疑似科学

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Template:科学 疑似科学(ぎじかがく,正しい用字では「擬似科学」)とは「まがいものの科学」あるいは「ニセものの科学」である。つまり、科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であるかのように誤認されているが、実際にはそうではないものを指す<ref>Oxford English Dictionary Second Edition 1989. "A pretended or spurious science; a collection of related beliefs about the world mistakenly regarded as being based on scientific method or as having the status that scientific truths now have."</ref>。英語で対応する語は「にせの」「まがいの」を表す pseudo- と「科学science複合語 pseudoscience(/sudoˈsaɪəns/; シュドサイエンス)である<ref group="注釈">語源的にはそれぞれギリシア語で「偽りの」を意味するGiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/「pseudēsプセウデース」、「知識」という意味のラテン語「scientia」に連なる。</ref>。

古くから科学と疑似科学との区別は混乱している<ref name=Friedlander322>マイケル・フリードランダー『きわどい科学 -ウソとマコトの境域を探る-』p.322</ref>。科学と疑似科学の境界を定める試みは繰り返しなされてきたが、すべての者に等しく許容され、あらゆる批判に耐えうる結論には至ったことなど一度としてない<ref name=Friedlander322>マイケル・フリードランダー『きわどい科学 -ウソとマコトの境域を探る-』p.322</ref>とされている。1934年、カール・ポパーにより提示された反証可能性を科学の条件とする考え方は一定の評価を得ているが、これについても議論はあり、他方で統計学的手法なども発展している。(→#科学と疑似科学の区別の問題

現代の疑似科学の分野や傾向は多岐にわたるが、本来の科学研究・教育を行なう立場からは様々な文脈で批判されているほか、一部はいわゆる悪徳商法と親和性が高く詐欺行為に用いられることもある。

目次

語彙

「疑似科学」を意味する欧語の初期の用例としては、19世紀前半に実験生理学の先駆者とされるフランス人生理学者フランソワ・マジャンディーが著書 Précis élémentaire de physiologieで骨相学について用いた仏語 pseudo-science がある<ref> 遅くとも1833年の第三版で確認できるが、それ以前にもこの語を用いたマジャンディの骨相学批判を巡る議論が英語圏に認められる。Cf.


</ref>。

日本語では、ほぼ同義の語彙として「ニセ科学」あるいは「似非科学」という語も用いられ、より一般に「科学(的)でない」ことについては文字通り「非科学(的)」という表現がある。科学者によるデータ捏造などの科学における不正行為の結果として流布した科学的誤謬を含む知見は、やはり疑似科学とされる<ref>『きわどい科学』p.327, pp.267-273「医学の世界でのイカサマ」</ref>。

類似の概念として、科学的方法を採用するが未だ至らないもの、至っているが社会全般に科学と認められていないものを指す「プロトサイエンス」(「未科学」、「異端の科学」Template:要出典)がある。「フリンジサイエンス」(「境界科学」)という表現も従来の正統な科学ではないものの呼称として用いられる。なお「周辺科学」は特定分野から見た周辺分野を指すもので疑似科学とは関係がないが、「境界科学」と混同されることがある。また1953年にラングミュアが用いた「病的科学」という表現もあるが、これは基本的に科学的手法に立脚した問題含みの事象を指すため、完全に重なる語彙ではない<ref name=Friedlander322/>。

科学と疑似科学の区別の問題

伝統的な実証主義の科学観に立つ<ref> Template:Cite web </ref>物理学者マイケル・フリードランダーによる一般書『きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る』 At the Fringes of Science によれば、全ての立場の要求に適いどのような批判にも耐えうる「科学の定義」は存在せず、同様に過去に繰り返された「科学」と「そのまがいもの(=疑似科学)」の境界確定の試みも全ての人の満足を勝ち得たことはない<ref name=Friedlander322>『きわどい科学』p.322</ref>。そして極端な疑似科学であればほとんどの科学者は比較的容易に見分けることができるが、その周辺には明瞭に峻別できない領域が存在し、科学者でも分類に苦しむ研究報告や革新的な主張が存在する<ref name=Friedlander322/>。フリードランダーは、科学者も科学者でない人も往々にしてこうした「シャドーゾーン」の微妙さを忘れがちであると述べている<ref name=Friedlander320>『きわどい科学』p.320</ref>。

この峻別の難しさは新しい知識(科学)の受容の際も同様であり、内容の妥当性にも関わらず時代に先んじていた、すなわち同時代の科学者の理解を超えていた研究成果が永らく不遇を託つことがままある。

科学的「正しさ」

科学哲学の見解

科学哲学には、科学と疑似科学の境界を決定する境界設定問題(線引き問題)がある。この問題について詳細な探求を行ったウィーン学団は、論理実証主義を用いて既存の科学を検証した。その結果、「あらゆる理論の中には、必ず未実証の部分が含まれている」ため、存在する全ての科学は「最終的には疑似科学と区別ができない」という結論に達した。

故に、現代の自然科学では、少なくとも人間によって合理性が認められる理論を「今のところ正しい(正しい可能性が高い)」と仮定し、それ以外の理論を「正しくない(正しい可能性が低い)」とする考え方が一般化した(→仮説)<ref group="注釈">但し、原理といった一般に広く真実と受けとめられている事柄を前提条件とし、その確かさ(不確かさ)に依存させつつ、ある理論の"正しさ"を、それなりに評価することは可能である。</ref>。一方で科学の世界ではある時代に当然とされた前提が後代に覆ることがある。また法則は有効範囲がどこまでなのか、事前には予測がつかないことも多い(科学哲学者スティーヴン・トゥールミンの『科学哲学入門』(1953)における指摘など。「法則」の記事に解説あり)。

政治や学界権威の影響

現実的な側面では、政治的な理由などで「正しさ」が決定されることもあり、旧ソ連におけるルイセンコ説が例として挙げられる<ref>『きわどい科学』pp.286-295 他</ref>。

また学会の権威や、科学雑誌や専門誌の編集者の影響を指摘する者もある<ref name=ikeda76-77>池田清彦『科学とオカルト』PHP新書、1999、pp.76-77</ref>。それによれば、科学が制度化された現代における専門学会は専門分野の利益擁護団体的な性格を有する場合があり、多くの科学者はそれぞれの学会に所属するようになると、科学界全体ではなくて、その個別の学会の立場や権益に忠実になるとされる<ref name=ikeda76-77/>。これに対し、新規性のある研究分野は既存の体系に整合しない場合があり、査読者が十分な価値を認めない場合には学会に受け入れられない、すなわち専門誌が論文の掲載を拒否することがある。この結果として新規な研究分野のための新しい専門学会が組織される場合もあるが、他方で研究が放棄される場合もある<ref name=ikeda76-77/>。中には、長年放棄していた研究について学会の世代交代の後に発表の機会を得、最終的に業績が評価された科学者の事例を紹介している書籍もあるTemplate:要出典。だが、学会の権威者や主流派がその時代に信奉している理論(あるいはそのグループにとっての"ドグマ")と異なることから拒否され、結果としてそのまま永久に葬り去られてしまう科学者もいるTemplate:要出典

反証主義

1934年、科学哲学者のカール・ポパーは『科学的発見の論理』<ref>カール・R.ポパー 『科学的発見の論理-上』大内義一訳、森博訳、恒星社厚生閣、1971年。(原著 Logik der Forschung, 1934)</ref>で、反証主義の考え方を展開し、反証が可能であるという意味の「反証可能性 (falsifiability)」をもつ理論を科学とした<ref group="注釈">例えば、相対性理論から導かれる有名な結論として、「いかなる質量も真空中の光速を超えて運動することはない」というものがある。そのため、ある物体を超光速まで加速してみせること、あるいは加速した結果を示すことができれば相対性理論は否定される。これが反証可能性であり、カール・ポパーは、これによって相対性理論を科学理論に分類できる、と考えた。</ref>。「反証が不可能」な理論は、科学では無いとして線引きされる、という考え方である。

しかし、この反証主義の理論は、100%の再現性を求めるため、1度でも反証された理論を認めないという欠陥がある。このため現在の科学哲学では主流の考え方ではない。たとえば、ポパーの元で学んだラカトシュ・イムレは、ハードコアの考え方を展開し、多少反証が出た場合も有効であるとした。また、ある理論が反証された後に後付けの説明を行うアドホックな仮説が行われることがあり、これは反証主義では認められないが科学的発見においてはしばしば行われている。

統計とバイアス

反証主義以降に、ある頻度で起こるというように確率的にものごとを検証する方法としての統計学が発達していった。集団遺伝学を築いたロナルド・フィッシャーによる統計学的な実験計画法が発展していった。こうした統計に従った場合、線引きではなく、ある方法は再現性がどの程度あるかという程度の問題として捉えられる。

統計の際にも、人間の心理的な作用によって認知バイアスが起こり、例えば、自分の都合のいいように証拠を集める、測定するという確証バイアスがある。こうしたことを避けるため、1948年には、観察者にも誰に偽薬を渡したのか分からない計測方法である二重盲検法がはじめて行われた。また1955年に偽薬や偽治療によっても心理作用によって効果が出るというプラシーボ効果が発表され、従来認められていた効果が単なるバイアスやプラシーボ効果である可能性が指摘された。

1990年には医学分野で根拠に基づいた医療が提唱され、よりバイアスを排除できる研究や、複数の文献をもとに評価したものほど科学的根拠が強いとし、科学的根拠の強弱の概念を採用している。こうした統計によって有効性が認められなかった方法や理論は、効果のない疑似科学であると批判されることがある。

疑似科学の特徴・傾向

疑似科学の特徴や傾向について包括的に把握する試みはあるが、過不足なくリストなどに提示することは難しい<ref name=Friedlander322/><ref>『きわどい科学』p.325</ref>。以下は提唱された例である。

マリオ・ブンゲによる指摘 <ref>『きわどい科学』p.324</ref>

  1. 融通性に乏しく、一般に新たな研究の妨げになる。
  2. 一般に、支持者は、研究していない信奉者からなっている。
  3. 場合によっては、商業的な関心から支持を得ることもある。
  4. 現象のほとんどが信奉者にしか証明できず、その多くが超自然的効果をほのめかしている。
  5. 根拠とする議論の多くが、時代遅れか、信頼できない文献からの引用か、証明不可能なものである。論の立て方に明確さや首尾一貫性がかけている。
  6. 数学が使われることがめったになく、論理的な議論が欠けていることが多い。
  7. 主張される現象の多くが、昔からあるものだが、アイディアに進展が見られない。

ロバート・アーリックによる指摘

ロバート・アーリックは、疑似科学の主張はデータの扱い方が作為的であり、想定された結論に矛盾するデータの無視、引用文献と異なる結論の導出、データや根拠および研究方法の非公開などといったものが見られるとしている<ref>『トンデモ科学の見破りかた』ロバート・アーリック p10-16. ISBN 978-4794212825</ref>。

ハインズによる指摘

1988年、アメリカ合衆国心理学者テレンス・ハインズは自著<ref>テレンス・ハインズ『ハインズ博士「超科学」をきる―真の科学とニセの科学をわけるもの』化学同人、1995、ISBN 4759802754。(原著 Pseudoscience and the paranormal, 1988)</ref>において疑似科学の傾向を以下のようにまとめた:

  1. 反証が不可能であること (カール・ポパーの提唱する反証可能性の欠如)
  2. 検証への消極的態度
  3. 立証責任を転嫁する

マーティン・ガードナーによる指摘

1952年、アメリカ合衆国懐疑論マーティン・ガードナーは、その著書において、疑似科学者の傾向として以下の5項目を挙げた<ref name="MartinG_book">マーティン ガードナー『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究(ハヤカワ文庫NF)』早川書房、2003、ISBN 4150502722。(原著 in the Name of Science, 1952)</ref>:

  1. 自分を天才だと考えている。
  2. 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
  3. 自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。
  4. もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
  5. 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。

またガードナーは同著において以下のようにも述べた。

「もしある人が、手に入る限り全ての証拠に矛盾するし、また真剣な検討に値するような合理的な根拠を何一つ提供しないような考え方を頑固に提唱し続けるのなら、仲間から奇人というレッテルをつけられるのも当然だろう」

その他の指摘

また疑似科学の中には、「既存の科学理論の間違いを見つけた」と主張するものがあるが、この場合科学理論の「直観的に分かりやすい」部分や「一般人にとって知名度が高い」理論が攻撃されやすいTemplate:要出典Template:誰は述べた。

例えば「時空が歪む」とする相対性理論や「永久機関は存在しない」とする熱力学の法則は、疑似科学者達に頻繁に攻撃される傾向にある。特に相対性理論は素人には誤解されやすい理論であり、こうした攻撃の根拠の一つとして「宇宙はシンプルである」事が挙げられる。すなわち、シンプルであるはずの宇宙で、時空が歪むような「複雑な」現象が起こるはずがない、というのが彼らの主張である。


疑似科学への批判

疑似科学は学界・一般社会の双方に悪影響があるものとして批判されている。その一方で、疑似科学批判を行う者が十分な論証や検討(例えば1990年以降のアメリカにおける臨床比較実験に基く代替医療の吟味のように)を示さず、非科学的・非論理的な「批判」を行うことがあり、これは疑似科学批判としても問題があると指摘されている。それによれば、検証・論証を抜きにした頭ごなしの否定は、否定された疑似科学の主張があたかも真正ながらも不遇の学説であるかのように語られるという、批判者の側からすれば逆の反響を生むことがある<ref> 例えば大槻義彦超常現象に対する言動がこのような安易な疑似科学「批判」にあたるとの指摘がなされている。Cf. 皆神龍太郎「日本のアンチ・ビリーバーは、だからトホホなのだ」『別冊宝島334 トンデモさんの大逆襲!』227-235頁(宝島社、1997年); 久保田裕「火の玉教授はなんでもプラズマ 大槻義彦」と学会『トンデモ本の世界』269-278頁(洋泉社、1995年);永瀬唯「大槻博士の、科学の基本がわかってない本」と学会『トンデモ本の逆襲』48-53頁(洋泉社、1996年) </ref>。

学界における批判

疑似科学の弊害

疑似科学の存在によって、無名の研究者が新規性のある成果を発表した際に正しい評価を受けられず、「疑似科学」の一種として片付けられてしまうという弊害が指摘されている<ref group="注釈"> 例えば、インドの天才数学者ラマヌジャンが無名時代にイギリスのヒル教授、ベイカー教授、ボブソン教授に自己の成果を送ったが、見向きもされなかったという例がある。ラマヌジャンの場合はハーディが評価したため事無きを得ているが、ハーディも最初は「狂人のたわごと」程度にしかとらなかった。専門家が送付されてくる「論文」を必ずしも正当に評価できないことについて、藤原正彦は数学者としての経験からある程度「仕方がない」事であると述べている。Cf. 『天才の栄光と挫折―数学者列伝』、p162。 </ref>。

ソーカル事件

一部の学識者においては、科学的な専門用語をもともとの意味を無視し、あるいは理解せずに自分の言説に援用する者がある。これは一般向けの著作に限らず学術出版物などにおいても自説の権威付けのために行なわれることがあり、これも科学の体を装った別種の言説として批判される。よく知られているのは、物理学者のアラン・ソーカルがこのような事態への批判として科学用語を敢えて出鱈目に使用した「疑似哲学論文」を作成し、ポストモダン系の人文学評論誌『ソーシャル・テキスト』に投稿したところ編集者がニセ論文と見抜けずに見事に載録されてしまった(1996年)ことに端を発する「事件」である。ソーカルはその後数理物理学者ジャン・ブリクモンとともに『「知」の欺瞞』(原題:Fashionable Nonsense)を発表し、ポストモダンないしいわゆるフランス現代思想と呼ばれる人文学批評に疑似科学的な表現があふれている事実を告発した。この中でソーカルらは「用語の本当の意味をろくに気にせず、科学的な(あるいは疑似科学的な)用語を使って見せる」行為、「人文科学のあいまいな言説に数学的な装いを施して『科学的な』体裁をつくり出すための絶望的な努力」を批判している<ref>『『知』の欺瞞』p. 6, 18, 50.</ref>。ジャック・ラカンブルーノ・ラトゥールらの創作物には「人文学の作品における科学用語の使用は比喩的表現ではなく、本来の科学用語としての意味で用いられている」というような意味の文章が織り込まれているものがあるが、ソーカルらは彼らの人文学上のフィクションにおける「科学」や「数学」は「あまりにも荒唐無稽」であると述べている<ref>『「知」の欺瞞』p. 27, 50</ref>。比喩に関しては、ソーカルらは比喩や詩的表現そのものは批判しておらず、「簡単な事を難しく言うために」こうした表現を用いることを批判している<ref>「メタファーは馴染みのない概念を馴染深い概念と関連させる事で説明するために使うものであって、決して逆の状況では使わない」「場の量子論についての非常に専門的な概念をデリダの文学理論でのアポリアの概念にたとえて説明したら〔...〕学をひけらかす以外いったい何の役に立つのか、と思うはず」(『「知」の欺瞞』p. 14)</ref>。

社会的な観点からの批判

疑似科学と悪徳商法

疑似科学は悪徳商法と親和性が高く、例としては金融工学ミクロ経済学に誤った文脈を与えて騙る詐欺やねずみ講連鎖販売取引(MLM)、あるいは「イオン」などの科学用語を誤用した、あるいはそうした語彙で意図的に粉飾した工業製品が販売されることがある。疑似科学を用いる者には法的には悪意の者(自分で説いている説明が科学的でないことを承知の上で非科学的な説明をして相手に何らかの不利益を与えようとしている者)もいれば善意の者(自らも信じており、それが非科学的とは思っていない者)もいる。

また同様に疑似科学は、偽医療の分野に親和性が高く、療法の根拠として使われることがある。世間に広く知れ渡っている医学的俗説の中には、医学的な正当性がないにも拘らず医師がこれを信奉しているものもあるため、不適切な医療行為の原因になる恐れが指摘されている<ref>R. C. Vreeman and A. E. Carroll, Medical myths, BMJ, 335 (2007), 1288-1289.</ref>。

「ニセ科学批判」

疑似科学の社会的な悪影響を問題視する場合に、ニセ科学という表現が使われることがある。これは、「トンデモ」などの表現を「非常識」という程度の揶揄的な意味であると解し、それ以上に「価値のないもの(ニセモノ)を価値があるもの(ホンモノ)のように錯誤を誘い、被害を齎す」というさらなる否定的な意味を持たせて、疑似科学が持つ社会的有害性を強調するために用いているもの、と考えられるTemplate:要出典

悪徳商法の手段となっている疑似科学を強く批判し、被害の発生阻止を企図する活動を「ニセ科学批判」と自称・呼称する者もいる。こういった活動の中には名誉毀損や営業妨害として法的紛争に発展するケース<ref>平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加した独立当事者が公開している訴訟資料</ref>もあり、「ニセ科学批判」は一定のリスクを伴う行為であるといえる。

疑似科学とみなされる事が多いもの

科学者の不正行為によるもの

科学者による不正行為、たとえばデータの捏造などによりデッチあげられ、科学雑誌・専門誌などで流布したウソの知識というのは疑似科学である<ref>マイケル・フリードランダー『きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る』pp.269-273、p.327</ref>とマイケル・フリードランダーらによって指摘されている。

例えば、ジョン・ダーシーという医学研究者は、エモリー大学とハーバード大学の医学部に籍を置いていたが、ダーシーが基本的なデータを捏造していることに、同僚数名が1981年に気づいた。ハーバードの科学者たちは、ダーシーを傑出した才能の持ち主と考え、彼についてなされた告発を頭から否定していた、という。この件は『ネイチャー』において、ウォルター・スチュアートとネッド・フェダーによって告発された<ref name=kiwadoi269-272>マイケル・フリードランダー『きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る』pp.269-272</ref>。別の事例では、スティーヴン・ブローニングは、知的発育の治療のための医薬品についての研究について連邦研究資金の申請を行った際にデータを偽造したことで訴追され、罪を認めた。実験室を訪問した者が、個別のテストの値がどれもあまりに一致していたことから疑問を抱き、国立精神衛生研究所(NIMH)の調査により、ブローニングが実験結果を自分ではよく承知していたうえで、データをねじ曲げていたことがつき止められた<ref name=kiwadoi269-272>マイケル・フリードランダー『きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る』pp.269-272</ref>。

実際にはこのような事例が非常に多数存在するのである。

Template:Seealso


マーチン・ガードナーが『奇妙な論理』で挙げているもの

1952年の著書<ref name="MartinG_book" />で言及されているもの。 Template:Col-begin Template:Col-2

Template:Col-2

Template:Col-end

英語版の疑似科学例より

疑似科学とは言い切れないが、疑似科学扱いされているもの

その他

美容・健康に関するもの

自然科学に関するもの

社会科学に関するもの

  • 精神分析学 - 学問とみなされる一方、カール・ポパーを初め疑似科学に過ぎないとみなしているものも多い。ポパーらの科学哲学者は反証可能性の観点から精神分析学を疑似科学とし、Grunbaumにいたっては精神分析学は反証可能性をもつ(なぜならそもそも精神分析学は全くの間違いであるから)と批判した。フロイトの治療業績のいくつか(Anna Oの有名な奇跡を含め)捏造であると告発する者もいる(Borch-Jacobsen 1996)。詳細は精神分析学を参照<ref group="注釈">ただし現代のアカデミックな心理学まで疑似科学だと誤解しないように注意する必要がある。現代のアカデミックな心理学はおおむね科学的方法を守っている。(フロイトなどの)精神分析学は、心理学の本流ではなく、あくまで傍流である。それについては心理学の項の「誤解」の節も読むこと。</ref>。
  • サプライサイド経済学 - 金融政策や財政支出の効果を否定し、減税と規制撤廃による小さな政府がインフレなき経済成長を実現すると説く。ほとんどの経済学者からは異端視されている。
  • ホロコースト否認 - 「ナチス・ドイツによるホロコーストは無かった」とする主張。主にネオナチが主張している。
  • 社会進化論 - 進化論でいう適者生存を貫き「劣等な」人間は去勢・抹殺すべし、という趣旨。
  • 環境決定論 - 人種民族の発展・優劣は自然環境や風土によって決定されるという論。
  • 偽言語比較論 - 日本語論日本語の起源
  • 黒い山葡萄原人
  • 民放の県民性番組

考察対象

脚注・出典

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脚注

<references group="注釈"/>

出典

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関連項目

類義語

疑似科学批判

関連理論

その他

関連書籍

外部リンク

日本語サイト

英文サイト

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リンク集

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