聖戦

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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 聖戦(せいせん)とは、宗教的に神聖とみなされる、正義のための戦争を意味する語である。

目次

古代

戦争を宗教的な意義付けから正義の戦いと意味づける行為は、人類の歴史の草創から見られる現象である。地中海世界・ヘレニズム世界では、古代オリエントシュメールの時代から、都市国家と都市国家の間の戦争は都市の究極的な所有者である守護神同士の間の戦争であると信じられてきた。古代人は、敵と戦って打ち勝つことを単なる世俗的な利害の勝利とは考えず、自分達の信じる神が、地上の悪と不正義を一掃する行為を代行しているのだと考えることによって、戦争に正当性を付与することを求めたのである。

また、古代ギリシア隣保同盟における聖域神殿の利権をめぐって戦われた戦争も「聖戦」(神聖戦争)と呼ばれる。

ユダヤ教における聖戦

ヘブライ人ユダヤ人)が生み出したユダヤ教の『旧約聖書』においても、神(ヤハウェ)はヘブライ人の軍隊を守護する神であり、ヘブライ人が敵を打ち破り、悪を打ち滅ぼすことは神に定められた神聖な義務として意義付けられた。この思想が終末思想と結びついて神と悪魔との最終戦争(ハルマゲドン)の観念と、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」を生み出す。また、旧約聖書の預言者たちが伝えた異教徒を殲滅する戦いを鼓舞する神の言葉は、キリスト教の中に十字軍の思想を生み出し、キリスト教が世界中に広まる原動力となった。その後、ヨーロッパのキリスト教国際社会は正戦思想や国際法思想を生み出して、戦争観を次第に世俗化させていくが、十字軍思想の痕跡を現在のアメリカ合衆国の「正義の戦い」「対テロ戦争」の思想に見出す論者もいる。

イスラム教における聖戦

イスラム教ジハードの思想も、基本的にユダヤ教、キリスト教の聖戦観念の延長上にあるものとして捉えられるが、聖戦の思想が現在に至るまで存続し、かえって近代に復興しつつある点に、世俗化した非イスラム世界の戦争観と際立った対照を示している。

日本における聖戦

近代日本では国家神道の教義によってあらゆる戦争は「聖戦」とされ、国民は「聖戦」への参加の義務、さらにその死者を「英霊」として顕彰する義務を負っていた。これは「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」(菱木政晴)と指摘されている。日本基督教団は「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表して大東亜戦争は聖戦であると宣言し、これに協力した。

参考文献

  • 山内進『十字軍の思想』ちくま新書、2003年。(ISBN 4-4800-6122-3)
  • 菱木政晴「国家神道の宗教学的考察―顕彰と謝罪―」「西山学報」42号、1994年3月。

関連項目

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