終戦の日

出典: Wikipedio


終戦の日(しゅうせんのひ)は、一般に戦争が終わった日である。日本においては、第二次世界大戦大東亜戦争太平洋戦争)が終わった日を指すことが多い。

目次

定義

日本において第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)が終わった日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。

  1. 1945年8月14日昭和天皇が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
  2. 1945年8月15日:昭和天皇が、ポツダム宣言の受諾を玉音放送終戦の詔書を朗読した)により日本国民に布告した日。
  3. 1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書休戦協定)に調印した日。
  4. 1952年4月28日サンフランシスコ講和条約が発効し、国際法上、連合国と日本の戦争状態が終結した日。
  5. 1972年5月15日沖縄において、第二次世界大戦後の米軍占領が終わった日。

連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日降伏の日降伏記念日敗戦記念日と呼んでいた。アメリカ合衆国を初めとする連合国側では、9月2日を対日勝戦記念日として「V-Jデー」と呼んでいる。国際的には、9月2日を終戦の日とする国が多い。

現在の日本では、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には終戦記念日終戦の日と称し、政府主催の全国戦歿者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれる。

4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。ただし、沖縄では、この日以降も1972年5月14日まで、米軍による占領が更に20年も続いたことから、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人々もいる<ref>琉球新報 2009年4月28日付</ref>。

歴史

1945年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍無条件降伏を要求した。日本政府は、日ソ中立条約があるソ連和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市への原子爆弾投下8月8日ソ連対日宣戦布告8月9日長崎市への原子爆弾投下と重大な事態が続いた。8月10日、日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日御前会議で、昭和天皇の裁断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。

1945年8月15日正午グリニッジ標準時午前3時)から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう)を昭和天皇が朗読したレコードラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされた。神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結を発表されたと、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべきできごとであり、大きな衝撃を与えた<ref>この放送は聞き取りがたかったという回想が多いが、その一因は録音盤の素材が充分でなかった点にもあることを元録音班のメンバーが明かしている。『朝日新聞』2008年12月26日夕刊、東京版、2面。</ref>。

1945年8月16日、日本軍部隊への正式な停戦命令が行われたが、これ以降も大陸や北方戦線では、ソビエト連邦中華民国との戦闘が暫く続いた。ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止する為の戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた。また、戦闘停止命令の届かなかった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。さらに、外地の一般市民が難民と化し多くの犠牲者をだした。また、沖縄の久米島では、日本軍による住民の殺害(久米島守備隊住民虐殺事件)もあった。これらの戦闘は、8月下旬になると、概ね終結した。

1945年9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が、降伏文書に調印し、即日発効した。1951年9月8日には、平和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印された。そして、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日をもって、国際法上、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結することとなった<ref>ソビエト連邦のようにサンフランシスコ平和条約に署名しなかった国については、相手国と日本が別途に平和条約または同等の二国間協定を結ぶまで法的には戦争状態が継続した事になる。対ソビエト連邦については、日ソ共同宣言締結で関係が正常化した。</ref>。

法律

引揚者給付金等支給法(昭和32年[1957年]法律第109号)は8月15日を終戦の基準とし、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和42年[1967年]法律第114号)は8月15日を「終戦日」と呼んでいる。1963年5月14日閣議決定により同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、1965年からは東京都千代田区日本武道館で開催された。1982年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された。現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われている。

戦没者を追悼し平和を祈念する日」について(昭和57年[1982年]4月13日閣議決定)
  1. 趣旨 先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
  2. 期日 毎年8月15日とする。
  3. 行事 政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年[1963年]以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。
別紙 全国戦没者追悼式の実施について
  1. 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
  2. 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年[1981年]の式典と同様とする。
  3. 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
  4. 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。(全国高等学校野球選手権大会の会場でも、正午の時報直前にプレーを中断し、選手・観客らが1分間の黙祷を捧げる)

地上戦が行われた沖縄では、6月23日に組織的な日本軍の抵抗が終結した。このため、現在、沖縄県では6月23日を慰霊の日として休日としている。アメリカ軍による正式な沖縄戦の終結宣言は7月2日であるが、沖縄征服は6月30日と記録している。しかし、その後も日本軍による抵抗は続いた。9月7日、南西諸島守備軍代表は、嘉手納の米軍第10軍司令部で降伏調印し、沖縄戦は公式に終結した。このため、沖縄県の公式慰霊施設である平和の礎では、沖縄戦終結の日を9月7日としている。

学校教科書

小学生用社会科教科書や中学生社会科教科書(歴史分野)の多くは、終戦の日を8月14日8月15日と記しており、9月2日については言及していない物もある。又、サンフランシスコ平和条約については、締結日の1951年9月8日について言及しているが、発効日の1952年4月28日には言及していない物もある。

しかし、高等学校日本史教科書の多くは、終戦の日を9月2日としている。8月14日は「ポツダム宣言受諾が決定され連合国側に通知した日」、8月15日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」と記されている物が多い。例えば、高校日本史教科書の山川出版社の詳説日本史では、以下の記述となっている。

『昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、8月14日、政府はこれを連合国側に通告した。8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された。9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府及び軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した。』<ref>詳説日本史 笹山晴生白石太一郎佐藤信坂上康俊石井進五味文彦・桜井英治・高埜利彦・吉田伸之・坂野潤治・鈴木淳・加藤陽子/著 山川出版社 2002年4月4日文部科学省検定済 345頁。</ref>

日本国外

9月2日を「終戦の日」とする国家

アメリカ合衆国イギリスフランスカナダでは、9月2日対日勝戦記念日VJデー)と呼んでいる。当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは、ポツダム宣言に調印した9月2日を「V-J Day」として宣言した。
アメリカ:1995年9月2日には、対日勝戦50周年を記念して、記念切手が発行された。ただし、州レベルでは8月14日や8月15日とされることも多い。
カナダ2005年に、勝戦60周年を記念して、「Victory 2-9-45」と刻印されたメープルリーフ銀貨を発行した。
フランス2000年に、終戦記念日(Template:Lang-fr)である5月8日VEデーに、反ファシズム戦争の勝利55周年を記念してイベントが開催された<ref>フランス、世界反ファシズム戦争勝利55周年を記念 人民日報 2000年5月10日</ref>。2000年9月2日に、対日勝戦55周年を記念する式典が、フランス国防省主催で行なわれた<ref>フランス国防省 対日終戦式典を開催 【パリ2日=共同】 朝日新聞 2000年9月4日(『朝日新聞縮刷版』 2000年9月号 164頁より)</ref>。

9月3日を「終戦の日」とする国家

ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、対日勝戦記念日は9月3日だった。これは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日勝戦祝賀会が行われた事に因んでいる。ロシア連邦では、ソビエト連邦の対日勝戦記念日を引き継いでいるため、9月3日である。
中華民国(現台湾)と中華人民共和国では、旧ソ連と同じく、9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれた。ただし、支那派遣軍岡村寧次司令官が中国国民政府と降伏文書調印した9月9日や、日本の終戦記念日である8月15日を対日勝戦記念日とすることもある。

8月15日を「終戦の日」とする国家

大韓民国では8月15日を光復節と称して、日本による植民地支配からの解放を祝う日となっている。朝鮮民主主義人民共和国も同様に、8月15日を祖国解放記念日として祝っている。

備考

ドキュメンタリー番組等でしばしば使われる「終戦を祝う世界の人々」の映像の多くは、8月11日に撮影されたものだという。この日、「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を打電した内容が新聞にスクープされ、正式な降伏と錯覚した人々が騒いだのが真相のようである。当時、北欧の中立国スウェーデンに避難していた日本人特派員の手記<ref>衣奈多喜男 『最後の特派員』 朝日ソノラマ 1988年7月 ISBN 978-4-257-17205-5

</ref>によると、8月10日に日本が降伏する旨の報道があり、日本大使館からも同様の声明があったという。

脚注

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<references/>

参考文献

関連項目

Template:Japanese-history-stub Template:太平洋戦争・詳細de:V-J-Day en:Victory over Japan Day pt:Dia V-J zh:第二次世界大战对日战争胜利纪念日

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