松本零士

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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:Infobox 漫画家 松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、本名:松本 晟(まつもと あきら)、男性、1938年1月25日 - )は、日本漫画家福岡県久留米市生まれ、東京都練馬区在住。血液型B型

宝塚大学教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。漫画家の牧美也子とは24歳で結婚。早稲田大学大学院教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本将は実弟。

代表作に『銀河鉄道999』など。SF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争もの、動物ものなど様々なジャンルの漫画を描いている。アニメの製作にも積極的に関わり、1970年代半ばから1980年代にかけては松本アニメブームを巻き起こした。アニメ化されてヒットした作品から冒険活劇の作家という印象もあるが、作品の多くに死の影や夜の色と不条理性がかぶさった、耽美的な要素を強く持つ。

目次

経歴

福岡県久留米市で、石ノ森章太郎と同じ年月日に生まれる。父親が陸軍で飛行機のテストパイロットをやっていた関係で、4歳から6歳まで兵庫県明石市の航空機メーカーの社宅に住んでいた。第二次世界大戦中は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開。このときアメリカ軍機動部隊の戦闘機や松山市へ空襲に向かうB29などの軍用機を多数目撃、この体験が後の作品に影響を与えたという。父親は陸軍航空隊少佐のパイロットで特攻隊の少年兵の教官を務め四式戦闘機(疾風)に乗って、終戦の日まで連合軍と戦っていたという。戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、松本の父は「敵の戦闘機には乗れない。」と言い、野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住みその境遇を自ら進んで赤貧へと落とした。しかし、家族で父に反対する者はおらず松本少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足。」と行商のリヤカーを押したという。この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にハーロックや沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけて潰した。」という。

終戦後は福岡県小倉市(現・北九州市)に移る。小学生のときからの漫画少年で、高井研一郎らと同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。1954年福岡県立小倉南高等学校1年生のときの投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』に掲載されデビュー<ref>副賞の置時計はすぐ贈られてきたが学童社の資金的問題からか賞金の5000円は送られてこず、修学旅行で上京した際に学童社を訪れた際にその場で手渡されている。</ref>。そのときから中央でも既に知られる存在で、手塚治虫が逃亡先の九州で原稿を描くときに高井、松本ら九州漫画研究会に手伝いを頼んだというエピソードもある。高校卒業後の1957年毎日新聞西部本社版で連載をするはずだったが急に担当者が代わりその話は反故にされた<ref>「ぴーぷる最前線松本零士」には編集長と高校を卒業したら嘱託とするとの約束があったが編集長の交代により反故にされた旨の記述がある。</ref>ものの、月刊少女雑誌『少女』の連載が決定して上京。『少女』と『少女クラブ』に不定期で描く少女漫画家で出発、少女漫画においてスランプに至った頃にはライターとしてタレントの取材などを手がけ、その後1960年前後から少年誌、青年誌にも進出。デビュー時は「松本あきら」名義を使用しており、「松本零士」を使うようになったのは1965年以降である(後述)。

少年時代から海野十三H・G・ウェルズSF小説を愛読して育ったため、SF漫画などを好んで描いていたが、不人気で打ち切りも多く、出世作となったのは1971年から『週刊少年マガジン』に連載した「男おいどん」である。大人気作となり、1972年に講談社出版文化賞受賞。松本ならではの、四畳半ものという独自のジャンルを開拓し、他に『元祖大四畳半大物語』『聖凡人伝』といった作品がある。

1974年から放映されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』には企画の段階から参加。メカニックデザイナーとしての招聘だったが、かねてからアニメ作りを願望していた松本は全面的に携わった。本放送時には低視聴率に終わったものの、再放送によって人気を得、1977年の劇場版アニメ公開時には社会現象を巻き起こした。これがアニメブームのきっかけとなり、松本はアニメ制作会社の東映動画にイメージクリエイターとして起用され、テレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』『SF西遊記スタージンガー』にデザインを提供。また、自らも企画として温めていた『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』がヤマト人気によりアニメ化が決定され、特に『銀河鉄道999』は大ヒットし、松本零士ブームが到来した。数々の松本アニメが作られたが、やがて1982年の劇場アニメ『わが青春のアルカディア』、テレビアニメ『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』でひとまずブームは終息を迎える。

1980年代後半からは、宇宙開発事業団などさまざまな団体の役職に就任。また、漫画の執筆では、自作の異なる作品に登場した人気キャラクターを同一の作品世界にまとめる作業を進める。往年の松本アニメブームで育ったクリエイターにより、1990年代後半以降、再び松本作品を原作としたアニメのリリースが活発となった。

2003年には、画業50周年記念作品として『銀河鉄道999』から派生した『銀河鉄道物語』が発表された。

2006年宝塚造形芸術大学のメディア・コンテンツ学部の教授に就任。

自身の作品のパチンコ化に精力的に取り組んでおり、大手パチンコメーカー三共とのコラボレーション "SANKYO×松本零士" としてCRフィーバー大ヤマトCRフィーバー銀河鉄道物語CRフィーバーキャプテンハーロックの3シリーズのパチンコ機が登場している。なお松本零士は宇宙戦艦ヤマトの著作権を保持していないことから「大ヤマト」では登場人物や乗り物をわずかに変えて "類似品" としての登場となったが東北新社から訴訟を起こされ、和解金2億5千万円を支払うことになった(後述の宇宙「戦艦ヤマト裁判」も参照のこと)。

ペンネーム

デビューから1968年までは本名のひらがな表記である松本 あきらペンネームを使用。松本零士名義は1965年から松本あきら名義と並行して使い始め、1968年に松本零士にペンネームを一本化した。ペンネームの由来は、“零歳児の感性をいつまでも忘れずに”というモットー、夜半―午前零時を過ぎないとアイデアが浮かばない事が度々あった事、“毎日夜零時まで働く士(サムライ)”から。

2008年5月に北九州で行われた『毎日フォーラム』では“零士の零は無限大の「れい」、士は「さむらい」、また本名である「あきら」とも読む”と語った。零士を英語で表記する場合、Reijiとはせず、Leijiとする。Lは百獣の王Lion(ライオン)のLを使用するとのこと。

松本作品におけるスター・システム

松本零士作品には「ハーロック」や「トチロー」「エメラルダス」のように、複数の作品に登場するキャラクターが存在する。これは作品自体がクロスオーバーしていることもあれば、単に名称が同じという場合もある。またパラレルワールドのように「背景世界はつながっていないが、その世界における性格や役割が似たキャラクター」として登場する場合もあり、一種のスター・システムといえる。

自身の飼い猫をモデルにした「ミーめ」あるいは「ミーくん」というトラジマの猫と、首の長く奇声を発する奇怪な外見の「トリさん」も松本零士作品にしばしば登場する動物キャラクターである。なお、原作者の松本自身も自らのアニメ映画などでカメオ出演している。

作品リスト

漫画

アニメ化された作品

原作がアニメ化されたもの、アニメの企画に関わったものを記す。アニメと並行して描かれたコミカライズ作品は前項に記す。

テレビ

映画

OVA

その他

  • アレイの鏡(1985年)
  • セントエルモ 光の来訪者
  • まんがビデオ 宇宙海賊キャプテンハーロック
  • 銀河鉄道物語〜最果ての天使アンジェラ〜(2009年)ドラマCD

その他の仕事

right|thumb|250px|西武3000系車内に書かれた直筆サイン [[ファイル:Igatetsu-200.JPG|right|thumb|250px|伊賀鉄道200系201号の運転台側乗務員用ドアの横に直筆サインが書かれている。車体デザインの提供も行っている。]]

創作・著作権に対するスタンス

Template:観点 日本漫画家協会著作権部責任者やコンピュータソフトウェア著作権協会理事などの役職を持つ立場にあることもあって、著作権に対し敏感な面があり、過去に著作権関連のシンポジウムで「孫子の時代まで自分の著作権を守りたいというのが心情だ」と述べたこともあるほか、自らが過去に漫画の中で使用した台詞等の表現を『創作造語』と称し、それに似た表現を他者が無断で使うことに否定的な見解を示している<ref>権利強化を求める権利者サイドの声〜パネルディスカッション - Internet Watch</ref>。

松本が著作権に強硬なのは、自分のあずかり知らぬところで、第三者によって自分の創作が意図に反した使われ方をされるのが我慢できないからだという。しかし訴訟をする方法論を選択する事は、訴えられた側から損害賠償を起こす引き金になっている。時には自身の権利を自己流に解釈し、マスコミを利用して正当性をアピールする事もあり、それにより第三者は名誉毀損や損害を蒙る事もある。松本は、『宇宙戦艦ヤマト』や戦場ものなどを描いており、戦没者や民族感情には敏感であり、2002年には自らが原作のテレビアニメ『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』がダビデの星を敵のデザインに使ったことから、ユダヤ人感情に配慮して一時製作中止にさせたこともあった。権利関係に非常にシビアである印象を持たれるが、作家に対する敬意があり、無断で使うのでなければ他の漫画家やミュージックビデオ<ref>電気グルーヴ『カフェ・ド・鬼(顔と科学)』など</ref>、広告等に自作のキャラクターを使うことには比較的寛大で、過去に何度か例がある。自作を笑いのネタにしたパロディ的な引用にも、むしろ松本自身が面白がって快く許諾する傾向にある。

松本はフットワーク出版の『宇宙戦艦ヤマト伝説』で、『スター・ウォーズ』の企画書のレイア姫の初期設定は『宇宙海賊キャプテンハーロック』の有紀蛍と類似しており、同作品の初期企画に自作が影響を与えたと発言しているが、松本が「自身の作品の影響を受けた」とする作品の中には、本当に影響を受けたものかどうか不明なものも含まれている。

また、『銀河鉄道999』劇場版第2作『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』に登場する星野鉄郎の父親・黒騎士ファウストに関しては、インターネットでの当作品のレビュー欄で『スター・ウォーズ』旧3部作に登場するダース・ベイダーとの類似点を指摘するレビューがよく見られる上、宝島社の『完全版 銀河鉄道999 PERFECT BOOK』では、その子ルーク・スカイウォーカーと鉄郎の設定上の類似点などに言及した記述が見られる。星野鉄郎#鉄郎の父についての節も参照。

宇宙戦艦ヤマト裁判

『宇宙戦艦ヤマト』の著作権を巡って同作のプロデューサーだった西崎義展と争い、1999年に西崎を著作権者では無いとして著作権侵害で提訴。同時に松本は、自分が著作者であり西﨑を排除する旨も含んだ合意書を東北新社と締結して裁判に挑んだが、西崎側は反訴して一審では松本側が敗訴の判決となった。控訴審中の2003年に法廷外和解したが、和解内容は事実上の敗訴となった。

なお、この裁判で西崎に敗訴した際、「西崎は悪魔だ、彼に味方する人物も赦さない!」「私がいなかったら、作品の1コマも存在しない」とのコメントを一部マスコミに報道されたが、作品への関与の度合いが松本本人と第三者で掛け離れていたと言える発言とされた。

裁判に至る前から西崎義展との仲は険悪だったと思われ、TV番組のロケ取材の際、松本の事務所に西崎から電話があったが電話を取り次いだアシスタントに一言「切れ」と命じたのを現場でインタビュアーとして取材していたタレントの北野誠が目撃している。

作詞家として1作目から関わっていた阿久悠は最晩年に産経新聞内で連載していたコラム『阿久悠 書く言う』にて「松本がヤマトの著作権者を名乗れるのなら、他のスタッフ達や私だって著作権者を名乗れる」、「西崎さんの熱意と情熱無しに『宇宙戦艦ヤマト』は存在しなかった」と書き残している。

銀河鉄道999裁判

Template:出典 2006年10月に、槇原敬之CHEMISTRYに提供した楽曲『約束の場所』の歌詞の一部が、1996年より再開された新展開編『銀河鉄道999』の作中のセリフの盗用であると、松本零士は女性週刊誌やワイドショーに出演し槇原敬之を非難した。これに対して槇原は記者会見で否定し、同年11月7日付の公式ホームページにて「『銀河鉄道999』は個人的趣味で読んだことが無く、歌詞は全くのオリジナルであり、本当に盗作だと疑っているのなら(自分を告訴して)裁判で決着していただきたい」旨のコメントを発表している。松本が問題にしている漫画の台詞のみで盗作とする根拠は、「10年間講演などでこの言葉を幾度も語ったことがある。」と述べている。テレビでのコメントで松本は「槇原さんに電話した際、ゴメンと一言いってくれればそれで済ますつもりだった」と述べたが、槇原は「盗作してもいないのに謝るのは(盗作を)認める行為だ」と否定した。

2006年11月11日放送分のテレビ番組『プライスバラエティナンボDEなんぼ』(関西テレビ)内で討論があり、その際に国際弁護士八代英輝が、裁判になったら、槇原が「盗作をしました」と明確に表現しない限り、松本の側が敗訴するのではないかという見方を示した。また2006年10月22日放送のテレビ番組『アッコにおまかせ!』(TBS)内でも法律家の意見を交えた回答でも松本側敗訴の見解を示されている。

2007年3月22日、槇原敬之が松本に対して、盗作だと言っている部分に対して証拠を示して欲しいと著作権侵害不存在確認等請求を東京地裁に起こした。裁判で松本側が盗作だという証拠が示せなかった場合は、CMソングの中止などにより、2,200万円の損害賠償請求も行った。これについて松本は3月26日のトークショーで「男たるもの、負けると判っていても戦わなければならない時がある」と述べ、また一連の訴訟について口頭弁論などに立つ気は無いとも語った。

2008年7月7日、東京地裁で槇原、松本が口頭弁論のため、事件以降、初めて顔を合わせた。槇原はニュースやマスコミなどで取り上げられ、「泥棒扱いされて非常に不愉快だ」「問題の歌詞の部分は、仏教の因果応報の考えに基づいて独自で考えたもの」「謝れば許すつもりといっているが、それは罪を認める行為だ」と弁論、直後に松本の反論を聴くことなく退廷した。松本は「セリフと歌詞は座右の銘でとても大切なもの」「10年間講演で何度も語った」「一言謝ってくれれば許すつもりだったのに謝罪の一言すらない」「偶然に歌詞が似通うこどなど決してありえない」と反論した。

同年12月26日、東京地裁は「原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」と認定した上で、槇原に対する名誉毀損を認め、松本に220万円の損害賠償支払いを命じる判決を下した<ref>平成19(ワ)4156 著作権侵害不存在確認等請求事件、東京地方裁判所</ref>が、その後双方とも控訴している。

2009年11月26日、東京高裁で控訴審が開かれ、松本が「槇原さんの社会的な評価に相当な影響を与えた」と陳謝する内容を和解条項として、和解が成立した(金銭支払無し)。

アシスタント経験者

その他

Template:雑多な内容の箇条書き

  • 代表作『銀河鉄道999』の生誕地は、昔松本零士が住んでいた福岡県北九州市小倉北区砂津朝日新聞の旧西部本社付近<ref>西部本社が移転の際、旧本社の屋上に建っていた電波塔の一部を松本が譲り受けている。</ref>)である。映画版『銀河鉄道999』の主題歌を演奏したゴダイゴギタリスト浅野孝己が、上記の町に所在する大型商業施設チャチャタウン小倉屋外ステージで定期的にライブを実施。999の生誕地であるだけに『銀河鉄道999』も欠かさず歌っている。尚、西鉄は第2チャチャタウン小倉(仮名)を2008年度に計画詳細を決めて、2009年度に開業予定としているが、そこに松本零士を含め九州出身の漫画家・アニメーターなどの作品を収蔵する博物館を入れる計画がある。「思い入れのある場所だけに、ぜひ協力したい。九州は多くの漫画家を輩出しており、その業績を振り返る施設ができればと思う」と、松本零士は語っている。
  • 『インターステラ5555』は、フランステクノ・デュオ「ダフト・パンク」のミュージック・ビデオとも言えるアニメーション作品だが、松本零士が制作に携わった切っ掛けとして、この2人が幼い頃からの『宇宙海賊キャプテンハーロック』フリークであったことが知られる。2人は揃って日本の松本の自宅を直接訪問して制作を依頼した。
  • 宇宙への憧れが強く、「片道でもいいから俺を宇宙に行かせてくれ」などの言葉がある。また、民間宇宙飛行の第一号になるという夢を持っていた(しかし、第一号という夢は叶わなかった)。日本人初の「宇宙へ行った宇宙飛行士」となった秋山豊寛は松本作品『ワダチ』の解説を執筆している。
  • ブライトリング等の航空腕時計が好きである。
  • 漫画古書のコレクター。特に手塚治虫の初期の希少な漫画本を多くの資料と共に保管。2002年にはSF作家小松左京がモリミノル名義で描いた赤本漫画の復刻に関わり、2005年阪本牙城タンクタンクロー』の復刻の際には原本の提供を行なった。その他にも漫画本の復刻の際に原本を提供することが多い。『漫画大博物館』という漫画の古書を図版で紹介するビジュアル百科事典も出版している。
  • 古式銃のコレクター。法的規制の厳しい日本において100丁以上の私有コレクションは稀である。
  • 東京都練馬区に在住している縁で練馬区シャトルバスのラッピングやダイエー練馬店の4階自販機コーナーの名称が「銀河ステーション」である。
  • 前出のちほく高原鉄道CR75型車両の銀河鉄道999ペインティング列車がTOMIXからNゲージ鉄道模型化された際は、松本自らがその試作品の出来を細かくチェックして、完成度に満足した松本はその試作品の車両の屋根に製品化承認を意味する自身のサインをした。このサイン入りの試作品はTOMIXの発売元であるトミーテックで大切に保管されている<ref>TOMIX 北海道ちほく高原鉄道「999号」 Vol.1</ref>。
  • 昭和31年(1956年)、押入れに入れっぱなしにしていたパンツから生えたキノコを漫画家のちばてつやに食べさせた事がある<ref>トリビアの泉より</ref>。
  • 上京当初の下宿の隣が近鉄バファローズの定宿であったため当時の選手と顔見知りとなる。

受賞歴

役職

脚注

<references />

参考文献

関連項目

外部リンク

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