棟方志功

出典: Wikipedio


Template:Infobox 人物 棟方 志功(むなかた しこう、1903年明治36年)9月5日 - 1975年昭和50年)9月13日)は日本人板画家青森県出身。20世紀美術を代表する巨匠の一人。

1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。

目次

来歴

作風・人物

棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けている。大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。第二次世界大戦中、富山県疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』などを題材にした作品が特に有名である。

「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ。自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」 と言っている。

エピソード

  • ゴッホのファンになって以来、頻繁にゴッホの名を語る棟方に対し周囲の知人は「風邪でも引いたのか」とからかったという。
  • 志功は「アイシテモ愛しきれない オドロイテモ驚ききれない ヨロコンデモ喜びきれない カナシンデモ悲しみきれない それが板画です」と言った。
  • 版画の「はん」を版ではなく板と書いてハンと読ませる。それは板の性質をちゃんと使うためであり、版だとそれを半分にしていることになるからだそうである。
  • 埼玉県行田市にある「十万石ふくさや」が販売する「十万石饅頭」のパッケージデザインを手がけている。
  • 富山県小矢部市にある「若林屋総本家」が販売する最中『三国一』の包装紙のデザインを手がけている。
  • 清綱彫刻刃物製作所の彫刻刀を愛用。
  • 棟方志功の作品名につく「柵」について、棟方志功は以下の様に語っている。
    • 「柵というのは、垣根の柵、区切る柵なのですけれども・・・・・・私の「柵」はそういう意味ではありません。字は同じですが、四国の巡礼の方々が寺々を廻られるとき、首に下げる、寺々へ納める廻札、あの意味なのです。この札は一つ一つ、自分の願いと信念をその寺に納めていくという意味で下げるものですが、私の願所にひとつひとつ願かけの印札を納めていくということ、それがこの柵の本心なのです・・・・・・たいていわたくしの板画の題には「柵」というのがついていますけれども、そういう意味なのです。一柵ずつ、一生の間、生涯の道標をひとツずつ、そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく。柵を打っていく、そういうことで「柵」というのを使っているのです。」

作品

「画集」は相当数あり、装画等で共著も多い。「板画」の代表作は以下

  • 釈迦十大弟子
  • 御鷹揚げの妃々達々
  • 大和し美し
  • 東海道棟方板画
  • 板画奥の細道  講談社文庫で1979年刊
  • 『棟方志功作品集 富山福光疎開時代』 東方出版、2004年
  • 『棟方志功 ヨロコビノウタ』 棟方板画美術館編、二玄社 2003年

著書

主な共著

熊谷守一中川一政東郷青児共著 

ゆかりの施設

250px|thumb|棟方志功記念館(青森市)

家族

長男は俳優の棟方巴里爾(妻は浜田庄司の娘)、次男は美術館長、長女は宇賀田けよう、次女は「絵手紙フォーラム遊彩」会長の小泉ちよゑ。

関連項目

外部リンク

en:Shikō Munakata

個人用ツール