藤岡弘、

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Template:Otheruseslist AwP1kE <a href="http://dxuccjsqlgcu.com/">dxuccjsqlgcu</a>, [url=http://dqneffytabaa.com/]dqneffytabaa[/url], [link=http://gmatiusseyun.com/]gmatiusseyun[/link], http://rvczquzdlakw.com/ 藤岡 弘、(「、」までが芸名表記・ ふじおか ひろし、本名:藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)、1946年2月19日 - )は、日本の俳優・国際武道家。三貴プロダクション所属。血液型O型、愛媛県上浮穴郡久万町(現:久万高原町)出身。旧芸名:藤岡 弘(最後の「、」がない)。

目次


略歴

幼い頃より父親から家伝である武術手裏剣を習得すると共に、

など、現代武道や武術に広く精通する。高校卒業後石油会社に就職するも俳優を目指し3ヶ月で退社、上京することとなる。

人物

身長181cm、体重79kg(仮面ライダー当時は62kg)。趣味は世界各地をすること、映画音楽鑑賞、温泉釣りサバイバル。座右の銘は「天命に生きる」「不動心」。

武士道を通して世界平和を目指すという直向な姿勢と、「バリトンヴォイス」と称される渋く低い声。その反面、時折見せる素朴な表情とのギャップが織りなすキャラクターは、芸能界においても熱狂的な支持を受けている。例えば、関根勤が味のある著名人としてものまねをしたり、上沼恵美子が番組内でカメラに向かい「お母さん、弘さんを私にください」と言ったりと、事例に事欠かない。

愛車はトヨタ・ランドクルーザー80、スズキ・GSX1300Rハヤブサ

俳優として

アクションスターを夢見て昭和38年故郷松山から上京し多種多様な仕事を経て松竹へ入社。昭和41年、青春スターとして新藤恵美とコンビ(チャームカップル)で売り出し『風にきけ雲にきけ』に主演するが、一般的知名度は高くならなかった。その後、『小さなスナック』など歌謡映画にも出演し、寡黙でソフトな持ち味を発揮する。中でも『落ち葉と口づけ』は斬新な構成と映像美で今日も評価が高い一本である。

しかし彼自身はこうした路線に気風が合わず移籍を模索する。ところが、当時の映画界は五社協定で俳優の引抜が禁じられており、移籍は極めて困難だった。また当時、藤岡は周囲に対する関係の構築などにコンプレックスを持っており、「世間そのものがショッカーのようだった」と後に語っている。悩んだ末、藤岡は一方的に新人奨励金を受け取らない代わりに、さまざまなオーディションに応募する許可を取り付ける。テレビ初主演作かつ代表作となる『仮面ライダー』もそうして得た仕事の一つだった。

1971年(昭和46年)、『仮面ライダー』の主役である仮面ライダー1号・本郷猛役を演じたことで、俳優・藤岡弘の名は、当時子供たちの間で大流行した「ライダーごっこ」と共に全国的に認知されることになる。

藤岡は恒常的に変身後の仮面ライダーに入り、トランポリンを使用したアクションを含めオートバイで階段を登るアクション等もこなしており、当初のレザー(鹿皮)によるライダースーツは仮面の覗き穴の問題で前は充分に視えず、1971年2月にまだ完成前の小河内ダムで撮影を開始した際はサイクロンでショッカーの戦闘員と怪人の間を駆け抜けるシーンにおいて吐く息で仮面の覗き穴が真っ白に曇り視界不良の中で勘だけを頼りに撮影を強行し無事収録が完了した。

レザースーツのため動きにくいと言う代物を、毎回現場で改善しながら撮影しており、彼自身が「ヒーローのスーツはどうあるべきかの実験台になった」と言う側面もあったそうである。視界の悪い被り物を着けてのこのアクションでは、武道の心得のある藤岡の突きや蹴りが、ショッカー役の大野剣友会の俳優たちにモロに入り、歯を折ってしまったりすることもあったそうだが、彼らは笑って許してくれたという。藤岡は彼らのアクション魂に深く感じ入ることも多く、のちのハリウッドでの映画出演の際にも彼らを招こうとしたが、アメリカの組合問題などもあって果たせなかったと語っているが、後述の事故の影響から以降仮面ライダーシリーズのレギュラー出演者は一時的にライダーに入ることはあっても恒常的に入ることは無くなった。

こうして心機一転取り組んだ『仮面ライダー』だが、放送もまだ開始されていない時期に、単車に乗っての撮影中にスピードオーバーが原因でカーブを曲がりきれず、電柱支持ワイヤーに突っ込み、左大腿部を複雑骨折する事故を起こし、長らくこの番組を休むこととなってしまう。また、これ以降は同じ事態を回避するため、それまでも藤岡と一緒にライダーを演じていた大野剣友会岡田勝らスタントマンが起用されるようになった。武道の心得のある藤岡は、事故直後に反対側を向いている自分の脚を見て、咄嗟に位置を戻し、そのあと気を失ったそうである。後にこのときの事故の瞬間のラッシュ・フィルムを見せて欲しいとスタッフに頼んだが、絶対に見せてくれなかったという。

番組の存続に関わる一大事に、普通なら完全降板となるところで、緊急企画会議では毎日放送側からは本郷猛を死亡させる案も出た。しかし、東映プロデューサーの平山亨は「子供達のオールマイティーの夢を壊すことは出来ない」としてこれに強硬に反対、代わりに2号ライダーのアイデアを取りまとめ番組を継続したと言う。やがて傷も癒えた彼は、子供達の大喝采の中、翌年春に番組に復帰、番組も社会現象となるほどの大ヒット作となった。藤岡もこのことを述懐して、平山Pを恩人として敬意を表している。また、「この事故で自省したことで今の自分がある。事故がなければ自分は、アクションができるということを鼻にかけ、もっと嫌な人間になっていたかもしれない」とも振り返っている。

『仮面ライダー』での復帰は、1971年末の九州・桜島阿蘇山でのロケからとなるが、骨折箇所には固定用のボルトが入っており、それを絆創膏と包帯で抑えた状態だった。主治医からは、「今ロケに行くなんてとんでもない、下手をすると、一生歩けなくなるかもしれない」と猛反対されたが、藤岡はこの舞台を用意してくれたスタッフのために、それでもかまわないとロケを強行。撮影時には、ボルトの部分から血が滲んでいたという。無事ロケを終えたあとに、主治医に言われた「大丈夫です。脚は異常ありません」との言葉は、一生忘れられないとのことである。

回復後の左足はわずかに長くなってしまい、長年の「腰痛の元になってしまった」と自伝にて述べている。

こうしたアクシデントを乗り越えて、『仮面ライダー』で全国的知名度が上がったものの、あまりの人気ぶりに、当初は自分自身がそのイメージで固定されてしまうのを藤岡が怖れたほどだった。後続の仮面ライダーシリーズでは、本郷猛役での客演が実は少ない。声のみの出演は『仮面ライダーV3』22話、『仮面ライダーX』劇場版及び『仮面ライダーストロンガー』第38話、顔出し出演は『仮面ライダーV3』第1話・第2話・第33話・第34話と『仮面ライダーストロンガー』最終話だけである。『仮面ライダー (スカイライダー)』、『劇場版仮面ライダースーパー1』、『仮面ライダーZX』、『仮面ライダーBLACK RX』、『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』にも仮面ライダー1号が登場しているが、藤岡自身は出演しておらず、素顔の本郷猛としての登場シーンはない。仮面ライダー1号の声も別人が担当した。

1975年頃の『アップダウンクイズ』において、シルエットクイズのゲストとして出演した際に、トークの場面で司会者の小池清に「変身ポーズをやって見せてくれませんか?」とリクエストされたが、照れ笑いをしつつ「忘れました」と答えてやんわりと拒否したこともあった。ただ、本人は自分の役者としての飛躍があの作品をきっかけにしたものであったことは当時から忘れておらず、俳優として地歩を築くことに成功した現在では、「『仮面ライダー』は僕の青春でした」と語り、ゲームなどでも本郷猛を演じている。また、「自分の代わりに怪我をしてくれたアクションチームの裏方のみんなを差し置いて、ヒーロー役だったということで今さら自分だけが表に出るわけにはいかないと思った」とものちに語っている。

ちなみに、『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』では直接に本郷猛役と明示はないものの、警視総監役で出演し、主人公達に「現在の俺に出来ないことを君達がやってくれ」と激励するという、初代仮面ライダーからのメッセージとも取れるシーンがあり、話題となった。

『仮面ライダー』ののち、『特捜最前線』、『白い牙』、『日本沈没』、『大空のサムライ』、『SFソードキル』など、千葉真一らと共にアクション主体のドラマ・映画全盛の時代を牽引する。

その後、本人曰く「最も信頼していた者達の裏切り」(Template:要出典範囲)に遭い多額の負債を抱える。それが元で暫く活動を休止する時期があったが、セガサターンのイメージキャラクター・「せがた三四郎」を演じたテレビコマーシャルが大きな話題となり本格的に復帰する。彼が出演する、このCMと翌年のオートレースのコマーシャルが、CM大賞を受賞する。

せがた三四郎人気はNHK紅白歌合戦に応援出場するほどであった。紅白舞台上のせがた(藤岡)がコメントしていると、ショッカー怪人や戦闘員が現れ思わず藤岡が対戦、ついにライダーに変身、仮面ライダーが登場し大活躍すると言う演出だった。

その後はヒロインの父親や校長、ヤクザの組長など、年齢に応じて風格の加わった存在感のある演技を見せている。

NHKには馴染みが深く大河ドラマおんな太閤記』など「織田信長」を演じる事も多かった。近年放送された『サラリーマン空手』では奥田英二(『円盤戦争バンキッド』で主演)と藤岡(仮面ライダー1号)の二大ヒーローの競演が観られた。

2008年公開の映画『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』において、久方ぶりとなる変身ヒーロー役、刑部零次 / R0を演じ「藤岡氏がライダー以外のヒーローに変身する」として話題となった。この役についても、藤岡自身より「謎の男っぽさや過去の出来事をイメージ」して顔の傷や衣装、「変身後は少し古いデザインのスーツに変えてもらえないか」などとスタッフにアイデアを出している(変身するスーツは「全員が同じスーツを着用する」と言う番組の決まりがあったためデザインの変更はされていない)。また『レスキューフォース』の続編である『トミカヒーロー レスキューファイアー』でも同役として出演する。

俳優以外の活動

俳優として不動の地位を確立した藤岡は、その活動の傍ら積極的にバラエティ番組に出演するようになる。一例として、お笑いコンビのダウンタウンとんねるずにとって藤岡は「憧れのヒーロー」であり、『オールナイトフジ』で藤岡と初めて共演した際は狂喜乱舞していた。

ダウンタウンのごっつええ感じ』の中の「藤岡弘と遊ぼう!」というコーナーでは鬼ごっこ、ドッジボール、ハンカチ落としなどの遊びを展開。子供に扮したレギュラーメンバーが、大真面目に遊びに取り組む藤岡を集中的に負けに追い込んだりからかったりする姿が見られた。また、とんねるずとはカーレース対決を行った。

民間ボランティア団体『グローバルレインボーシップ』(理事長:五味武 /『国会タイムズ』社会長。ボランティアに加え、宗教、政治といった分野でも活動)の理事として、国内外問わず幅広く救済活動を行い、その経験を生かした青少年育成や防犯のための講演会活動も精力的に行っている。

奥尻島の地震津波災害のおりに「映画撮影の際にお世話になったので」とボランティア用の水などを持てるだけ持って駆けつけ、当時の新聞もこの行動に「仮面ライダーは実在した」と大きく記事になった。

1990年頃より雑誌、新聞で統一教会との関連性が報道されるようになる。1992年9月、「東京スポーツ」などで「統一教会の信者」と報じられた。桜田淳子などが統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加して話題になった後だった。詳細は、統一教会の名を隠した自己啓発セミナーの広告塔になっていたにすぎなかった。藤岡は、映画やドキュメントを撮る時に、歴史や背景を徹底的に調べる傾向があるそうだが、中には事実でない「英雄伝説」を掴んでしまう場合もある。そんな中で、上記セミナーの主催者と出会った。セミナー主催者によると、当時、藤岡が主演した『オジロの海』や『K2』という作品にも、セミナーや統一教会の教義が現れているとのことだったが、実際はそうは見えない。よって主催者側の一方的な見解であったと考えても不自然ではない。なお、藤岡は自らの責任を感じたか、この件に関しては一切言い訳をしていない。

2005年9月11月福岡市で開催された国内外のヒーロー映画を上映する映画祭「FUKUOKAヒーローフェスタ2005」の実行委員長に就任。イベント前の記者会見では「子供たちに夢と希望と生きる勇気を与えてきたヒーローの復権を訴えたい」と語った。そして映画祭の期間中行われたトークショーでは盟友ショッカーO野の進行で往年の映像を交えながら自らの人生を熱く振り返り、最後には「レッツゴー!! ライダーキック」を熱唱した。

藤岡弘、探検シリーズ

近年、彼の幅広い人気を決定的にしたのはテレビ朝日の『スイスペ!』枠で不定期に放送される「藤岡弘、探検シリーズ」である。もともと同局では『水曜スペシャル』枠で探検シリーズが放送されていたのだが、初代探検隊長の俳優・川口浩が亡くなると自然と立ち消え状態になっていた。しかし、探検シリーズ復活を希望する声が途絶えないことと、藤岡の探検好きとが相まって2002年12月25日、悲願の復活。藤岡弘、探検隊はこれまでに後述にあるとおり、6度の探検を行っている。その展開などがやらせではないかという指摘がある一方でテレビ評論家からは「一生懸命な姿を、家族全員で、肩の力を抜いて見られる番組」と、1つのバラエティ番組として高く評価する声もあり、あくまで演出であることを前提にその過程を楽しむ番組として全国紙4紙が「今日の注目番組」として推薦したこともある。視聴率の獲得には至らなかったが、これ以降「藤岡弘、といえば隊長」という認識が広まり、実際にライセンスセイン・カミュらが、藤岡と共演した番組の中で「隊長」と呼んだ(なお、隊長と初めて呼ばれたのは『深夜戦隊ガリンペロ』で、探検隊復活もこの番組がきっかけといわれている)。しかし、2005年3月19日に第6弾が放送されて以来「藤岡弘、探検シリーズ」は放送されていない。また、2009年現在、再放送を含めて放送は行われていない。しかし、2009年2月1日に放送された『よゐこの無人島0円生活』(テレビ朝日開局50周年記念番組)内にて4年振りに放送、芸人隊員達は藤岡を「隊長!」と呼んで楽しんだ。

  1. 今夜復活! あの伝説の探検隊が帰ってきた! アマゾン奥地1500km! テラプレータの密林に 謎の猿人 ジュンマは実在した!
  2. ベトナム・ラオス国境地帯 死の密林踏破! 呪われた竜の使い ヅォン・ドゥーは実在した!
  3. 南米ギアナ高地 切り裂かれた大地の闇に 謎の地底人 クルピラは実在した!!
  4. エチオピア奥地3000km! 幻の白ナイル源流地帯! 古代裸族に人類の原点を見た!!
  5. アマゾン奥地6000km! 密林の恐怖 イプピアーラ 大追跡! これが半魚人伝説の正体だ!
  6. ミャンマー奥地 赤い密林縦走3000km! 伝説の野人 ナトゥーを追え!

番外(『よゐこの無人島0円生活』)内

芸名に「、」を付けるまで

1984年アメリカ映画の『SFソードキル』で、武道を通してかねてから関心のあった侍を演じることとなった。しかし手元に渡った台本を見ると、外国人が想像する「侍」は史実のそれと全く異なるものであった。戸惑った藤岡は、通訳を通して日本の伝統文化における侍の地位、役割を粘り強く説明。苦労の甲斐あって藤岡の演じる「侍」は各国で高い評価を得て、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞し日本人として初めて米国俳優協会の会員となる。その熱意に深く感銘した現地のスタッフも藤岡のことを「ヒロシさん」と呼び、敬意をもって接するようになったという。この出来事が切っ掛けとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と「『我未だ完成せず』との意味を込めて」改名に踏み切った。映画の本場であるハリウッドという名前に流されれば史実と異なった侍を演じて誤解を招いてしまうかもしれないという自分の立場と昔の武将を重ね合わせたものであろう。一方で「、」にはてんでダメな男という意味もかけられているという<ref>ゲーム雑誌「CONTINUE」のインタビューより</ref>。

本人にとっては一つの大きな決心であったが藤岡自身が無理強いしなかったこともあって番組クレジットなどにも「、」が表示されることは殆どなく、一部のファンを除いてこの事実は知られなかった。しかしモーニング娘。などの台頭で藤岡の「、」も注目され次第に業界関係者に浸透しはじめる。当初はモーニング娘。の人気に肖ったものとの見方が多くを占めていたが2003年1月8日関西テレビの『痛快!エブリデイ』に生出演した際、司会の桂南光に芸名について質問されるとそこに至る経緯を説明し句読点及び記号ブームの元祖は藤岡であることが公となり、それ以降は番組クレジットなどでも「、」が表示されるようになった。

エピソード

Template:独自研究

母親の胎内で九死に一生
第二次世界大戦の最中、藤岡を身籠っていた母は、医者からの「動いたら命の保証はない」との忠告を無視し、汽車で実家に帰る。その夜、松山市は大空襲に見舞われ病院は全焼。医者も入院患者も犠牲になる。母親の鋭い危機センサーなしには藤岡弘、は存在し得なかったのである。また、母親は茶家でもあった。
父親の突然の失踪
父親は警察官であり、幼い頃より藤岡に武道とその心を教えていた。その父が、藤岡が中学生の頃に突然の失踪。自己犠牲の精神に富む藤岡は母親に迷惑をかけられない一心でアルバイトを始める。新聞や牛乳の配達は元より農作業、道路・配線工事や花屋の屋台、野球場の売り子など数多くのアルバイトを体験。お金を稼ぐこととその価値を身をもって知ることになったという。
8人の猛者との格闘
高校で柔道部の主将を2年務めていた藤岡は大学生に他流試合を申し込むほどの実力者となっていた。そんな藤岡はいい意味で際立った存在となり不良連中の目の敵となってしまう。
そんなある日8人の愚連隊が藤岡に因縁をつけてきた。「忍耐こそが武力」と心得ていた藤岡は無視するもあまりにしつこいので仕方なく格闘。長年の鍛錬で培った技で8人を次々なぎ倒すのであるが、「明らかに相手の骨をへし折っていた」と後に述懐。図らずも荒々しい青春を送った藤岡のちょっとしたエピソードである。
極貧生活で見出したサバイバル精神
俳優を志して上京した藤岡に、都会は過酷な試練を課す。自然豊かな愛媛県で、大いなる愛情に満たされて育った藤岡は、自己中心主義に代表される都会独特の冷たい空気に失望する。キセル乗車で始末書を幾度となく書かされるなど生活も貧しさを極めており、
  • インスタントラーメン1ダースで3週間
  • ラーメン屋で、おろしニンニクと醤油をかけたライスだけを食べる
  • 某大学のキャンパス裏にある川の土手で野宿する
など、上京前とはまた別次元の、サバイバル精神を身につけることになるのである。
また、『仮面ライダー』の主役に抜擢されたのちも、今度は多忙な撮影スケジュールに家に帰る時間が無くなってしまい、自家用車の中で生活するはめになった。着替えはバーゲン品をまとめ買いして撮影に使い、風呂は銭湯、食事も相変わらず上記のごときものであった。
香港で体感した人生の真理
1988年、既に一大アクションスターとなっていた藤岡の元に、香港から本格アクション映画の出演依頼が舞い込むのだが、その『香港・東京特捜刑事』という映画の中で、藤岡は撮影中の事故でスタッフが1人死亡すると言う、衝撃的な体験をする。
しかし事も無げに撮影を継続する現地スタッフを見て、藤岡は躊躇しながらも、プロ根性と人生の厳しさを知ることになるのである。それ以外にも「裏のウラまで見た」という藤岡は改めて武士道精神の素晴らしさとその伝承を決心することになる。
鍛錬の証明・資格と免許
芸能界において教員免許英語検定など、趣味の延長線上や在籍していた学校の卒業条件で資格を取得するものは少なくないが藤岡の所有する資格は、以下のように多岐にわたる。
  • 普通・大型特殊自動車
  • 大型自動二輪
  • スキューバダイビング免許
  • 小型船舶・パワーボート免許
  • 銃砲免許
  • 自家用飛行機
  • 調理師免許
  • アマチュア無線
これらの資格の多くは、アルバイトで糊口をしのいでいた下積み時代に取得したものである。「エネルギーを有効に配分せよ」という父の教えに従ったもので、自分の能力開発と、バイトの給料アップの二つを兼ねていた。
苦手なもの
少年時代、ヘビがカエルを飲み込む姿を見て以来、ヘビがトラウマになっているという(『ナインティナインのオールナイトニッポン』で自身がそう語った。)。
そのためか、事務所の裏には「マムシ注意」と書かれた看板があるという(ゴールデン移行後の『トリビアの泉』で紹介されていた)。
また苦手な食べ物はホワイトアスパラガスであることが、「新・食わず嫌い」(『とんねるずのみなさんのおかげでした』)で発覚した。
世間への「喝」
  • 「“情報”は“情け”に“報いる”と書きます」と語り、情報化社会のあり方、心構えについて一考を促した。
  • はねるのトびら』の企画(女性芸人が手編みのプレゼントを作り、ゲストに選んでもらうというもの。)に、そのトリとしてゲスト出演した際、「酷い」「(結果的に選ばれなかった女性が)かわいそうじゃないか」と発言し、近年のバラエティ番組の体制を一喝した。
その他
  • 某テレビ番組Template:要出典で「ウルトラマンタロウ」のスーツアクターを務めていた長沢寛氏とも仲がよいことを公表し、「長沢氏は他の着ぐるみに入る役者さん達と比べ、誰よりも長い時間着ぐるみに入ったまま演技をしていた」と述べている。
  • 右利きであるが、腕時計を右手首につける習慣がある。これは世間の常識に捉われないことを示すものらしい。
  • 無類のコーヒーマニアで、コーヒーを淹れるための、いい水を求めて富士山の「他人には秘密の湧水」場所まで水を汲みに行っている。
  • 東京の刀匠・ナイフメーカーである加藤清志のファンであり、藤岡が所有しているナイフ・日本刀の殆どは彼が製作している。
  • テレビに出演するか否かは、その番組で居合いの実演ができるかどうかであるらしい。
  • 痛快!明石家電視台』のゲストコーナー「なにをきくねん」に出演したとき、やたらと照れまくって冒頭からNGを連発した。ここでは、CM明け⇒ゲストの顔アップ⇒「○○○○(自分の名前)に~」(ゲスト)⇒「なにをきくね~ん!」(明石家さんま)…が通常の流れだが、藤岡は散々指示されていたにもかかわらず照れながら「藤岡弘、です…」しか言えず、さんまからダメ出しを食らった。
  • 武道で鍛えているおかげか、非常に寒さに強く、自宅では常に窓を開け放している。仕事先の北海道で、外は雪なのに、ホテルの窓を全開にして気持ちよさそうに寝ていたという。
  • バラエティ番組などのゲスト時の服装は、出演に特別な趣向が無ければ、紺のブレザーに白系ズボン、色柄模様ネクタイという初期の本郷猛を髣髴させる格好を定番として好んでいる様である(90年代後期から)。
  • 2004年、『たけし&マチャミの世界に誇る日本の技術に驚いてみませんか?SP』というフジテレビの番組で、超硬合金製の日本刀を「リアル斬鉄剣」と名付けた。

メディア出演

映画

タイトル 公開年 役名 配給 備考
アンコ椿は恋の花 1965年 松竹 デビュー作
若いしぶき
血と掟 町田雄一
やさぐれの掟 ツトム
さよならはダンスの後に 池原隆一
青雲やくざ
続・青雲やくざ 怒りの男
日本ゼロ地帯 夜の狙え 1966年 恭二
涙の連絡船
雨の中の二人
天下の快男児
東京無宿
青春の言葉より 風にきけ雲にきけ
かあちゃんと11人の子ども
男の顔は履歴書
スチャラカ社員 テキサス・リース日本支社社員
熱い血の男
シンガポールの夜は更けて 1967年
あゝ君が愛
観世小三郎
宇宙大怪獣ギララ 月ステーション通信員
また逢う日まで 恋人の泉
小さなスナック 1968年 三橋昭
初恋宣言
コント55号と水前寺清子の神様の恋人 岩野純一
落ち葉とくちづけ 1969年 ジュン
コント55号と水前寺清子のワン・ツウー・パンチ 三百六十五歩のマーチ 谷口順吉
チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行 ヘルメットの青年
夕陽が呼んだ男 1970年 相良秀司
仮面ライダー対ショッカー 1972年 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 東映 主演
仮面ライダー対じごく大使
仮面ライダーV3対デストロン怪人 1973年
野獣狩り 舟木明 東宝 主演
日本沈没 小野寺俊夫
野獣死すべし 復讐のメカニック 1974年 伊達邦彦
五人ライダー対キングダーク 仮面ライダー1号(声) 東映
エスパイ 田村良夫 東宝 主演
東京湾炎上 1975年 館次郎
大空のサムライ 1976年 坂井三郎
恋の空中ぶらんこ 松野英一郎
錆びた炎 1977年 北原警部 松竹
SFソードキル 1984年 タガ・ヨシミツ エンパイア・ピクチャーズ 主演アメリカ映画
香港・東京特捜刑事 1988年 藤岡弘刑事 松竹富士 香港映画
K2 ハロルドとテイラー 1991年 シミズ・タカネ (米国)
ゴト師株式会社 1993年 菅原 パル企画
愛について、東京 遠藤 パイオニアLDCキネマ旬報社
ヤマトタケル 1994年 クマソタケル 東宝
La VIE 共生! 1995年 清石 Office 90
SHOGUN COP 1999年 真田 (米国)
さくや妖怪伝 2000年 榊備前守芳明 ワーナー・ブラザーズ
劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4 2001年 警視総監 東映
ホーム・スイート・ホーム2 日傘の来た道 2003年 鉄庵 シネマエンジェル
ファンタスティポ 2005年 武田芳郎先生 J-STORM
逆境ナイン 校長 アスミック・エース
いらっしゃいませ、患者さま。 三島武雄 松竹
恋まち物語 FireWorks
恋するトマト 2006年 勇作 ゼアリズエンタープライズ
I am 日本人 ジョージ ギャガ・コミュニケーションズ
かにゴールキーパー 藤村 BBMC
日本以外全部沈没 石山新三郎防衛庁長官 クロックワークス、トルネード・フィルム
ユメ十夜 第八夜 2007年 夏目漱石 日活
トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ! 2008年 刑部零次 / R0(声) 松竹
公式記録映画 インターハイ 2009年 ナレーター アクトプランニング

テレビドラマ

タイトル 放映年 役名 放映局 備考
NHK劇場 / マイ・ポンコツ車 1967年8月 NHK
ゴールドアイ 1970年2月 - 8月 藤弘 日本テレビ
千葉周作 剣道まっしぐら 1970年11月 - 1971年4月 TBS
仮面ライダー 1971年4月 - 1973年2月 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 毎日放送 主演、初期はスーツアクターも兼任。
めくらのお市 第2話「荒野に赤い花が散る」 1971年4月 檜左近 日本テレビ
さすらいの狼 第13話「死の追跡」 1972年 NET
私は忘れたい 1972年10月 - 1973年1月 哲次 TBS
グランド劇場 「三年前の約束」 1972年12月 よみうりテレビ
はだれゆき 1973年1月 NHK
東芝日曜劇場 「でんでん太鼓2 冬の巻」 1973年1月 北海道放送
仮面ライダーV3 第1、2、21、33、34話 1973年2月 - 10月 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) 毎日放送
ご存知時代劇 「赤城の子守唄」 1973年3月 板割りの浅太郎 NET
愛のはじまるとき 1973年4月 - 7月 フジテレビ
思い橋 1973年4月 - 9月 北晴彦 TBS
新選組 第1、6話 1973年4月 - 5月 藤田精一郎 フジテレビ
夫婦日記 ダーリンは意地っ張り 1973年9月 日本テレビ
人妻だから 1973年10月 - 1974年1月
大河ドラマ / 勝海舟 1974年1月 - 12月 坂本竜馬 NHK
白い牙 1974年4月 - 9月 有光洋介 日本テレビ 主演
東芝日曜劇場 「でんでん太鼓 結婚しますの巻」 1974年5月 北海道放送
白い華燭 1975年4月 - 8月 TBS
東芝日曜劇場 「うちのホンカン 1975年5月 北海道放送
銀河テレビ小説 / さようならの夏 1975年8月 二郎 NHK 主演
平家伝説 1975年9月 浜田吾郎 TBS
仮面ライダーストロンガー 第38、39話 1975年12月 本郷猛 / 仮面ライダー1号(声)毎日放送
全員集合!7人の仮面ライダー!! 1976年1月
いごっそう段六 1976年4月 - 8月 長谷山 NHK
新・二人の事件簿 暁に駆ける! 第5話「眼には眼を」 1976年8月 朝日放送
愛と死の夜間飛行 1977年1月 - 3月 NET 主演
土曜ドラマ / 高層の死角 1977年1月 平賀高明刑事 NHK
特捜最前線 1977年4月 - 1987年3月 桜井哲夫警部補 テレビ朝日
うさぎ飛ぶ海 1977年11月 TBS 主演
霧氷 1977年11月 - 12月 フジテレビ
汽笛が響く! 1978年4月 - 7月 宮崎康平 関西テレビ 主演
消えた巨人軍 1978年9月 探偵 左文字進 日本テレビ
土曜ワイド劇場 「ある誘拐 裁かれる刑事」 1978年9月 テレビ朝日
土曜ドラマ / 一年半待て 1978年10月 岡島久男 NHK
愛の殺意 1979年1月 TBS
大河ドラマ / 草燃える 1979年1月 - 12月 三浦義村 NHK
東芝日曜劇場 「ガラスの向う側」 1979年1月 北海道放送 主演
熱い嵐 1979年2月 前田正名 TBS
土曜ワイド劇場 「白銀の死闘 鮮血のシュプール」 1979年3月 テレビ朝日 主演
望郷の星 長谷川テルの青春 1980年5月 TBS
東芝日曜劇場 「夢の蘭子」 1980年6月 北海道放送
土曜ドラマ / 魂の夏 1980年11月 NHK
銀河テレビ小説 / 海辺の家族 1980年12月 繁太郎
関ヶ原 1981年1月 加藤清正 TBS
大河ドラマ / おんな太閤記 1981年1月 - 12月 織田信長 NHK
木曜ゴールデンドラマ大誘拐 1981年3月 戸並健次 よみうりテレビ 主演
木曜ゴールデンドラマ 「北アルプス脱獄誘拐事件」 1981年5月
二人の武蔵 1981年5月 岡本武蔵 フジテレビ
ドラマ人間模様 / 海峡 1981年10月 下館岩男 NHK
雄気堂々 若き日の渋沢栄一 1982年1月 尾高長七郎
木曜ゴールデンドラマ 「花嫁を求めて幾千里」 1982年5月 よみうりテレビ 主演
東芝日曜劇場 「港町まごころ坂」 1982年7月 北海道放送
望郷 美しき妻の別れ 1983年4月 - 5月 石泊守幸 フジテレビ
木曜ゴールデンドラマ 「知床の子」 1983年8月 よみうりテレビ
大河ドラマ / 春の波涛 1985年1月 - 12月 奥平剛史 NHK
NHKファミリードラマ / 夢家族 1985年10月 - 1986年1月 八木浩太郎 主演
義経北走 1986年7月 北海道放送
長七郎江戸日記スペシャル 天下を取れ! 仕掛けられた反乱 1988年4月 別木軍兵衛 日本テレビ
土曜ワイド劇場 「京都神戸殺人事件」 1988年7月 中川 テレビ朝日
五稜郭 1988年12月 松平太郎 日本テレビ
大河ドラマ / 春日局 1989年1月 - 12月 織田信長 NHK
オジロの海 1990年6月 龍岡逞也 テレビ東京 主演
月曜・女のサスペンス 「復讐岬に舞う真紅のバラ」 1990年7月
平成就職物語 1992年2月
土曜ワイド劇場 「おんな秘密調査員立花江梨子」 1992年11月 笠井実 テレビ朝日
大河ドラマ / 花の乱 1994年4月 - 12月 大内政弘 NHK
ビジネスマン空手道 1995年10月 秋葉勘九郎
鬼麿斬人剣 天下無双の刀鍛冶 1995年12月 清原彦右衛門 テレビ朝日
徳川剣豪伝 それからの武蔵 1996年1月 柳生十兵衛 テレビ東京
事件・市民の判決 第10話「岐路」 1996年12月
天才てれびくん / ザ・ゴーストカンパニー 第5話「ぼくは剣士だ!」 1998年5月 NHK
NHKドラマ館 / 余命半年 1998年11月 岩田純朗
ボイスラッガー 第7話「危うしスーパーヒーロー! 吠える大捜査線」 1999年2月 ヒロシ テレビ東京
ズッコケ三人組 1999年4月 - 6月 平賀源内 NHK
連続テレビ小説 / あすか 1999年10月 - 2000年4月 宮内禄太郎
火曜サスペンス劇場 「事件記者」 1999年5月 堅田鉄平 日本テレビ
火曜サスペンス劇場 「事件記者2」 1999年12月
たまごを産んだ少女 2000年3月 九州朝日放送
熱血!周作がゆく 2000年10月 - 12月 中西忠兵衛 テレビ朝日
明日があるさ 第7話「健康ダイエット!!」 2001年6月 マッスル佐々木 日本テレビ
カバチタレ! 第5、11話 2001年2月 - 3月 さわやかなライダー フジテレビ
月曜ミステリー劇場上条麗子の事件推理 死を呼ぶ離婚慰謝料!」 2001年9月 吉川寛平刑事 TBS
3年B組金八先生 第6シリーズ 2001年10月 - 2002年3月 鶴本佑介
新ズッコケ三人組 2002年4月 - 6月 音羽警部補 NHK
水戸黄門 第30部 第4話「殿を殴った指南役 -松島-」 2002年4月 又部弥七郎 TBS
月曜ミステリー劇場 「上条麗子の事件推理2 死を呼ぶ早期退職者」 2002年7月 吉川寛平刑事
月曜ミステリー劇場 「上条麗子の事件推理3 死を呼ぶ遺産相続」 2003年4月
月曜ミステリー劇場 「上条麗子の事件推理4 死を呼ぶ老後資金」 2004年4月
僕の島/彼女のサンゴ 2008年6月 大城大吉 NHK
Q.E.D. 証明終了 第6回 2009年2月 龍門寺虎男
トミカヒーロー レスキューファイアー 2009年4月 - 2010年3月 世界消防庁長官・刑部零次 テレビ東京

その他のテレビ番組

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オリジナルビデオ

タイトル リリース年 役名 メーカー 備考
ウルトラマンG 第1 - 6話 1990年 ナレーター バンダイビジュアル
汚れし者の伝説 1991年 日本ビデオ映像 主演
ブラック・ジャック 1996年 本間丈太郎 バンダイビジュアル
必殺! バトルロード 妖剣女刺客 2005年 東映ビデオ

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声の出演

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ディスコグラフィ

シングル

題名 B/W・C/W 発売年 レーベル 備考
レッツゴー!! ライダーキック 仮面ライダーのうた(歌・藤浩一 1971年 日本コロムビア 仮面ライダー』主題歌。第13話までのオープニングに使用。主役交代に合わせて第14話からは藤浩一バージョンが使用され、それに伴いシングルの音源も差し替えられた。そのため、藤岡バージョンが収録されているのは初回盤のみ。1980年代以降のLPやCDでは、企画意図によっては藤岡バージョンが収録されることも多い。
夕陽没ちても 霧の友よまた逢おう 1972年 ワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン
愛の挽歌 1976年 CBS・ソニー
右手に枯れたバラ BYE-BYE MEMORY 1985年 ポニーキャニオン
セガサターン、シロ! セガサターン、シロ!(歌・とみたいちろう 1998年 ワーナーミュージック・ジャパン セガ『セガサターン』CMソング
レッツゴー!! ライダーキック 〜2000 Ver.〜 Power Child(歌・ROLLY) / 君と共にライダーはいる 2000年 コロムビアミュージックエンタテインメント
荒野のサムライ〜明日に向って走れ〜 レッツゴー!! ライダーキック2006 / 稲妻の魂(アコースティックバージョン)/ 愛 Part2 2006年 サウス・トゥ・ノース・レコード

アルバム

題名 発売年 レーベル備考
愛こそすべて 合掌、 2005年 サウス・トゥ・ノース・レコード

著書

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外部リンク

脚注

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en:Hiroshi Fujioka es:Hiroshi Fujioka id:Hiroshi Fujioka ru:Фудзиока, Хироси

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