認識論

出典: Wikipedio


Template:哲学のサイドバー 認識論(にんしきろん、Epistemology)は哲学の一部門である。知識論とも呼ばれる。語源はギリシャ語の epistēmē + logos 。真理知識の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する。日本では認識の訳語からか、人・人間を考慮した場合を主に扱うが、なお、フランスではエピステモロジー(Épistémologie)という分野があるが、これは認識論を表すわけではなく、むしろ20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では科学認識論とも訳される。

目次

特徴

認識論で扱われる問いには次のようなものがある。

  • 人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。
  • 人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。
  • ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。
  • 人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。

[[ファイル:Classical Definition of Knowledg - ja.svg|thumb|250px|right| プラトンによれば、知識というのは、真であり、なおかつ、信じられている命題の部分集合である。]]


認識論史上の主な出来事

カントによる統合

認識論の議論の例としてしばしば挙げられるものに、イマヌエル・カントによる合理主義と経験論の統合がある。

ルネ・デカルトバールーフ・デ・スピノザゴットフリート・ライプニッツなどに代表される大陸合理主義者は、人間の思考には経験内容から独立した概念が用いられていると考えた。

ジョン・ロックデイヴィッド・ヒュームなどに代表されるイギリス経験論者は、経験に先立って何かの概念が存在することはなく、人間は「白紙状態」(タブラ・ラサ)として生まれてくるものと考えた。この立場からは、全ての知識や概念は人間が経験を通じて形成するものだということになる。

数学の定理は、こうした経験論の立場に立つ者にとっては少し厄介な問題を引き起こす。定理の真偽は人間の経験に依存せず、経験論の立場に対する反証となる。経験論者の典型的な議論は、このような定理はそもそもそれに対応する認識内容を欠いており、単に諸概念の間の関係を扱っているだけだというものだが、合理主義者は、定理にもそれに対応する認識内容の一種があると考える。

カントは、このような二派の対立を決着したとする見方が、今日広く受け入れられている。例えば「因果関係」「時間」「空間」など限られた少数の概念は人間の思考にあらかじめ備わったものであるとした。カントによれば、そうした概念を用いつつ、経験を通じて与えられた認識内容を処理して更に概念や知識を獲得していくのが人間の思考のあり方だということになる。

また、カントは人間は物自体を知り得ず、ただ事物が自分の思惟に与えてくる内容だけを知ることができると考えたことでも知られている。

フッサール現象学

20世紀初頭、エドムント・フッサールは、西欧諸科学が危機に直面しており、その解決が 学問の基礎付けによってもたらされると考え、現象学の確立を試みた。

自己、時間、世界の諸事象などについての、確実な知見を得るべく、通常採用している物事についての諸前提を一旦保留状態にし、物事が心に立ち現れる様態について慎重に省察することで、諸学問の基礎付けを行うことができると考えた。

ポストモダニズム

近年、ポストモダニズムと呼ばれる人文社会科学上の潮流は、主に認識論的な立場だとする見解が多く見られる。

非本質主義相対主義などと形容されることが多いポストモダニズムの典型的な議論、認識論として、次のような特徴が挙げられる。

  • 地理的、歴史的な差異を捨象する一般理論に対する警戒、反駁
  • 計量的なアプローチに対する反発と、物事の定性的で詳細な観察や記述に基づく事例研究の重視
  • 個々人の差を捨象するカテゴリー化ステレオタイプに対する警戒、反駁
  • 国家民族、などの「起源」に溯って特定の集団の特権的地位を主張する議論に対する反駁
  • 客観的中立的な見地から行われているように見える研究やその結果にも、そこに含まれる前提や、研究に用いられる基本的概念が、文化の影響と無縁ではないことの指摘。とりわけ性差(ジェンダー)や健康をめぐるもの。
  • 抽象的概念、学問、理性などに対する深い懐疑。あるいはそれらを放棄しようとする試み。
  • 進歩の概念に対する警戒や反駁。特定の集団や社会が「より進んでいる」とする立場に立って、「後れている」集団や社会をどのように改善できるかを検討するような議論に対し、そうした優劣の構図を反転させ、「改善」が別の観点からは「改悪」でありうることを示すもの。
  • 学問の進歩に対する懐疑。
  • 中立的な立場があり得ないことから、特定の政治目的のために研究を行い、特定の政治目的のために論述を行うべきだとする主張。ここで目標となるのは、多元主義相対主義、少数派の擁護、反権威主義、などであることが多い。

こうした認識論上の主張は、フリードリヒ・ニーチェミシェル・フーコージャン=フランソワ・リオタールリチャード・ローティなどの哲学的な著作に基づいてなされることが多い。

現代英米の認識論

現代の英米系の認識論では知識とは何か、正当化とは何か、懐疑主義とどう向き合うかといった問題を軸に活発な議論が行われている。

知識と正当化の概念分析

知識の概念分析においては、「知識とは正当化された真なる信念である」という知識の古典的定義をどう修正していくかということが一つの焦点となってきた。これはゲティア問題のために、古典的定義が文字どおりには正しくないことがはっきりしたためである。 この文脈では以下のような立場がさまざまな哲学者によって展開されてきた。

基礎付け主義

基礎付け主義(foundationalism)とは、正当化はなんらかの基礎的な信念(それ以上正当化を必要としないような信念)から導出する形で行われなければならないという立場。しかし正当化の出発点となる基礎的信念を見つけるにはどうしたらよいかという問題をかかえる。

整合説

整合説(coherentism)とは、一群の信念がお互いに調和しあっていることをもって、その集合に属している信念が正当化されるとする考え方。単純に整合するというだけであれば整合的な信念体系は無数にあって相対主義に陥ってしまうという問題が指摘されている。

内在主義

内在主義(internalism)とは信念の正当化に使えるのは認知者本人がアクセスすることができるものだけだという考え方。ゲティア問題を内在主義で切り抜けるのは非常に困難である。

外在主義

外在主義(externalism)とは信念の正当化に認知者本人には分らないような要因を持ち出してもよいという考え方。以下に見る知識の因果説、信頼性主義、決定的理由分析、トラッキング分析などはすべて外在主義の立場である。外在主義に対しては、認知者本人に分らないような意味で正当化されることになんの意味があるのか、という批判がある。

知識の因果説

知識の因果説(causal theory of knowledge)とは、ある信念が正当化されるかどうかはその信念がどういう原因で生じたか、という原因によって決まるという立場。次に見る信頼性主義が知識の因果説の代表である。

信頼性主義

信頼性主義(reliabilism)とは外在主義の中心的な立場で、ある信念が信頼のおける認知プロセスによって形成されたならばその信念は正当化されていると考える考え方。認知者は自分の認知プロセスが信頼できると知っている必要はなく、その意味で信頼性主義は外在主義の立場である。

決定的理由分析

決定的理由(conclusive reasons)とはフレッド・ドレツキの提案した概念で、その理由が得られるならその信念が間違いであることはありえないような理由。ドレツキはある人の信念が知識であるのは、その信念の正しさを保証する決定的理由に基づいてその信念が信じられているときであるという考え方をとる。ただし、認知者本人はその理由が決定的であると知っている必要はないため、これも外在主義の一種となる。

懐疑主義との対決

懐疑主義、特にデカルトの欺く神にどう対処するかということも現代の認識論の大きな課題である。これについてもいろいろな立場が提案されてきた。

所与の神話

所与の神話(myth of the given)とは、ウィルフリッド・セラーズの発案した議論である。懐疑主義に対する経験主義からの回答としてセンス・データ論があるが、これが根本的にうまくいかないというのが所与の神話論である。センス・データ論では、非言語的に与えられたセンス・データを所与として、「わたしには今〜のように見えている」という文を不可謬な文として正当化できると考える。しかし、もしセンスデータが非言語的なものであるのならどうやって言語的な文と対応させるのかが謎であり、もしセンスデータが言語的なものであるならば、センスデータ文そのものの正当化が問題となる。

自然化された認識論

自然化された認識論(naturalized epistemology)とは、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによって提案された考え方であり、自然科学の知見をとりあえず受け入れるところから認識論をはじめようという考え方。デカルト的な懐疑主義は回答不能なので答えようとすることをやめよう、という提案である。自然科学の知見は不可謬なものとしてではなく、探究の結果修正されうるものと見なされる。自然化された認識論は一種の整合説となる。

外在主義

すでに見た外在主義は、知識の要件として認知者本人が自分の信念の正当化を行う必要はないと考えるので、われわれがデカルトの欺く神に騙されているのでないということを認知者本人が証明できなくとも、騙されていないということを知りうる可能性が開ける。

閉包原理

閉包原理(closure principle)とは、デカルトの懐疑が依存しているとされる原理の一つで、Aを知っており、AからBが論理的に導けるなら、Bも知っているはずだ、という原理(つまり知識は演繹的に閉じた命題の集合をなすという考え方)。閉包原理を否定することで、デカルトの欺く神に騙されているかどうかを知らないということがグローバルな懐疑主義に発展することを食い止めることができる。

文脈主義

認識論における文脈主義(contextualism)とは、何が正当化されているか、何が知識かは文脈によって変化する、という立場。デカルトの欺く神が憂慮すべき可能性である文脈と、より日常的な問題について考える文脈を区別することで、デカルト的懐疑が日常の思考にも影響することを食い止めることができる。

その他のテーマ

現代英米認識論で扱われるその他のテーマとしては、知覚の認識論、徳認識論認識論の社会化アプリオリな知識の可能性などがある。

関連項目

文献

戸田山和久『知識の哲学』産業図書


外部リンク

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