銭貨

出典: Wikipedio


Template:Redirect

銭貨(せんか)は、主に東アジアで流通した硬貨を指す。多くは円形で中心部に方形の穴が開けられた有孔貨幣であることが多い。金貨銀貨といった貴金属製の硬貨の対義語として、卑金属製の硬貨を指すこともあるが、実際には金製・銀製の銭貨も存在する。ただし、金製・銀製の場合、円盤状の貨幣の中央に孔が開いた形状をしている物のみを銭貨という。多くは銅貨であるが、の不足などにより、製のものや錫等との合金とした真鍮製の物が銭貨として発行されたこともある。

呼び名

「ぜに」、「ちゃん」、「ちゃんころ」などとも呼ばれる<ref>大辞林、大辞泉などの辞典</ref>。

歴史

日本(倭国)産の銭貨として最初に鋳造されたのは、無文銀銭または富本銭とされるが、実際に流通したかどうかは定かではなく、厭勝銭(まじない銭)や試作品の可能性もあり、よく分かっていない。

最初に正式な貨幣として発行されたのは708年和銅元)の和同開珎である。これは律令国家の建設と軌を一にするものであり、中国王朝にならい貨幣発行権を国家のもとにおいたのである。律令政府は、蓄銭叙位法や献銭叙位法を施行するとともに、雑徭調の銭納を認めるなど、銭貨の普及を強く推進した。以後、10世紀頃まで国産の銭貨である万年通宝神功開宝隆平永宝富寿神宝承和昌宝長年大宝饒益神宝貞観永宝寛平大宝延喜通宝乾元大宝の12種類が鋳造された。これらを皇朝十二銭と呼ぶ。しかし、銭貨の原料となる銅が十分に確保されないために、消費需要に見合うだけの銭貨を供給することができず、銭貨は次第に布や米などの物品貨幣へ代替されるようになり、11世紀初めごろまでに流通しなくなった。

平安時代後期に荘園公領制が成立すると、地域間の決済が増加していき、貨幣への需要が高まった。日宋貿易によりもたらされた宋銭唐銭が次第に流通し始め、『百練抄』には、平安最末期の1179年治承3)に「銭の病」が流行した記事が残っている。この「銭の病」を急激な宋銭普及に伴うインフレーションとする説もある。

本格的に銭貨流通が盛んになったのは鎌倉時代からである。13世紀中葉ごろからの社会変動に伴い、銭貨流通は社会に広く普及した。室町時代から永楽通宝が大量に輸入されたが、永楽通宝は明が対日本向け専用に鋳造した銭貨である。

ながらく中国から輸入した渡来銭が流通していたが、江戸時代に入ってようやく安定的な貨幣供給体制が整えられ、慶長通宝寛永通宝宝永通宝天保通宝文久永宝などが流通した。寛永通宝1953年昭和28年)12月の「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律施行まで、銅貨4銭を2厘、銅貨1文銭を1厘硬貨として、法的に通用していた。

文献

<references/>en:Zeni th:เซะนิ

個人用ツール