視聴率
出典: Wikipedio
|
Template:国際化 視聴率(しちょうりつ)とはあるテレビ番組をその地区のテレビ所有世帯のうち何パーセントが視聴したかを表す推定値であり、一つの指標である。視聴率には個人視聴率と世帯視聴率があるが、一般的に視聴率といえば世帯視聴率のことを指す。
目次 |
概説
視聴率の測定は基本的にモニター世帯に設置されるテレビに接続した専用の機器から得られるデータを基にしている。地域や調査内容によっては、日記式のアンケートによる調査を行っているものもある。
「視聴率」はその時刻にテレビの電源が入っていた世帯からの割合で測るものではなく、調査対象世帯全体に対する割合である。たとえば、100世帯がテレビ視聴率計測の対象だったとして、その内1世帯がテレビをつけていたとする。しかし残りの99世帯がテレビを消していた状態の場合、つけていた1世帯が視聴していた番組の視聴率は100パーセントではなく1パーセントとなる。電源が入っていた世帯からの割合で測る場合は、それぞれの局の割合を「番組視聴占拠率」と呼ぶ。
平均視聴率は毎分0秒のときの視聴率(瞬間視聴率)の平均で求められており、一番組中で最も高かった瞬間視聴率をマスコミ用語で瞬間最高視聴率として考慮することもある。
なお瞬間視聴率、瞬間最高視聴率という言葉はマスコミ用語で、「ビデオリサーチ」ではそれぞれ毎分視聴率、毎分視聴率の最高値という。
視聴率というものを調査する意義は、大きく分けて
- 各種番組の視聴率から、国民の関心の高さを探る
- 視聴率の移り変わりから社会の動きを知る
- テレビの媒体力や広告効果のひとつの指標として提示することで、利用スポンサーに対して広告料をもらう根拠とできる
といったものがある。
日本
日本では2000年3月以降、「ビデオリサーチ」の調査結果がそのまま世帯視聴率となっている。「ビデオリサーチ」の場合、機械式の視聴率調査は主要11地区(関東地区、関西地区、名古屋地区、札幌地区、仙台地区、福島地区、新潟地区、静岡地区、岡山香川地区、広島地区、北部九州地区)では毎日、その他の都市(青森地区、岩手地区、秋田地区、山形地区、富山地区、金沢地区、長野地区など)では毎月、月はじめ2週間の調査を行っている。標本数は関東地区、関西地区、名古屋地区が600、それ以外の地区は200である。ただし、放送エリア内に地元民放テレビ局が3局以上あることが機械式視聴率調査の条件のため、福井県、山梨県、徳島県、佐賀県、宮崎県では機械式視聴率調査は行われていない。<ref>なお、この5県は年に4回程度、日記式の視聴率調査が非公式に行われている。</ref>
また、衛星放送・一部の独立UHF局などは一括して「その他の局」という扱いとなり、個別の数字は公表されない<ref>株式会社「ビデオリサーチ」 ++ FAQ > 視聴率に関する質問</ref>。また、録画による視聴(録画率)やパソコンによる視聴はカウントされていない(ただし録画率ランキングがある)。地上デジタル放送については、2003年12月の開始当初は対象外としていたが、普及に合わせてデジタル対応の調査機器への更新が進められている<ref>http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200612060169.html</ref>。
一般に関東地区、関西地区、名古屋地区などのゴールデンタイムでは15パーセントを超えるとヒット作と言われることが多く、逆に10パーセントを切ると「一桁」として視聴率が低迷していると言われることが多い。それは、テレビの総視聴率が最も高い時間帯である19時-22時で総視聴率は約70パーセント、それを単純に民放5局とNHK2局の合計局数で割ると10パーセントになることからである。
民間放送各社はこの数値が広告の営業活動に大きくかかわることから視聴率を重視している。近年では公共放送であるNHKも同様に重視している。
これまでの関東地区における最高視聴率は「ビデオリサーチ」が視聴率調査を開始した1962年12月3日以降では1963年12月31日の第14回NHK紅白歌合戦で記録した81.4パーセントであり(1961年-2000年に行われていた「ニールセン」による調査でも第14回NHK紅白歌合戦の89.8パーセントが最高)、「ビデオリサーチ」以前も含めた最高視聴率は1955年5月30日、日本テレビのボクシング中継・パスカル・ペレス対白井義男戦で記録した96.1パーセント(電通調べ)<ref>日本放送協会編『放送五十年史 資料編』、日本放送出版協会、1977年、590-591頁。</ref>である。
視聴率を扱う文献は必ずしも多いわけではないが、松本清張の『渦』は、視聴率を取扱い、その権力批判的な側面が発揮された作品である。
放送局 | 番組名 | 放送日 | 放送時間 | 視聴率 |
---|---|---|---|---|
NHK総合 | 第14回NHK紅白歌合戦 | Template:和暦12月31日 | 21:05~23:45(160分) | 81.4% |
日本テレビ | 日本プロレス中継「WWA世界選手権・ザ・デストロイヤー×力道山」 | Template:和暦5月24日 | 20:00~21:15(75分) | 64.0% |
TBSテレビ | ありがとう第2シリーズ 第48話 | Template:和暦12月21日 | 20:00~20:55(55分) | 56.3% |
フジテレビ | 2002 FIFAワールドカップ 日本×ロシア | Template:和暦6月9日 | 20:00~22:54(174分) | 66.1% |
テレビ朝日 | 2006 FIFAワールドカップ 日本×クロアチア | Template:和暦6月18日 | 21:35~翌0:30(175分) | 52.7% |
テレビ東京 | 1994 FIFAワールドカップアジア地区最終予選 日本×イラク | Template:和暦10月28日 | 22:00~翌0:15(135分) | 48.1% |
歴史
日本
日本における視聴率は記録に残っているものでは、1954年に「NHK放送文化研究所」が年に2回、訪問面接法による調査を開始したのが最初<ref>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』15頁。</ref>。「NHK放送文化研究所」による調査は、1971年に調査方式を配付回収法に変更した。2007年現在では数ヶ月に1回、1週間分の個人視聴率の調査・発表を行っている。
1955年には電通が年に4回、日記式のアンケートによる調査を開始した<ref>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』15-18頁。</ref>(電通による視聴率調査は1963年1月が最終。以後の調査は「ビデオリサーチ」へ引き継がれる<ref>『放送五十年史 資料編』591頁。</ref>)。
1958年には社団法人「中央調査社」が同じく日記式のアンケートによる調査を年に4回開始し、1959年には年12回(毎月)に拡大した<ref>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』18頁。</ref>。1961年4月、「ニールセン」が日本に進出し測定機械による世帯視聴率調査を開始し、1962年12月からは「ビデオリサーチ」社も調査を開始した<ref>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』18-19頁。</ref>。当時は測定器を該当する世帯のテレビに取り付け、情報を紙テープに記録するオフラインメータ方式<ref name="kokkai">テーマ別調べ方案内 / タイトル:テレビ視聴率(総論) 国立国会図書館</ref>で、調査員が記録テープを回収<ref name="GUIDE BOOK">視聴率調査について(視聴率ハンドブック) - テキスト版 / Template:PDFlink ビデオリサーチ</ref>した後に集計を行っていたため、前週の視聴率が翌週に判明する状態であった<ref name="All">前代未聞!視聴率測定世帯買収事件 視聴率のためなら悪魔に魂を… All About 2003年10月26日</ref>。
1977年9月26日、関東地区にてビデオリサーチが開発した「ミノル・メーター」<ref>広告景気年表:1977年 電通 消費者情報トレンドボックス</ref><ref>沿革 1962年 - 69年 ビデオリサーチ 会社情報</ref>を使用し、通信回路(電話回線)を経由して情報を自動回収するオンラインメータ方式<ref name="kokkai"/>による調査を開始したことにより、翌日には視聴率が判明するようになった<ref name="GUIDE BOOK"/><ref name="All"/>。
長らくこの「ニールセン」と「ビデオリサーチ」の2社が日本国内における世帯視聴率を測定していたが、2000年3月に「ニールセン」が日本国内における視聴率調査から撤退し<ref>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』19頁。</ref>、それ以後は、世帯視聴率は「ビデオリサーチ」の測定した結果のみが用いられることとなった。撤退の理由は個人視聴率導入に関して民放キー局と意見が対立したからだとされる。
日本国外
アメリカでは1950年代以降、視聴率調査はニールセン・メディア・リサーチ社が業務を独占している<ref name="WIRED">TV視聴率調査のニールセン社、問われる調査手法の信頼性 WIRED VISION 2004年4月19日</ref>。調査方法は、アメリカ全国調査は1987年よりピープルメーター方式(それ以前は日記式アンケート)、地域調査は1週間分の日記式のアンケートを郵送する方式に加えて、2003年後半〜2004年前半にピープルメーター方式を導入した<ref name="WIRED"/>。
問題点
- データの信憑性についての批判
視聴率のデータの信憑性に対する主な批判としては次のようなものが挙げられる。
- 「ビデオリサーチ」社は調査方法の詳細を公開していないため、信憑性を検証できない。
- 日本における視聴率調査を「ビデオリサーチ」社が独占しており、他の比較データがない。
- 調査は世帯単位で行っているので、テレビが一家に2台以上ある実態に対応できていない。
- サンプル(標本)の数が少なく、多くて数百件しかないため、少ない不正件数で大きく数値が変動してしまう。この脆弱性を悪用し、過去に日本テレビ視聴率不正操作問題が起こっており、今後も同様の問題が起こる可能性がある。
- データの質についての問題
- 首都圏と地方間における、地域ごとのサンプル数(住民の絶対数)に大きな違いがあるため、地域間の単純比較が難しい。
- 統計学的見地によるデータの誤差が考慮されることが非常に少ない。「ビデオリサーチ」社の調査方法では、標本数600・信頼度95パーセントの場合、視聴率10パーセントの時の誤差は±2.4ポイント、視聴率20パーセントの時の誤差は±3.3ポイントである。つまり、「視聴率20.0パーセント」と発表された場合の視聴率は「16.7〜23.3パーセントの間にある」確率が95パーセントということである。標本数200の地域ではさらに誤差が大きい。
- 録画率については対応していない。NHKを除き地上局(のスポンサー)にとっては、CMを早送りで飛ばされてしまう録画を視聴率に加える価値はないともいえる。さらには自動でCMを消す録画機まで存在して拍車をかけている。しかし、テレビドラマや特撮、テレビアニメなどは後にDVDやブルーレイディスクなどのパッケージ商品としてソフト化をすることが恒例であり、キー局や各番組のスポンサーサイドにも録画率調査は絶対的なデメリットであるとは言い難い(TBS土8ドラマROOKIESのようにDVDがヒットすることもある(ROOKIESは視聴率も好調だった))さらに、特撮やテレビアニメは放送中(もしくは放送後)にグッズ販売をすることがほとんどであり、録画視聴者がグッズ購入に走ることも考えられ一概に録画を否定することはできない。また、中には婚カツ!のように視聴率が低いが録画率では好調という番組もある[1]。
番組内容への影響
現在のところ、視聴率は番組の良し悪しについての客観的指標として最も使用されている。視聴率が高い番組は「いい番組である」、「広告効果が高い番組である」という評価となるので、キー局主体のテレビ局はさまざまな手段で視聴率向上のための努力をする。しかし、その努力が行き過ぎると、番組内容は二の次で高視聴率を取れる番組を制作しようとしてしまう。その結果、さまざまな悪影響を与えてしまうこととなる。
- 興味本位の番組・大衆迎合的番組が増える。また、そのような番組制作にて報道の自由を大義名分にプライバシー権・放送倫理を侵害する問題が発生する温床となる。
- 高視聴率を望む傾向が強くなるので、低視聴率番組は途中で打ち切られやすい。ただし、打ち切りとなった番組が後に多大な評価を得ることも希にある。
- 視聴者も刺激的、ドラマ的な展開を求めたがるためにやらせなどの捏造行為が発生しやすい。特に軽度のやらせは演出の一種として扱う傾向があり、番組全体の劇場化が指摘される。中には犯罪を依頼し、作られた事件現場を真っ先に報道していたとして調査された事件も存在する<ref>asahi.com(朝日新聞社):テレビ番組元司会者、視聴率のため殺人依頼? ブラジル - テレビ・ラジオ - 映画・音楽・芸能</ref>。
視聴率争い
視聴率がテレビ局の評価を決めると言っても過言ではないため、国や時代、時間帯を問わず視聴率争いは行われている。ここではその代表的なものをあげる。
土曜8時戦争
TBSの『8時だョ!全員集合』(1969年-1985年)が「お化け番組」と呼ばれる程の凄まじい人気を誇った事で発生した。ライバルのフジテレビは対抗する番組を企画するも悉く放送終了に追い込まれ、土曜8時枠は「鬼門」とまで言われた。74年に荒井注がドリフターズから抜けて暫くは『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の成功もあって視聴率が逆転したが、志村けんの「東村山音頭」のヒットで再び逆転、以後、『オレたちひょうきん族』(1981年-1989年)が登場するまで対抗出来る番組は無かった。中には『ピーマン白書』のように大々的な番宣キャンペーンを行ったにも関わらず、放送回数6回で打ち切りになったものも存在した。
1990年代に入ると再び土曜8時が騒がしくなっていった。まずは8時だョ!全員集合を終了に追い込んだオレたちひょうきん族だったが後続番組加トちゃんケンちゃんごきげんテレビの登場で逆に番組終了に追いやられた。90年代に入ると加トケン、マジカル頭脳パワー!!、ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!、暴れん坊将軍の4番組が熾烈な競争を行った。しかし加トケンはムーブ断行により終了、ウンナンはアクシデントで放送終了、マジカル、暴れん坊ともに放送時間帯を移動して放送したため1995年以降はウソのように戦争はおきなくなった
札幌戦争
北海道地区の夕方ワイド番組における視聴率争いで、札幌テレビ放送(STV)が1991年に始めた『どさんこワイド120』を中心としたものである<ref>「自社制作ワイドで火花を散らす“札幌戦争”」『創』1994年7月号、創出版。</ref>。
それまで夕方の時間帯はアニメやドラマの再放送が多く行われていたが、STVは夕方ワイド番組を放送することで他局の視聴率を抜き去り、北海道の各テレビ局が同様の番組で追随することとなった。この流れは日本全国に波及し、各地で夕方ワイド番組が作られるようになっていく。大阪・福岡などでは各局の夕方ワイド番組が競合し、同様の視聴率争いが発生している。
北海道の怪物番組と言われる「水曜どうでしょう」を製作する北海道テレビは、どさんこワイドに太刀打ちできないと判断し、自主製作を深夜帯に行う契機になったほどである。
マンデー・ナイト・ウォー
Template:Main 1990年代後半のアメリカ合衆国では、米国を二分するプロレス団体のWWF(現WWE)とWCW(現在は解散)が、月曜夜の同じ時間帯にプロレス中継(WWFの『MONDAY NIGHT RAW』、WCWの『MONDAY NITRO』)を放送しており、熾烈な視聴率争いが発生していた<ref>『WWE マンデーナイトウォー』 ジェネオンエンタテインメント、2004年6月25日。ASIN B000244RVC</ref><ref>Rick Scaia,"THE MONDAY NIGHT WARS: RAW vs. Nitro,"ONLINE ONSLAUGHT,August 7, 2003.</ref>。
この視聴率争いは凄まじく、ライバル団体の放送を見て何の前触れもなしに対戦カードを変更する、視聴率で押されそうになると現地スタッフがレスラーに乱入を指令する、などの常軌を逸した演出も日常茶飯事であった。当初はWCWが人気レスラーを起用しnWoブームを生むなど優勢であったが、WWFが選手や社長一家の抗争を前面に出すアティテュード路線に変更することで巻き返し、ついにはWCWを解散に追い込んだ。
視聴率測定における時間帯区分
ゴールデンタイム・プライムタイム
冒頭で述べた通り、(1960年代から2000年まで2社体制で視聴率調査をしていた)「ニールセン」と「ビデオリサーチ」とで、最もテレビの視聴が高い時間帯の基準が両社で異なっていたからによるものとされている。米国に本社を持つ「ニールセン」では、米国基準で最もテレビの視聴が高い時間帯を設定し、これを19時から23時までとして「プライムタイム」と呼んだ(ただし実際の米国における「プライムタイム」の時間帯は月~土曜の20時-23時・日曜の19時-23時であり、日本のそれとは異なる)。
これに対し、「ビデオリサーチ」は日本独自の基準として、最もテレビの視聴が高い時間帯を19時から22時までとして「ゴールデンタイム」と呼んだ。
なお、この2区分の調査は、ニールセンの「プライムタイム」は1961年4月の調査開始当初から、「ビデオリサーチ」の「ゴールデンタイム」も1962年12月の調査開始当初から始めた。しかし「ビデオリサーチ」も1971年から「プライムタイム」の調査を開始し、現在に至っている。
三冠王・四冠王
日本の放送局が視聴率を評価する際に使う表現で、下記3区分すべてで平均視聴率がトップの放送局を指して「三冠王」と呼ぶ。
上記に加えノンプライム(6時-19時、23時-24時)でも視聴率がトップであれば、「四冠王」と呼ばれる。
1980年代後半にフジテレビが「三冠王」を使い始めた。フジテレビは1982年から1993年までの12年間、連続して三冠王となった。ただし、これは在京民放局5局中での三冠王であり、NHKを含めた中での三冠王となったのは1987年と1990年から1993年の合わせて5年間である。それ以外の年はNHKがフジテレビの全日視聴率を上回っていた。また、1993年のフジテレビの全日視聴率は、日本テレビと同率であった<ref name=HS116>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』116頁</ref>。一方で、年度視聴率においては、フジテレビは1982年~1992年の11年間は在京民放局5局中において三冠王で、その間はNHKの全日視聴率を上回ることはなかった。1990年になってやっとNHKの全日視聴率を含めて完全三冠王となったが、長くは続かず、1992年度までで終わった。
その後、日本テレビが「四冠王」の表現を使い始め、バラエティー番組や巨人戦中継が好調となり、同社が年間視聴率四冠王の座を1994年~2003年の10年間、連続して獲得した。なお、1994年の日本テレビは、全日は単独で首位だったが、ゴールデンタイム、ならびにプライムタイムのそれぞれの年間視聴率でフジテレビと同率であった<ref>『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』199頁</ref>。一方で、年度視聴率においては、日本テレビは1994年~2002年の9年間、連続して三冠王だったが、1993年度は全日のみ首位(ゴールデン、プライムはフジの二冠)、2003年度はプライム以外の三冠だった(プライム首位はフジ)。2009年までにフジテレビが2004年から年間、および年度視聴率の三冠王が継続されている<ref>フジテレビ 6年連続で視聴率「三冠」、スポーツニッポン、2010年1月4日11:40配信</ref>。
視聴率三冠王の第1号はTBSで、1978年に1度だけ達成したことがある。当時は『まんが日本昔ばなし』、『クイズダービー』、『8時だョ!全員集合』、『Gメン'75』と言った超人気番組を同局が有していたことが三冠王に有利な条件であった。但し1978年のTBSは全日視聴率がNHKと同率であった<ref name=HS116 />。
脚注
Template:脚注ヘルプTemplate:Reflist
関連書籍
いずれも日本における視聴率に関するもの。
- 「ビデオリサーチ」編 『視聴率の正体』 星雲社、1983年。ISBN 4795252084
- 藤平芳紀 『視聴率の謎にせまる―デジタル放送時代を迎えて テレビ社会と私たちの暮らしの関わりを探る格好のテレビ論』 ニュートンプレス、1999年。ISBN 4315515329
- 引田惣弥 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』 講談社、2004年。ISBN 4062122227
- 藤平芳紀 『視聴率の正しい使い方』 朝日新聞社、2007年。ISBN 9784022731425
関連項目
- 視聴者
- 潜在視聴率
- 視聴率主義
- 聴取率
- テレビ離れ
- インターネット視聴率
- 延べ視聴率
- 野球番組の歴代視聴率一覧
- 放送倫理・番組向上機構 (BPO)
- WWE#Monday Night War
- WCW#マンデー・ナイト・ウォー
- en:Monday Night Wars
- en:Monday Night Wars: Ratings
外部リンク
da:Seertal de:Einschaltquote en:Audience measurement eo:Enŝaltkvoto es:Cuota de pantalla fr:Audience (média) he:מדרוג hu:Nézettségmérés it:Audience (media) ko:시청률 nl:Kijkcijfer pl:Oglądalność sv:Tittarsiffror zh:收视率