稲作
出典: Wikipedio
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320px|thumb|(秋)刈田と稲の天日干し(稲架掛け)
稲作(いなさく)は、イネ(稲)を栽培することである。
主に米を得るため、北緯50°〜南緯35°の範囲にある世界各地域で稲作は行われている。現在では、米生産の約90%をアジアが占める。
稲の栽培には水田や畑が利用され、それぞれの環境や需要にあった稲品種を用いる。水田での栽培は水稲(すいとう)、畑地の栽培は陸稲(りくとう)・(おかぼ)とよばれる。
収穫後の稲からは、米、米糠(ぬか)、籾殻(もみがら)、藁(わら)がとれる。
目次 |
歴史
起源
以前は、稲作の起源は植物相の豊富な中国雲南省といわれてきたが、最近の考古学的調査により、雲南省の稲作遺跡は4400年前以上に遡れないことが明らかになった。
ところが、江西省や湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見されており、古いものは1万2000年前に遡る<ref>1万7000年〜1万2000年前は今より海水面が120メートル低かったと言われている。1万2000年〜6000年前は今より一時上昇したときもあるが(縄文海進)、おおむね10メートル程度は低かった。</ref>。これらは焼畑による陸稲栽培と考えられている。
また水稲に関しては、揚子江下流の浙江省寧波の河姆渡(かぼと)村で、炭素14年代測定法で約7000〜6500年前の水田耕作遺物(水田遺構は発見されていない)が1980年代に発見された。また最古の水田遺構は、馬家浜文化中期にあたる約6000年前の揚子江下流江蘇省呉県の草鞋山遺跡で見つかっている。 これらのことから、水稲の水田耕作は揚子江中・下流域に起源し、日本へもこの地方から伝播したとする説が現在では有力となっている。
日本への伝来
- 「日本人」も参照
稲の伝来に関して、以下の説が主なものとして存在する。
- 水稲(温帯ジャポニカ)に関しては、揚子江下流域原産米が山東半島(斉の田)を経て、朝鮮半島南部を経由して九州北部に伝来<ref>山東半島は黄砂が長年降り積もり、肥沃な土地で黄河の下流で、約3000年前には稲作(陸稲)が始まったとされる。また緯度は揚子江より高いが温帯性の気候である</ref>。
- 水稲が、遼東半島から朝鮮半島を南下して九州北部に伝来<ref>渤海の北側離岸流から対馬海流に乗る。伽耶国あるいは新羅に到着する。伽耶国は鉄の産地なので、このルートで鉄器が伝来した可能性はあるが、水稲稲作の遼東半島での開始は近代以降である。</ref>。
- 水稲が、揚子江下流域から直接九州北部に伝来(対馬暖流ルート)<ref>東シナ海に出帆し、黒潮の本流に乗るが、秋冬は強い偏西風により、日本列島沖合いを流される可能性が大である。東シナ海に出帆した漁師の食料の籾が、黒潮に流され、九州に漂着して、自生したという説がある。参考書籍。</ref>。
- 水稲が、江南から西南諸島を経て九州南部へ(黒潮ルート)<ref>上記の場合と同様に、東シナ海に出帆した漁師の食料の籾が、黒潮に流され、九州に漂着して、自生したという説がある。参考書籍。</ref>。
2.については、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つかっていないこと、朝鮮半島での確認された炭化米は紀元前2000年が最古で畑作米の確認しか取れないこと、極東アジアのジャポニカ種稲のDNA分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部稲からは確認されないなどの点から、この説の支持者は少ない。
4.の江南からの黒潮ルートは柳田國男の提唱した海上の道で名高かったが、沖縄での稲作を示す考古学的資料が出ていないため関心が薄かった。しかし、岡山県で6000年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)のプラント・オパールが次々に発見された等により、水稲伝来も考えられるとして再び注目されつつある<ref>大塚初重 『考古学から見た日本人』(青春新書INTELLIGENCE)ISBN 4413041623 </ref>。
日本における歴史
日本列島における稲作の歴史は長きに亘って弥生時代に始まるとされてきた。しかし、近年になって縄文後期中葉に属する岡山県南溝手遺跡や同県津島岡大遺跡の土器胎土内からイネのプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が有力となってきた。
また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、縄文時代中期以前まで遡るとする説も出てきて、稲作が生業であったかどうかは別にしても、縄文時代後期・末期頃に陸稲(熱帯ジャポニカ)が栽培されていたことはほぼ確実だと推定されるようになった。水稲(温帯ジャポニカ)耕作が行われる弥生時代より以前の稲作は、陸稲として長い間栽培されてきたことは熊本県上ノ原遺跡出土の資料からも類推されていた。縄文時代の栽培穀物は、イネ、オオムギ、アズキ、アワであり、これらの栽培穀物は、後期・末期(炭素年代測定で4000〜2300年前)に属する。
日本最古の水田址遺跡は約2500年前であり、近年の炭素14年代測定法によっても、水稲栽培で定義される弥生時代の始まりが紀元前10世紀まで遡る可能性も出てきた。弥生時代前期初頭の水田遺構は、福岡平野の板付遺跡や野多目遺跡、早良平野の橋本一丁田遺跡等で発見されている。
「最初から稲作の方法は変わっていない」とする池橋宏によれば、最古の水田である弥生初期の岡山県津島江道遺跡はいわゆる小区画水田で、それには水口もついている。同じ初期の福岡市の野多目遺跡は大区画水田であり、現代と同じ水田システムがあったとしている。
日本では、寒冷な東北地方でも古くから栽培が行われていたが、江戸時代まではその生産量が不安定であった。東北地方は度々やませに悩まされ、冷害による甚大な被害を受けた。江戸時代からは北海道渡島半島で稲が栽培され始まったが、その規模は微々たるものであった。明治時代以後は北海道の石狩平野でも栽培されるようになり、寒冷地で稲作を可能とするために多くの技術開発が行われた。
戦後、国内生産が軌道に乗ってからは、政府が米を主食として保護政策を行ってきた。不作を除いて輸入を禁止し、流通販売を規制した。自主流通米は量を制限し、政府買い上げについては、買い上げ価格より安く赤字で売り渡す逆ザヤにより、農家の収入を維持しつつ価格上昇を抑制する施策をとってきた。
農閑期に行われていた出稼ぎは、稲作に機械化が進み、人手が余り要らなくなったため、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃんの三ちゃん農業が多くなり、通年出稼ぎに行く一家の主が増え、専業農家より兼業農家の方が多くなった。
品種改良は、当初、耐寒性の向上や収量が多くなるように行われてきた。代表的品種は、日本晴である。飽食の時代になってからは、コシヒカリやその系統の、良食味米と耐病性向上が主流になった。食料自給率が低いにもかかわらず米余りになると、減反政策を行い、米を作らない農家に補助金を支給した。豊作で青田刈りを行った年もあった。
現在では、規制緩和により、スーパーマーケット等にも販売が解禁された。国際的な貿易自由化の流れにより、高率の関税を課す関税方式で輸入を解禁した。正規の流通以外で売買される自主流通米が増え、国内の流通販売は自由化された。
方式
二期作と二毛作
気候的に可能な場合は三毛作も行われている。
水田稲作と陸稲
水稲
稲の水田による栽培を水田稲作と呼び、水田で栽培するイネを水稲(すいとう)という。
田に水を張り(水田)、底に苗を植えて育てる。日本では、種(種籾)から苗までは土で育てる方が一般的であるが、東南アジアなどでは、水田の中に種籾を蒔く地域もある。深い水深で、人の背丈より長く育つ栽培品種もある。畑よりも、水田の方が品質が高く収穫量が多いため、定期的な雨量のある日本では、ほとんどが、水田を使っている。水田による稲作は、他の穀物の畑作に比べ、連作障害になりにくい。
陸稲
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畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)という。
水稲では殆ど起こらないが、同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生する。<ref>陸稲の連作障害に関する研究</ref>
栽培法
初めに田畑にじかに種もみを蒔く直播(じかまき)栽培と、仕立てた苗を水田に植え替える苗代(なわしろ/なえしろ)栽培がある。
手順
[[ファイル:Tranplant-rice-tahiland.JPG|320px|right|thumb|タイの田植え。東南アジアの稲作では1ヘクタールに満たない水田でも、田植え、除草、収穫に農業労働者が雇用されることが多い]] [[ファイル:Rice-planting-machine,katori-city,japan.JPG|thumb|right|320px|乗用田植機による田植え]] 320px|thumb|田植え後の水田(初夏) 320px|thumb|稲穂(秋) [[ファイル:Rice-combine-harvester,katori-city,japan.JPG|thumb|320px|自脱型コンバインによる稲刈り]]
古くからの伝統的な方法
- 田の土を砕いて緑肥などを鋤き込む(田起こし)。
- 圃場を整え田植えに備える(代掻き)。
- 苗代(なわしろ/なえしろ)に稲の種・種籾(たねもみ)をまき、発芽させる(籾撒き)。
- 苗代にてある程度育った稲を本田(圃場)に移植する(田植え)。
- 定期的な雑草取り、肥料散布等を行う。
- 稲が実ったら刈り取る(稲刈り)。
- 稲木で天日干しにし乾燥させる。※稲架(馳)を使用したハセ掛け、棒杭を使用したホニオ掛けなど
- 脱穀を行う(籾=もみにする)。
- 籾摺り(もみすり)を行う(玄米にする)。
- 精白(搗精)を行う(白米にする)。
最近の一般的な方法
- まず、育苗箱に稲の種・種籾(たねもみ)まき、育苗器で発芽させる。
- 次に、ビニールハウスに移して、ある程度まで大きく育てる。
- トラクターにて、田の土を砕いて緑肥などを鋤き込む(田起こし)。
- トラクターにて、圃場を整え田植えに備える(代掻き)。
- 育った幼苗を、田植え機(手押し又は乗用)で、本田に移植する(田植え)。
- 定期的な雑草取り、農薬散布、肥料散布等を行う(専用の農業機械を使う)。
- 稲が実ったら稲刈りと脱穀を同時に行うコンバインで刈り取る。
- 通風型の乾燥機で乾燥する(水分量15%前後に仕上げるのが普通)。
- 籾すり機で籾すりを行う(玄米)。
- 精米機にかける(白米)。
- 上記方法が標準方法というわけではない。その中でも栽培に関しては、さまざまな方法がみられる。特に、1,2で述べられている育苗の方法は、地域や播種時期、品種、農家の育苗思想・主義などからきわめて多様である。
- 稲作には従来より除草剤を使用してきた。近年の無農薬栽培法では除草剤を使用しないことがあるので、ノビエなどイネ科の雑草を手作業で除草しなくてはならなくなることがある。
生育段階
- 育苗期
- 播種期
- 出芽期
- 緑化期:発芽器を使用しない、または発芽器から出した後にハウスなどで育苗・養生しない場合、緑化期はない
- 硬化期
- 本田期
- 移植期
- 活着期
- 分蘖期
- 最高分蘖期
- 頴花分化期
- 幼穂形成期
この時期は低温に弱く、やませの常襲地帯では深水管理が推奨されている。 - 減数分裂期
花粉の基礎が形成される時期で、この時期にやませに遭うと障害型冷害が発生しやすい。 - 穂孕み期
- 出穂始期:圃場出穂割合10〜20%
- 出穂期(出穂盛期):圃場出穂割合40〜50%
- 穂揃い期:圃場出穂割合80〜90%
- 開花期※稲は出穂しながら抽出した先端から順次開花をする
- 乳熟期
この時期、猛烈な残暑に襲われると玄米の品質が低下する。 - 黄熟期
- 傾穂期
- 登熟期(糊熟期)
- 成熟期
日程の例(鳥取県地方の早期栽培)
4/2〜5 | 発芽器で苗を発芽・育成(育成に3日間必要) 育てた苗は畑の小さいハウスに移動し、田植えまでそのまま育てる。 |
4/16 | 耕起(田起こし)。土を耕うん機で耕すこと。田には水は入れない。 |
4/17〜29 | 荒かき。田に水を入れて土を耕うん機で耕す。 |
4/30 | 代掻き。土をさらに細かくする。田植えの3〜4日前に実施。 |
5/3,4,5 | 田植え。田植え機使用による機械移植。 |
5/7 | 除草剤振り1回目。田植え後1週間以内に実施。 |
5/13 | 追肥。田植え後10日以内に実施。稲の元気が出るため。 |
5/28 | 除草剤振り2回目。田植え後25日以内に実施。 草刈。 |
6月 | 防除(=カメムシ、イモチなど病害虫の駆除)1回目。出穂前に実施。 防除2回目。出穂後の穂ぞろい期に実施。 |
7/23〜8/6 | 穂肥(ほごえ)のための肥料まき1回目。 |
8/13 | ↑ 2回目 |
9/2,3 | 稲刈り。 |
不耕起栽培
冬季代かきによる方法例
<ref>冬季代かきによる不耕起乾田直播栽培-社団法人 農林水産技術情報</ref>生産コスト低減と収量安定を目的とした栽培方法。普及段階の栽培方法で、「耕作者による差や地域差を抑え平均した生育・収量が期待できる」として期待されているが、地域の利水権、水利慣行など導入に際し解決すべき問題も多い。
- 12月〜翌年3月に代掻きをし、水が澄むのをまって水を落とす。
- 圃場が固くなってから、溝に直接肥料と種籾を播く。
- 2〜3葉期を過ぎたら水を張る。
- 必要に応じ、中干しを行う。
米ヌカを播く方法例
<ref>不耕起有機栽培で10俵どり!? 月刊 現代農業 2002年11月号</ref>
- 1月に米ヌカまいて、水を溜める(湛水)。
- 3〜4月に一旦水を抜き、耕す(但し、状態によっては不要)。
- 再度湛水し、田植え。
- 必要に応じ、中干しを行う。
- 稲刈り後、湛水。
稲作文化
水田の光景は、日本の伝統的文化の1つといえ、日本人と稲作の深い関わりを示すものとして、田遊び・田植・田植踊・御田祭・御田植・御田舞等、豊作を祈るための多くの儀式・祭り・芸能が伝承されている。
宮廷でも天皇は新嘗祭として、皇居の御田で収穫された稲穂を天照大神(アマテラスオオミカミ)に捧げる儀式を行う。
尚、漢字の「年」は、元々は「秊」(禾 / 千)と表記された字で、部首に「禾」が入っている点からも解るように、稲を栽培する周期を1年に見立てていた。
関連項目
脚注
参考書籍
- 佐藤洋一郎「DNAが語る稲作文明―起源と展開」1996年、日本放送出版協会 ISBN 978-4-14-001773-9
- 佐藤洋一郎「DNA考古学のすすめ」丸善ライブラリー2002年、ISBN 4-621-05355-8
- 斎藤成也「DNAから見た日本人」ちくま新書2005年、ISBN 4-480-06225-4
- 祖父江 孝男「文化人類学入門 増補改訂版」 中央公新社 ISBN 4-12-190560-1
- 佐藤洋一郎「稲の日本史」角川選書2002年、ISBN 4-04-703337-5
- 寺田隆信「物語 中国の歴史」中公新書1997年、ISBN 4-12-101353-0
- 鳥越憲三郎「古代中国と倭族」中公新書2000年、ISBN 4-12-101517-7
- 鳥越憲三郎「古代朝鮮と倭族」中公新書1992年、ISBN 4-12-101085-x
- 岡田英弘「倭国」中公新書1977年、ISBN 4-12-100482-5
- 池橋 宏「稲作の起源 イネ学から考古学への挑戦」講談社選書メチエ2005年、ISBN 4-06-258350-x
- 朴 天秀「加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学」講談社選書メチエ2007年、ISBN 4-06-258398-5
- 上垣外憲一「倭人と韓人」講談社学術文庫2003年、ISBN 4-06-159623-3
- 武光 誠「「古代日本」誕生の謎 大和朝廷から統一国家へ」PHP研究所2006年、ISBN 4-569-66579-9
- C・スコット・リトルトン+リンダ・A・マルカー 著、辺見葉子+吉田瑞穂 訳「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」青土社1998年、ISBN 4-7917-5666-5
- 藤原宏志「稲作の起源を探る」岩波新書1998年、ISBN 4-00-430554-3
- 【子ども向け】「『米』で総合学習みんなで調べて育てて食べよう」シリーズ(全4巻) 金の星社 2002年
- 佐藤洋一郎監修『ユーラシア農耕史』臨川書店、全五巻、2008年~刊行中。
外部リンク
- 亜洲稲作起源研究的回顧 : アジア稲作起源研究についての回顧 龍谷大学国際社会文化研究所紀要 Vol.6(20040325) pp. 86-92
- 伊勢神宮稲作の伝承
- 鉄の使用の始まり:日立金属
- 山東省文登市に至った匈奴についての記述
- イネにおける生態型と日本品種との系統発生学的研究育種學雜誌 32(4) pp.333-340 19821201
- 日本の歴史:狩猟採集から稲作に変わる過程から考察
- 不耕起栽培・直播栽培
- 水稲直播農林水産研究成果ライブラリー
- 技術体系の開発と普及 日本作物學會紀事 Vol.69, No.別号2(20001004) pp. 370-373 (愛知県農業総合試験場)
- 肥効調節型被覆尿素を用いた水稲の全量基肥不耕起直播栽培農林水産技術会議事務局
- 戦前まで房総半島北部でおこなわれた湿田農法に関する立地生態的分析奥西 元一:日本作物学会紀事, Vol. 77, pp.288-298 (2008)ru:Рисоводство