FC東京

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Template:サッカークラブ Template:基礎情報 会社 FC東京(エフシーとうきょう GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/)は、日本東京都にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

クラブの概要

1999年Jリーグ加盟。ホームタウン東京都。ホームスタジアムは2001年に竣工した調布市東京スタジアム(現名称:味の素スタジアム)である。また、年に数試合国立霞ヶ丘陸上競技場駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場でホームゲームを開催している。1999年のJリーグ参入の時点では東京スタジアムがまだ建設中だったため、1999年シーズンから2000年シーズンにかけては国立、駒沢に加え、国立西が丘サッカー場江戸川区陸上競技場でもホームゲームを開催した。その他、都内でJ1開催基準を満たすスタジアムを確保出来なかった際には、鹿児島市鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場(2000年)、香川県立丸亀競技場(2000年・2001年)、金沢市石川県西部緑地公園陸上競技場(2000年)といった他県でのホームゲーム開催でしのぎ、2000年セカンドステージでは都内でのホームゲームが少ないという状況を強いられた。2006年シーズンに松本平広域公園球技場で1試合リーグ戦が行われ、5年ぶりの都外でのホームゲームとなった。

練習場は小平市FC東京小平グランド(旧・東京ガス武蔵野苑)である(2001年までは江東区猿江のFC東京深川グランド)。

チーム名には特に愛称をつけておらず(FCはフットボールクラブの略)、これはJリーグ参加クラブとしては初めての事例だった。その後Jリーグに加盟した横浜FC愛媛FCFC岐阜栃木SCも同様に愛称を設けておらず、FC東京が先鞭をつけた形になる。<ref>旧JFL時代で将来Jリーグ入りを標榜していたクラブでも、甲府SC(現・ヴァンフォーレ甲府)福島FCがニックネームをつけていない時代があった。</ref>

マスコットキャラクターについても長年設定しない方針を貫いていたが、チーム創設10周年に向けてマスコット選考にとりかかり、2009年開幕戦よりチームマスコット『東京ドロンパ』が登場した。

FC東京の場合、2000年までは東京を名乗るクラブが1つしか無かったため、単純に「東京」と呼称していたが、2001年に川崎から移転し、同じく「東京」を名乗るようになった東京ヴェルディ1969(2008年から東京ヴェルディに改称)が誕生(ホームタウン変更)し、さらに前述のように"FC"を冠するJリーグクラブも複数になったため、これと区別するためにFC東京を表す独自の呼称の必要性が増した。サポーター側からは引き続き東京を推奨する動きがあるが、外部まで含めると必ずしも浸透しきっていないのが現状である。プロ化以前の呼称東京ガスから来る『ガス』が現在でもこのクラブを指し示す独自の呼称として残っているのはこうした理由にもよる。ニックネームにはこの他ユニフォームのカラーから採られた『青赤軍団』がある。

ユニフォーム、チームカラー、エンブレムなどは、スペイン・リーガエスパニョーラFCバルセロナの影響が高く、同クラブのエンブレムをアレンジしたフラッグを掲げるサポーターも見られる。また、リーガ・エスパニョーラフリークで、FCバルセロナファンであった原博実元監督は、一時期FCバルセロナと同じ4-3-3システムを採用するなど、戦術、システムにも影響を与えているともいえる。

なお、Jリーグの公式情報やtoto等での紙面が限られる公式発行物に関しては、F東京として掲載される場合が多い(但し日刊スポーツでは「FC」を入れず、単に「東京」と表記)。2007年4月に横浜FCがJ1に昇格して対戦した際、フジテレビ系スポーツニュース『すぽると』にて『FCダービー』なる造語がつくられた。

熱狂的なサポーターが多く、浦和レッズアルビレックス新潟に次ぐ観客動員を誇る(2004年-2009年実績)[1]。東京ガス時代から一貫して東京で活動してきたことから、サポーターには『首都東京のチーム』という意識が強く、応援の際にも東京のチームであることを強調する。また、ゴール裏からの相手GKに対するブーイングが強烈であるチームのひとつでもある。

メディア展開

テレビ中継

Jリーグではテレビ中継はクラブとの直接契約ではなく、リーグが一括契約・管理しているが、FC東京の試合は資本関係にあるテレビ東京ではここ数年プレシーズンマッチを除いてまず行われておらず、中継はスカパー!TOKYO MXで殆ど行われている(TOKYO MXは東京以外で行われるホーム戦やビジター戦の試合も自社制作する。一部TBSNHKと同日中継となる場合あり)。

ラジオ中継

コミュニティーFM局の調布FMFM西東京が、味の素スタジアム開催試合を中継している。1999年J2終盤戦ではTOKYO FMでも試合が生中継された事もあった。

応援番組

TOKYO MXで毎週金曜22:00-22:30にFC東京ホットラインを放送している。番組スポンサーはFC東京の設立母体、東京ガスである。 またJ:COM東京で「FC東京ビバパラダイス」が放送されている。毎月2回更新(15日間のリピート放送)なのでタイムラグが生じるが選手や試合などの情報が放送されている。番組自体は200回近い放送が行われている長寿番組。

また、TOKYO FM「Saturday goes on」、調布FM、FM西東京、レインボータウンFMなどでも番組内に、FC東京応援コーナーを設けている。

その他メディア展開

FC東京を一番取り上げるメディアとしては東京中日スポーツが挙げられる。紙面には「365日FC東京」と銘打ったクラブ情報をほぼ毎日掲載しているなど、同紙はチームと密接な関係になっている。

クラブの歴史

本拠地の遍歴

プロ化以前( - 1998年)

前身は1935年創立の東京ガスサッカー部である。1985年に第19回関東社会人サッカー大会で優勝し、1986年関東サッカーリーグに昇格。1990年に第14回全国地域リーグ決勝大会で優勝し、1991年日本サッカーリーグ2部に昇格。1992年にはブラジルFWアマラオが加入し、旧JFLに参加。1994年には関東地区代表として天皇杯に初出場を果たした。監督代行として大熊清が指揮を執った同大会では初戦で鹿島アントラーズを破りベスト8進出という結果を残した。大熊清(在任1995年 - 2001年)が正式に監督に就任した翌年から力を伸ばし、1997年には『東京ガスフットボールクラブ』に改称しJリーグ参加構想を表明。旧JFLで準優勝、天皇杯では名古屋グランパスエイト、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)のJリーグ勢3チームを次々と撃破してのベスト4入りで脚光をあびた。準決勝の鹿島アントラーズ戦でアマチュアサッカーマンとしては憧れの地国立霞ヶ丘陸上競技場の地をチームとして初めて踏んだ。1998年の春には翌年からクラブ名称が『FC東京』になるとともにプロクラブ化し、新たに2部制となるJリーグの2部(J2)に参加する事が決定。旧JFL最終年となったこの1998シーズンは、最終戦で川崎フロンターレを逆転してJFL初優勝を果たすも、Jリーグ準会員ではなかったため、J1参入決定戦にはすでに準会員だった川崎が参戦した。

J2時代(1999年)

1998年10月1日(この日は都民の日とされている)に、東京ガス東京電力エーエム・ピーエムジャパンテレビ東京カルチュア・コンビニエンス・クラブ(TSUTAYA)などが出資した運営法人『東京フットボールクラブ株式会社』が設立され、1999年、東京都を本拠地とする初めてのチームとしてJリーグ加盟を果たした。このときから採用されているイメージカラーの青と赤は、母体が東京ガスであるためガスの火にちなんでいる(東京ガスのコーポレートカラーも青と赤である)。この年発足し即参戦したJ2リーグでは中盤まで2位をキープしていたが、アマラオが負傷で欠場が続いた終盤に下位相手にも敗れるなど4連敗を喫し失速、3位に後退。しかし最終節で、この年3戦未勝利と大の苦手としていたアルビレックス新潟戦に勝利。2位だった大分トリニータモンテディオ山形に勝利目前で追いつかれて引分け、3位へと転落し(秋天の陽炎参照)、FC東京の劇的なJ1への昇格となった。またJリーグヤマザキナビスコカップでは、ヴィッセル神戸ジェフユナイテッド市原横浜FマリノスのJ1チームを下してベスト4に進出、MF佐藤由紀彦ニューヒーロー賞に選出されるなど注目を浴びる戦いを演じた。

J1時代(2000年-)

2000年

2000年シーズンは「東京」を名前に持つクラブとして初のJ1進出となり、初昇格チームにも関わらず開幕4連勝、横浜FM・磐田・名古屋とJ強豪に勝利し首位に立つなど旋風を起こし、年間総合順位は7位と健闘。FWアマラオとツゥット(現トゥット)のコンビで得点を量産し、ツゥットはリーグ2位となる17得点を挙げる活躍でJリーグベストイレブンにも選ばれたが、ツゥットは川崎からの1年間の期限付きでの在籍であり、移籍期間を終えると川崎から浦和レッズへの完全移籍となった。天皇杯では初戦でJ2ヴァンフォーレ甲府国立西が丘サッカー場)に0-1の敗戦を喫し、J1初年度が終了した。なお、この年の7月にナビスコ杯・京都戦で使用した江戸川区陸上競技場、ならびに12月の天皇杯・甲府戦での西が丘が、東京ガス時代からホーム戦会場として長らく使用していた江戸川・西が丘両会場での最後の公式戦開催となった(2008年12月現在)。

2001年

2001年に収容人員49,000人の新本拠地・東京スタジアム(現:味の素スタジアム)が完成・使用開始となった事により観客動員数が飛躍的に増加。スタジアムのこけら落しとなった開幕戦では、川崎から移転し呼称変更した『東京ヴェルディ1969』と対戦。東京ダービーマッチの初開催ともなったこの試合を、新加入の元日本代表FW呂比須ワグナーVゴールで制し、その初陣を飾った。その後、呂比須はアマラオとプレースタイルが重複することなどから以後徐々に出場機会を減らし、チーム加入後わずか半年でアビスパ福岡へと完全移籍。しかし、その頃には開幕直前に急遽獲得したブラジル人MF・ケリーが完全にチームにフィットし、司令塔として攻撃陣を掌握。以後4年間FC東京の攻撃の核となる活躍を見せることになる。

また同年には、佐藤由紀彦福田健二の2名がフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表候補合宿に招集されたが、代表候補に留まりクラブ初の代表選手輩出には至らなかった。天皇杯初戦で横浜FCに破れ、2年連続でJ2勢に初戦敗退を喫してのシーズン終了。この試合を最後に、7年間指揮を執りチームに堅守速攻・全員サッカーのカラーを定着させた大熊清監督が退任となり新たな章を迎えることとなった。

2002年

2002年、新監督に原博実を迎え攻撃サッカーを指向した強化を進め、開幕戦では前年王者の鹿島から4点を奪う圧勝劇を見せた。しかしこの試合でMVP級の活躍を見せたMF小林成光は交通事故で重傷を負い戦線を離脱。この年に移籍加入した加地亮茂庭照幸石川直宏は5月以降レギュラーに成長。原監督がレギュラーボランチに抜擢した宮沢正史もセットプレー時に能力を発揮しレギュラーを掴むなど、出場する選手の顔ぶれがこれまでになく変動した年でもあった。また、馬場憂太鈴木規郎など各年代の日本代表選手を輩出したが、自国開催のワールドカップには代表選手を輩出できなかった。シーズン終了後の12月27日には2年あまりチームの顔として活躍した佐藤由紀彦が横浜F・マリノスへレンタル移籍する事が発表された(その後完全移籍)。

2003年

2003年は1st、2ndステージ共に優勝戦線にからみ、年間順位4位と、優勝に手が届くところまで成績を伸ばした。DF加地、茂庭がジーコ監督率いる日本代表に招集され、クラブ所属選手初の日本代表としての出場を果たした。12月にはMF石川もA代表デビューを記録し、チーム全体がステップアップを実感する1年であった。同年8月にはレアル・マドリードとのフレンドリーマッチを組み(結果:0-3)、注目を浴びた。また、シーズン初戦だった3月8日のナビスコ杯・横浜FM戦(横浜国際競技場)では、まだFC東京U-18所属の高校生だった梶山陽平がトップチームでの公式戦初出場を記録すると、以後試合出場を重ねるという新たな力の胎動があった一方で、同年天皇杯を最後に、旧JFL時代からチームを牽引し『KING OF TOKYO』と親しまれたFWアマラオが湘南ベルマーレへと移籍しクラブを去った。

2004年

2004年にはアマラオの後任として、大黒柱として君臨するMFケリーとブラジル時代にコンビを組んでいたFWルーカスを獲得。アテネ五輪代表のMF今野泰幸コンサドーレ札幌から移籍加入し、チームの主軸となった。8月にはスペイン遠征を行い、デポルティーボ・ラ・コルーニャの恒例プレシーズンマッチ、トロフェオ・ファンアクーニャに招かれ、これを制し、帆船型の同トロフィーを獲得。リーグ戦は年間8位に終わったが、11月3日のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝で浦和レッズを延長・PK戦の末破り優勝を果たし、Jリーグ加盟後初の公式タイトル獲得となった。同日夜に味の素スタジアムで催された優勝報告会には13,000人のファン・サポーター達が駆けつけ、当時の金融経済担当相も来場し祝辞を述べた。

2005年

2005年シーズンに向けては、4年間チームの攻撃を支えた司令塔・ケリーを放出。若手へシフトする意味で大きな補強をせず、戦力を現状維持しての開幕を迎えた。開幕直後はそれまで苦手とした磐田に勝利し首位に立つなどしたが、それ以後チームワーストの6連敗で優勝戦線から早々に脱落。5月には原監督の途中解任が現実味を帯びた時期もあり、9月の横浜FM戦(日産ス)ではMF石川の膝靭帯完全断裂による交代退場(復帰まで約8ヶ月)、直後のFWルーカスの意識不明・救急車搬送による試合終了等、重苦しい出来事も重なり、年間順位は10位に終わった。だが終盤戦での12試合負けなし、上位叩きはファン・サポーターの溜飲を下げさせた。特に最終節では、ロスタイムの今野の同点弾でセレッソ大阪の目前での優勝を阻止し、リーグ戦の劇的な幕切れに一役買った(『長居の悲劇』参照)。同シーズン終了をもって、4年間監督を務めた原が勇退。また、日本代表のレギュラーにも定着したDF加地亮がガンバ大阪へ移籍した。

なお、この年は7月9日に味の素スタジアムで行われた東京ダービー・東京V戦(FC東京主催試合)の試合前、FC東京サポーターによる傷害事件が発生した(FC東京側のサポーター約200名がコンコースにてヴェルディサポーターに向け挑発行為に及んだ際、FC東京サポーター1名が場内に設置されていた灰皿の蓋をヴェルディ側の群衆に投げつけるという悪質な行為で、ヴェルディのクラブ職員、警官、一般人を負傷させ傷害罪で逮捕)。この試合の管理責任者として、FC東京にはJリーグから1000万円という高額罰金が科せられた。

2006年

2006年、クラブ初の外国籍監督となるブラジル人・ガーロが監督就任。ガーロはそれまでの速攻型チームから、ボールの保持(ボールポゼッション)を主体とするパスサッカーへの脱皮を図り、チームに改革をもたらすべく指導したが、「マンマークを徹底する」守備をベースとし、短いパスで攻撃を構築しようとするガーロの戦術はなかなか浸透せず、4月15日の第8節・イビチャ・オシム率いるジェフ千葉戦では前半に完全にゲームを支配され後半9分までに3失点を喫し惨敗。ブラジルと比較すると緩急が少なく、運動量とスピードでの攻めの多いJリーグでの相手攻撃を防ぐのに苦戦した。加えて、怪我人も多発し戦術の刷り合わせも図れなくなり、ナビスコ杯では1勝も挙げられず(2分4敗)予選リーグ最下位で敗退。さらにはガーロが要望し獲得したブラジル人FW・ワシントンも、途中投入された試合ですぐさま退場処分を受けるなど不発。7月22日の鹿島戦で4失点を喫し敗戦すると、7月29日の広島戦も0-2、8月5日のプレシーズンマッチ・FCソウル戦でも0-3で敗れ、8月12日の浦和戦(埼玉スタジアム2002)で0-4と無得点での惨敗を重ねると、ついに8月15日にこれもクラブ初となるシーズン途中での監督解任が発表された。

後任監督には1995年から大熊・原の下で長くヘッドコーチを務め、この年からFC東京U-18の監督となっていた倉又寿雄が就任。壊れてしまったチームをなんとか修正しJ2降格はのがれたが、結果的にリーグ戦では2シーズン連続で6連敗を喫するなど、J1昇格後最低順位となる13位で終えた。シーズン終了と共に倉又はU-18監督へと復帰し、12月5日に倉又の後任として原が1年ぶりに復帰し、再び指揮を執ると発表された。ドイツW杯には土肥洋一茂庭照幸の2人をクラブとして初めてワールドカップ日本代表に輩出し、茂庭がオーストラリア戦に出場。クラブ初のW杯出場選手となった。

2007年

2007年は再び原体制となり、補強にも力を入れ、前年のドイツW杯で健在振りを見せていたコスタリカ代表FWのパウロ・ワンチョペ、ジュビロ磐田から元日本代表MF福西崇史を獲得したことで上位への浮上を目論んだが、ワンチョペの動きには一向にキレが戻らず、その起用法を探りながら起用し続けた結果スタートダッシュに失敗。ワンチョペはシーズン途中で退団した。また、U-22代表として梶山陽平、伊野波雅彦平山相太の三人が、フル代表として今野泰幸が常時招集されており、中でもスタメンであった梶山が代表戦での怪我で9月から離脱するなど厳しい台所事情となった。結局残留できたものの、シーズン12位で終了。シーズン終盤には若返りを図り、他クラブに先駆けて福西崇史と、元日本代表で7シーズン半のあいだ正GKを務め続けた土肥洋一の二人に戦力外通告を行ったことを発表。原監督も1年限りでの退任となった。

2008年

2008年U-17日本代表での監督経験があり、1998年のFC東京発足準備時からクラブに関わり続けていた城福浩が監督に就任。戦術として『ムービングフットボール』を掲げ、FC東京の縦に速いサッカーからポゼッションサッカーへの転換を図る。夏場に白星から遠ざかり苦しい時期があったが、9月20日の川崎フロンターレ戦(等々力)にて、前半のうちに負傷者、退場者を出しながら粘り強く守り抜き1-0で完封すると、ホームでの前年王者・鹿島戦ではこの年入団(前年に特別指定選手として在籍)したDF長友佑都、ユースから昇格したMF大竹洋平Kリーグ得点王のFWカボレの新戦力3人のゴールで勝利するなどチーム状態が良化、シーズン終盤まで優勝の可能性を残した位置での戦いを続けた。最終節ではJ2降格危機にあったジェフ千葉との対戦(フクダ電子アリーナ)となり、2点先行しながら終盤11分間で4点奪われる大逆転負けを喫し『フクアリの奇跡』を助演してしまうなど、依然として勢い付かせてしまった相手に対してのもろさを露呈したが、城福監督は前々年にガーロ監督が失敗した「速攻からの脱皮」を進行させ、チームは年間6位に浮上。天皇杯でも東京ガス時代の1997年以来となるベスト4進出の結果を残した。また、この年は「フロントの顔」の一人だった村林裕が、椿原正浩の後任として代表取締役となっている。

2009年

2009年も城福体制での熟成を目指し、他チームからの補強はアビスパ福岡中村北斗水戸ホーリーホック平松大志のみで大きな体制変更無く挑む。リーグ戦では開幕ダッシュに失敗し、失点を重ね、序盤戦は低迷するが、MF今野泰幸をCBにコンバートし、ブルーノ・クアドロスとコンビを組ませ、またボランチに梶山陽平と高卒ルーキー米本拓司を固定した頃から守備が安定し、石川直宏の大活躍とも相まって、リーグ戦の順位も上がっていった。Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝では川崎フロンターレと争うことになり、同シーズンの『多摩川クラシコ』で2度の逆転負けにより2連敗を喫している相手に2-0の勝利。初優勝を飾った2004年同様に主力選手の移籍や負傷によって周囲から圧倒的な東京不利がささやかれるなか、ニューヒーロー賞とMVPをクラブ初となるダブル獲得をした米本の活躍もあり、下馬評を覆した。また同シーズン限りでの退団・引退が発表されていた大ベテラン・藤山竜仁浅利悟に捧げる優勝ともなった。さまざまな苦しみを乗り越えたこそ、2度目の公式タイトル獲得は来たる黄金期の礎でもある。このシーズンのホーム最終戦(対神戸)終了後、二人の功労選手の退団・引退セレモニーが行われた。

2010年

資金力が乏しかったため、理想どおりの補強が進まなかった年であった。2010年は前述のとおり浅利悟が引退、藤山竜仁コンサドーレ札幌に移籍、さらに、主力選手だった茂庭照幸セレッソ大阪に移籍、ブルーノ・クアドロスが退団、佐原秀樹期限付き移籍期間満了に伴い川崎フロンターレに復帰した。退団が相次いだセンターバックには大分トリニータから森重真人を、また、アルビレックス新潟から松下年宏を、ABC FCからリカルジーニョを獲得した。シーズン開幕直前、米本拓司前十字靭帯半月板を損傷。梶山陽平も左足首手術からのコンディション調整に苦しみ、序盤は昨年のレギュラーボランチ二名を欠く厳しい選手構成となる。ワールドカップ南アフリカ大会には、今野泰幸長友佑都が選出された。

シーズン開幕戦に強く、J2だった1999年から2006年まで8シーズン(旧JFL時代の1997年 - 1998年を含めると10年)続けて開幕戦に勝利している。これは1999年から2006年までの開幕戦8戦中7戦はホームで迎えており、ホームの利を生かしていると見る向きもある(残りの1戦も近隣の横浜国際総合競技場での開幕)。しかし2007年の開幕戦でサンフレッチェ広島に敗れ、開幕戦連勝記録は止まってしまった。それ以降2009年開幕戦まで3年連続で勝利から遠ざかっていたが、2010年の開幕戦、対横浜F・マリノス戦で1-0で勝ち、4年ぶり開幕戦勝利を収めた。

下部組織

ユースとしてU-18、ジュニアユースとしてU-15深川、U-15むさしを保有。U-18は36人(各学年12人)前後、U-15深川・U-15むさしにはそれぞれ54人(各学年18人)前後の選手が所属する。

前身である東京ガスのサッカースクール(1985年開校)から、東京ガスフットボールクラブジュニア・ジュニアユース(1993年4月創立)・ユース(1996年4月創立)を母体として1999年に発足した[2]。U-15は2004年にU-15深川、U-15むさしの2チーム体制に移行。U-15深川は東京都東部、U-15むさしは西部の中学生を主に受け入れている。現在ジュニアチームは持っていないが、幼稚園生から中学生年代を対象に、都内各地でサッカースクールを開催しており、指導・普及に当たっている。その中でも「アドバンスクラス」では、JリーグU-12フェスティバルに参加するなど、選抜チームに近い活動形態をとっている。

下部組織出身者としては、2004年梶山陽平が優秀新人賞を獲得し、2008年には李忠成と共に北京オリンピック日本代表に選出されている。同学年の呉章銀も北京オリンピック韓国代表に選出され、A代表にも定着しつつある。2009年には権田修一がスタメンに定着し、A代表での出場を果たしている。トップ昇格した選手、チームに定着した選手とも多くないものの、U-18、U-15がユース年代の強豪となった近年では昇格も増えており、今後が期待される。

また、大学に進学後、プロ入りした選手も多い。さらに、上述のようにU-15が拡大し、U-18とU-15との選手数の差が広がったことから、U-18へ内部昇格できず(せず)に、他のクラブ・高校へ進み活躍する選手も多く現れ始めている。第88回全国高校サッカー選手権に初出場で優勝した山梨学院大学付属高校は、キャプテンの碓井鉄平ほか、主力選手の多くがFC東京U-15むさしの第一期、二期生だった。

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FC東京U-18

2001年(尾亦馬場世代)に、三大タイトル全てのファイナリストとなる快挙を果たしたが、以降は各大会とも上位止まりでタイトルには手が届かず、JFAプリンスリーグU-18関東からも降格してしまう。

2007年、深川から小平に移転。この年からU-15むさし卒業生が合流し、U-15深川・U-15むさし・外部の選手が合わさるチームとなる。これらの試みが実を結び、近年は関東随一の強豪クラブといえる成績を挙げている。2010年にはU-15深川出身の阿部巧、U-15むさし出身の重松健太郎、外部出身の平出涼がそれぞれトップチームに昇格した。

成績
年度所属リーグ戦カップ戦
順位勝点クラブユース
選手権U-18
高円宮杯
U-18
Jユース
カップ
1998関東クラブユースリーグ準優勝関東大会敗退1回戦敗退
1999全国GL3位GL敗退
2000関東GL敗退GL3位
2001優勝準優勝準優勝
2002関東スーパーリーグ5位189531ベスト8ベスト8
2003プリンスリーグ関東10位149423全国GL2位ベスト8
2004東京都トップリーグ1位166510ベスト8GL2位
2005TFA T1リーグ1位2911920ベスト8ベスト8
2006プリンスリーグ関東8位1695133位準優勝
2007プリンスリーグ関東7位189531全国GL3位優勝
2008プリンスリーグ関東1部1位2711902優勝3位3位
2009プリンスリーグ関東1部1位2711830準優勝ベスト8優勝
2010プリンスリーグ関東1部
  • 1998年は東京ガスFCユース
  • JFAプリンスリーグU-18関東の順位(2002-07年)は、グループリーグ内の順位ではなく、順位決定戦による順位。
主なタイトル
国際試合
  • 登録上はU-18ではあるが、大会規定やリーグ戦との兼ね合いなどから、3年生が出場しない大会も多い(U-15も同様)。:
  • 2007年、2008年に参加したサニックス杯国際ユースサッカー大会については、海外クラブと対戦する機会が無かったため記載していない。

FC東京U-15深川

2003年以前のFC東京U-15を引き継ぐチーム。そのため、2004年に「深川」と改称されたものの、当時所属する選手を第一期生とはしていない。練習場所はFC東京深川グランド。パリ国際大会にも引き続き出場。出場クラブの多くが地元フランスのチームであるということもあって、あまり芳しい成績を挙げられていない。

2007年に発足された関東リーグ参加チームに選出。毎年黒星が先行する厳しい闘いが続いているが、1部に踏みとどまっている。

成績
年度所属リーグ戦カップ戦備考
順位勝点クラブユース
選手権U-15
高円宮杯
U-15
2004ベスト163位
2005関東10位準優勝
2006関東GL3位3位
2007関東4位65203関東ベスト163位 
関東下2位125401
2008関東11位1111326関東10位優勝
2009関東9位1011317関東ベスト16関東ベスト10
2010関東1部 11
主なタイトル
国際試合

FC東京U-15むさし

深川だけでは西東京の中学生を確保できないという状況にあったことなどから(李忠成は、深川に通う負担を考えてU-15に入団しなかったと言われている。詳細は李忠成#来歴を参照。)、2004年に発足する。東京学芸大学の施設内で練習しており、試合も含めて自由な見学が許されていない。

創設初年度は1年生だけのチームであり、各種大会でチームとしての実績が無かったため、2007年の関東リーグ参加チームに選出されなかった。以後、関東リーグ参入へ向けての挑戦を続けているものの、あと一歩というところで昇格できずにいる。

成績
年度所属リーグ戦カップ戦備考
順位勝点クラブユース
選手権U-15
高円宮杯
U-15
20042,3年生不在
20053年生不在
2006準優勝
2007Tリーグ1部2位95302ベスト16ベスト16 
Tリーグ1部上位5位65203
2008東京都1部1位155500ベスト8東京都ベスト8 
関東チャレンジ2位105311
2009東京都1部1位105311関東ベスト12関東大会敗退 
関東チャレンジ6位45041
2010東京都1部1位136411   
関東チャレンジ 
主なタイトル
国際試合
  • 優勝したベルリン・ユースサッカー大会には2年生が出場。

その他

FC東京U-15深川に改称する以前の成績
年度クラブユース
選手権U-15
高円宮杯U-15備考
1998ベスト83位東京ガスFCジュニアユース
1999ベスト16ベスト16
2000ベスト8関東ベスト8
2001準優勝関東4位
20023位東京都ベスト8ナイキプレミアカップ世界6位
2003優勝ベスト8
FC東京U-15深川に改称する以前の主なタイトル
国際試合
  • ナイキプレミアカップジャパン優勝チームとして、ナイキプレミアカップ2002ワールドファイナル(ポルトガル・リスボン)に参加。
  • 2003年のパリ国際大会では、過去最高の4位に入賞し、廣永遼太郎と宮阪政樹がベストイレブンに選出されている。

下部組織出身選手

ダービーマッチ

東京ダービー

サポーターの間では東京ヴェルディとの対戦を『東京ダービー』と呼んでおり、ヴェルディが東京都にホームを移した2001年から始まった(詳しくは日本のダービーマッチを参照のこと)。初戦は東京スタジアム(現在の味の素スタジアム)のこけら落としとなった。よくサポーター同士の小競り合いや試合が荒れることが多く、2005年にはFC東京サポーターによる悪質な行為により逮捕者も出た傷害事件にまで発展した。2006、2007シーズンは東京ヴェルディ1969のJ2降格によりリーグ戦での対戦はないが、練習試合として2007年2月25日に行われた(スコアは1-1の引き分け)。2008シーズンは東京ヴェルディがJ1に復帰し、3年ぶりに東京ダービーが復活した。2008シーズンの東京ダービーは、リーグ戦2試合に加え、ヤマザキナビスコカップ予選2試合の4試合が行われ、対戦成績はFC東京の3勝1敗であった。2009シーズンからは、東京ヴェルディがJ2に降格したことで、天皇杯の予定を除き公式戦で行われる予定はない。

金町ダービー

サポーターの間では柏レイソルとの対戦を『金町ダービー』と呼んでおり、両者の間には熾烈な応援合戦が行なわれていた。しかし、2003年の最終節でFC東京のサポーターがこの試合でチームを去るFWアマラオの別れを惜しみ、日立柏サッカー場のピッチに乱入したことにより、同様のFC東京サポーターによる悪質行為を防止する意味で翌年度からFC東京戦は柏の葉公園総合競技場で開催されるようになった。なお2007年からは日立台での開催が復活した。

多摩川クラシコ

川崎フロンターレとの対戦。詳細は『多摩川クラシコ』の項を参照のこと。

首都クラブとの国際試合

プレシーズンマッチとして、海外の首都クラブとの対戦がしばしば開催される。中でもFCソウルとは『日韓首都決戦』として定期的に行われていた。 2010年には前年のナビスコカップ優勝クラブとして、スルガ銀行チャンピオンシップでLDUキトと対戦する予定。

開催日時 スコア 対戦相手 会場 大会名
2003年8月5日0-3Template:Flagicon レアル・マドリード国立競技場ドリームマッチ
2004年8月8日0-0Template:Flagicon ASローマ味の素スタジアムドリームマッチ
2006年8月5日0-3Template:Flagicon FCソウルソウルワールドカップ競技場
2007年7月26日0-0Template:Flagicon FCソウル国立競技場
2008年6月15日1-1Template:Flagicon FCソウルソウルワールドカップ競技場
2008年7月31日1-0Template:Flagicon オリンピア・アスンシオン味の素スタジアム
2010年8月4日-Template:Flagicon LDUキト国立競技場スルガ銀行杯

歴代成績

リーグ成績

年度所属順位勝点得点失点備考
1986関東4位22189453226+6
19878位14183871518-3
19882位251811433218+14全国地域リーグ決勝大会3位
19892位23188733313+20
1990優勝331815304813+35全国地域リーグ決勝大会優勝
1991-92JSL2部7位4630121083028+2
1992旧JFL1部7位20185582234-12
19938位-187-112031-11延長勝3/PK勝1/延長敗1/PK敗1 
1994旧JFL7位-3018-125543+12延長勝2/PK勝1/延長敗1/PK敗1
19953位613020-106635+31延長勝0/PK勝1/延長敗1/PK敗1
19963位733024-66328+35延長勝2/PK勝1/延長敗3/PK敗1
19972位683024-67030+40延長勝2/PK勝1/延長敗1/PK敗0
1998優勝693024-66717+50延長勝3/PK勝0/延長敗1/PK敗0
1999J22位6436213125135+16
2000J17位4330151144741+6
20018位4130135124747±0
20029位3930132154346-3
20034位4930131074631+15
20048位4130101194041-1ナビスコカップ優勝
200510位4734111494340+3
200613位4334134175665-9
200712位4534143174958-9
20086位5534167115046+4
20095位5334165134739+8ナビスコカップ優勝
201034

J1対戦通算成績

対戦チーム 勝ち 引分 負け 得点 失点
ベガルタ仙台21175
モンテディオ山形20244
鹿島アントラーズ53112835
浦和レッドダイヤモンズ6291625
大宮アルディージャ512158
川崎フロンターレ5322022
横浜F・マリノス(←横浜マリノス)7562620
湘南ベルマーレ
アルビレックス新潟5061621
清水エスパルス7292022
ジュビロ磐田62112337
名古屋グランパス(←名古屋グランパスエイト)6481923
京都サンガF.C.5321610
ガンバ大阪8182534
セレッソ大阪5432820
ヴィッセル神戸7542418
サンフレッチェ広島4462324
コンサドーレ札幌600175
水戸ホーリーホック
栃木SC
ザスパ草津
ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフ市原)6763434
柏レイソル6282124
東京ヴェルディ(←東京ヴェルディ1969)6261820
横浜FC20030
ヴァンフォーレ甲府30175
カターレ富山
FC岐阜
ファジアーノ岡山
徳島ヴォルティス
愛媛FC
ギラヴァンツ北九州
アビスパ福岡312105
サガン鳥栖
ロアッソ熊本
大分トリニータ444109
合計10852104389384

観客動員記録

Template:Color box J1 Template:Color box J2

年度総数1試合
平均
ホーム
試合数
会場1試合平均入場者/総入場者総計Jリーグ
公式
199962,9633,49818西12,駒3,江3
[3]
2000177,10711,80715国10,駒2,鴨1,丸1,石1
[4]
2001334,69822,31315東13,国1,丸1
50万人超
2002332,59722,17315東12,国3
[5][6]
2003373,97824,93215味14,国1
100万人超[7][8]
2004381,57525,43815味13,国2
[9][10]
2005460,72127,10117味15,国2
200万人超[11]
2006409,63424,09617味14,国2,松1
[12]
2007429,93425,29017味16,国1
[13]
2008437,17625,71617味15,国2
300万人超[14]
2009440,03225,88417味15,国2
[15]
201017味15,国2
西:西が丘サッカー場、駒:駒沢陸上競技場、江:江戸川区陸上競技場、国:国立競技場、東・味:味の素スタジアム
鴨:鹿児島鴨池陸上競技場、丸:香川丸亀競技場、石:石川県西部緑地公園陸上競技場、松:松本アルウィン

獲得タイトル

国内タイトル

国際タイトル

個人別タイトル

ベストイレブン
優秀選手賞
優秀新人賞
フェアプレイ個人賞
ナビスコ杯
年度最優秀選手(MVP)ニューヒーロー賞得点王
1999佐藤由紀彦
2004土肥洋一
2009米本拓司米本拓司カボレ

その他受賞

  • 東京都環境賞
    • 2007年
  • 府中市民スポーツ優秀賞
    • 2009年

東京ガスFC時代のタイトル(旧JFL参加時)

個人別タイトル
年度ベストイレブンベストGK賞新人王
1995関浩二
1996新條宏喜浮気哲郎新條宏喜
1997藤山竜仁本吉剛浅利悟小林成光
1998堀池洋充、藤山竜仁、サンドロ加賀見健介堀池洋充

ユニフォーム

Template:ユニフォームの色2

チームカラー

チームカラーは青、赤。 2002~2003年のアウェー用ユニフォームにはシャツ、パンツ、ストッキングにグレーを使用。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
東京ガスLIFEVAL2010年〜2009年は背中
背中東京電力TEPCO2010年〜1999年〜2009年は袖
三菱商事Mitsubishi Corporation2010年〜
パンツ東京ガスTOKYO GAS2003年〜

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1999年am pmTEPCOEnesta-adidas
2000年am pmTEPCOEnesta-adidas
2001年am pmTEPCOEnesta-adidas
2002年ENEOSTEPCOEnestaam pmadidas
2003年ENEOSTEPCOEnestaTOKYO GASadidas
2004年ENEOSTEPCOEnestaTOKYO GASadidas
2005年ENEOSTEPCOEnestaTOKYO GASadidas
2006年ENEOSTEPCOEnestaTOKYO GASadidas
2007年ENEOSTEPCOEnestaTOKYO GASadidas
2008年ENEOSTEPCOEnestaTOKYO GASadidas
2009年ENEOSTEPCOLIFEVALTOKYO GASadidas
2010年LIFEVALMitsubishi CorporationTEPCOTOKYO GASadidas

チーム名変遷

  • 1935年~ 東京ガスサッカー部
  • 1997年~ 東京ガスフットボールクラブ
  • 1999年~ FC東京

チームスローガン

年度 チームスローガン
2003年90分間、攻撃サッカー。
2004年攻激、攻劇、攻撃サッカー。
2005年攻めて取る。攻めて獲る。
2006年Ousadia~信頼・勇気・挑戦~
2007年It's Our Time~青き疾風、赤い怒涛~
2008年Moving Football~ボールも・身体も・観ている人の心も~
2009年Moving Football~観ている人の心を動かせ~
2010年Moving Football~心をひとつに~

マスコット

  • 東京ドロンパ

2009年から登場した港区麻布狸穴出身の、タヌキをモチーフとしたキャラクター。1998年10月1日生まれの男の子である。東京タワーの近くに住み、知らない間にパッと現れドロンといなくなることから、「東京ドロンパ」という名前になった。ダンスやローラーブレードが得意なほか、一輪車に乗ったパフォーマンスなども披露する器用な超都会派タヌキである。

スタジアムBGM

  • 演出シーン別

【アップ入場(GK)】 『Take me to a game』/チームオフィシャル  

【アップ(選手)】 『Follow the count』/チームオフィシャル   

【アップ中】 『スタジアムへ行こう!』/東京スカパラダイスオーケストラ

【スタメン紹介】 『TECHNOFIRE』/BUZZ CD:Dance Panic! vol.6(型番VICP-61341、01年 Template:ASIN

【審判紹介】 45℃/JIMSAKU 45℃(型番POCH-1093、91年 Template:ASIN

【選手入場前】 『You'll never walk alone』/LIVERPOOL FC&SUPPORTERS (販売元:CHERRY RED DECORDS)

【選手入場中】 『Knights on the field』/チームオフィシャル           

【後半入場】 『Outstanding』/チームオフィシャル             

【試合終了後(勝ち)】 Your voices make the stadium go round/チームオフィシャル

【試合終了後(引き分け・負け)】 Opening goal/チームオフィシャル               

  • オフィシャルCD「City Bred Two Colors」挿入曲

10周年を記念して2008年開幕戦よりスタジアムではクラブオリジナルBGMを使用している。使用曲はオフィシャルCDとして、クラブ名であるF・C・T・O・K・Y・Oの頭文字から始まる計7曲入りのCDを販売している。

  1. Follow the count [選手アップ登場時]
  2. City bred two colors [オフィシャルソング]
  3. Take me to a game [GKアップ登場時]
  4. Opening goal [試合終了後]
  5. Knights on the field [選手入場時]
  6. Your voices make the stadium go round [試合終了後]
  7. Outstanding [後半選手入場時]

異競技間交流

Jリーグ百年構想の一環として、様々な競技との交流が行われている。

  • バレーボール

バレーボールの東京ガス男子チームと連携しており、2002年度からバレーボール教室を実施。2003年からV1リーグ日本バレーボールリーグ機構の2部組織)に所属していた同チームを『FC東京バレーボールチーム』に名称変更している(プロフィルは当該項を参照)。

  • 野球

2006年7月より、東京都を本拠地とするプロ野球東京ヤクルトスワローズと共同で東京のスポーツ振興を図ることになった[23]。双方のファンの来場を促進するキャンペーンなどを展開しており、東京ドロンパとスワローズのマスコット・つば九郎が互いの試合を訪問し合ったり、平山相太選手がスワローズの始球式に登板するなどの交流イベントが行われている。 2009年夏にはTOKYO MX(TOKYO MXはFC東京のホームゲームや大井競馬場の主要レースの生中継が縁で後援された)後援のコラボレーションイベントワッショイTOKYO夏ラリー!にて東京ヤクルトスワローズのマスコット「つば九郎」と大井競馬場のマスコット「うまたせ!」と一緒にイベントを盛り上げた。また応援歌としてヤクルト同様、東京音頭("くたばれ"付き)を使用する。

  • バスケットボール

bjリーグ「東京アパッチ」と、上述の東京ヤクルトスワローズの三者で提携している。

  • その他
  • 学芸大クラブ
2004年4月に小金井市東京学芸大学と共に創設。産官学の連携による地域スポーツの発展を目指す。
  • 上井草スポーツセンター
2009年4月から、東京アスレティッククラブ(TAC)、三菱電機ビルテクノサービス(MELTEC)との共同で指定管理者となった。
  • 小金井市総合体育館

出版

書籍

オフィシャルファンブック
書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
FC東京ファンブック 2000毎日新聞社2000年4月162ISBN 4620791458
(ISBN-13 978-4620791456)
FC東京ファンブック 2001毎日新聞社2001年4月130ISBN 4620791768
(ISBN-13 978-4620791760)
FC東京ファンブック 2002毎日新聞社2002年2月126ISBN 4620792004
(ISBN-13 978-4620792002)
FC東京ファンブック 2003毎日新聞社2003年3月129ISBN 4620792225
(ISBN-13 978-4620792224)
FC東京ファンブック 2004毎日新聞社2004年3月130ISBN 462079239X
(ISBN-13 978-4620792392)
FC東京ファンブック 2005毎日新聞社2005年2月130ISBN 4620792535
(ISBN-13 978-4620792538)
FC東京ファンブック 2006毎日新聞社2006年2月130ISBN 4620792721
(ISBN-13 978-4620792729)
FC東京ファンブック 2007毎日新聞社2007年2月130ISBN 4620792926
(ISBN-13 978-4620792927)
FC東京ファンブック 2008毎日新聞社2008年3月130ISBN 4620793132
(ISBN-13 978-4620793139)
FC東京ファンブック 2009毎日新聞社2009年3月130ISBN 4620793361
(ISBN-13 978-4620793368)
FC東京ファンブック 2010朝日新聞出版2010年3月130ISBN 4021902139
(ISBN-13 978-4021902130)
その他の書籍
著者 書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
荒川裕治FC東京の挑戦
魅せる「セクシー・フットボール」をめざして
小学館2001年3月223ISBN 4093860688
(ISBN-13 978-4093860680)
FC東京ゴールをめざせ!攻撃サッカー
点を取るための戦術と練習メニュー
池田書店2001年6月191ISBN 4262162400
(ISBN-13 978-4262162409)
後藤勝トーキョーワッショイ!
FC東京99‐04REPLAY
双葉社2005年3月285ISBN 4575297828
(ISBN-13 978-4575297829)
在籍監督・選手・スタッフについての書籍
著者 書籍名 出版社 発売日 頁数 ISBN
西部謙司最も愛される監督・原博実 ヒロミズム出版芸術社2007年8月109ISBN 4882933276
(ISBN-13 978-4882933274)
小宮良之RUNダイヤモンド社2007年11月16日215ISBN 4478002487
(ISBN-13 978-4478002483)
加部究忠成 生まれ育った日本のためにゴマブックス2008年6月12日201ISBN 4777109879
(ISBN-13 978-4777109876)
串田杢弥KING OF TOKYO アマラオゴマブックス2008年10月22日147ISBN 4777111369
(ISBN-13 978-4777111367)
小宮良之アンチ・ドロップアウト
簡単に死なない男たちの物語
集英社2010年3月25日221ISBN 4087805646
(ISBN-13 978-4087805642)
馬場康平石川直宏 まっすぐに平常心出版芸術社2010年5月6日229ISBN 4882933934
(ISBN-13 978-4882933939)

※対象となる監督・選手・スタッフは、FC東京以外のクラブにも在籍しているため、書籍の内容については、FC東京との関連性が必ずしも高いわけではない。

FC東京に所属するキャラクターがいるサッカー漫画/小説
キャラクター名作品名出版社
三杉淳キャプテン翼集英社
鳴海貴志ホイッスル!集英社
樋口広樹俺が近所の公園でリフティングをしていたら小学館

VHS・DVD

シーズンレビュー
タイトル 販売元 発売日 収録時間 ASIN
FC東京 J-1への軌跡 [VHS]日活2000年4月21日40分Template:ASIN
Tokyo 2000 (ミレニアム)日活2000月4年21日130分Template:ASIN
FC東京 2000-2002 シーズンレビュー(限定生産) 
FC東京 2002 シーズンレビュー日活2003年8月22日103分Template:ASIN
FC東京 2003 シーズンレビュー日活2004年4月23日110分Template:ASIN
FC東京 シーズンレビュー2004日活2005年3月21日110分Template:ASIN
FC東京 2005シーズンレビュー日活2006年3月24日110分Template:ASIN
FC東京 2006シーズンレビュー日活2007年6月8日99分Template:ASIN
FC東京 2007シーズンレビュー日活2008年5月9日94分Template:ASIN
FC東京 2008シーズンレビュー日活2009年5月8日90分Template:ASIN
FC東京 シーズンレビュー20092010年3月26日120分Template:ASIN
その他のDVD
タイトル 販売元 発売日 収録時間 全国書誌番号 / ASIN
2004 Jリーグヤマザキナビスコカップ総集編
初制覇!FC東京カップウィナーズへの軌跡!
日活2005年1月21日105分Template:ASIN
JリーグオフィシャルDVD 2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ
FC東京 カップウイナーズへの軌跡「TOKYO AT THE TOP」
データ・スタジアム2010年1月29日56分Template:ASIN
JリーグオフィシャルDVD 俺たちの国立(ロード・トゥ・国立)
2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ 激闘の軌跡!
データ・スタジアム2010年1月29日50分Template:ASIN
FC東京 スターズ 1999-2008日活2009年7月24日118分Template:ASIN
次代を担うプレーヤー養成プログラム
FC東京U-15むさしのチームプラクティス
T&H2008年195分書誌番号Template:全国書誌番号
在籍監督・選手・スタッフのDVD
タイトル 販売元 発売日 収録時間 ASIN / 品番
キング・オブ・トーキョー アマラオ77分NFC-320
KING OF TOKYO O FILME (キング・オブ・トーキョー・オ・フィウミ)ティー・オーエンタテインメント2010年5月28日114分Template:ASIN
スピードスター・石川直宏2010年 

関連項目

<references />

外部リンク

Template:FC東京のメンバー Template:日本プロサッカーリーグ Template:Jリーグカップ優勝チームar:إف سي طوكيو ca:FC Tokyo de:FC Tokyo en:F.C. Tokyo es:FC Tokyo fr:Football Club Tokyo id:FC Tokyo it:FC Tokyo ko:FC 도쿄 nl:FC Tokyo pl:F.C. Tokyo pt:F.C. Tokyo ru:Токио (футбольный клуб) simple:F.C. Tokyo sv:FC Tokyo tr:FC Tokyo

zh:FC東京
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