萩原一至

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萩原 一至(はぎわら かずし、1963年4月4日<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、293頁</ref> - )は、日本漫画家東京都中野区白鷺出身<ref name="mangaseek" /><ref name="ILLUSTRATIONS">『BASTARD!!GUARDRESS 萩原一至 ILLUSTRATIONS』</ref>。血液型はO型<ref name="ILLUSTRATIONS" />。代表作は『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』等。

目次

来歴

東京都中野区白鷺に生まれ、千葉県千葉市に転居。高校1年生を3回繰り返し(留年、退学、再入学、留年)、17歳で家出。アパートを借りてアルバイト生活。同年のひと夏、50ccバイクで北海道を半周する一人旅に出、高校を中退。

数年後実家に戻り東京デザイナー学院デザイン科に入学、後にアニメーション科に編入。学内向けに募集されたダーティ・松本のアシスタントに応募。学校に通いながら約2年間のアシスタント修行を始める。東デ2年生の時、アニメーション科のクラスメートであった鶴田洋久、由美もりおと共に合作マンガ企画「MADE GENIUS」を始め、最初の漫画を描く<ref>後に未完成のまま1990年冬コミにて同人誌として頒布</ref>。

東京デザイナー学院を卒業したのち22歳の時、『週刊少年ジャンプ (WJ)』の募集広告を見てまつもと泉のアシスタントとなる。同じアシスタントとして本田将岡崎武士、当時まつもと泉の担当で後に『BASTARD!!』の初代担当として同作品に多大な影響を与える事となる高橋俊昌と出会う。この時、まつもとが倒れた週にアシスタント達だけでまるまる作画してしまったという逸話を残す<ref>『きまぐれオレンジ☆ロード』の終盤は萩原一至が描いていたという噂は、この話が一人歩きしたものと思われる</ref>。

24歳の時、アシスタントの仕事の合間をぬって『パロディーコミック プロジェクトA子 2』(1987年8月・ラポート株式会社刊)に、『A子』のパロディー漫画「GOOD WEATHER」(全14ページ)を執筆<ref>ほぼ完成した原稿が没となった全18ページの第一稿「見つけて壊せ!!」は同年冬コミにて同人誌「激バカとろろいも」に収録。</ref>。『プロジェクトA子』とほぼ同時期、『WJ』 特別編集 SummerSpecial(1987年)に公式的なデビュー作品となる「微熱口紅(びねつるーじゅ)」掲載、読者アンケートにて好評を博し、今度はジャンプ本誌で2作目の読み切りを描くことが決定、この〆切の為、直近に迫っていた『オレンジ☆ロード』の最終回に参加する事なく、まつもと泉のスタジオを退所した。

『WJ』1987年47号に2作目の読切「WIZARD!!〜爆炎の征服者〜」<ref>後に『BASTARD!!』の序章としてコミックス1巻の巻頭に収録</ref>発表。『WJ』特別編集 WinterSpecial(1988年・年初)に掲載された読切「VIRGIN・TYRANT(ヴァージン・タイラント)」をはさんで、『WJ』1988年14号より『BASTARD!!〜暗黒の破壊神〜』の連載を開始。

人物像

左利きで、作画に非常にこだわりを持ち高いクオリティと緻密な画面を好む漫画家。スクリーントーンを多用したその作風は、80年代から90年なかばにかけて日本のコミック業界に影響を与え、今でも現在の角川・電撃系列のコミックにその影響を見ることが出来る。週刊連載をこなしていたことからもわかるように、最盛期は決して遅筆な作家ではなかったが、作画にこだわって時間をかけすぎたのちに〆切に間に合わない、と言うことは当時からしばしばあった。だが現在ではそれがさらに極端になり、定期的な連載が行なわれず、不定期に『ウルトラジャンプ (UJ) 』に掲載されても未完成原稿がブツ切りで掲載されることがほとんどである。

商業誌で連載を持つプロの漫画家でありながら、定期的に同人活動を行っていることでも知られ、『BASTARD!!』でコミックスから抜け落ちた部分が、同人誌『未使用・改訂版』に収録されている場合もある。

冨樫義博との関係

Template:未検証 同じく『WJ』連載漫画家であった冨樫義博に対しさまざまな影響を与えている。萩原の絵の巧さが冨樫に自信を失わせたり(新人時代に萩原の生原稿を見ての事)、萩原による漫画家を集めたパーティーで武内直子を紹介されて結婚していること、少年ジャンプ誌上に不定期連載という礎を作った末に冨樫が同じ様に不定期連載を行っていた等。少年ジャンプ誌上で、病気や事故などの特別の理由もなく、雑誌掲載時に未完成原稿のままで発表(単行本化の際には加筆して原稿を完成させる)しながら、継続的に連載することが許されていたのは萩原と冨樫だけであるため、両者ともにこの類の話題の例として上がることも多い。

『BASTARD!!』連載をめぐる変遷

Template:独自研究 もともとは、週刊で連載していた『BASTARD!!』は、作者腰痛を理由に連載が中断された。その後、当時発刊されていた季刊(年に四回発行)の WJ 増刊『Spring (Summer, Autumn, Winter) Special』に連載が移動する。季刊は掲載ページ数がまとまっていること(年4回で一回ごとに60 - 80ページ)、同期間内に描く量が極端に減ったことが幸いしたのか、作画のハイクオリティを追求する傾向となる。連載時にラフ原稿で掲載されたものも単行本では加筆修正され、単行本は年二冊のペースを保ちながら出版され続けていた。

しかし1997年頃、発行部数でトップを独走していた『WJ』が、発行部数2位であった『週刊少年マガジン』に発行部数で肉薄されるという事態が生じる<ref>1997年49号にて逆転。2002年再逆転している</ref>。危機感を抱いた編集部は、テコ入れのため「黄金期」と呼ばれた時代の他の作家陣への様々な働きかけの一つとして人気のあった『BASTARD!!』を季刊から呼び戻すことを考えた。

詳細は不明だが、『BASTARD!!』は週刊誌上でありながら月イチ(24 - 30ページ)で連載を続ける、という異例の措置で呼び戻された。そのため『季刊ジャンプ』上で連載していた『BASTARD!!』は方舟編のクライマックスを前にしてストーリーが中断、連載は途切れた。方舟編の原稿は8割方作画されており、本来単行本の19巻の内容となるはずだった150頁前後の商業未発表の原稿が、同人誌の『未使用・改訂版』で発表されている。

上記の理由や佳境に入ったストーリーの中断など、週刊呼び戻しに至る経緯は萩原も納得行かないものであったらしく、単行本18巻Remix<ref>単行本18巻のみ表紙の違うバージョンが2つあり、加筆修正がさらに行われたものがRemixバージョンと呼ばれる</ref>でのあとがきにおける「あたしゃ気持ちの整理がつかなくって…」などという愚痴などからうかがい知ることが出来る。

紆余曲折の末、『WJ』上での連載が開始。この再開は方舟編から一定時間が経過したエピソードを新規にスタートするという形を取る。だが、季刊のペースに合わせクオリティを追求してきた『BASTARD!!』の作画は、月刊ペースでも時間の不足を吸収しきれず、連載2回目にして作業は大きく破綻し、埋められなかったページ8頁を全て見開き、それも未完成の原稿で掲載する事態となった。その後も、未完成の原稿で埋め尽くされる回などが続くなど『BASTARD!!』の連載は破綻をきたす事となり、2002年頃、『WJ』上での連載を単行本21巻の内容で終了し、連載はしばらくの間途絶える。同時期に自身のホームページ上にある質問掲示板において、読者から休載の多さについての指摘がされた際には、別名義のハンドルネームを用いて反論、その後口論を起こし一切掲示板上から姿を消す事となる<ref>単行本のあとがきでは「ネット上でマジギレしてました(笑)と」説明されていた。</ref>。

2003年頃、『UJ』で再開するというニュースとともに『BASTARD!! 完全版』の告知がされた。しかし、完全版のために過去の原稿を時間をかけて修復し始める。結果、連載と併行してその作業をこなすことが難しくなり、連載は今までの中で一番不安定なものとなっていき、『UJ』の連載は、休載の連続や鉛筆描きのままの原稿がそのまま掲載される事が続いた。また、『完全版02』ではコンピュータを導入してのデジタル作画での加筆修正へと移行し、作画環境の大幅な移行は更なる作品製作の遅延をもたらした。

1996年(週刊連載直前)まで年2冊の割合で出版された単行本の発刊ペースは、週刊移動直後にそれまでの原稿のお蔵入りもあってか1年空いたのち、1998年には同ペースに復帰するものの、『UJ』への移行 & 完全版のスタートとともに急激に乱れていく。また、『完全版02』は大幅な加筆修正(ほぼ全面描き直し)がなされたが、『03』以降はほぼ連載時のままである。実質的に2005年の新しい作画物は出版されていないため、2000年以降は2年に1冊のペースに落ち込んでいる。これは実に季刊連載時の4分の1のペースに当たる。

作品リスト

漫画の連載作品は2008年現在『BASTARD!!』のみであり未完の為、20年以上のキャリアを持ちながら、連載終了作品を一本も持たない事になる。現在は不定期連載中だが、雑誌を経由しない書き下ろしがそのまま単行本に掲載されてしまう部分も多い。

イラストレーション

  • BASTARD!!GUARDRESS 萩原一至 ILLUSTRATIONS(1995年)
    • 『BASTARD!!』関連のイラストレーションと、作品の設定集や、長期連載以前に書かれた2作品が収録されている。

関連人物

師匠

  • ダーティ・松本<ref>メジャー刊行に移行してからは同人誌から遠ざかっていた萩原だが、ダーティ・松本の「流行の絵柄は同人で見つかる。一緒に(同人誌を)やらないか」という誘いを受けたという。迷いもあったがこれを了諾し、しばらく一緒に同人活動を行っていた。その手始めとして、ダーティのアシスタントとして初めて参加した時の原稿に自ら当時のエピソード(パースが下手、汚しのテクニックがイマイチなど)を書き込んで出展した。またバスタードの初期の冒頭のコマ外に書いた「竜騎兵さん」という名前は、ダーティも参加したレモンピープルに印象的な竜の漫画を書いた竜騎兵氏で、萩原の描く竜にその影響が伺える。</ref>
  • まつもと泉<ref name="mangaseek" />

アシスタント

脚注

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外部リンク

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