鬼束ちひろ

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Template:Infobox Musician 鬼束ちひろ(おにつか ちひろ、1980年10月30日 - )は、日本女性シンガーソングライター。本名同じ。宮崎県日南市南郷町(旧南那珂郡南郷町)出身<ref name=kami>『ARTIST DOCUMENT 神が舞い降りる瞬間 〜鬼束ちひろ・22歳の素顔〜』、NHK総合、2003年1月3日。</ref><ref name=papyrus>芳麗「ロングインタビュー 鬼束ちひろ 私はまだ死んではいない」『papyrus』、幻冬舎、2008年4月号。</ref>。宮崎県立日南高等学校卒。身長152cm<ref name=ann2007>『鬼束ちひろのオールナイトニッポン』、ニッポン放送、2007年11月5日。</ref>。所属事務所はNAPOLEON RECORDS、所属レーベルUNIVERSAL SIGMA

目次

概要

人物

家族構成は、父・母・弟・妹の5人家族であり、自身は長女である<ref name=rockinon2002>柴那典「「永遠の孤独者」鬼束ちひろ 20000字インタヴュー」『ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2002年2月号。</ref>。小学生の頃より部活で陸上を始める。中学時代は陸上部のキャプテンを務め、短距離400mリレー走選手として九州大会にも出場歴がある<ref name=kami />。

プライベートでは、お笑いコンビのシャカを誕生日パーティーに招待するなど社交的な面がある<ref name=ongakuya />。休日の過ごし方は「家でゴロゴロしたり一人で買い物したりする」という<ref name=bm>『BEAT MOTION』、NHK、2002年3月10日。</ref>。生活パターンは、昼夜逆転の生活を送っており<ref name=pretty>『CHIHIRO ONITSUKA PRETTY WITCH COMPLETE BOOK』、東芝EMI、2001年。</ref><ref name=iitomo>『笑っていいとも』、フジテレビ、2003年5月23日。</ref>、楽曲制作は専ら夜中(2〜3時頃)に行っているという。

自身の性格に関しては「人見知りしない性格」と分析している<ref name=mmm1 />。また、所謂「熱しやすく冷めやすいタイプ」であり、例えば茶そばを3日間連続で食べ続けて飽きるなどのエピソードを公言している<ref name=iitomo />。

サインは、以前はドクロのイラストマークの下に「CHIHIRO」という文字をもってサインとしていた<ref>アルバム『インソムニア』の裏ジャケットに記載されている他、アーティストグッズ等の印刷でも確認できる。ドクロマークは普通のドクロの他、DVD『ME AND MY DEVIL』リリースの際にはドクロに角が2本としっぽが生えた「デビルドクロ」、「Beautiful Fighter」リリースの際にはドクロに毛が1本生えた「波平ドクロ」が存在していた</ref>。現在は筆記体で「Chihiro」(Cの部分が鬼をイメージしたイラストマークとなっている)と書かれたものをサインとしている<ref>シングル「僕等 バラ色の日々」リリース記念キャンペーンでは、シングル購入者を対象にアンケートに回答してサインの待ち受け画像のダウンロードができた。</ref>。

趣味

好きなものは、小説アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』<ref name=rockinon2002 />。漫画古谷実の『行け!稲中卓球部』や岡田あーみんの『こいつら100%伝説』、井上雄彦の『SLAM DUNK』など<ref name=mmm2>『m.m.m!』、日本テレビ、2000年8月。</ref>。映画は『アメリカン・ビューティー』や『ギルバート・グレイプ』、『バトル・ロワイアル』、『溺れる魚』など<ref name=pretty />。また、『もんしぇん』<ref>Template:Cite web</ref>、『ぐるりのこと。』<ref>Template:Cite web</ref>、『ラストゲーム 最後の早慶戦』<ref>Template:Cite web</ref>では作品に対する賞賛のコメントを寄せている。服飾はMILK FED(ソフィア・コッポラによるデザインのブランド)の洋服<ref name=pretty />やヴィヴィアン・ウエストウッドのブーツ<ref>Template:Cite web</ref>など。食べ物はマクドナルドコーラキャベツ太郎梅干チョコレート。コーラは常時ステージドリンクとしているほどで、梅干に関しては「白いご飯と梅干さえあれば大丈夫」とまで発言するほどの大好物<ref name=ms2002>テレビ朝日系ミュージックステーション』(2002年2月8日放送)</ref>。キャラクターグッズも好きで、中でもディズニー映画『ピーター・パン』に登場するティンカー・ベルグッズがお気に入り。自身で「おたま」(オタマジャクシがモチーフ)の縫いぐるみ<ref name=fun />や十字架などのビーズアクセサリー<ref name=mmm1>『m.m.m!』、日本テレビ、2000年2月。</ref>を作成する事もある。お笑い好きでもあり、好きな芸人はシャカ田上よしえルート33など<ref name=toprunner />。特にシャカはお気に入りで、出演した番組中でも「色々浮気をするけれど結局シャカに帰ってくる」と話しており、どちらかと言えば大熊啓誉(ボケ担当)の方が好きであるという<ref name=toprunner /><ref name=ongakuya>『音楽屋』、フジテレビ、2002年2月5日。</ref>。好きな詩人には銀色夏生を挙げており、中学時代からのファンであり「モロに影響を受けた詞も書いていた」と後の対談でも語っている<ref name=papyrus />。好きな四字熟語に「疾風怒濤」を<ref name=kami />、単語に「虎」を挙げ、モットーに「(良い意味でも悪い意味でも)やられたらやり返す」を挙げている<ref name=utaban2001>『うたばん』、TBS、2001年3月15日。</ref>。

音楽性

楽曲制作の手法として大まかに、曲を先に制作してからそこへ詞を付ける作曲先行(いわゆる曲先)と、詞を先に書いてから曲を乗せる作詞先行(いわゆる詞先)の2通りがあるが、鬼束の場合は必ず詞先で曲作りを行う。これは鬼束が楽曲において歌詞を最重要視しているためであり、もし歌詞と曲がマッチしていない時でも、「詞の世界を壊したくない」「直感を大事にしたい」との理由で歌詞を変更することはいっさいなく、曲のほうを無理やり詞に合わせたり、曲のフレーズに詰め込む等の手法を用いる<ref name=toprunner />。曲作りは大抵夜中自宅の部屋の中で行い、思いついた歌詞を書き上げ(本人は「(歌詞が)降りてくる」と表現・説明することもあるが、神がかり的に受け取られることを嫌ってその表現を避けることもあった)、それに曲をつけるという方式が主である。常にその場で曲を作り上げるというが、例外として「everyhome」は曲を作り上げるまでに3日間を要したという<ref name=rockinon2007>山崎洋一郎「圧巻の歌、"everyhome"でシーンに帰ってくる鬼束ちひろ。訥々と全てを語った、本誌独占インタヴュー」『ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2007年6月号</ref><ref name=ms2007>『ミュージックステーション』、テレビ朝日、2007年6月1日。</ref>。

作詞を始めたのは小学4年生の時の夏休みの自由課題がきっかけ。現在の作詞スタイルを確立させたのは中学2年生の時、アラニス・モリセットの世界観に影響されてからで<ref name=mmm1 />、その時の詞は上京する際にすべて焼却処分したという<ref name=pretty />。歌詞の書き方は「everyhome」の制作を皮切りに変化が生じている。活動休止前の制作スタイルとしては感情をぶちまけるように歌詞を書くというのが主であったが、活動再開後は「自分が他の歌手だったらこういう書き方をする」というように自分を客観的に見て歌詞を書いたり、映画の映像から見た印象をモチーフとして歌詞を書く(「everyhome」は『フォレスト・ガンプ』、「Sweet Rosemary」は『ギルバート・グレイプ』、「bad trip」は『スパン』等)ようにもなってきている<ref>Template:Cite web</ref><ref name=barfout2007>山崎二郎「困難なことを乗り越えた上に獲得したのは、歌の強度」『BARFOUT!』、TCRC、2007年11月号。</ref><ref name=clip!>内本順一「鬼束ちひろ 表現者としてのあらたな旅のはじまり―」『clip!』、サークルKサンクス、2007年12月号。</ref>。

歌う時は左手を上下運動させたり身体でバランスを取る。気持ちがいい・解放感がある・バランスがとりやすいという理由から、裸足で歌うことが多い<ref name=utaban2001 /><ref name=ms2001>『ミュージックステーション』、テレビ朝日、2001年12月7日。</ref><ref name=mayonaka2002>『新・真夜中の王国 総集編』、BS2、2002年2月26日。</ref><ref name=mssp2002>『ミュージックステーションスーパーライブ2002』、テレビ朝日、2002年12月27日。</ref>。裸足でのステージが印象深い故に、裸足の歌姫と形容されている<ref>Template:Cite web</ref>。裸足で歌い始めるようになったのはシングル「月光」発売頃で、2000年7月26日に出演した『ASAHI SUPER DRY MUSIC SPIRAL 2000』の時点では既に裸足で歌い始めている。歌うときは腕時計チョーカーなど身体を締め付けるものは絶対に着けない<ref name=ms2001 />。これは束縛感を嫌うためであり、厚着もしない。本人いわく末端冷え性であるが、足はおろか一切の防寒対策はしない<ref name=ms2001 />。本人にとってライブはファンとのコミュニケーションの場であり、ステージングや自身の歌唱において完璧さを求める<ref name=kami />。

ライブの際にしばしばマリア像をステージの隅に置く。これは自分の中の守護神のようなものを表しているとし、自分の歌っている姿を見守っていて欲しいからであると語っている<ref name=kami />。シングル「everyhome」以降の作品のブックレットにおいても「thanks for God.」と書いている。

楽曲については、元プロデューサーの羽毛田丈史が重視する、ピアノを基盤としたアンプラグドアコースティックな生音での楽曲が主体で、ストリングスが用いられる楽曲も多い。鬼束の圧倒的な個性が出発点で、それゆえに、ピアノと鬼束のボーカルだけのパフォーマンスが究極の帰着点であると羽毛田は捉えていたようである。鬼束自身もアコースティックやカントリーな楽曲を好み、作曲もキーボードにて行っていることから、このスタイルを理想と考えていると思われる。羽毛田から音楽プロデューサーが変わった後も、ピアノを基盤とした楽曲制作は踏襲されているが、ギターサウンドやカントリーロックといったような、様々な編曲が試みられている。

作品制作においては、鬼束自身は、デモ音源を音楽プロデューサーに渡した後は一切楽曲の制作工程(アレンジやアルバム収録曲の選定や曲順決め等)には関与しない方針を貫いている。これは本人いわく「(性格的に)器用貧乏の真逆」ということで、シンガーとしての自分とソングライターとしての自分を分けていると語っている<ref name=discord2>『discord』、TOKYO FM、2007年11月11日。</ref>。アルバムのタイトルについては、毎回アルバムの制作に取り掛かる際に次回作のタイトルを決めているという。作品のリリースにおいて本人は「毎回これが遺作の気持ちで制作している」と語っている<ref name=cddata>「ものごとはすべて表裏一体である」『CDでーた』、角川マガジンズ、2003年8月号。</ref>。

好きなアーティストとして公言しているのは、ジュエル<ref name=pretty /><ref>NHK『トップランナー』出演時スタジオライブで「Foolish Game」を、『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』で「You Were Meant For Me」を、それぞれカバーしている。</ref>、アラニス・モリセット<ref name=pretty /><ref>『SWEET LOVE SHOWER 2004』で、『MTVアンプラグド』における「King Of Pain」のカバーをカバーしている。</ref>、シェリル・クロウアマンダ・マーシャル<ref>『AIR-G' 時計台アコースティックライブ vol.15』『CHIHIRO ONITSUKA LIVE TOUR 2001』等で「Let It Rain」をカバーしている。</ref>、メリッサ・エスリッジ<ref>『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIVE' 2002』で「Angel Would Fall」をカバーしている。</ref>、ジョニ・ミッチェルポーラ・コールキャロル・キング<ref>『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』で「You've got a friend」をカバーしている。</ref>、インキュバス<ref>『ULTRA COUNTDOWN』、スペースシャワーTV、2002年3月8日。</ref>、レネ・マーリンステレオフォニックスグー・グー・ドールズボン・ジョヴィサイモン&ガーファンクルトーリ・エイモスWink<ref name=rockinon2002/>、岡村靖幸<ref>山崎二郎「Face to Face 鬼束ちひろ×岡村靖幸」『BARFOUT!』、TCRC、2007年11月号。</ref>、THE BACK HORN<ref>「THE BACK HORNとのキズナ」『ザ・バックホーンの世界』、白夜書房、2008年6月7日。</ref>など。

楽曲と世の中の動き

シングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」の発売から4日後にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、「infection」の歌詞がそれを予見したと取れるような内容であったため、プロモーションが自粛された。その他にも、シングル「流星群」の制作中はしし座流星群が見られる時期であったり、2002年に「A Horse and A Queen」をライブで発表する前には、自身が尊敬するジュエルが全治4ヶ月の落馬事故を起こしたりと、楽曲と世相とがリンクした出来事が複数ある。

どの出来事も楽曲を制作した後のことであり、全て偶然ではあるが、ファンの間で鬼束ちひろの深層的な部分を表す事柄として話される逸話である。しかし本人は、「楽曲と世相とがリンクすることは以前からあったのでショックでもないし驚かなかった」と語っている<ref name=papyrus />。

所属レコード会社・事務所の変遷と活動休止

前所属レコード会社と事務所を離れた理由について本人は当初はコメントを出さなかったが、2007年にアルバム『LAS VEGAS』をリリースするにあたり複数の雑誌のインタビューでその心境を語っている。

移籍の発端となったのは2003年声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて「「いい日旅立ち・西へ」のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた」「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた」<ref name=clip! />と語っており、「前の事務所ともめ事があってそれで力をなくした」<ref name=news23>『筑紫哲也 NEWS23』、TBS、2007年12月7日。</ref>との発言から事務所との作品発売に対する確執があったことも示唆している。一部メディアでは、決別が決定打となったのは『シングルBOX』の発売が関係していると言われていた<ref>「鬼束ちひろのリストラ劇に見る中堅歌手不遇の時代」『サイゾー』、インフォバーン、2004年7月号。</ref>が、これについては後に本人いわく「契約上の問題」「単に関与しなかっただけ」としている<ref name=papyrus/>。

また、「育つ雑草」を発売後休養し、Sony Music Artistsを中途で契約終了した件については「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない」<ref name=asahi>Template:Cite web</ref>としており、「何か問題やトラブルがあった訳ではない」「もっともっと休む時間が必要だった」と語っている<ref name=papyrus/>。

この契約終了後は活動を休止していたが、活動休止直後に大量服薬による自殺未遂を経験したことを後に明らかにしている<ref name=barfout2007/>。その後も2005年のストーカー被害事件(後述・2005年の箇所参照)もあり精神的に不安定な状態が続き、「休んでいる時はただ(精神的に)落ちているだけだった」「リスナーとしての自分は残っていたけど表現者としての自分がまったくなかった」<ref name=clip!/>と語っている。2005年に玉井夕海と出会い、翌2006年の映画『もんしぇん』に関わるまでいっさい表舞台に姿を現すことはなかったが、その間にも友人である歌手のMEGのブログに名前が挙がったり週刊誌の記事に関係者のコメントが掲載されるなど、間接的に近況が報じられることはあった。

関連のある人物

自身が友人であると公言している人物として中島美嘉我那覇美奈元ちとせ篠原ともえ氣志團<ref name=iitomo />、妻夫木聡藤原紀香<ref name=fun />が挙げられる。中島については、アルバム『Sugar High』リリースを記念して開設された期間限定ウェブサイト『oni.tv』等においても本人から度々話題に挙げるほど親交があった。逆に鬼束を友人と公言している人物として玉井夕海<ref>Template:Cite web</ref>、MEG<ref>Template:Cite web</ref><ref>Template:Cite web</ref>、鈴木杏<ref>Template:Cite web</ref>などが挙げられる。

楽曲や作品、世界観を評価する著名人も多く存在する。鬼束に影響を受けたと公言している歌手として、MisaChi牧伊織関山藍果熊谷育美<ref>Template:Cite web</ref>、吉岡亜衣加<ref>「マイ・フェイバリッツ! 私のお気に入りの3枚」『月刊ニュータイプ』、角川書店、2010年5月10日。</ref>等が挙げられる。MisaChiは、鬼束とは日南高等学校時代の同級生であり、かつて久嶋美さち名義で活動していた際に特に影響を受けた楽曲として「infection」を挙げている<ref>Template:Cite webTemplate:リンク切れ</ref>。歌手以外にも漫画家徳弘正也もファンであることを公言しており、鬼束が音楽活動を休止中には活動の再開を望むコメントを出している<ref>『昭和不老不死伝説 バンパイア』コミックス第4巻、ISBN 978-4088595818集英社、2006年6月2日。</ref>。タレントの相沢真紀は、「月光」の歌まねをテレビ番組で披露したことをきっかけにものまねタレントに転向している<ref>『ものまねバトル』「ものまねスター誕生」、日本テレビ、2004年3月18日。</ref>。また、「いい日旅立ち・西へ」のカバーに際しては山口百恵が絶賛し<ref>Template:Cite web</ref>、「」に関しては映画監督神山征二郎<ref name=livedoor>Template:Cite web</ref>、徳光和夫<ref name=livedoor/>、石坂浩二<ref name=livedoor/>、渡辺大<ref>Template:Cite web</ref>らが高く評価した。その一方、音楽家菊地成孔は自身のコラムにおいて、世界観や歌唱法を宗教性と絡めて酷評した上で「育つ雑草」の歌詞に関して「完全迷走状態で面白い」と述べたこともある<ref>Template:Cite web</ref>。

鬼束ちひろがモチーフとなった作品および登場人物

2002年から2006年まで『まんがタイムきらら』(芳文社刊)において発表された藤島じゅん作の4コマ漫画てんしの末裔』では、主人公の友人として鬼束の名前をパロディ化したとされる「鬼塚ちひろ」(おにづかちひろ)というキャラクターが登場する。

また2006年に発表された映画『もんしぇん』は、鬼束ちひろの存在と楽曲がモチーフとなって制作され、劇中にも鬼束をモチーフにしたとされる「ちい」という人物が登場する。

経歴

  • 幼少から、音楽好きの両親の影響で(特に母親の影響が強い)洋楽に触れる。小学2年生の時に友達に誘われてエレクトーンを習い始め、中学3年生の時まで習い続ける。
  • 中学時代に母親にカーペンターズベストアルバムを聴くよう勧められてから音楽に興味を持つ。以降は外国人女性シンガーソングライターの楽曲を中心に洋楽を主に聴くようになる。
  • 高校2年生の時にジュエルのアルバム『心のかけら』によってその音楽と存在に衝撃を受け<ref name=rockinon2002 /><ref name=toprunner>『トップランナー』、NHK、2001年9月21日。</ref><ref name=pretty />(後に自身はライブやテレビでジュエルの楽曲「Foolish Games」「You Were Meant For Me」をカバーしている)、その瞬間からシンガーソングライターを志す。17歳の時に、文化祭でエイズに関する劇をやった事に感化され、初めての楽曲「call」を作る<ref name=kami /><ref name=fun>『FUN』、日本テレビ、2002年2月15日。</ref><ref name=pretty />。以降デビュー決定後までは全て英語詞で楽曲を作る(当時作った「call」や「edge」などの曲は日本語詞で、「NOT YOUR GOD」は英語詞のままで、それぞれデビュー後にCDに収録される)。
  • 高校3年生に進級してすぐ、オーディション雑誌『De-view』(オリコン・エンタテインメント刊)を読み、当時のマネジメント会社のMELODY STAR RECORDSが主催の「Virgin ARTIST AUDITION」のオーディションを受ける。そこで「call」を披露、才能を評価され、グランプリを受賞<ref name=kami />。学校の閉塞感や同調を強制させるシステムにもともと嫌悪感を抱いていた事や、歌手志望のために大学受験をする気がなかった事等から、高校3年生の頃は学校へはほとんど行かなかったという<ref name=kami /><ref name=pretty /><ref name=mayonaka2000>『新・真夜中の王国』、BS2、2000年8月7日。</ref>。
  • 1999年
    • 3月 宮崎より上京し、作曲活動に入る(「We can go」、「シャイン」、「月光」、「シャドウ」などはその当時に作られた)。
    • 10月 シングル「シャイン」のレコーディングに入る<ref>シングル「シャイン」ブックレット記載。</ref>。
  • 2000年
  • 2001年
    • 2月16日 テレビ朝日系『ミュージックステーション』出演の際、ハムスターをベランダで凍死させてしまったというエピソードを語ったところ、ネット上を中心にトークの内容と言動に非難が殺到。放送翌週の2月23日に当時の所属事務所であるMELODY STAR RECORDSよりトークに関する声明文が発表される事態にまで発展する。
    • 3月7日 初のアルバム『インソムニア』発売。約150万枚のセールスとなるミリオンセラーを記録する。同日、ニッポン放送鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』で初の単独パーソナリティーを務める。
    • 4月10日 初のライブツアー『CHIHIRO ONITSUKA LIVE TOUR 2001』をBIG CATの公演で開始。後にWOWOWでライブの模様が放送される他、一部はDVD『CRADLE ON MY NOISE L*I*V*E 〜LIVE INSOMNIA VIDEO EDITION〜』にも収録される。
    • 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件が発生。4日前の9月7日に5枚目のシングル「infection/LITTLE BEAT RIFLE」が発売されたばかりであったが、「infection」の歌詞の内容に事件を予見していたかのようなフレーズがあるということから、事件から2日後の9月13日に東芝EMIより楽曲のプロモーションを自粛するという声明文が発表される。プロモーション活動は約1ヶ月半自粛され、プロモーションビデオも放送されず、代わりに両A面となっていた「LITTLE BEAT RIFLE」で同作品のプロモーション活動を行うこととなる。
    • 9月21日 NHKトップランナー』に出演。番組内で初めてジュエルの楽曲「Foolish Game」をピアノ弾き語りでカバー。
    • 12月 台湾の歌手である劉虹嬅のアルバム『好好愛我』収録曲の「月光」を書き下ろしで提供する(自身の代表曲である「月光」とは無関係)。他アーティストへの楽曲提供は初。日本のファンからは「台湾月光」として話題となる。
    • 12月31日 4枚目のシングルとして発表した「眩暈」で、第43回日本レコード大賞作詩賞を受賞する。
  • 2002年
  • 2003年
  • 2004年
  • 2005年
    • 1月31日 Sony Music Artistsとのマネジメント契約をわずか9ヶ月で終了。事実上の活動休止となる。
    • 7月26日 本人が住むマンションに花束を持ち30分近くインターホンを鳴らし続ける男が現れ、警視庁渋谷署に住居侵入罪ストーカー規制法違反)容疑で逮捕される事件が発生する。
  • 2006年
    • 9月10日 映画『もんしぇん』の公開中、上映館(上野・国立博物館内映画館『一角座』)において、玉井夕海のユニット・Psalmとともにゲストライブに出演し、2004年の『SWEET LOVE SHOWER 2004』以来久々に公の場に姿を現す。映画について「音楽も映像も美しい。そんな美意識の高い映画は滅多にないと思います」というコメントを寄せる。
    • 9月26日週刊女性自身』に関係者によるコメントが掲載される。
  • 2007年
    • 2月20日ROCKIN'ON JAPAN』2007年3月号(ロッキング・オン社)誌上において、「鬼束ちひろ、シーンに帰ってくる」という見出しの記事が掲載される。翌日の2月21日にはスポーツ報知紙上でも復帰の内容が報道される。
    • 3月17日 小林武史主催のap bankのイベント『AP BANG! 東京環境会議 vol.1』にてライブを行う。ピアノとチェロの構成で「月光」と「MAGICAL WORLD」「everyhome」を歌唱する。3月18日付の日刊スポーツ紙上でその旨が報道された他、ファンに対し「待っていてくれたファンの方にはありがとう。これからもいい曲を作って歌い続けていきます」とのコメントが掲載される。
    • 4月1日 個人事務所であるNAPOLEON RECORDSを設立。
    • 5月12日 新オフィシャルサイトを開設。
    • 5月16日 音楽関係者を対象に『Welcome to everyhome -鬼束ちひろ プレゼンテーション試聴会-』を開催し、「everyhome」を披露する。
    • 5月30日 復帰作となる12枚目のシングル「everyhome」を発売。
    • 6月1日 テレビ朝日系『ミュージックステーション』に出演し、およそ4年振りにテレビ番組に登場する。フジテレビ系『僕らの音楽』でも特集が組まれ、小林武史との対談とスタジオライブが放送される。
    • 10月31日 3枚目のオリジナルアルバム『Sugar High』から実に4年10ヶ月振りの発表となる、4枚目のオリジナルアルバム『LAS VEGAS』を発売。
    • 11月5日 ニッポン放送『鬼束ちひろのオールナイトニッポン』が放送される。オールナイトニッポン枠でパーソナリティを務めるのは2002年3月の『鬼束ちひろのオールナイトニッポンR』以来。
  • 2008年
    • 4月26日 単独公演としては2003年の『UNPLUGGED SHOW '03』以来4年8ヶ月振りに、渋谷Bunkamuraオーチャードホールにて、1夜限りのプレミアムコンサート『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を行い、新曲「SUNNY ROSE」や「蛍」等を披露する。
    • 8月6日 坂本昌之プロデュースの下、映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の主題歌に起用された14枚目のシングル「」と、ライブDVD『NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を同時発売。
    • 9月26日 2002年の『CHIHIRO ONITSUKA 'LIVE VIBE' 2002』以来約6年振りの全国ツアーとして予定されていた『CHIHIRO ONITSUKA CONCERT TOUR 2008 "VEGAS CODE"』の全5公演が、極度の疲労による体調不良のため中止になったことが所属事務所より発表される。これにより年内の活動を休止する。
  • 2009年
  • 2010年

作品

詳細は各作品の項を参照のこと。発売日の記載はオリジナル盤に準ずる。

シングル

発売日 タイトル
1st 2000年2月9日 シャイン
2nd 2000年8月9日 月光
3rd 2000年11月8日 Cage
4th 2001年2月9日 眩暈/edge
5th 2001年9月7日 infection/LITTLE BEAT RIFLE
6th 2002年2月6日 流星群
7th 2003年5月21日 Sign
8th 2003年8月20日 Beautiful Fighter
9th 2003年10月29日 いい日旅立ち・西へ
10th 2003年11月27日 私とワルツを
2004年3月17日 シングルBOX
11th 2004年10月27日 育つ雑草
12th 2007年5月30日 everyhome
13th 2007年9月19日 僕等 バラ色の日々
14th 2008年8月6日
15th 2009年5月20日 X/ラストメロディー
16th 2009年7月22日 帰り路をなくして
17th 2009年9月2日 陽炎

オリジナルアルバム

発売日 タイトル
1st 2001年3月7日 インソムニア
2nd 2002年3月6日 This Armor
3rd 2002年12月11日 Sugar High
4th 2007年10月31日 LAS VEGAS
5th 2009年10月28日 DOROTHY

ベストアルバム

発売日 タイトル
1st 2004年12月1日 the ultimate collection
2nd 2005年9月7日 SINGLES 2000-2003
3rd 2010年4月28日 "ONE OF PILLARS" 〜BEST OF CHIHIRO ONITSUKA 2000-2010〜

映像作品

  発売日 タイトル 規格
PV 2000年8月9日 月光+1 SINGLE CLIPS LIMITED EDITION VHS
PV 2001年4月11日 ME AND MY DEVIL DVD・VHS
ライブ 2001年11月7日 CRADLE ON MY NOISE L*I*V*E 〜LIVE INSOMNIA VIDEO EDITION〜 DVD・VHS
PV 2002年12月11日 PRINCESS BELIEVER DVD・VHS
ライブ 2003年5月21日 ULTIMATE CRASH '02 LIVE AT BUDOKAN DVD
PV 2004年12月1日 the complete clips DVD
ライブ 2008年8月6日 NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS DVD
PV 2010年6月30日 HARD RED FANTASIA DVD

関連作品

ライブ

主要な出演のみの記載とし、テレビ番組のライブは割愛する。

ワンマンライブ

参加ライブ

メディア出演

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テレビ番組

主に特集が組まれた番組を記載する。

  • チノパン(フジテレビ、2000年11月7日)
  • トップランナー(NHK、2001年9月21日)
  • ARTIST DOCUMENT 神が舞い降りる瞬間 〜鬼束ちひろ・22歳の素顔〜(NHK総合、2003年1月3日)
  • 無添加(テレビ朝日、2003年1月9日・1月16日)
  • 鬼束ちひろ SPECIAL LIVE Presented by VISA International(テレビ朝日、2003年3月29日)
  • The Symphony Hall Sound Renaissance Vol.1 鬼束ちひろ(朝日放送、2003年8月29日)
  • 僕らの音楽(フジテレビ、2007年6月1日)

ラジオ番組

  • 鬼束ちひろのオールナイトニッポンR(ニッポン放送、2001年3月7日、2002年3月13日)
  • 鬼束ちひろProduce Super EditionJFN系、2002年3月6日・3月13日・3月20日・3月27日)
  • 鬼束ちひろのオールナイトニッポン(ニッポン放送、2007年11月5日)

連載

  • PRETTY WITCH(東芝EMI刊行フリーペーパー、2000年1月 - 2001年2月、不定期発行)
  • LAST DROP(『BARFOUT!』、2002年1月 - 5月)
  • 涙の旧山手通り(『ROCKIN'ON JAPAN』、2007年9月 - 2008年9月)
  • セクシー・アルマジロの気まぐれ哲学(『ROCKIN'ON JAPAN』、2009年5月)

その他

出典

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外部リンク

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