総合格闘技

出典: Wikipedio


Template:出典の明記 Template:ウィキプロジェクトリンク right|250px|thumb|総合格闘技の試合 総合格闘技(そうごうかくとうぎ)は、打撃パンチキック)、投げ技固技抑込技関節技絞め技)などの攻撃法を駆使して勝敗を競う格闘技の一つである。略して総合と呼ばれることもある。

英語では「混合格闘技」を意味するMixed Martial Arts(ミックスト・マーシャル・アーツ、略称MMA)と呼ばれる。MMAが売り出されていた初期はこれに「禁じ手無し」を意味するNo Holds Barred(ノー・ホールズ・バード、略称NHB)、ポルトガル語では「全てが有効」を意味するVale Tudo(バーリ・トゥード)のルールを加えていたので、商業的に成功させるためにもこちらが強調された。ただし、実際にこのような行為は両者の同意があったとしても、開催者側が危険性を認識していながらそれに対する対処措置を取らなかった場合(あるいはそのような行為を奨励した場合)は民事での損害賠償責任が成り立つ。死亡事故がおこれば、開催者側が刑事責任を追及されるため興行に必要な保険をかけることもできない。よって先進国では合法的(特にテレビ放映)には成立し得ない。現在では興行的にもそれなりに成功し、このような過大広告に頼る必要もなく、ルールも正確に制定されスポーツ化が定着しMMAの呼称が一般化している<ref>狭義ではこれらのうち、日本でも各種大会が開催されるようになった初期の頃、マスコミやファンの間で「NHB」「バーリトゥード」と呼んでいた格闘技のことを「総合格闘技」という。最近はこの名称が定着している。なお、寝た状態での顔面打撃が禁じられているルールは、総合格闘技・MMAとしては認められても、「何でもあり」を意味するNHBやバーリトゥードと呼ばれることは一般的ではない。</ref>。

目次

概要

総合格闘技はその名の通り、ルールによる攻撃手段の制約を最大限排除したうえで技術を競い合う格闘技である<ref>目突きや噛みつき・頭突き等の特に危険な攻撃は現在は禁止されている。</ref>。打撃系格闘技の多くでは固め技・投げ技が、組技系格闘技の多くでは打撃がルールで禁止されているのに対し、総合格闘技ではその両方を認めることから、「何でもありの格闘技」とも呼ばれ、そのため実際の試合にあたっては様々な格闘技の技術が使用される。大まかにいえばボクシング空手などの立った状態からパンチやキックなどの打撃を駆使して戦う「打撃(立ち技)系格闘技」と、レスリング柔道ブラジリアン柔術など相手と組んだ状態で固め技や投げ技を繰り出して戦う「組技系格闘技」の両方の技術が必要とされる。

ルール

総合格闘技にはボクシングのように世界的に統一されたルールが未だ存在しておらず、ルールの大半は世界共通であるが、枝葉末節の部分では大会を主催する団体により異なる部分がある。北米の多くの団体ではニュージャージー州アスレチック・コミッション(以下NJSACB)制定の統一ルール、およびネバダ州アスレチック・コミッション(以下NSAC)制定の統一体重制が採用されている。ここでは現在主流となっているルールについて記述する(細かい異同については各団体の項目を参照)。

試合場

北米の団体においては試合場を金網で囲った「ケイジ(Cage)」が使用されることが多いが、大きさや形(八角形・五角形・円形など)が異なる場合が多い。一方日本では多くが団体プロレスやボクシングと同様、四角形でロープを張ったリングを使用している。

試合形式

NJSACBの統一ルールでは試合時間はノンタイトル戦で原則5分3ラウンド、タイトルマッチで5分5ラウンド(インターバルはラウンド間に各1分)とされている。日本でも多くがこれに準ずる形をとるが、かつてのメジャー団体PRIDEでは1ラウンド10分、2・3ラウンドを各5分とする変則3ラウンド制が採用され、DREAMにおいても1ラウンド10分・2ラウンドを5分とする変則2ラウンド制が採用されている。

選手の服装

オープンフィンガーグローブの着用が義務付けられる他、上半身は裸、下半身には短いスパッツかトランクスを着用して試合を行う。日本ではイベントによって様々であるが、シューズ・道着・レスリングタイツ・ロングスパッツなどの着用が認められる場合もある。

主な反則

法治国家においては、開催者側が参加者の安全を確保する法的義務が存在する。よって、禁じ手なしでの興行は実際にはあり得ない。目潰し金的攻撃頭突きなど、急所のうち特に人体に危険を及ぼしうる部位への攻撃については、安全性への観点からほぼ全ての大会で禁止されている。他の反則については団体毎に違いがあり、NJSACBの統一ルールでは頭部・顔面への肘打ち(下方向へ突き落とすものを除く)を認める一方でグラウンド状態の相手への頭部・顔面への蹴り技は禁止している。反対に日本の団体では頭部・顔面への肘打ちが禁止されグラウンドでの頭部・顔面への蹴り技が認められている場合が多い。

勝敗

パンチ・キック等の打撃によりレフェリーが試合を止めるTKO(テクニカルノックアウト)、関節技絞め技、もしくは打撃によるタップアウトおよびレフェリーによる見込み一本・口頭でのギブアップ(サブミッション、一本勝ち)により勝敗が決定される。他に医師、セコンドが試合続行不可能と判断した場合ドクターストップセコンドのタオル投入によりTKOが宣告されることがある。規定時間内に決着がつかなかった場合、3人の審判によって採点がつけられ、2人以上の審判の支持を得た者が勝者となる(判定1-0など1人のみの支持しか得られなかった場合は引き分けとなる)。判定時の採点に関しては多くの団体では第三者機関(上記NSACなど)管轄の下でラウンド毎に採点が行われる一方、PRIDEでは試合全体を通じて一つの採点がつけられる。判定基準についても団体毎に様々である。

世界の総合格闘技団体

プロ総合格闘技は主催者・マスコミ・協賛企業の協力関係のもと、大会運営勢力(プロモーション団体)によって開催・運営される。一部のトップ選手はメジャー団体によって高額なファイトマネーや契約金が保障されており、プロの選手として生計が成り立つことを既に立証している。

ボクシングのWBAWBCに相当するような世界的統括組織が存在しないため、プロ・アマ問わずの小規模な各種大会がそれぞれ独立して世界王者・ランキングを認定し、世界中の各国・各地で多数開催されている<ref>日本では統括組織となるべく日本総合格闘技協会2007年に設立され、国際レスリング連盟副会長である福田富昭が会長に就任した</ref>。

アメリカでは世界最大規模のUFC以外にStrikeforceWorld Extreme Cagefighting(WEC)、King of the Cage(KOTC)、Rumble on the Rock(ROTR)などの大会がある。

日本では最大手のPRIDEは2007年にUFCのオーナーであるロレンゾ・フェティータに買収され、係争中であり活動休止状態のままであるが、修斗パンクラスZSTDEEPCAGE FORCESRC(戦極)、DREAMなどの大会がある。

総合格闘技のプロモーションは日米以外でもブラジルオランダロシアカナダリトアニアなどにも存在し、近年アジアでもモンゴルインドネシア韓国などで大会が開催されている。

各国の総合格闘技の隆盛

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アメリカ
レスリングの普及度やUFCを中心とした強いプロモーションの存在により、1993年のUFC発足以来の総合格闘技はアメリカを中心に回っている。一時期暴力性の強い試合内容にバッシングが起こり、コミッションの認可を受けられず、興行面での主導権を日本に奪われかけたこともあったが、2001年にUFCの運営母体がズッファLLCとなってからは各州で合法化され、2006年からUFCの人気が爆発。UFCのPPVの売り上げに大資本による追随する大会が続出し、2000年代後半はMMAバブルとも言われる活況を呈した。2008年にはエリートXCによって初めて地上波のネットワークで総合格闘技が放送されるに至り、2009年11月のStrikeforceの大会『Strikeforce: Fedor vs. Rogers』がそれに続いた。
日本
総合格闘技の発祥の地といえるが、修斗などのUWF(Universal Wrestling Federation/ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)系をルーツとする団体はグラウンドパンチを解禁していなかったため、世界標準となった総合格闘技ルールでは当初苦戦を強いられた<ref>修斗のバーリトゥードジャパンオープン96を速報する『格闘技通信』1996年8月11日増刊号の表紙に掲載されたのが「日本最弱」という見出しだった。</ref>。2000年代以降、PRIDEを中心としたテレビの地上波放送により大衆レベルでは世界でも最も総合格闘技が受容されていた国の一つだった。しかし2007年のPRIDEの買収による停滞は否めない。修斗の中軽量級を中心に技術的にも世界に拮抗していたが、アメリカを中心に総合格闘技の人気が高まるにつれ、他国の選手層が飛躍的に厚くなり、かつてのアドバンテージはなくなりつつある。
ブラジル
バーリトゥード発祥の地であり、1960年代から1970年代にかけては、地上波で放送が行われていた<ref>近藤隆夫『すべては敬愛するエリオのために グレイシー一族の真実』毎日コミュニケーションズ、2001年、p6。</ref>。ブラジリアン柔術からの転向者を中心として競技者も多い。難点は大規模なプロモーションが存在しないこと。このため、ブラジルの有力選手はアメリカに移住するケースが多い。
ロシア
ソビエト連邦時代からサンボとレスリングが普及していた。しかし、それ以外の空手テコンドー柔術などの格闘技は1989年まで禁止されていた。1994年からリングス・ロシアがパウンドのない大会の自主興行を行い<ref>布施鋼治「ロシア 知られざる格闘都市、牙を研ぐ精鋭たち」『Sports Graphic Number』No.569、2002年、文藝春秋</ref>、UFCの影響を受けた世界標準の総合格闘技の各種の大会が開催された。中でも1997年から始まったM-1が最も回数を重ねている。リングス・ロシアを前身とするロシアン・トップチームレッドデビル所属の選手が世界的に活動している。
韓国
元々柔道、レスリングでは日本に迫る強さがあり、日本での総合格闘技人気に刺激され人気、競技人口が爆発に増加しつつある。地上波で日本のK-1やPRIDEの放送がされていたが、格闘技の放送は2000年代半ばに国会で問題になりケーブルテレビへ移行<ref>『kamipro』No.120、2008年。</ref>。ケーブルテレビやインターネットでは制限が少なく、世界中の興行を視聴しやすい環境である。難点は2年間の徴兵制度があるため、選手の活動、成長が阻害されてしまうケースが見られる。
中国
2007年度に初めて総合格闘技の興行が行われた。しかし観客、興行サイド、選手は総合格闘技を競技として昇華する前の段階のショー意識が強いのは否めない。いわば手探り状態である。現在の中国を代表する総合格闘技団体は「ART OF WAR」という団体であり、上山龍紀松井大二郎など、日本人選手が参戦したこともある。
オランダ
1991年クリス・ドールマンが日本のリングスに参戦し、1995年にはオランダで初となる総合格闘技の大会を開催。格闘技はキックボクシングが主流であり、K-1選手は多いものの総合の選手は少なく、寝技のレベルの低さが指摘されている<ref>松井孝夫「オランダ 彼らが拳を信じる理由」『Sports Graphic Number』No.569、2002年、文藝春秋</ref>。総合格闘技の大会としては、2000年から2 Hot 2 Handle (2H2H) が開かれている。
イギリス
2002年より定期的な大会として、Cage Rageを開催<ref>ATAQUE「新格闘世界情勢」『Sports Graphic Number』No.658、2006年、文藝春秋</ref>。
フランス
総合格闘技は2008年になって合法化された<ref>THE LEGALIZATION OF MMA IN FRANCE MMA WEEKLY 2008年2月22日</ref>。柔道の普及度は日本を凌駕しているが、総合格闘技の選手は少ない。
ノルウェー
総合格闘技不毛の地といえるが、ヨアキム・ハンセンユノラフ・エイネモ等の優秀な選手が生まれた。
スウェーデン
2008年4月に総合格闘技が解禁された。
リトアニア
ZSTに選手を送り込んでおり、自国でもリトアニア・ブシドー協会の興行が行われ、日本のZSTの選手を来日させ試合を行っている。
フィンランド
ヨアキム・ハンセンを輩出したフィンファイト (FinnFight) がある。

総合格闘技の歴史

黎明期

打ち技、投げ技、固め技の三つの技体型を総合的に教える武道は日本拳法など日本にも古くから存在するが、現在のような総合格闘技には、ブラジルのバーリトゥードが深く関わっていると考えられる。たとえば、日本の異種格闘技戦の魁となったアントニオ猪木もブラジルに渡航した経験をもつ。

日本では1984年4月、新日本プロレスから離脱したプロレスラーによって興された第1次UWFがプロ格闘技団体の先駆とされている。UWFは佐山聡(初代タイガーマスク)が加入後、自身が当時考案していたシューティングという現在の総合格闘技ルールの基礎となる理論と概念を持ち込み、従来のプロレス界のタブーであったショー的要素を公然と排除した「真剣勝負」路線を打ち出すようになり、前田日明藤原喜明高田延彦らの選手を擁し人気を博した。

UWF以前にも、新日本プロレスのアントニオ猪木がプロレスのリングにおいて「異種格闘技戦」をモハメド・アリ(ボクシング)、ウィリー・ウィリアムス(空手)、ウィレム・ルスカ(柔道)らを相手に行っている。猪木の異種格闘技路線もUWFも結局「プロレス」の域を出ることは無かったものの、これが今日の総合格闘技の「萌芽」となったと言われている(しかし、今日のこれと無関係な世界的総合格闘技の隆盛からむしろ「障害」・「迂路」となったとする意見もある)。UWFでもまた異種格闘技戦を何度か行っており、後述の初期UFC同様、総合格闘技の黎明期は一つのスポーツ格闘競技というよりも「UWF戦士はサンボ、ムエタイより強いのか?」「どの格闘技が最強なのか?」という関心を駆り立てる異種格闘技戦としての側面が強かった。

第1次UWFは結局1年半で崩壊することになるが、佐山聡によって1984年にアマチュアからの選手育成も考慮した修斗(当初は「シューティング」と呼ばれた)が創設されている。この修斗設立をもって世界で総合格闘技の団体が初めて誕生したこととなる。

第1次UWF崩壊後、所属主要選手は新日本プロレスの協力を経て、第2次UWF(新生UWF)を興し再出発する。今や伝説となった1988年8月13日の「真夏の格闘技戦」を経て、第二次UWFは格闘技界に一大ムーブメントを起こした。後にパンクラスを立ち上げる船木誠勝も新日から移籍、そしてUWFの新弟子1期生として現U-FILE CAMP主宰の田村潔司が入団している。

しかし、この第2次UWFもまた数年後には分裂という形で崩壊の憂き目に遭う。前田日明がリングス、高田延彦・安生洋二宮戸優光らがUWFインターナショナル藤原喜明船木誠勝鈴木みのるらが藤原組を創設。藤原組からは更に船木、鈴木らが後に独立してパンクラスを創設する。しかし、リングス、UWFインターナショナル、パンクラスもプロレスの域を脱することはなかった。

同時期のUWF以外の総合格闘技の流れとしては、UWFに影響を受け1985年に元日本キックボクシング・ウェルター級チャンピオン、シーザー武志が「立技総合格闘技」シュートボクシングを創設している。

1981年極真会館出身の東孝によって創設された「打撃系総合武道」大道塾も、この時期に注目を集めるようになる。1990年以前で総合格闘技といえば修斗かUWFそして大道塾を指す言葉であった。修斗を創設した佐山は初期の修斗を作るうえで大道塾を参考にしたといわれている、大道塾は日本の主要総合系格闘技団体としては初めて日本人選手(市原海樹)をUFC(後述)に送り込んでおり、着衣総合格闘技としては各国に支部を持つ世界最大の団体である。そのほか大道塾から分離した和術慧舟會禅道会からも総合格闘技の選手は数多く輩出されており、間接的直接的に現在の総合格闘技に影響を与えている。

そして1993年4月30日、それまでリングスなどとも提携しプロの格闘技興行にも進出してきていた正道会館が第1回K-1グランプリを開催する。今日ではK-1はキックボクシングの世界大会として認識されているが、設立当時はその名称の理念にもあるように、「空手、カンフー、キック、ムエタイ他、様々な打撃系格闘技の選手が戦ったら誰が一番強いか?」という異種格闘技戦が持つテーマを全面に出していた。また、同じ打撃系格闘技でも、蹴りや素手の打撃を禁止したり(ボクシング)、拳による顔面への直接打突を禁止したり(フルコンタクト空手)、ローキックや肘、膝蹴りを禁止したり(アメリカの一部のキックボクシング)と、ルールに大きな相違があった。これらを全て統合ルールでまとめて打撃系最強を決めようと言うアイデアは異種格闘技の発想とも言える。実際、リングス他との提携に見られるように、正道会館もまた前述のシュートボクシングと同じくUWF系総合格闘技の流れに呼応する形で発展してきた(無論、正道会館の発展には極真空手のムエタイ挑戦などフルコン空手系自体における流れの影響も大きいTemplate:要出典)。

一方UWFの流れを汲む3団体はそれぞれ大きな興行も幾つか成功させ、格闘技界では注目を集めたが、後発のK-1が民放主要局のゴールデンタイムで試合が放映されるほどの人気を博するようになったのに比べると、まだまだ一部のコアなファンが楽しむだけのマイナースポーツの域を脱していなかった。ここにアメリカから更に大きな衝撃が日本を襲うことになる。米総合格闘技大会UFCブラジリアン柔術グレイシー柔術である。

UFC開催

アメリカでは、1993年11月12日に開催された第1回Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ/UFC)大会が総合格闘技(MMA)ブームのきっかけになった。グレイシー一族の一人、ホイス・グレイシーが、第1回大会から小兵ながらも巧みな柔術技で空手やカンフーなど様々な分野の格闘家を破り優勝。この出来事はいわゆる「グレイシーショック」として日本にも伝播することになる。

グラウンドでの馬乗り状態から素手での顔面攻撃を認めるその過激なルールは、日本格闘技界にとってはUWFがプロレスのショー的要素を廃し真剣勝負・スポーツ格闘競技路線を提唱したこと以来の衝撃的な出来事だった。U系では、グラウンド状態はもとより素手での顔面打突も当然禁止されていた。今日のようにオープンフィンガーグローブが存在しなかったため、拳による顔面への打突にはボクシングにおけるようなグローブが着用必須となる。しかしグラウンドでの関節技の攻防が中心のUWF系団体の試合ではボクシンググローブを着用することは大きな不利となり、またカール・ゴッチ直伝のサブミッション・レスリングを売りにしていたことからも、UWF系団体ではルールで一律に禁止されていた(ただ、異種格闘技戦においては、相手の打撃系格闘家はグローブを着用した)。

また、同大会にはUWF「真夏の格闘技戦」で前田日明と対戦したジェラルド・ゴルドーパンクラスケン・シャムロックら、日本でも馴染みのある選手も参加し、UFCの第2回大会には大道塾の市原海樹が参戦。これら日本でトップクラスの実力者と見なされてきた者たちが全てホイス・グレイシーに易々と負けてしまったことは大きな衝撃だった。

当初、UWF系のリーダーたちはUFCに拒絶反応をしめしていたものの、マスコミやファンの声を無視することができなくなり、徐々にバーリトゥードに団体を近づけていった(リングスのKOK、Uインター後のキングダム等)。

第1回UFC開催の翌年の1994年にはさっそく日本で「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994」が開催され、ホイスの兄でありグレイシー一族最強とされていたヒクソン・グレイシーが参戦。空手格斗術慧舟会の西良典修斗川口健次草柳和宏らも参戦した。結果はヒクソンがトーナメント優勝。その翌年開催の同大会にもヒクソンが参加し、リングス山本宜久修斗中井祐樹らを撃破して二連覇を果たした。

修斗やUWF系の選手がグレイシー柔術と対戦し敗れる中、日本格闘技界は柔術の技術を取り入れていくことで今日の「総合格闘技」というジャンルを形成・確立していくことになる。「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994」でヒクソンに敗れた西良典は大道塾出身で、同団体脱退後に空手格斗術慧舟会を設立していたが、ヒクソン戦後に「柔術再興」を目指して団体名を和術慧舟會に改める。現在慧舟會はWK-NETWORKという形態で加盟ジム・道場を擁し、修斗のみならずパンクラスなどの大会に所属選手を送り込むとともに、DEMOLITIONコンテンダーズ、ORGといった自主興行も開催している。

PRIDE

1997年10月11日、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の第1回大会が開催される。メインイベントでは高田延彦とヒクソン・グレイシーが対戦し、ヒクソンが腕ひしぎ十字固めで勝利すると、ヒクソンの名声とともにPRIDEは格闘技イベントとしての地位を確立していく。

過去にTV放映されていた格闘技といえばボクシング、次いでK-1などがメインであったが、日本人選手を次々と破っていくグレイシー一族との抗争が人気を呼び、PRIDEは徐々に地上波での放送が行われるようになる。

2001年のINOKI BOM-BA-YEの成功以来、大晦日に格闘技の興行が行われることが多くなり、2003年の大晦日では同時刻帯に3つの興行が開催され、テレビでも主要局で中継放送された。著名な日本人格闘家やタレント兼格闘家の試合は話題性・注目度が高く、老若男女問わず多くの視聴者を引きつける。総合格闘技は現在では有名な娯楽観戦の一つとして地位を築きつつある。なお、PRIDEは全米でのPPV放送のみならず南米やヨーロッパの一部の国などでも放送されており、世界的知名度はUFCと変わらない高さになっていた。

2000年に入ると格闘技の性質そのものを今までとは違った角度から捕らえようとする動きが現れてくる。まず修斗を離脱した佐山聡が市街地戦を想定して実戦性を追求した掣圏道を1999年に設立、翌年から本格的に活動を展開している。次にキックボクシングルールとグラップリングルールを2ラウンドずつで行う「サムライ」という実験的な大会がマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主導で行われた。また、「柔道の原点に戻る」というテーマを掲げ、柔道をベースに打撃を融合させた新格闘技J-DOが誕生している。

試合においては、1990年代後半よりレスリング出身のマーク・コールマンドン・フライマーク・ケアーランディ・クートゥアといった選手が活躍するようになる。かつてのUFC、あるいは他のバーリトゥード大会でブラジリアン柔術のベテラン選手達が柔術旋風を巻き起こしたように、1990年代後半からはレスリング出身者が優位を占めるようになっていく。

2000年代に入ると、今度は柔術・レスリングなどの寝技(グラウンド)・組み技を研究しつつ、あくまで打撃にこだわるスタイルの選手が活躍するようになる。シュートボクセ・アカデミームエタイ系打撃)のヴァンダレイ・シウバや、K-1グランプリで準優勝したこともあるミルコ・クロコップなどがそれである。第2代PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルもベースにあるのは、豪快な投げと強力な関節技が特徴のサンボだが、得意とするのは(特長的なのは)パンチであり、立った状態はもちろん、グラウンド状態でも強烈なパンチ(これをパウンドと呼ぶ)を放つ技術を持っている。多彩な柔術技を駆使する初代王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとは好対照をなしている。

現在の打撃系選手の活躍には、シュートボクセなどのブラジル出身者の他に、元キックボクシング世界王者モーリス・スミスの恩恵が大きい。長年王者に君臨していたスミスは、現役晩年に総合ブームが起こり参戦するも、他の打撃系選手と同様に寝技系選手に敗退する。しかし、かつての名声を犠牲にしてでもモーリスは総合に参戦しつづけ、敗退を繰り返す中で打撃系選手の総合での対応策を見出していった(モーリスが目指したのは、寝技は防御のみを徹底的にマスターし、打撃で攻撃するスタイル)。

問題点

Template:独自研究 今日の総合格闘技を語るにおいて、日本のUWF、アメリカのUFCの貢献は欠かすことが出来ない。しかし、これらはその一方で幾つかの負の遺産を残している点も否めない。まず、UWFはプロレスから派生してきたという経緯から、常に八百長、ヤラセ疑惑がつきまとってきた。現在では実際に初期UWFなどは完全なプロレスで、それ以降は過渡期として真剣勝負、プロレスが混在する状態にあったことが判明している。真剣勝負、プロレスの比率については意見の分かれるところであり、それについて関係者の殆どは口を閉ざしている。しかし、第1次UWFの試合の多くが今日の総合格闘技とは異質なものであることは誰の目にも明らかであるし、それ以降のU系団体における試合にも、疑わしい試合が散見されるのは事実である。選手からプロレスであったことを示唆する証言も幾つかリークされている。

一方、アメリカのUFCは、ノールールを売り物に(実際には法律上の規制から禁じ手はあった)で開催されたため、大変な衝撃を与え、PPV契約は順調に伸びていた。また、興行にグレイシー一族が直接関わっており、露骨な八百長はないまでも対戦者の組み合わせやルールなどで有利にしたグレイシー柔術を優勝させる大会であったとの主張は存在する。ただし問題になったのは、興行的に成功させるために「禁じ手なし」などの過大広告の基に興行を行ったためこれにより一般人にはボクシングに類するスポーツ格闘競技としてではなく、単に荒くれ者が素手で殴り合う暴力性・残虐性の強いショーというネガティブなイメージを強く焼き付けてしまった。「過激過ぎる」という意見がアメリカ連邦議会の中にも出てきて、法的に危険ということで興行許可がおりない状態になり経営として急速に行き詰まる。 その後、興行母胎がボクシングなどの興行を手がけている企業に移り、その後はルールを明確にして完全にスポーツ化を実施。興行許可を確保して、テレビの放映も再開された。現在では、参加選手が出演するリアリティ番組The Ultimate Fighter(ジ・アルティメット・ファイター)」の人気も手伝った結果広く人気を博している。

アマチュア総合格闘技

総合格闘技におけるアマチュアとは柔道レスリングブラジリアン柔術キックボクシングといった既存の競技を基本的には指していたが、現在ではそれだけではなく、打撃を排し、寝技と組技を重視したグラップリングや、プロの総合格闘技のルールの安全性を高めたアマチュア総合格闘技もある。日本では修斗がアマチュア競技で全日本選手権を開催しており、また、他のプロ総合格闘技団体もアマチュア競技の大会を開催している。世界では国際競技格闘連盟がアマチュア総合格闘技の世界選手権を開催している。

女子総合格闘技

女性による総合格闘技は女子プロレスや男子総合格闘技の中で行われてきたが、1995年に史上初となる女子限定の総合格闘技イベント「L-1」が開かれ、神取忍らが出場。2000年には女子プロレス団体「ネオ・レディース(現・NEO女子プロレス)」が中心となって「女子総合格闘技・ReMix」を開催した。

2002年には米国でも「HOOKnSHOOT」において女子限定大会が行われた<ref>[修斗] 4.13 エバンスビル (結果):女子だけのプロ公式戦 BoutReview 2002年4月16日</ref>。一方、日本では2001年からは初の定期興行として「SMACK GIRL」を旗揚げした。SMACK GIRLは2008年より「JEWELS」と形を変えて継続されている。修斗でも2004年からは女子限定イベント「G-SHOOTO」を開催している。

脚注

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関連項目

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外部リンク

  • BoutReview - 総合格闘技を扱うニュースサイト
  • MMA PLANET - 日本国外の総合格闘技大会を多く取り上げている
  • SHERDOG - (英語)総合格闘家の大規模なデータベースがある

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