天皇賞

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天皇賞(てんのうしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が年2回施行する中央競馬重賞GI競走である。

正賞は天皇賞・日本馬主協会連合会会長賞。

本項目では現在京都競馬場(創設時は鳴尾競馬場)で施行する本競走を天皇賞(春)東京競馬場で施行する本競走を天皇賞(秋)とし天皇賞(春)を「春の競走」、天皇賞(秋)を「秋の競走」と表現する。

目次

概要

本競走は1905年に創設された帝室御賞典を前身としている。1937年日本競馬会が創設され、それまで各競馬場(札幌・函館・福島・東京(・池上・目黒)・横濱・鳴尾・小倉(三萩野・北方))でコース(芝・土<ref>当時の鳴尾競馬場札幌競馬場、御賞典施行初期の池上競馬場、御賞典施行初期と後期の函館競馬場のコース形態は「土」コースであり「ダート」ではない。</ref>)・距離も異なる条件で施行されていたものを阪神・東京の年2回施行とし同年秋の競走を改めて第1回帝室御賞典として施行した。

1937年秋は2600m、1938年春は2700mで施行されたが1938年秋からイギリスロイヤルアスコットレースミーティングで施行するゴールドカップを範して長い距離の競走を制することが真の最強馬という理念から芝3200mの長距離競走に変更されている。

優勝賜杯について御賞典菊花御紋付銀製花盛器)が宮内省(現在の宮内庁の前身)から優勝馬の馬主に下賜されていたが1941年からは太平洋戦争(戦時中)に伴う貴金属資源の不足により御賞典と言えども時代の背景には勝てず菊花御紋入り(競馬恩賞と書かれた)の木製のが代わりに下賜されるようになり、競馬関係者からは天皇楯と呼ばれた。が天皇賞の略称として使われる所以である。優勝馬主は表彰式で天皇盾を賜る際は白手袋を着用することが慣例になっている。

第二次世界大戦終結後は天皇賞を再び下賜されるよう調整したが1947年の春の競走には間に合わず平和賞として施行、天皇賞が再下賜されるようになった秋の競走で「第16回天皇賞(秋)」として開催した。

中央競馬が誇る伝統と格式がある八大競走の2競走でかつては日本一の競走馬を決める競走でもあり優勝馬及び関係者には最高の名誉が与えられ天皇賞で1回優勝した競走馬は再度出走して負けた場合、天皇賞馬としての威厳を下げてしまうため1980年まで再度の天皇賞への出走は認められない「勝ち抜け制度」があった。

また長年クラシック三冠と同様に優秀な国内産種牡馬繁殖牝馬を選定するという観点から国内産馬で尚且つ牡馬牝馬のみしか出走できないことになっていたが、競馬の国際化などを踏まえ段階を追ってそれらが見直され2005年から国際競走に指定されそれに伴い外国産馬の出走頭数制限が廃止された。また2008年から騸馬(去勢牡馬)にも出走門戸が開放され、グランプリレース(春・宝塚記念、秋・有馬記念)やジャパンカップと並んで、名・実共に日本の古馬中・長距離適正馬の実力日本一決定戦となった。

天覧競馬

「エンペラーズカップ100年記念」(1905年の帝室御賞典からの100年を記念)と題された2005年の第132回競走において明治天皇による1899年の行幸以来106年ぶりとなる今上天皇皇后の天覧競馬が実現した。

これに伴い当日の東京競馬場の競走数を当初予定の12から11に減らし、本競走を第10競走として施行。競走前に天皇、皇后は場内の競馬博物館で「エンペラーズカップ100年記念 栄光の天皇賞展」を鑑賞した。競走後には勝利騎手の松永幹夫が貴賓席に対して馬上から<ref>騎乗馬が故障した場合を除き、競走後にコース内で騎手が下馬することは禁止されている。</ref>最敬礼を行う場面が見られた。

前年の2004年に日本中央競馬会創設50周年記念競走として施行された第130回競走において天覧競馬が予定されていたが同年10月23日に発生した新潟県中越地震の被害を考慮して取り止めとなった経緯があり、2年越しの実現となった。

今上天皇・皇后は皇太子皇太子妃時代の1987年にも、天皇賞施行50周年を記念して行われた第96回競走(優勝馬:ニッポーテイオー)を観覧している。


以下は天皇賞(春)と天皇賞(秋)に分けて記述する。 →[天皇賞(秋)はこちらを参照


天皇賞(春)

Template:競馬の競走

画像:Deep Impact(horse)20060430R1.jpg
2006年4月30日、第133回天皇賞(春) 優勝:ディープインパクト
画像:The 139th Tenno Sho 20090503.jpg
2009年5月3日、第139回天皇賞(春) 優勝:マイネルキッツ

天皇賞(春)(てんのうしょうはる)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の3200mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

正式名称は「天皇賞」であるが施行時期からJRAが天皇賞(春)と表記しており、競馬ファンや競馬関係者の間では「春の天皇賞」「春天」「春の盾」「(京都競馬場で行われることから)の盾」などと呼ばれる。

概要

1938年に4歳(現3歳)以上の牡馬牝馬外国産馬含む)限定の定量の重賞競走帝室御賞典(春)として開催、春の競走としての第1回は鳴尾競馬場の土2700mで施行、古馬の最強馬決定戦として位置付けされた。

1939年からは施行距離を芝3200mに出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、1944年太平洋戦争(戦時中)の影響により阪神競馬場が海軍に接収されたため施行場を現在の京都競馬場の芝3200mの能力検定競走として施行、1945年は太平洋戦争の影響で開催中止、1946年は開催されず1947年は宮内庁からの天皇賞の下賜の調整が遅れたことにより「平和賞」の名称で施行され1948年から再び宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称が「天皇賞(春)」に変更された。

1957年より当時の昭和天皇の誕生日である4月29日の開催となり、日曜日以外に行われることのある大レースとなり昭和天皇が崩御するまで続いた。ただし1989年は既に日程が決まっていた為にそのまま4月29日開催となり、翌1990年より日曜日開催に変更された。なお1990年は4月29日が日曜日だった為、実質的には4月29日開催は1990年まで続いた。

また1972年は前年からの馬インフルエンザ騒動の余波でその年の1月から2月まで関東地区の開催が中止になった関係で施行日程が大幅に順延となったこと、また1974年厩務員ストライキで開催日程が順延となった関係で4月29日に開催されなかった。

1965年は京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行、1970年は阪神競馬場の芝3200mで施行、1972年からは前年における活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなり1980年は京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行、1981年から勝ち抜け制度が廃止され天皇賞に1度優勝した競走馬も再び出走が可能になり1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされた。

1994年は京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行、1995年からは指定競走に指定、阪神大賞典日経賞大阪杯で2着以内に入賞した地方所属の競走馬にも出走資格が与えられ2000年からは外国産馬の活躍による出走枠の見直しの一環により総収得金額順上位2頭(フルゲート18枠に満たない場合は4頭)まで出走可能になり2004年からは外国産馬の出走枠が4枠に拡大され、2005年からは国際競走に指定、外国産馬の出走枠制限が撤廃され外国調教馬が5頭まで出走可能になった。

出走資格は4歳(旧5歳)以上の競走馬(外国産馬含む)及び出走条件を満たした地方所属の競走馬と外国調教馬(9頭まで)。種牡馬又は繁殖牝馬選定競走の位置付けにあるため騸馬は出走できなかったが、2008年より出走可能となった。

また、海外主要長距離GIとの連携の観点から2008年よりオーストラリア最大のレースであるGIメルボルンカップの前年度(オーストラリアは8月~7月を1シーズンとしているため、オーストラリアの基準では同一シーズン)の優勝馬を招待することを決定。これ以前にも2003・2004・2005年メルボルンカップ優勝馬のMakybe Divaが2005年に出走しているが、この時は招待馬ではない。また、このレースの優勝馬は同年のメルボルンカップへの優先出走権が与えられる。

中央競馬で最も長い距離で施行される平地のGI競走で、国営競馬時代からの長距離の大レースで勝利する事が真の最強馬という理念から長年芝3200mで施行されてきた。だが近代競馬におけるスピード化に伴い本競走の施行距離を芝2400mにする短縮化の意見も日本中央競馬会(JRA)から出されたがTemplate:要出典、当面は現行の距離で施行されている。そのためか、長距離を苦手とし中距離を得意とする有力馬は本競走に出走せず安田記念金鯱賞を経て宝塚記念を目指す場合や海外遠征でドバイミーティングチャンピオンズマイルクイーンエリザベス2世カップシンガポール航空国際カップ等のアジアの国際G1競走へ出走する傾向も見られる。しかし3000m以上の長距離で真価を発揮する馬がいるのもまた事実であり、能力の広汎性を重視する観点から本競走の持つ意義は大きいといえる。

又、ファンにとってはこのレースから安田記念まで6週連続でGIレースが開催される。

優勝馬には多くの名馬が名を連ねており、その殆どが当レース以外のGI(級)競走を勝利している。

負担重量は定量で牡馬・騸馬は58キロ、牝馬は56キロである。

総額賞金は2億5120万円で1着賞金1億3200万円、2着賞金5300万円、3着賞金3300万円、4着賞金2000万円、5着賞金1320万円と定められている。

現在の優勝レイは紫地に金文字である。配色自体は秋施行のものと同じだが、開催競馬場における発注業者の違いから春秋でデザインが大きく異なる。

2009年度における、当競走当日の京都競馬場の開門時刻は午前7時30分であった。

施行コース

コースは京都競馬場の芝外回り3200m。向正面の真ん中辺りから発走。いわゆる「淀の坂」を2度駆け上がるためスタミナと持久力、折り合う精神力が要求される。加えて近年は高速馬場に対応できる瞬発力とスピードも強く求められている。また長距離戦ということでペース配分や仕掛けのタイミングが重要であり、さらには騎手同士の駆け引きも結果を大きく左右するものであり騎手の技量も試されるレースであると言える。

主な前走

以下は天皇賞(春)へ出走する競走馬の主な前走で、優勝馬を輩出している競走である(1984年グレード制制定以降・太字は当該競走の優勝馬)。下記以外にダイヤモンドステークス(GIII)から直行で出走する競走馬もいる。

競走名格付団体施行競馬場施行距離優勝馬輩出実績
京都記念GII中央京都競馬場芝2200mジャガーメイル、ビワハヤヒデ<ref>コース改修のため阪神芝2200m</ref>
中山記念GII中央中山競馬場芝1800mサクラローレルクシロキング
阪神大賞典GII中央阪神競馬場芝3000mアドマイヤジュピタディープインパクトテイエムオペラオー(2000年)、
スペシャルウィークメジロブライトマヤノトップガンメジロマックイーン<ref>2回とも、なお1991年はコース改修のため中京芝3000m</ref>、
イナリワン、タマモクロス
日経賞GII中央中山競馬場芝2500mマイネルキッツ、マンハッタンカフェ、ライスシャワー<ref>2回とも、ただし優勝は1993年のみ</ref>、ミホシンザン
シンボリルドルフ、モンテファスト
大阪杯GII中央阪神競馬場芝2000mメイショウサムソン、ヒシミラクル、テイエムオペラオー(2001年)、
スーパークリーク
大阪-ハンブルクカップOP中央阪神競馬場芝2400mスズカマンボ<ref>旧コースの芝2500m</ref>

地方所属馬は阪神大賞典・日経賞・大阪杯で上位2着までに入賞すると出走資格(優先出走権ではない)が与えられる。

他にダイオライト記念(当時統一GII、船橋ダート2400m)イングランディーレが別路線から参戦し勝利を収めている。

歴史

  • 1938年 - 鳴尾競馬場の土2700mの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の馬齢重量の重賞競走「帝室御賞典(春)」として創設。
  • 1939年
    • 施行距離を3200mに、出走資格を5歳(現4歳)以上牡馬・牝馬に変更。
    • 負担重量を「馬齢重量」から「定量」に変更(負担斤量は5歳(現4歳)は牡馬58キロ・牝馬56.5キロ、6歳(現5歳)以上は牡馬60キロ・牝馬58.5キロに設定)。
  • 1944年 - 太平洋戦争の影響で能力検定競走として京都競馬場の芝3200mで施行。
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で施行中止。
  • 1946年 - 施行せず。
  • 1947年
    • 宮内庁との天皇賞の下賜調整が遅れた事により「平和賞」の名称で施行。
    • 負担斤量を5歳(現4歳)、6歳(現5歳)以上とも牡馬60キロ・牝馬58キロに変更。
  • 1948年
    • 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(春)」に変更。
    • 5歳(4歳)の負担斤量を牡馬58キロ・牝馬56キロに変更。
  • 1953年
    • 6歳(現5歳)以上の負担斤量を5歳(現4歳)と同じく、牡馬58キロ・牝馬56キロに変更。
    • レダが牝馬として史上唯一の春の天皇賞制覇。
  • 1957年 - この年から昭和天皇の誕生日である4月29日に開催。
  • 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1965年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1970年 - 阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1972年 - 前年の活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
  • 1979年 - 当競走で史上最多の21頭が出走。
  • 1980年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1981年 - 勝ち抜け制度(天皇賞優勝馬の出走制限)を廃止。
  • 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
  • 1987年 - 2位入線のニシノライデンが進路妨害により失格。
  • 1990年
    • 開催日が変更され4月29日固定から日曜日に変更される。
    • スーパークリークが前年秋制覇と合わせて史上2頭目の天皇賞連覇。
  • 1991年 - メジロマックイーンが史上初の親子三代天皇賞制覇を達成。
  • 1992年
    • メジロマックイーンが史上初の春連覇。春2勝も史上初。
    • 武豊騎手として史上初の4連覇。
    • 池江泰郎調教師として史上初の連覇。
  • 1994年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1995年
    • 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開かれる。
    • ライスシャワーが2頭目の春2勝。
  • 2000年 - 外国産馬の出走枠を2頭(条件付4頭)設ける。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上牡馬・牝馬」から「4歳以上牡馬・牝馬」に変更。
    • メイショウドトウが外国産馬として出走第1号となる。
    • テイエムオペラオーが2頭目の春連覇(3頭目の春2勝)。前年の秋制覇と合わせて史上初の天皇賞3連覇。
    • 岩元市三が調教師として2人目の連覇。
  • 2004年 - 外国産馬の出走枠を4頭に拡大。
  • 2005年
    • 国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。マカイビーディーヴァが外国調教馬として出走第1号となる。
    • 外国産馬の出走枠制限を撤廃。
  • 2006年 - ディープインパクトが芝3200mの世界レコードとなる3:13.4で優勝。
  • 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠を9頭に拡大。
  • 2008年
  • 2009年
    • 当年のみ、JRAプレミアムの対象競走となる。
    • 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(当競走施行当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第10競走に変更。
  • 2010年

歴代優勝馬

国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数施行日調教国・優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第2回1938年5月15日ハセパーク牡52:53 1/5金者斤奉門倉恒雄
第4回1939年5月14日スゲヌマ牡43:31 0/5伊藤正四郎小山内重蔵千明賢治
第6回1940年5月19日トキノチカラ牡43:25 2/5岩下密政田中和一郎菊池寛
第8回1941年4月27日マルタケ牡53:25 4/5清水茂次榎壽逸
第10回1942年4月19日ミナミモア牡43:25 1/5佐藤邦雄東原玉造池得次
第12回1943年4月11日グランドライト牡43:28 1/5阿部正太郎田中和一郎加藤雄策
第14回1944年5月28日ヒロサクラ牡43:29 0/5渋川久作鶴丸広太郎
第15回1947年5月11日オーライト牡43:34 1/5元石正雄伊藤勝吉伊藤由五郎
第17回1948年5月16日シーマー牡43:25 3/5長浜彦三郎新堂捨蔵島田幸次郎
第19回1949年4月29日ミハルオー牡43:26 3/5土門健司久保田金造石川了吉
第21回1950年6月4日オーエンス牡43:34 3/5土門健司松田由太郎桶谷辰造
第23回1951年5月5日タカクラヤマ牡43:24 3/5橋田俊三伊藤正四郎平島五郎
第25回1952年5月3日ミツハタ牡43:23 1/5渡辺正人矢野幸夫河野信一
第27回1953年5月5日レダ牝43:24 2/5佐藤勇武田文吾熊谷新太郎
第29回1954年5月16日ハクリヨウ牡43:24 2/5保田隆芳尾形藤吉西博
第31回1955年4月29日タカオー牡43:22 3/5古山良司上村大治郎高須銀次郎
第33回1956年4月15日メイヂヒカリ牡43:22 3/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江
第35回1957年4月29日キタノオー牡43:21 3/5勝尾竹男久保田金造田中留治
第37回1958年4月29日オンワードゼア牡43:23 4/5野平好男二本柳俊夫樫山純三
第39回1959年4月29日トサオー牡43:23 1/5野平祐二松山吉三郎溝本儀三男
第41回1960年4月29日クリペロ牡53:25.0保田隆芳尾形藤吉栗林友二
第43回1961年4月29日ヤマニンモアー牡43:22.6浅見国一藤本冨良土井宏二
第45回1962年4月29日オンスロート牡53:27.6山岡忞中村広田村喜志
第47回1963年4月29日コレヒサ牡43:22.5森安重勝尾形藤吉千明康
第49回1964年4月29日ヒカルポーラ牡53:26.8高橋成忠佐藤勇坪田喜之助
第51回1965年4月29日アサホコ牡53:27.1加賀武見藤本冨良手塚栄一
第53回1966年4月29日ハクズイコウ牡53:19.4保田隆芳尾形藤吉西博
第55回1967年4月29日スピードシンボリ牡43:24.2野平祐二野平省三和田共弘
第57回1968年4月29日ヒカルタカイ牡43:24.6野平祐二藤本冨良長山善健
第59回1969年4月29日タケシバオー牡43:29.1古山良司三井末太郎小畑正雄
第61回1970年4月29日リキエイカン牡43:25.8高橋成忠柏谷富衛水上力夫
第63回1971年4月29日メジロムサシ牡43:33.5横山富雄大久保末吉メジロ商事(株)
第65回1972年5月7日ベルワイド牡43:20.4加賀武見阿部正太郎鈴木賢一
第67回1973年4月29日タイテエム牡43:25.0須貝彦三橋田俊三(有)名鯛興業
第69回1974年5月5日タケホープ牡43:22.6嶋田功稲葉幸夫近藤たけ
第71回1975年4月29日イチフジイサミ牡53:22.1郷原洋行松永光雄保坂勇
第73回1976年4月29日エリモジョージ牡43:27.4福永洋一大久保正陽山本慎一
第75回1977年4月29日テンポイント牡43:21.7鹿戸明小川佐助高田久成
第77回1978年4月29日グリーングラス牡53:20.8岡部幸雄中野隆良半沢吉四郎
第79回1979年4月29日カシュウチカラ牡63:20.2郷原洋行矢倉玉男吉田権三郎
第81回1980年4月29日ニチドウタロー牡43:18.7村本善之坂田正行山田敏夫
第83回1981年4月29日カツラノハイセイコ牡53:20.6河内洋庄野穂積桂土地(株)
第85回1982年4月29日モンテプリンス牡53:19.2吉永正人松山吉三郎毛利喜八
第87回1983年4月29日アンバーシャダイ牡63:22.3加藤和宏二本柳俊夫吉田善哉
第89回1984年4月29日モンテファスト牡63:22.3吉永正人松山吉三郎毛利喜八
第91回1985年4月29日シンボリルドルフ牡43:20.4岡部幸雄野平祐二和田農林(有)
第93回1986年4月29日クシロキング牡43:25.4岡部幸雄中野隆良阿部昭
第95回1987年4月29日ミホシンザン牡53:20.4柴田政人田中朋次郎堤勘時
第97回1988年4月29日タマモクロス牡43:21.8南井克巳小原伊佐美タマモ(株)
第99回1989年4月29日イナリワン牡53:18.8武豊鈴木清保手浜弘規
第101回1990年4月29日スーパークリーク牡53:21.9武豊伊藤修司木倉誠
第103回1991年4月28日メジロマックイーン牡43:18.8武豊池江泰郎メジロ商事(株)
第105回1992年4月26日メジロマックイーン牡53:20.0武豊池江泰郎メジロ商事(株)
第107回1993年4月25日ライスシャワー牡43:17.1的場均飯塚好次栗林英雄
第109回1994年4月24日ビワハヤヒデ牡43:22.6岡部幸雄浜田光正(有)ビワ
第111回1995年4月23日ライスシャワー牡63:19.9的場均飯塚好次栗林英雄
第113回1996年4月21日サクラローレル牡53:17.8横山典弘境勝太郎(株)さくらコマース
第115回1997年4月27日マヤノトップガン牡53:14.4田原成貴坂口正大田所祐
第117回1998年5月3日メジロブライト牡43:23.6河内洋浅見秀一(有)メジロ牧場
第119回1999年5月2日スペシャルウィーク牡43:15.3武豊白井寿昭臼田浩義
第121回2000年4月30日テイエムオペラオー牡43:17.6和田竜二岩元市三竹園正繼
第123回2001年4月29日テイエムオペラオー牡53:16.2和田竜二岩元市三竹園正繼
第125回2002年4月28日マンハッタンカフェ牡43:19.5蛯名正義小島太西川清
第127回2003年5月4日ヒシミラクル牡43:17.0角田晃一佐山優阿部雅一郎
第129回2004年5月2日イングランディーレ牡53:18.4横山典弘清水美波吉田千津
第131回2005年5月1日Template:Flagiconスズカマンボ牡43:16.5安藤勝己橋田満永井啓弐
第133回2006年4月30日Template:Flagiconディープインパクト牡43:13.4武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株)
第135回2007年4月29日Template:Flagiconメイショウサムソン牡43:14.1石橋守高橋成忠松本好雄
第137回2008年5月4日Template:Flagiconアドマイヤジュピタ牡53:15.1岩田康誠友道康夫近藤利一
第139回2009年5月3日Template:Flagiconマイネルキッツ牡63:14.4松岡正海国枝栄(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第141回2010年5月2日Template:Flagiconジャガーメイル牡63:15.7C.ウィリアムズ堀宣行吉田和美

天皇賞(秋)

Template:競馬の競走 thumb|2006年10月29日、第134回天皇賞(秋)ダイワメジャー(優勝)とスウィフトカレントのゴール前の攻防 thumb|2009年11月1日、第140回天皇賞(秋)右からカンパニー、スクリーンヒーロー、ウオッカ 天皇賞(秋)(てんのうしょうあき)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の2000mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

正式名称は「天皇賞」であるが施行時期からJRAが天皇賞(秋)と表記しており、競馬ファンや競馬関係者の間では「秋の天皇賞」「秋天」「秋の盾」「(東京競馬場で行われることから)府中の盾」とも呼ばれる。

概要

1937年に4歳(現3歳)以上の牡馬・牝馬(外国産馬含む)限定の定量の重賞競走帝室御賞典(秋)として開催、秋の競走としての第1回は東京競馬場の芝2600mで施行、古馬の最強馬決定戦として位置付けられた。

1938年からは施行距離を芝3200mに出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、1944年・1945年の2年間は太平洋戦争の影響で開催中止、1946年は開催されず1947年からは再び宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称が「天皇賞(秋)」に変更された。

1967年は東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200mで施行、1971年からは6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなった。

1981年からジャパンカップの新設に伴い10月に施行が早められ、また勝ち抜け制度が廃止され天皇賞に1度優勝した競走馬も再び出走が可能になった。

1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされジャパンカップとの連戦が難しいという声に応える為と天皇賞(春)との差別化を図る為、施行距離を芝2000mに変更、ジャパンカップへのステップレース及び中距離の最強馬決定戦として位置付けられる事になった。ただしこの変更は計画当時は競馬ファンや一部競馬サークルからの反対もあった。

1987年からは出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更、また天皇賞50周年を記念して当年のみ「天皇賞競走施行50周年記念」の副称が付けられて施行、1995年からは指定競走に指定、オールカマー毎日王冠京都大賞典で2着以内に入賞した地方所属の競走馬にも出走資格が与えられた。

2000年からは秋の古馬三冠制度施行によりジャパンカップ有馬記念と共に三冠競走を構成、また外国産馬の活躍による出走枠の見直しの一環により総収得金額順上位2頭まで出走可能になった。しかし2001年クロフネの出走除外(フルゲートにも満たされなかったにもかかわらず外国産馬枠に外れて除外)で波紋を呼び、翌年からフルゲートにならなかった場合に限り4頭まで出走できるようになった。2002年は東京競馬場の馬場改修に伴い中山競馬場の芝2000mにて施行。2004年からは外国産馬の出走枠が5枠に拡大され当年のみ「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称が付けられて施行、2005年からは国際競走に指定、外国産馬の出走枠制限が撤廃され外国調教馬が5頭まで出走可能になりまた当年のみ天覧競馬でもあったことから(実を言えば前年に予定されていたが新潟県中越地震の影響で天覧が中止になる)「エンペラーズカップ100年記念」の副称が付けられて施行された。2008年には天皇賞(春)と同様、せん馬も出走可能になった。

春の天皇賞が古馬の芝3200mで施行するのとは違い3歳(旧4歳)以上で更に芝2000mで施行される事からマイラーからステイヤーまで多くの有力馬が出走し、ジャパンカップ有馬記念を凌ぐ豪華なメンバーが揃う事が多くある。また3歳(旧4歳)馬もクラシック登録なしでも出走可能であることや、馬の疲労や適正距離を考慮してレースを選択するという近代競馬の価値観の流れから菊花賞の芝3000mの距離を嫌い出走してくる傾向が増えている。ほかにもマイルチャンピオンシップ等、短距離路線へのステップとして出走したマイラー競走馬が好走する傾向がある。ギャロップダイナニッポーテイオーヤマニンゼファーバブルガムフェローアグネスデジタルダイワメジャーといったマイルGI優勝馬が優勝することもある。またエリザベス女王杯のステップとして出走する牝馬の出走頻度も多くエアグルーヴヘヴンリーロマンスウオッカ(3頭とも次走は牝馬路線ではなくジャパンカップを選択)が優勝している。

距離短縮前は第52回競走でシンザンが1番人気で優勝した後、1番人気が18連敗したこともあった。距離短縮後の初回である第90回競走ではミスターシービーが1番人気で優勝したが第96回競走でニッポーテイオーが1番人気で優勝した後、第122回競走でテイエムオペラオーが優勝するまで1番人気が12連敗した。その間、第104回競走では1位入線した1番人気メジロマックイーンが進路妨害で最下位(18着)降着処分を受け第118回競走では圧倒的1番人気に支持されたサイレンススズカが名物大ケヤキの向こう側過ぎで粉砕骨折を発症し予後不良となった。これらのことから、「府中の2000には魔物が棲む(秋の盾には魔物が棲む)」と言われたTemplate:要出典

出走資格は3歳(旧4歳)以上の競走馬(外国産馬含む)及び出走条件を満たした地方所属の競走馬と外国調教馬(9頭まで)。種牡馬又は繁殖牝馬選定競走の位置付けにある為騸馬は出走できなかったが、2008年より出走可能となる。

負担重量は定量で3歳は56キロ、4歳以上は58キロ、牝馬は2キロ減である。

総額賞金は2億5120万円で1着賞金1億3200万円、2着賞金5300万円、3着賞金3300万円、4着賞金2000万円、5着賞金1320万円と定められている。

現在の優勝レイは紫地に金文字である。配色自体は春施行のものと同じだが、開催競馬場における発注業者の違いから春秋でデザインが大きく異なる。

2008年度における、当競走当日の東京競馬場の開門時刻は午前7時55分であった。

施行コースとその問題点

東京競馬場の芝2000mで第1コーナーのポケットの奥から発走。外枠(特に大外枠)に入った競走馬と1番人気が勝てないので「魔の天皇賞」とも言われていたが、ここ数年は1番人気馬も優勝している。1986年サクラユタカオーが大外16番枠(この年は16頭の出走だった)となり2000年にはテイエムオペラオーが1番人気の13番枠、2003年にはシンボリクリスエスが1番人気の大外18番枠<ref>後藤浩輝騎乗のローエングリン吉田豊騎乗のゴーステディが激しい先頭争いを繰り広げ馬群を薄くしている。</ref>、2008年には1番人気のウオッカが14番枠で勝利した。ウオッカ以外の3頭はいずれも快勝している。なお、ウオッカは2cm差で勝利した。

2003年に第2コーナー及びポケットの形態が改修されたもののコース形態全体としては依然としてスタートから第2コーナーまで約118mしかなく、このため外枠の馬(外を大きく回らされることによる距離損をしたくない)と内枠の馬(外側の馬に前に入られ馬群の中や後方を走らされることを嫌う)がゴチャつきやすく、また大外枠発走の馬(約1秒の不利を受けると言われる)が必要以上に不利な点はある程度改善されはしたが解消されたわけではなく現在も問題点を孕んでいる。

また、かつての3200mコース(第3コーナー入口付近から発走)で開催されていた頃は「府中のコースと距離適性が無いと人気馬でも負ける」事で有名であり天馬・トウショウボーイもこの罠にハマって惨敗したのは有名である。逆に、プリテイキャストの様に距離適性を生かした大逃げで波乱を起こした例もある。2000mに短縮されてからも距離適性が及ぼす影響は小さくなったが、府中のコースを苦にする人気馬は相変わらず悉く敗北している(例:セイウンスカイ)。

大レースは枠順による有利不利が起こらない条件で行うべきであると考えていた大川慶次郎は<ref>ジャパンカップジャパンカップダート東京競馬場京都競馬場での持ち回り開催などの提案を行っていたが、枠順による有利不利の発生を理由に有馬記念に対しても(天皇賞(秋)との入れ替えで)東京競馬場の2500mで開催すべきと主張していた。</ref>このような状況を予測して3200mから2000mに短縮される際に最後まで反対意見を唱え、その後も中山競馬場で施行することを主張していた。

主な前走

以下は天皇賞(秋)へ出走する競走馬の主な前走(1984年グレード制制定以降・太字は当該競走の優勝馬)。このほかに3歳(旧4歳)馬が菊花賞トライアルセントライト記念神戸新聞杯から出走してくる場合もある。また近年はジャパンカップ有馬記念を加えた秋GI3戦を視野に入れた有力馬が6月の宝塚記念から直行で出走してくる場合が増えてきている。また2000mに短縮後に牝馬が3度優勝しているが、そのうち2頭は札幌記念をステップにしている。

競走名格付団体施行競馬場施行距離優勝馬輩出実績
宝塚記念GI中央阪神競馬場芝2200mメイショウサムソン、シンボリクリスエス(2003年)、ヤエノムテキ、タマモクロス
札幌記念GII中央札幌競馬場芝2000mヘヴンリーロマンスエアグルーヴ
朝日チャレンジカップGIII中央阪神競馬場芝2000m
オールカマーGII中央中山競馬場芝2200m
毎日王冠GII中央東京競馬場芝1800mカンパニー、ウオッカ、ダイワメジャー、バブルガムフェロー、サクラチトセオー、
ネーハイシーザー、ヤマニンゼファー、プレクラスニー、ニッポーテイオー、
サクラユタカオー、ミスターシービー
京都大賞典GII中央京都競馬場芝2400mゼンノロブロイ、テイエムオペラオー、スペシャルウィーク、スーパークリーク

地方所属馬はオールカマー・毎日王冠・京都大賞典で上位2着までに入賞すると出走資格(優先出走権ではない)が与えられる。

この他に神戸新聞杯(当時GII、阪神芝2000m)シンボリクリスエス(2002年)、マイルチャンピオンシップ南部杯(当時統一GI、盛岡ダート1600m)アグネスデジタル新潟記念(GIII、新潟芝2000m)オフサイドトラップ、 福島民報杯(OP、福島芝2000m)レッツゴーターキン、アジア競馬会議25周年記念(1400万下、東京芝1800m)ギャロップダイナが別路線から勝利している(馬名が太字になっているものは上記の表と同様で当該競走の優勝馬である)。

歴史

  • 1937年 - 東京競馬場の芝2600mの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の定量の重賞競走「帝室御賞典(秋)」として創設。
  • 1938年 - 施行距離を芝3200mに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。
  • 1944年 - 太平洋戦争の影響で施行中止。
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で施行中止。
  • 1946年 - 施行せず。
  • 1947年 - 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(秋)」に変更。
  • 1950年
    • 2位入線のエゾテツザンが進路妨害により失格。
    • 保田隆芳騎手として史上初の連覇。
  • 1951年 - 保田隆芳騎手として史上初の3連覇。
  • 1953年 - 日本テレビによってテレビ中継され、民放としては日本初の競馬のテレビ中継となった。
  • 1954年 - オパールオーキツト外国産馬として史上初の制覇。
  • 1957年 - 保田隆芳騎手として2度目の連覇。
  • 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1967年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200mで施行。
  • 1971年 - 活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
  • 1973年 - 1番人気ハクホオショウがスタート直後に競走中止。
  • 1978年 - テンメイが優勝し、母:トウメイ(1971年優勝馬)に次ぐ初の母子制覇。
  • 1981年 - 勝ち抜け制度(春の天皇賞の歴史の項を参照)を廃止。
  • 1984年
    • グレード制施行によりGIに格付け。
    • 施行距離を芝2000mに変更。
  • 1987年
    • 出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更。
    • 天皇賞競走施行50周年記念の副称が当年のみ付く。
  • 1988年 - タマモクロスが当年春制覇と合わせて史上初の天皇賞連覇・天皇賞2勝目。
  • 1991年 - 1位入線のメジロマックイーンが進路妨害により18着に降着。
  • 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開かれる。
  • 1998年 - 圧倒的1番人気のサイレンススズカが第4コーナー手前で故障、競走中止。
  • 1999年 - スペシャルウィークが当年春制覇と合わせて3頭目の天皇賞連覇(同一年では2頭目)・5頭目の天皇賞2勝目。
  • 2000年
    • 外国産馬の出走枠を2頭(条件付4頭)設ける。
    • 秋の古馬GI報奨金制度の第1戦に指定。
    • テイエムオペラオーが当年春制覇と合わせて4頭目の天皇賞連覇(同一年では3頭目)・6頭目の天皇賞2勝目。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上牡馬・牝馬」に変更。
    • アグネスデジタルが外国産馬出走解禁後初の制覇。
  • 2002年 - 東京競馬場の馬場改修工事により中山競馬場の芝2000mで施行。
  • 2003年
    • シンボリクリスエスが史上初の秋連覇。7頭目の天皇賞2勝目を挙げ、中山、東京の両方の開催地で制覇。
    • オリビエ・ペリエが外国人騎手として史上初の秋の天皇賞を制覇。
  • 2004年
    • 日本中央競馬会創立50周年記念の副称が当年のみ付く。
    • 外国産馬の出走枠を5頭に拡大。
    • 藤沢和雄調教師として史上初の3連覇。
    • オリビエ・ペリエが外国人騎手として初、日本人騎手を含めて2人目となる秋連覇。
    • 史上初の天覧競馬となる予定だったが、直前に発生した新潟県中越地震への影響を鑑み今上天皇および皇后美智子の臨席を取り止め。
  • 2005年
    • エンペラーズカップ100年記念の副称が当年のみ付く。
    • 国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。
    • 外国産馬の出走枠制限を撤廃。
    • 今上天皇・皇后美智子が臨席、106年ぶりの天覧競馬。
  • 2006年 - 悠仁親王殿下御誕生慶祝の副称が当年のみ付く。
  • 2007年
    • 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠を9頭に拡大。
    • メイショウサムソンが当年春制覇と合わせて5頭目の天皇賞連覇(同一年では4頭目)・8頭目の天皇賞2勝目。
    • 8位入線のエイシンデピュティが進路妨害により14着に降着。
  • 2008年
    • 出走条件を「3歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上」に変更(騸馬の出走が可能になる)。
    • ウオッカが1:57.2のコースレコードで優勝。さらに2着にダイワスカーレットが入り、50年ぶり4度目の牝馬による1・2着。
    • 武豊が騎手として3人目の連覇。
  • 2009年

歴代優勝馬

国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数施行日調教国・優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1937年12月3日ハツピーマイト牡32:48 1/5新井朋次郎秋山辰治竹中久蔵
第3回1938年11月3日ヒサトモ牝43:35 2/5中島時一宮崎信太郎
第5回1939年11月3日テツモン牡43:24 4/5保田隆芳尾形景造松山隆郎
第7回1940年11月17日ロツキーモアー牡43:27 1/5小西喜蔵田中和一郎真藤慎太郎
第9回1941年11月2日エステイツ牡43:24 3/5田中康三尾形景造川内安忠
第11回1942年11月1日ニパトア牝43:34 4/5新屋幸吉清水茂次山本文吾
第13回1943年11月7日クリヒカリ牡43:26 3/5小西喜蔵田中和一郎栗林友二
第16回1947年10月17日トヨウメ牡43:44 2/5小林善衛鈴木信太郎中村正行
第18回1948年11月23日カツフジ牡53:30 0/5近藤武夫伊藤勝吉伊藤由五郎
第20回1949年11月3日ニユーフオード牡43:25 1/5保田隆芳小川佐助吉木三郎
第22回1950年11月3日ヤシマドオター牝43:28 0/5保田隆芳尾形藤吉小林庄平
第24回1951年11月11日ハタカゼ牡43:24 0/5保田隆芳尾形藤吉癸生川善松
第26回1952年11月16日トラツクオー牡43:24 4/5小林稔久保田金造岩本政一
第28回1953年11月15日クインナルビー牝43:23 0/5境勝太郎石門虎吉高橋虎男
第30回1954年11月21日オパールオーキツト牝43:33 2/5中村広稲葉幸夫三坂成行
第32回1955年11月20日ダイナナホウシユウ牡43:24 4/5上田三千夫上田武司上田清次郎
第34回1956年11月25日ミツドフアーム牡53:22 3/5保田隆芳尾形藤吉草柳留三
第36回1957年11月23日ハクチカラ牡43:29 3/5保田隆芳尾形藤吉西博
第38回1958年11月23日セルローズ牝43:24 4/5石毛善衛柴田恒治郎戸谷佐治
第40回1959年11月23日ガーネツト牝43:24.5伊藤竹男稗田敏男畑江五郎
第42回1960年11月23日オーテモン牡53:27.1野平好男田中和夫永田雅一
第44回1961年11月23日タカマガハラ牡43.25.8加賀武見小西喜蔵平井太郎
第46回1962年11月23日クリヒデ牝43:27.4森安弘明大久保房松栗林友二
第48回1963年11月23日リユウフオーレル牡43:22.7宮本悳橋本正晴三好笑子
第50回1964年11月23日ヤマトキヨウダイ牡43:21.7梶与四松稲葉幸夫門井みち
第52回1965年11月23日シンザン牡43:22.7栗田勝武田文吾橋元幸吉
第54回1966年11月3日コレヒデ牡43:24.2保田隆芳尾形藤吉千明康
第56回1967年11月23日カブトシロー牡53:25.5久保田秀次郎久保田彦之(有)志賀
第58回1968年11月23日ニットエイト牡43:20.3森安弘明矢倉玉男太田和芳郎
第60回1969年11月30日メジロタイヨウ牡53:33.0横山富雄八木沢勝美北野豊吉
第62回1970年11月29日メジロアサマ牡43:24.8池上昌弘保田隆芳北野豊吉
第64回1971年11月28日トウメイ牝53:23.7清水英次坂田正行近藤克夫
第66回1972年11月26日ヤマニンウエーブ牡53:23.7福永洋一中村覚之助土井宏二
第68回1973年11月25日タニノチカラ牡43:22.7田島日出雄島崎宏谷水雄三
第70回1974年11月24日カミノテシオ牡43:22.4加賀武見高橋英夫保手浜正康
第72回1975年11月23日フジノパーシア牡43:28.8大崎昭一柴田寛真田繁次、高橋金次
第74回1976年11月28日アイフル牡53:20.6嶋田功仲住芳雄藤本義昭
第76回1977年11月27日ホクトボーイ牡43:22.5久保敏文久保道雄森滋
第78回1978年11月26日テンメイ牡43:21.4清水英次坂田正行近藤克夫
第80回1979年11月25日スリージャイアンツ牡43:33.5郷原洋行境勝太郎松岡正雄 他2名
第82回1980年11月23日プリテイキャスト牝53:28.1柴田政人石栗龍雄高田久成
第84回1981年10月25日ホウヨウボーイ牡63:18.9加藤和宏二本柳俊夫古川嘉治
第86回1982年10月31日メジロティターン牡43:17.9伊藤正徳尾形盛次メジロ商事(株)
第88回1983年10月30日キョウエイプロミス牡63:22.7柴田政人高松邦男松岡正雄
第90回1984年10月28日ミスターシービー牡41:59.3吉永正人松山康久(株)丸沼温泉ホテル
第92回1985年10月27日ギャロップダイナ牡51:58.7根本康広矢野進(有)社台レースホース
第94回1986年10月26日サクラユタカオー牡41:58.3小島太境勝太郎(株)さくらコマース
第96回1987年11月1日ニッポーテイオー牡41:59.7郷原洋行久保田金造山石祐一
第98回1988年10月30日タマモクロス牡41:58.8南井克巳小原伊佐美タマモ(株)
第100回1989年10月29日スーパークリーク牡51:59.1武豊伊藤修司木倉誠
第102回1990年10月28日ヤエノムテキ牡51:58.2岡部幸雄荻野光男(有)富士
第104回1991年10月27日プレクラスニー牡42:03.9江田照男矢野照正田島栄二郎
第106回1992年11月1日レッツゴーターキン牡51:58.6大崎昭一橋口弘次郎(株)日本ダイナースクラブ
第108回1993年10月31日ヤマニンゼファー牡51:58.9柴田善臣栗田博憲土井肇
第110回1994年10月30日ネーハイシーザー牡41:58.6塩村克己布施正(株)大丸企業
第112回1995年10月29日サクラチトセオー牡51:58.8小島太境勝太郎(株)さくらコマース
第114回1996年10月27日バブルガムフェロー牡31:58.7蛯名正義藤沢和雄(有)社台レースホース
第116回1997年10月26日エアグルーヴ牝41:59.0武豊伊藤雄二(株)ラッキーフィールド
第118回1998年11月1日オフサイドトラップ牡71:59.3柴田善臣加藤修甫渡邊隆
第120回1999年10月31日スペシャルウィーク牡41:58.0武豊白井寿昭臼田浩義
第122回2000年10月29日テイエムオペラオー牡41:59.9和田竜二岩元市三竹園正繼
第124回2001年10月28日アグネスデジタル牡42:02.0四位洋文白井寿昭渡辺孝男
第126回2002年10月27日シンボリクリスエス牡31:58.5岡部幸雄藤沢和雄シンボリ牧場
第128回2003年11月2日シンボリクリスエス牡41:58.0O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場
第130回2004年10月31日ゼンノロブロイ牡41:58.9O.ペリエ藤沢和雄大迫忍
第132回2005年10月30日画像:Flag of Japan (bordered).svgヘヴンリーロマンス牝52:00.1松永幹夫山本正司(有)ノースヒルズマネジメント
第134回2006年10月29日画像:Flag of Japan (bordered).svgダイワメジャー牡51:58.8安藤勝己上原博之大城敬三
第136回2007年10月28日画像:Flag of Japan (bordered).svgメイショウサムソン牡41:58.4武豊高橋成忠松本好雄
第138回2008年11月2日画像:Flag of Japan (bordered).svgウオッカ牝41:57.2武豊角居勝彦谷水雄三
第140回2009年11月1日画像:Flag of Japan (bordered).svgカンパニー牡81:57.2横山典弘音無秀孝近藤英子

※第104回はメジロマックイーンが1位で入線したがスタート直後に斜行、最下位(18位)入線のプレジデントシチーの進路を妨害したとして審議の結果、最下位(18着)に降着処分、2位に入線したプレクラスニーが繰り上がりで1着優勝となった(参考:メジロマックイーンの走破時計 2:02.9)。

天皇賞の記録

本項において「連覇」とは、「春→秋」または「秋→春」と連勝する事を指す。

  • 天皇賞(春)
    • 勝馬投票券最高売上げ - 453億1664万8800円(第115回優勝馬マヤノトップガン) 
    • レースレコード - 3:13.4(第133回優勝馬ディープインパクト)
    • 2着との最大着差 - 大差(17馬身・第57回優勝馬ヒカルタカイ)
    • 単勝最高支持率 - 75.3%(第133回ディープインパクト・単勝1.1倍)
  • 天皇賞(秋)芝2000m変更後
    • レースレコード - 1:57.2(第138回優勝馬ウオッカ)<ref>東京芝2000mのコースレコードでもある。レースでは4着までの馬が同タイムで入線している。他3頭はダイワスカーレットディープスカイカンパニー。</ref>
    • 2着との最大着差 - 5馬身(第96回優勝馬ニッポーテイオー)
    • 最高齢勝利 - 8歳(第140回優勝馬カンパニー)
  • 春秋通算
    • 最多勝騎手 - 11勝 武豊(春6勝:第99~105回 4連覇、第119、133回 秋5勝:第100、116、120、136、138回)
    • 最多勝調教師 - 11勝 尾形藤吉(春4勝:第29、41、47、53回 秋7勝:第5、9、22、24、34、36、54回)

天皇賞の(春・秋)連覇

競走馬

勝ち抜け制度が廃止された1981年以降に5頭が春・秋両競走の制覇をしている。またテイエムオペラオーは春・秋・春と天皇賞3連覇を成し遂げた。

馬名性齢優勝回
1タマモクロス牡4春・第97回
秋・第98回
2スーパークリーク牡4
牡5
秋・第100回
春・第101回
3スペシャルウィーク牡4春・第119回
秋・第120回
4テイエムオペラオー牡4春・第121回
秋・第122回
牡5春・第123回
5メイショウサムソン牡4春・第135回
秋・第136回

騎手

創設年から6人、7例の天皇賞(春・秋)連覇があり、武豊・和田竜二は春・秋・春の3連覇を成し遂げている。

名前騎乗馬優勝回
1保田隆芳ハクズイコウ
コレヒデ
春・第53回
秋・第54回
2郷原洋行カシュウチカラ
スリージャイアンツ
春・第79回
秋・第80回
3吉永正人モンテファスト
ミスターシービー
春・第89回
秋・第90回
4南井克巳タマモクロス春・第97回
秋・第98回
5武豊イナリワン春・第99回
スーパークリーク秋・第100回
春・第101回
6武豊スペシャルウィーク春・第119回
秋・第120回
7和田竜二テイエムオペラオー春・第121回
秋・第122回
春・第123回

調教師

創設年から8人、9例の天皇賞(春・秋)連覇があり、岩元市三は春・秋・春の3連覇を成し遂げている。

名前管理優勝馬優勝回
1田中和一郎トキノチカラ
ロツキーモアー
春・第6回
秋・第7回
2グランドライト
クリヒカリ
春・第12回
秋・第13回
3尾形藤吉ハクズイコウ
コレヒデ
春・第53回
秋・第54回
4小原伊佐美タマモクロス春・第97回
秋・第98回
5伊藤修司スーパークリーク秋・第100回
春・第101回
6境勝太郎サクラチトセオー
サクラローレル
秋・第112回
春・第113回
7白井寿昭スペシャルウィーク春・第119回
秋・第120回
8岩元市三テイエムオペラオー春・第121回
秋・第122回
春・第123回
9高橋成忠メイショウサムソン春・第135回
秋・第136回

連覇ではないが複数回優勝した競走馬

馬名性齢優勝回
1メジロマックイーン牡4春・第103回
牡5春・第105回
2ライスシャワー牡4春・第107回
牡6春・第111回
3シンボリクリスエス牡3秋・第126回
牡4秋・第128回

父仔制覇

過去に5組の父仔制覇の例があり、メジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーンは親仔三代天皇賞制覇をしている。

父馬名優勝回仔馬名優勝回
1組目シーマー春・第17回タカオー春・第31回
2組目シーマー春・第17回ダイナナホウシユウ秋・第32回
3組目メジロアサマ秋・第62回メジロティターン秋・第86回
4組目シンザン秋・第52回ミホシンザン春・第95回
5組目メジロティターン秋・第86回メジロマックイーン春・第103回
春・第105回

母仔制覇

過去にトウメイ・テンメイのみが母仔天皇賞制覇を達成している。

母馬名優勝回仔馬名優勝回
1組目トウメイ秋・第64回テンメイ秋・第78回

兄弟制覇

過去に4組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。

兄馬名優勝回弟馬名優勝回母馬名
1組目クリペロ春・第41回クリヒデ秋・第46回ケンタツキー
2組目コレヒサ春・第47回コレヒデ秋・第54回コリオプシス
3組目フジノパーシア秋・第72回スリージャイアンツ秋・第80回チエクイン
4組目モンテプリンス春・第85回モンテファスト春・第89回モンテオーカン

脚注

<references />

関連項目

天皇賞(春)

天皇賞(秋)

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