競泳

出典: Wikipedio


競泳きょうえい)は、水泳の速さを競うスポーツである。夏季オリンピック(第1回大会から)の正式競技でもある。一般に、8レーンからなる室内プールで競技する。プールの長さが50m長水路、または、25mの短水路で行われる。

目次

種目

競技は種目と距離、性別によって分けられている。

個人種目としては、自由形背泳ぎ平泳ぎバタフライの4泳法と、これを個人で順に行う個人メドレーがある。国際水泳連盟では、自由形では 50m・100m・200m・400m・800m・1500m が、他の3泳法では 50m・100m・200m が、また個人メドレーでは 100m(短水路のみ)・200m・400m が記録として認められている[1]。ただし、マスターズ水泳などでは自由形・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライの 25m 種目(短水路のみ)も存在する[2]

団体種目としては、4人が順番に泳ぐリレーが行われる。4人とも自由形で泳ぐフリーリレーと、それぞれが背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・自由形の順に泳ぐメドレーリレーがある。国際大会の場合はフリーリレーは 4×100m・4×200m が、メドレーリレーは 4×100m が行われるのが一般的である。日本ではフリーリレーとメドレーリレーの 4×50m も記録として認められている。

オリンピックのみ、オープンウォータースイミングも種目に含まれている。

ルール

詳細はそれぞれのページを参照。

スタート時は、審判長の合図の後に飛び込み台に乗り(背泳ぎの場合は入水し、グリップをもって壁に足をつけて待機)、出発合図員の「Take your marks...(日本では、「よーい」)」のかけ声で構える。このとき、号砲までは静止しなければならないので、体を振って勢いなどをつける事はできない。号砲の後は各種目で指定されたルールに従って泳ぐ。

国際大会や主要な大会では自動審判計時装置を使用するが、この装置のセンサーであるタッチ板の厚さが1センチメートルあるため、タッチ板を装着していない状態の長水路のプールの長さは50.02m、短水路のプールの長さは25.01mである。

服装

国際水連一般規則(GR)では、第5条で服装(Swimwear)として以下のとおり規定している。

  • 全ての競技者が着用する服装(水着、帽子、ゴーグル)は、公序良俗に反せず、個人スポーツの規則に適合するものであって、許可された以外のいかなるシンボルもつけてはならない
    • 補足:商標については、その面積の合計が1商品において16cm2以下とするよう別途具体的な定めがある。
  • いかなる水着も非透過でなければならない
  • 競技会では、競技者はワンピースもしくはツーピースの水着であって、足首・手首・首までのものを着用しなければならない。それ以上の部品等は着用してはならず、アームバンドやリストバンドは水着のパーツとしてみなす
  • 競技役員は、規則に適合しない水着等を着用している競技者を除外する権限を持つ
  • 競技会で使用されるいかなる水着の新たなデザイン・設計・材料は、それらの製造業者が事前に国際水連(FINA)に届出、及び許可を得なければならない
  • 水着の製造業者は、許可を得た新たな水着が、特定の競技者のためのものであってはならないことを理解しなければならない
    • 補足:オリンピックや世界選手権で着用できる水着については、参加するすべての選手に満遍なく行き渡るようにする製造体制が取られていることが、許可の条件となっている。このため、各メーカーでは、最新式の水着を出す場合には、まず代表クラスにのみ供給し、徐々に販売する選手のレベルを下げて行くようにしており、物によっては発表から1年たってようやくエンドユーザー向けに発売したり、一般向けには一切発売しないということもある。

日本の競泳

競泳はかつては日本のお家芸と呼ばれ、1930年代から1940年代にかけては世界No.1の実力を誇った。オリンピックでは、ロサンゼルスオリンピック (1932年)で、男子全6種目(100m自、400m自、1500m自、200m平、100m背、800mリレー)中、5種目で金メダルを獲得。100m背では、金銀銅独占した。次のベルリンオリンピックでもライバル、アメリカを圧倒した。

1940年から戦争でオリンピックが中断。1948年のロンドンオリンピックに日本は出場出来ず、世界から敗戦国日本の実力を疑われていたが、1949年の全米選手権に日本選手団が参加し、世界記録を連発。戦前からの力が衰えていない事を示した。

世界の競泳レベルがアップする中、日本は国際競争力を少しずつ落として行き、東京オリンピック(1964年)以降は、完全に低迷期に入った。単発的にメダルを獲得する事はあっても、競泳界全体のレベルは上がらず、メキシコシティオリンピックモントリオールオリンピックロサンゼルスオリンピック (1984年)アトランタオリンピックでは、メダルもゼロに終わった。

競泳大国が国を挙げて強化に取り組む中、馬なりで対応していた日本も近年、ようやく組織的な強化に着手し、アテネオリンピック (2004年)では、北島康介等の活躍で久しぶりにメダルを8個獲得した(金3個)。

ちなみに、オリンピックで日本人が最も多くの金メダルを獲得している種目は平泳ぎである。

関連項目

外部リンク

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