東南アジア

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東南アジア(とうなんあじあ、Southeast Asia)とは、中国より南、バングラデシュより東のアジア地域を指し、インドシナ半島マレー半島インドネシア諸島フィリピン諸島などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。

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東南アジアの範域

目次

地理

東南アジアという地理概念が一般化したのは、半世紀前のことである。

気候

ミャンマーの一部を除き、北回帰線の南、南緯10度の北に位置し、平均気温25度以上で、大部分がケッペンの気候区分でいう熱帯<ref>最寒月の平均気温が摂氏18度以上の地域</ref>であり、熱帯特有の急な雷雨、スコールが夏に多く見られる。湿潤熱帯に属する島嶼部では一年中降水量が多いが、大陸部やインドシナ半島モンスーン<ref>夏季には南西モンスーンが、冬季には北東(北西)モンスーンが多雨をもたらす。</ref>の影響を受けてサバナ気候となり、雨季と乾季がはっきりしている。

環境分類

熱帯雨林 - フィリピン諸島からボルネオ、スラウェシの北半、ジャワ西部、スマトラにかけての島嶼部、アラカン地域沿岸、マレー半島西岸。常時25度を上回る高温と年間2000ミリから4000ミリの多雨で植物の宝庫。

熱帯高地 - パマス(南スマトラ州)、ミナンカバウ(西スマトラ州)などのスマトラ背梁山脈の中の盆地は1500メートル前後の高度で、湿度が高いが冷涼な気候。古くから人が居住し、集約的稲作が行われている。

沿岸低地 - 熱帯雨林帯の沿岸は、砂丘以外は泥炭林とマングローブ林で農業に不適であるが、砂丘地帯とともに漁業・海運の基地である。

サバンナ平原 - 大陸東南アジアでは、乾いた北東モンスーンの影響で、冬季には強い乾季があり、雨季に茂り乾季に落葉する雨緑林が多い。ビルマ平原では、南西モンスーンの影響で乾燥地帯になる。古い時代から平原畑作が進み、周りの山地からの流水を利用した灌漑が発達している。東北タイのコラート平原、カンボジア平原では、雨季と乾季の降水量に差があるが、雨緑林が形成される。夏季には長期に降水があり、天水稲作が広がっている。

デルタ - 三大デルタ(イワラジ、チャオプラヤー、メコン)はサバンナ気候である。乾季にはほとんど降雨がない。しかし、雨季には河川が洪水を引き起こすぐらいである。現在はほほ全面が水田に覆われる環境になった。

島嶼部サバンナ - 中部ジャワより東の島嶼部では、オーストラリア気候区の影響を受けて雨季と乾季の差が激しい。しかし、年総降水量からみると、乾季でも大陸平原よりは湿潤である。東南アジアでは最も農業に適している。古くから東ジャワ盆地群やバリ島南部を中心に稲作が発達している。

照葉樹林 - 大陸東南アジア山地は、北回帰線に近く乾季と雨季の差が激しい。また高度があるために冬の気温が低く、水分蒸発が押さえられ湿度が高く、カシシイの森林を形成している。東南アジアの基層文化である照葉樹林の生活文化はこの地域で生まれた。

国名リスト

東南アジアに属する国家を、以下、国名 - 首都 の順で表記する。

また、パキスタンインドバングラデシュも東南アジアに含める場合も見られるが<ref>たとえば、1954年(昭和29年)10月11日付の産業経済新聞大阪版の記事「国際経済プリズム、米の東南ア援助積極化、経済開発に決意示す、コロンボ計画を通じ拡大」では、香港、インド、パキスタン、セイロンを東南アジアに含めて解説していた。</ref>、通常は南アジアの範疇(はんちゅう)に入る。

歴史

東南アジア諸国の各国の歴史については、以下を参照。

インドネシアの歴史 - カンボジアの歴史 - シンガポールの歴史 - タイの歴史 - フィリピンの歴史 - ブルネイの歴史 - ベトナムの歴史 - マレーシアの歴史 - ミャンマーの歴史 - ラオスの歴史 - 東ティモールの歴史

東南アジアの原歴史

東南アジアの歴史は、各国の歴史として著述されることが多い。しかし各国の領域は、19世紀から20世紀初めにかけて列強が植民地主義に基づき東南アジアを分割した結果生じ、それぞれが独立国家として認められたものであり、政治的色彩の非常に濃いものであることは言うまでもない。 東南アジアの歴史は、そのような政治的な現代国家の歴史を離れ、伝統的な政治圏、つまり、政治的・文化的中心都市とその周辺の圏的な空間の歴史、別な言葉で言えば歴史圏を対象とするものである。

狩猟採集生活の時代

東南アジアの人類文化は2~3万年前の後期旧石器時代から始めることができる。それは、大陸部でも島嶼部でも洞穴や岩陰で人間が生活した痕跡を得られるからである。

大陸部では、ベトナム北部のソンヴィー文化、ホアンビン文化、バクソン文化、ダブート文化とたどることができる。ソンヴィー文化は、礫の周囲を打ち欠いた石器を主とする。旧ヴィンフー省のソンヴィー遺跡で発見され、放射性炭素年代測定では2万~1万2000年前である。磨製石器を伴わないことから旧石器時代に属する。次にホアビン文化は、ベトナムホアビン省の洞窟・岩陰遺跡群から名づけられた文化。原初的な形態の石器に加えスマトリアスなどの進んだ形態が特徴であり、部分的に磨製した石器も現れる。食料残滓に貝殻(淡水のタニシカタツムリ)、獣骨の層が伴う。年代測定ではほぼ1万1000から75000年前で、中石器文化に位置する。この文化は大陸部全域からマレー半島、スマトタ島まで広く分布する。ランソン省バクソン山地に見られるバクソン文化は、刃部磨製石斧が主体である。時によって土器を伴う。タインホア省タブート遺跡は、淡水の大きな貝塚遺跡で、石器の変化はあまり見られないが、重要な変化は土器の出現である。全体の形が分かるものは少ないが、そこの丸い深鉢形である。厚手軟質で無文様、叩き締め技法で叩く棒に巻いた繊維の跡が全体についている。この技法は中国から南下した。放射線炭素年代では約6000年前である。ゲアン省クインヴァン遺跡は海の貝からなる大きな貝塚で、大きな石を打ち割った石器や少量の全磨製石斧、粗雑な尖底の土器を伴う。放射性炭素年代は4700年前である。

インド、中国の影響と伝統的国家の成立

東南アジアは、(フィリピンを除き)中国とインドの交易ルートの中間地帯にあり、中継点として古くから発展しており、インドないし中国からの文化的影響下のもとに各地に伝統的国家が成立することになり、その後、それぞれが独自の歴史的発展を遂げた。古代インド人は、この地を「黄金州」ないし「黄金の地」と呼び、中国人は「南海」と称していた。

4世紀末からインド思想が、東南アジアの王権そのものに影響を与え、5世紀から6世紀にかけて、東南アジア各地<ref>メコンデルタでは5~6世紀には、通常扶南碑文と総称される碑文群、島嶼部では東カリマンタンからムーラヴァルマン碑文、西ジャワのボゴール周辺からブールナヴァルマン碑文が出土する。オケオをはじめとする各地で発見されるインド系の神像、仏像はインド思想の大規模な流入を証明している。</ref>に南インド系のアルファベットを用いた碑文群が出現してくる。

東南アジア海域の政治勢力は、扶南を経由して中国南朝の各朝と交渉してきたが、6世紀の前半には、南シナ海、マレー半島、マラッカ海峡、ジャワ島、バリ島にそれぞれ国が形成され、中国南朝<ref>南朝梁武帝(502~549)の治世に</ref>と直接交渉をもつようになり、積極的に朝貢するようになった。しかし、中国人の東南アジアに対する認識は、依然として島嶼部または大陸部沿岸の港市国家群の世界であった。

欧米列強による植民地化

19世紀、東南アジア諸国では欧米列強による植民地化が進められた。以下に見るように各地によってさまざまな支配体制がとられたが、共通点として「二重経済」、「複合社会」、「分割・間接支配」の三点がしばしば挙げられる。すなわち、近代資本主義経済と伝統的農業経済の併存、民族的多様性に基づく社会構成、旧支配層による秩序温存とそれを利用した分割・間接支配の三点である。

地域別に植民地化の特徴を見ていくと、まずインドネシアでは、19世紀初頭には特定の港湾や沿岸部などのみが支配されていたが、次第にイギリスオランダ間の支配権競争が激しくなり始めた。オランダ政府は、ジャワ島サトウキビコーヒータバコなどを強制的に栽培させ、現地の農民は搾取によって貧窮に追い込まれた。それに伴い、各地で抵抗戦争が19世紀末から20世紀初頭まで頻発した。

フィリピンでは、スペイン人を中心とした大土地所有者の下で小作農民が過酷な労働を強いられるアシエンダ制が横行していた。新興地主や知識人階級はこうした社会矛盾に反抗し、フィリピン同盟1892年結成)などの民族主義運動を起こした。1898年米西戦争に勝利したアメリカの協力の下、エミリオ・アギナルドはフィリピンの独立宣言を発表し、初代大統領に就任した。しかしその後、領有を主張するアメリカに弾圧され、アギナルドは捕らえられた。

タイは、イギリス、フランスの侵略に悩まされるが、政治や教育などの近代化政策と巧みな外交、領土割譲といった代償によって、東南アジアで唯一独立を保ち、英仏の緩衝国家となった。

シンガポールはイギリスの貿易・軍事の拠点として繁栄し、マレー半島カリマンタン島(ボルネオ島)の諸王国はイギリスの保護下に置かれた。

このような植民地支配の確立は、19世紀末から20世紀初めにかけて、遅速の差があるが東南アジア世界にナショナリズムの芽が生まれてきていた。

太平洋戦争―「東南アジア」概念の誕生

「東南アジア」の呼称が初めて用いられたのは、1942年に連合国軍が「東南アジア司令部」を設置したときである。日本軍の作戦区域であるイギリス領ビルマおよびマラヤ、フランス領インドシナ、オランダ領東インド、アメリカ領フィリピンの4植民地およびタイ王国を包括するような概念がなく、このときに「東南アジア」なる概念が生み出されたのである。さらに、太平洋戦争後には、戦後処理を進める連合軍の作戦領域名として政治的にも公式化されることになった。この後、米国を中心とする「東南アジア」研究者たちによって広く用いられるようになり、やがて人口に膾炙するようになった<ref>池端(1994: 3-7)</ref>。なお、戦中期の日本にも「東南アジヤ」の呼称を用いる研究者もいたが、戦前、戦中の日本においては、現在の太平洋地域を含めて「南方」や「南洋」と呼ばれていた。

アセアン成立以後の東南アジア諸国の協調体制

Template:Main 1967年8月には、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5か国によって東南アジア諸国連合(アセアン)が成立。当初は、冷戦構造との自律的関係および地域紛争の自主的、平和的解決を目的としており、とりわけ、1975年サイゴン陥落以後の緊張関係を乗り切ったことで、国際社会でも注目を浴びるようになった。そして、その後は、各国の強権的な経済開発を背景とした経済関係の緊密化に伴い、貿易、資源、技術などを中心とした域内経済協力の枠組み整備(域内特恵制度の拡充や関税引下げなど)が進められるようになった。

1986年のフィリピンの2月革命、1998年のスハルト辞任などに見られる東南アジアの民主化運動が急速に進行し、東南アジア諸国家で自国の政治的、文化的な国民形成の動きを早めている。1990年代以降、政治的大衆主義や民衆的な文化ナショナリズム構築の流れが顕著になった。特に1999年のカンボジア加盟によるASEAN10の成立は、国際的、東南アジア諸国間相互で国家領域が確定し、承認された。1999年以降の東南アジア史研究は、東南アジア諸国家の形成過程を中心に据えるようになった。

東南アジアを舞台とする文学作品

東南アジア諸国にて創作されたものを除く。

ベトナム戦争を扱った映画も参照。

関連項目

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脚注

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参考文献

  • 池端雪浦(1994)「東南アジア史へのアプローチ」池端雪浦編『変わる東南アジア史像』山川出版.
  • 永積昭 (1977)『東南アジアの歴史 新書東洋史 (7)』 講談社.

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