福島県

出典: Wikipedio


Template:基礎情報 都道府県 福島県(ふくしまけん)は、東北地方南部(南東北)にある県庁所在地福島市太平洋に面し、奥羽山脈の東西にまたがって存在する。

目次

概要

地形気候交通歴史などの面から、太平洋と阿武隈高地にはさまれた「浜通り」、阿武隈高地と奥羽山脈にはさまれた「中通り」(以上、太平洋側)、奥羽山脈と越後山脈にはさまれた日本海側の「会津」の3地域に分けられる。県の広域行政単位は、これらを更に細分している。方言単位は、上記3区分の他に、3区分横断的な南北分類もされる(関東方言の影響が県南部で見られるため)。

人口の大きな自治体は、人口順にいわき市郡山市福島市となっているが、3市とも30万人前後である。商業統計では郡山市・福島市・いわき市の順、都市圏人口では郡山都市圏福島都市圏いわき都市圏の順である。3市はそれぞれの分野に特化し、行政機能が集中する福島市、経済・交通の中枢で商業・内陸工業・流通都市となっている郡山市、広大な面積を持ち工業・観光に特化するいわき市となっている。また、会津地方の中心都市で史跡旧跡が多く存在する歴史都市会津若松市も上記3都市に比べ小規模ながら重要な地点となっている。

県名の福島は、福島城からとられた。

地理

隣接県

東北地方の南部に位置し、面積は13,782.75km²、北海道岩手県に次ぐ全国第3位。県都福島市は、東京から約260km、JR東北新幹線で約100分の位置にある。

東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。

地形

Template:右

平地
山地

高原



自然湖沼

人造湖

湿原

気候

自然公園

歴史

先史時代

本県での人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。遺跡としては会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前のAT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう。<ref>工藤雅樹「福島のあけぼの」12ページ(丸井佳寿子・工藤雅樹・伊藤喜良・吉村仁作『福島県の歴史』山川出版社 2003年2月)</ref>

古墳時代

[[ファイル:20091231大安場古墳群1号墳.jpg|thumb|200px|東北地方最大の前方後方墳・大安場古墳]] 大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳郡山市前方後方墳、全長約83メートル)、会津大塚山古墳会津若松市前方後円墳、114メートル、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳会津坂下町、前方後円墳、127メートル)などの大型の古墳が集積する。 古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが伺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって中通りで盛んに古墳が作られた。中通り地方の前方後方墳は隣接する那須地方那須国造)で盛んに築造された前方後方墳の影響を受けたと考えられている。

飛鳥 - 平安時代

5世紀にはすでに福島県全域が大和朝廷の支配下にあったと思われ、福島県域の各国造が置かれた。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界にあたる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。また、関東や近畿地方などから、さかんに開拓のための移民も行われている。その後、国は(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。

701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国と石背国が分置された。

  • 石城国石城郡、菊田郡、標葉(しねは)郡、行方(なめかた)郡、宇太(うだ)郡、曰理(わたり)郡、菊多(きくた)郡の6郡
  • 石背(いわせ)国…信夫郡、安積郡、石背郡、白河郡、会津郡の5郡

福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。 [[ファイル:Shiramizu amidadou.jpg|thumb|right|200px|白水阿弥陀堂国宝)]]

  • 現在、福島県域は岩盤が固くて地震が少ないから「岩代国」と呼ぶ、という説があるが、これは「岩」という文字のイメージから生まれた俗説である。岩代国の由来は石背国にある。石背国の読み方は本来「いわせ」であったが、後に山背を「やましろ」と読むのに習って「いわしろ」とも読むようになったと思われる。明治の国名では「いわしろ」の読みを採用し、「岩代」の文字を当てた。

平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城(いわき)氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。

国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。

鎌倉時代 - 室町時代

[[ファイル:Souma nomaoi4.jpg|thumb|right|200px|相馬野馬追]] 源頼朝による奥州征伐で奥州藤原氏が滅亡し、信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で、福島県内は伊達氏相馬氏二階堂氏蘆名氏畠山氏結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領鎌倉公方の支配を受けるようになる。

戦国時代になると、伊達氏の伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰はやむことはなく、隣接する佐竹氏上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。

[[ファイル:ja-fukushima-ohuchijuku-4.jpg|thumb|200px|重要伝統的建造物群保存地区
大内宿]] [[ファイル:Aizuwakamatsu Castle 05.jpg|thumb|right|200px|若松城(鶴ヶ城)]] [[ファイル:ShirakawaJoSanjuYagura2003-11.jpg|thumb|right|200px|白河小峰城]] thumb|right|200px|本丸お堀がきれいに残る棚倉城跡

安土桃山時代 - 江戸時代

豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。

関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成会津騒動を起こして領地を幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が幕末まで続くことになる。

一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と相馬氏領の相馬地方を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。

江戸時代会津若松日光街道を結んだ重要な交通路下野街道会津西街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。

近現代

江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城二本松藩棚倉藩相馬中村藩三春藩磐城平藩福島藩泉藩湯長谷藩下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に幕府直轄地となった白河城仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。

明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。

1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩城国、磐城国からなる中通り地方が二本松県(二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前(いわさき)県の3つの県として統合された。

1876年(明治9年)に福島県、若松県、磐前県が合併して新しい福島県となった。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの間に、あわただしく行われた(誤解されがちだが江戸時代には公式に「藩」という制度はなく、藩は版籍奉還によって明治2年に制定された制度である)。

  • 1899年4月1日、北会津郡若松町が市制施行し、若松市となる。
  • 1907年4月1日、信夫郡福島町が市制施行し、福島市となる。
  • 1924年9月1日、安積郡郡山町・小原田村が合併・市制施行し、郡山市となる。
  • 1937年6月1日、石城郡平町・平窪村が合併・市制施行し、平市となる。
  • 1949年4月1日 - 西白河郡白河町・大沼村が合併・市制施行し、白河市となる。

人口

Template:人口統計

福島県の市の人口、人口密度、可住地人口密度 (2005年)
順位 人口 人口密度 可住地人口密度
1位 いわき市 354492人 郡山市 447人/km² 福島市 1,079人/km²
2位 郡山市 338834人 福島市 387人/km² いわき市 1,035人/km²
3位 福島市 297357人 本宮市356人/km² 郡山市 1,012人/km²
4位 会津若松市131389人 (会津若松市) 343人/km² (会津若松市) 887人/km²
5位 須賀川市 80364人 須賀川市 288人/km² 伊達市524人/km²

行政

歴代知事(公選後)

  1. 石原幹市郎(1947年4月12日 - 1949年11月30日)
  2. 大竹作摩(1950年1月28日 - 1957年7月25日)
  3. 佐藤善一郎(1957年8月25日 - 1964年3月23日)
  4. 木村守江(1964年5月16日 - 1976年8月11日 収賄容疑に問われ引責辞任)
  5. 松平勇雄(1976年9月19日 - 1988年9月18日)
  6. 佐藤栄佐久(1988年9月19日 - 2006年9月28日 親族による談合事件で引責辞任)
  7. 佐藤雄平(2006年11月12日 - )

財政

平成19年度
  • 財政力指数 0.44
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中6位
平成18年度
  • 財政力指数 0.42
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中5位
平成17年度
  • 財政力指数 0.39
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中3位
平成16年度
  • 財政力指数 0.38
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中2位

経済

第一次産業では水稲モモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖(出荷量日本1位[1])などの水産物が主要産物である。

第二次産業では首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、福島市周辺では電子機器、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年現在)

第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山市を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇る。

一方、中通り北部(福島市伊達郡伊達市)や浜通り北部(旧相馬郡地域 : 相馬市南相馬市)などは、仙台市への通勤・通学者が一定の割合で存在するほか、休日の買い物に高速バスなどで仙台へ行く傾向が強く仙台市を中心とした仙台経済圏に含まれつつあり、繋がりが深い。(→東北地方の経済史南東北仙台経済圏仙台都市圏を参照)のこと。

本県は南東北の南端に位置し、関東地方に隣接していることから関東への志向が強い。実際、中通り白河市郡山市浜通りいわき市は関東への通勤者が存在するなど、関東との繋がりが深い。ただし、県北地区と相双地区の仙台志向、また会津地方の観光中心経済と若干の新潟志向とは分けて考える必要があり、福島県の非統一性をうかがわせる一例となっている。

関東広域圏のテレビ放送を直接受信できる地域があったり、首都圏三大都市圏を中心に展開している店鋪が東北では唯一本県に進出している例(丸井2008年2月29日閉店)やデニーズなど)もあり、こういった事も本県の関東志向に影響していると考えられる。

第一次産業

  • 2008年発表統計データの農業産出額によると、福島県は2,500億円となり青森県(2,797億円)、岩手県(2,541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)。(出典

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第二次産業

  • 2008年発表統計データの製造品出荷額等によると、福島県は5兆5,686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5,702億円)、3位は山形県(2兆8,692億円)。県内では製造品出荷額等が多い順にいわき市(1兆701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9,667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6,608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市。(出典

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伝統工芸
鉱業
  • いわき市にはかつて常磐炭田と呼ばれる日本有数の炭鉱が存在した。
発電所

福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。

水力発電
  • 阿賀川源流域の一つである磐梯高原猪苗代湖の豊富な水とその落差を利用し安積疏水日橋川では水力発電明治大正時代より行われ日本の近代化に貢献してきた地域でもある。
    • 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した沼上発電所は、日本で初めての高圧送電を利用した長距離送電が郡山市内まで行われ紡績・繊維産業の発展に貢献した。
    • 日橋川の総発電量は16万キロワット時に及び、その豊富な電力を利用したアルミ製品、金属工業などの近代工業の工場が古くから稼動している。
  • 昭和に入り、只見川阿賀川は上流域から下流域までくまなくその水資源を有効活用した水力発電所が各所に設けられ日本を代表する電源地帯となった。

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原子力発電
火力発電
  • 東北電力原町火力発電所、東京電力広野火力発電所、相馬共同火力発電新地発電所、常磐共同火力勿来発電所が稼動している。
地熱発電
風力発電

第三次産業

  • 2008年発表統計データによると、福島県の商業年間商品販売額は、4兆7,206億円となり宮城県(10兆2365億円)に次いで東北2位。県内では商業年間商品販売額が多い順に郡山市(1兆4,515億円、県内1位、東北2位)、福島市(9,150億円、県内2位、東北7位)、いわき市(8,153億円、県内3位、東北9位)。(出典

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主な大型商業施設

福島県の企業

[[ファイル:20090201福島盆地荒川流域空撮Tagged.jpg|thumb|福島市日東紡、福島キヤノン、NOKパナソニックなどの工場]]

福島県に本社のある主な企業

福島県に進出した主な企業

地域

都市圏

都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷 ※東北新幹線の駅が設置された都市圏斜体

1980年 1990年 1995年 2000年
いわき都市圏
347,408人








82




85




91


郡山都市圏
493,891人
郡山都市圏
521,116人
郡山都市圏
537,493人
福島都市圏
343,063人
福島都市圏
404,636人
福島都市圏
410,964人
福島都市圏
412,353人
郡山都市圏
341,004人
いわき都市圏
361,286人
いわき都市圏
366,207人
いわき都市圏
365,864人
会津若松都市圏
197,672人
会津若松都市圏
197,213人
会津若松都市圏
197,316人
会津若松都市圏
188,686人
須賀川都市圏
80,990人
須賀川都市圏は郡山都市圏に包含
原町都市圏
74,296人
白河都市圏
86,678人
白河都市圏
95,084人
白河都市圏
96,786人
白河都市圏
72,914人
原町都市圏
77,162人
原町都市圏
77,860人
原町都市圏
75,020人
喜多方都市圏
45,780人
二本松都市圏
66,988人
二本松都市圏
67,268人
二本松都市圏
66,077人
二本松都市圏
45,568人
喜多方都市圏
60,818人
喜多方都市圏
63,413人
喜多方都市圏
59,701人

地域圏

256px|right 県内は、東西に長い形状をしているが、2つの山間部によって浜通り中通り会津の3つの地方に分かれている。東から太平洋沿岸が浜通り、阿武隈高地で隔てて中通り、奥羽山脈で隔てて会津となる。地形的に山間部で隔てられて結びつきにくい上に、気候風土や風俗にも差があり、3地方での同一県として帰属意識は低く、福島県は他県に比較すると1つの県としてのまとまりに欠けると言われる。

以下、人口はTemplate:自治体人口/福島県現在の推計人口[2](福島県の総人口はTemplate:自治体人口/福島県人)。

県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約{{ #expr: ((Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県)/1000 round 0)/10}}万人)が県中に、相双の双葉郡(約{{ #expr: ((Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県 + Template:自治体人口/福島県)/1000 round 0)/10}}万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。

以下の13市13郡31町15村がある。町は「ちょう」ではなくすべて「まち」、村は「そん」ではなくすべて「むら」と読む。

中通り

  • 由来 - 中通りは中山道に名前の由来がある。現在の中山道は江戸時代に江戸を中心としてひき直したもので、京都から岐阜、長野、群馬を経て東京に至るが、古代の中山道は奈良を起点として、現在の岐阜、長野、群馬から栃木(宇都宮付近)に至り、現在の国道4号線沿いに北上する東山道(律令制下の道国制の行政区)の主要街道だった。中山道という呼称自体、東山道の別称である。この縦貫道は中世には奥大道(おくのだいどう)とも呼ばれた。この縦貫道の名称から、福島県中通り地方は古代から中山道(中仙道)と呼ばれ、中世には仙道(せんどう)とも呼ばれた。なお、群馬から東京に至る江戸時代以降の中山道は、もともとは東山道武蔵路と呼ばれる東山道(中山道)の支路である。武蔵国はもともと東山道の1国であったが、771年(宝亀2年)に東海道に移管された。
  • 気候 - 那須火山帯山麓は豪雪地帯日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候に属する。北部の福島盆地は典型的な内陸性盆地型気候で、夏は非常に高温になる。南部は那須高原につらなる高原地帯となるとので、北部に比べると低温傾向がある。そのため、中通りでは桜前線が北部から南部に南下して移動する。降雪はあるが、通常は数cm~15cm程度で、30cmも積もれば大雪といわれる。生活面では降雪よりも夜間の路面凍結が深刻である。
  • 文化 - 古来より奥州の玄関口として、街道筋として重要な役割を担った。現在は東北新幹線や東北自動車道も整備されて首都圏まで新幹線で1~2時間、自動車で2~3時間ということもあり、首都圏との結びつきも強めている。
  • 中心都市 - 経済的には郡山市であるが、県庁所在地が福島市であるため、政治的文化的には福島市の重要度も高く、二極分散といえる。
県北地方振興局管内 {{ #expr
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福島広域行政圏

安達広域行政圏

県中地方振興局管内 {{ #expr
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郡山広域行政圏

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白河広域行政圏

浜通り

  • 由来 - 浜通りは陸前浜街道に名前の由来がある。陸前浜街道は現在の国道6号線とほぼ一致する沿岸の街道で、水戸街道から仙台平野で奥州街道に繋がって仙台に至る。なお、陸前浜街道は古代には海道と呼ばれた。
  • 気候 - 太平洋側気候に属する。東北地方としては非常に温暖で、夏は涼しく、冬の降雪もほとんど無く、東北地方よりも南関東に近い過ごしやすい穏やかな気候である。
  • 文化 - 関東地方、特に茨城県や千葉県との結びつきが強い。もともと海道で常陸国や下総国とつながっていた上に、鎌倉時代初期に下総国相馬郡(現在の茨城県南西部と千葉県北西部)から相馬氏千葉氏の支流)が入植したこともあり、下総国に由来を持つ神社仏閣やお祭り等の習俗が少なくない。現在でも千葉県や茨城県を中心に展開するチェーン店が福島県浜通りに店舗を出店する、あるいは浜通りに本社のあるチェーン店が茨城県方面に出店するなどの現象がしばしば見られる。
  • 中心都市 - いわき市が中心都市と言えるが、南北に長いため、北部では南相馬市原町区(旧原町市)が小規模な中心都市となっている。
相双地方振興局管内 {{ #expr
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相馬広域行政圏

双葉広域行政圏

いわき地方振興局管内 Template:自治体人口/福島県

会津

  • 由来 - 記紀の記述には、崇神天皇(すじんてんのう)が北陸道に遣わした大彦命(おおひこのみこと)と東海道に遣わした建沼河別命(たけぬかわわけのみこと)が、日本海側と太平洋側から遠征して出会ったのが相津(あいづ)だったという記述があり、この相津が後に会津と表記されるようになった説が有力である。他に会津盆地でいくつかの川が合流するために舟運の拠点として会津と呼ばれるようになった、あるいは日本海側と太平洋側の物産を運ぶ隊商が会津盆地で取引をすために会津と呼ばれるようになった、など諸説ある。
  • 気候 - 日本海側気候に属する。新潟県と多くの県境を接しており、全国有数の豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。
  • 文化 - 会津藩に由来する文化が色濃く投影されている。また現在の武術武道界に多大な影響を与えた近代最強の武術家とたたえられる大東流合気柔術武田惣角(たけだそうかく)の出身地(会津坂下町)としても名高い。現在でも会津若松市を中心に剣道をはじめとする現代武道や各種の古武術が非常に盛んで、県立高校でも体育の授業に薙刀術があるなどの特色がある。ナショナルジオグラフィック、ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネル等の海外のドキュメンタリー製作でも武士道や侍文化に関するドキュメンタリーではしばしば会津を例として取り上げる。また、地勢的な影響で、東北地方でありながら北陸文化圏の影響と思われる習俗も見受けられる。
  • 中心都市 - 会津若松市、南会津地方では南会津町の旧田島町域が栄えている。
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喜多方広域行政圏

会津若松広域行政圏

南会津地方振興局管内 {{ #expr
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南会津広域行政圏

教育

大学・短期大学

[[ファイル:AbukumaGawa20070323.jpg|thumb|right|200px|郡山市郊外を流れる阿武隈川畔に有る日大工学部キャンパス(左側)。日大東北高校も併設されている。]] 国立大学法人

県立

私立

高等専門学校

専修学校

特別支援学校

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高等学校

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中学校

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小学校

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幼稚園

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学校教育以外の施設

生活文化

伝統芸能

農村歌舞伎
重要無形民俗文化財(指定年月日)
祭事

食文化

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郷土料理

会津の代表的な郷土料理としては「こづゆ」「イカニンジン」「ニシンの山椒漬け」「鯉の旨煮」があげられる。 会津の山間部では蕎麦を工夫した料理があり、「はっとう(桧枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」など、今でも味わうことができる。

スポーツ

方言

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文化財

建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区

彫刻(仏像)

国宝
  • 勝常寺 - 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(三躯)

書跡

国宝

マスコミ

新聞社

放送局

本社演奏所の立地として、福島市県庁所在地政治的中心地)と、郡山市経済的交通的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。

戦後の福島県域2大新聞社である福島民報毎日新聞系)と福島民友読売新聞系)の対立を反映したせいか、県域対象の民放VHFテレビ局は全国の県で最後の開局、民放FM局も東北6県では最後の開局である。ただし、テレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃ったのは1983年である。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、比較的早い。

その影響もあり、福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高く、ネット上においては“福島県営テレビ”などと揶揄されることがある。

以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局でありラテ兼営局は存在しない<ref>当初は福島県民放第1号であるラジオ福島がラテ兼営局になる事を目指して1957年10月22日にTV予備免許と「JOWR-TV」というコールサインを取得したが、役員人選等の難航によりそれらは僅か半年で(翌1958年4月1日を以て)失効。以後RFCはAM単営局となって現在に至る。この為福島県では1963年4月1日に(民放TV第1局となる)FTVが開局するまでの間、民放TVが全く視聴不可の状態が他県より長く続いた。</ref>。

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福島都市圏に立地する放送局(全て福島市に所在)
  • FM POCO(コミュニティFM)
  • 郡山都市圏に立地する放送局
  • FM Mot.com本宮市)(コミュニティFM)
  • その他の都市に立地する放送局

    相馬市や南相馬市、相馬郡の一部では宮城県の民間放送4局が、会津地方の一部では山形県の民間放送4局が(一部の新聞では掲載されていない)、いわき市の沿岸地域や白河市南端、阿武隈高地の一部では関東広域圏の民間放送5局(一部の新聞ではテレビ東京以外は掲載されていない)が直接受信可能でありチバテレビ(CTC)はノイズが出るものの受信ができる場合がある(テレビ東京デジタル放送放送休止時のみ)。

    • なお、とちぎテレビ(GYT)はアナログ放送はTUFと31chで、デジタル放送はKFBと29chで被っており、福島県内でのGYT受信は白河市周辺を除いて困難である。また、テレビ東京(TX)のデジタル放送も宇都宮局・矢板局とFTVの幾つかの局が18chと被っており、会津・中通りでのTX受信は困難である。

    福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域放送局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県富山県山口県福岡県にも見られる。

    地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立UHF局がない以外は関東広域圏と全て一緒である。(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)

    交通

    Template:右

    空港

    鉄道

    新幹線

    JR在来線

    私鉄(民鉄)路線

    第三セクター

    バス路線

    国鉄時代福島県内が東京支社、水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。

    道路

    高速道路

    国道

    県道

    キャッチコピー

    福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は

    古語の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形がオーストラリア大陸に似ていることから考えた」<ref>『読売新聞』1991年11月28日 東京夕刊23面</ref>

    ものとされる。同年11月27日に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。

    本キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった<ref>『河北新報』1992年2月17日</ref>が、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DCと同時期に開催された1995年のふくしま国体全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。

    県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋うつくしま百名山にみられるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。

    その他

    福島県を舞台・モデルにした作品

    テレビドラマ

    映画

    福島県出身の有名人

    関連項目

    Template:ウィキポータルリンク Template:Commons&cat Template:Wikiquote Template:Wikisource

    脚注

    Template:Reflist

    外部リンク

    行政
    観光

    Template:Wikitravel

    Template:日本の都道府県 Template:福島県の自治体ace:Prefektur Fukushima ar:فوكوشيما (محافظة) bg:Фукушима ca:Prefectura de Fukushima cs:Prefektura Fukušima de:Präfektur Fukushima en:Fukushima Prefecture eo:Fukuŝima (gubernio) es:Prefectura de Fukushima et:Fukushima prefektuur fa:استان فوکوشیما fi:Fukushiman prefektuuri fr:Préfecture de Fukushima gl:Prefectura de Fukushima hu:Fukusima prefektúra id:Prefektur Fukushima ilo:Prefectura ti Fukushima it:Prefettura di Fukushima ko:후쿠시마 현 lt:Fukušimos prefektūra lv:Fukusimas prefektūra ms:Wilayah Fukushima nl:Fukushima (prefectuur) pam:Fukushima Prefecture pl:Prefektura Fukushima pt:Fukushima ro:Prefectura Fukushima ru:Фукусима (префектура) simple:Fukushima Prefecture sk:Fukušima (prefektúra) sr:Префектура Фукушима sv:Fukushima prefektur sw:Mkoa wa Fukushima tg:Префектураи Фукушима th:จังหวัดฟุกุชิมะ tl:Prepektura ng Fukushima ug:فۇكۇشىما ناھىيىسى uk:Префектура Фукусіма vi:Fukushima war:Fukushima (prefektura) wuu:福岛县 zh:福岛县 zh-min-nan:Hukusima-koān zh-yue:福島縣

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