阪神競馬場

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阪神競馬場(はんしんけいばじょう)は、兵庫県宝塚市(一部西宮市)にある中央競馬競馬場である。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会(JRA)である。競馬場の最寄駅から仁川(にがわ)とも呼ばれる。

アメリカイリノイ州アーリントンパーク競馬場と姉妹提携を結んでおり、阪神競馬場ではアーリントンカップ(GIII)、アーリントンパーク競馬場ではハンシンカップ(Hanshin Cup, GIII)が開催されている。

目次

コースの概要

thumb|150px|空から見た阪神競馬場

芝コースは、内回りが1周1,689m、直線356.5m。外回りが1周2,089m、直線473.6m(いずれもAコース使用時)。フルゲートは18頭(1,200m・2,000m・3,000mは16頭)。ダートコースは1周1,517.6m、直線352.5m、フルゲートは16頭。 コースは全体におむすび型。第3コーナーが直角に曲がるのがポイント。

かつてはコース全体が平坦であったが、1991年平成3年)の改修で4コーナーからゴール手前にかけて上り坂が設けられた。

現在は、平地競走において、芝1,200m、1,400m、1,600m、1,800m、2,000m、2,200m、2,400m、2,600m、3,000m、3,200m、ダート1,200m、1,400m、1,800m、2,000m、2,600m<ref name>2009年現在は施行されていない。</ref>、障害競走においては芝3,000m、3,140m、3,800m、3,900m、芝→ダート2,970m、3,110mの競走距離が設定可能である。過去には、3コーナーのポケットからスタートする芝2500mの距離設定が存在したが、2006年12月の改修工事に伴い、廃止された。

このうち、春に開催する牝馬三冠競走の第1弾・桜花賞と初冬に開催する2歳牝馬限定の阪神ジュベナイルフィリーズの競走距離である芝1,600mのコースについて、スタート地点の1コーナーのポケットから2コーナーかけて窮屈であるため内外で不利が発生することが多かった。

これを解消するために、59億8500万円の費用を投じて、隣接する新明和工業工場跡地を買収し、2006年(平成18年)の12月開催(12月2日から開催の「第3回阪神競馬」)から新たに芝外回りコースが設けられた。この改修により、芝1,600mのスタート地点も向正面に変更され、芝コースについては新たに芝外回り1,400m<ref name>2009年現在は施行されていない。</ref>、1,600m、1,800m、2,400m、2,600m<ref name>2009年現在は施行されていない。</ref>、3,200m<ref name>2009年現在は施行されていない。</ref>の競走距離が、更にダートも2,000mの競走距離が新設された<ref>第4コーナーのポケット地点からの発走し芝を78m走ってダートに入る。2000mはダートでの基幹距離とされるが、札幌競馬場に芝コースが設けられた1989年以降、中央競馬にはダート2000mの設定をもつ競馬場はなかった。</ref>。芝外回りの最終コーナーから決勝線までの直線が、中央競馬の右回り競馬場としては最長距離(473.6m/JRAでは3番目・第1位が新潟の芝外回り、第2位が東京の最終直線)になった。

芝外回りコースは3コーナーから4コーナーにかけて682mにも及ぶ長いカーブが大きな特徴であり、これはJRAのどの競馬場よりも長い3~4コーナーカーブとされている。

障害コースは1999年の改修までは埒が設置されておらず、生垣や多数の植え込みでコースが区切られていた。現在は正面の2号障害が水壕、襷コースはグリーンウォールと竹柵障害になっているが、改修以前は2号障害は竹柵。襷コースは生垣と水壕という形態がとられていた。以前の水壕障害は東京競馬場と同様、現在は水壕の手前に高さ1mの生垣があるが、以前は高さ50cmの非常に小さい植え込みが水壕の手前に置かれていた、よって水壕ごと跨ぐように飛越する形であった。4コーナーの9号障害(生垣)も以前は外側に設置されており、飛越してすぐにダートコースに入るような形になっていたが現在は埒の内側に設置されている。また直線が芝コースでのレースの場合は、9号障害は使用しない。また襷コースのグリーンウォールと竹柵障害はユニット式であり、レースのクラスによって大きさを調節できる。

阪神競馬場のリニューアルオープン記念ポスターは2枚用意している。1枚はオール阪神・巨人がキャラクターのポスター(阪神の身長が巨人より高くなっているもの・ポスタータイトルは大きなったなあ・阪神くんである)で、もう1つのポスターは馬場が大きくなることとプロレスラーのジャイアント馬場に掛け合わせた、言わば駄洒落的なポスター(ジャイアント馬場の足が印刷されている)である。

上記の工事は2005年(平成17年)4月から開始され、内回りコースと外回りコースを結合する工事を実施する2006年(平成18年)6月~9月の開催のみ関西の他場(京都・中京)に振替された。新・阪神競馬場のバックストレッチのハロン棒は新潟同様に内と外で距離が変わる為に2種類のハロン棒を合体させたものが使用されている。

また、内回りと外回りの結合点付近に川が流れているため、国内では埼玉県の地方競馬場・浦和競馬場に続き2か所目(なお、廃止になった大阪・春木競馬場も含めれば3か所目となる。)、中央競馬の競馬場としては史上初めて、橋上に馬場を通して競馬を行う。

スタンドは柱番号が24番までと、東京競馬場(柱番号54番まで)、中山競馬場(柱番号45番まで)、京都競馬場(柱番号42番まで)と比較して小振りである分、セントウルガーデン、スカイパークステージをはじめとしたスタンド外のエリアが広く、開放感のある競馬場となっている。かつてはスカイブルーステークスというレースも行われていた。

アクセス

阪急今津線仁川駅から専用地下道で徒歩5分。

  • かつては横断歩道を渡るなどせねばならず、渋滞と交通整理が付きものだったが、現在は専用地下道が整備され、雨天でも場内まで傘を差さずに向かうことができる。
  • 大阪、神戸方面からは西宮北口駅で今津線に乗り換えとなる。
  • 阪神競馬開催日は、メインレース終了時から17時頃まで、概ね10分間隔で仁川始発の梅田行き臨時急行(停車駅:塚口十三)が運転される。また、今津線内(西宮北口-宝塚間)の各駅停車は、通常は10分間隔での運転のところ、16時から17時30分頃までは4~6分間隔で運転される。

歴史

戦前

1907年明治40年)、現在の西宮市の鳴尾浜の両岸に作られ関西競馬倶楽部によって開催された西浜の関西競馬倶楽部競馬場と、鳴尾速歩競馬会によって開催された東浜の関西速歩競馬場がルーツ(この2つの競馬場を総称し、鳴尾競馬場と呼んでいた)。馬券発売禁止時代、馬政局の命令により両倶楽部は合併され阪神競馬倶楽部となり、1910年(明治43年)、関西速歩競馬場は廃止。1916年大正5年)、阪神電気鉄道が競馬場内側に野球場2面(鳴尾球場)を含む総合運動場を作り、翌年「全国中等学校優勝野球大会」を開催。

1937年昭和12年)、日本競馬会阪神競馬場と改称。1943年(昭和18年)、日本海軍が、競馬場に隣接する川西航空機の製造する軍用機の試験飛行を実施するための飛行場として競馬場用地の徴用を打診し、日本競馬会が代替用地の斡旋と建築資材の提供を条件に応じた為、1943年の開催を最後に開催終了した。

逆瀬川競馬場

日本海軍と日本競馬会では、移転候補地を検討の結果、武庫郡良元村の逆瀬川付近(現在の宝塚ゴルフ倶楽部の一部を含む用地)が最適と判断し、宝塚ゴルフ倶楽部や付近の土地所有者との交渉を行い、1944年には競馬場用地の買収を完了、ただちに移転工事を開始した。工事資材は海軍より提供されたが、山地を切り開き、平地に地ならしする必要のある馬場・スタンド付近の工事は先送りされ、まず先に厩舎施設や調教コース、ポンプ場などの関連設備、及び職員用住宅の建築を実施する事とし、終戦後も工事を続けた結果、1946年4月に完成して使用開始した。

しかし、1946年6月に、進駐軍が慰安用ゴルフコースに使用する為に未着工の用地を接収<ref>馬場予定地のゴルフコースは、工事着工までは従来通り使用を認めていた為、クラブハウスを含めそのままの状態で残っていた。(日本競馬史・巻七(p778))</ref>した為、それ以上の工事継続が不可能となった上に、調教コースもゴルフコースに復元されてしまった為、調教用設備としても使用困難となり、早期の接収解除も望めない事から、競馬会では新たな競馬場用地を探す必要が生じた<ref>「日本競馬史・巻六(p526-p541)及び巻七(p778-p779)」</ref>。

新阪神競馬場の開場

日本競馬会では、新たな競馬場用地の取得を検討したが、独自に競馬場用地を取得する予算も無く苦慮していたところ、戦災に遭った後は放置されていた仁川の旧川西航空機宝塚工場跡地の払い下げを受けて、競馬場の建設を検討していた社団法人西日本競馬振興会(のち「京阪神競馬株式会社」を経て、現・京阪神不動産株式会社)に競馬会側が協力し、まず同地に仮設の競馬場を建設し、それを競馬会側が賃借する事で合意した。

そうして1948年夏より競馬場設置工事を開始したが、まずは鉄骨類などの建物の残骸を取り除く工事から開始せざるを得なかった。またスタンドも土盛の上にコンクリートを打ち、小さな屋根を付けた程度の粗末な設備なものの、1949年暮れに竣工し、12月3日より第一回阪神競馬が開催された<ref>「日本競馬史・巻七」(p779-p794)</ref>。

この時点では、逆瀬川地区の競馬場施設もそのままで、大半の馬や人は逆瀬川におり、競馬開催時に阪神競馬場まで移動していた。また馬場は水捌けが悪く、雨が降ると水が浮いて状になり騎手から不評だったため、第一回開催の終了後に再整備を余儀なくされた<ref>「日本競馬史・巻七」(p797-p798)</ref>。

しかし、阪神競馬場の人気は振るわなかった。馬場の内側には戦災で破壊された鉄骨類がみられ、極めて殺風景だった事から、当時の農林省競馬部では、馬場内の整備の一環としてゴルフ場を設置する事を決め、京阪神競馬会社や京阪神急行電鉄などと協力して場内整備を行い、1951年2月に全9ホールの「仁川ゴルフクラブ」として開場した<ref>「日本競馬史・巻七」(p804)</ref>。

1952年になって、米軍より逆瀬川の競馬用地が返還された。農林省競馬部では、当初の予定とおり競馬場を建設する方針であったが、まずは調教用馬場の設置と、阪神競馬場と厩舎地区を結ぶ馬道の建設を計画したが、宝塚ゴルフ倶楽部側は、国に対してゴルフ場としての払い下げを求めて使用を開始したため、阪神競馬場が国に払下申請の却下を陳情したものの、結局国がゴルフ倶楽部側に対してゴルフコースの一時利用許可を与えた為、調教用馬場の建設はならなかった。一方阪神競馬場では、京阪神競馬会社と新たな賃借契約を結び、土地購入やスタンドの増築などを実施し、利用客へのサービス向上を図った<ref>「日本競馬史・巻七」(p804-p811)</ref>。

1955年(昭和30年)、日本中央競馬会が設立されると、競馬会側では逆瀬川の競馬場用地への移転を断念、現在の競馬場を競馬会が取得する事とし、京阪神競馬会社と交渉の結果、双方で土地を交換した上で、逆瀬川の用地を宝塚ゴルフ倶楽部側が買収する事で合意し、1956年3月に逆瀬川地区から厩舎を移築して、全ての施設を仁川地区に集約した<ref>「阪神競馬場50年史」p44</ref>。

1955年には障害競走専用コースを設置、1959年にはスタンドの増築が完成し、阪神競馬場開場当時の木造スタンドは消滅したが、入場人員の増加に伴い、1962年1966年に再増築された。

厩舎の移動から改築まで

1969年滋賀県栗東トレーニングセンターが開場し、11月4日から11月20日にかけて、阪神競馬場所属の人馬の移動が行われた。不要となった厩舎地区は整地され、駐車場や場内公園などに利用された。また調教用馬場は、一時的に地元乗馬クラブに貸し出されるなどした後で、1974年ダートコースへの改造が行われ、9月7日より正式に使用開始された。混雑するスタンドも、1979年に再増築された<ref>「阪神競馬場50年史」p44-p58</ref>。

1986年にはターフビジョンが設置されたが、最も古いスタンドが築35年となり、老朽化も目立ってきた事から、JRAでは阪神競馬場の全面改築を決定。1990年6月の開催後に工事を開始した。

阪神・淡路大震災から現在まで

1991年12月、改築工事は終了した。スタンドは一新し、直線コースには、新たに坂が設けられた。

1995年(平成7年)1月17日阪神・淡路大震災で壊滅的被害を受ける。パドックの屋根が大きく傾き、芝、ダートの各コースにもひびが入る。無事であった厩舎地区を被災者の避難場所として使用。このために2月25日から4月16日の1回、2回阪神競馬は京都競馬場5月20日から6月11日の3回阪神競馬は中京競馬場(但し震災直後1月21日22日の京都競馬が取り止めとなり、代替開催を震災復興支援レースとして6月3日4日=宝塚記念に割り当てた)、9月9日から10月1日の4回阪神競馬は京都競馬場でそれぞれ代替開催された。これに伴いGI級競走の桜花賞および宝塚記念を京都競馬場で開催。大震災から11か月後12月2日、阪神競馬を再開。

1996年(平成8年)以後、これまで阪神に割り当てられていた5~6月の開催が中京競馬場と開催節交換となり、6~7月の開催に変更された。これは以下の理由Template:要出典が考えられている。

  • 中京競馬場の名物レースである高松宮杯(現:高松宮記念)が、JRAGIレースへ昇格。
    同レースはそれまで2000mで行われていたが、JRAGI昇格に伴い1200mに短縮し春のスプリント王決定戦へ変更したことから、春のGI級戦線の終盤戦へ開催時期を変更(なお、現在はマイル路線を含む短距離の総合的ローテーション確立のため3月最終週へ変更。)。
  • 宝塚記念等の主要重賞レースへ3歳馬(2000年までは数え4歳)の出走を促すため、ローテーションの確保。
    日本ダービーから宝塚記念まで旧来は中1週しか空いていなかったが、1996年(平成8年)当時は中1か月程度になった。しかし夏季を休養に当てる3歳馬を含む主力馬の出走がより困難となるため、2000年(平成12年)、再度日程を見直し6月最終週へ変更。
  • 関東・関西とも6月中旬~9月初旬に3か月間連続のローカル開催より、7月初旬まで4大競馬場(主場)開催を確保し、売り上げ金額増大を図る。

2008年9月14日以後、施設閉鎖により馬場内への入場ができなくなった。

2009年12月5日の第5回阪神開催から、ハイビジョン対応2面マルチターフビジョンで映像提供を開始した<ref>阪神競馬場に新ターフビジョン!JRAホームページ 2009年6月29日</ref>。

2009年12月26日に行われた第3競走に於いて、1着に6番人気のケイエスケイト、2着に9番人気のテイエムキングダム、3着に17番人気のアスカトップレディとなった。これにより3連単の配当金額が11,849,250円(4896通り中3300番人気)となり、この配当金額は阪神競馬史上歴代1位、3連単としてはJRA歴代3位の高配当を記録した。また、同競走の3連複の配当金額が1,774,500円(816通り中605番人気)となり、3連複の阪神競馬史上1位、JRA歴代6位の高配当を記録した。

ファンサービスの一環として日没が遅くなる2007年の夏季開催(6-7月)で「準薄暮開催」を試行。第1競走を午前10:20か10:30、最終を16:40か16:50にそれぞれずらした。2009年から正式に「阪神薄暮」として開催。また加えて2008年から9-10月、2009年から3-4月の開催も「準薄暮」となった。

場内の施設

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スタンド

1991年(平成3年)に改修された6階建てで、4階から6階は指定席となっており、2階から6階にかけては前面ガラス張りの冷暖房完備となっている。中央コンコースを挟んで東と西に分割されている。

指定席がある。

  • Sラウンジ(スーパービューラウンジ)
    スタンド6階 288席禁煙 3,300円(一般入場料別) JRAカードによるインターネット予約または電話予約にて発売
  • Aシート(アペックスシート)
    スタンド4階 1134席禁煙 2,300円(一般入場料別) JRAカードによるインターネット予約または電話予約にて発売
  • Bシート(ボナンザシート)
    スタンド5階 680席禁煙 1,800円(一般入場料別) JRAカードによるインターネット予約または電話予約にて発売
  • Bシート(ボナンザシート)
    スタンド4階 1134席禁煙 2,000円(一般入場料込) 当日先着順にて発売

当日発売のBシートは開門前から発売される(ただしGI競走開催日は、開門約30分前から開門までは中断)ため、開門前からBシートエリアに入ることが出来る。ただし、開門後までBシートエリアを出ることは出来ない。

  • 車椅子専用指定席(5階Bシート内 4席禁煙 1,800円<一般入場料別 同伴者は1名まで無料> 当日先着順にて発売)

車椅子で観戦できる一般スペースは、東・西ウイング3階と、東ウイング2階にある。

シルバーシートがある。満65歳以上が対象。東ウイング3階に216席、東ウイング2階に138席があり、利用するには年齢を証明出来るものが必要となる。

ATM

1Fコンコース横にはりそな銀行現金自動預け払い機(ATM)が設置されており<ref>阪神競馬場にあるATMはりそな銀行の出張所となっており、一般の銀行ATMが設置されている。なお、東京競馬場中山競馬場京都競馬場イーネット設置のコンビニATMである。</ref>、りそな銀行、埼玉りそな銀行近畿大阪銀行のキャッシュカードでは終日(運用時間は競馬開催時の9:00~17:00)手数料無料で入出金ができる。

ホースレースiスポット

東ウイング1階にある。席数は26席で、利用料は500円(入場料別)である。各席にノートパソコンが設置されており、インターネットが使い放題になっているため、JRA-VAN NEXTなど、各種競馬情報を得ることが出来る。

また、携帯電話充電有料サービス(10分100円)を行っている。

場内ミニFM

場内ではミニFM放送で各放送局の音声を送信している。周波数は以下のとおり。

パドック

パドックを観覧する場所の上を覆うように阪神競馬場特有の屋根がついており、雨天でも傘を差さずに観覧できる。ワールドスーパージョッキーズシリーズの表彰式や、トークショーなどもここで行われる。

セントウル像

スタンドの東にあるセントウルガーデンのセントウル像があり、阪神競馬場のシンボル的存在となっている<ref>重賞のセントウルステークスが実施されるほか、グリーンチャンネルの競馬中継で阪神競馬場を表すアイコンにもなっている。</ref>。

「宝塚競馬場」

宝塚市は競馬ブーム以降、「『阪神』では地名が分からない。だから『宝塚』に変えてもらいたい」と、阪神競馬場を「宝塚競馬場」に改名してもらおうという陳情をJRAに再三にわたって行っている。しかしながら「歴史」にもあるように、ルーツは鳴尾の阪神競馬場であり、競馬法上ではこの阪神競馬場が場所を移転して存続しているので、JRAがこの陳情に対し真剣に検討したことはない。宝塚市側では諦めきれず、市のホームページや、市で発行する広報紙や公文書等で「宝塚競馬場」と表記し、市内の道路標識での表記や阪急今津線仁川駅の副駅名も「宝塚(阪神)競馬場」にしている。

しかしながら、すでに「宝塚」の名を冠している「宝塚記念」があり、通称として『阪神』あるいは『仁川』がファンに定着している。

主な競走

GI
GII
GIII
J・GII
J・GIII

特別競走

主な誘導馬

現役馬
引退馬

主な元所属調教師

1969年に栗東トレーニングセンターが開設されるまでは競馬場で調教が行われていた。

レコードタイム

  • †は基準タイム。
  • 2010年4月18日終了現在

芝コース(2歳)

距離タイム競走馬性別斤量騎手記録年月日
1200m1:08.6エイムアットビップ54kg福永祐一2007年9月22日
1400m1:21.1ゴールデンキャスト54kg武豊2002年9月28日
1600m1:33.1†ウオッカ54kg四位洋文2006年12月3日
1800m1:46.8ホッコータキオン54kg飯田祐史2008年9月20日
2000m2:00.8アグネスタキオン54kg河内洋2000年12月23日

芝コース(3歳以上)

距離タイム競走馬性齢斤量騎手記録年月日
1200m1:07.1ビリーヴ牝454kg岩田康誠2002年9月8日
1400m1:19.9サクラバクシンオー牡559kg小島太1994年10月29日
1600m1:32.0マイネルポライト牡457kg角田晃一2007年6月16日
1800m1:44.7ブロードストリート牝354kg藤田伸二2009年9月20日
2000m1:58.1タップダンスシチー牡556kg佐藤哲三2002年9月7日
2200m2:10.9アスクコマンダー牝455kg武豊2002年6月16日
2400m2:24.2イコピコ牡356kg四位洋文2009年9月27日
3000m3:02.5ナリタトップロード牡559kg渡辺薫彦2001年3月18日

ダートコース(2歳)

距離タイム競走馬性別斤量騎手記録年月日
1200m1:11.0マイネラロンハ51kg船曳文士2007年12月22日
1400m1:23.5ラヴェリータ54kg四位洋文2008年12月6日
1800m1:52.0プラチナメーン55kg東川公則2007年12月23日

ダートコース(3歳以上)

距離タイム競走馬性齢斤量騎手記録年月日
1200m1:09.7セレクトグリーン牡355kg河内洋1998年9月27日
1400m1:21.9ゴールドティアラ牝455kg武豊2000年6月18日
1800m1:48.5サカラート牡454kg武豊2004年7月10日
2000m2:01.0ワンダースピード牡558kg小牧太2007年12月23日

障害

距離タイム競走馬性齢斤量騎手記録年月日
芝3140m3:26.4コウエイトライ牝760kg小坂忠士2008年9月20日
芝3800m4:18.1†ファイブポインター牡459kg岡冨俊一1999年3月14日
芝3900m4:19.8ダンシングターナー牡660kg熊沢重文2001年3月10日
ダ2970m3:15.7パルティアシチー牡460kg南井大志2007年9月22日
ダ3110m3:25.0バトルブレーヴ牡661kg菊地昇吾2008年7月5日

以前行われていたコース

距離タイム競走馬性齢斤量騎手記録年月日
芝1600m1:34.6メジロドーベル牝253kg吉田豊1996年12月1日
芝1600m1:31.9ローエングリン牡458kg後藤浩輝2003年4月19日
芝2500m2:30.4カミノマジック牡556kg菊沢隆仁1996年6月15日
芝3200m3:22.6†ビワハヤヒデ牡458kg岡部幸雄1994年4月24日
障芝3170m3:27.4ミレニアムスズカ牡460kg北沢伸也2002年9月14日
障ダ3000m3:16.3スーパーシーザー牡560kg菊地昇吾2002年4月6日
障ダ3140m3:26.4トウケイカントリー牡460kg今村康成2005年3月20日
  • 芝1600mは、現在の内回りコースを使用していたもの
  • 芝3200mは、現在の内回りコースを2周していたもの(現在の3200mは外回り→内回り)
  • 1991年11月30日~2006年4月16日に行われ、現在は存在しないコースで掲載

脚注

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<references />

参考文献

  • 「日本中央競馬会10年史」(日本中央競馬会、1965年)
  • 「日本競馬史・巻六・巻七」(日本中央競馬会)
  • 「阪神競馬場50年史」(日本中央競馬会阪神競馬場、1999年)

外部リンク

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