茅ヶ崎市

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Template:Redirect Template:日本の市 茅ヶ崎市(ちがさきし)は、神奈川県中南部に位置し、東京都心から約60キロ、相模湾に面した湘南地方の中心に位置する都市である。特例市の一つ。市名は中世以来の郷名による。

目次

地理

相模原台地丘陵地帯と相模川の河口に形成された砂州地帯で、市内には小出川(こいでがわ)が南西に流れ相模川に注いでいる。

江戸時代東海道五十三次藤沢宿平塚宿の間の農村地帯で、東海道中に2ヶ所しかない左富士(道中ではいつも右に見える富士山が左手に見える)の場所として浮世絵の題材としても知られた。現在、国道1号鳥井戸橋で「南湖の左富士」のレリーフを見ることができる。

歴史

  • 古代 - 北部の下寺尾には出土品その他から相模国最古のおよび郡衙があり、高座郡の行政の中心であったと推定されている。
  • 鎌倉時代 - 辻堂および茅ヶ崎東部沿岸を含む広域の地名で「八的ヶ原」(やまとがはら)<ref>古代より平坦な砂地で、鎌倉時代に弓の練習場として八つの的が置かれたことから。</ref>後に、「八松ヶ原」(やつまつがはら)<ref>低い丘や芝原に松が多く、「八的」が後に「八松」と書かれるようになったといわれる。</ref>と呼ばれる。
  • 1728年 - 享保の改革の一環で、相州炮術調練場を設置する。
  • 1898年明治31年)6月15日 - 鉄道省東海道線の駅として茅ヶ崎駅が開業。

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  • 1908年(明治41年)10月1日 - 高座郡茅ヶ崎村鶴嶺村および松林村と合併し、茅ヶ崎町となる。
    駅名として広く知られているという理由から、新町名は茅ヶ崎町とした。町役場は南湖の金剛院に置く。人口は16,860人。
  • 1911年(明治44年)8月 - 町役場が字梅田(元の茅ヶ崎村役場所在地。現在は茅ヶ崎商工会議所が所在)へ移転。
  • 1921年大正10年)9月28日 - 相模鉄道相模線が開業。

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  • 1947年昭和22年)10月1日 - 市制を施行し茅ヶ崎市となる。人口は43,315人。

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戦前から戦後にかけては保養地、別荘地であったが、急速に東京ベッドタウンとして都市化が進行した。

人口

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行政

警察

消防

経済

産業

茅ヶ崎漁港
東邦チタニウム株式会社・本社(金属チタンなどを製造する企業。)
株式会社アルバック・茅ヶ崎本社工場(真空装置を製造する企業)
宮田工業株式会社・本社(自転車消火器などを製造する企業。)
AGCセイミケミカル株式会社・本社および工場(AGCグループのファインケミカルメーカー)
パナソニック株式会社エナジー社・茅ヶ崎・辻堂工場
パナソニックCCグラフィックス株式会社
株式会社オーテックジャパン・本社(特装車の企画開発・製造。)
BASFポゾリス株式会社・茅ヶ崎工場(コンクリート混和剤などを製造する企業。)
TOTO株式会社・茅ヶ崎工場

姉妹都市・提携都市

国内

地域

教育

小学校

中学校

高等学校

特別支援学校

大学・短期大学

その他

隣接している自治体

平塚市藤沢市高座郡寒川町

交通

鉄道

道路

みちの愛称事業

茅ヶ崎市は「みちの愛称検討委員会」を職員と公募した市民で開き、道路愛称を街頭インタビューや公募などで決定し発表している。

平成12年度には国道1号の南側14路線、平成13年度には国道1号と新湘南バイパスの間10路線、平成14年には新湘南バイパス北側の7路線の愛称が発表された。

このような「みちの愛称」を茅ヶ崎の文化とする人がある一方で、旧住民が「東海岸通り」と呼んでいた道路に観光客や新住民が使い始めた加山雄三にちなむ雄三通りを採用したり、サザンオールスターズの人気にあやかろうとしてサザン通りを採用したりした行政の姿勢を軽薄であるとする批判意見や抵抗感を示す住民もいる。「ラチエン通り」「一中通り」「鉄砲道」などはすでに通称として市民や観光客に広く使われていたものが採用された。

主なみちの愛称

  • 雄三通り(以前は加山雄三邸が海岸付近にあった。旧くは加山雄三の父親の名から上原謙通りとも呼ばれた。駅南口の東側から、サザン通りに平行して南北に走る。)
  • サザン通り(駅南口の西側から、小さい丘を越えてサザンビーチに至る南北の尾根道。)
  • ラチエン通り烏帽子岩が美しく見える。ルドルフ・ラチエン(ユダヤ系ドイツ人)の邸宅があったことによる。)
  • 一中通り(市立第一中学の東側を通る南北の道。)
  • 大岡越前通り(大岡越前守忠相の墓のある浄見寺の北側を東西に走る。)
  • 石神古墳通り(国道1号線の南側の下道。駅北口から相模線の踏切を通り、東に抜ける。駅構内にあった古墳による命名。)
  • 鉄砲道(1728年江戸幕府腰越村(現、鎌倉市内)から柳島村(現、茅ヶ崎市内南西部)にかけて設置した相州炮術調練場にちなむ。)てっぽうみちと読む。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 烏帽子岩(姥島)
  • 平島
  • 腰掛神社 - 日本武尊にゆかりのある神社。
  • 浄見寺大岡忠相の墓所) - 大岡氏の本領は茅ヶ崎・寒川近辺にあった。
  • 宝生寺阿弥陀三尊像 - 国指定の重要文化財
  • 龍前院五輪塔
  • 旧相模川橋脚 - 国指定の史跡。大正12年(1923年関東大震災と大正13年の地震によって地表に現れ、沼田賴輔(歴史学者)により旧相模川橋脚であるとされた。最近の調査では相模川本流ではないと推測されている。史跡整備事業が行われ、2008年3月29日にオープンした。
  • 堤貝塚 - 県指定の史跡。相模川沿岸に残る数少ない貝塚で、縄文時代後期(紀元前4000年-3500年)の集落址に伴うものである。規模も大きく、保存状況も良好で、当時の生活を知る上で極めて重要かつ貴重な遺跡である。指定地はその一部分である。
  • 七堂伽藍跡 - 茅ヶ崎北陵高校のある高台の南側、一段低くなった畑地の広がる一郭の下寺尾、「七堂伽藍跡(しちどうがらん)」と刻まれた高さ3m余りの石碑が建っている。七堂伽藍とは、いくつかの建物から成る大きな寺院のことをいう。昔からこの辺りに大きな寺があったという言い伝えがあり、試掘調査の結果、古がわら片をはじめ、灯明皿など寺の存在を裏付ける遺物が数多く出土している。
  • 鶴嶺八幡宮 - 一説に源氏が創建した関東最初の氏社といわれる。
  • 国木田独歩の碑
  • 平塚らいてうの碑
  • 仮名垣魯文の碑 - 父親の実家が萩園にあり、魯文も一時期いた。
  • 鉄砲道 - 相州炮術調練場(幕府の鉄砲場)に至る道であったという説がある。近年、東西に開通したので俗に「鉄砲通り」ともいう。かつては行き止まりであったので「道」と称した。
  • 佐々木卯之助の碑 - 現在の鉄砲道と旧道との分岐点(東海岸五丁目)にある。役人だが幕府に内緒で困窮の農民に鉄砲場内での耕作を許して島流しとなった。

レジャー

観光

祭り

ゆかりの有名人

茅ヶ崎市出身の有名人

芸能人

アナウンサー・ナレーター

スポーツ選手

茅ヶ崎市に関係のある有名人

歴史上の人物

Template:See also

画家

芸能人

作家

音楽家

映画監督

スポーツ選手

宇宙飛行士

デザイナー

その他

・鈴木カツ(音楽評論家)

表彰および褒章

歴代名誉茅ヶ崎市民

茅ヶ崎市民栄誉賞歴代受賞者

  1. 野口聡一宇宙飛行士
  2. 土井隆雄(宇宙飛行士)
  3. 山本昌広プロ野球中日ドラゴンズ投手)
  4. 三科真澄ソフトボール日本代表ルネサスエレクトロニクス高崎 女子ソフトボール部内野手/北京オリンピック金メダリスト)
  5. 杉山愛(プロテニスプレーヤー)

その他

  • 市外局番 : 市内全域で0467
  • 2004年、市立中学校で創価学会歌演奏強要事件が起きた。
  • 市の一部地域が低地となっているため、大雨が降ったときにしばしば道路が冠水したり住宅が浸水することがある。
  • カッパ伝説が残されている。(カッパ徳利伝説)

茅ヶ崎に関係する詞(コトバ)が歌詞中にある主な歌

脚注

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関連項目

外部リンク

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