美作国

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美作国(みまさかのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、山陽道に位置する。現在の岡山県の東北部にあたる。作州(さくしゅう)と呼ぶこともある<ref>美濃国との重複を避けるため二文字目の「作」の字を用いる。</ref>。延喜式での格は上国、近国。

目次

沿革

和銅6年(713年)4月3日に、備前国から英多郡勝田郡苫田郡久米郡真嶋郡大庭郡の6郡を分けて設けられた。

歴史

室町時代には主に播磨国赤松氏守護を勤めた。この関係上、山陽道側諸国と歴史的交流が深い。守護は赤松氏、尼子氏浦上氏宇喜多氏と変遷、1600年の関ヶ原の戦いに東軍に参与した小早川秀秋が備前・美作両国を領した。わずか2年で小早川家が滅ぶと備前との関係がなくなる。この頃活躍した宮本武蔵は美作国宮本村出身との伝承がある。小早川家断絶後は森氏が津山に築城して入封して津山藩が成立したが、5代94年の支配で改易された。津山藩・森氏に築かれた津山城は日本三大平山城の一つに数えられる。その後、有力外様大名がひしめく山陽道に睨みをきかす意味で津山徳川政権直轄の代官所が置かれ、美作国内は小藩に分割された。

国府・一宮など

国府は苫田郡にあった。現在の津山市総社にあったと推定されている。1970年に同所の国府台寺で、国府関連とみられる遺跡が発見されてから発掘調査が続いている<ref>1986年(昭和61年)から7次にわたり調査が行われた。調査の結果3次にわたる国庁に相応しい遺構が発見された。第1期が7世紀後半から8世紀初頭まで、第2期が8世紀初頭から9世紀前半まで、第3期は9世紀後半から13世紀前半までである。</ref>。

延喜式神名帳には大社1座1社・小社10座9社の計11座10社が記載されている。唯一の大社は苫東郡 中山神社(津山市一宮)で、名神大社に列し、美作国一宮となっている。二宮は高野神社(津山市二宮)、総社は美作総社宮(津山市総社)で、この三社をもって「美作三大社」と呼ばれる。他に、美作市滝宮(旧英田町)の天石門別神社(通称「滝宮」)が美作国三宮である。

守護

鎌倉幕府

室町幕府

郡家遺跡は、久米郡家は久米郡久米町の宮尾遺跡、勝田郡家は勝田郡勝央町の勝間田遺跡、英多(あいだ)郡家は英田郡作東町高本遺跡などが事前調査で知られている。

  • 久米郡家は久米川の砂岩段丘上にあり、四時期の遺構が検出されている。第一期の遺構は遺跡中央部の品字形はいちの建物郡とその東方に総柱の倉庫、西方の南北棟の建物である。

関連項目

脚注・ヘルプ

<references/>

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