ラジオパーソナリティ

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ラジオパーソナリティ (radio personality)(パーソナリティは「個性」、「タレント」の意) とは、ラジオ番組を司会進行する者のことを指す言葉である。

主にトークを中心とする番組の司会者のことを指し、音楽の放送を中心とする番組の司会者はディスクジョッキーと呼んで区別することが多いが、両者に明確な相違はない。また、J-waveにおいては「ナビゲーター」と呼称されている。ただし、3者ともにその役割は、リスナー(聴取者)がハガキFAXメール等を介し番組宛てに寄せた投稿を放送の中で紹介したり、その合間に様々な話題のフリートークを行うこと、番組内に独立したコーナーがある場合に、その案内を行うこと、番組にゲストが登場した場合に聞き手に回ること、さらにそれらを統合して番組の進行を行うことで、ほぼ共通している。

和製英語であり、語源としては、米国において主にFM局などでパーソナリティ名のみを番組名としパーソナリティの個性で番組を運営する「パーソナリティ・プログラム」に由来する。

日本において「パーソナリティ」を最初に名乗った人物については、大きく分けて以下の二つの説がある。

  • 山谷親平説
    1965年に『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)で山谷親平が使用したのが最初という説<ref name=fbc>重盛政史のべしゃり寿司 2007年05月25日のネタ「山谷親平さん(その2)」</ref>。ただ山谷は、福井放送1956年から1963年まで担当した『お早う皆さん』で既に「パーソナリティ」を名乗っていたらしい<ref name=fbc />。一方で山谷について「実質的な意味での日本初のパーソナリティであったのは確かだが、自ら『パーソナリティ』を名乗ってはいない」とする説もある<ref name=toshiba>『東芝スーパーサウンドグラフィティ The History of the Radio』(ニッポン放送1989年1月1日)</ref>。
  • 中村鋭一説
    1971年に開始した『おはようパーソナリティ中村鋭一です』(ABCラジオ)で、中村鋭一が名乗ったのが最初という説。ちなみに中村は後に「パーソナリティ」を名乗ったきっかけについて、当時米国で「パーソナリティ・プログラム」が人気を博していたことを知った朝日放送の上司が「日本でもパーソナリティ・プログラムといえるような番組をやりたい」と同番組を企画し、当時朝日新聞への出向から戻ったばかりの中村に白羽の矢を立てた、とインタビューに答えている<ref name=toshiba /><ref>朝日放送の社史『朝日放送の50年』(2000年)でも、『おはようパーソナリティ中村鋭一です』誕生の経緯として同じ話が紹介されている。</ref>。ただし1969年には既に『オールナイトニッポン』の喋り手が「パーソナリティ」を名乗っていた<ref>村野まさよし『深夜放送がボクらの先生だった』(実業之日本社)</ref>という話もあり、仮に山谷説が否定された場合でも中村が最初の「パーソナリティ」ではない、という意見もある。

脚注

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関連項目

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