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大林宣彦
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{{ActorActress | 芸名 = 大林 宣彦 | ふりがな = おおばやし のぶひこ | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名 = | 出生地 = {{JPN}}・[[岡山県]][[岡山市]] | 死没地 = | 国籍 = {{JPN}} | 民族 = | 血液型 = B型 | 生年 = 1938 | 生月 = 1 | 生日 = 9 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = | ジャンル = [[映画監督]] | 活動期間 = | 活動内容 = | 配偶者 = | 家族 = | 公式サイト = | 主な作品 = [[転校生]] [[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]] [[さびしんぼう]] [[ふたり]] [[異人たちとの夏]] [[なごり雪]] [[理由]] [[その日のまえに]] | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | 備考 = }} '''大林 宣彦'''(おおばやし のぶひこ、[[1938年]][[1月9日]] - )は、日本の[[映画監督]]。撮影所システムで育った「映画監督」ではないとの理由から<ref>[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/091103/tnr0911030956008-n1.htm 産経ニュース【秋の叙勲】旭日小綬章 映画作家・大林宣彦さん(71) 孤独でも誰か見ている 2009.11.3 09:55]</ref>、本人は「映画作家」と称している。[[広島県]][[尾道市]]東土堂町生まれ<ref>大林の最新の著作・『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』他、『日本映画・テレビ監督全集』『日本の映画人 ―日本映画の創造者たち―』等の人名録など、全ての映画関係の出版物には、大林は尾道生まれと記載されている。</ref>。[[岡山県]][[岡山市]]生まれ<ref>「尾道出身」として有名だが、講演会等で大林自らが述べているところによれば、出生時には父親が[[岡山医科大学 (旧制)|岡山医科大学]](現在の[[岡山大学]][[医学部]])に勤務していたため、生誕地は岡山市内である。</ref>。[[広島県立尾道北高等学校|尾道北高校]]卒業、[[成城大学]]文芸学部中退。[[2006年]](平成18年)4月から[[尚美学園大学]]大学院芸術情報研究科教授。[[2007年]](平成19年)4月から[[倉敷芸術科学大学]]芸術学部メディア映像学科客員教授。 妻は[[映画プロデューサー]]の[[大林恭子]]。長女の[[大林千茱萸]](ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加している。劇作家・演出家の[[平田オリザ|平田オリザ]]は甥にあたる。 [[自主映画|自主製作映画]]の先駆者として、[[コマーシャルメッセージ|CM]][[ディレクター]]として、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"<!--<ref name="takarajima">「[[宝島 (雑誌)|宝島]]」1986年9月号([[宝島社]])P108-115</ref>-->。 == 来歴 == 父方は尾道で六代、母方も代々続く医家の長男として生まれる<ref name="takarajima">「[[宝島 (雑誌)|宝島]]」1986年9月号([[宝島社]])P108-115</ref>。父は[[福山市]]金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は[[茶道]][[裏千家]]の教授。 1歳のとき父が軍医として南方に出征したため、母方の実家、尾道の山の手で幼年期を過ごす<ref name="atarasiieiga">[[田山力哉]]著『新しい映画づくりの旗手たち』([[ダヴィッド社]]、1980年)、P198-213</ref>。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳でフィルムに絵を刻んでアニメーションを作った(このとき作った『マヌケ先生』をもとにして後に[[三浦友和]]主演でテレビドラマ、映画が制作された)<ref name="takarajima"/>。15歳のときに、[[小津安二郎]]が『[[東京物語]]』を撮影する現場を見学。16歳の夏休みに[[福永武彦]]『草の花』を読み、感銘を受ける。いつか[[フレデリック・ショパン|ショパン]]のピアノ曲のような映画を作りたいと思い、それは30年後に『[[さびしんぼう_(映画)|さびしんぼう]]』で実現する。高校時代は[[手塚治虫]]に憧れて漫画を描いたほか、ピアノを弾き、演劇活動をやり、同人誌を主宰して小説を書くなど、映画以外にも多彩な分野に芸術的関心を示した。 [[1955年]]、上京して[[慶應義塾大学]][[医学部]]を受けるも、受験を途中で放棄して「医者になるつもりはありません」「ぼく映画を作るよ」と父に告げ、浪人生活を経て、[[1956年]]に成城大学文芸学部芸術コース映画科に入学。在学中から[[8ミリ映画|8mm]]で作品を発表。[[自主映画|自主製作映画]]の先駆者として、早くから名前を知られた。当時、8ミリで(趣味ではなく)映画を作ろうと考えていた人は、大林と京都に住んでいた[[高林陽一]]と飯村隆彦の三人しか日本にいなかったという<ref name="terebikoma-sixyaru">[[山田奨治]]編者『文化としてのテレビ・コマーシャル』([[世界思想社]]、2007年)、P282-293</ref>。最初に手掛けたのは[[商店街]]のPR映画で、当時はどんな小さな商店街にも映画館があり、映画が上映される前に3~5分ぐらいのお店紹介の映画が流れた<ref name="terebikoma-sixyaru"/>。[[1960年]]に大学を中退。[[1963年]]に初の16mm作品『喰べた人』で[[ベルギー]]国際実験映画祭で審査員特別賞受賞。『尾道』、『中山道』、『食べた人』、『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』、『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』などが[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]ブームに乗って反響を呼ぶ。 [[1964年]]に開館した[[新宿区|新宿]][[紀伊國屋ホール]]の開館イベントとして「60秒フィルムフェスティバル」を企画<ref name="terebikoma-sixyaru"/>。このイベントで上映された『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』をたまたま観ていた[[電通]]のプロデューサーに誘われ、[[1960年代]]からは草創期のテレビ[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]](CM)にCMディレクターとして本格的に関わる<ref name="takarajima"/><ref name="atarasiieiga"/>当時まだまだCMは"おトイレタイム"といわれ、電通のプロデューサーと傾きかけた映画界の[[カメラマン]]とが組んでCMを撮っていた。実際は先のイベントに参加した仲間も誘いを受けたが、承諾したのは大林一人だったという。まだ[[広告]]は[[アート]]でなかった時代、電通もまだ大きくはなく、[[スポンサー]]のところに行くと出入りの写真屋さんの扱いだったという。こんなことでは未来がない、と考えた電通らが、CMに[[演出家]]をつけてみたらどうだろう、演出家ならスポンサーと対等に物が言える、と抜擢されたのが大林のCMディレクターとしてのスタート<ref name="atarasiieiga"/>。映画監督でもない、[[デザイナー]]でもない、全く新しい職業だった。[[テレビ]]の普及で企業が広告費をどんどん計上し始めた時代でもあり、[[特撮]]もどんどんでき自由に撮らせてもらえた。大林にとってCMはスポンサーつきの個人映画、映像実験室ともいえ、非常に楽しいものだったという<ref name="takarajima"/>。大林の手がけたCMは、あまりのヒットに社名を変更した[[チャールズ・ブロンソン]]の「[[マンダム]]」、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「[[ホンダ・ロードパル]]」の[[ソフィア・ローレン]]、「[[カネカ]]・[[フォンテーヌ (カツラメーカー)|フォンテーヌ]]」「[[ユニリーバ・ジャパン|ラックス化粧品]]」の[[カトリーヌ・ドヌーヴ]]、「[[レナウン (企業)|レナウン]]・シンプルライフ」の[[リンゴ・スター]]などの起用で、今日に続く海外スター起用のCMの先駆けとなった<ref name="atarasiieiga"/>。また、[[高沢順子]]の「お魚になったわたし」、[[山口百恵]]・[[三浦友和]]コンビの「[[江崎グリコ|グリコ]][[チョコレート|アーモンドチョコレート]]」、[[高峰三枝子]]・[[上原謙]]の「[[日本国有鉄道|国鉄]]フルムーン」、[[森繁久弥]]の「[[新幹線|国鉄新幹線]]」、[[若尾文子]]の「[[ナショナル]][[浄水器]]」、「[[レナウン (企業)|レナウン]]・[[ワンサカ娘]]」、「[[カルピス]]」など<ref name="atarasiieiga"/><ref>[[湯川れい子]]著『熱狂の仕掛け人』([[小学館]]、2003年)P208</ref>、10年間で製作したテレビCMは2000本を越え<ref name="terebikoma-sixyaru"/>、国際CM賞も受賞<!--<ref name="takarajima"/>-->、テレビCMを新しい映像表現として確立したとされる。当時は[[Made in Japan|メイド・イン・ジャパン]]は粗悪品の代表と言われた時代、自分で試してみて、責任を持って勧められるものだけを担当したいと、[[毛染め]]のCMをやるのにその商品を使って[[茶髪]]になった。「日本で最初に茶髪にしたのは私」と述べている<ref name="terebikoma-sixyaru"/>。また、自身も[[九州電力]]のCMに出演したことがある。同じくCM作家でもあり、映画評論家でもある[[石上三登志]]とは盟友関係となり、石上はその後の大林映画に多数ゲスト出演している。 [[1977年]]の『[[ハウス_(映画)|HOUSE]]』で、商業映画を初監督。7人の少女が生き物のような"家"に食べられてしまうという[[ホラー映画|ホラー]]・[[ファンタジー映画|ファンタジー]]を、ソフト・フォーカスを用いた[[コマーシャルフィルム|CF]]的映像、実写と[[アニメ]]の合成など、さまざまな[[特撮]]を使って見せる華麗でポップな映像世界は世の映画少年を熱狂させた。その影響で映画への道を目指した人材も少なくない<ref>『ぴあシネマクラブ 日本映画編』([[ぴあ]])P459</ref><ref>『大特撮―日本特撮映画史―』(コロッサス)P150-151、P280-281</ref><ref>『日本映画・テレビ監督全集』([[キネマ旬報]]社)P71-72</ref>。個人的好悪が分かれる映画ではあるが、子供向けでなく初めて若者に向けた特撮映画としても特筆される<ref>『大特撮―日本特撮映画史―』P150-151、P280-281</ref>。[[1990年代]]に流行した「[[ホラー映画#ジャパニーズホラー|美少女ホラー]]」と直接的には[[リンク]]しないとはいえ、先取りはしていたといえよう<ref>『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p185</ref>。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出した(この流れから自主映画出身者として[[大森一樹]]、[[森田芳光]]、CM出身者として[[市川準]]らが出た)。大林が35ミリ劇場用映画に進出したことで、日本映画界は大きく活性化したといえる<ref>『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社)P71-72</ref>。他に先達として自主映画仲間の[[高林陽一]]らが存在するものの、自己プロダクション+[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]という経路であり、いきなりメジャーの[[東宝|東宝映画]]でデビューというのは当時画期的であった。CMの仕事で東宝撮影所に出入りしていたこともあって<ref name="atarasiieiga"/>、メディアを巧みに動員した大林自身の自己プロモートに加え、当時副社長(のち社長、会長)の[[松岡功 (実業家)|松岡功]]と、東宝撮影所のボス的立場にあったベテラン[[岡本喜八]]監督の口添えが大きかったといわれる<ref name="terebikoma-sixyaru"/>。大林は「『ハウス』映画化を実験するキャンペーン」と銘打って、CM製作で付き合いのあったテレビやラジオに自身を売り込み、積極的にテレビ出演やインタビューに応じるタレント活動のような事をやった。これが功を奏して名前も売れて話題となり、東宝も企画を進めざるを得なくなった<ref name="atarasiieiga"/>。『[[ハウス_(映画)|HOUSE]]』が[[山口百恵]]主演の『[[泥だらけの純情 (1977年の映画)|泥だらけの純情]]』との併映でヒットしたため、[[ホリプロ]]から[[片平なぎさ]]で「[[ブラック・ジャック]]」を撮ってくれないかと打診を受け、二作目『[[ブラック・ジャック (実写版)|ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者]]』を監督<ref name="atarasiieiga"/>。本作で[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]新人賞受賞。 この映画は興行的には失敗したが、続いて[[山口百恵|百恵]]、[[三浦友和|友和]]ものの第10作目『[[ふりむけば愛]]』(1978年)を監督。 [[1982年]]、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『[[転校生 (映画)|転校生]]』を発表。『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』、『[[さびしんぼう (映画)|さびしんぼう]]』と合わせ"'''[[#尾道三部作|尾道三部作]]'''"として多くの熱狂的な支持を集め、[[ロケ地巡り]]のファンを増やした<ref>[http://fotopus.com/naviblog/ohbayashi/cat14/ 大林 宣彦の写真ブログ 雨撮晴記(うさつせいき)|2007年6月14日]</ref>。これらは、才気が奔出するあまりに一部評論家からは「お子様ランチ」「おもちゃ箱」と酷評されることもあった初期作品に比べると、落ち着きと詩情を湛えて評価も高く、映画作家としてひとつの頂点を築くこととなった。また、これらの映画作りには、地元尾道を中心とした多くの賛同者の協力があり、近年全国的に拡がる[[フィルム・コミッション]]の先駆としても評価されている。 近年は一時期ほど作品を発表しなくなった一方で、[[吉永小百合]]を主演に起用して大作を撮るなど、アイドル映画に留まらない活躍ぶりを見せている。 大林はストーリーをあくまで原作に忠実に撮影するタイプの監督であると言われ、原作との差異で監督と原作者の軋轢が起こるケースも少なくないなかで、[[赤川次郎]]は自らの作品が映画化された際に原作に忠実であったので驚いたと発言している。また女優を脱がす名人とも言われ、女優原田貴和子、子ども時代の宮崎あおいなどを演出している。 独特の語り口でも知られ、近年は講演活動やコメンテーターとしてのテレビ出演、雑誌インタビューなども多い。 {{和暦|2004}}春の[[褒章]]に於いて[[紫綬褒章]]を受章しており、そして{{和暦|2009}}秋の[[叙勲]]で[[旭日小綬章]]を受章した。受章理由は「長年にわたる実験的で独自の映画作りに」と伝えられたという<ref>[[産経新聞]]2009年11月3日23面</ref>。 == 主な監督作品 == === 映画 === * EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ([[1967年]]3月8日公開) * [[ハウス_(映画)|HOUSE ハウス]]([[1977年]]7月30日公開 [[東宝]]) - 兼製作 * [[ブラック・ジャック (実写版)|瞳の中の訪問者]](1977年11月26日公開 [[ホリプロ]]/東宝) - 兼出演 * [[ふりむけば愛]]([[1978年]]7月22日公開 東宝) * [[金田一耕助の冒険]]([[1979年]]7月14日公開 [[東映]]) * [[ねらわれた学園 (映画)|ねらわれた学園]]([[1981年]]7月11日 東宝) * [[転校生 (映画)|転校生]]([[1982年]]4月17日公開 [[松竹]]) * [[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]([[1983年]]7月16日公開 東映) - 兼脚本/編集 * 廃市([[1984年]]1月2日公開 [[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]) - 兼プロデューサー/企画/編集/作曲 * [[少年ケニヤ]](1984年3月10日公開) - 兼編集 * [[天国にいちばん近い島]](1984年12月15日公開 東映) - 兼潤色/編集 * [[さびしんぼう (映画)|さびしんぼう]]([[1985年]]4月13日公開 東宝) - 兼脚本/編集 * [[姉妹坂]](1985年12月21日公開 東宝) * [[彼のオートバイ、彼女の島]]([[1986年]]4月26日公開 東宝) - 兼編集 * [[四月の魚]](1986年5月31日公開 [[ジョイパックフィルム]]) - 兼企画/脚本/編集 * 野ゆき山ゆき海べゆき(1986年10月4日公開 ATG) - 兼編集/音楽 * [[漂流教室]]([[1987年]]7月11日公開 [[東宝東和]]) - 兼潤色 * 日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群([[1988年]]3月29日公開 アートリンクス) - 兼脚本/編集 * [[異人たちとの夏]](1988年9月15日 松竹) * 北京的西瓜([[1989年]]11月18日公開 松竹) - 兼編集 * [[ふたり]]([[1991年]]5月11日公開 松竹) - 兼編集 * 私の心はパパのもの([[1992年]]6月13日公開 [[東北新社]]/ギャラクシーワン) - 兼編集 * 彼女が結婚しない理由(1992年6月13日公開 東北新社/ギャラクシーワン) - 兼編集 * [[青春デンデケデケデケ]](1992年10月31日公開 東映) - 兼編集 ** 第16回日本アカデミー賞優秀監督賞 * はるか、ノスタルジィ([[1993年]]2月20日公開) - 兼脚本/編集 ** 第17回日本アカデミー賞優秀編集賞 * [[水の旅人 侍KIDS|水の旅人 -侍KIDS-]](1993年7月17日公開 東宝) - 兼編集 ** 第17回日本アカデミー賞優秀編集賞 * 女ざかり([[1994年]]6月18日公開 松竹) - 兼脚本/編集 * [[あした (映画)|あした]]([[1995年]]9月23日公開) - 兼編集 * [[三毛猫ホームズの推理]]<ディレクターズカット>([[1998年]]2月14日公開 PSC<!--[[PSC]]★曖昧回避にLinkせず該当項目に直接Linkを-->、[[ザナドゥー (企業)|ザナドゥー]]) - 兼編集 * [[SADA〜戯作・阿部定の生涯]](1998年4月11日公開 松竹) ** 第48回[[ベルリン国際映画祭]]国際批評家連盟賞 * 風の歌が聴きたい(1998年7月17日公開 ザナドゥー) - 兼脚本/編集 * 麗猫伝説 劇場版(1998年8月16日公開 PSC) - 兼編集/作曲 * [[あの、夏の日|あの、夏の日 ~とんでろ じいちゃん~]]([[1999年]]7月3日公開 東映) - 兼脚本 * マヌケ先生([[2000年]]9月30日公開 PSC) - 兼原作/脚本 * [[淀川長治]]物語・神戸篇 サイナラ(2000年9月30日公開 PSC) * [[告別]]([[2001年]]7月14日公開) * [[なごり雪 (映画)|なごり雪]]([[2002年]]9月28日公開 [[大映]]) - 兼脚本/編集 * [[理由 (小説)|理由]]([[2004年]]12月18日公開 [[アスミック・エース]]) - 兼脚本 * [[転校生 -さよなら あなた-]]([[2007年]]6月23日公開 [[角川映画]]) - 兼脚本/潤色/編集/撮影台本 * [[22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語]](2007年 角川映画) - 兼脚本 * [[その日のまえに]]([[2008年]]11月1日公開 角川映画) - 兼撮影台本 === テレビドラマ === * [[人はそれをスキャンダルという]] 第1回(1979年11月21日放送 [[TBSテレビ|TBS]]) * 可愛い悪魔(1982年8月10日放送 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『火曜サスペンス劇場』) * 麗猫伝説(1983年8月30日放送 日本テレビ『火曜サスペンス劇場』) * 私の心はパパのもの(1988年11月30日放送 日本テレビ『水曜グランドロマン』) * [[ふたり]](1990年11月9日・16日放送 NHK『子どもパビリオン』) * 彼女が結婚しない理由([[1990年]]12月26日放送 日本テレビ『水曜グランドロマン』) * はるか、ノスタルジィ(1992年10月25日放送 WOWOW) * [[三毛猫ホームズの推理]]([[1996年]]9月放送 [[テレビ朝日]]) * マヌケ先生(1998年1月24日 中国放送/TBS) - 原作・総監督 * [[三毛猫ホームズの黄昏ホテル]](1998年2月21日放送 テレビ朝日) - 兼脚本 * 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ(1999年11月7日放送 テレビ朝日『日曜洋画劇場』) * 告別(2001年2月24日放送 BS-i) - 兼脚本 * 理由(2004年4月29日放送 WOWOW『ドラマW』) * 理由(日テレヴァージョン)([[2005年]]11月8日放送 日本テレビ『DRAMA COMPLEX』) == その他の主な作品 == * すばらしい蒸気機関車(1970年10月10日公開 [[高林陽一]]監督) - 音楽 * 最後の蒸気機関車(1975年1月11日公開 高林陽一監督) - 音楽 * [[本陣殺人事件]](1975年9月27日公開 高林陽一監督) - 音楽 * 新・[[木枯し紋次郎]](1977年10月5日~1978年3月29日放送 [[テレビ東京|東京12チャンネル]]) - タイトル * 親子ねずみの不思議な旅(1978年3月11日公開 [[フレッド・ウォルフ]]/[[チャールズ・スウェンソン]]監督、[[日本ヘラルド映画]]) - 歌詞 * [[ホワイト・ラブ]](1979年8月4日公開 [[小谷承靖]]監督、東宝) - 出演 * MOMENT(1981年4月4日公開 [[手塚真]]監督) - 出演 * 俗物図鑑(1982年11月8日公開 [[内藤誠]]監督) - 出演 * [[アイコ十六歳]](1983年12月17日公開 [[今関あきよし]]監督 [[日本ヘラルド映画|日本ヘラルド]]) - 製作総指揮 * 乙女物語 お嬢様危機イッパツ!(1990年12月8日公開 [[内藤忠司]]監督 [[バンダイ]]) - 出演 * MAKING OF DREAMS [[夢 (映画)|夢]] [[黒澤明]]・大林宣彦映画的対話(1990年) - 演出・インタビュー聞き手 * 金なら返せん!(1994年12月9日放送) - 出演 * [[タイム・リープ]](1997年6月7日公開 [[今関あきよし]]監督) - 監修 * [[セイキロスさんとわたし]](2006年2月22日公開 [[糸曽賢志]]・[[亀渕裕]]監督) - プロデューサー == 尾道三部作 == 大林宣彦が、出身地尾道を[[舞台]]に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が同じく3つ造られたため、これを「新尾道三部作」と称すこともある。 * 尾道三部作 ** [[転校生 (映画)|転校生]](1982年) ** [[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]](1983年) ** [[さびしんぼう (映画)|さびしんぼう]](1985年) * 新尾道三部作 ** [[ふたり]](1991年) ** [[あした (映画)|あした]](1995年) ** [[あの、夏の日]](1999年) == 音楽作品 == * [[坂上香織]]『香織の、―わたし ものがたり。』(監督作品 VHS/LD 1988年9月、[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]より発売) : 坂上のイメージビデオ(いわゆる[[ミュージッククリップ]])。 : 坂上のデビュー曲でこの作品に収録された「[[レースのカーディガン]]」[[ミュージック・ビデオ|PV]]撮影において、尾道三部作で使用されたロケ地を随所に織り交ぜて撮影し、「大林宣彦ワンダーワールド作品」と銘打って発売された、ミュージック関連の映像としては当時異色の作品。坂上が一人三役を演じ、合成演出を施した幻想的でメランコリーな雰囲気だが、非常に美しい仕上がりの作品である。 == テレビ版から劇場版 == 大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。</br> 『理由』はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。 * 麗猫伝説 (1983年8月30日放送 日本テレビ) : → 劇場公開 1998年8月16日 * 私の心はパパのもの (1988年11月30日放送 日本テレビ) : → 劇場公開 1992年6月13日 * ふたり (1990年11月9日・16日放送 NHK) : → 劇場公開 1991年5月11日 * 彼女が結婚しない理由 (1990年12月26日放送 日本テレビ) : → 劇場公開 1992年6月13日 * はるか、ノスタルジィ (1992年10月25日放送 WOWOW ) : → 劇場公開 1993年2月20日 * 三毛猫ホームズの推理(1996年9月放送 テレビ朝日) : → 劇場公開 1998年2月14日 * マヌケ先生( 1998年1月24日 中国放送/TBS) : → 劇場公開 2000年9月30日 * 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (1999年11月7日放送 テレビ朝日) : → 劇場公開 2000年9月30日 * 告別 (2001年2月24日放送 BS-i ) : → 劇場公開 2001年7月14日 * 理由 (2004年4月29日放送 WOWOW) : → 劇場公開 2004年12月18日 : → 「日テレヴァージョン」(2005年11月8日放送 日本テレビ) == 関連項目 == * [[:Category:大林宣彦の監督映画]] * [[山中恒]] - 映画の原作となった作品が多い。 * [[宮崎尚志]] * [[黒澤明]] * [[林海象]] * [[石森史郎]] * [[小林聡美]] * [[尾美としのり]] * [[原田知世]] * [[富田靖子]] * [[坂上香織]] * [[ピンク・レディー]] - 1977年にコンサート演出を担当。その模様が挿入された『ピンク・レディーの活動大写真』にも出演。 * [[石田ひかり]] * [[中嶋朋子]] * [[柴山智加]] * [[奥菜恵]] * [[ウッチャンナンチャン]] * [[パパとムスメの7日間]] * [[山口百恵]] * [[今関あきよし]] * [[峰岸徹]] - 公私共に親交が深く、大林監督の作品には数多く出演した。 * [[本多猪四郎]] - 師匠 == 脚注 == <div class = "references-small"><references/></div> == 参考文献 == * 『大特撮―日本特撮映画史―』(コロッサス, 1979年) * 『日本映画・テレビ監督全集』([[キネマ旬報]]社, 1988年) * 『新版 大林宣彦のa movie book 尾道 』 (たちばな出版, 2001年) * 『ぴあシネマクラブ 日本映画編』([[ぴあ]], 2006年) * [[佐藤忠男]]『日本の映画人 日本映画の創造者たち』([[日外アソシエーツ]], 2007年) * 大林宣彦著『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』([[角川学芸出版]], 2008年) * [[田山力哉]]著『新しい映画づくりの旗手たち』([[ダヴィッド社]], 1980年) == 外部リンク == * [http://fotopus.com/naviblog/ohbayashi/ 大林監督のブログ] * [http://www011.upp.so-net.ne.jp/aunt/cinema-2.html 大林宣彦の映画 普遍的個人映画--A MOVIE] * [http://www001.upp.so-net.ne.jp/toriaruki/index.html 尾道撮歩記] * [http://www.docomo.biz/pdf/html/pressdata/magazine/2009/mds01.pdf インタビュー] * [http://www.bestlife.ne.jp/bestlife/oobayashi/01.html インタビュー] * [http://www.enterjam.com/interview031.html 純愛映画の名手 映画秘宝.com インタビュー] {{DEFAULTSORT:おおはやし のふひこ}} [[Category:日本の映画監督]] [[Category:アニメーション監督]] [[Category:CMディレクター]] [[Category:広島県出身の人物]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:1938年生]] [[Category:尾道市の歴史]] [[Category:尚美学園大学の教員]] [[Category:倉敷芸術科学大学の教員]] [[en:Nobuhiko Obayashi]] [[fr:Nobuhiko Obayashi]]
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