桜庭和志

出典: Wikipedio


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桜庭 和志(さくらば かずし、男性、1969年7月14日 - )は、日本プロレスラー総合格闘家秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)出身。UWFインターナショナルキングダム高田道場を経て、Laughter7を主宰。株式会社39代表取締役。3児(男の子3人)の父。

秋田市立秋田商業高等学校卒業、中央大学商学部中退。

レスリングをベースに持つ。1990年代末 - 2000年代初頭頃のPRIDEにおいて、強豪外国人に対し、互角以上の戦いを演じた数少ない日本人選手の一人。

総合格闘技の試合では滅多に見られないような変則技を繰り出して対戦相手を翻弄し、観客を沸かせることからIQレスラーと呼ばれ、人気を博した。また、様々な総合格闘家が苦杯をなめてきたグレイシー一族に対し何度も勝利したことからグレイシー・ハンターとの異名もとる。

目次

来歴

レスリング

小学生の頃に当時ブームを呼んだタイガーマスクに憧れ、秋田市立秋田商業高等学校ではレスリング部で活躍。中央大学レスリング部では主将を務め、卒業後にはスポーツクラブのインストラクターに内定していたが、4年間で卒業できず、内定を辞退。5年生のときに入団テストを受け、プロに転向。その際大学を中退。

UWFインターナショナル

1992年7月にUWFインターナショナルへ入団した。当初は藤原組の入団試験を受けるつもりだったという。UWFインターではレスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得。この頃に桜庭の総合格闘家としての下地が築かれた。1993年8月13日にプロデビューを飾るが、UWFインターは1996年12月に解散。在籍中はキモとの対戦もある<ref name="kamipro130">UWFインターナショナル取締役だった鈴木健はキモとの試合は、結末が決まっており、シュートマッチ、真剣勝負ではなかったことを後に明かしている(『kamipro』No.130、エンターブレイン。鈴木健インタビュー)</ref>。またこの時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方をしていた。一夜限りのプロレス復帰を果たした2000年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2000でも技をかける際に大声を出している。

キングダム

UWFインター所属選手のほとんどが参加した新団体キングダムへ移籍。キングダムはオープン・フィンガー・グローブを着用した顔面殴打ありのルールを採用した団体で、桜庭にとってはUWFルールからPRIDEルールへの橋渡しとなった。1997年12月21日、怪我で欠場した先輩の金原弘光の代役として急遽UFC Japanヘビー級トーナメントに出場。マーカス・"コナン"・シウヴェイラに一本勝ちし、UFC-J王者となった。このとき「プロレスラーは本当は強いんです」と発言した。なお、このトーナメントは日本大会限定で行われたため、UFCの正式な王者となったわけではない。

PRIDE

グレイシー撃破

1998年高田延彦主宰の高田道場へ移籍。PRIDE.2ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビュー。

1999年4月29日のPRIDE.5では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝ちを収めている。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートンPRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガPRIDE.6)、アンソニー・マシアスPRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。

1999年11月21日のPRIDE.8ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーとの対戦を迎える。1Rから15kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続けた桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、島田レフェリーが試合をストップした。ホイラーは抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください!」とヒクソンに対戦を要求した。

2000年1月、桜庭は「PRIDE GP 2000」に出場する。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求<ref>ホイス陣営、ルール変更を一方的要求 BoutReview 2000年3月13日</ref>、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなど観客を沸かせ続けた。桜庭がホイスの左足にローを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオンがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では途中から押される展開に。1R終了後の判定ではドローとなったものの、陣営がレフェリーにタオルを手渡し、TKO負けとなった。

2000年8月27日、PRIDE.10ヘンゾ・グレイシーと対戦。バックを捕られるもアームロックで切り返し、TKO勝ち。12月23日のハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我をして10分1Rに変更、試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。

グレイシー狩り」と呼ばれたグレイシー一族相手の4連勝を果たし、「グレイシー・ハンター」の異名を取った。ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルでファンを魅了し、高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる。

シウバとの闘い

2001年3月25日、PRIDE.13ヴァンダレイ・シウバと初対戦し、この大会から解禁されたサッカーボールキックでTKO負け。続いて参戦したPRIDE.15では初参戦のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと激突、下からの腕ひしぎ十字固め三角絞めをことごとくパワーボムで返すというジャクソンのパワーに手こずるも、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収めた。

2001年11月3日、PRIDE.17で新設されたPRIDEミドル級王座が新設され、同時にPRIDEミドル級の設定が93kgとルールに追加された<ref>PRIDE.17東京ドーム レポート&写真/桜庭、涙のドクターストップ BoutReview 2001年11月6日</ref>。当時の桜庭の通常体重は83kgから84kgで、桜庭自身が希望していたミドル級は90kg以下だったが、以後のPRIDEで、桜庭はこの条件で戦っていくことになった<ref>『帰ってきたぼく。』p.152。</ref>。PRIDE.17ではミドル級王座を賭けてヴァンダレイ・シウバと再戦するが、シウバの投げでマットに叩きつけられた際に左肩を脱臼しTKO負け。王座獲得には至らなかった。翌2002年8月28日にはDynamite!のメインイベントでミルコ・クロコップと対戦するも、下からの蹴り上げで眼窩を負傷しTKO負け。キャリアでは初の連敗となった。その後も膝に慢性的な故障を抱え、出場が不安定な時期もあった。

2003年8月10日、ミドル級GPに出場、シウバに3度目の挑戦をする。試合はスタンドで打ち合う展開が続くが、1R5分、ローキックに合わせシウバにワンツーを打ち込まれて失神KO負け、対シウバ3連敗となってしまった。

2003年12月31日、PRIDE 男祭り 2003のメインイベントでアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、判定負けを喫した。開催前には、UWFインターナショナル時代の先輩田村潔司との対戦オファーがあるも、田村が準備期間の短さを理由に拒否したため実現しなかった。

2005年2月20日のPRIDE.29で、アリエフ・マックモドと対戦し、精彩を欠いた勝利に終わった田村に対し、リングサイドから「こんな試合じゃつまらないでしょう。田村さん、僕と勝負してください」とマイクアピールをしたこともあったが、田村は無言でうつむいたままリングから去っていくなど、対戦を何度か申し込むもなかなか実現には至らず<ref>十年越しの対決=U という名の大河物語最終章へ 田村vs桜庭は「Uの墓標」か?(1) All About 2005年2月21日</ref>。

2005年、ミドル級GPに出場し、1回戦ではユン・ドンシクを破り、2回戦ではヒカルド・アローナと対戦。タックルをパワー差で切られるとガブりの体勢からアローナに膝蹴りを貰い続け、2R終了時には顔面は鮮血に染まり変形していた。自力で起き上がることもできず、タオルが投入された<ref>日本人全滅。ミルコ完勝 BoutReview 2005年6月27日</ref>。この試合を契機に主戦場としていた「ミドル級(-93kg)」は桜庭の適正体重に比べて重すぎるので「ウェルター級(-83kg)」に転向すればいいのではないのか、というファンや関係者からの声があがった<ref>PRIDE 榊原代表、桜庭戦の負傷ストップ問題に関してコメント BoutReview 2005年6月27日</ref>。だが本人は「ミドル級より軽い階級には興味はない」と語っていた。

2005年8月、シュートボクセ・アカデミーに出稽古のためブラジルに渡航している<ref>桜庭がシュートボクセに武者修行 宿敵・シウバとガチンコ・スパーリングも スポーツナビ 2005年8月19日</ref>。PRIDE.30においてケン・シャムロックをシュートボクセ仕込みの打撃でKOした際は、アカデミー会長のフジマールと抱きあって共に勝利を喜んでいる。

2006年3月31日、8年2か月所属した高田道場を退団。フリーランスとなり、高田道場時代の後輩の豊永稔高橋渉佐藤豪則と行動を共にする。

HERO'S

2006年5月3日のHERO'Sにおいて、タイガーマスクを被りリングに登場。翌日に会見し、正式にHERO'Sへの参戦を表明した。なお、HERO'Sへの移籍表明の後、高田延彦から「彼とはもう酒も食事もすることは無い」と事実上の絶縁状を叩きつけられた。高田は絶縁の理由として、移籍そのものが原因ではなく、前もってではなく、移籍表明の後に挨拶に現れた桜庭について「筋が通っていない」とし<ref>HERO'S 桜庭移籍について榊原DSE代表「家族に裏切られた気持ち」 BoutReview 2006年5月6日</ref>、同時にPRIDEとK-1が敵対していた関係上、PRIDE統括本部長の役職を務めていた自らがHERO'Sの選手と親しくすることは立場上出来ないこと<ref>『ゲーテ』2006年4月号(幻冬舎)、高田延彦インタビュー。</ref>を説明した。

HERO'Sではそれまで各ラウンドを5分で行っていたが、桜庭の要求に伴い、桜庭の階級である85kg級のライトヘビー級だけがPRIDEと同じく1R目を10分という変則的な形のルール変更が行われた<ref>やっぱり主役は、“サク咲く”桜庭和志 HERO'S 公式サイト 2006年8月4日</ref>。

2006年8月5日に行われたケスタティス・スミルノヴァス戦において顎を打ち抜かれ半失神状態にまで追い込まれたが、ガス欠を起こしたケスタティスに執念の打撃を浴びせた後、腕ひしぎ十字固めで勝利した。試合中に桜庭は殴り倒されて意識が朦朧となるが、レフェリーはこの状態をダウンと取らず、ドントムーブから試合再開。この判断が物議を醸した。10月9日の準決勝で秋山成勲との対戦が決定するも、9月25日の練習中に嘔吐し、検査の結果、脳には異常が無かったが、椎骨脳底動脈血流不全と診断され、欠場となった<ref>桜庭和志、無念のドクターストップ! 10.9HERO'S欠場「椎骨脳底動脈血流不全」で1か月の安静が必要 スポーツナビ 2006年9月27日</ref>。

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで改めて秋山成勲と対戦。秋山の打撃のラッシュを浴び、上からパウンドをもらい続け、1R5分37秒TKO負けとなった。しかし、桜庭は試合序盤タックルに行った際に秋山の足が滑ると感じ、レフェリー梅木良則にタイムを要求したが受け入れられず、その後は秋山の打撃を一方的に浴び続けた。パウンドを浴び続けている間も桜庭はレフェリーに「滑る!」「反則だよ!」とアピールしたが受け入れられなかった。結局秋山のパウンドを受け続けている状態が危険と判断され、ゴングが鳴らされTKO負け(レフェリーのストップが先ではなく審判長によるストップ)となるも、桜庭は試合が止められた後も秋山を指さし、「すごい滑るよ!」などと怒りを露にした。数日後、秋山が試合前に全身にスキンクリーム(米国製)を塗っていた事実が明らかにされ、この試合は秋山の反則行為によりノーコンテストとなった(詳細とその後は秋山成勲の頁を参照)。

2007年3月12日、HERO'S開幕戦でユーリー・キセリオから一本勝ちをとった試合後のMCで大晦日の試合内容には一切触れず、ファンに対しての謝罪にとどまった。

2007年4月8日、PRIDE.34のリング上にタイガーマスクの覆面姿で登場し、同時に田村潔司もスーツ姿で登場した。この日がDSE代表として最後の興行となった榊原信行の夢のカードであったという田村との対戦を示唆した。

2007年6月3日、Dynamite!! USAホイス・グレイシーと再戦。0-3の判定負けを喫した。リベンジを許してしまった。

2007年8月28日のHERO'S記者会見において、7月16日の大会で現役復帰を表明していた船木誠勝に「桜庭選手と試合をしてみたい」と対戦要求を受けた。

2007年9月頃に高橋渉、佐藤豪則らと自らのチーム「チーム桜畑」を結成。9月17日のHERO'Sで、「チーム桜畑」vs田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の対抗戦も行われた。自らは柴田勝頼と対戦。テイクダウンを奪うとパウンドを連打し、最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後、リング上で「次、船木さん試合お願いします」と船木の対戦要求に応え、更にリングサイドで観戦していたヒクソン・グレイシーに「お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします」と対戦を呼びかけた。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!のメインイベントで船木誠勝と対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ち。

2008年4月1日、東京都品川区に自身の総合格闘技ジム「Laughter7」をオープン<ref name="sponavi20080324">桜庭和志が改めて否定「トーナメントには出ません」 DREAM新拠点「Laughter7(ラフターセブン)」がオープン スポーツナビ 2008年3月24日</ref>(「桜畑道場」としての仮オープンは2007年12月3日)。

DREAM

2008年4月29日、DREAM.2のミドル級トーナメント1回戦でアンドリュース・ナカハラと対戦し、フェイスロックで一本勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、TKO負け。序盤のマヌーフのハイキックを受けた際に左腕尺骨を骨折した。

2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のメインイベントで田村潔司と12年半ぶりに対戦し、判定負けを喫した。ちなみに、この時の入場では、仮面ライダーをモチーフとした入場がされた。

2009年10月6日、DREAM.11で現役プロボクサールビン"Mr.ハリウッド"ウィリアムズと対戦し、アームロックで一本勝ち。大会3日前の10月3日に出場が発表されるという緊急出場となった<ref>【DREAM】10・6大会まであと3日!桜庭がYoutube「DREAMチャンネル」で参戦を発表 GBR 2009年10月3日</ref>。

2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12に連続参戦。ゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦し、膝十字固めで一本勝ちを収めた。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜の開会式にエヴァンゲリオン初号機仕様のマスクを被って登場し、開会宣言を行った<ref>FieLDS Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 対戦カード DREAM 公式サイト 2009年12月31日</ref>。この日に向けて三崎和雄戦も検討されていたが「試合ができるコンディションではない」として欠場<ref>「全勝で潰してやりたいと思います」ピリピリムードの記者会見! 青木真也、川尻達也がSRCとの対抗戦に出陣だ!! DREAM 公式サイト 2009年12月22日</ref>。2008年まで4年連続で大晦日興行のメインイベンターを務めていたが、試合への出場はなかった。

2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14ハレック・グレイシーと対戦し、判定負け。

人物・エピソード

戦績

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獲得タイトル

  • 東日本新人戦 優勝
  • 全日本学生レスリング選手権 第4位
  • UFC-JAPAN ヘビー級トーナメント 優勝
  • プロレス大賞 最優秀選手賞(2000年)

得意技

腕ひしぎ十字固め
キムラロック
グラウンド状態で相手前方から片腕をチキンウィングアームロックに取り、首に足をかけて支点を作り絞り上げる関節技。
ゆりかもめ
グラウンド状態で掛ける複合関節技。かけた後、自ら身体をゆりかごのように揺らすことで更なるダメージを与えることから命名。
はずかし固め
相手は股を大きく開いて非常に恥ずかしい体勢になる。実はオリジナルはヴォルク・ハンで単なるパフォーマンスでなく、股裂きとして立派に効果がある。
モンゴリアンチョップ
幸せチョップ
ダブルチョップ。お手手のシワとシワを合わせて幸せ。
炎のコマ
相手の片足を掴んでグルグル回ることによって摩擦によって相手の背中にダメージを与える。
サクラバードキック
猪木アリ状態で寝ている相手を飛び越えて相手を踏みつける。

入場曲

  • SPEED TK REMIX

メディア出演

コマーシャル

テレビ

格闘技の選手としては異例の、レギュラーの冠番組。2001年1月9日 - 3月27日(全12回)、毎週火曜21:54 - 22:00。提供はスクウェア。団体ではなく、格闘技の選手個人のみにスポットを当てた中京広域圏ローカルのミニ番組
プロフィール、得意技、人柄など「桜庭和志とは一体何者なのか?」という、云わば「桜庭和志徹底解剖」といった趣の内容であった。

パチスロ

著書

脚注

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関連項目

外部リンク

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