高畑勲
出典: Wikipedio
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AwP1kE <a href="http://dxuccjsqlgcu.com/">dxuccjsqlgcu</a>, [url=http://dqneffytabaa.com/]dqneffytabaa[/url], [link=http://gmatiusseyun.com/]gmatiusseyun[/link], http://rvczquzdlakw.com/ 高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。東京大学文学部仏文科卒業。紫綬褒章受章。
日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家であり、「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などの演出、監督などで知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもとてつ)がある。
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人物・概要
父は、岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代経団連会長・土光敏夫らと共に岡山県で初めての名誉県民に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎で[1]、7人兄弟の末っ子。血液型O型。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。
学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《Paroles》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている(フランスの長編アニメーション映画でプレヴェールが脚本を執筆した「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた)。「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。
長編アニメ映画「やぶにらみの暴君」(「王の鳥」の原型)に感銘を受けて、アニメ業界入りを決意。大学卒業後に東映動画に入社。「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手になり、テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビュー。その仕事ぶりを認められ、長編アニメ「太陽の王子 ホルスの大冒険」の演出(≒監督)に抜擢される。『ホルス』は興行的には惨敗するが、高い評価を得た。
その後、宮崎駿らと共にAプロダクション、ズイヨー映像(のちに日本アニメーションに改組)、テレコム・アニメーションフィルムへの移籍を経て、1985年、徳間書店が宮崎駿の映画製作の為に設立したスタジオジブリに宮崎に請われて参加する。現在もスタジオジブリに所属し、個人事務所の畑事務所を持つ。
1988年「火垂るの墓」の監督をつとめる。公開時点で清太が野菜泥棒をして捕まる場面など未完成のシーンが残ったままとなり、わずかながらも未完成のままでの劇場公開という不祥事に、いったんアニメ演出家廃業を決意したが、後に宮崎駿の後押しを受けて1991年に『おもひでぽろぽろ』で監督に復帰している。
宮崎駿やプロデューサーの鈴木敏夫、元同僚の人びとから呼ばれる愛称「パクさん」は、東映動画時代に高畑がよく遅刻して食パンをパクパク食べていたことからついたニックネーム。
ロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテインとも交流があり、ノルシュテインの代表作『話の話』の研究本(徳間書店)も刊行している。
アニメーション以外にも、水の都福岡県柳川市の風情を撮影した「柳川堀割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。「おもひでぽろぽろ」をつくる前に、しかたしん原作の『国境』をもとにして、日本による中国への侵略戦争、加害責任を問う企画を進めていたが、1989年に起きた天安門事件の影響で企画が流れた。
近年は、講演活動やフランスのミッシェル・オスロ監督の長編アニメーション映画「キリクと魔女」などの一連の作品の日本語版の字幕翻訳・演出に従事。さらに原作本の翻訳も手がけている。
略歴
- 1935年10月29日、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。
- 1938年、三重県津市に転居。
- 1942年、三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学。
- 1943年、父の転勤に伴い岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入。卒業後、岡山大学付属中学校に進学し卒業。
- 1954年、岡山県立岡山朝日高校を卒業、東京大学教養学部に入学。
- 1956年4月、東京大学文学部仏文科に進級。
- 1959年3月、東京大学卒業。4月、東映動画に演出助手として入社。「安寿と厨子王丸」「鉄ものがたり」「わんぱく王子の大蛇退治」「狼少年ケン」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ひみつのアッコちゃん」「ゲゲゲの鬼太郎(第1作)、(第2作)」「もーれつア太郎」 「アパッチ野球軍」などに参加。東映動画労働組合で副委員長に就き、仕事では無く組合運動を通じ宮崎駿と知り合い親交を深める。
- 1971年6月10日、宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)へ移籍。「ルパン三世 (TV第1シリーズ)」「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」「荒野の少年イサム」に参加。
- 1973年、宮崎駿、小田部羊一と共にズイヨー映像(現日本アニメーション)へ移籍。「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「ペリーヌ物語」などに参加。
- 1978年、宮崎駿の「未来少年コナン」に(絵コンテ)参加。
- 1979年、 「赤毛のアン」脚本・演出。
- 1981年、 テレコム・アニメーションフィルムへ移籍。「じゃりン子チエ」(脚本・監督)公開。
- 1982年、「セロ弾きのゴーシュ」(脚本・監督)公開。
- 1983年、「リトル・ニモ」の準備作業をするが米国側と意見が合わず演出を降板。
- 1984年、「風の谷のナウシカ」(プロデューサー)公開。
- 1985年、 スタジオジブリ設立に参画。
- 1986年、「天空の城ラピュタ」(プロデューサー)公開。
- 1987年、「柳川堀割物語」(脚本・監督)公開。
- 1988年、「火垂るの墓」(脚本・監督)公開。
- 1989年、「魔女の宅急便」(音楽演出)公開。
- 1991年、「おもひでぽろぽろ」(脚本・監督)公開。
- 1994年、「平成狸合戦ぽんぽこ」(原作・脚本・監督)公開。
- 1998年、1998年秋の紫綬褒章を受章。
- 1999年、「ホーホケキョとなりの山田くん」(脚本・監督)公開。
宮崎駿との関係
アニメーション作家・映画監督の宮崎駿は東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年に渡ってともに作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は少なくない。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えた。但し、現在は二人三脚で作品を作ることはなくなっている。
高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。<ref>こどもの城(渋谷)での講演における発言Template:要出典</ref>
高畑は「となりのトトロ」について、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。また、宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、「千と千尋の神隠し」の制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたというTemplate:要出典。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わった為であるTemplate:要出典。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうであるTemplate:要出典。
仕事
緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描かず、制作の際は口述や筆記によって自身の演出プランを展開させ、それを作画技術を持つスタッフが絵コンテにまとめるという形式をとっている<ref>ただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか? プロットは? 一つ一つの情景は? という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。</ref>。
しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。</br> スタジオジブリの鈴木敏夫は2007年6月のTV番組において、なるべく早く高畑勲に映画を撮らせたいと語った。ただ高畑の場合自分で絵を描くことが出来ないので、彼のイメージを具現化できるアニメーターが必要になるのでその点が難しいが、何とかすると語った。鈴木によると、実際に脚本段階まで進んでいる企画が複数あるとの事。
2010年、鳥獣戯画のようなタッチで描いた「竹取物語」を題材にした長編アニメーションの監督を予定していることを明らかにしている<ref>アジア映画専門ニュースサイトAsian Movie Pulseおよび『週刊文春』2010年1月21日号、P134</ref>。高畑は「ストーリーは変えずに印象が全く違う作品にしたいと思っています。なかなか進まなくてだいぶ先になっちゃうかもしれませんが」と語っている<ref>『週刊文春』2010年1月21日号、P134</ref>。
手がけた主要作品
- 1962年 鉄ものがたり (演助進行(演出助手と制作進行を兼任することを指す)
- 1963年 わんぱく王子の大蛇退治 (演出助手)
- 1963年 暗黒街最大の決闘 (助監督)
- 1964年 狼少年ケン おばけ嫌い ジャングル最大の作戦 (演出)
- 1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ (演出)
- 1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (演出)
- 1969年 1970年 もーれつア太郎 (演出)(カラー版OP/ED演出も担当)
- 1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗
- 1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ) (演出)(大隅正秋降板後、宮崎と共に「Aプロダクション演出グループ」名義で参加)
- 1972年 パンダコパンダ (監督)
- 1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 (監督)
- 1974年 1975年、1979年 アルプスの少女ハイジ (演出)
- 1975年 フランダースの犬 (第15話絵コンテ)
- 1976年 1980年 母をたずねて三千里 (演出)
- 1977年 アルプスの音楽少女 ネッティのふしぎな物語(絵コンテ)
- 1977年 シートン動物記 くまの子ジャッキー (絵コンテ)
- 1978年 ペリーヌ物語 (絵コンテ)
- 1979年 赤毛のアン (演出・脚本)
- 1981年 じゃりン子チエ (監督・脚本) ※劇場版
- 1981年 1982年、1983年 じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出) ※テレビ版
- 1982年 セロ弾きのゴーシュ (監督・脚本)
- 1982年 ニモ/NEMO (日本側演出) ※1983年3月12日に降板
- 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)
- 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)
- 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)
- 1988年 火垂るの墓 (監督・脚本)
- 1991年 おもひでぽろぽろ (監督・脚本)
- 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)
- 1999年 ホーホケキョ となりの山田くん (監督・脚本)
賞歴
- 厚生省児童福祉文化賞『赤毛のアン』
- 毎日映画コンクール教育文化映画賞『柳川堀割物語』
- 日本カトリック映画大賞『火垂るの墓』
- 文化庁優秀映画『火垂るの墓』
- 国際児童青少年映画センター賞『火垂るの墓』
- シカゴ国際児童映画祭最優秀アニメーション映画賞『火垂るの墓』
- シカゴ国際児童映画祭子供の権利部門第1位『火垂るの墓』
- モスクワ児童青少年国際映画祭グランプリ『火垂るの墓』
- 毎日映画コンクールアニメーション映画賞『平成狸合戦ぽんぽこ』
- アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門グランプリ『平成狸合戦ぽんぽこ』
- 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞『ホーホケキョとなりの山田くん』
- 1998年 紫綬褒章を受章。
- 2007年 第12回アニメーション神戸賞・特別賞を受賞。
- 2009年 ロカルノ映画祭名誉豹賞を受賞。
著書
単著
- 『ホルスの映像表現』徳間書店アニメージュ文庫、1983 (ISBN 4196695140)
- 『話の話―映像詩の世界』徳間書店アニメージュ文庫、1984
- 『映画を作りながら考えたこと 1955~1991』徳間書店、1991
- 映画を作りながら考えたこと 2(1991-1999) 徳間書店 1999.7
- 『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』徳間書店、1999
- 『漫画映画の志―「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』(岩波書店 2007年 ISBN 4000220373)
- 一枚の絵から 海外編 岩波書店 2009.11
- 一枚の絵から 日本編 岩波書店 2009.11
共著
- (宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ)『アニメの世界 とんぼの本』(新潮社,1988年,ISBN 4106019566)
- 王と鳥 スタジオジブリの原点 大塚康生,叶精二,藤本一勇共著 大月書店 2006.7
訳書
- 木を植えた男を読む ジャン・ジヨノ(訳著)徳間書店 1990.7
- ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2003
- ジャック・プレヴェール『ことばたち』(ぴあ 2004年 ISBN 4835609603
- プレヴェール『鳥への挨拶』編訳(ぴあ 2006年,奈良美智絵,ISBN 4835616359)
関連書籍
- 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(ISBN 4198613613)
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』(ISBN 4198618909)
脚注
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関連項目
外部リンク
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