松田聖子

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| Born = {{生年月日と年齢|1962|3|10}}
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'''松田 聖子'''(まつだ せいこ、[[1962年]][[3月10日]] - )は[[日本]]の[[歌手]]、[[俳優|女優]]、[[実業家]]である。
'''松田 聖子'''(まつだ せいこ、[[1962年]][[3月10日]] - )は[[日本]]の[[歌手]]、[[俳優|女優]]、[[実業家]]である。
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== 概要 ==
== 概要 ==
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本名:蒲池法子(かまちのりこ)。1985年以降は神田法子(かんだのりこ) ※1997年の離婚後は生家の蒲池姓に戻るはずだったが、神田姓にしたことについてはエピソードの婚氏続称を参照のこと。</br>
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出生名、蒲池法子(かまちのりこ)。1985年以降の本名は、神田法子(かんだのりこ)。1997年に俳優の[[神田正輝]]との離婚後は生家の蒲池姓に戻るはずだったが、神田姓にしたことについてはエピソードの婚氏続称を参照のこと。
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所属[[芸能事務所|事務所]]は[[ファンティック]]。[[福岡県]][[久留米市]][[荒木町]]出身。身長160cm。体重42kg。[[血液型]][[ABO式血液型|A型]](身長・体重は公式サイト08.12.25のデータより)。
所属[[芸能事務所|事務所]]は[[ファンティック]]。[[福岡県]][[久留米市]][[荒木町]]出身。身長160cm。体重42kg。[[血液型]][[ABO式血液型|A型]](身長・体重は公式サイト08.12.25のデータより)。
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歌手としては[[1980年]]の「[[風は秋色]]」から[[1988年]]の「[[旅立ちはフリージア]]」まで24曲連続で[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]](週間)1位を獲得。この記録は現在は抜かれてしまったが、まだ記録意識の無い頃のものだっただけに記録を意識した最近のものよりもそのエポック性は高い。
歌手としては[[1980年]]の「[[風は秋色]]」から[[1988年]]の「[[旅立ちはフリージア]]」まで24曲連続で[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]](週間)1位を獲得。この記録は現在は抜かれてしまったが、まだ記録意識の無い頃のものだっただけに記録を意識した最近のものよりもそのエポック性は高い。
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楽曲の制作には<!--当用漢字ではない漢字は使用しないほうがわかりやすいと思います「錚々たるメンバー」-->[[松本隆]]を中心に、[[財津和夫]]、[[松任谷由実|呉田軽穂(松任谷由実)]]、[[大瀧詠一]]、[[大村雅朗]]、[[細野晴臣]]、[[南佳孝]]、[[尾崎亜美]]、[[矢野顕子]]、[[佐野元春]]、[[玉置浩二]]、[[安藤まさひろ]]などといった一流のメンバーが関与していた。
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楽曲の制作には<!--当用漢字ではない漢字は使用しないほうがわかりやすいと思います「錚々たるメンバー」-->[[松本隆]]を中心に、[[財津和夫]]、[[原田真二]]、[[松任谷由実|呉田軽穂(松任谷由実)]]、[[大瀧詠一]]、[[大村雅朗]]、[[細野晴臣]]、[[南佳孝]]、[[尾崎亜美]]、[[矢野顕子]]、[[佐野元春]]、[[玉置浩二]]、[[安藤まさひろ]]、[[上田知華]]、[[宮城伸一郎]]、甲斐祥弘([[甲斐よしひろ]])、[[鈴木康博]]、[[大沢誉志幸]]、[[ 杉真理]] 、[[来生えつこ]] 、[[来生たかお]]、[[NOBODY]]などといった一流のメンバーが関与していた。
声はデビュー当初は透明感のあるハイトーンボイスだったが、酷使のためか1年ほどで喉を壊し、ハスキーな声に変わった。しかしそれがために「キャンディ・ボイス」と言われる松田聖子ならではの独特の歌声と唱法につながったという面もある。
声はデビュー当初は透明感のあるハイトーンボイスだったが、酷使のためか1年ほどで喉を壊し、ハスキーな声に変わった。しかしそれがために「キャンディ・ボイス」と言われる松田聖子ならではの独特の歌声と唱法につながったという面もある。
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作詞家としては、極めて個人的な感情を赤裸々にさらけ出す歌詞、あるいは非常に前向きな歌詞を書くことが多い。その一方、作曲家としては長調の曲を好む傾向がある。また、最大のヒット曲「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が典型であるが、[[同主調]]や[[平行調]]、あるいは[[属調]]や[[下属調]]などの[[近親調]]に[[転調]]することをアクセントに使うことが多い。
作詞家としては、極めて個人的な感情を赤裸々にさらけ出す歌詞、あるいは非常に前向きな歌詞を書くことが多い。その一方、作曲家としては長調の曲を好む傾向がある。また、最大のヒット曲「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が典型であるが、[[同主調]]や[[平行調]]、あるいは[[属調]]や[[下属調]]などの[[近親調]]に[[転調]]することをアクセントに使うことが多い。
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しかし、「あなたに逢いたくて」以来、自作曲に目立ったヒットはなく、それでも自作曲・セルフプロデュースに固執する姿勢に対しては、批判的な声もある。また、40歳を超えてから声、とくに高音部の衰えは隠せなくなり、かつてのヒット曲を歌う際の苦しさは否めない。
 
松田聖子は『[[ディナーショー]]の女王』として知られ、そのチケットは全歌手の中で最も値段が高い部類に入る。東京の[[グランドプリンスホテル新高輪]]や[[ホテルニューオータニ大阪]]の48,000円のチケットは即日完売で、[[ヒルトン名古屋]]では4人セットで220,000円という価格のものも存在するほどである。
松田聖子は『[[ディナーショー]]の女王』として知られ、そのチケットは全歌手の中で最も値段が高い部類に入る。東京の[[グランドプリンスホテル新高輪]]や[[ホテルニューオータニ大阪]]の48,000円のチケットは即日完売で、[[ヒルトン名古屋]]では4人セットで220,000円という価格のものも存在するほどである。
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一方で、嫌いな女性著名人の[[アンケート]]で上位になることも多かった。[[週刊誌]]『[[SPA!]]』では「1998年度の男が許せない女」1位、『[[週刊文春]]』では「2005年度女が選ぶ嫌いな女」5位になった。
一方で、嫌いな女性著名人の[[アンケート]]で上位になることも多かった。[[週刊誌]]『[[SPA!]]』では「1998年度の男が許せない女」1位、『[[週刊文春]]』では「2005年度女が選ぶ嫌いな女」5位になった。
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また、著名人にも熱狂的なファンを持っており[[松たか子]]、[[武田久美子]]、[[高嶋ちさ子]]、[[中川翔子]](母親もファン)、[[石橋貴明]]、[[中居正広]]、[[山咲トオル]]、[[岡村靖幸]]、[[平井堅]]、[[角田信朗]]、[[YOU (タレント)|YOU]]、[[藤井隆]]、[[はるな愛]]、[[米良美一]]、[[上原さくら]]、[[大林素子]]、[[森永卓郎]]、[[クリス松村]]、[[渡瀬マキ]]などが松田聖子ファンであることを公言している。
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松田聖子ファンであることを公言している著名人としては、[[松たか子]]、[[武田久美子]]、[[高嶋ちさ子]]、[[中川翔子]][[石橋貴明]]、[[中居正広]]、[[山咲トオル]]、[[岡村靖幸]]、[[平井堅]]、[[角田信朗]]、[[YOU (タレント)|YOU]]、[[藤井隆]]、[[はるな愛]]、[[米良美一]]、[[上原さくら]]、[[大林素子]]、[[森永卓郎]]、[[クリス松村]]、[[渡瀬マキ]]、[[森口博子]]、[[松本明子]]、[[三浦理恵子]]、[[木下博勝]]、[[恵俊彰]]、[[飯田圭織]]、[[中森明菜]]、[[タイガーマスク (4代目)]]、[[千秋 (タレント)|千秋]]などがいる。
== 略歴 ==
== 略歴 ==
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; [[1986年]]
; [[1986年]]
:10月1日、後にSAYAKAとして歌手デビューする長女・沙也加を東京・飯田橋の東京逓信病院で出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「'''ママドル'''」と呼ばれる。
:10月1日、後にSAYAKAとして歌手デビューする長女・沙也加を東京・飯田橋の東京逓信病院で出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「'''ママドル'''」と呼ばれる。
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; [[1987年]]
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:4月23日、「[[Strawberry Time]]」でTBS『ザ・ベストテン』最後のスポットライトを獲得。ランクインは次々週まで待つことになる。
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:6月4日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後の1位を獲得。
; [[1988年]]
; [[1988年]]
:2月14日、東京都[[目黒区]]の[[自由が丘]]に現在も営業中のブティック「'''フローレス・セイコ'''」をオープン。「フローレス (Flawless) 」とは "(宝石が) 傷のない、完璧な" という意味で、ダイヤモンドの最高級を表す。
:2月14日、東京都[[目黒区]]の[[自由が丘]]に現在も営業中のブティック「'''フローレス・セイコ'''」をオープン。「フローレス (Flawless) 」とは "(宝石が) 傷のない、完璧な" という意味で、ダイヤモンドの最高級を表す。
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:4月28日、「[[Marrakech〜マラケッシュ〜]]」でTBS『ザ・ベストテン』最後の出演。
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:10月27日、「[[旅立ちはフリージア]]」でTBS『ザ・ベストテン』最後のランクイン(10位)。
; [[1989年]]
; [[1989年]]
:サンミュージックから独立し、個人オフィスの「[[ファンティック]]」を設立。
:サンミュージックから独立し、個人オフィスの「[[ファンティック]]」を設立。
; [[1990年]]
; [[1990年]]
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:1985年頃から明らかにしていた米国進出のため、全米デビューアルバム『Seiko』を発売。米国での歌手活動のため、しばらく[[ニューヨーク]]に住む。元恋人を名乗るアメリカ人による暴露本が出版され、便乗本や報道が相次ぐこととなる。[[スキャンダル]]報道を通じて、「永遠の少女」とは異なる「大人の女」のイメージも定着していく。
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:1985年頃から明らかにしていた米国進出のため、全米デビューアルバム『Seiko』を発売。米国での歌手活動のため、しばらく[[ニューヨーク]]に住む。元恋人を名乗るアメリカ人による暴露本が出版され、便乗本や報道が相次ぐ。[[スキャンダル]]報道を通じて、「永遠の少女」とは異なる「大人の女」のイメージも定着していく。
; [[1996年]]
; [[1996年]]
:再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]」に移籍する。
:再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]」に移籍する。
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:10年ぶりに出演(障害児童の母親役)したテレビ・ドラマ『たったひとつのたからもの』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])が関東地区で平均30.1%、関西地区で平均23.6%(ビデオリサーチ調べ)の高視聴率となる。
:10年ぶりに出演(障害児童の母親役)したテレビ・ドラマ『たったひとつのたからもの』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])が関東地区で平均30.1%、関西地区で平均23.6%(ビデオリサーチ調べ)の高視聴率となる。
; [[2005年]]
; [[2005年]]
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: 6月5日の[[さいたまスーパーアリーナ]]を初日に、歌手活動25周年にあたる全国ツァー『fairy』を開始。[[台湾]]のファンからの強い要請に応えて、8月20日、最終公演を台湾の新荘市で行う。5000人の観客から熱烈に歓迎され、[[中国語]]でも歌った。
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: 6月5日の[[さいたまスーパーアリーナ]]を初日に、歌手活動25周年にあたる全国ツァー『fairy』を開始。[[台湾]]のファンからの強い要請に応え、8月20日、最終公演を台湾の新荘市にある新荘体育館で行う(デビュー初の海外公演)。観客5000人から熱烈に歓迎され、[[中国語]]でも歌った。
; [[2006年]]
; [[2006年]]
:7月31日付オリコン・アルバムチャートで10万円の74枚組CDボックス『Seiko Matsuda』を96位にランクインさせた。このボックス・セットは週間売り上げ金額で2億1500万円を記録し、2位の『Beautiful Song -ココロ デ キク ウタ-』(9300万円)を2倍以上引き離していた。また、これまで、アルバムでチャートイン(トップ300)した最高額作品は、1989年8月の美空ひばりの6万円の35枚組『今日の我に明日は勝つ』(9位)だったが、松田聖子はこの記録を16年11カ月ぶりに更新したのである。その後、当初の発売予定の1万セットを完売し、売り上げだけで約10億円となる。
:7月31日付オリコン・アルバムチャートで10万円の74枚組CDボックス『Seiko Matsuda』を96位にランクインさせた。このボックス・セットは週間売り上げ金額で2億1500万円を記録し、2位の『Beautiful Song -ココロ デ キク ウタ-』(9300万円)を2倍以上引き離していた。また、これまで、アルバムでチャートイン(トップ300)した最高額作品は、1989年8月の美空ひばりの6万円の35枚組『今日の我に明日は勝つ』(9位)だったが、松田聖子はこの記録を16年11カ月ぶりに更新したのである。その後、当初の発売予定の1万セットを完売し、売り上げだけで約10億円となる。
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* 生家は九州[[柳川城]]の城主だった[[蒲池氏]]第16代目[[蒲池鑑盛]](蒲池宗雪)の子孫であり、[[江戸時代]]は[[柳川藩]][[家老]]格だった[[旧家]]<ref>福岡県立柳川古文書館、[[大下英治]] 『魔性のシンデレラ。松田聖子ストーリー』([[角川書店]]  [[1989年]]7月 ISBN 978-4041571149)、[http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/044tamatsuru.html 玉鶴姫の意地]。詳しくは「[[蒲池氏#子孫たち]]」を参照のこと。</ref>。[[家紋]]は[[蒲池久憲]]以来の「左三巴」で、神田正輝との結婚の披露宴の際に身につけていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていたことがテレビでも放送された。(※)旧姓「蒲池」という名字が同じである[[ZARD]]の[[坂井泉水]]とは、坂井本人あるいは父が久留米出身とされ、[[いとこ|従姉妹]]ではないかと噂が立ったことがある。遠い先祖が同じだった可能性があるが、その場合でも江戸時代以前には分かれているとされ、現在の[[民法]]では親戚とは言えない。
* 生家は九州[[柳川城]]の城主だった[[蒲池氏]]第16代目[[蒲池鑑盛]](蒲池宗雪)の子孫であり、[[江戸時代]]は[[柳川藩]][[家老]]格だった[[旧家]]<ref>福岡県立柳川古文書館、[[大下英治]] 『魔性のシンデレラ。松田聖子ストーリー』([[角川書店]]  [[1989年]]7月 ISBN 978-4041571149)、[http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/044tamatsuru.html 玉鶴姫の意地]。詳しくは「[[蒲池氏#子孫たち]]」を参照のこと。</ref>。[[家紋]]は[[蒲池久憲]]以来の「左三巴」で、神田正輝との結婚の披露宴の際に身につけていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていたことがテレビでも放送された。(※)旧姓「蒲池」という名字が同じである[[ZARD]]の[[坂井泉水]]とは、坂井本人あるいは父が久留米出身とされ、[[いとこ|従姉妹]]ではないかと噂が立ったことがある。遠い先祖が同じだった可能性があるが、その場合でも江戸時代以前には分かれているとされ、現在の[[民法]]では親戚とは言えない。
* 1997年の神田正輝との離婚の際に蒲池姓に戻らず、[[婚氏続称]]を選んでおり、民法上、離婚後も姓は神田である。理由は、娘[[神田沙也加]]の姓が学業の途中から変わることを避け、また娘と同じ姓にしたいという親心から。しかし神田姓はそのような緊急避難的要因があり、現実には旧姓の蒲池法子と併用されているようである。
* 1997年の神田正輝との離婚の際に蒲池姓に戻らず、[[婚氏続称]]を選んでおり、民法上、離婚後も姓は神田である。理由は、娘[[神田沙也加]]の姓が学業の途中から変わることを避け、また娘と同じ姓にしたいという親心から。しかし神田姓はそのような緊急避難的要因があり、現実には旧姓の蒲池法子と併用されているようである。
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* 中学生の時はテニス部に所属していた。
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* 久留米市立荒木中学校を卒業。テニス部に所属。実家は同校に隣接しているため、油断して遅刻の常習者となってしまう。同校創立50周年の1997年に正門を寄贈。
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* 高校時代(久留米信愛女学院)は、明るく快活な横顔の女の子だった。
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* 高校時代(久留米信愛女学院)は、明るく快活な女の子だった。学年を代表する「女神」に選ばれている。
* デビューのきっかけとなった高校1年の時の、ミス[[セブンティーン]]コンテストの応募理由は、優勝特典が『アメリカ西海岸の[[ディズニーランド]]にご招待』であり「大好きな[[ミッキーマウス]]に会える」ということと、全国大会のゲスト審査員が憧れの[[郷ひろみ]]であったことである。
* デビューのきっかけとなった高校1年の時の、ミス[[セブンティーン]]コンテストの応募理由は、優勝特典が『アメリカ西海岸の[[ディズニーランド]]にご招待』であり「大好きな[[ミッキーマウス]]に会える」ということと、全国大会のゲスト審査員が憧れの[[郷ひろみ]]であったことである。
* 歌手志望を口にし両親を説得するにあたり、母親は最初は半信半疑ながらも仕方なく同意。しかし公務員で厳格な父親は娘の芸能界入りには猛反対であり、父親の説得に約1年半を要した。そのため松田聖子のデビューは当時のアイドルとしてはやや遅い(女優デビューは高校3年時、歌手デビューは高校卒業後)。説得の過程では、聖子の声に惚れ込んだ、当時[[CBSソニー]]の若松宗雄の多大なる貢献がある。
* 歌手志望を口にし両親を説得するにあたり、母親は最初は半信半疑ながらも仕方なく同意。しかし公務員で厳格な父親は娘の芸能界入りには猛反対であり、父親の説得に約1年半を要した。そのため松田聖子のデビューは当時のアイドルとしてはやや遅い(女優デビューは高校3年時、歌手デビューは高校卒業後)。説得の過程では、聖子の声に惚れ込んだ、当時[[CBSソニー]]の若松宗雄の多大なる貢献がある。
*元々デビューのきっかけとなった『ミス・セブンティーン』コンテストは渡辺プロの系列の主催。九州地区で優勝した聖子の情報は当時の渡辺プロの幹部にも伝わったものの「O脚が気になる」と聖子を無視。後にサンミュージックからデビューし、聖子のブレーク時に「なんで、あの子をウチからデビューさせなかったんだ!」と渡辺プロが悔しがったという。
*元々デビューのきっかけとなった『ミス・セブンティーン』コンテストは渡辺プロの系列の主催。九州地区で優勝した聖子の情報は当時の渡辺プロの幹部にも伝わったものの「O脚が気になる」と聖子を無視。後にサンミュージックからデビューし、聖子のブレーク時に「なんで、あの子をウチからデビューさせなかったんだ!」と渡辺プロが悔しがったという。
*上記のエピソードとも関連するが、デビュー前の聖子は渡辺プロ九州支社内の東京音楽学院九州校の生徒であり、聖子は深見俊次初代支社長や次代支社長である福圓博など渡辺プロ九州支社のスタッフからその愛くるしさとスター性を注目されていた。福圓は渡辺プロ入りと上京について母親から内諾を得ており、東京での生活設計についても母娘からの相談に乗っていたとされる。しかし、九州支社から送付された写真とテープに対して東京本社制作部は上記エピソードに記載された理由から「不採用」の結論を下し、聖子の渡辺プロ入りが実現することはなかった<ref>軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』(文藝春秋 1992年3月 ISBN 978-4163460109)</ref>。
*上記のエピソードとも関連するが、デビュー前の聖子は渡辺プロ九州支社内の東京音楽学院九州校の生徒であり、聖子は深見俊次初代支社長や次代支社長である福圓博など渡辺プロ九州支社のスタッフからその愛くるしさとスター性を注目されていた。福圓は渡辺プロ入りと上京について母親から内諾を得ており、東京での生活設計についても母娘からの相談に乗っていたとされる。しかし、九州支社から送付された写真とテープに対して東京本社制作部は上記エピソードに記載された理由から「不採用」の結論を下し、聖子の渡辺プロ入りが実現することはなかった<ref>軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』(文藝春秋 1992年3月 ISBN 978-4163460109)</ref>。
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* オーデションを受けに来た聖子について、「サンミュージック」の当時の社長、[[相澤秀禎]]は田舎から上京してきたたばかりという垢抜けず爽やかでもないという印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったが、音楽プロデューサーとして信用していた女性スタッフが聖子を熱烈に推したことで「サンミュージック」に入り、デビューすることとなったという<ref name="ninkidukrinohousoku"/>。前述のCBSソニーの若松宗雄は、両親の反対を押し切ってまでもデビューさせるということで、面倒見のいい相沢秀禎氏のサンミュージックに預けたかったという。
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* オーデションを受けに来た聖子について、「サンミュージック」の当時の社長、[[相澤秀禎]]は田舎から上京してきたたばかりという垢抜けず爽やかでもないという印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったが、音楽プロデューサーとして信用していた女性スタッフが聖子を熱烈に推したことで「サンミュージック」に入り、デビューすることとなったという<ref name="ninkidukrinohousoku"/>。前述のCBSソニーの若松宗雄は、両親の反対を押し切ってまでもデビューさせるということで、面倒見のいい相沢のサンミュージックに預けたかったという。
* デビュー曲「裸足の季節」は[[資生堂]]の若年層向け[[洗顔料]]「エクボ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]ソングとして起用されたが、聖子は頬にエクボができないため、CMの映像に出演したのは別のタレント([[山田由紀子]])だった(相澤社長は松田聖子にビジュアル的な面を期待しておらず、もっぱら歌だけでやっていこうと考えていたためCM出演させなかったと語っている<ref name="ninkidukrinohousoku"/>)。聖子の歌声はCMで頻繁に流れたものの、顔と名前の浸透度が低く、映像に登場した山田と二人で行ったサイン会でも、自分の前には誰も並ばず「あの娘は誰?」という目で見られ悔しい思いをしたと、後に発言している。それから間もなくして聖子の人気が沸騰し、立場は完全に入れ替わった。
* デビュー曲「裸足の季節」は[[資生堂]]の若年層向け[[洗顔料]]「エクボ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]ソングとして起用されたが、聖子は頬にエクボができないため、CMの映像に出演したのは別のタレント([[山田由紀子]])だった(相澤社長は松田聖子にビジュアル的な面を期待しておらず、もっぱら歌だけでやっていこうと考えていたためCM出演させなかったと語っている<ref name="ninkidukrinohousoku"/>)。聖子の歌声はCMで頻繁に流れたものの、顔と名前の浸透度が低く、映像に登場した山田と二人で行ったサイン会でも、自分の前には誰も並ばず「あの娘は誰?」という目で見られ悔しい思いをしたと、後に発言している。それから間もなくして聖子の人気が沸騰し、立場は完全に入れ替わった。
* デビュー後の人気沸騰に伴う殺人的スケジュールの影響か、喉を痛めたと見る向きも多い。デビュー直後の数曲は声を張りパワフルに歌い上げているが、1981年あたりからややかすれた声質に変わり、可憐さを強調するようなしっとりとした歌唱になっている。作曲が[[小田裕一郎]]や[[財津和夫]]から[[呉田軽穂]]([[松任谷由実]])をメインとするように変更され、曲調が大きく変化したのはちょうどこの頃である。
* デビュー後の人気沸騰に伴う殺人的スケジュールの影響か、喉を痛めたと見る向きも多い。デビュー直後の数曲は声を張りパワフルに歌い上げているが、1981年あたりからややかすれた声質に変わり、可憐さを強調するようなしっとりとした歌唱になっている。作曲が[[小田裕一郎]]や[[財津和夫]]から[[呉田軽穂]]([[松任谷由実]])をメインとするように変更され、曲調が大きく変化したのはちょうどこの頃である。
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* 1990年のアメリカでの歌手デビューのために徹底的に[[英語]]を学び、[[CNN]]のインタビューその他で堪能な英会話力を示し、また2005年の[[台湾]]におけるコンサートなどでは[[北京語]]も披露している。
* 1990年のアメリカでの歌手デビューのために徹底的に[[英語]]を学び、[[CNN]]のインタビューその他で堪能な英会話力を示し、また2005年の[[台湾]]におけるコンサートなどでは[[北京語]]も披露している。
* 1990年代後半は全米デビュー以外にもハリウッドデビューも考えており積極的にオーディションを受け、幾つか端役も得ている。[[1999年]]に公開された[[キルスティン・ダンスト]]主演の『わたしが美しくなった100の秘密』という青春コメディーの作品にて、ストーリーに無関係の冒頭のアジア人家族の娘役として登場。
* 1990年代後半は全米デビュー以外にもハリウッドデビューも考えており積極的にオーディションを受け、幾つか端役も得ている。[[1999年]]に公開された[[キルスティン・ダンスト]]主演の『わたしが美しくなった100の秘密』という青春コメディーの作品にて、ストーリーに無関係の冒頭のアジア人家族の娘役として登場。
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* 1996年の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」」以降、自作曲に目立ったヒットはないものの、その後も自作曲・セルフプロデュースに固執する姿勢を見せている。但し40歳を過ぎた辺りから声、とくに高音部の衰えは隠せなくなり、かつてのヒット曲を歌う際の苦しさは否めない。
* 愛知県で放送している質屋のCMに『松田聖子のそっくりさん(その名も[[まねだ聖子]])』が出演している。本人がこのことを知っているかどうかは不明。
* 愛知県で放送している質屋のCMに『松田聖子のそっくりさん(その名も[[まねだ聖子]])』が出演している。本人がこのことを知っているかどうかは不明。
* [[2003年]]11月、兄が卒業した[[久留米大学附設中学校・高等学校|久留米大学附設高等学校]]の[[同窓会]]東京支部の総会に私人としてノーギャラで、旧姓の蒲池法子でゲスト出演する。子供の頃から兄とは仲がよい。[http://mic.itconsult.co.jp/th/th312-kuroki.htm ちょっといい話]
* [[2003年]]11月、兄が卒業した[[久留米大学附設中学校・高等学校|久留米大学附設高等学校]]の[[同窓会]]東京支部の総会に私人としてノーギャラで、旧姓の蒲池法子でゲスト出演する。子供の頃から兄とは仲がよい。[http://mic.itconsult.co.jp/th/th312-kuroki.htm ちょっといい話]
* [[2006年]][[5月19日]]放送の『[[ぐるぐるナインティナイン]]』の「ゴチになります!7」にVIPチャレンジャーとして登場し、レギュラー陣を抑えて第1位を獲得。ニアピン賞付きで5万円を獲得する快挙を達成。
* [[2006年]][[5月19日]]放送の『[[ぐるぐるナインティナイン]]』の「ゴチになります!7」にVIPチャレンジャーとして登場し、レギュラー陣を抑えて第1位を獲得。ニアピン賞付きで5万円を獲得する快挙を達成。
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*2001年から2005年ごろは娘の[[神田沙也加]]との歌番組やバラエティー番組共演が多かったが、<!--娘との絶縁騒動を起こした-->2005年以降は自身の旧来ファンである著名人との共演が多くなっている。以下のとおり。
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*2001年から2005年ごろは娘の[[神田沙也加]]との歌番組やバラエティー番組共演が多かったが、2005年以降は自身の旧来ファンである著名人との共演が多くなっている。以下のとおり。
** 『[[うたばん]]』で聖子の大ファンだという[[米良美一]]と共演。
** 『[[うたばん]]』で聖子の大ファンだという[[米良美一]]と共演。
** [[2008年]][[3月10日]]放送の『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』で聖子の大ファンだという[[中川翔子]]と共演。
** [[2008年]][[3月10日]]放送の『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』で聖子の大ファンだという[[中川翔子]]と共演。
** 2008年[[11月10日]]放送の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだという[[はるな愛]]と共演。
** 2008年[[11月10日]]放送の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだという[[はるな愛]]と共演。
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* 2010年2月21日TBSラジオ番組日曜サンデーの放送で芸能評論家の[[鬼澤慶一]]氏が1996年の[[NHK紅白歌合戦]]で歌った『[[あなたに逢いたくて〜Missing You〜]]』は1995年の[[NHK紅白歌合戦]]で[[郷ひろみ]]が歌った『[[逢いたくてしかたない]]』への返事だということをエピソードの一つとして説明した。
 
== 音楽 ==
== 音楽 ==
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# [[アイドルみたいに歌わせて]]([[2010年]]4月21日)
# [[アイドルみたいに歌わせて]]([[2010年]]4月21日)
#* ※「[[矢島美容室]] feat.プリンセス・セイコ」名義
#* ※「[[矢島美容室]] feat.プリンセス・セイコ」名義
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# [[いくつの夜明けを数えたら]](2010年5月5日発売予定)
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# [[いくつの夜明けを数えたら]](2010年5月5日)
=== オリジナルアルバム ===
=== オリジナルアルバム ===
332 行 337 行
=== 企画アルバム ===
=== 企画アルバム ===
# ゴヤ…歌でつづる生涯(1989年5月21日)
# ゴヤ…歌でつづる生涯(1989年5月21日)
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# [[I'll fall in love 愛的禮物]](2005年8月26日)
=== サウンドトラック ===
=== サウンドトラック ===
397 行 403 行
;同曲による首位2週以上獲得数:14作(歴代1位)
;同曲による首位2週以上獲得数:14作(歴代1位)
;オリコン首位獲得週数:50週(歴代3位・ソロでは単独1位)
;オリコン首位獲得週数:50週(歴代3位・ソロでは単独1位)
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;オリコン首位・2位同時獲得:「[[瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ|瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ]]」・「[[ガラスの林檎/SWEET MEMORIES|ガラスの林檎/SWEET MEMORIES]]」([[藤圭子]]に次いで2人目)
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;オリコン首位返り咲き作品数:3作「[[ガラスの林檎/SWEET MEMORIES|ガラスの林檎/SWEET MEMORIES]]」・「[[瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ|瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ]]」・「[[Strawberry Time]]」(歴代1位タイ)
;ベスト10位以内獲得数:31作
;ベスト10位以内獲得数:31作
;ミリオンセラー獲得数:1作
;ミリオンセラー獲得数:1作
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*首位獲得数:19作(歴代3位・女性アーティスト単独2位タイ)
*首位獲得数:19作(歴代3位・女性アーティスト単独2位タイ)
*ベスト10位以内獲得数:43作(歴代3位・女性アーティスト単独2位)
*ベスト10位以内獲得数:43作(歴代3位・女性アーティスト単独2位)
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*ベスト100位以内同時チャートイン作数:13作(日本人歴代1位タイ・女性アーティスト単独1位)
*8年間首位獲得(歴代3位・女性アーティスト3位タイ)
*8年間首位獲得(歴代3位・女性アーティスト3位タイ)
*アルバム総売上枚数1356.9万枚
*アルバム総売上枚数1356.9万枚
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=== 映画 ===
=== 映画 ===
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* [[野菊の墓]](1981年、[[東映]])
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* [[野菊の墓 (映画)|野菊の墓]](1981年8月8日公開、[[東映]]) - 初主演・民子 役
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* [[プルメリアの伝説]] 天国のキッス(1983年、東宝)
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* [[プルメリアの伝説]](1983年7月2日公開、[[東宝]]) - 主演・早坂恵美子 役
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* 夏服のイブ(1984年、[[東宝]])
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* [[夏服のイヴ]](1984年7月7日公開、東宝) - 主演・藤枝牧子 役
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* カリブ・愛のシンフォニー(1984年、東宝)
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* [[カリブ・愛のシンフォニー]](1985年4月13日公開、東宝) - 主演・沢木彩 役
* [[ペンギンズ・メモリー 幸福物語]](1985年、[[東宝東和]])※歌手として出演
* [[ペンギンズ・メモリー 幸福物語]](1985年、[[東宝東和]])※歌手として出演
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* どっちもどっち(1990年、東宝)
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* [[どっちもどっち]](1990年11月10日公開、東宝、【W主演:[[明石家さんま]]】) - 主演・門脇亜由子 役
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* Final Vendetta (サロゲート・マザー)(1996年、東映)
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* Final Vendetta (サロゲート・マザー)(1996年、東映) - 主演
* [[アルマゲドン (映画)|Armageddon(アルマゲドン)]](1997年)※[[カメオ出演]]
* [[アルマゲドン (映画)|Armageddon(アルマゲドン)]](1997年)※[[カメオ出演]]
* Drop Dead Gorgeous (ドロップ・デッド・ゴージャス) (1999) ※カメオ出演
* Drop Dead Gorgeous (ドロップ・デッド・ゴージャス) (1999) ※カメオ出演
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* [[コーセー]] アミノマイルド
* [[コーセー]] アミノマイルド
* [[ミノルタ]](現・[[コニカミノルタホールディングス|コニカミノルタ]]) トークマン([[オートフォーカス]]カメラ)
* [[ミノルタ]](現・[[コニカミノルタホールディングス|コニカミノルタ]]) トークマン([[オートフォーカス]]カメラ)
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* [[大京]] ライオンズマンション(神田沙也加と共演)
* [[ドクターデヴィアス化粧品]]
* [[ドクターデヴィアス化粧品]]
* [[富士フイルム]] スキンケア化粧品「ASTALIFT」([[中島みゆき]]と共演)
* [[富士フイルム]] スキンケア化粧品「ASTALIFT」([[中島みゆき]]と共演)
* [[ソフトバンクモバイル]] ([[福岡ソフトバンクホークス]]選手らと共演<!--CM本編の彼女のセリフはすべて久留米弁-->)
* [[ソフトバンクモバイル]] ([[福岡ソフトバンクホークス]]選手らと共演<!--CM本編の彼女のセリフはすべて久留米弁-->)
* [[シュワルツコフヘンケル]] パオンディオーサ
* [[シュワルツコフヘンケル]] パオンディオーサ
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* [[サントリー]] [[BOSSコーヒー|BOSS]]シルキーブラック 「シルキー歌姫(ディーバ)」篇
=== 紅白歌合戦 ===
=== 紅白歌合戦 ===
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* 1990年 [[日刊スポーツ映画大賞]]話題賞(受賞理由:「どっちもどっち」の大胆演技で映画界の話題作りに貢献)
* 1990年 [[日刊スポーツ映画大賞]]話題賞(受賞理由:「どっちもどっち」の大胆演技で映画界の話題作りに貢献)
* 1992年 [[第34回日本レコード大賞]]・最優秀ボーカル賞
* 1992年 [[第34回日本レコード大賞]]・最優秀ボーカル賞
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* 2002年 第19回ダイヤモンド・パーソナリティ賞(ダイヤモンド・インフォメーション・センター)
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* 2009年 第18回[[日本映画批評家大賞]]・審査員特別賞(映画「火垂るの墓」)
== 書籍 ==
== 書籍 ==
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[[Category:日本の俳優]]
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:日本のアイドル]]
[[Category:日本のアイドル]]
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[[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]]
[[Category:日本の実業家]]
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[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]

最新版

Template:Infobox Musician 松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日 - )は日本歌手女優実業家である。

目次

概要

出生名、蒲池法子(かまちのりこ)。1985年以降の本名は、神田法子(かんだのりこ)。1997年に俳優の神田正輝との離婚後は生家の蒲池姓に戻るはずだったが、神田姓にしたことについてはエピソードの婚氏続称を参照のこと。

所属事務所ファンティック福岡県久留米市荒木町出身。身長160cm。体重42kg。血液型A型(身長・体重は公式サイト08.12.25のデータより)。

1980年代を代表するアイドル

松田聖子は1980年代を代表するアイドル歌手である。1970年代を代表するアイドルだった山口百恵(1950年代後半生まれ)が引退した1980年に、「裸足の季節」でレコードデビュー(同時期「サンデーズ」としても活躍)。デビュー曲はCMタイアップで火が付き、すぐに続けざまにヒット曲を連発。トレードマークであったヘアスタイルの「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集めた。大宅壮一文庫創設以来の人名索引総合ランキングでは「松田聖子」が1位(2007年2月)となっており、「日本の雑誌にもっとも頻繁に登場した著名人」とされている。

アイドル歌手としての松田聖子

歌手としては1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位を獲得。この記録は現在は抜かれてしまったが、まだ記録意識の無い頃のものだっただけに記録を意識した最近のものよりもそのエポック性は高い。

楽曲の制作には松本隆を中心に、財津和夫原田真二呉田軽穂(松任谷由実)大瀧詠一大村雅朗細野晴臣南佳孝尾崎亜美矢野顕子佐野元春玉置浩二安藤まさひろ上田知華宮城伸一郎、甲斐祥弘(甲斐よしひろ)、鈴木康博大沢誉志幸 杉真理来生えつこ来生たかおNOBODYなどといった一流のメンバーが関与していた。

声はデビュー当初は透明感のあるハイトーンボイスだったが、酷使のためか1年ほどで喉を壊し、ハスキーな声に変わった。しかしそれがために「キャンディ・ボイス」と言われる松田聖子ならではの独特の歌声と唱法につながったという面もある。

他に、大江千里小室哲哉土橋安騎夫奥居香(現:岸谷香)、いまみちともたか(チャックムートン名義)、米米クラブといった当時のソニー系若手ミュージシャンたちも作曲に起用されている。

アイドル時代の人気は圧倒的であり、様々な伝説を残した。当時の人気の高さを端的に示す言葉としては「聖子ちゃんカット」と「ぶりっ子」が挙げられる。聖子ちゃんカットとはその名の通り、彼女の髪型を真似た髪型であり、当時の若い女性の間で大流行した。そればかりか、当時の女性アイドルの写真を見ると、どれも多かれ少なかれ松田聖子の影響を受けた髪型やファッションとなっているのがわかる。「ぶりっ子」とは、当時の人気漫才コンビの春やすこ・けいこ山田邦子が、聖子が意識的に自分をかわいく見せようとしていることをからかった言葉であり、当時の流行語にまでなった(詳細は本項の#エピソードの節、及びぶりっ子の項目を参照)。

1985年俳優神田正輝と結婚し、一時休業するが間もなく復帰。現在も歌手としての活動を続けている。神田正輝との間に生まれた長女はSAYAKA(現:神田沙也加)として歌手デビューしており、現在はミュージカルや舞台女優として活動。

音楽家としての松田聖子

1990年代に入ると、作詞、作曲やアルバムのプロデュースにも自ら取り組むようになり、アイドル歌手ではなく、いわゆる「アーティスト」、あるいはシンガーソングライターとしての活動を展開していく。幼少時からピアノを習うなど、もともと音楽家としての基礎的な訓練を受けていたことが、彼女の1990年代以降の活動の下地となったと思われる。作詞、作曲に関してはアイドル時代から手がけており、アルバム『ユートピア』では「小さなラブソング」を作詞、アルバム『Canary』で同名曲を作曲したのをはじめ、「とんがり屋根の花屋さん」(アルバム『SEIKO・TOWN』)、「時間旅行」(アルバム『SUPREME』)などの曲を作曲している。

1990年代のアルバム『1992 Nouvelle Vague』から『FOREVER』までの6枚はセルフ・プロデュース、全曲作詞作曲が基本となり、シングル曲でも「きっと、また逢える…」「大切なあなた」「輝いた季節へ旅立とう」「さよならの瞬間」などをヒットさせる。特に、1996年発表の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は、彼女自身シングルで初めてミリオンセラー(100万枚突破)を記録し、現時点で最大のヒット曲となった。また、この時期には「私だけの天使〜Angel〜/あなたのその胸に」(1997年)など、長女への母性愛をテーマとした楽曲もいくつか発表している。

作詞家としては、極めて個人的な感情を赤裸々にさらけ出す歌詞、あるいは非常に前向きな歌詞を書くことが多い。その一方、作曲家としては長調の曲を好む傾向がある。また、最大のヒット曲「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が典型であるが、同主調平行調、あるいは属調下属調などの近親調転調することをアクセントに使うことが多い。

松田聖子は『ディナーショーの女王』として知られ、そのチケットは全歌手の中で最も値段が高い部類に入る。東京のグランドプリンスホテル新高輪ホテルニューオータニ大阪の48,000円のチケットは即日完売で、ヒルトン名古屋では4人セットで220,000円という価格のものも存在するほどである。

松田聖子的生き方

最初はアイドル歌手、そして音楽家として活動を続ける松田聖子であるが、デビューから四半世紀を過ぎ、結婚、出産、二度に渡る離婚を経てもなお、「アイドル」というスタンスを保ち続けている稀有な存在である。

2007年4月9日、「松田聖子的生き方」とそれに共感する同世代の女性たちに焦点を当てたドキュメンタリー番組、NHKスペシャル『松田聖子 女性の時代の物語』が放送され、放送後も『朝日新聞』の天声人語(4月15日付)にも取り上げられるなど話題を呼んだ。同番組によれば、現在ファンの中心となっているのは「雇用機会均等法」世代の30代〜40代の女性であり、女性ファンの多さは「松田聖子的生き方」に共感する者が増えたためであるとしている。

一方で、嫌いな女性著名人のアンケートで上位になることも多かった。週刊誌SPA!』では「1998年度の男が許せない女」1位、『週刊文春』では「2005年度女が選ぶ嫌いな女」5位になった。

松田聖子ファンであることを公言している著名人としては、松たか子武田久美子高嶋ちさ子中川翔子石橋貴明中居正広山咲トオル岡村靖幸平井堅角田信朗YOU藤井隆はるな愛米良美一上原さくら大林素子森永卓郎クリス松村渡瀬マキ森口博子松本明子三浦理恵子木下博勝恵俊彰飯田圭織中森明菜タイガーマスク (4代目)千秋などがいる。

略歴

1962年
3月10日 福岡県久留米市荒木町に、柳川市出身で厚生省事務官の父親と、八女市農家出身の母親の長女として、母親の姉が院長夫人だった高良台病院で生まれる。8歳年上の兄がいる。実兄はかつてラリードライバーとして有名であった。
1977年
4月8日 カトリック系の久留米信愛女学院高等学校に入学する。
1978年
高校1年の時、「CBSソニー」主催の『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を録音したテープを送り合格し、九州地区大会で優勝。全国大会は両親に反対され辞退するが、九州地区で優勝した聖子の歌声を聴いて「この子は絶対に売れる」と確信したCBSソニー制作部・若松宗雄にスカウトされる。
1979年
高校3年の時に「サンミュージックプロダクション」に所属。歌手デビューのため上京し、堀越高等学校に転校。日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に「松田聖子」役で出演。この時の役名が親しみやすいとしてその後の芸名となる<ref name="ninkidukrinohousoku">相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091 </ref>。
1980年
1月からニッポン放送ザ・パンチ・パンチ・パンチ』にDJとしてレギュラー出演。
3月 堀越高等学校卒業。NHKレッツゴーヤング」にサンデーズのメンバーとしてレギュラー出演。
4月1日 「裸足の季節」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズ(※1980年代の女性アイドルには、必ずといっていいほどキャッチフレーズが付いていた)は、「抱きしめたい! ミス・ソニー」。
女性アイドルとして、多数の新人賞を獲得。また「聖子ちゃんカット」と呼ばれる独特のヘアスタイルが全国の女の子の間で大流行した。「ブロマイド」の年間売り上げでトップに輝く。
4月28日 「裸足の季節」で、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」に初登場<ref>「夜のヒットスタジオ」でデビュー1か月以内に新人が初登場を果たしたケースは少なく、新人にとりこの番組に出演することは「歌手としての第一のステータス」と見なされていたが、このデビュー曲が提供スポンサー・資生堂のCMソングであったこと、所属事務所が当時番組常連歌手(桜田淳子都はるみら)を多く擁していたサン・ミュージックだったこと、また歌手として将来性の高さ(初登場時、山口百恵引退後のアイドル界を背負って立つ人材との期待の下に「ポスト百恵」という位置づけで紹介された)などを勘案して、デビューから28日目での初登場となった。同番組へのデビュー早期の初登場例としては、番組と強いパイプを持っていたバーニングプロダクション石野真子がデビューから2日目で登場した例(1978年3月27日放送)がある</ref>。
7月3日 「裸足の季節」で、TBSザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナーに初登場(11位)。
8月14日 「青い珊瑚礁」で、TBS『ザ・ベストテン』に初ランクイン(8位)。
9月18日 「青い珊瑚礁」で、TBS『ザ・ベストテン』の第1位を初めて獲得。
1981年
2月11日 「徹子の部屋」にゲスト初登場。
8月13日 「白いパラソル」が、TBS『ザ・ベストテン』で番組史上初となる「初登場第1位」を獲得(9072点)。
1983年
11月17日 「SWEET MEMORIES」(9位、6796点)と「瞳はダイアモンド」(2位、8199点)が、TBS『ザ・ベストテン』で番組史上初となる「二曲同時初登場」を記録。
1984年
父親の定年退職を機に両親を九州から呼び、以降、両親と共に暮らす。神田正輝と結婚するまでは東京都目黒区東が丘の一軒家で、この家の門は、代表作のひとつ青い珊瑚礁」の出だし『あ〜私の恋は〜』の五線譜で飾られていた。
『ドレミファドン』のアンケートで、若い男性にとっては「結婚したい女性」のNo.1となる。
1985年
1月、交際を公にしていた歌手・郷ひろみと破局。その5カ月後の6月24日、映画『カリブ・愛のシンフォニー』(メキシコロケ)で共演した神田正輝と東京都目黒区サレジオ教会で結婚。二人の結婚は、世紀の結婚をもじって「聖輝の結婚」と呼ばれた。結婚式披露宴の独占放送権を獲得したテレビ朝日は、約10時間にわたりこの模様を放送。ゴールデンタイムの平均視聴率は34.9%(ビデオリサーチ・関東地区)を記録した。
1986年
10月1日、後にSAYAKAとして歌手デビューする長女・沙也加を東京・飯田橋の東京逓信病院で出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「ママドル」と呼ばれる。
1987年
4月23日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後のスポットライトを獲得。ランクインは次々週まで待つことになる。
6月4日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後の1位を獲得。
1988年
2月14日、東京都目黒区自由が丘に現在も営業中のブティック「フローレス・セイコ」をオープン。「フローレス (Flawless) 」とは "(宝石が) 傷のない、完璧な" という意味で、ダイヤモンドの最高級を表す。
4月28日、「Marrakech〜マラケッシュ〜」でTBS『ザ・ベストテン』最後の出演。
10月27日、「旅立ちはフリージア」でTBS『ザ・ベストテン』最後のランクイン(10位)。
1989年
サンミュージックから独立し、個人オフィスの「ファンティック」を設立。
1990年
1985年頃から明らかにしていた米国進出のため、全米デビューアルバム『Seiko』を発売。米国での歌手活動のため、しばらくニューヨークに住む。元恋人を名乗るアメリカ人による暴露本が出版され、便乗本や報道が相次ぐ。スキャンダル報道を通じて、「永遠の少女」とは異なる「大人の女」のイメージも定着していく。
1996年
再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「ユニバーサルミュージック」に移籍する。
5月、米誌「BIKINI」でセミ・ヌードを披露。
日本での移籍第1弾シングル「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が8年ぶりのオリコンシングルチャート1位、売り上げ110万枚とミリオンセラーを突破し、自身最大のヒットとなり、この頃が結婚後のピークであった。
1997年
1月、神田正輝と離婚。離婚のニュースは、芸能報道の枠を超えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、号外が出された。
12月、父親が死去(葬儀は、菩提寺である柳川市良清寺で行われた)。
1998年
5月、6歳年下の歯科医と交際2か月で結婚。会った瞬間「ビビビッと来た」というコメントが流行語になる。
2000年
9月、かつて交際していた郷ひろみとのデュエット曲「True Love Story」発表の話があり受諾・発表し世間を驚かせる。12月に歯科医と離婚。
2002年
ソニー・ミュージックエンタテインメントに復帰。
この年から2003年まで、大阪城ホールで年末のカウントダウン・ライブを行う。BS中継もされた。
2004年
約3年ぶりのオリジナルアルバム『Sunshine』が、7月21日付のオリコンアルバムチャート(週間)で初登場6位を獲得。アルバムトップテン入りは通算39作目となり、女性アーティストでは松任谷由実に並ぶ歴代1位に輝いた(その後松任谷由実が記録を更新したため現在は歴代2位)。
10年ぶりに出演(障害児童の母親役)したテレビ・ドラマ『たったひとつのたからもの』(日本テレビ)が関東地区で平均30.1%、関西地区で平均23.6%(ビデオリサーチ調べ)の高視聴率となる。
2005年
6月5日のさいたまスーパーアリーナを初日に、歌手活動25周年にあたる全国ツァー『fairy』を開始。台湾のファンからの強い要請に応え、8月20日、最終公演を台湾の新荘市にある新荘体育館で行う(デビュー初の海外公演)。観客5000人から熱烈に歓迎され、中国語でも歌った。
2006年
7月31日付オリコン・アルバムチャートで10万円の74枚組CDボックス『Seiko Matsuda』を96位にランクインさせた。このボックス・セットは週間売り上げ金額で2億1500万円を記録し、2位の『Beautiful Song -ココロ デ キク ウタ-』(9300万円)を2倍以上引き離していた。また、これまで、アルバムでチャートイン(トップ300)した最高額作品は、1989年8月の美空ひばりの6万円の35枚組『今日の我に明日は勝つ』(9位)だったが、松田聖子はこの記録を16年11カ月ぶりに更新したのである。その後、当初の発売予定の1万セットを完売し、売り上げだけで約10億円となる。
2007年
松田聖子を取り上げたドキュメンタリー『松田聖子〜女性の時代の物語』(NHK総合)が放映される。視聴率は9.3%(同放送の平均視聴率は5〜6%前後とされる:ビデオリサーチ調べ)だった。3月、歌手活動について古巣の「サンミュージック」と業務提携契約を締結。
11月20日、沖縄で24年ぶりの公演(ディナーショー)。
2008年
7月5日公開の実写版「火垂るの墓」で清太の母.雪子を演じ7年ぶりの映画出演となる。回想シーンでの登場を除けば登場は冒頭のみだが同作の挿入歌を担当。
2009年
6月ユニバーサルミュージックに再移籍することを発表。

エピソード

  • 生家は九州柳川城の城主だった蒲池氏第16代目蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の子孫であり、江戸時代柳川藩家老格だった旧家<ref>福岡県立柳川古文書館、大下英治 『魔性のシンデレラ。松田聖子ストーリー』(角川書店 1989年7月 ISBN 978-4041571149)、玉鶴姫の意地。詳しくは「蒲池氏#子孫たち」を参照のこと。</ref>。家紋蒲池久憲以来の「左三巴」で、神田正輝との結婚の披露宴の際に身につけていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていたことがテレビでも放送された。(※)旧姓「蒲池」という名字が同じであるZARD坂井泉水とは、坂井本人あるいは父が久留米出身とされ、従姉妹ではないかと噂が立ったことがある。遠い先祖が同じだった可能性があるが、その場合でも江戸時代以前には分かれているとされ、現在の民法では親戚とは言えない。
  • 1997年の神田正輝との離婚の際に蒲池姓に戻らず、婚氏続称を選んでおり、民法上、離婚後も姓は神田である。理由は、娘神田沙也加の姓が学業の途中から変わることを避け、また娘と同じ姓にしたいという親心から。しかし神田姓はそのような緊急避難的要因があり、現実には旧姓の蒲池法子と併用されているようである。
  • 久留米市立荒木中学校を卒業。テニス部に所属。実家は同校に隣接しているため、油断して遅刻の常習者となってしまう。同校創立50周年の1997年に正門を寄贈。
  • 高校時代(久留米信愛女学院)は、明るく快活な女の子だった。学年を代表する「女神」に選ばれている。
  • デビューのきっかけとなった高校1年の時の、ミスセブンティーンコンテストの応募理由は、優勝特典が『アメリカ西海岸のディズニーランドにご招待』であり「大好きなミッキーマウスに会える」ということと、全国大会のゲスト審査員が憧れの郷ひろみであったことである。
  • 歌手志望を口にし両親を説得するにあたり、母親は最初は半信半疑ながらも仕方なく同意。しかし公務員で厳格な父親は娘の芸能界入りには猛反対であり、父親の説得に約1年半を要した。そのため松田聖子のデビューは当時のアイドルとしてはやや遅い(女優デビューは高校3年時、歌手デビューは高校卒業後)。説得の過程では、聖子の声に惚れ込んだ、当時CBSソニーの若松宗雄の多大なる貢献がある。
  • 元々デビューのきっかけとなった『ミス・セブンティーン』コンテストは渡辺プロの系列の主催。九州地区で優勝した聖子の情報は当時の渡辺プロの幹部にも伝わったものの「O脚が気になる」と聖子を無視。後にサンミュージックからデビューし、聖子のブレーク時に「なんで、あの子をウチからデビューさせなかったんだ!」と渡辺プロが悔しがったという。
  • 上記のエピソードとも関連するが、デビュー前の聖子は渡辺プロ九州支社内の東京音楽学院九州校の生徒であり、聖子は深見俊次初代支社長や次代支社長である福圓博など渡辺プロ九州支社のスタッフからその愛くるしさとスター性を注目されていた。福圓は渡辺プロ入りと上京について母親から内諾を得ており、東京での生活設計についても母娘からの相談に乗っていたとされる。しかし、九州支社から送付された写真とテープに対して東京本社制作部は上記エピソードに記載された理由から「不採用」の結論を下し、聖子の渡辺プロ入りが実現することはなかった<ref>軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』(文藝春秋 1992年3月 ISBN 978-4163460109)</ref>。
  • オーデションを受けに来た聖子について、「サンミュージック」の当時の社長、相澤秀禎は田舎から上京してきたたばかりという垢抜けず爽やかでもないという印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったが、音楽プロデューサーとして信用していた女性スタッフが聖子を熱烈に推したことで「サンミュージック」に入り、デビューすることとなったという<ref name="ninkidukrinohousoku"/>。前述のCBSソニーの若松宗雄は、両親の反対を押し切ってまでもデビューさせるということで、面倒見のいい相沢のサンミュージックに預けたかったという。
  • デビュー曲「裸足の季節」は資生堂の若年層向け洗顔料「エクボ」のCMソングとして起用されたが、聖子は頬にエクボができないため、CMの映像に出演したのは別のタレント(山田由紀子)だった(相澤社長は松田聖子にビジュアル的な面を期待しておらず、もっぱら歌だけでやっていこうと考えていたためCM出演させなかったと語っている<ref name="ninkidukrinohousoku"/>)。聖子の歌声はCMで頻繁に流れたものの、顔と名前の浸透度が低く、映像に登場した山田と二人で行ったサイン会でも、自分の前には誰も並ばず「あの娘は誰?」という目で見られ悔しい思いをしたと、後に発言している。それから間もなくして聖子の人気が沸騰し、立場は完全に入れ替わった。
  • デビュー後の人気沸騰に伴う殺人的スケジュールの影響か、喉を痛めたと見る向きも多い。デビュー直後の数曲は声を張りパワフルに歌い上げているが、1981年あたりからややかすれた声質に変わり、可憐さを強調するようなしっとりとした歌唱になっている。作曲が小田裕一郎財津和夫から呉田軽穂松任谷由実)をメインとするように変更され、曲調が大きく変化したのはちょうどこの頃である。
  • 意識してかわいい子ぶるという見方から「ぶりっ子」と評する声もあったが、聖子本人は、ラジオのDJなどでは正反対のサバサバしたくだけた横顔も見せていた。ただしラジオでのサバサバした態度と、テレビでのかわいらしい態度とのギャップが、さらに「ぶりっ子」扱いを呼んだ可能性もある。当時の事務所の社長であった相澤秀禎は、今ファンが欲しているものは何かをその場で判断して、それにあった雰囲気作りをする聖子の頭の回転のよさと行動力を評価しており、持ち前の声の良さとプロ根性と共にその「巧妙な自己演出」が松田聖子という歌手を完成させたと語っている<ref name="ninkidukrinohousoku"/>。
  • 1980年代には聖子の髪型を真似た「聖子ちゃんカット」が女性の間で大流行した。しかし、彼女自身がこのヘアースタイルにしていたのはデビュー年の1980年から1981年までの2年間だった。その後デビューしたアイドル達(花の82年デビュー組といわれる小泉今日子、松本伊代、早見優…など)も皆この聖子ちゃんカットをしていたが、聖子自身はそんな「聖子ちゃんカット」大流行真っ只中の1982年の年明けとともに髪をばっさりショートカットにしている<ref>このショートカットに関しては男性ファンからは賛否様々だったが、当時発売された「赤いスイートピー」の曲のイメージと突如潔くばっさり切られたショートカットで新たな松田聖子像を作りあげ、ここから女性ファンがさらに増えた。それまで女性からは「ぶりっ子」と叩かれることが多く、コンサートでは男性客が9割を占めていた聖子だったが、この頃から女性客が7割近くを占めるようになった。これらの変化は曲調が変わったのとほぼ同時期であり、彼女は曲・スタイル・ファン層と全面的にイメージチェンジを遂げたことになる。</ref>。当時聖子がショートカットにしたことでその後追随する後輩アイドルたちもまたこぞってショートカットに変え、今度はアイドルたちにショートカットブームが来ることになる。
  • 「ソバージュ」とよばれる1980年代後期から1990年代まで世間で広く流行り続けたカーリーヘアーも1983年末、まだ日本では全くそのスタイル名も聞き慣れない頃に、聖子がいち早くその髪型でTVに登場して披露、紹介しこのヘアスタイルの名前が一気に広まっていくことになる。84年の秋に映画『カリブ・愛のシンフォニー』撮影用にニューヨークで髪型を変えるまでは、所属事務所近くの四谷『ヘアーディメンション』が行きつけの美容室だった。
  • 現在では聖子の代表作の一つとなっている「SWEET MEMORIES」であるが、シングル発売当時は、「ガラスの林檎」のB面で、サントリーのCM曲であった。CM使用部分は英語詞であったし、当初『歌・松田聖子』のテロップ無しだったので「誰が歌っているのか?」という問い合わせが相次いだ。そして発売から約2ヵ月後にフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』でテレビ番組では初めてこの曲をフルコーラスで披露したところ、この曲にもスポットライトが当たるようになり、後に映画の主題歌にもなった。現在では彼女のファンかどうかを問わず、「1980年代の邦楽界を代表する名曲」として広く支持されるに至っている。
  • 1980前半の全盛期を迎えていた頃、ジャイアント馬場との初対面に馬場から「俺は水戸黄門しか見ないから知らない(聖子の事を)」と言われた事がある。
  • 1983年から1984年にかけて、ソニーが発売した独自規格のパソコンSMC-777」、「SMC-777C」及びMSXパソコン「HB-55」のイメージキャラクターとなり、CMにも登場。
  • 近年ではかつてアイドルであった子持ちの女性タレントを示す言葉として頻繁に使用されている「ママドル」という言葉だが、最初に使われ始めたのは聖子が出産して以降のことであり、元々は聖子のことを指し示す言葉であった。今日のママドルは「アイドルだったママ」であり、アイドルとしてのスタンスを保っているわけではないが、松田聖子の場合は「ママであるアイドル」であり、母になってもアイドル歌手というスタンスを維持し続けた。この点は今日のママドルとは大きく異なる点であり、本当の意味でのママドルは未だに聖子ただ一人と言うこともできるだろう。
  • 天使の持つ無垢性、純粋さを好み、コンサートなどでは天使の羽根のついたコスチュームをすることも多い。
  • 1990年のアメリカでの歌手デビューのために徹底的に英語を学び、CNNのインタビューその他で堪能な英会話力を示し、また2005年の台湾におけるコンサートなどでは北京語も披露している。
  • 1990年代後半は全米デビュー以外にもハリウッドデビューも考えており積極的にオーディションを受け、幾つか端役も得ている。1999年に公開されたキルスティン・ダンスト主演の『わたしが美しくなった100の秘密』という青春コメディーの作品にて、ストーリーに無関係の冒頭のアジア人家族の娘役として登場。
  • 1996年の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」」以降、自作曲に目立ったヒットはないものの、その後も自作曲・セルフプロデュースに固執する姿勢を見せている。但し40歳を過ぎた辺りから声、とくに高音部の衰えは隠せなくなり、かつてのヒット曲を歌う際の苦しさは否めない。
  • 愛知県で放送している質屋のCMに『松田聖子のそっくりさん(その名もまねだ聖子)』が出演している。本人がこのことを知っているかどうかは不明。
  • 2003年11月、兄が卒業した久留米大学附設高等学校同窓会東京支部の総会に私人としてノーギャラで、旧姓の蒲池法子でゲスト出演する。子供の頃から兄とは仲がよい。ちょっといい話
  • 2006年5月19日放送の『ぐるぐるナインティナイン』の「ゴチになります!7」にVIPチャレンジャーとして登場し、レギュラー陣を抑えて第1位を獲得。ニアピン賞付きで5万円を獲得する快挙を達成。
  • 2001年から2005年ごろは娘の神田沙也加との歌番組やバラエティー番組共演が多かったが、2005年以降は自身の旧来ファンである著名人との共演が多くなっている。以下のとおり。

音楽

シングル

  1. 裸足の季節1980年4月1日)
  2. 青い珊瑚礁(1980年7月1日)
  3. 風は秋色/Eighteen(1980年10月1日)
  4. チェリーブラッサム1981年1月21日)
  5. 夏の扉(1981年4月21日)
  6. 白いパラソル(1981年7月21日)
  7. 風立ちぬ(1981年10月7日)
  8. 赤いスイートピー1982年1月21日)
  9. 渚のバルコニー(1982年4月21日)
  10. 小麦色のマーメイド(1982年7月21日)
  11. 野ばらのエチュード(1982年10月21日)
  12. 秘密の花園1983年2月3日)
  13. 天国のキッス(1983年4月27日)
  14. ガラスの林檎/SWEET MEMORIES(1983年8月1日)
  15. 瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ(1983年10月28日)
  16. Rock'n Rouge1984年2月1日)
  17. 時間の国のアリス/夏服のイヴ(1984年5月10日)
  18. ピンクのモーツァルト(1984年8月1日)
  19. ハートのイアリング(1984年11月1日)
  20. 天使のウィンク1985年1月30日)
  21. ボーイの季節(1985年5月9日)
  22. DANCING SHOES(1985年6月24日)
  23. Strawberry Time1987年4月22日)
  24. Pearl-White Eve(1987年11月6日)
  25. Marrakech〜マラケッシュ〜1988年4月14日)
  26. 旅立ちはフリージア(1988年9月7日)
  27. Precious Heart1989年11月15日)
  28. All the way to Heaven(1990年4月末) イギリスのみ発売
  29. THE RIGHT COMBINATION1990年7月15日)
  30. who's that boy (1990年10月1日) アメリカのみ発売
  31. We Are Love(1990年11月21日)
  32. きっと、また逢える…1992年2月5日)
  33. あなたのすべてになりたい/Shinin' Shinin'(1992年8月1日)
  34. 大切なあなた1993年4月21日)
  35. A Touch of Destiny(1993年5月21日)
  36. かこわれて、愛jing(1993年11月10日)
  37. もう一度、初めから1994年5月11日)
  38. 輝いた季節へ旅立とう(1994年12月1日)
  39. 素敵にOnce Again1995年4月21日)
  40. あなたに逢いたくて〜Missing You〜/明日へと駆け出してゆこう1996年4月22日)
  41. Let's Talk About It(1996年4月24日) 日本では未発売
  42. I'll Be There For You(1996年5月17日)
  43. さよならの瞬間(1996年11月18日)
  44. Good For You(1996年12月10日) 日本では未発売
  45. 私だけの天使〜Angel〜/あなたのその胸に1997年4月23日)
  46. Gone with the rain(1997年12月3日)
  47. 恋する想い〜Fall in love〜1998年6月17日)
  48. Touch the LOVE(1998年11月26日)
  49. 哀しみのボート1999年10月27日)
  50. 20th Party2000年5月17日)
  51. 上海ラヴソング(2000年6月7日)
  52. Unseasonable Shore(2000年6月14日)
  53. True Love Story/さよならのKISSを忘れない(2000年9月27日)
    • ※「郷ひろみ/松田聖子」名義
  54. The Sound of Fire(2000年11月29日)
  55. あなたしか見えない2001年6月20日)
  56. 愛♡愛〜100%♥Pure Love〜(2001年11月14日)
  57. 素敵な明日2002年6月5日)
  58. all to you(2002年) 日本では未発売
  59. just for tonight(2002年12月17日) 日本では未発売
  60. Call me2003年6月4日)
  61. 逢いたい2004年5月26日)
  62. Smile on me(2004年7月7日)
  63. 永遠さえ感じた夜2005年2月2日)
  64. I'll fall in love(2005年8月24日)
  65. しあわせな気持ち(2005年9月21日)
  66. bless you2006年4月26日)
  67. WE ARE.(2006年5月24日)
  68. 涙がただこぼれるだけ2007年5月23日)
  69. 真夏の夜の夢(2007年8月1日)
  70. クリスマスの夜(2007年11月21日)
  71. 花びら舞う季節に2008年3月19日)
  72. Love is all2008年6月25日)
  73. あの輝いた季節2008年10月22日)
  74. アイドルみたいに歌わせて2010年4月21日)
  75. いくつの夜明けを数えたら(2010年5月5日)

オリジナルアルバム

  1. SQUALL(1980年8月1日)
  2. North Wind(1980年12月1日)
  3. Silhouette 〜シルエット〜(1981年5月21日)
  4. 風立ちぬ(1981年10月21日)
  5. Pineapple(1982年5月21日)
  6. Candy(1982年11月10日)
  7. ユートピア(1983年6月1日)
  8. Canary(1983年12月10日)
  9. Tinker Bell(1984年6月10日)
  10. Windy Shadow(1984年12月8日)
  11. The 9th Wave(1985年6月5日)
    • このアルバムに収録されている『夏の幻影(シーン)』は尾崎亜美がアルバム『POINTS-2』(1986年)にてセルフカバーしている。
  12. SOUND OF MY HEART(1985年8月15日)
  13. SUPREME(1986年6月1日)
  14. Strawberry Time(1987年5月16日)
    • このアルバムに収録されている『Kimono Beat』は小室哲哉がアルバム『Hit Factory』(1992年)にてセルフカバーしている。
  15. Citron(1988年5月11日)
    • このアルバムに収録されている『抱いて…』はシングルカットされなかったにもかかわらずヒットした。CMにも使われた。
  16. Precious Moment(1989年12月6日)
  17. Seiko(1990年6月7日)
  18. We Are Love(1990年12月10日)
  19. Eternal(1991年5月2日)
  20. 1992 Nouvelle Vague(1992年3月25日)
  21. Sweet Memories'93(1992年12月2日)
  22. DIAMOND EXPRESSION(1993年5月21日)
  23. A Time for Love(1993年11月21日)
  24. Glorious Revolution(1994年6月12日)
  25. It's Style'95(1995年5月21日)
  26. Vanity Fair(1996年5月27日)
  27. WAS IT THE FUTURE(1996年6月10日)
  28. Guardian Angel(1996年12月5日) - ミニアルバム
  29. My Story(1997年5月21日)
  30. Sweetest Time(1997年12月3日) - ミニアルバム
  31. Forever(1998年5月8日)
  32. 永遠の少女(1999年12月18日)
  33. 20th Party(2000年6月28日)
  34. LOVE & EMOTION VOL.1(2001年6月20日)
  35. LOVE & EMOTION VOL.2(2001年11月28日)
  36. area62(2002年6月21日)
  37. Sunshine(2004年6月9日)
  38. fairy(2005年4月6日)
  39. Under the beautiful stars(2005年12月7日)
  40. bless you(2006年5月31日)
  41. Eternal II(2006年12月6日)
  42. Baby's breath(2007年6月6日)
  43. My pure melody(2008年5月21日)
  44. My Prelude(2010年5月26日)

ベストアルバム

  1. 聖子・fragrance(1981年11月1日)
  2. Seiko・index(1982年7月1日)
  3. 金色のリボン(1982年12月5日)
  4. Seiko・plaza(1983年11月11日)
  5. Touch Me, Seiko(1984年3月15日)
  6. Seiko・Town(1984年11月1日)
  7. Seiko・Avenue(1984年11月21日)
  8. Seiko-Train(1985年3月6日)
  9. Seiko Box(1985年11月10日)
  10. LOVE BALLADE(1986年11月21日)
  11. Snow Garden(1987年11月21日)
  12. Seiko Monument(1988年7月21日)
  13. Christmas Tree(1991年11月21日)
  14. Bible(1991年12月1日)
  15. Bible II(1994年12月1日)
  16. Bible III(1996年3月1日)
  17. Complete Bible(1996年9月21日)(完全生産限定盤)
  18. Winter Tales(1996年11月1日)
  19. Seiko Matsuda 1980-1995(1997年4月1日)(通販CD-BOX
  20. Seaside 〜Summer Tales〜(1997年6月21日)
  21. Dear(1997年11月21日)
  22. Seiko Celebration(1998年7月18日)
  23. Seiko '96-'98(1998年11月30日)
  24. Ballad 〜20th Anniversary(1999年4月1日)
  25. SEIKO SUITE(2000年7月5日)-(完全生産限定盤)
  26. 『LOVE』 Seiko Matsuda 20th Anniversary Best Selection (2000年11月29日)
  27. Another Side of Seiko 27(2003年11月27日)(初回生産限定盤)
  28. Another Side of Seiko 14(2003年11月27日)
  29. Best of Best 27(2004年4月14日)(初回生産限定盤)
  30. Best of Best 13(2004年4月14日)
  31. 『Seiko Smile』 Seiko Matsuda 25th Anniversary Best Selection (2005年1月26日)
  32. Seiko Matsuda(53タイトル74枚組DSDリマスタリングBOX)(2006年7月19日)(完全生産限定盤)
  33. Premium Diamond Bible(2009年9月30日)(完全生産限定盤)
  34. Diamond Bible(2009年9月30日)
  35. Seiko Matsuda Christmas Songs(2009年11月11日)
  36. Seiko Matsuda Single Collection 30th Anniversary Box 〜The voice of a Queen〜(2010年5月26日)

リミックス・アルバム

  1. SEIKO MATSUDA:RE-MIXES(1999年10月6日)- リミックスアルバム
  2. seiko remixes 2000(2000年9月27日)- リミックスアルバム

企画アルバム

  1. ゴヤ…歌でつづる生涯(1989年5月21日)
  2. I'll fall in love 愛的禮物(2005年8月26日)

サウンドトラック

  1. オリジナル・サウンドトラック 野菊の墓(1981年8月8日)
  2. オリジナル・サウンドトラック プルメリアの伝説(1983年7月1日)
  3. オリジナル・サウンドトラック 夏服のイヴ(1984年7月7日)
  4. オリジナル・サウンドトラック カリブ・愛のシンフォニー CARIBE, Sinfonia de Amor(1985年5月3日)
  5. オリジナル・サウンドトラック ペンギンズ・メモリー 幸福物語(1985年6月21日)
  6. 松田聖子オリジナル・サウンドトラック集 1981~1985(2010年8月11日)

映像

  1. ファンタスティック・コンサート レモンの季節(1982年6月21日)
  2. Seikoland 〜武道館ライヴ'83〜(1984年2月25日)
  3. SEIKO CALL 〜松田聖子ライヴ'85〜(1985年8月1日)
  4. Super Diamond Revolution(1987年9月2日)
  5. Sweet Spark Stream(1989年9月14日)
  6. Precious Moment 〜1990 Live At The Budokan〜(1990年4月21日)
  7. SEIKO clips(1991年8月1日) - ビデオクリップ
  8. 1991 Concert Tour Amusement Park(1991年9月21日)
  9. Seiko Clips2 1992 Nouvelle Vague(1992年6月1日) - ビデオクリップ
  10. LIVE 1992 Nouvelle Vague(1992年10月1日)
  11. Seiko Clips3 DIAMOND EXPRESSION(1993年6月21日) - ビデオクリップ
  12. LIVE DIAMOND EXPRESSION(1993年11月1日)
  13. Seiko Clips4 Glorious Revolution(1994年6月22日) - ビデオクリップ
  14. Live Glorious Revolution(1994年10月21日)
  15. Video Bible 〜Best Hits Video History〜(1995年3月24日)
  16. Seiko Clips5 It's Style'95(1995年7月1日) - ビデオクリップ
  17. LIVE It's Style'95(1995年11月22日)
  18. Vanity Fair(1996年6月3日) - ビデオクリップ
  19. Live Vanity Fair'96(1996年11月11日)
  20. Bon Voyage 〜The Best Lives and Clips〜(1996年12月1日)
  21. WAS IT THE FUTURE(1996年12月2日) - ビデオクリップ
  22. My Story(1997年6月4日) - ビデオクリップ
  23. Seiko Live'97 My Story(1997年10月8日)
  24. Forever(1998年6月1日) - ビデオクリップ
  25. Seiko Live'98 FOREVER(1998年10月21日)
  26. Seiko '96〜'98(1998年12月2日) - ビデオクリップ
  27. Seiko Matsuda Zepp Tour 1999 〜137分33秒の奇跡〜(2000年3月29日)
  28. Seiko Matsuda Concert Tour 2000 20th Party(2000年12月13日)
  29. Video the LOVE 〜Seiko Matsuda 20th Anniversary Video Collection 1996-2000〜(2001年3月28日)
  30. Seiko Matsuda Concert Tour 2001 LOVE&EMOTION(2001年11月28日)
  31. LOVE&EMOTION(2002年3月27日) - ビデオクリップ + 写真集
  32. Seiko Matsuda Concert Tour 2002 Jewel Box(2002年11月20日)
  33. Seiko Matsuda Concert Tour 2003 Call me(2003年11月27日)
  34. Seiko Matsuda Count Down Live Party 2003-2004(2004年3月10日)
  35. Seiko Matsuda Concert Tour 2004 Sunshine(2004年11月17日)
  36. 25th Anniversary Seiko Matsuda PREMIUM DVD BOX(2005年6月8日)(完全生産限定盤)
  37. 25th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2005 fairy(2005年11月23日)
  38. Seiko Matsuda Count Down Live Party 2005-2006(2006年3月28日)
  39. Seiko Matsuda Concert Tour 2006 bless you(2006年9月20日)
  40. Seiko Matsuda Count Down Live Party 2006-2007(2007年3月28日)
  41. Seiko Matsuda Concert Tour 2007 Baby's breath(2007年9月19日)
  42. Seiko Matsuda Count Down Live Party 2007-2008(2008年3月26日)
  43. Seiko Matsuda Concert Tour 2008 My pure melody(2008年10月22日)
  44. Seiko Matsuda Count Down Live Party 2008-2009(2009年3月18日)
  45. Seiko Matsuda Concert Tour 2009 My Precious Songs(2009年11月18日)(通常版・初回限定版)

記録

シングル

首位獲得数:25作(歴代5位・女性アーティスト単独2位)
12枚目のシングル「秘密の花園」でピンク・レディーの1位獲得数9枚を抜いて単独首位獲得数1位を記録を記録する。首位獲得数25作まで記録を伸ばすが2000年10月にB'zに抜かれるまで(1983年2月2000年10月)の約17年8ヶ月間首位獲得数1位を保持していた。
女性アーティト・ソロ部門では2006年3月に浜崎あゆみに抜かれるまで(1983年2月2006年3月)の23年1ヶ月間首位獲得数1位を保持していた。
首位連続最高獲得数:24作(歴代4位・女性アーティスト単独1位)
3作目の「風は秋色/Eighteen」~26作目の「旅立ちはフリージア」(1980年10月1988年9月)まで首位1位獲得数を保持し、上記に続いて12枚目のシングル「秘密の花園」でピンク・レディーの首位連続数9作を抜いて首位連続最高数単独1位を記録保持する。2000年7月にB'zに抜かれるまで(1983年2月2000年7月)の約17年5ヶ月間首位連続最高数1位を保持していた。
同曲による首位2週以上獲得数:14作(歴代1位)
オリコン首位獲得週数:50週(歴代3位・ソロでは単独1位)
オリコン首位・2位同時獲得:「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」・「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」(藤圭子に次いで2人目)
オリコン首位返り咲き作品数:3作「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」・「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」・「Strawberry Time」(歴代1位タイ)
ベスト10位以内獲得数:31作
ミリオンセラー獲得数:1作
シングル総売上枚数;1543.9万枚(歴代12位・女性アーティスト単独5位)

日本人でアメリカのビルボードTop100にチャートインしたアーティストとしては3番目の順位である。Right Combinationが最高位54位。(1963年-坂本九「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」1位、1979年-ピンク・レディー「Kiss in The Dark」37位。)

アルバム

  • 首位獲得数:19作(歴代3位・女性アーティスト単独2位タイ)
  • ベスト10位以内獲得数:43作(歴代3位・女性アーティスト単独2位)
  • ベスト100位以内同時チャートイン作数:13作(日本人歴代1位タイ・女性アーティスト単独1位)
  • 8年間首位獲得(歴代3位・女性アーティスト3位タイ)
  • アルバム総売上枚数1356.9万枚

ザ・ベストテンでの記録

  • 1位となった回数:44回(3位)
  • 1位となった曲数:15曲(2位)
  • 1位となった連続最高週数:「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」(1983年11月24日放送~1984年1月12日放送)の8週で4位タイ
  • ベストテン入りした回数:218回(3位)
  • ベストテン入りした曲数:25曲(3位)
  • 1位となった年内最高獲得数:13回(1983年度による6位タイ)

出演

テレビドラマ

テレビアニメ

ドキュメンタリー

映画

ラジオ

CM

紅白歌合戦

受賞歴

書籍

脚注

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関連項目

関連人物

外部リンク

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