 |
グループ E
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
E1 | Template:GERf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 11 | 1 | +10 |
E3 | Template:IRLf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 2 | +3 |
E4 | Template:CMRf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 3 | -1 |
E2 | Template:KSAf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 12 | -12 |
グループ F
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
F4 | Template:SWEf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 3 | +1 |
F3 | Template:ENGf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | +1 |
F1 | Template:ARGf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 |
F2 | Template:NGAf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 3 | -2 |
グループ G
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
G4 | Template:MEXf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 2 | +2 |
G1 | Template:ITAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 3 | +1 |
G3 | Template:CROf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | -1 |
G2 | Template:ECUf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4 | -2 |
グループ H
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
H1 | Template:JPNf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | +3 |
H2 | Template:BELf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 6 | 5 | +1 |
H3 | Template:RUSf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 4 | 0 |
H4 | Template:TUNf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 5 | -4 |
決勝トーナメント
1回戦
Template:Footballbox Template:Penshootoutbox
準々決勝
Template:Footballbox Template:Penshootoutbox
準決勝
3位決定戦
決勝
優勝国
2002 FIFA ワールドカップ優勝国 |
---|
100px |
ブラジル 2大会ぶり5回目 |
得点ランキング
FIFA選出ベストイレブン
FIFA ワールドカップ オフィシャル・コンサート
2002 FIFA ワールドカップの開催を記念し、ワールドカップ開催史上初めてFIFAの公式イベントとして、『2002 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN OFFICIAL CONCERT』と題し、コンサートが開催された。場所は両日共に、東京スタジアムにて開催された。
- 6月27日 「INTERNATIONAL DAY」
- 6月28日 「KOREA/JAPAN DAY」
記念発行物
Template:右 2002 FIFA ワールドカップ公式アルバムや、大会マスコットなどをあしらった公式記念品が多数販売された。また、日本においてはアディダス製の公式ユニフォームが記録的な売り上げを記録した。
なお、日本においては下記の物が発行された。
- 記念切手
- 80円切手2種類。試合日程などが記されたシート(切手5枚ずつ10枚が付属)は各会場版10種、全国版、準決勝版、決勝版各1種の13種類。
大会協賛
オフィシャルパートナー
2002 FIFAワールドカップオフィシャルパートナー
- アディダス(ドイツ:スポーツ用品メーカー)
- アンハイザー・ブッシュ(米国:バドワイザー製造元のビール会社)
- アバイア(米国:IP電話)
- ザ コカ・コーラ カンパニー(米国:飲料メーカー)
- 東芝(日本:電機メーカー)
- ジレット(米国:剃刀メーカー)
- 日本電信電話(日本:通信業)
- 日本ビクター(日本:電機メーカー)<ref>日本代表戦では「Victor/JVC」表記の広告を使用し、それ以外の全ての試合では「JVC」表記の広告を使用した。この措置は1998年大会でも同様。</ref>
- 富士フイルム(日本:写真メーカー)
- 現代自動車(韓国:自動車メーカー)<ref>韓国でのゲームでは選手送迎バスにヒュンダイ製をオフィシャルとして使用していたが、日本ではヒュンダイ製バスはほとんど存在していなかったので、当時業務提携していた三菱自動車(現三菱ふそうトラック・バス)のバスを使用していた</ref>
- マスターカード(米国:クレジットカード会社)
- マクドナルド(米国:ファストフード飲食店)
- フィリップス(オランダ:電機メーカー)
- Yahoo!(米国:インターネット検索エンジン)
オフィシャルサプライヤー
- 韓国
- 日本
その他
- アンセム~2002 FIFA World Cup公式アンセム=今大会に限り、通常のFIFA Anthemではなくヴァンゲリスの楽曲が公式Anthemとして使用された。また、この楽曲の公式リミックス版も石野卓球から発表された。Fifa World Cup 2002 Anthem - Takkyu Ishino Mix
- 公式テーマソングはアナスタシアの『Boom』
- マスコットキャラクターは「スフェリックス」。
- NHK総合テレビで放送されたFIFAワールドカップ中継はすべて2ヶ国語放送され、民放ではステレオで放送された。
- 決勝戦の6時間前、ブータンでFIFAランキング最下位決定戦「アザー・ファイナル(もうひとつの決勝戦)」が行われた。
ブータン 18px|ブータンの国旗 | 4 - 0 | Template:MSRf |
脚注
Template:脚注ヘルプ Template:Reflist
関連項目
外部リンク
Template:FIFAワールドカップTemplate:FIFA2002af:FIFA Sokker-Wêreldbekertoernooi in 2002 ar:بطولة كأس العالم لكرة القدم 2002 az:FİFA Dünya Kuboku 2002 be:ЧС па футболе (2002) bg:Световно първенство по футбол 2002 bn:২০০২ ফিফা বিশ্বকাপ bs:Svjetsko prvenstvo u nogometu 2002. ca:Copa del Món de Futbol de 2002 cs:Mistrovství světa ve fotbale 2002 cy:Cwpan y Byd Pêl-droed 2002 da:VM i fodbold 2002 de:Fußball-Weltmeisterschaft 2002 el:Παγκόσμιο Κύπελλο Ποδοσφαίρου 2002 en:2002 FIFA World Cup eo:Futbala Mondpokalo 2002 es:Copa Mundial de Fútbol de 2002 et:2002. aasta jalgpalli maailmameistrivõistlused eu:2002ko Munduko Futbol Txapelketa fa:جام جهانی فوتبال ۲۰۰۲ fi:Jalkapallon maailmanmestaruuskilpailut 2002 fr:Coupe du monde de football de 2002 he:מונדיאל 2002 hr:Svjetsko prvenstvo u nogometu - Južna Koreja i Japan 2002. hu:2002-es labdarúgó-világbajnokság id:Piala Dunia FIFA 2002 it:Campionato mondiale di calcio 2002 ko:2002년 FIFA 월드컵 la:Certamen Mundanum Pedilusorium (2002) lt:XVII pasaulio futbolo čempionatas lv:FIFA Pasaules kauss 2002 mk:2002 ФИФА Светско Првенство ml:ഫുട്ബോൾ ലോകകപ്പ് 2002 mr:२००२ फिफा विश्वचषक ms:Piala Dunia FIFA 2002 mt:Tazza tad-Dinja tal-Futbol 2002 nl:Wereldkampioenschap voetbal 2002 nn:VM i fotball 2002 no:VM i fotball 2002 pl:Mistrzostwa Świata w Piłce Nożnej 2002 pt:Copa do Mundo FIFA de 2002 ro:Campionatul Mondial de Fotbal 2002 ru:Чемпионат мира по футболу 2002 simple:2002 FIFA World Cup sk:Majstrovstvá sveta vo futbale 2002 sl:Svetovno prvenstvo v nogometu 2002 sr:Светско првенство у фудбалу 2002. sv:Världsmästerskapet i fotboll 2002 th:ฟุตบอลโลก 2002 tr:2002 FIFA Dünya Kupası uk:Чемпіонат світу з футболу 2002 vi:Giải vô địch bóng đá thế giới 2002 zh:2002年世界盃足球賽