菊花賞

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Template:混同 プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:競馬の競走 菊花賞(きくかしょう、きっかしょう)とは日本中央競馬会(JRA)京都競馬場3000mで施行する中央競馬重賞GI競走である。正賞は内閣総理大臣賞朝日新聞社賞、日本馬主協会連合会会長賞。

目次

概要

thumb|250px|right|2005年菊花賞・2周目4コーナーカーブの攻防 thumb|250px|right|2005年菊花賞・直線 1938年イギリス最古のクラシック競走のセントレジャーステークスを範として「京都農林省賞典4歳呼馬」の名称で創設された4歳(現3歳)の競走馬による重賞競走。条件や施行時期の変遷(次節参照)を経て現在もその位置付けは変わらず、牡馬クラシック三冠競走の最終戦として行われている重賞(GI)競走である。

1939年に創設された横濱農林省賞典4歳呼馬1932年から施行されている東京優駿競走(日本ダービー)と共に日本のクラシック三冠競走を確立した。

牡馬クラシック三冠競走にはそれぞれ謳い文句がある。皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、東京優駿は「最も運のある馬が勝つ」、そして菊花賞は3000mの長丁場を走りぬくことから「最も強い馬が勝つ」である。菊花賞はその謳い文句の通り、牡馬3歳(旧4歳)の最強馬を決める競走として位置付けられていた。

しかし1987年以降、天皇賞(秋)に3歳馬の出走が可能になったため長距離適性のない一部の有力馬が芝3000mの菊花賞を回避して芝2000mの天皇賞(秋)に出走する傾向も増えてきている。2007年から2009年まで、3年連続でダービー馬が不在で菊花賞が行われた。

春のクラシックに出走できなかった競走馬が多く活躍しておりグリーングラスメジロマックイーンマヤノトップガンマンハッタンカフェヒシミラクルデルタブルースなど後の八大競走・GIや海外G1も制した名馬の初重賞勝ちの競走ともなっている。京都新聞杯が秋期に行われていた頃はこれらの「上がり馬」は京都新聞杯や第4回京都競馬のオープン特別、1600万下条件特別などで頭角を現したため未実績馬でも馬券的に人気になる傾向があり、あまり荒れる競走ではなかった。たが時期移行してからは、上がり馬の台頭が1000万下条件からの勝ち上がりからであることが増えてきている。

出走資格はサラ系3歳(旧4歳)牡馬・牝馬のJRA所属馬(外国産馬含む5頭まで)、および所定の条件を満たした地方競馬所属馬。

負担重量は馬齢重量で牡馬57kg、牝馬55kg。

総額賞金は2億1320万円。1着賞金1億1200万円で以下2着賞金4500万円、3着賞金2800万円、4着賞金1700万円、5着賞金1120万円。

現在の優勝レイは緑色の地に金色の文字で、レース名に関連して白の模様が3箇所にあしらわれている。

コース

スタートは第3コーナー前。「淀の坂」を2度越えるため、スタミナが要求される。加えて1周目正面スタンド前では観客の大歓声が上がることが多く、それに動揺しない精神力も求められる。2009年現在、菊花賞以前に3歳以下の競走馬に芝3000m以上のオープン競走は用意されておらず<ref>3歳(旧4歳)馬が菊花賞前に出走できる芝3000m級の競走として、1999年まで嵐山ステークス(京都芝3000m、1987年までは嵐山特別、1996年までは準オープン、1997年以降はオープン)が平年の第4回京都開催の3日目(1986年以前は京都新聞杯の前週、1987年以降は京都新聞杯の前日)に存在した。</ref><ref>2000年以降は菊花賞前に3歳馬が出走できる競走の最長距離は芝2600mである(JRAの競走に限る)。</ref>菊花賞の芝3000mは全出走馬にとってまさしく未知の領域となっている。

トライアル競走・主な前走

以下の競走が主な出走馬の前走。セントライト記念と神戸新聞杯は菊花賞賞トライアルに指定されており、いずれの競走も3着までの牡馬・牝馬(内国産馬・外国産馬問わず)の入着馬に優先出走権が与えられる。2001年から制限付きで外国産馬にも出走が認められている。2007年は6頭まで(各年度の変遷は外国産馬#中央競馬のクラシック・天皇賞における出走制限を参照)。

競走名格付団体施行競馬場施行距離優勝馬輩出実績
1セントライト記念GII中央中山競馬場芝2200m本競走からの優勝馬参照
2神戸新聞杯GII中央阪神競馬場芝2400m本競走からの優勝馬参照
3京都大賞典GII中央京都競馬場芝2400m本競走からの他のGI級優勝馬参照

京都大賞典は菊花賞が第5回京都開催だった1999年までは最終トライアルだった京都新聞杯より1週早かったため、古馬と対戦する不利よりも菊花賞の有力馬との直接対決を避けて当競走に出走するケースが見られた。菊花賞が第4回京都開催に移ってからは中1週の出走となるためこの例は少なくなっている。

京都新聞杯は1999年までの菊花賞トライアル競走。3着までに優先出走権が与えられていた。京都新聞杯が開催時期変更の為、トライアル競走から除外されたことによって優先出走権総数が9頭から6頭に減少した。優勝輩出馬は本競走からの菊花賞優勝馬を参照。

歴史

歴代優勝馬

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1938年12月11日テツモン牡33:16 0/5伊藤正四郎尾形藤吉松山隆郎
第2回1939年10月29日マルタケ牡33:22 0/5清水茂次清水茂次榎壽逸
第3回1940年11月3日テツザクラ牡33:17 3/5伊藤勝吉伊藤勝吉三宅孝之介
第4回1941年10月26日セントライト牡33:22 3/5小西喜蔵田中和一郎加藤雄策
第5回1942年11月8日ハヤタケ牡33:16 3/5佐藤勇岩井健吉伊藤祐之
第6回1943年11月14日クリフジ牝33:19 3/5前田長吉尾形藤吉栗林友二
第7回1946年12月1日アヅマライ牡33:26 4/5武田文吾高橋直三熊谷新太郎
第8回1947年10月19日ブラウニー牝33:16 0/5土門健司武輔彦仙石襄
第9回1948年11月23日ニユーフオード牡33:13 3/5武田文吾小川佐助吉木三郎
第10回1949年11月3日トサミドリ牡33:14 3/5浅野武志望月与一郎斉藤健二郎
第11回1950年10月29日ハイレコード牡33:09 1/5浅見国一武田文吾山田常太郎
第12回1951年11月3日トラツクオー牡33:11 1/5小林稔久保田金造岩本政一
第13回1952年11月23日セントオー牡33:10 1/5梅内慶蔵新堂捨蔵三木福一
第14回1953年11月23日ハクリヨウ牡33:09 1/5保田隆芳尾形藤吉西博
第15回1954年11月23日ダイナナホウシユウ牡33:09 1/5上田三千夫上田武司上田清次郎
第16回1955年11月23日メイヂヒカリ牡33:09 1/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江
第17回1956年11月18日キタノオー牡33:09 3/5勝尾竹男久保田金造田中留治
第18回1957年11月17日ラプソデー牡33:16 0/5矢倉義勇小西喜蔵椎野浅五郎
第19回1958年11月16日コマヒカリ牡33:10 0/5浅見国一橋本輝雄鈴木一平
第20回1959年11月15日ハククラマ牡33:07.7保田隆芳尾形藤吉西博
第21回1960年11月13日キタノオーザ牡33:15.1伊藤竹男久保田金造田中清司
第22回1961年11月19日アズマテンラン牡33:15.4野平好男二本柳俊夫堀平四郎
第23回1962年11月25日ヒロキミ牡33:10.7高松三太二本柳俊夫相馬恵胤
第24回1963年11月17日グレートヨルカ牡33:09.5保田隆芳尾形藤吉小野晃
第25回1964年11月15日シンザン牡33:13.8栗田勝武田文吾橋元幸吉
第26回1965年11月14日ダイコーター牡33:13.4栗田勝上田武司上田清次郎
第27回1966年11月13日ナスノコトブキ牡33:08.5森安弘明稲葉秀男那須野牧場
第28回1967年11月12日ニツトエイト牡33:14.5伊藤竹男矢倉玉男太田和芳郎
第29回1968年11月17日アサカオー牡33:09.0加賀武見中村広浅香源二
第30回1969年11月16日アカネテンリュウ牡33:15.3丸目敏栄橋本輝雄関野栄一
第31回1970年11月15日ダテテンリュウ牡33:10.4宇田明彦星川泉士浅野千恵子
第32回1971年11月14日ニホンピロムーテー牡33:13.6福永洋一服部正利小林保
第33回1972年11月12日イシノヒカル牡33:11.6増沢末夫浅野武志石嶋清仁
第34回1973年11月11日タケホープ牡33:14.2武邦彦稲葉幸夫近藤たけ
第35回1974年11月10日キタノカチドキ牡33:11.9武邦彦服部正利初田豊
第36回1975年11月9日コクサイプリンス牡33:11.1中島啓之稗田敏男芦部博子
第37回1976年11月14日グリーングラス牡33:09.9安田富男中野隆良半沢吉四郎
第38回1977年11月13日プレストウコウ牡33:07.6郷原洋行加藤朝治郎渡辺喜八郎
第39回1978年11月12日インターグシケン牡33:06.2武邦彦日迫良一松岡正雄
第40回1979年11月11日ハシハーミット牡33:07.5河内洋内藤繁春(株)シンザンクラブ
第41回1980年11月9日ノースガスト牡33:06.1田島良保二分久男鈴木忠男
第42回1981年11月8日ミナガワマンナ牡33:07.1菅原泰夫仲住芳雄寺内倉蔵
第43回1982年11月14日ホリスキー牡33:05.4菅原泰夫本郷重彦堀川三之助
第44回1983年11月13日ミスターシービー牡33:08.1吉永正人松山康久(株)丸沼温泉ホテル
第45回1984年11月11日シンボリルドルフ牡33:06.8岡部幸雄野平祐二和田農林(有)
第46回1985年11月10日ミホシンザン牡33:08.1柴田政人田中朋次郎堤勘時
第47回1986年11月9日メジロデュレン牡33:09.2村本善之池江泰郎メジロ商事(株)
第48回1987年11月8日サクラスターオー牡33:08.0東信二平井雄二(株)さくらコマース
第49回1988年11月6日スーパークリーク牡33:07.3武豊伊藤修司木倉誠
第50回1989年11月5日バンブービギン牡33:07.7南井克巳布施正竹田辰一
第51回1990年11月4日メジロマックイーン牡33:06.2内田浩一池江泰郎メジロ商事(株)
第52回1991年11月3日レオダーバン牡33:09.5岡部幸雄奥平真治田中竜雨
第53回1992年11月8日ライスシャワー牡33:05.0的場均飯塚好次栗林英雄
第54回1993年11月7日ビワハヤヒデ牡33:04.7岡部幸雄浜田光正(有)ビワ
第55回1994年11月6日ナリタブライアン牡33:04.6南井克巳大久保正陽山路秀則
第56回1995年11月5日マヤノトップガン牡33:04.4田原成貴坂口正大田所祐
第57回1996年11月3日ダンスインザダーク牡33:05.1武豊橋口弘次郎(有)社台レースホース
第58回1997年11月2日マチカネフクキタル牡33:07.7南井克巳二分久男細川益男
第59回1998年11月8日セイウンスカイ牡33:03.2横山典弘保田一隆西山牧場
第60回1999年11月7日ナリタトップロード牡33:07.6渡辺薫彦沖芳夫山路秀則
第61回2000年10月22日エアシャカール牡33:04.7武豊森秀行(株)ラッキーフィールド
第62回2001年10月21日マンハッタンカフェ牡33:07.2蛯名正義小島太西川清
第63回2002年10月20日ヒシミラクル牡33:05.9角田晃一佐山優阿部雅一郎
第64回2003年10月26日ザッツザプレンティ牡33:04.8安藤勝己橋口弘次郎(有)社台レースホース
第65回2004年10月24日デルタブルース牡33:05.7岩田康誠角居勝彦(有)サンデーレーシング
第66回2005年10月23日ディープインパクト牡33:04.6武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株)
第67回2006年10月22日ソングオブウインド牡33:02.7武幸四郎浅見秀一(有)社台レースホース
第68回2007年10月21日アサクサキングス牡33:05.1四位洋文大久保龍志田原慶子
第69回2008年10月26日オウケンブルースリ牡33:05.7内田博幸音無秀孝福井明
第70回2009年10月25日スリーロールス牡33:03.5浜中俊武宏平永井商事(株)

菊花賞の記録

  • レースレコード - 3:02.7(第67回優勝馬ソングオブウインド)
  • 2着との最大着差 - 大差(第6回優勝馬クリフジ)
  • デビューからの最短日数での制覇 - 184日(第69回優勝馬オウケンブルースリ)
  • 最多勝騎手 - 武豊 4勝(第49、57、61、66回)
  • 最多勝調教師 - 5勝 尾形藤吉(第1、6、14、20、24回)

父子制覇

過去に9組の父子制覇の例がある。

父馬名優勝回子馬名優勝回
1組目セントライト第8回セントオー第13回
2組目トサミドリ第10回キタノオー第17回
3組目トサミドリ第10回キタノオーザ第21回
4組目トサミドリ第10回ヒロキミ第23回
5組目シンザン第25回ミナガワマンナ第42回
6組目シンザン第25回ミホシンザン第46回
7組目ダンスインザダーク第57回ザッツザプレンティ第64回
8組目ダンスインザダーク第57回デルタブルース第65回
9組目ダンスインザダーク第57回スリーロールス第70回

兄弟制覇

過去に4組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。

兄馬名優勝回弟馬名優勝回母馬名
1組目セントライト第8回トサミドリ第10回フリッパンシー
2組目キタノオー第17回キタノオーザ第21回バウアーヌソル
3組目メジロデュレン第47回メジロマックイーン第51回メジロオーロラ
4組目ビワハヤヒデ第54回ナリタブライアン第55回パシフィカス

2組目のキタノオーとキタノオーザは父馬も同じ全兄弟である(父子制覇の項も参照)。

エピソード

競走不成立

1944年の第7回は第二次世界大戦中に能力検定競走として長距離特殊競走の名で施行され、第13回東京優駿競走の優勝馬カイソウが3:30 4/5<ref>当時は時計が1/5秒表示</ref>の時計でクリアズマに3/4馬身の差を付けて勝利、競走も終わり騎手も検量室に引き上げ検量を終えた時、審判団から競走の不成立が申し立てられた。不成立の真相は第6回競走のコースが内回り1周・外回り1周だったのに対し第7回競走は内回り2周に変更されていたのだが主催者側の日本競馬会の伝達不備で全出走馬が前回と同じコースを通過、規定の3000mよりも100m程多く走ってしまったのである。これにより1944年の第7回は競走不成立により全出走馬が失格となり、第二次世界大戦後の1946年に改めて第7回として開催された。

落馬

当競走での落馬の中でも2002年の第63回、1番人気に支持された武豊騎乗のノーリーズンがスタート直後に躓き鞍上の武豊が落馬し競走を中止した。人馬ともに怪我はなかったが、同馬絡みの勝馬投票券(馬券)約110億円分(この年の菊花賞の売り上げの約半分)が一瞬のうちに紙屑となった。なおこのレースで優勝したのは10番人気のヒシミラクルで2着に16番人気のファストタテヤマが入り、大波乱を巻き起こした。

奇しくも10日後に名古屋競馬場で施行された、第43回東海菊花賞でもレジェンドハンターに騎乗した安藤勝己がスタート直後に落馬している。

地方競馬の「菊花賞」

地方競馬でも菊花賞を範した競走がある。ただし中央競馬の菊花賞と同等の機能を持った競走とは限らない。

競走名格付主催者施行競馬場施行距離備考
1東海菊花賞SP1愛知県競馬組合名古屋競馬場ダート2500m古馬出走可
2姫山菊花賞重賞兵庫県競馬組合園田競馬場ダート1700m古馬出走可
3黒潮菊花賞重賞高知県競馬組合高知競馬場ダート1900m高知三冠第3戦
4福山菊花賞重賞福山市福山競馬場ダート2250m古馬出走可
5ばんえい菊花賞BG2帯広市帯広競馬場直線200mばんえい競走
6北関東菊花賞北関東G1群馬県競馬組合高崎競馬場ダート2100m2004年廃止
7しもつけ菊花賞重賞栃木県競馬組合宇都宮競馬場ダート2600m1999年廃止
8南国菊花賞重賞高知県競馬組合高知競馬場ダート1400mアラブ系古馬競走
1998年廃止
9九州菊花賞KG1佐賀県競馬組合佐賀競馬場ダート1800m2000年まで佐賀菊花賞
2003年廃止
10中津菊花賞重賞中津市中津競馬場ダート2180mアラブ系古馬競走
1999年廃止

その他

京都競馬場では本競走にちなんだ「菊燦然」というオリジナル銘柄の日本酒が販売されている。

脚注

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関連項目

Template:中央競馬のグレードワン競走 Template:八大競走en:Kikuka Shō

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