浮世絵
出典: Wikipedio
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浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。
現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画(錦絵)を想起される場合が多いが、昔は絵画、木版画、2つの混合技法、そして巻物の肉筆浮世絵なども含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛物絵、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。
目次 |
概要
浮世絵には版画、絵画と肉筆画のものがある。絵画と肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して、木版画は版画であるために、同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ安価で、江戸時代の一般大衆もたやすく求められた。また有力者や大名などのコレクションが、現代の有数のコレクションに引き継がれているという見方もある。
浮世絵版画は大衆文化の一部であり、手に取って眺め愛玩された。現代の美術展等のように額に入れて遠目に眺めるものではなかった。しかし、現在は手にとって眺めるほかに、額に入れて美術館や家庭などに飾られることが多くなった。草双紙や絵巻物、また瓦版(新聞)の挿絵の役割も果たした。絵暦と呼ばれるカレンダーの制作も行われ、絵の中に数字を隠すなど様々な工夫を凝らしたものが作られた。江戸から国元への土産にも、その美しさと嵩の低さが喜ばれた。玩具絵のように切り抜いて遊ぶものもある。
はっきりした図柄と大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴である。遠近法も取り入れられた。遠景の人物を逆に大きく描く北斎の『釣の名人』のように、意図的に遠近をずらされたものもある。
歴史
もともと浮世絵は、浮世を描いた絵、風俗画として登場している。
浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数多く見られる。これは当時、狩野派から破門された絵師が数多く転向したためであり、そのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられる。
- 初期
- 明暦の大火から宝暦の頃。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。墨摺絵に赤い顔料で着色した丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)、さらに紅絵に緑色など二、三色加えた紅摺絵(べにずりえ)が登場する。錦絵登場の直前、輪郭線すらも墨を用いず「露草」の青としたみずえ(みずえ)と呼ばれる、極端に彩度の低い多色刷りも生まれている。
- 中期
- 明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃。鮮やかな多色刷りの東錦絵(吾妻錦絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。下絵師、彫師、刷師の分業体制が整っていく。
- 後期
- 文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃。美人画、役者絵、武者絵のほか、旅行ブームに伴い名所絵(風景画)が発達。
- 終期
- 安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃。幕末から明治にかけて、横浜絵、開化絵、錦絵新聞など、西洋の事物や日本の世情紹介に浮世絵が大きな役割を果たす。戦乱を反映した無残絵、戦争絵も歓迎されたが、やがて浮世絵は、新聞、写真など他のメディアに押されて衰退していく。絵師は挿絵画家や日本画家に転じ、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
初期
明暦の大火頃から宝暦の頃までを指す。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。
17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場する。また、代表作として有名な『見返り美人図』は肉筆画である。
井原西鶴の『好色一代男』(1682年刊)には、12本骨の扇子に浮世絵が描かれていたとあり、これが浮世絵という言葉の確認出来る最古の文献である。
鳥居清信の時代になると墨摺絵に筆で着色したものが現れる。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹を使ったものを丹絵(たんえ)、紅を使ったものを紅絵(べにえ)と呼んだ。さらに紅絵に色を二、三色加えたものを紅摺絵(べにずりえ)と呼ぶ。この当時から鳥居派は歌舞伎と強く結びつき、現代でも歌舞伎の看板を手がけている。
中期
錦絵が誕生した明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃を指す。
明和2年(1765年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵(吾妻錦絵)を編み出したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。
鈴木春信の死後、美人画は中性的・人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。
安永期、北尾重政は写実的な美人画で人気を博した。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれた。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、美人画の大首絵を数多く手がけた。
寛政2年(1790年)、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。
寛政7年(1795年)、禁令のため財産を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出される。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、特徴を誇張しすぎ、人気が振るわなかったことと、歌川豊国『役者舞台姿絵』の絶大な人気に敗退した。
その後、豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていった。 Template:-
後期
文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃まで。喜多川歌麿の死後、美人画の主流は渓斎英泉が描くような官能的な色っぽい美人や可愛げに移っていく。
勝川春章の門人、葛飾北斎は旅行ブームに伴い『富嶽三十六景』を手がけ、それが元で歌川広重 によって『東海道五十三次』が刊行された。この2人によって浮世絵における名所絵(風景画)が発達した。
役者絵では歌川国貞が師匠歌川豊国の流れを受け継いで、力強い役者絵を手がけた。
また、草双紙で伝奇ブームに伴い、歌川国芳などによって武者絵が描かれるようになる。歌川国芳の『水滸伝』シリーズは当時人気を博し、浮世絵水滸伝ブームが起こる。
嘉永6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。 Template:-
終期
安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃を指す。この時期の主な特徴は、浮世絵以外の様々なジャンルとの相互乗り入れが頻繁に行われたことである。また、当時「洋赤」と呼ばれた安価な輸入染料が大量に使われ、前代から引き続き使われたプルシャンブルーと相まって、少々毒々しいまでの色彩が目立つ作品が多い。
黒船から、異人文化に興味を持った人々によって、横浜絵が流行する。維新後は珍しい西洋建築や鉄道を描いた開化絵が横浜絵にとってかわる。開化絵は、明治維新後の急激な社会変動の有様を写し、人々に伝えるジャーナリズムの役割を担った。
また、維新によって混乱した国内で歌舞伎や見世物でグロテスクなものが登場し、歌川国芳の門人落合芳幾と月岡芳年によって血みどろで無残絵と呼ばれる種類の『英名二十八衆句』や、新聞記事を題材とした新聞錦絵を描いている<ref>『幕末・明治のメディア展 : 新聞・錦絵・引札』 早稲田大学図書館編. -- 早稲田大学出版部, 1987 41-54頁</ref>。
月岡芳年は繊細で写生を重視した絵柄で、無残絵ばかりでなく数多くの歴史画、風俗画を手がけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、鏑木清方のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
また、河鍋暁斎のような狩野派の画家から浮世絵を描くものも登場する。
小林清親は西洋画をチャールズ・ワーグマンに学び、光線画と呼ばれる輪郭線を使わない西洋風の風景画を手がけた。
歌川芳藤は子供のための玩具絵と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫が受けて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。
明治初年から30年間における、錦絵の作画量・出版数は、幕末の15年間より遥かに多く、江戸時代200年間に出版された浮世絵の総量に匹敵する<ref>樋口弘編『幕末明治の浮世絵集成』 味灯書屋, 1955</ref>。しかし、制作体制は江戸時代の変わらぬ職人たちの手作業によっていたため、次第に浮世絵は、新聞や写真、石版画などの新技術に押されて衰退していく。浮世絵師は写真に対抗し工夫したが、多くの者が失敗し、挿絵画家などへの転向を余儀なくされた。江戸時代からずっと続いた浮世絵の歴史は、日清の戦争絵を最後に、日露戦争後にブームとなった絵葉書に席を譲り、ほぼ終焉を迎える。
大正から昭和にかけて、川瀬巴水らは浮世絵の復興を目する新版画として、浮世絵の木版多色刷り技法を活かした作品を多数残している。 Template:-
浮世絵師一覧
代表的な浮世絵師
- 初期(延宝から宝暦)
- 花田内匠、菱川師宣、菱川師房、古山師重、古山師政、菱川和翁、田村水鷗、山崎龍女、石川流宣、鳥居清元、鳥居清信、鳥居清倍、鳥居清満、懐月堂安度、長陽堂安知、懐月堂度繁、懐月堂度辰、懐月堂度種、懐月堂度秀、松野親信、宮川長春、宮川一笑、宮川長亀、宮川春水、西川祐信、西川祐尹、奥村政信、奥村利信、西村重長、石川豊信、鳥居清広、月岡雪鼎、川又常行、川又常正、杉村治兵衛、二代鳥居清信、二代鳥居清倍、万月堂、鳥居清忠、鳥居清重、鳥居清経、広瀬重信、鳥居清里、小川破笠
- 中期(明和から文化)
- 鈴木春信、礒田湖龍斎、北尾重政、一筆斎文調、岸文笑、勝川春章、勝川春好、勝川春英、歌川豊春、鳥居清長、勝川春潮、窪俊満、北尾政演(山東京伝)、北尾政美(鍬形蕙斎)、水野廬朝、恋川春町、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、栄松斎長喜、鳥高斎栄昌、一楽亭栄水、東洲斎写楽、歌川豊国、歌川国政、歌川豊広、酒井抱一、歌川国丸、鈴木春重(司馬江漢)、勝川春常、勝川春泉、勝川春山、喜多川藤麿、喜多川月麿、喜多川式麿、闇牛斎円志、歌舞伎堂艶鏡、玉川舟調、鳥橋斎栄里、鳥園斎栄深、五郷、一貫斎栄尚、琢斎栄玉、酔月斎栄雅、弄春斎栄江、栄烏、鳥喜斎栄綾、栄鱗、鳥卜斎栄意、葛堂栄隆、一掬斎栄文、鳥玉斎栄京、文和斎栄晁、鳥囀斎栄寿、酔夢亭蕉鹿、桃源斎栄舟、鳥龍斎栄源、十返舎一九、祇園井特
- 後期(文化から安政)
- 葛飾北斎、菱川宗理、昇亭北寿、柳々居辰斎、 魚屋北渓(葵岡北渓)、蹄斎北馬、柳川重信、高井鴻山、葛飾応為、大山北李(恒斎北李)、安田雷洲、牧墨僊、本間北曜、二代喜多川歌麿、喜多川雪麿、菊川英山、渓斎英泉、磯野文斎、二代鳥居清満(鳥居清峰)、歌川国安、歌川国虎、二代歌川豊国(歌川豊重)、三代歌川豊国(歌川国貞)、歌川国芳、歌川広重(安藤広重)、歌川豊広、歌川国政、勝川春扇、歌川国直、勝川春亭、歌川貞虎、歌川貞景、歌川貞房、歌川房種、歌川芳虎、歌川重丸、歌川貞広、玄珠斎栄暁、三畠上龍、吉原真龍、春好斎北洲、春梅斎北英
- 終期(幕末から明治)
- 歌川貞秀(橋本貞秀)、二代歌川広重(歌川重宣)、歌川芳藤、落合芳幾、月岡芳年、河鍋暁斎、豊原国周、三代歌川広重、三代歌川国貞、長谷川貞信、二代目長谷川貞信、小林清親、井上安治(井上探景)、田口米作、小倉柳村、楊洲周延(橋本周延)、小林永濯、尾形月耕、水野年方、山本昇雲、歌川芳鶴、歌川芳満
- 大正から昭和
- 土屋光逸、恩地孝四郎、川瀬巴水、北野恒富、小早川清、弦屋光渓、橋口五葉、山本鼎、吉田博、山村耕花、伊東深水
主な版元
娯楽出版物を扱う地本問屋(じほんといや)が浮世絵の版元となっている。当時、町人は苗字帯刀が許されておらず、鶴屋などは屋号で、苗字ではない。
- 鶴屋喜右衛門(鶴屋) - 老舗の一つ。「東海道五十三次」を途中まで出版。
- 奥村屋政信(鶴寿堂)
- 和泉屋市兵衛(甘泉堂・泉市) - 天明-明治初期の代表的版元。歌麿、広重、国貞などの作品を手がける。
- 西村屋与八 - 「冨嶽三十六景」など北斎作品を多く手掛ける。
- 蔦屋重三郎
- 丸屋甚八
- 三河屋利兵衛
- 山口屋藤兵衛
- 伊場屋勘左衛門 / 伊場屋仙三郎(伊場屋 / 伊場仙) - 東海道張交図絵(歌川広重)。元は幕府御用の和紙・竹製品店。それにもかかわらず、風刺絵や役者絵禁止令が出された後にも「落書き」と称して役者絵を出版している。団扇絵を多く手掛け、現在は日本橋で団扇、扇子、カレンダー業を営み、新宿伊勢丹、日本橋三越、銀座伊東屋などに出店している。
- 有田屋清右衛門 - 「東海道五十三次・有田屋版」(歌川広重)
- 伊勢屋利兵衛 - 「東海道五十三次 絵本駅路鈴」(葛飾北斎)
- 魚屋栄吉(魚栄)
- 上村与兵衛(上ヨ / 上村) - 後発の新興版元。弱冠22歳の歌川国政を抜擢し、鮮烈なデビューを飾らせた。
- 加賀屋吉兵衛
- 亀屋岩吉
- 川口屋正蔵
- 蔦屋吉蔵 - 「東海道五十三驛之図」、「東海道・蔦屋版」(歌川広重)
- 西村屋祐蔵 - 「富嶽百景」(葛飾北斎)
- 藤岡屋彦太郎 / 藤岡屋慶次郎 - 「東海道風景図会」(歌川広重・文:柳下亭種員)
浮世絵の題材と種類
- 美人画
- 女性を描いたもの。当時人気のあった店の看板娘、小野小町、八百屋お七、江戸百人美女など。化粧姿、入浴姿、遊女なども描かれた。
- 役者絵
- 市川団十郎など歌舞伎の人気役者や能などを描いたもの。ブロマイド的なものや、広告チラシの役割を持つものもある。
- 戯画
- 面白おかしく描いた絵。鳥羽絵を含む。こっけいな場面や、擬人化したものが登場する。風刺画的な要素もあるが、あくまでも娯楽性が強い。
- 鳥羽絵
- 手足の長い人物を描く戯画。鳥羽僧正から名前が来ている。初期の漫画をこのように呼ぶこともある。
- 漫画
- 絵手本。万の物を描いた画。現代の漫画とは違う。代表例が北斎漫画。
- 春画
- 性行為の場面や、性的なものを描くもの。性玩具のカタログや、性器の擬人化などがある。田舎では錦絵といえばこれを指すほどの主流。嫁入り道具にもなる。
- 名所絵
- 風景画。当時、自由に旅行できなかった民衆が、憧れの名所を知るためのもの。旅行のリーフレット的な役割も持つ。東海道五十三次、名所江戸百景、木曽街道六十九次など。
- 風物絵
- 桑名の蛤や山梨の葡萄など各地の名産を紹介したもの。
- 橋絵
- 橋を中心に描いた絵。眼鏡橋や萬代橋など。
- 武者絵
- 戦国武将の肖像から明智光秀の本能寺の変など戦記ものまで、伝記や伝説、歴史に登場する武者が描かれる。巴御前など女性武将も人気があった。伝奇ブームの後、特に流行った。幕府の規制によって、徳川家や天正年間以降の大名家に関する出来事は描けない。最後の将軍徳川慶喜、または徳川綱吉の御台所などは、明治時代に描かれた。
- 古典文学画
- 古事記、太平記、南総里見八犬伝、東海道中膝栗毛、三国志など。
- 御伽草子(昔物語絵)
- 浦島太郎、九尾の狐など。
- 楽器絵
- 三味線、琴、日本の胡弓演奏などの絵。
- 故事ことわざ絵
- 日本、中国などの故事ことわざの絵。二十四孝など。
- 和歌絵
- 奈良、平安時代の六歌仙などの和歌の絵。百人一首など。
- 歴史画
- 古代から明治維新まで。歴史の名場面を描く。維新後天皇家の正当性を高めるために歴代の天皇を描いたものなどがある。
- 徳川画
- 参勤交代、士農工商の絵、大奥の情景、桜田門外の変などの絵。
- 英雄伝画
- 斉藤道三、菅原道真など。
- 開化絵
- 国会議事堂、国立銀行、当時の人力車、自転車、車、駅舎や機関車の鉄道の絵など。
- 郵便錦絵
- 明治時代の郵便局、郵便船、郵便駅など。
- 玩具絵
- 双六やメンコに貼り付けたり、人気の浮世絵のミニチュア版、紙の着せ替え人形、紙の組み立て建築、尽くし絵と呼ばれる、たくさん妖怪や、武者などを集めたものなどもある。子供の遊び道具として様々な趣向が凝らされた。
- 見立絵
- 古典作品を江戸に置き換えた絵。パロディなども。
- 相撲絵
- 能見宿禰、雷電など力士の肖像や取組などの相撲を描いた絵。当時いた見世物力士のブロマイドなどもある。
- 張交絵
- 一枚の紙に色んな絵を入れたもの。
- 死絵
- 市川団十郎など有名な歌舞伎役者などが他界した際に出される絵。有名絵師のものもある。
- 子供絵
- 子供が鞠などで遊ぶ様子を描いた絵。
- 上方絵
- 関西の絵。
- 長崎絵
- 長崎で見られる異国の文化を描いた絵。長崎版画ともいう。
- 富山絵
- 富山の売薬人が地方へ散布した土産用の絵。富山版画ともいう。
- 横浜絵
- 横浜を舞台にした異国情緒あふれる絵。
- 異国人絵
- 亜米利加人、仏蘭西人、露西亜人、伊太利亜人、中国人などの絵。
- 鯰絵
- 安政の大地震後に登場した絵。鯰が地震を起こすという俗信から来ている。
- 疱瘡絵
- 天然痘を防ぐための護符。
- 団扇絵
- うちわに張られる絵。
- 源氏絵
- 源氏物語五十四帖、源頼朝、源為朝や平安貴族、江戸に置き換えた見立絵、偽田舎源氏など。
- 宮廷絵画
- 明治、大正の皇室関係の絵。
- 宗教画
- 江戸、明治時代から特に信仰を集めた伊勢神宮、上野東照宮、日光東照宮、鶴岡八幡宮、太宰府天満宮、靖国神社、地域の神社や釈迦の絵など仏教関係の絵。
- 戦争画
- 源平合戦、戦国時代の川中島の戦い、城攻めの絵、西郷隆盛の西南戦争、榎本武揚の箱館戦争、日清戦争、日露戦争など。
- 囲碁浮世絵
- 囲碁、将棋の図柄をモチーフにした絵。
- 朝鮮錦絵
- 古代から戦前まで。神功皇后や加藤清正など。月岡芳年など東京経済大学に主なコレクションがある。
- 中国画
- 古代中国、台湾の絵。
- 影絵
- 人物の影や影で他のものを表した絵。
- だまし絵
- 猫や人の群像で顔などを表した。歌川国芳が有名。
- 忠孝絵
- 忠臣蔵、曽我物語などが多く作られた。安寿と厨子王など。
- 花見絵
- 桜、梅、菊、アヤメの花見絵。
- 静物画
- 鶴亀、野鳥、魚介類などの静物画。
- 風刺画
- 社会風刺の絵。百撰百笑など。
- 火消し絵
- 火消しの肖像、はしごのりや火事の絵。
- お化け絵
- 四谷怪談などの絵。
- 風物絵
- 両国花火大会、ホタル狩りなどの絵。
- 稽古絵
- 茶道、生花、香道やマナーなどの絵。
- 伝統行事絵
- 羽子板、雛祭り、蹴鞠、七夕、節句など。
- 山海信仰絵
- 富士山、鳴門の渦潮、華厳の滝や磐梯山噴火など。
- 老舗絵
- 三越、三井、山本山など老舗の絵。
- 錦絵新聞
- 世相を映した新聞絵。
- 無残絵
- 血みどろ絵。
- 大津絵
- 大津地方の絵。
- 手仕事絵
- 養蚕、機織、刀鍛冶などの絵。
- 遊郭画
- 吉原の遊郭の遊女や館の絵。
- 豪傑絵
- 武蔵坊弁慶、石川五右衛門、熊谷直実、白井権八、左甚五郎、鄭成功や足柄山の金太郎など豪傑の絵。
- 謎絵
- 中世の風俗、習慣、物語などで、現代では判らない浮世絵は膨大にある。更なる研究が必要。
浮世絵版画制作法
浮世絵を描く人を浮世絵師、または絵師(画工)と呼んだ。浮世絵師が描いたデザインを木版に彫るのが彫師(彫工)、彩色して紙に摺るのが摺師(摺工)である。共同作業の作品だが、絵師の名だけが残される風習がある。ここに注文主を加えた四者が最低でも必要になる。
多色刷りの際に色がずれないように紙の位置を示す「見当」(現在のトンボ)がつけられる。これは1744年に出版物の問屋の主人・上村吉右衛門が考案したとする説と、1765年に金六という摺師によって行われたとする説がある。また、鈴木春信と交流した平賀源内が発明したとも言われる。現代でも使われる「見当を付ける」「見当違い」「見当外れ」という言葉はここから来ている。 Template:節stub Template:-
浮世絵の飾り方
昔は白壁にのりで貼ったり、洗濯ばさみで吊るしたりしていた。現代では、美術館や家庭でも、浮世絵にはとても薄いものもあるので、額にコピー用紙や画用紙など白っぽい紙を背景にして、額のアクリルやガラス板に挟み、ずれ落ちる時には裏に紙などを重ねて調整する。明るい背景で、浮世絵は浮き立つことがある。または版画専用マットに浮世絵の問題ない部分にのりやテープで最小限止めて落ちるのを防ぐこともある。浮世絵は長持ちするけれども繊細なため、丁寧な取り扱いが必要である。直射日光を避け、暖房風が直接当たったり、照明の熱に直接触れないようにしなければならない。お茶などをこぼして濡らしてはならない。
額に入れないときの保存方法としては、地面に平らに置いておくことが良く、箪笥、桐箱、木箱、プラスチックの箱や文具ファイルなどの中に紙で一枚一枚挟んで寝かしておくことが特に望ましい。雨天などの持ち運びには、ファイルやビニールなどに入れて、セロテープなどで、端を固定し水気を直接触れないようにすることが必要である。
浮世絵の「色」
浮世絵版画に用いられたのは比較的安価な植物性、鉱物性の染料・顔料であった。
黒は墨。初期の墨一色で摺ったものは「墨摺絵」と呼ばれる。白(胡粉)は蛤の殻(炭酸カルシウム)を砕いて作る。
赤色系では
黄色系では
青色系では
などがあり、紫などの中間色はこれらの掛け合わせで表現した。その他、豪華さを出すために金銀や雲母粉が用いられた。無地背景に雲母粉を用いたものは「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる。
非常に退色しやすく、印刷当時の色を残すものは稀である。ボストン美術館のスポルディングコレクション(約6500点)も、「展示の厳禁」を条件に寄贈したスポルディング兄弟の意思を汲み、原則的には非公開である(デジタル画像による閲覧は可能)。
幕末から明治にかけて、鮮やかな舶来顔料が使えるようになり、この時期の錦絵の特色ともなっている。
評価と影響
明治時代以降、浮世絵は日本では軽視され、多量の作品が日本国外に散逸した。この為、絵画作品としての浮世絵研究にあっては、正当かつ体系的・学問的な研究は為されておらず、個々の収集家や研究者によって、知見の異なる主張が部分的・断続的に繰り返されるのみである。また、鈴木春信、喜多川歌麿等の作品を始め、多くの有名作品の偽造品が流通してしまった経緯が江戸時代当時から存在している<ref>偽造品について:小林忠『江戸浮世絵を読む』ちくま新書 2002年 17-22頁。</ref>。
一方、欧米諸国では、浮世絵は印象派の巨匠たちに見い出されて高く評価され、その作品に影響を与え、油絵による模写もされている。欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外に個人コレクションもあり、外国美術品としてこれだけ収集されているのは浮世絵だけである。ボストン美術館には5万点、プーシキン美術館には3万点など、万点以上収蔵しているところも少なくない。
色鮮やかな紙の絵画、版画群は、世界で浮世絵だけであり、西洋美術にもこの分野はないことが評価につながっていると思われる。また大量の流失品には、歌麿を始めとする比較的簡潔な構図が多く、複雑な構図に極彩色の浮世絵は意外に少ない。日本国内には、日本国外への流出分の何倍かは残っており、世界に稀に見る芸術作品群として、西洋の評価だけにとらわれない更なる研究が進むことが望まれている。
また中世の庶民の多様な生活を描き、記録している資料は世界に浮世絵しかないことも貴重である。明治時代の文献によると、無名の絵師を含めると、2000人近い絵師がその当時までにいたということである。当時は版画の場合、一作品に100から200枚は摺ることもあって、多くの浮世絵が市中に出回っており、高品質の芸術品がこれほど庶民の間で広まっていたのも世界に例がない。
日本の主要な個人コレクション
- 津島コレクション:房総浮世絵美術館
- 浦上コレクション
- 小針コレクション:光記念館
- 酒井コレクション:日本浮世絵博物館
- 高橋コレクション:慶應義塾図書館
- 福富太郎コレクション
- 松方コレクション:東京国立博物館
- 氏家コレクション:鎌倉国宝館
- 出光コレクション:出光美術館
- 大谷コレクション:ニューオータニ美術館
日本国外からの影響
ジャポニスムに影響を与える一方で、浮世絵には日本国外からの影響もある。ドイツに起源を持つ人工顔料ベロ藍(「ベロ」はベルリンより)は、鮮やかな発色を持ち、葛飾北斎らによって使われた。西洋の遠近法や陰影の技法も取り入れられている。
日本国外への影響
1865年、フランスの画家ブラックモンが、陶器の包み紙であった『北斎漫画』を友人らに見せて回ったことで、印象派に大きな影響を与えた。このことにより、日本では庶民の娯楽であり、読み古されたものやミスプリントが船便の梱包材に使われるほど安値で取引されていた浮世絵は、ヨーロッパで当時の日本人には考えられないほどの高値で取引される事になった。
ゴッホが『タンギー爺さん』という作品の背景に浮世絵を描いたり、広重の絵を油絵で模写したり、マネの『笛を吹く少年』が浮世絵の影響を受けていることは有名である。
さらに、ジャポニスムの影響と日本美術を取り扱っていたビングによってアール・ヌーヴォーには浮世絵のように平面的な意匠がみられる。
ドビュッシーが北斎の『神奈川沖波裏』に触発されて『交響詩“海”』を作曲するなど(1905年に出版されたスコアの表紙になっていたり、書斎に飾ってあることが分かる写真がある)、影響はクラシック音楽にも及んだ。
脚注
<references/>
関連項目
参考文献
- 大久保純一 『カラー版 浮世絵』 岩波書店〈岩波新書〉、2008年11月 ISBN 978-4-0043-1163-8
- 国際浮世絵学会編『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年6月 ISBN 978-4-4901-0720-3
- 小林忠 『江戸浮世絵を読む』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2002年4月 ISBN 978-4-4800-5943-7
- 小林忠・大久保純一 『浮世絵の鑑賞基礎知識』 至文堂、1994年5月 ISBN 978-4-7843-0150-8
- 稲垣進一編 『図説 浮世絵入門』 河出書房新社、1990年9月 ISBN 978-4-3097-2476-8
外部リンク
- 錦絵の風刺画1842-1905 ウィーン大学東アジア研究所のデーターベース
- 浮世絵の制作について アダチ版画研究所のHP
- 渋沢栄一記念財団 実業史錦絵・絵引
- 大阪府立中之島図書館 錦絵にみる大阪の風景
- 江戸東京博物館
- 日本浮世絵博物館
- 上方浮世絵館役者絵を中心とする浮世絵専門美術館
- 国際浮世絵学会
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