秋田県
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秋田県(あきたけん)は、日本の東北地方の県のひとつで、日本海に面する。県庁所在地は秋田市。
目次 |
地理
位置
地形
- 山地:奥羽山脈(八幡平、秋田駒ヶ岳、栗駒山)、出羽山地、真昼山地(和賀山塊)、太平山地(太平山)、白神山地、笹森丘陵、(鳥海山)
- 平野:秋田平野、能代平野、本荘平野
- 盆地:大館盆地、鷹巣盆地、花輪盆地、横手盆地
- 半島:男鹿半島
- 河川:米代川、雄物川、子吉川
- 湖沼:十和田湖、田沢湖、八郎潟残存湖、太平湖
自然公園
- 国立公園:十和田八幡平国立公園
- 国定公園:男鹿国定公園、鳥海国定公園、栗駒国定公園
- 県立自然公園:真木真昼県立自然公園(大仙市、美郷町)、田代岳県立自然公園(大館市)、きみまち阪県立自然公園(能代市)、八森岩館県立自然公園(八峰町)、秋田白神県立自然公園(八峰町、藤里町)、田沢湖抱返り県立自然公園(仙北市)、森吉山県立自然公園(北秋田市)、太平山県立自然公園(秋田市、上小阿仁村、五城目町)
気候
秋田県は日本海に面しており、気候区分は日本海側気候に分類される。
同じ日本海側の山形県や新潟県と同様に冬季には対馬暖流の影響もあってか日本海側から湿った冷たい風が吹き、みぞれや雪を降らせる。一部例外もあるが隣県の山形県と同様に県全域のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。 また、時として秋田沖付近に発生する極低気圧からもたらされる暴風雪やゲリラ豪雪による悪天候も決して珍しくない。
一方、夏季は冬季とは全く正反対に日照時間がかなり多く晴天が続く事も少なくないほか、更に降水量(雨量)が少なくなる(このため、ほとんど空梅雨に近い状態で梅雨明けするパターンが多い)。太平洋側から吹く季節風は奥羽山脈の山々に遮られ、時としてフェーン現象が発生することがある。冷害をもたらすと言われるやませも遮られ、特に県内陸部中央~県内陸南部では気温が上昇し真夏日(ごくまれに猛暑日になる事がある)や熱帯夜になる事も決して少なくない。そのためか四季の表情がはっきりとしている。
歴史
現在の秋田県は令制国での出羽国(明治初年に羽後国)と陸奥国(明治初年に陸中国)の一部からなる。「秋田」の名前の由来は土壌が稲作に向かなかったため付けられた「悪田」が転じたものだとも、アゴに似た地形から付けられた「齶田(あぎた)」が転じたものだともいわれている。天平時代に「秋田」の表記で定着した。
古代
秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠としてたくさんの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器がたくさん出土している。それらの石器は生活の道具として使用されたのであろう。製作技術からナイフ形石器、細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。 遺跡としては、1969年(昭和44)から5次にわたって発掘された大仙市協和町の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている。<ref>冨樫泰時「あきたのあけぼの」10-14ページ(塩谷順耳・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫『秋田県の歴史』山川出版社 2001年5月)</ref>
今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。 縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6)に発見された。その後1951年(昭和26)と翌年にも国営の発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の二つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。
西日本では、この縄文人に加え弥生時代頃から弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。
朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。
8世紀の前半に朝廷により日本海沿岸北辺の交易・征服等の拠点として出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、733年(天平5)12月26日、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田県秋田市)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年頃に秋田城に改称される。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。この頃になると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀頃には太政官命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。
878年(元慶2年)元慶の乱が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、939年(天慶2年)には再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。
前九年の役と後三年の役
中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。
北上川中流以北に勢力を広げていた安倍氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(1051~1062)である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。
しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽の国、沼の柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢の柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(1083~1087)である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた。
中世
奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末~12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国に奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いこと及び渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。
隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は1189年、十九万の軍勢を率いて奥州征伐を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3ヶ月で討ち取られた。
数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に頼朝の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。
その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫等が中小の豪族に分かれ由利十二頭と呼ばれる勢力になった。
近世
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は征夷大将軍に任ぜられ、幕府を江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7・8年にほとんどが常陸に移らされて、多くの地域は鎌倉以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。幕府の武家諸法度、参勤交代制度、各大名の労力奉仕などのため、大名の財政は次第に困窮し、反対に幕府の支配力は強化されていった。
1602年(慶長7年)、秋田郡を領有していた秋田実季(安東氏から改姓)と入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹氏が常陸国から転封される。初代藩主は佐竹義宣。義宣ははじめ秋田氏の居城であった湊城(現在の秋田市土崎港)に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて居を移し、藩内を治めることとなる。その組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった。
佐竹氏は54万石の常陸から、明治まで表高20万石の秋田藩を治めることになったが、実際の内高は開墾などで田地が増し、40万石ぐらいであったとされる。しかし、領内に存在した院内鉱山や阿仁銅山諸鉱山及び全国に著名な秋田杉らによって久保田藩財政は潤っていたと言われている。
近世の秋田地方からは思想家の佐藤信淵・平田篤胤や秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦・小田野直武らが出ている。また、本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉らもこの地を訪れている。
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幕末に久保田藩以外に秋田県下に存在していた藩として、岩崎藩、亀田藩、本荘藩、矢島藩、交代寄合旗本の仁賀保氏の仁賀保陣屋、盛岡藩領鹿角郡がある。横手・大館共に久保田藩城代が置かれた。
1868年に始まった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は一転新政府側となったため(前後して岩崎藩・本荘藩・矢島藩も転向、亀田藩は転向後同盟軍に再加入)、他の奥州諸侯の標的となった。最終的に勝利したものの、久保田藩領の大半は荒廃したと言われる。
近・現代の年表
- 1869年7月25日(明治2年6月17日) - 版籍奉還により、12代藩主佐竹義尭が久保田藩知藩事に就任する。久保田城は陸軍省の管理下に置かれ、政庁は三ノ丸下中城の渋江内膳邸(後に新築された佐竹義尭邸)へ移る<ref name="akitasisi4-p9">「秋田市史 第四集」9頁。</ref>。
- 1871年
- 2月27日(明治4年1月9日) - 政府へ藩名変更の願書を提出する。理由は、当地方は古来より「秋田」と呼ばれたものであり、「久保田」は300年来の称とはいえ一小村の俗称に過ぎないことから<ref name="akitasisi4-p7">「秋田市史 第四巻」7頁。</ref>。
- 3月3日(明治4年1月13日) - 久保田藩を秋田藩と改める<ref name="akitasisi4-p7" />。
- 8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、秋田県・亀田県・本荘県・矢島県・岩崎県・江刺県を設置(これを記念して8月29日は県の記念日となっている)。
- 12月13日(明治4年11月2日) - 上記6県と山形県仁賀保領を併せて秋田県を設置。県令・権令の発令はなく、江刺県大参事の村上光雄が秋田県参事に任じられる<ref name="akitasisi4-8">「秋田市史 第四巻」8頁。</ref>。
- 1872年
- 2月4日(明治4年12月26日) - 初代秋田県権令に侍従の島義勇が就任。当面は東京築地新富町の秋田県支庁にて勤務<ref>「秋田市史 第四集」8頁。</ref>。
- 4月3日(明治5年2月26日) - 島権令、秋田町長野町の旧佐竹北家邸に入る<ref name="akitasisi4-p9" />
- 4月20日(明治5年3月13日) - 久保田城本丸に秋田県庁を開庁。
- 8月23日(明治5年7月20日) - 第2代秋田県令に宮内大丞の杉孫七郎が任命される<ref name="akitasisi4-10">「秋田市史 第四集」10頁。</ref><ref name="akitasisi4-81">「秋田市史 第四集」81頁。</ref>
- 11月12日(明治5年10月12日) - 県庁を秋田町東根小屋町の本部学校(旧明徳館)移す<ref name="akitasisi4-10" /><ref name="akitasisi4-107">「秋田市史 第四巻」107頁。</ref>。
- 1873年(明治6年)
- 2月18日 - 秋田町東根小屋町に秋田県初の公立小学校(変則小学校、後の日新学校)が設立される<ref name="akitasisi4-84">「秋田市史 第四巻」84頁。</ref>。
- 5月? - 第3第秋田県権令に木更津県参事の国司仙吉が任命される<ref name="akitasisi4-11">「秋田市史 第四巻」11頁。</ref>。
- 8月24日 - 県庁聴訟課より出火し庁舎全焼。下中城の渋江邸に県庁を移す<ref name="akitasisi4-12">「秋田市史 第四巻」12頁。</ref><ref name="akitasisi4-38">「秋田市史 第四巻」38頁。</ref>。
- 9月10日 - 日新学校内に洋学科を増設、洋学校(秋田県立秋田高等学校の前身)として開校。
- 10月1日 - 秋田町上中城町に教員養成のための伝習学校(秋田大学教育文化学部の前身)を設立<ref name="akitasisi4-84" />。
- 11月27日 - 秋田町長野町の空き官舎(旧佐竹北家邸、初代島権令の離任後は使われていなかった)を改築して県庁とする<ref name="akitasisi4-12" /><ref name="akitasisi4-107" />。
- 12月 - 秋田町五丁目横町に聴訟課監視掛付属屯所を設立し「巡邏逮捕之事務取扱」を発令。秋田中央警察署の起源とされる<ref name="akitasisi4-13">「秋田市史 第四巻」13頁。</ref>。
- 1874年(明治7年)
- 1月22日 - 県病院を開設。
- 2月2日 - 遐邇新聞(秋田魁新報の前身)が創刊。
- 3月25日 - 秋田郵便取扱所を開設。
- 5月12日 - 秋田町東根小屋町の旧県庁跡<ref>かつて明徳館の所在地だったことから教育と縁のある地として選ばれた。</ref>に、伝習学校と洋学校を併せた太平学校の校舎が新築落成<ref name="akitasisi4-97">「秋田市史 第四巻」97頁</ref>。
- 7月1日 - 太平学校が開校<ref name="akitasisi4-97" />。
- 8月 - 羽州街道・雄物川・米代川を二等道路・河川(県費で維持管理する道路・河川)とする<ref name="akitasisi4-64">「秋田市史 第四巻」64頁</ref>。
- 1875年(明治8年) - 県庁内に警察署を、秋田町・大館町・横手町に警察出張所を、県内35ヶ所に分屯所を設立<ref name="akitasisi4-13" />。
- 1876年(明治9年)
- 2月29日 - 秋田県聴訟課を秋田県裁判所と改め県庁内に開設する<ref name="akitasisi4-14">「秋田市史 第四巻」14頁</ref>。
- 3月
- 秋田町土手谷地町の佐竹義純邸を県が購入し秋田博物館とする<ref name="akitasisi4-58">「秋田市史 第四巻」58頁。</ref>。
- 八橋村の官有地3,888坪を県が確保し、八橋植物園を創設する<ref name="akitasisi4-61">「秋田市史 第四巻」61頁</ref>。
- 4月
- 県庁警察署内にあった第一警察出張所が秋田町大町三丁目に庁舎新築し、秋田警察署となる<ref name="akitasisi4-14">「秋田市史 第四巻」14頁。</ref>。
- 広小路が二等道路に昇格する<ref name="akitasisi4-64" />。
- 12月 - 秋田県裁判所を青森裁判所秋田支庁とし、秋田区裁判所と共に県庁内で事務を行う<ref name="akitasisi4-14" />。
- 1877年(明治10年)
- 1878年(明治11年)
- 4月12日 - 太平学校を同地に再建する<ref name="akitasisi4-98" />。
- 4月17日
- 太平学校を秋田県師範学校と改称する<ref name="akitasisi4-98" />。
- 県内の区長・戸長・町村総代人、計36人を集めて県会を設立<ref name="akitasisi4-118">「秋田市史 第四巻」118頁。</ref>。
- 8月 - 八橋植物園に秋田博物館を新築移転<ref name="akitasisi4-61" />。
- 8月10日-10月8日 - 八橋植物園にて第2回秋田博覧会を開催<ref name="akitasisi4-61" />。
- 11月29日 - 第1回種子交換会(秋田県種苗交換会の前身)開催。
- 12月10日 - 秋田電信分局が開局。
- 12月23日 - 郡区町村編成法施行に伴い、秋田郡を分割して北秋田郡と南秋田郡を設置。
- 1879年(明治12年)
- 1880年(明治13年)4月19日 - 秋田町土手長町に県庁新庁舎が落成。昭和32年に全焼するまで使用された<ref name="akitasisi4-120">「秋田市史 第四巻」120頁。</ref>。
- 1889年(明治22年)
- 1895年(明治28年)5月3日 - 増田銀行(北都銀行の前身)が開業。
- 1898年(明治31年)9月20日 - 歩兵第十七連隊、仙台から秋田への移駐を完了。
- 1899年(明治32年)6月21日 - 陣場駅・白沢駅(県内初の鉄道駅)が開業。
- 1901年(明治34年)11月14日 - 近江谷発電所が秋田市、南秋田郡土崎港町に電力供給を開始。
- 1902年(明治35年)10月21日 - 秋田駅が開業。
- 1905年(明治38年) - 和井内貞行がヒメマス養殖に成功。
- 1907年(明治40年)12月26日 - 秋田郵便局にて秋田市内電話交換業務を開始(加入数201名)。
- 1910年(明治43年)8月11日 - 大水害、死者25名、
- 1911年(明治44年)4月30日 - 秋田鉱山専門学校(秋田大学工学資源学部の前身)が開校。
- 1912年(明治45年)1月28日 - 白瀬矗が南極に日章旗を掲揚。
- 1912年(大正元年)9月23日 - 台風により死者23名。
- 1914年(大正3年)
- 1916年(大正5年)12月16日 - 船川軽便線(現在の男鹿線)全線開通。
- 1917年(大正6年)8月1日 - 日本銀行秋田支店を開設。
- 1919年(大正8年)8月24日 - 小坂鉱山労働争議。
- 1921年(大正10年)2月25日 - 『種蒔く人』発行。
- 1924年(大正13年)
- 1926年(大正15年)3月8日 - 小坂鉱山煙害賠償労働争議。
- 1929年(昭和4年)11月27日 - 前田村争議が和解。
- 1931年(昭和6年)10月17日 - 花輪線全線開通。
- 1932年(昭和7年)7月5日 - NHK秋田放送局が放送開始。
- 1935年(昭和10年)3月20日 - 日本鉱業八橋油田で上総式四号井が大噴油。
- 1936年(昭和11年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)5月1日 - 男鹿地震、死者26名。
- 1940年(昭和15年)9月26日 - 山本郡能代港町・東雲村・榊村が合併・市制施行し、能代市となる。
- 1941年(昭和16年)10月20日 - 秋田・第四十八・湯沢の各銀行が合併して秋田銀行となる。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1949年(昭和24年)5月31日 - 秋田師範学校、秋田青年師範学校及び秋田鉱山専門学校を母体として、秋田大学が発足。
- 1951年(昭和26年)
- 1954年(昭和29年)
- 1957年(昭和32年)8月12日 - 県庁全焼<ref name="akitasisi4-120" />。
- 1959年(昭和34年)12月 - 川尻町字八千刈(現在の山王四丁目)に新築した県庁新庁舎へ移転<ref name="akitasisi4-120" />。
- 1961年(昭和36年)
- 1964年(昭和39年)9月15日 - 八郎潟干陸式、大潟村発足。
- 1965年(昭和40年)11月1日 - 秋田湾地域を新産業都市に指定。
- 1966年(昭和41年)10月20日 - 田沢湖線全線開通。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 秋田大学に医学部が設置。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 鹿角市発足。
- 1978年(昭和53年)11月15日 - 大沢郷郵便局および強首郵便局の電話交換業務廃止。秋田県内の電話通話が完全自動化。
- 1981年(昭和56年)6月26日 - 新秋田空港が河辺郡雄和町(現:秋田市)に開港。
- 1982年(昭和57年)8月4日 - 秋田市、河辺郡河辺町、雄和町がテクノポリス開発構想策定地域に指定。
- 1983年(昭和58年)5月26日 - 日本海中部地震、死者83名。
- 1984年(昭和59年)7月31日-8月20日 - 昭和59年度全国高校総合体育大会を開催。
- 1986年(昭和61年)11月20日 - 鹿角市がテレトピア構想モデル都市に選定。
- 1989年(平成元年)4月1日 - 秋田内陸線全線開通。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 羽後銀行と秋田あけぼの銀行が合併し、北都銀行が発足。
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年)7月9日 - 秋田港に定期フェリー便就航(新日本海フェリー:苫小牧~秋田~新潟~敦賀) 。
- 2000年(平成12年)8月22日-25日 - 「2000年国連軍縮秋田会議」を開催。
- 2001年(平成13年)
- 8月16日-26日 - ワールドゲームズ2001秋田大会を開催。
- 10月29日 - 秋田空港に国際定期便就航(大韓航空:秋田~ソウル)。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月21日 - 能代市と二ツ井町が合併し、新たに能代市となる。
- 2007年(平成19年)
地域
自治体
県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、全て「まち」と読んだ)。 Template:Col-begin Template:Col-break
- 秋田周辺地域 {{ #expr
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- 市
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秋田県内の消滅した郡の一覧
- 河辺郡(2005年1月11日、秋田市との合併で消滅)
- 由利郡(2005年3月22日由利本荘市、10月1日にかほ市の誕生に伴って消滅。)
- 平鹿郡(2005年10月1日、旧横手市との合併で消滅。2015年9月30日までは、旧町村部は地域自治区として各地域局を置く。)
都市圏
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
1980年 | 1990年 | 道 | 1995年 | 新 | 2000年 |
---|---|---|---|---|---|
秋田都市圏 384,718人 | 秋田都市圏 435,144人 | 91 年 秋 田 道 供 用 開 始 | 秋田都市圏 450,274人 | 97 年 秋 田 新 幹 線 開 業 | 秋田都市圏 452,316人 |
大館都市圏 95,521人 | 能代都市圏 102,767人 | 横手都市圏 111,887人 | 横手都市圏 108,286人 | ||
能代都市圏 90,847人 | 大館都市圏 90,069人 | 能代都市圏 99,720人 | 大曲都市圏 104,840人 | ||
横手都市圏 72,708人 | 横手都市圏 78,822人 | 大館都市圏 88,231人 | 能代都市圏 95,578人 | ||
大曲都市圏 69,993人 | 大曲都市圏 77,328人 | 大曲都市圏 87,986人 | 本荘都市圏 86,256人 | ||
本荘都市圏 67,337人 | 本荘都市圏 68,446人 | 本荘都市圏 82,462人 | 大館都市圏 86,246人 | ||
湯沢都市圏 49,612人 | 湯沢都市圏 68,421人 | 湯沢都市圏 81,476人 | 湯沢都市圏 77,989人 </div> |
※横手市で秋田自動車道と湯沢横手道路が接続。そこから奥羽山脈を越えて東北自動車道へと繋がる。
地域圏
- (広域都市圏)
県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている。
地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人
- 県北(沿岸北部・内陸北部)
- 中央(沿岸中部・南部)
- 県南(内陸中部・南部)
人口
経済
産業
農業
畜産業
林業
漁業
- ハタハタ漁
第二次産業
金融機関
- 秋田信用金庫
- 羽後信用金庫
- 秋田ふれあい信用金庫(2009年7月13日に羽後信用金庫に吸収合併)
秋田県に本社を置く主な企業
- 秋田銀行(指定金融機関・東証一部上場)
- 北都銀行(指定代理金融機関)
- 秋田魁新報
- マックスバリュ東北(東証二部上場)
- インスペック(マザーズ上場)
- 三傳商事
- 山二
- 小野時計店
- ソユー
- 伊徳
- たけや製パン
- TDK-MCC
- 秋田製錬
- 小坂製錬
- ヤマダフーズ
- 秋田木工(家具製造。2006年末に大塚家具のグループ企業となった)
- 秋田プライウッド
- タカヤナギ
- 佐野薬品
- 秋田エルピーダメモリ
行政
県令
- 初代 島義勇 1872年(明治4年)
- 2代 杉孫七郎 1872年(明治5年)
- 3代 国司仙吉 1873年(明治6年)
- 4代 石田英吉 1875年(明治8年)
- 5代 赤川戇助 1883年(明治16年)
- 6代 青山貞 1886年(明治19年)(同年7月に県令から知事となる)
知事 Template:Col-begin Template:Col-break
- 初代 青山貞 1886年(明治19年)
- 2代 岩崎小二郎 1889年(明治22年)
- 3代 鈴木大亮 1890年(明治23年)
- 4代 広瀬進一 1892年(明治25年)
- 5代 平山靖彦 1892年(明治25年)
- 6代 岩男三郎 1896年(明治29年)
- 7代 武田千代三郎 1899年(明治32年)
- 8代 志波三九郎 1901年(明治34年)
- 9代 椿蓁一郎 1903年(明治36年)
- 10代 岡喜七郎 1904年(明治37年)
- 11代 床次竹二郎 1905年(明治38年)
- 12代 清野長太郎 1906年(明治39年)
- 13代 下岡忠治 1906年(明治39年)
- 14代 森正隆 1908年(明治41年)
- 15代 秦豊助 1912年(明治45年)
- 16代 阪本三郎 1914年(大正3年)
- 17代 小島源三郎 1916年(大正5年)
- 18代 川口彦治 1917年(大正6年)
- 19代 名尾良辰 1919年(大正8年)
- 20代 岸本正雄 1922年(大正11年)
- 21代 池田秀雄 1924年(大正13年)
- 22代 長野幹 1924年(大正13年)
- 23代 中野邦一 1926年(大正15年)
- 24代 力石雄一郎 1927年(昭和2年)
- 25代 鯉沼巌 1928年(昭和3年)
- 26代 菊地慎三 1929年(昭和4年)
- 27代 稗方弘毅 1930年(昭和5年)
- 28代 内田隆 1931年(昭和6年)
- 29代 武部六蔵 1932年(昭和7年)
- 30代 児玉政介 1935年(昭和10年)
- 31代 本間精 1937年(昭和12年)
- 32代 佐々木芳遠 1938年(昭和13年)
- 33代 留岡幸男 1939年(昭和14年)
- 34代 岩上夫美雄 1940年(昭和15年)
- 35代 長船克巳 1943年(昭和18年)
- 36代 久安博忠 1944年(昭和19年)
- 37代 池田欽三郎 1945年(昭和20年)
- 38代 磯部巌 1946年(昭和21年)
- 39代 蓮池公咲 1946年(昭和21年)
Template:Col-end 戦後の公選知事
- 初代 蓮池公咲(1947年4月12日-1951年4月29日)
- 2代 池田徳治(1951年4月30日-1955年4月29日)
- 3代 小畑勇二郎(1955年4月30日-1979年4月29日)
- 4代 佐々木喜久治(1979年4月30日-1997年3月31日)
- 5代 寺田典城(1997年4月23日-2009年4月22日)
- 6代 佐竹敬久(2009年4月23日-)
財政
- 平成19年度
- 財政力指数 0.29 - IVグループ(財政力指数0.3未満)6自治体中2位
- 平成18年度
- 財政力指数 0.28 - IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中6位
- 平成17年度
- 財政力指数 0.25 - IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中10位
- 平成16年度
- 財政力指数 0.24 - IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中11位
司法
- 仙台高等裁判所秋田支部(秋田市)
- 秋田地方裁判所(秋田市)
- 秋田家庭裁判所(秋田市)
- 秋田簡易裁判所(秋田市)
- 大館簡易裁判所(大館市)
- 横手簡易裁判所(横手市)
- 仙台高等検察庁秋田支部(秋田市)
- 秋田地方検察庁(秋田市)
- 秋田刑務所(秋田市)
- 秋田少年鑑別所(秋田市)
- 秋田保護観察所(秋田市)
文化・観光
方言
Template:Main 秋田方言は一般的には本土方言-東日本方言-東北方言-北奥羽方言に含められ、金田一春彦による案では、外輪方言に含められている<ref>柴田武ほか編 『岩波講座 日本語11 方言』 岩波書店、1977年、57-73頁。</ref>。
秋田方言の語彙中で、共通語と異なるものは、かつて中央語で使われていたものが古語として残存したものと、中央以外で独自の発展をしたものがある。周辺の県と連続する分布のものも多い。現在では共通語と異なる語彙は衰退が激しく、急激に共通語に置き換えられつつある。
秋田方言の母音音素は、共通語より1つ多い、Template:Ipa 、Template:Ipa 、Template:Ipa 、Template:Ipa 、Template:Ipa 、Template:Ipa の6つが認められる。子音音素は、共通語と同じであるが、共通語のカ行にあたる Template:Ipa 、タ・テ・トにあたる Template:Ipa 、チ・ツにあたる Template:Ipa は語中で有声化(濁音化)して、それぞれ Template:IPA 、Template:IPA 、Template:IPA と発音される。サ行にあたる Template:Ipa やパ行にあたる Template:Ipa は有声化しない。
食文化
- 米どころであり、酒どころである。特に日本酒の消費量が多く酒の飲み過ぎに加えて、雪国のため保存食である漬け物などの塩分過多が加わり、脳卒中などの生活習慣病での死亡率も高くなっている。
- きりたんぽは、もともと県北の食文化であるが、現在は秋田の代名詞として有名となり、全県で食べられるようになった。きりたんぽ鍋の出汁の多くは比内地鶏(天然記念物比内鶏の改良品種)で取っている。
- 魚はハタハタを大量に消費し、一時は絶滅寸前まで追い込んだが(1980年代後半頃~2000年代前半頃)、禁漁や漁獲制限などを経て現在では資源が回復しつつあり、再び食卓に並ぶようになった。ハタハタの卵をブリコという。また、ハタハタの魚醤をしょっつるといい、鍋料理が有名。ハタハタをすしにした鰰寿司も祝の席などで食べられている。
- 他に、とんぶりやじゅんさいなどの珍しい野菜も食べられている。一部の地域では納豆に砂糖を入れたり、赤飯にも多く砂糖を入れて作るなど甘みの多い味付けをする所もある(特に県南部で顕著である)。ひきわり納豆の消費も多い。イナゴを佃煮などにして食べる食習慣もある。
- だまこもち
- 金萬 - 蜂蜜と卵を使用した白あんのまんじゅう。「株式会社 金萬」が製造。全国発送も行われているが真空パック詰めであるため、現地で食する方が味は格段に良い(→都まんじゅうを参照)。
- ババヘラ - アイスクリーム。
- さしぼ - イタドリの新芽。山菜。水煮の缶詰も販売されている。
祭り
- なまはげ(男鹿市)
- 竿燈(秋田市)
- ヤートセ秋田祭(秋田市)
- かまくら(仙北地方)
- アメッコ市(大館市)
- 犬っこまつり(湯沢市)
- 七夕絵どうろうまつり(湯沢市)
- 七夕まつり(能代市)
- 西馬音内の盆踊(羽後町)
- 花輪ばやし(鹿角市)
- 毛馬内の盆踊(鹿角市)
- 刈和野の大綱引き(大仙市)
- 梵天まつり(県内各地)
- 土崎港曳山まつり(秋田市)
- 全国花火競技大会(大仙市)
- 角館のお祭り(仙北市)
- 六郷のカマクラ行事(重要無形民俗文化財)
- ドンパン祭り(大仙市)
- へそまつり(秋田市)
民俗芸能
スポーツ
有形文化財建造物
- 重要伝統的建造物群保存地区
- 角館 (仙北市)
交通
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教育
学校施設など
- 秋田県内の公立学校は、教師の高齢化が著しく進んでいる。
- 2004年から高等学校の一学区制が導入され、秋田市内および県内主要都市の一部高校は志願者数が増加傾向にある。教育内容の情報公開等が不十分なため課題も多い。
- 部活動が盛んな学校が多く、早朝、休日も部活動がある学校がほとんどである。
- 正規のPTAが組織されていない公立学校もある。そのため保護者の意思形成や学校統廃合における公的機関との交渉等に課題を残している。
- ふりーせる保育と呼ばれるジェンダーフリー保育が市内で実践され、国会や市議会等で問題になったことがある。現在は行われていない。
- 公立高校(県立・市立)は57校とそれなりにあるが、私立高校は5校しかなく、内2校が女子校の為、男子は3校より選ばなくてはならず、男子はその3校に集中してしまう為、公立の滑り止めの役割を果たせず、私立高校の増加及び女子校である2校を共学化することが望まれている(嘗ては6校(秋田経済大学附属合川高等学校が組合立に移管。組合立を経て現在は北秋田市立になり、2011年に秋田県に移管され、北秋田市地区の4校を統合予定)あった)。
- 私立高校が極端に少ない為、公立高校が私立の代わりをせざるを得ず、2000年代中盤より、他県では見られない、『前期』『一般』『後期』の3つの選抜日程がある。<ref>全て秋田県公立高等学校入学者選抜実施要項より抜粋(PDF文書)</ref>
- 前期選抜…旧来は推薦入試として行われていた。現在も実質的に推薦入試である。
- 選抜方法…面接は全学校とも課す。学校によっては作文・実技(恐らく部活動の能力と思われる)を課す。
- 一般選抜…学力検査を課す一般入試日程。なお、『中期選抜』の名称ではない。
- 選抜方法…五教科の学力検査及び面接を課す。
- 後期選抜…所謂2次選抜である。他県は定員に満たない学校のみが多いが、秋田県は募集定員が決まっている。募集人数は後期募集人数と前期・一般選抜の不足分を合わせた人数である。進学校などでは、後期選抜を行わない高校もあり、差別化が図られている。
- 選抜方法…面接は全学校とも課す。学校によっては独自の試験問題、作文、実技(前期と同じと思われる)を課す。試験問題は一般選抜も参照されている。
- 前期選抜…旧来は推薦入試として行われていた。現在も実質的に推薦入試である。
高等教育
マスコミ
新聞
- 地方紙
- 秋田魁新報(県域新聞)
- 北鹿新聞(北鹿地域新聞)
- 大館新報(北部地域新聞)
- 北羽新報(能代山本地域)
- 秋田民報(県南部(大仙市・仙北市・美郷町)地域新聞)
- 秋田県南日々新聞(インターネット新聞)
- あきた北新聞(同上)
- 河北新報(本社 : 仙台市)も青森・岩手との北東北版で発行され、取材拠点もある。
- 全国紙
放送
- ※JNN系列はIBC岩手放送(秋田市内、CATV)・青森テレビ(県北)・テレビユー山形(由利本荘市など沿岸部)を受信している世帯がある。
- ※もともと秋田県第3局目の民放テレビ局はTBS系での開局を希望していた県民が多かったが、既存局の反対などの諸事情でテレビ朝日系で開局した(詳しくは秋田朝日放送の項を参照)。
- ※ちなみに秋田県はビデオリサーチによる視聴率調査が行われている地域の中で唯一TBS系列の放送対象地域外の都道府県となっている。
コミュニティ放送局
秋田県を舞台・モデルにした作品
文芸
- 青い山脈(著:石坂洋次郎)
- 若い人(著:石坂洋次郎)
- 山と川のある町(著:石坂洋次郎)
- それぞれの終楽章(著:阿部牧郎)
- 秋田新幹線「こまち」殺人事件(著:西村京太郎)
- 医学生(著:南木佳士)
- 新幹線秋田「こまち」殺人事件(著:吉村達也)
- 秋田殺人事件(著:内田康夫)
- 鄙の記憶(著:内田康夫)
- こまち田沢湖殺人事件(著:中津文彦)
- 夢の碑(著:高井有一)
- 相剋の森(著:熊谷達也)
- 邂逅の森(著:熊谷達也)
- 黄色い牙(著:志茂田景樹)
映画
- 馬(1941年)
- 若い先生(1941年)
- そよかぜ(1945年、主題歌は「リンゴの唄」)
- 山と川のある町(1956年)
- 人間の條件(1956年)
- 若い豹のむれ(1959年)
- 男が命を賭ける時(1959年)
- 雪の降る町に(1962年)
- 民謡の旅 秋田おばこ(1963年)
- 十七才は一度だけ(1964年)
- フランケンシュタイン対地底怪獣 (1965年)
- 少年(1969年)
- 砂の器 (1974年)
- 思えば遠くへ来たもんだ(1980年)
- マタギ (1982年)
- 男はつらいよ寅次郎恋愛塾 (1985年)
- ひとひらの雪(1985年)
- 君は裸足の神を見たか(1986年)
- イタズ 熊 (1987年)
- ハチ公物語(1987年)
- オーロラの下で(1990年)
- 大往生(1998年)
- アカシアの町(2000年)
- たそがれ清兵衛 (2002年)
- 釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?(2004年)
- 隠し剣鬼の爪(2004年)
- 好きだ、(2006年)
- デコトラの鷲 愛と涙の男鹿半島(2007年)
- コドモのコドモ(2008年)
- 釣りキチ三平(2009年)
ドラマ
- 雲のじゅうたん(1976年、NHK、連続テレビ小説)
- まんさくの花(1981年、NHK、連続テレビ小説)
- 炎立つ(1993年、NHK、大河ドラマ)
- ウルトラマンティガ (1997年、円谷プロダクション、毎日放送、第一話)
- 砂の器 (2004年、TBS、日曜劇場)
- 秋田県にTBS系列はないが、ABS(秋田放送)で放送された。
歌謡
- リンゴの唄(1945年、並木路子)
- 男鹿半島(1991年、大和さくら)
- 秋田は濡れて(1992年、栗本慎一郎)
- おばこ巡礼歌(1996年、藤あや子)
- 恋する城下町(2001年、小桜舞子)
- 大きな古時計(ZuZuバージョン)(2003年、伊藤秀志)
- 五能線(2005年、水森かおり)
- 豪石(ごうしゃく)! 超神ネイガー 〜見だが おめだぢ〜(2006年、水木一郎)
- 角館哀歌(2006年、水田竜子)
- 秋田ポンポン節(2007年、香西かおり)
- 男鹿半島(2007年、北山たけし)
- 超神ネイガー 〜正義ノ稲穂〜(2009年、水木一郎)
漫画
- 雪の峠(1999年、岩明均)
- ザ・ワールド・イズ・マイン(1997~2001年、新井英樹)
秋田県出身の有名人
関連項目
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- 羽後国
- 陸中国
- 秋田県の企業
- 秋田県の大学
- 秋田県の県道一覧
- 秋田県の山の一覧
- 秋田県高等学校一覧
- 秋田県中学校一覧
- 秋田県小学校一覧
- 秋田県出身の人物一覧
- 秋田県の自然景勝地
- 秋田県の歴史
- 秋田県中学校の廃校一覧
外部リンク
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- 行政
- 観光
- あきたファン・ドッと・コム - 秋田県産業経済労働部観光課・秋田県観光連盟共同運営
- 地元メディア
- ABSこちらお茶の間情報局(秋田放送・毎月最終日曜17:25~17:30)
- 県政たより か・だ・ろakita(秋田テレビ・毎月最終日曜8:55~9:00 秋田朝日放送・毎月第3土曜10:35~10:40)
脚注
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Template:日本の都道府県 Template:秋田県の自治体ace:Prefektur Akita ar:أكيتا (محافظة) bg:Акита (префектура) ca:Prefectura d'Akita cs:Prefektura Akita de:Präfektur Akita en:Akita Prefecture eo:Akita (gubernio) es:Prefectura de Akita et:Akita prefektuur fa:استان آکیتا fi:Akitan prefektuuri fr:Préfecture d'Akita gl:Prefectura de Akita hu:Akita prefektúra id:Prefektur Akita ilo:Prefectura ti Akita it:Prefettura di Akita km:ខេត្តអាគីតា ko:아키타 현 lt:Akitos prefektūra lv:Akitas prefektūra mn:Акита ms:Wilayah Akita nl:Akita (prefectuur) no:Akita (prefektur) pam:Akita Prefecture pl:Prefektura Akita pt:Akita ro:Prefectura Akita ru:Акита (префектура) sk:Akita (prefektúra) sr:Префектура Акита sv:Akita prefektur sw:Mkoa wa Akita tg:Префектураи Акита th:จังหวัดอะกิตะ tl:Prepektura ng Akita ug:ئاكىتا ناھىيىسى uk:Префектура Акіта vi:Akita war:Akita (prefektura) wuu:秋田县 zh:秋田县 zh-min-nan:Akita-koān zh-yue:秋田縣