騎手

出典: Wikipedio


Template:国際化 騎手(きしゅ)とは、馬を操縦する人のことである。

目次

解説

競馬の場合では、平地競走障害競走では馬の背に騎乗するが、ばんえい競走繋駕速歩競走ではそりや馬車の上に乗り操縦する。また騎手は自分の体重を含めて指定された斤量で騎乗することが求められる。

また落馬した場合には、落馬した地点に戻って再騎乗をしなければ、決勝線に到達しても正規の到達とはみなされない。そのため再騎乗をあきらめて競走中止となる場合が多い。

なお英語で騎手を表すジョッキー(jockey)は、ジャックやジョンの蔑称であるジョックに由来する。ジョックは後にジョッキーと訛り、単に競馬好きや馬好きを表すようになった。かつてイギリスの競馬施行体であったジョッキークラブも元々は競馬愛好家の集まりである。現在のような意味になったのは、騎手や調教師、馬主が分業されるようになった19世紀以降のことで、古い英語が残るオセアニア諸国等ではライダーと呼ばれることが多い。繋駕速歩競走ではドライバーと呼ぶ。

日本では競馬法第23条により、農林水産大臣の認可受け日本中央競馬会地方競馬全国協会が騎手試験の施行および免許を交付している。

日本での免許制

日本では騎手になるためには騎手免許が必要で、中央競馬地方競馬と別々の免許である。

中央競馬では日本中央競馬会が、地方競馬では地方競馬全国協会がそれぞれ発行しており、有効期限は1年間で、続けて騎乗する場合には1年毎に更新のために試験を受ける必要がある。なお調教師免許等と同時に取得することはできない。

また障害競走が行われる中央競馬では平地競走と障害競走とで別の免許となっている。地方競馬も平地競走とばんえい競走で別の免許となっている。

免許更新は中央が3月1日、地方は4月1日付け。

中央競馬の騎手免許では、2009年までは競馬学校出身者、地方競馬全国協会の騎手免許を受けている者であって『本会の定めた基準』に該当する者、それ以外で分けられていたが、2010年以降は競馬学校出身者、地方競馬全国協会の騎手免許を受けている者、それ以外の3種類に分けられることになった<ref>平成22年度 調教師及び騎手免許試験要領による。

ただし、2009年までは「過去5年間に中央競馬において年間20勝以上の成績を2回以上収めた地方競馬所属騎手」については、異なる内容の試験が行われていたが2010年以降は「申請年を含む3年間に中央競馬において年間20勝以上の成績を2回以上収めた地方競馬所属騎手」について、実地の騎乗技術試験を省略するのみとなった。</ref>。

短期騎手免許

指定競走、交流競走、特別指定交流競走で騎手免許がない競走に騎乗する場合には、試験なく「その競走に限定した騎手免許」が交付される。外国の競馬で騎乗している騎手に対しては、日本の調教師・馬主を引受人として臨時に行われる試験に合格した上で、1ヶ月単位の短期免許を1年の間に3ヶ月間まで交付する。詳しくは短期免許の項目に譲る。

ダブル免許制と安藤勝己

2003年2月までは中央競馬・地方競馬の両方の免許を持つ騎手は存在しなかったが、2003年2月当時、笠松競馬所属であった安藤勝己が中央競馬の免許試験に合格し、同時に地方競馬の騎手免許の取消願を提出した。

この時、地方競馬全国協会はダブル免許を容認し、中央競馬の免許の取得による免許の取消には応じなかったため、2003年3月1日から安藤は中央競馬と地方競馬の両方の免許を所有することとなった。この時点で日本中央競馬会は、地方競馬の免許で騎乗した場合には中央競馬の免許を取り消すとしていた。

更に、安藤が地方競馬の交流競走に騎乗した時には、地方競馬全国協会はすでに免許があるとして、短期免許は交付しなかった。したがって日本中央競馬会は特例として認めざるを得ない状況になり、特例を適用した。

2003年6月16日に地方競馬全国協会は安藤の地方競馬での騎手免許を取り消した。

調騎分離

現在、中央競馬及び地方競馬では騎手免許と調教師免許を同時に持つことはできない。つまり、調教師が自分の管理する競走馬に乗ってレースに出走することは現行の規定では不可能である。

これは当然と思われがちだが、1930年代以前は「調教師兼騎手」は珍しい存在ではなかった。大久保房松などは、管理馬に騎乗して日本ダービー制覇を達成している(1933年、カブトヤマ)。

調教師と騎手の業務が分離されるようになったのは、1937年日本競馬会競馬施行規定が規定されてからである。但しこの規定は、日本競馬会発足以前に免許を受けていた調教師(騎手)に対しては、1942年12月31日までは猶予期間とされたため、引き続き調教師が騎手としても騎乗することができた。

なお、戦後の一時期も調教師が騎手を兼務することが可能であったが、1948年より調騎分離が厳格に適用されることになり、現在に至っている。

騎手の養成

平地競走の騎手は着衣や馬具を含めて50数キロ(日本の場合、最も軽いケースで48キロ)での騎乗が求められることから、体重に関しては人一倍神経を必要とし、なおかつ馬に騎乗し、その操縦を行うという高度な技術が必要である。従って、一般の素人を騎手にすることは至極困難なことであり、よって養成が必要なスポーツである。

養成機関

中央競馬では1982年、騎手養成機関として競馬学校が設立され、騎手課程が設けられた。養成期間は3年間。それ以前は騎手候補生が騎手講習会(長期講習と短期講習とがあった)を受けた後、騎手免許試験を受験する制度が採用されていた。

競馬学校の受験資格は、年齢は義務教育卒業から20歳まで。このため騎手課程の場合は現役の大学生や短大卒・大卒は受験が困難である。体重は育ち盛りの年頃であるため、入所時に44キロ以下。

地方競馬では地方競馬教養センターがある。ここでは2年間の長期課程と6ヶ月の短期課程が設けられている。短期課程は主に競馬場での厩務員や調教助手などの経歴者、並びに海外の騎手免許を取得しレースに出走した騎手を対象としたものである。

地方競馬教養センターにはばんえい競馬の騎手を養成する部門がないため、ばんえい競馬の騎手を養成する専門機関は存在しない。このため、ばんえい競馬の騎手を目指す者はばんえい競馬の各厩舎において基礎技術を習得し、ばんえい競馬独自の騎手免許試験を受験する。詳細はばんえい競走#騎手を参照。

どちらの機関でも、卒業前に騎手免許試験を受験し、騎手免許を取得させた上で、晴れて騎手となる。騎手免許が取得できない場合もあり、この場合に騎手になるためには再度試験を受ける必要がある。騎手免許の取得は中央競馬では3月1日、地方競馬は4月1日を基点としている。

なお、騎手免許試験は上記の養成機関への在籍経験がなくても受験自体は可能であるため、中には上記の養成機関を経ずに、海外で見習騎手等の形で騎乗経験を積んだ上で騎手試験を受験し合格する者もいる。現在に至るまでこのようなケースで免許を取得した騎手は、中央競馬では横山賀一、地方競馬では中村尚平の例がある。

騎手の所属

調教師を頂点とする厩舎制度において、騎手は厩舎に所属し、調教師からさまざまな指導を受ける。

主催者側の養成機関ができる以前は、騎手を志すものは文字通り調教師に弟子入りし、厩舎の雑務をこなしながら技術を習得するという徒弟制度的な制度が採用されていた。そのため師弟関係の精神的な結びつきは非常に強く、騎手となりキャリアを積んだ後も出身厩舎への帰属意識が強かった。また調教師も門下生に管理馬を優先的に乗せるケースが多かった。

現在では競馬学校、地方競馬教養センターともに最終学年で実際の競馬の厩舎に所属し、調教などの技術指導を受けるカリキュラムがある。騎手免許を取得すると、主に最終学年で指導を受けた厩舎に所属して騎手の生活をスタートさせる。

これは特に中央競馬についていえることであるが、その関係は師弟関係というよりもむしろ調教師が騎手の身元引受人になるという意味合いが強く、精神的な結びつきが希薄である場合も多い。騎手は一定の期間が経過すると所属厩舎を離れフリー騎手としてひとり立ちすることが多く、また、厩舎が所属騎手に優先的に騎乗を依頼することも以前より少なくなっている。

フリー騎手

中央競馬では厩舎に所属しない騎手が多数いる。このような騎手をフリー騎手と呼ぶ。以前は実績のある騎手が所属厩舎と疎遠になったり、所属厩舎が解散したことを契機としてフリー騎手になるケースが多かったが、最近では一定期間を経過した若手騎手が実績に関係なくフリー騎手になるケースも多い。逆にフリーでやってきた騎手が厩舎とのつながりが生まれて厩舎に所属することもある。

この中央競馬のフリー騎手の嚆矢として知られるのは、ナベ正こと渡辺正人1963年引退)である。渡辺の場合は戦前に入門した厩舎が太平洋戦争による競馬中止により消滅、戦後になっても復活せず、戦後も師匠の弟弟子など縁故のある厩舎に籍を置いたものの、当時の厩舎の人間関係では騎乗馬に恵まれず、最終的には自ら営業して騎乗馬を集める様になったものである。当時はまだフリー騎手という言葉はなかった。

なおフリーランスの定義からすると中央競馬のフリー騎手は特殊で、厩舎に所属していなくても美浦栗東、いずれかのトレーニングセンターに所属している上、さらにいえば中央競馬に所属していることになる。少なくとも地方競馬では騎乗の自由は認められていない。また外国では厩舎よりも馬主との契約が重要であるため、フリーランスという概念も薄い。

地方競馬においてはフリーでの騎乗は認められておらず、必ず厩舎に所属する。期間限定騎乗騎手、短期免許でも同様である。内田利雄が地方競馬初のフリー騎手と言われることがあるが、それは一定の競馬場に長期間所属しないという意味であって、それぞれの競馬場では厩舎に所属している。

騎手の収入

騎手の収入は主に以下の二つに分けられる。

  • 競走に騎乗することで得られる収入
  • 厩舎の手伝いをすることによって得られる収入

競走に騎乗した際には、主に以下の二つが騎手の収入となる。

  • 賞金を得た場合には、その賞金の数%(日本の平地では5%、障害は7%)
  • 騎乗手当

従って、賞金の多い競走に勝利するほど収入は多くなる。

厩舎の手伝いとは、調教時の騎乗がメインであるが、厩舎に所属している場合には厩舎の一員として、その他の厩舎の雑務一般も行う(競走馬の餌付け・寝藁の交換など)。厩舎の一員として仕事をする以上、厩務員などと同様、毎月厩舎より給料をもらう。ちなみに競馬学校に在籍する騎手候補生は必ずどこかの厩舎所属になることが義務付けられており、騎手としてデビューする際も厩舎所属からのデビューとなる。

騎乗依頼

騎手は競走に騎乗しなければ始まらない。調教中心の騎手もいるが、騎手の最も大きな収入源は賞金からの進上金である。

騎乗依頼は主に以下のように決められることが多い。

  • 馬主と騎手の関係
  • 調教師と騎手の関係
    • 所属している騎手は当然として、同じ厩舎で働いたという関係で兄弟子、弟弟子等などのつながりがある。
  • 成績上位の騎手
  • 当日、空いている騎手

この辺が複雑に絡みあって競走への騎乗が決まる。中でも同じ騎手に何度か続けて騎乗してもらう場合、主戦騎手と呼ぶ。近年、中央競馬においてはエージェントを介在した騎乗依頼も行われている。

海外では事実上の馬主専属騎手が存在するなど多種多様の騎乗依頼方法が行われている。

競走当日に落馬負傷などの何らかの要因により乗り代わりを行う際に、日本では当日別のレースに騎乗予定があり、当該レースに騎乗しない騎手に依頼する。海外では当日全く騎乗がなく、競馬場のスタンドで観戦している騎手に依頼することがある。フランスにおいて武豊が落馬により左手骨折の重傷をした際、競馬場のスタンドで見学していた池添謙一に乗り代わりの依頼があったが、道具を持ってきていなかったため武豊とオリビエ・ペリエから借りてレースに臨んだ。ちなみに、池添謙一はこれがフランスデビュー戦となった。

騎手に対する制裁

レース前あるいはレース中の騎乗に際し、騎乗した馬を制御できなかった(御法不良:みのりふりょう)ためにレースに支障を来したり他の競走馬の進路を妨害するなどした場合、あるいは負担重量がレース前後の検量で発表していた斤量と異なっていた場合、その他スポーツマンシップに欠ける騎乗や言動(無断欠勤、競馬施設内外での暴力行為なども含まれる)を行った場合などは、競馬法施行規定第126条・第1項の規定で制裁を受けることがある。

制裁はその内容によって過怠金(いわゆる罰金)が科せられる。審議により降着以上になるような悪質な場合には一定期間の騎乗停止(中央競馬の場合、馬の癖による斜行の場合は2日間、その他明らかに騎手の判断ミスなどによる場合は一般的には4日間~6日間までだが悪質な場合それ以上の期間に延長される場合あり)を受けることになる(降着処分にならなくても騎乗停止処分を受けることはある)(また当該の競走馬に対しても再調教をして調教検査に合格するまで出走停止の措置が執られる場合がある)。

またこれらの制裁はポイントにも置き換えられ、30点をオーバーすると競馬学校やトレーニングセンターで騎乗技術などの再教育を受けることが義務付けられている。具体的には

  • パトロールビデオを活用した技術指導
  • 競馬施行規程に関するテスト
  • 精神訓話
  • 基本乗馬技術の再教育
  • 性格テストの結果による精神面の指導
  • 特別講義

といった内容のカリキュラムが、制裁事由、制裁歴、技術の程度、年齢などを勘案した上で実施される。

騎乗停止の制裁は、中央競馬・地方競馬相互間および外国との競馬相互でも適用される、騎手交流競走などで騎乗停止処分を受けた場合、それに準じて騎手の所属競馬団体でも騎乗停止の処分を受けることになる。

騎手の引退・殉職

騎手の仕事は肉体労働であり、年齢を重ね、筋力などが低下すること、基礎代謝の低下により体重を維持し続けることが困難になることなどから、騎手としての責務を果たすことが難しくなっていく。 従って一生にわたって騎手の仕事を続けることは難しく、本人が限界を感じたときなどに引退し、第二の人生を歩むこととなる。騎乗依頼が減り、収入が減ってくると年齢に関わらず引退することもある。自分が所属していた厩舎の調教師が1-2年後に定年を迎えるなどの事情がある場合、その厩舎を引き継ぐ目的で調教師への転身を行うものも多い。

第二の人生としては調教師や調教助手、厩務員など厩舎関係が多く、その他では後進の騎手の育成に携わる者、競馬予想家などの競馬周辺の産業に携わる者、さらには全く異なる職業に転身する者など様々である。調教師の仕事は騎手の仕事とは本質的に異なるため、佐々木竹見岡部幸雄などは調教師への転身の道を選ぶことなく引退したが、この様に騎手引退が悠々自適の余生へと直結するものは稀である。

一方で騎手は定年がないため、試験を受けて合格し、免許を更新し続けることで、極端に言えば亡くなるまで騎手の仕事を勤めることができる。他のスポーツ選手に比べれば純粋に身体的な能力を要求される要素は低いため、技術に優れ勝ち星と収入を確保し続けられる騎手は50歳を超えても第一線の位置に留まることができる。2009年現在の現役最年長の騎手は、金沢競馬場所属の山中利夫で、1967年春木競馬場で初騎乗以来、満60歳を迎えた今も現役である。また、2000年中央競馬の調教師であった内藤繁春(調教師以前は騎手を勤めていた)は翌年2月で中央競馬での調教師の定年を迎えることを期に、69歳で騎手免許試験を受験したことがある(結果は不合格)。

他方で、競馬の競走では競走馬のスピードは時速約60kmにも達し、それだけのスピードを出した競走馬から落馬をすれば死に至る危険性を持つ。事実、競走中の落馬事故によって命を落としたり、半身不随などの重篤な後遺症を負う騎手は少なくない。

騎手をサポートする仕事

騎手は個人事業主であり、本来は騎手の仕事を1人で全てこなさなければならないが、近年はしなければならない仕事が増加してきており、1人でこなすのは困難となりつつある。そこで騎手の仕事を一部分担する仕事が登場してきている。

バレット

バレット(valet)とは、レース開催時において騎乗時に使用する道具の準備・斤量の調節など、いわゆる補佐として騎手のために雑務をこなす存在である。バレットは競馬場内では青いビブスを身に付けている。

中央競馬においては、バレットは法的には騎手個人に雇用されるという形態をとっており、JRAはほとんど関与していない。そのため、バレットには基本的には男女、経歴、年齢問わず無資格でなることができる。バレットはその騎手の身内(兄弟姉妹や親子など)や信頼可能である友人・知人など親しい間柄にある者を雇用している場合が多い。

なお就労中に得た情報の漏洩や勝馬投票券の購入は禁止されている。

日本では中央競馬の安藤勝己は実子が、福永祐一池添謙一は実妹がバレットを務めていたことがあった。また後藤浩輝が一般にバレットを募集していたことがある。

エージェント

騎手のエージェント(代理人)は主に、調教師や馬主と交渉し、騎乗馬を確保する役割である。中央競馬ではエージェントの呼称を騎乗依頼仲介者としている。詳しくは同項目を参照。

脚注

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関連項目

外部リンク

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