能勢電鉄
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Template:基礎情報 会社 能勢電鉄株式会社(のせでんてつ、英称:Nosé Electric Railway Co., Ltd.)は、兵庫県川西市の川西能勢口駅から妙見山と猪名川町の日生ニュータウンを結ぶ鉄道を運営する会社。のせでん(能勢電)と呼ばれている。本社は兵庫県川西市平野一丁目35番2号。阪急電鉄の子会社で、阪急阪神ホールディングスの連結子会社でもある。
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概要
能勢電鉄は中小私鉄であるが、準大手私鉄並みの設備が整っており、沿線が未開発だった時代から「地域の拠点」として駅売店を設置し、販売員が駅の業務を兼任するスタイルが採られていた。自動券売機や自動改札機導入後も同じ形態が取られていたが、ストアードフェアシステム導入など駅業務の高度化と沿線の商業施設が充実したことから駅売店が駅業務を兼任する形態をやめている。駅務機器はICカードPiTaPaに対応している。
現状では川西能勢口駅・平野駅・山下駅を除いては基本的に無人駅であるため、これらの機器は平野駅と山下駅にある駅務機器遠距離操作センターから制御・管理している。 なお、このシステムを導入しているのは能勢電鉄以外では名古屋鉄道と静岡鉄道のみである。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はNSである。
なお、社名の能勢電鉄の能勢は、一般的に知られている能勢地区(大阪府能勢町、豊能町東能勢)ではなく、能勢妙見山のことを指している。これは当電鉄が当初能勢妙見山の参拝客を目当てに敷設されたことによる。なお、終点の妙見口駅や当時まだ存在していなかったがときわ台駅や光風台駅は1896年まで能勢郡であった豊能郡吉川村(現・豊能町の西部)に立地しているが、ここは能勢(東能勢・西能勢)地区の範囲外である。
歴史
能勢妙見の参詣客輸送と、沿線で産出される特産物の輸送を目的に、能勢電気軌道株式会社として1908年に設立され、1913年に妙見線の一部区間の営業を開始し、1923年に全通した。しかし、参詣客の輸送には限りがあり、また貨物輸送も目論見通りには行かなかったため、戦前の一時期は管財人の元で管理されたこともあった。管財人の元を離れても沿線開発はあまり進まず、運賃収入の約半分が当時沿線で製造されていた三ツ矢サイダーなどの貨物輸送であった。1960年代頃から沿線開発が進み、複線化などの線路改良や日生線の開通により通勤鉄道へと変貌した。
1922年より阪神急行電鉄(後の阪急電鉄、現在の阪急阪神ホールディングス)が資本参加しており、古くから関係が深かったが、1960年代後半になって、西武グループによる多田グリーンハイツの開発が進められ、同時に能勢電軌を西武グループが買収することを目的に、株の買占めを行う事態に至った。能勢電軌側は阪急に協力を仰ぎ、阪急出資による増資を行った結果、西武グループの買収防止に成功するとともに、名実ともに、阪急グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の一員となった。1978年には社名を能勢電鉄株式会社に改めた。
しかし、1990年代以降は旅客輸送量が伸び悩み、2003年には不動産事業から撤退するとともに、阪急電鉄の支援を受けて同社の路線の一部という位置付けで運営の一体化が図られることになった。そのため、コスト削減の一環として車体の色を「フルーツ牛乳」と呼ばれていたそれまでのオリジナル塗色から、かつての標準色でもある、阪急と同じマルーン色(茶色)へ塗り替えられた。なお、2008年に創業100周年を記念してオリジナル塗色が復活した(車両章にて後述)。
同じ阪急阪神東宝グループに属する鉄道会社として北大阪急行電鉄(北急)があるが、背後に千里ニュータウンなどを抱え関西でも屈指の高採算路線である同社に比べて、能勢電鉄は採算性の厳しい路線が多い。宝塚線への直通運転などで、阪急としてテコ入れを図っている。
年表
- 1908年(明治41年)5月23日 - 能勢電気軌道株式会社として設立。
- 1913年(大正2年)4月13日 - 能勢口(現在の川西能勢口) - 一の鳥居間が開業。
- 1922年(大正11年)10月4日 - 増資に伴い、阪神急行電鉄(現・阪急阪神ホールディングス)が資本参加。
- 1923年(大正12年)11月2日 - 池田駅前(後の川西国鉄前駅) - 妙見(現在の妙見口)間が全通。
- 1925年(大正14年)8月1日 - 妙見鋼索鉄道(能勢電気軌道50%出資)が開業。下部線(滝谷 - 中間駅)600mおよび上部線(中間 - 妙見山駅)840mに分けてケーブルカーを運行。
- 1944年(昭和19年)2月10日 - 妙見鋼索鉄道廃止(戦時中の物資供出による)。
- 1960年(昭和35年)4月22日 - 妙見ケーブルが開業(旧下部線を復活。黒川 - 山上間623m)。
- 1960年(昭和35年)8月27日 - 妙見リフトが開業(旧上部線のうち山頂側の573mを運行)。
- 1961年(昭和36年)8月10日 - 資本金を9,600万円に増資。阪急の子会社となる(出資比率57%)。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 定期券自動発行機を設置。
- 1978年(昭和53年)10月1日 - 能勢電鉄株式会社に社名変更。
- 1978年(昭和53年)12月12日 - 日生線が開業。
- 1981年(昭和56年)12月20日 - 妙見線の一部(通称・国鉄前線)川西国鉄前 - 川西能勢口間を廃止。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 全駅に新型自動券売機(東芝製ではなく神鋼電機製)の設置が完了したのを機にプリペイドカード「パストラルカード」を発行、同カードによる乗車券の発売開始。
- 1990年(平成2年)9月15日 - 全駅に自動改札機の設置が完了したのを機に回数券の様式を紙券から磁気券に変更、販売箇所が売店から券売機に変更された。
- 1990年(平成2年)12月 - 川西能勢口駅定期券発売所で定期券の即売を開始。
- 1990年(平成2年)12月15日 - 阪急電鉄との連絡回数券を発売開始。
- 1991年(平成3年)4月1日 - 遠隔操作システム稼動開始。
- 1994年(平成6年)4月1日 - ストアードフェアシステム「パストラルスルー」開始、阪急の「ラガールスルー」と共通運用となる。この複数社間相互決済可能型ストアードフェアシステムがほぼそのまま「スルッとKANSAI」に発展した。
- 1996年(平成8年)3月20日 - 阪急電鉄ほか3社局と共通乗車カードシステム「スルッとKANSAI」開始。
- 1997年(平成9年)2月24日 - 本社を川西能勢口駅(地上駅)駅舎から現在地に移転。
- 1997年(平成9年)11月17日 - 阪急宝塚線梅田直通特急「日生エクスプレス」の運転を開始。
- 2001年(平成11年)3月24日 - フェアライドシステムを導入。
- 2003年(平成15年)4月 - 阪急電鉄との運営一体化がスタート。
- 2004年(平成16年)8月1日 - PiTaPa導入。
- 2006年(平成18年)1月21日 - PiTaPaとの相互利用開始に伴いJR西日本のICOCAの利用が可能となる。
- 2006年(平成18年)6月1日 - 川西能勢口駅定期券発売所(1997年11月16日以降は阪急線の定期券発券も開始)を閉鎖。同日より阪急電鉄が川西能勢口駅サービスセンター内に定期券発売所を設置し、能勢電鉄の定期券発券を受託。
路線
運行形態などについては以下の各項目を参照。
(注)シグナス森林鉄道は、法規上の鉄道ではない。
※妙見線・日生線を「鉄道線」と総称することもある。また、妙見ケーブルを「鋼索線」、妙見リフトを「索道線」と称することもある。
車両
thumb|right|250px|能勢電鉄3100系電車(2007年7月31日、絹延橋駅にて撮影)
thumb|right|250px|創立100周年記念リバイバルカラー電車
マルーンとベージュのツートンカラー(2008年7月20日、山下駅にて撮影)
thumb|right|250px|創立100周年記念リバイバルカラー電車
「フルーツ牛乳」カラー(2008年7月20日、山下駅にて撮影)
thumb|right|250px|リバイバルカラー2連+2連の4両編成で運転された「あじさい号」(2008年7月6日 鼓滝 - 多田)
鉄道線
現在在籍する全車両が、以前阪急電鉄の神宝線で使用されていた車両である。
高架化以前まで川西能勢口駅は出発してすぐに時速15キロ制限の急カーブがあり、このカーブに対応するため、ほとんどの阪急からの移籍車両は連結器の改造などが行われていた。連結器間の距離が長い車両はその名残である。
1997年11月17日から阪急電鉄の車両が日生中央まで乗り入れているが、片乗り入れであり、能勢電鉄の車両は通常阪急線内には乗り入れていない。ただし車両検査やイベント時に平井車庫や正雀車庫まで入線している。
阪急電鉄と同様に携帯電話電源OFF車両が設定されている(4両編成の場合川西能勢口側の1両、2両編成には設定なし)。また、同じく「全席優先座席」を実施し、特定の優先座席を設けていなかったが、阪急での変更に合わせて2007年10月29日に「全席優先座席」を廃止し「優先座席」を設定している。
電装品などの機器類なども親会社である阪急と同様に東芝製を使用しているが、列車無線だけはNEC製のものを使用している。
2008年の創業100周年を記念して同年5月から翌2009年3月までの間、2003年以前に使用されていたオリジナル塗色が復活することとなった。対象車両は元阪急2000系の1500系で、1550Fがマルーンとベージュのツートンカラー、1560Fがオレンジとクリームの「フルーツ牛乳」カラーである。
現有車両
過去の車両
鋼索線・索道線
すべて開業時に新造した。ケーブルカーについては、1990年代初頭に現在の色に塗り替えた後、1号車については「ほほえみ」、2号車については「ときめき」と愛称が付けられた。
標識灯
列車種別は種別表示器(方向幕)のほか先頭車両前面の通過標識灯で識別できる。点灯パターンは以下の通り。
- 普通列車は消灯。
- 急行は右のみ点灯。
- 特急・回送などは両側とも点灯。
運賃
大人普通旅客運賃(索道線を除き小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
- 鉄道線(妙見線・日生線)
キロ程 | 運賃(円) |
---|---|
初乗り2km | 150 |
2.1 - 4.0 | 180 |
4.1 - 6.0 | 220 |
6.1 - 8.0 | 260 |
8.1 - 10.0 | 280 |
10.1 - 12.0 | 310 |
12.1 - 12.2 | 320 |
- 鋼索線(妙見ケーブル)
- 片道270円
- 索道線(妙見リフト)
- 片道250円、往復480円(小児同額)
その他
- 2008年9月27日の朝日新聞(夕刊)に能勢電鉄について特集が組まれた<ref>「カーブにまっすぐ勝負 能勢電鉄」 asahi.com</ref>。
- ゲームソフト「メタルギアソリッド」「メタルギアソリッド2」「メタルギアソリッド4」「メタルギアソリッド_ピースウォーカー」のゲーム中イベントシーンにおいて「かわにしのせぐち きぬのべばし たきやま (中略) こうふうだい ときわだい みょうけんぐち」と、能勢電鉄妙見線の駅名を羅列するセリフが、それを喋るキャラクターを変えながらも登場する。これはゲーム開発者である小島秀夫監督がかつて能勢電鉄沿線に住んでいたことによる<ref>http://www.youtube.com/watch?v=tfitQHeFoF8</ref>。
関係人物
- 村上実 - 元阪急軍およびその後身の阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)監督・球団代表。その後能勢電鉄専務・社長・相談役を務めた。
脚注
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