東京ドーム
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Template:Coor title dms Template:Otheruseslist Template:野球場情報ボックス Template:基礎情報 競輪場 東京ドーム(とうきょうドーム)は、東京都文京区後楽一丁目に所在するドーム型野球場。Template:和暦開場。株式会社東京ドームが運営する東京ドームシティの中核施設である。愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)。
日本プロ野球セントラル・リーグ、読売ジャイアンツ(巨人)が専用球場(本拠地球場)としている。
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概要
1988年3月18日、後楽園球場の実質的な代替球場として後楽園競輪場の跡地に開場。こけら落としは巨人対阪神タイガースのオープン戦。空気膜構造屋根を持つアメリカのメトロドームをモデルとして設計された。後楽園球場から引き続き、巨人とパシフィック・リーグの日本ハムファイターズが専用球場とした。
日本ハムは、Template:和暦度に北海道の札幌ドームに移転したが、現在も年間8試合程度の主催試合を開催している。また、パ・リーグのオリックス・バファローズも親会社オリックスの本社が東京にある関係で、ブルーウェーブ時代の2004年から2009年まで年間2試合の主催試合を開催していた<ref>2006年は、大阪ドームの経営破綻の影響の余波で開催されなかった。</ref>。2010年はオリックスの主催試合は開催されないが、替わって東北楽天ゴールデンイーグルスの主催試合が1試合組まれた。
その他、2006 ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド、2009 ワールド・ベースボール・クラシックの東京ラウンド、アジアシリーズなどの国際試合、日米野球などの国際親善試合も東京ドームで開催されることが多い。アマチュア野球では、社会人野球・都市対抗野球大会が毎年開催されている。他にもプロ野球マスターズリーグの東京ドリームズが本拠地として使用していた。野球のほかにも格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われる。
Template:和暦からロングパイル人工芝「フィールドターフ」を、日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らしている(現在のは2代目)。
ドームの広さは約216メートル四方で建築面積は46,755m2、容積は約124万m3。東京では建物・場所などの面積や大量の物の体積・容積を表現する際に「東京ドーム何個分(何杯分)」という表現が使われることもある。夜間にはライトアップされている。
Template:和暦の大改修で喫煙コーナーを廃止して完全に煙の漏れない喫煙室を新設し、ドーム球場での完全分煙を実現した。
施設概要
球場データ
- 所在地 - 東京都文京区後楽一丁目3番61号
- 建築面積 - 46,755m2
- 建物高さ - 56.19m
- 階数 - 地上6階・地下2階
- 容積 - 1,240,000m3
- 収容人数 - 55,000人(詳細は後述)
- フィールド - 両翼100m、中堅122m、左右中間110m
- グラウンド面積 - 13,000m2
- スコアボード - 2基(メイン・サブ)
- 内外野 - ロングパイル人工芝「フィールドターフ」
- 外野フェンスの高さ - 4.24m(ラバー 4.0m + ネット 0.24m)
- 2009年まではラバーのみの4.0m
- グラウンド面からの屋根の高さ - 61.69m
落成・供用開始日
- 落成式 1988年3月17日
- 公式戦開始日 同年3月18日
- 一般使用開始日 同年12月24日
フィールド
両翼100メートル・中堅122メートル。公認野球規則1.04の付記(a)に適合した広さで設計されているものの、敷地面積の都合で左中間・右中間(110メートル)が狭い。日本での一般的な野球場のイメージである「扇型」よりは、アメリカのリグレーフィールドやUSセルラー・フィールドのようにむしろ「矩形」に近い。扇形のフィールドを持つナゴヤドームと比べると、中堅・両翼までの距離はほぼ同じだが左中間・右中間がほぼ直線状であるため6 - 8メートルほど狭く、フェンスが4mと他の国内全天候型球場と比較して低いこともあってホームランが出やすい(左中間・右中間の距離については、両翼・中堅の距離が同クラスである球場のほとんどに当てはまる)。外野フェアゾーン側の客席が極端に少ないため、ホームランが最上段の看板へ直撃した時点では「特大ホームランの放物線の下りはじめ」程度である。
- フィールドには人工芝を採用している。2002年からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるロングパイル人工芝「フィールドターフ」を導入したものの、イベントなどで踏み荒らされるなど数年で踏み固められてしまった。2006年に巨人がシーズン当初の好調から故障者が続出し一転して低迷したが、読売ジャイアンツの滝鼻卓雄オーナーは低迷の要因の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望すると、東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行い若干の改善が見られた。2007年3月には、耐久性、衝撃吸収力が向上した「フィールドターフ」の改良型へ総張り替えを実施した。開場からは5代目の人工芝となる。
- グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている(後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため)。年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われている。
外野フェンス
外野フェンスは2010年から従来のラバーフェンス(高さ4.0m)にネットフェンス(高さ0.24m)を付け加えたものとなっている。ネットフェンスを付け加えた主目的はホームランを判定しやすくするためである<ref>東京ドームの外野フェンスを改修巨人球団HP</ref>。ラバーフェンスの最上部スタンド側には手すりがあり、それに打球が当たった場合はホームランであるが、インプレイとなるラバー最上部で跳ねた場合と判別がしにくく判定を巡りトラブルとなることも多かった。またスタンド最前列から見てもフェンスが低く、落下の危険性や観客がホームランにならないような打球に触れることも容易であるという欠点もあった。
ホームランの出やすさの理由
ホームランの出やすさの理由として、第一に、左中間・右中間の膨らみが小さく110mしかないことが挙げられる。これは、現在の12球団の本拠地球場の中でもっとも狭い。第二に、屋内球場で湿度が低いために、打球が伸びやすいことがあげられる。他方で、気圧で屋根を膨らませている球場であるために気圧によってホームランが出やすいことが指摘されることがあるが<ref>田淵幸一の指摘</ref><ref>報道ステーション2008年10月31日放送</ref>、物理的に高気圧で打球が伸びないことはあっても伸びることはないので、これは誤りである。
人為的に風を送って打球を延ばしているのではないかなどと主張する意見も絶えず、このような論者は「空調」あるいは「ドームラン」といった独特の表現を用いている。これらの意見を裏付ける直接的な証拠はないが、東京ドームのモデルとなったメトロドームでは、元職員がホームチームに有利になるよう強力なファンで強風を送っていたと証言した記事がタブロイド紙に掲載されたことがある。
もっとも東京ドームは野球規則1.04に記載されている国際基準を満たすNPB初の本拠地球場であり、完成当時としては広い球場であったことは確かである。実際に後楽園球場でなされた1987年の公式戦では112試合で234HRが出たのに対し、東京ドームでなされた1988年の公式戦112試合では147HRが出たにとどまり、ホームランは約4割も減少している。他球場と比較しても、東京ドームの1試合当たりの平均本塁打数は、各球団の本拠地11球場中、1988年10位、1989年10位、1990年11位、1991年7位となっており<ref>宇佐美徹也「プロ野球記録大鑑」</ref>、開場後数年は本塁打の出にくい球場であったといえる。しかし、その後20余年が経過する中で、他球団の本拠地はより広い球場になったりグラウンドを拡張する改修がされるなどし、フェアグラウンドの形状が88年から変わっていない球場は今や東京ドームと横浜スタジアムのみである。その意味で、東京ドームは時代の経過とともに相対的に狭くみなされるようになった球場であるといえる。
その他、使用球の質の変化などによって、東京ドームにおける1試合あたりの平均ホームラン数は1988年は1.31本だったのに対して2008年は2.63本と倍増している。
なお東京ドーム竣工直前までは、東京ドームは(当時の他球場と比較して)フィールドが広く、フェンスの高さも後楽園球場と比較して高くなったのでホームランの数が減るであろうと各野球雑誌で掲載され<ref>ホームランの減少する分、逆に三塁へのクロスプレーが増えるのではないかと評していた野球雑誌もあった。</ref>、前述のように約4割ホームランの数は減少したものの、東京ドーム開業初年度のシーズン終了後はそのような記事も徐々に無くなっていった。
屋根・天井
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも 0.3%(3ヘクトパスカル)高くして膨らませている<ref>インフレートと呼ばれるが、完成時には屋根を膨らます作業が行われた。この作業はメディア等でも取り上げられている。</ref>。圧力差を維持するために送風ファンを合計36台設置しており、ドア開閉がある場合は10台から18台、ドア閉鎖時は2台を動作させて気圧を維持する。他にも出入り口に手動式回転ドアやエアロックが設置されている(ドア開放は空気が抜けてしまうのでできない)。ドームから回転ドアで外に出る際は、気圧のため外に押し出されるような感じになる。隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。
屋根は28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に並べ、その間に二重構造の膜を張ったものとなっている。膜はガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングしたもので、耐候性・耐熱性・非粘着性に優れた不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。ワイヤからテレビカメラ(中央部)、スピーカー、照明が吊るされている。
- 外膜は厚さ0.8ミリメートル。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。
- 内膜は厚さ0.35ミリメートル。中興化成工業社製品。
中央部のテレビカメラ(通称『トップアイ』)からの映像は、野球中継だけでなくNHK・民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた。最近の中継では、あまり使用されることはないが、巨人優勝時の胴上げの際には必ず使用されている。
設計に当たっては、打球が屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄は「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と述べていたが、開場した1988年の7月4日に阪急のダラス・ウィリアムズが当てたのを皮切りに、巨人の原辰徳や松井秀喜、西武のアレックス・カブレラらが、天井や天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーなどに当てている。松井の打球は内膜の穴に入り、ボールが落ちてこなかった。
天井や懸垂物に当てた場合、以下の特別ルールが適用される<ref>東京ドーム野球ファン情報 東京ドーム特別ルール 東京ドームシティ公式サイト</ref>。
- 天井に当てた場合→ボールインプレイ(プレイ続行)。落下した打球を野手がそのまま捕球すればフライアウト。落下した地点か野手が触れた地点でフェアかファウルか判断される。
- 外野のフェア地域にある懸垂物に当てた(もしくは挟まった)場合→認定ホームラン(過去2例)。
- 打球が天井の穴や隙間、懸垂物などに挟まって落ちてこなかった場合→フェアゾーンであればエンタイトルツーベース。ファウルゾーンであればファウル。
スタンド
日本の球場としては珍しく、内野2階コンコースから直接グラウンドが見える構造となっており、グラウンドに近いスペースを立見席として販売している。車椅子を利用する観客のために、立見席の一部を「車椅子席」としている。車椅子だけではなく、介護ベッドを利用する観客も利用できるようになっており、介護ベッドを設置し、介護ベッドで横になりながら試合を観戦している観客もいる。発売方法は通常と異なる。他に内野は1階と4階、外野は1階にコンコースがあり、グラウンド面は地下5.5mの高さである。かつて1階のコンコースは一塁側がつながっていた。オープン当初は売店等が立ち並び、外野と内野を行きかう人々で賑わっていたが、数年で閉鎖された。現在は外野側、内野側いずれもシャッターで閉ざされ中に入ることはできない。閉鎖後は倉庫として使用されている。
基本的に座席の色は青で統一されている。敷地の関係上、日本の球場としては外野席の比率が低い。内野席は2層式で中間にバルコニー席があり、食事付き年間指定席となっている。バルコニー席の中央部分はVIP用スペースとなっている。スタンドの両翼部は可動席で、サッカー、アメフト等の開催時にはフィールドを広げられるようになっている。
左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト巨人応援席」、残りの座席の一部を「ビジターチーム応援席」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4(実質見た目は7:3ぐらいに見える。)になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、2005年後半戦の阪神戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。阪神戦では、レフト側で阪神を応援するファンの数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト巨人応援席」は設定されていない。
社会人野球の都市対抗、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。
2005年から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を設置(228席)した。2009年からは座席列が2列から4列に増設されて420席(一塁・三塁各210席)となっている。
- プロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球や他のイベントでは使用されない(ただし、アマチュア野球の試合であってもシートの撤去はしない)。
- 利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。
- 売り子が入ることができない。入口際のネット越しに購入することが可能である。
- 巨人主催ゲームについては年間予約席(108席)と一般指定席(120席)の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる(2008年まで)。
- 巨人主催ゲームについては学割チケットがある(阪神戦を除く)。なお、2010年の巨人主管試合は日本マクドナルド協賛「マクドナルドエキサイトシート」として運営されており、観戦者には漏れなく全国マクドナルド店舗で利用できるビッグマック割引クーポンが贈呈される。<ref>交流戦以外の巨人主催試合で巨人と対戦相手双方でホームランが出た場合「BIG MAC TWIN ARCH」としてビッグマックを無料進呈。どちらか一方しか出なかったりホームランがない場合でも200円で優待 参考・マクドナルドニュースリリース</ref>
- 日本ハム主催ゲームでは2008年までシーズンシートだけの設定だったが、2009年からは一般発売もされている。
収容人数
プロ野球の各球団は、2004年までその主催のシーズン公式戦の観客数を実数ではなく水増しした数字で発表していた。東京ドームの場合も収容人員を1988年から1994年までは56,000人、1995年から2004年まで55,000人とし、さらに巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず満員の55,000人(1994年までは56000人)と発表していた。ただし、日本シリーズやオールスターゲームは、各球団ではなく日本プロ野球機構の主催となり、実際の有料入場者数が記録されることになっている(日本プロ野球機構が公益法人のため)。日本プロ野球機構主催ゲームの最多有料入場者数は、1994年日本シリーズ第2戦の46,342人。
2005年からプロ野球全体で観客数発表を実数に近くすることになり(通常は実際の入場者ではなくシーズンシートを含めたチケット購入者数)、プロ野球チームが本拠としている各球場でも収容人員の変更が行われているが、東京ドームでは観客数発表の方法は変更したものの収容人員の変更はされていない。
開場当初、小石川消防署に届けられていた定員は46,314人と言われており、実際に1988年10月7日朝日新聞22面で「東京ドームの定員は46,314人、そのうち立ち見2,976人」と記載されている。2005年4月13日の産経新聞には、改修を経て現在の数字に落ち着いたとある(45,600人で、さらに2009年現在はエキサイトシート420席が加わる)。2009年現在、東京ドームの収容人数をプロ野球関連の刊行物では45,600人と記載することが多いが(注釈付で55,000人としている場合もある)、実数発表以後で、球団主催試合での最多観客数は2008年10月25日・巨人対中日戦の46,797人であり(レギュラーシーズンでは2008年10月8日の巨人対阪神戦の46,783人)、45,600人という数字は正確とは言えないものとなっている。現在、小石川消防署に届けられている定員は不明である。
なお野球以外でのイベントでは、1998年4月4日の新日本プロレス主催のアントニオ猪木引退試合が70,000人と発表されている。また、1998年8月30日の日本テレビ主催の今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズでは50,453人と水増し発表されている(バルコニー席は使用せず)。
分煙化
2007年より、コンコースで設置されていた喫煙ブースを廃止し、新たにゲート外、及び1階内野コンコース1塁側、3塁側に設置された喫煙ルームにて喫煙を行なう「分煙化」を行なっている。
応援時の規制
東京ドームでは、野球開催において以下のような規制を行っている。
- トランペット(トロンボーン)、カネ、笛、太鼓
- 指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可
- 拡声器、ラジカセ等、大音量を発生させる物の持込不可。ただし都市対抗野球においてはマイク使用可。
- 騒音問題に対応し、22時以後は使用禁止。ただし都市対抗野球においては23時まで利用可能。かつ23時以降もマイク使用は可能。
- 巨人主催試合
基本的にトランペットは同時吹奏4本まで。また球場から貸与する8枚の腕章を着用しているトランペット(奏者)が演奏できる。本数を超えたり、腕章なきトランペットを吹いた場合、即刻始末書の提出を求められ、NPBへルール違反の報告を行っている。これに関しては応援団担当の警備員が逐一チェックしている。
- 日本ハム主催試合
2007年公式戦より札幌ドームと同じルールとなる。
- 応援旗
- 一般客は、縦500mm以内、横500mm以内の大きさで、持ちやすくするために柄を2本付けたものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。
- 枚数は制限なし。
- 横断幕
- 一般客は縦600mm以内、横600mm以内のものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。上記の大きさを超える「ゲートフラッグ」は、一般客・応援団共に持込禁止。
- 手持ちのみとし、球場施設(フェンス、スタンド等)への取り付けは禁止。また、横断幕に旗竿等を使用したものは、一般客・応援団共に持ち込みはできない。
- 応援ボード等
- 一般客は、大きさは縦600mm以内、横600mm以内の物で、必ず一人が手で持てる仕様であるものであれば、持込可。ボードを支える棒などは使用できない。また、2人以上で持つものは、横断幕とみなされ、持込不可となる。
- 1枚の大きさが規定以内でも、テープ等でつなげた物は持込不可(入り口にて切り離すか、没収となる)。一枚ずつに分かれているものを2人以上で掲げ、選手の名前や文章にする行為は許可されている。
尚、応援幕・メッセージボード等の内容は、チームや選手を応援するものに限り、公序良俗に反する内容や誹謗中傷(球団への批判等)を含む内容のものは、持込ができない。また試合中に掲げたとしても、掲げている内容が試合中でも厳しくチェックされているため、発見され次第係員に没収される。
- ジェット風船、紙吹雪、紙テープ
- 建物の構造上の理由により応援団・一般客とも使用不可(野球の優勝決定時の演出を除く ジェット風船についてはドームが空気圧で膨らんでおり、それが基で破裂する恐れがあることから優勝決定時でも使うことはできない)。
なお、日本ハム主催試合においては2006年までは太鼓を使用できなかったが(理由は一説によると、東京ドームオープン時に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット(トロンボーン)持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペット(トロンボーン)を選択したと言われる)、翌2007年の公式戦から太鼓の使用が認められるようになった。
持込・移動
球場内へは、グラウンド等への投げ込み防止の為、ビン・カン・ペットボトルの持ち込みは禁止されており、各ゲート入り口にて、中身を指定の紙コップに移し替えなければならない(紙パックのものは持込可)。クーラーボックスやベビーカーなど、観戦の妨げになる恐れのある物の持ち込みもできない(ベビーカーは、入場ゲートにて預かりとなる)。1995年の地下鉄サリン事件と2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、入場時には厳しい持ち物検査が実施されている。
球場内では、1階から2階まで自由に行き来でき(バルコニー席のチケットを持たない人は、バルコニー席には行けない)、各階の色々な売店にて買い物ができる。
再入場制度
東京ドームでは、一部のイベントでは一旦東京ドームの外へ出た人も再入場ができる。イベントにより再入場の手続き方法が異なる。巨人戦には2006年から導入されており、21ゲート、23ゲートで手に再入場を証明するスタンプを押され再入場券が発行される。再入場時にチケットの半券とスタンプ、再入場券が確認できれば、再入場ができる。
看板広告
バックネットのフェンス広告は2004年から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。オールスターゲームが開催される場合は、オールスターゲームの冠スポンサー(2006年まで三洋電機、2007年はガリバーインターナショナル、2008年からマツダ)の広告を掲出している。東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002、2007年に開催されたことがある。
外野には11枚(左翼6枚、右翼5枚。〈開設当初は9枚:左翼5枚、右翼4枚〉)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金、またはそれに相当するスポンサー商品<ref>日産自動車がスポンサーだった時は同社製の乗用車(約400万円相当)がプレゼントされていたことがあった。</ref>が贈呈される。ビッグボード広告は2010年現在、インターネットイニシアティブ、麒麟麦酒、東日本旅客鉄道、明治ホールディングス、ニッタン、東映、マルハン、大塚製薬、セコム、旭化成、オリエントコーポレーションの11社。なおボード広告ではないが、巨人戦の際にオーロラビジョンの自由表示部がプレイ中に「クラブジャイアンツ・G-po」の広告として固定表示される。 また、巨人が出場した際の日本シリーズでは、ポストシーズン・ゲームのため、看板に当たるホームランが出ても、賞金、賞品は出ない<ref>詳しくは東京ドームHP・ビッグボードホームラン賞一覧参照</ref>。
かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により2006年にこの制度が廃止。広告が撤去された。
東京ドームでは現在、消費者金融の会社の広告を一切出していない。以前、大阪近鉄バファローズが消費者金融のアコムとスポンサー契約を新たに結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、巨人の渡邉恒雄(当時)オーナーが「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない。」と痛罵した。実際には、その発言をした時には東京ドームでも同業のプロミスの広告が出されていた。その後シーズンオフに、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームがプロミスに「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と更新を行なわない旨を通達し、プロミスも了承し、消費者金融の広告は一切排除された。
バックスクリーンは開場当時は両サイドの広告(同一企業のもの2枚)を貼るのみだったが、その後中央部分にプリズムビジョンと呼ばれる回転板が張られるようになった。
室内広告として、試合約40分前、3回裏、5回裏、7回裏のグランド整備の間、ゲームセットコールの直後と客出しの間の15 - 20分間に無人飛行船が飛ぶ。巨人勝利の際にはヒーローインタビューのTVのカメラフレームに入り込むように飛行する。 この飛行船にはカメラが備え付けられており、ビッグヴィジョンへの生中継が出来る。また、この飛行船にはサンプル商品などを投下できる小型気球を3つ取り付けられる<ref>飛行船に関する詳細 ワーナー・グレイ公式サイト内「東京ドーム」</ref>。
看板広告の歴史
- 1988年 - 1992年: KIRIN、NISSAN、全日空、MINOLTA、SEIKO、パイオニア、JT、ミサワホーム、NEC
- 1993年 - 1995年: KONAMI、KIRIN、NISSAN、全日空、ポカリスエット、昭和シェル石油、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 1996年 - 1997年: コナミ、KIRIN、NISSAN、JA共済、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 1998年 - 1999年: コナミ、KIRIN、NISSAN、JRA、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 2000年: HOYA、KIRIN、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 2001年:HOYA、キリンビバレッジ、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、スカパー!、FUJIFILM、パイオニア、オロナミンC、セコム、旭化成へーベルハウス、UCカード
- 2002年 - 2004年: コムスン、KIRIN、NISSAN、明治AYA、エプソン、FUJIFILM Finepix、パイオニア、アミノバリュー、セコム、へーベルハウス、UCカード
- 2005年: コクヨ、 KIRIN、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、JAL(日本航空)、FUJIFILM、パイオニア、オロナミンC、セコム、へーベルハウス、UCカード
- 2006年 - 2007年: コクヨ、KIRIN、JR東日本、明治ブルガリアヨーグルト、HOYA、JINRO、パイオニア、SOYJOY、セコム、へーベルハウス、UCカード
- 2008年:IIJ、KIRIN、JR東日本、明治ブルガリアヨーグルト、NITTAN、JINRO、パイオニア、オロナミンC、セコム、ヘーベルハウス、UCカード
- 2009年:IIJ、キリン一番搾り、JR東日本、明治ブルガリアヨーグルト(シーズン中に明治乳業のロゴマークが変更された。)ニッタン、JINRO、東映(映画「劔岳 点の記」→映画「火天の城」→映画「笑う警官」の順で変遷)、オロナミンC、セコム、ヘーベルハウス、UCカード
- 2010年:IIJ、キリンビール、JR東日本、明治ホールディングス、NITTAN、東映(映画「孤高のメス」)、MARUHAN、大塚製薬、SECOM、へーベルハウス、オリエントコーポレーション
広告表示の歴史
- 1988年 - 1989年: サントリー生ビール、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、パソコンは富士通、コニカカラー、日本航空、フジカラー、KUBOTA クボタ、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1990年 - 1992年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、フジカラー、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1993年 - 1995年: サントリーモルツ、Panasonic、ホクレン、RYOBI、東邦生命、フコク生命、FUJITSU FMV、コニカカラー、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1996年 - 1997年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、RYOBI パワーツール、東邦生命、フコク生命、FUJITSU FMV、Konica、ジャルパックのアイル、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1998年 - 1999年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、RYOBI パワーツール、GEエジソン生命、フコク生命、KOMATSU、Konica、旅にJALカード、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 2000年 - 2001年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica、旅にJALカード、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和証券
- 2002年 - 2005年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
- 2006年 - 2007年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、スルガコーポレーション、大和証券
- 2008年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、SANKYO、大和証券
- 2009年 - : ザ・プレミアム・モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、OIZUMI、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、SANKYO、大和証券
※2010年現在、後楽園時代からのスポンサーはサントリー、パナソニック、フコク生命、コニカミノルタ、クボタ、日本興亜損保、大和証券の7社である。
ベンチ広告表示の歴史
- 1988年 - 1990年: Mizuno、キーコーヒー、TDK、ハイクラウン、プロミス、コカ・コーラ、九州石油
- 1991年 - 1997年: Mizuno、キーコーヒー、TDK、ハイチュウ、プロミス、コカ・コーラ、九州石油
- 1998年 - 1999年: 代々木アニメ、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、九州石油、サン・クロレラA
- 2000年 - 2002年: 慶應進学会、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、代々木アニメ、九州石油
- 2003年 - 2004年: ラクーア、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、九州石油、Meiji
- 2005年 - 2008年: ALSOK、キーコーヒー、TDK、コカ・コーラ、九州石油、Meiji
- 2009年 - チョコレートは明治、KEYCOFFEE、東京ケーブルネットワーク、中部衛生検査センター、コカ・コーラ、わかさ生活、キョーリン製薬、アサヒスーパードライ、ダンディハウス※伊藤ハム(※北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスの試合時はサッポロビール)
※2008年現在、後楽園時代からのスポンサーだったミズノと森永製菓は1997年限りで降板し、後楽園時代からのベンチ広告のスポンサーはキーコーヒーのみとなった。東京ドーム初年度からスポンサーになっているTDKは、東京ドーム完成後にベンチ広告のスポンサーになっており、後楽園球場においてはベンチスポンサーではなかった。
スコアボードの変遷
1988年の完成時、スコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」・「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」・「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも明朝体)。2003年に、後述するスコアボード部改修を機に再び通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」・「福岡ダイエー」・「千葉ロッテ」等)に変更されたが、2004年にはニックネームに戻された(このときの文字はゴシック体)。
オーロラビジョンは1990年にハイビジョンサイズへ変更、1999年に全面改修された。2001年にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の打率 (AV) 、ホームラン (HR) 表示に打点 (RBI) が加わった。球速表示も単位が"km"から"km/h"に変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(2004年以降の西武と大阪近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、大阪近鉄は太字の「Bu」が使用された)。また、選手名に使用されていた文字の字体が多少変更された。2004年のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率 (AV) 、ホームラン数 (HR) が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。フォントがCanonの角ゴシックCaに変わり、また従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。スペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団のペットマークやイニシャルと共に表示される。10億7,000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の1987年以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じ尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。
2006年から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体の幅が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響でペットマークを表示していた部分がなくなり、チーム名を選手名の上部に表示するようになったため、一列に入る選手名が9人分となった。このため指名打者制の試合時は、5番打者の名前の横(3塁側のチームは右側、1塁側のチームは左側)に投手名が表示されている。
2007年より、スコアボードをより見やすく・わかりやすくするため、守備位置表示が英語略称から日本人になじみのある数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ(16:9)になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に変わった。また、緑地のスコアボードだったが、黒に白が基調になり、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。前年開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックアジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用し始めた。(巨人主催試合のみ、日本ハムをはじめとするパ・リーグやアマチュアでは表示されない)
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。2003年の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。2007年からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(ベイスターズとバファローズは共に「B」と表示される)。但し、2文字表記することも可能であり、2008年のアジアシリーズではSKワイバーンズが「SK」統一セブンイレブン・ライオンズが「U・L」、天津ライオンズが「T・L」と表記された。
放送席
ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワーク<ref>地上波のテレビ埼玉(過去には千葉テレビ放送も)、CS衛星放送のGAORA(プロ野球・日本ハム主管試合と都市対抗社会人野球)、スカイ・エー(アメリカンフットボール社会人Xリーグ)、J SPORTS(プロ野球・オリックス主管試合とアジアシリーズ)に使われたりしている。</ref>、ニッポン放送、ラジオ日本、テレビ朝日、NHK、日本テレビ、文化放送、TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送、中部日本放送、ラジオNIKKEI、RKB毎日放送、朝日放送、毎日放送)となっている。
放送席に入るためには一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりができて、混乱が発生する。
野球体育博物館
21番ゲート右側に野球体育博物館が併設されている。この施設も後楽園球場から受け継がれたものである。
エピソード
- 公式戦での初ホームランは、ヤクルトスワローズのダグ・デシンセイが桑田真澄から放ったものである(巨人の東京ドーム公式戦初本塁打はウォーレン・クロマティが尾花高夫から記録)。こけら落としとして行われたオープン戦も含めると吉村禎章が初の打者となる<ref>東京ドームの歴史 第4期 ドーム時代 東京ドームシティ公式サイト</ref>。
- 初の公式戦勝利投手は尾花、公式戦セーブは伊東昭光、公式戦敗戦投手は桑田。
- 1989年4月24日、新日本プロレスが当時国交が希薄だったソ連勢のレスラーを招聘し初のドーム興行を行う。そのメインイベントでアントニオ猪木がミュンヘン五輪金メダリストのショータ・チョチョシビリに唯一の異種格闘技戦敗退を喫す。並行してIWGPヘビー級トーナメントの闘強導夢杯も行われる。
- 1990年8月10日、読売ジャイアンツ - 中日ドラゴンズ戦が行われる予定であったが、当日発生した台風の影響で東海道新幹線がストップ、名古屋から中日の選手陣が上京できなくなったため、当日の試合は中止になった。これは日本のドーム球場にて試合中止となった最初の事例。
- 1995年10月9日、新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦が行われ、ドーム史上空前の67000人を集めるが、ファン同士で乱闘さわぎがおき問題となる
- 1998年、1月4日、長州力引退試合が行われる。65000人を動員。
- 1998年、4月4日、アントニオ猪木引退試合が行われ、ドーム史上最高の70000人を動員。
- 1998年、開場10周年を記念して1番ゲートを「王ゲート」、3番ゲートを「長嶋ゲート」と称された。これは後楽園球場時代の名残である。2000年、二人は読売巨人軍VS福岡ダイエーホークス(当時)の日本シリーズで監督として対決となるが同球場では1塁側ベンチを巨人の長嶋、3塁側ベンチをダイエーの王が使用している。また、巨人の監督として、王は背番号1(1988年)、長嶋は背番号3(2000年~2001年)、とそれぞれ現役時代の背番号を付けて指揮していた。
- 2000年4月13日、新日本プロレスが当時勃発していた橋本真也と小川直也の遺恨決着をつけるべく「橋本真也34歳負けたら即引退試合」を組み、ゴールデンで中継する。結果橋本は敗北し、話題になる。
- 2002年の日テレG+開局からは日本テレビのニュース番組のスポーツコーナーでの放送と実況放送を分離する放送を開始。
- 1990年代の新日本プロレス主催の大会においては「闘強導夢」という当て字が使用されていた。(1月4日、5月、10月などその後恒例化。)
- 2004年にストロングリーグによっておこなわれた全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップの決勝戦では、草野球大会としてはじめて沖縄県のチームが来場し千葉県代表チームに勝利し優勝を飾り、胴上げをおこなった。
- 東京ドーム内見学(ガイドつきツアー)と呼ばれている見学会がある。ガイドによる案内で、スタンド席やグラウンド等を見学する事ができる
胴上げ
東京ドームにおいてセリーグ優勝の胴上げをされたことのある巨人の監督は、1990年の藤田元司、2000年の長嶋茂雄、2007年・2009年の原辰徳の3人である。1990年と2000年の優勝決定は、ともに背番号7をつけた巨人の選手(1990年-吉村禎章、2000年-二岡智宏)がサヨナラホームランで優勝を決めている。2007年もサヨナラ勝ちによる優勝決定であり、エックスゲームによる優勝決定は2009年のみである。日本シリーズでは、1994年と2000年に東京ドームで優勝を決め、長嶋が胴上げされている。
巨人の監督の胴上げと比べて、巨人の対戦相手チームの胴上げは少ない。セリーグでは2006年の中日ドラゴンズ(監督・落合博満)、日本シリーズでは2008年の埼玉西武ライオンズ(監督・渡辺久信)の例があるのみであり、開場からこれらの事例が起こるまでが長かったため、その間は「巨人が東京ドームにおいて敵将の胴上げを見ることはない」ということは一種のジンクスとされていた。ちなみに、後楽園球場において最後に巨人が敵将の胴上げを見たのは、セリーグでは1975年の広島東洋カープ(監督・古葉竹識)、日本シリーズでは1977年の阪急ブレーブス(監督・上田利治)までさかのぼる。
対して日本ハムファイターズは、東京ドームを本拠地とする時代にはリーグ優勝自体がなかった。本拠地移転後の2006年のアジアシリーズで優勝し、ようやく東京ドームでの胴上げを果たしている。
読売との資本関係
東京ドームは、巨人の本拠地だけに読売新聞グループ本社の子会社であると捉えられる場合があるが、グループ本社との資本関係はない。ただし企業としての株式会社東京ドームは、よみうりランドの大株主の一社である。
暴力団への利益供与
2002年に、東京ドームが広域暴力団住吉会下部組織に対して、巨人戦のチケットを無償供与する等の利益供与を行っていたことが明らかになった。当時巨人戦のチケットはプラチナチケットであり、提供されたチケットをダフ屋行為を行うことで高額で転売できたため、チケット額面以上の利益供与となった。
球場使用料
東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べて極めて高く、1試合あたり観客数に関係なく1,750万円だといわれている(ちなみに阪神甲子園球場は親会社の所有のため基本的に無料)。高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった(札幌ドームの球場使用料は1試合あたり「基本料金800万円+観客が2万人を超えるごとに1人当たり400円追加」で、最大1600万円強)。
この金額は照明、アナウンス、ゴミ掃除など観客を入れるための各種オプションも含まれた金額である。オフシーズン、平日、昼間、草野球(2時間程度)、オプション無し、などの条件であれば数十万で貸し切ることができる。
マスコットキャラクター
日本ハムの北海道移転前のマスコットキャラクター・ファイティーは、当初移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により、東京ドーム限定のマスコットキャラクターとして2005年まで存続し、2006年以降は重大イベント限定で登場となった。また、ファイターズ戦においては日本ハムの商品マスコットであるハムリンズも2005年以降登場している。
ドームに住む白い悪魔の伝説
新日本プロレスなど一部を除くプロレス団体が東京ドームで興行を行なうと、後日必ず不幸に見舞われる事から「プロレス団体が東京ドームで興行を行なうと、ドームに住む白い悪魔の呪いに襲われる」と言う伝説が生まれた。以下に実例を挙げる。
- UWFがドームで「U・COSMOS」を開催。後UWFインター、リングス、藤原組の3派に分裂、UWFは消滅。
- 藤原組がドームで興行を行なった後、藤原組、パンクラス、バトラーツに分裂。
- みちのくプロレスがドームで興行を行なった後、みちプロ、大阪プロレスの2派に分裂。
- 全日本プロレスが2度ドームで興行開催。最初の興行の後ジャイアント馬場が急死、2度目の興行の後、全日、NOAHの2派に分裂。
- NOAHがドームで興行開催。(武藤VS三沢タッグ対決)その数年後の2009年6月、三沢光晴が試合中の事故で急死。
- 全日本女子プロレスが「憧夢超女大戦」を開催後、ネオレディース(現・NEO女子プロレス)、アルシオン3派に分裂。全女は消滅。
- 週刊プロレス主催「夢の懸け橋」開催後、週プロは各団体から取材拒否を受け、その責任を取って山本編集長(当時)が失脚。同興行に参加した藤原組、みちプロ、全日本、全女が上記の不幸に見舞われた他FMW、リングス、Uインターが消滅した。
- 船木誠勝がドームでヒクソン・グレイシーと戦うも惨敗。その場で引退表明(後復活)した。
この種の実例は後楽園球場時代から多々認められており、古くは日本プロレスの「ハリケーンシリーズ」(このシリーズではレスラーのアクシデントが度々発生し、後に日プロはこのシリーズ名を使わなくなってしまった)、近年では新日本プロレスのIWGP(第1回大会では猪木がホーガンのアックスボンバーを食らって失神敗北。第2回大会は何とか猪木が優勝したものの長州の無法乱入があり不透明な結末に激怒した観客が暴動を引き起こす。第5回大会では出戻り維新軍が乱入を繰り返しIWGPの権威はすっかり地に落ちてしまう。)が有名である。
野球以外での利用
東京ドームは野球以外にも、新商品展示会・新車発表展示会など多目的利用ホールとしても活用されている。野球がない日でも東京ドーム外に露店が出ていたり何らかのイベントが行われていたりすることもある。
多目的ホール
1990年代前半までは多目的ホールとしても首都圏最大級の規模であり、東京の一大ランドマークとして存在感も大きかった事から、主に関東域外の地方自治体や観光協会が開催する地方物産展、富士通をはじめとした大手企業の新製品展示会など、いわゆる見本市会場的な用途としてもコンスタントな需要があった。バブル崩壊後の経済の低迷や、施設の規模に対する施設使用料の高さ、元々が野球場であるがゆえの見本市会場としての構造的な不便さなどがネックとなり、東京ドームで開催されるこれらイベントの多くは終了したり、あるいは規模によってプリズムホールや東京ビッグサイトなど他のイベントホールや見本市会場へ開催地の移転が行われた。現在では見本市会場といった用途での使用は大幅に減っている。2008年5月15日の日本テレビNEWS ZEROによると、2008年4月26日・27日にマルチ商法で業務停止命令中の「ニューウェイズ・ジャパン」の全国大会に東京ドームが使用されたと放送された。
コンサート会場
決まり事
- コンサートで利用する場合、消防法と警視庁からの指導、及び観客の転落防止のため、2階席と外野席の最前列は、緩衝地域となり、原則として客席として利用できない。ただし、近年一部の公演では、客席として使用する場合がある。
(使用例)
- 2008年11月18日のビリー・ジョエルの公演は、2階最前列を「立見禁止席」として使用。
- 2009年7月4日・5日の東方神起の公演では、バルコニー席・2階席・外野席の1列目を「着席シート」(立見禁止)として使用。(尚バルコニー席の1列目は、立見禁止では無い。)
- 2009年12月4日-6日の嵐の公演では、2階席・外野席の1列目を「着席シート」(立見禁止)として使用。
- 2009年12月19日のガンズ・アンド・ローゼズの公演では2階最前列が使用されたが、特に「立ち見禁止」等の規制は設けられなかった。
- 東京ドームでコンサートをする場合、音がかなりこもるために、スピーカーの設置などには気を使う。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
- 杮落とし公演は美空ひばりあるいはミック・ジャガーが行ったと誤って伝えられる事が多いが、東京ドームオープニングイベントとして19日、20日に行われた世界各国のマーチングバンドとTHE ALFEEの共演によるコンサートである(翌21日に行われたマイク・タイソンの世界タイトル防衛戦も含む)。
- 演奏は、近隣住民の騒音への配慮により、午後9時30分(年末のカウントダウン公演は午前0時30分)以降は、音を出してはいけない決まりになっている。
コンサートを開催したミュージシャン
Template:Main 1998年より大晦日にはジャニーズカウントダウンライブが行われるのが恒例となっている。
イベント・その他
- 1988年 - 1992年、1998年には、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第一次予選にも使用されていた。
- 1988年と1990年に日本テレビ・電通・帝拳プロモーションのタイアップでマイク・タイソンのプロボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチが行われた(2度とも前座に新日本木村ボクシングジム所属の日本王者によるチャンピオンカーニバルの防衛戦)。
- 1989年ではじめて格闘衛星☆闘強導夢を開催してから新日本プロレスが毎年プロレス興行を行っている。1992年からは毎年1月4日に行われるようになり、年3本ペースほど東京ドームで興行を行っていたが、2007年からは毎年1月4日のみ興行が行われる。
- 1990年からアメリカンフットボールの日本選手権「ライスボウル」の試合会場として利用されており、毎年1月3日に開催される。
- 1993年にはJリーグのプレシーズンマッチで使われた。そのために簡易装着できる天然芝、ビッグエッグターフが開発されている。なお1994年2月にもジュビロ磐田vsクルゼイロECの試合が行われた。詳細はこちら→[1]
- 1997年より2006年までK-1グランプリ決勝戦の会場として使用していた。
- 総合格闘技「PRIDE」では1997年10月11日のPRIDE.1を始め5度開催された。
- 1999年8月、コナミが遊☆戯☆王のイベントでドームを使用。来場者数についての予測の甘さや人員誘導スタッフの絶対的な不足など、開催側の不備が原因でドーム内外で大混乱が発生、マスコミのニュースでも取り上げられた。<ref>東京ドームの「遊戯王」イベント、カード販売中止で混乱 ITmedia +D(1999年8月27日)</ref>
- 2003年にはハロー!プロジェクト(モーニング娘。や松浦亜弥など)による「Hello!Project スポーツフェスティバル」を開催した。
- 2003年、当時来日していたレアル・マドリードが公開練習を行う。
- 2004年、2005年にはプロレスリング・ノアがプロレス興行を行った。
- 2004年3月30日・31日 タンパベイ・デビルレイズ 対 ニューヨーク・ヤンキース
- 2008年3月25日・26日 ボストン・レッドソックス 対 オークランド・アスレチックス
- (2003年3月25日・26日 オークランド・アスレチックス 対 シアトル・マリナーズは、米英によるイラクへの武力行使により、MLBとMLB選手会が、選手などの渡航の安全を十分に確保できない恐れがあると判断し、中止となった。)
- 立正大学が入学試験会場としてグラウンドを使用したことでも話題になった。ただし、これは校舎建て替えに伴うものである。
- 2009年9月29日・30日に、ペ・ヨンジュン出演のイベントが、2日間行われた。また29日は観客の前では初めてチェ・ジウと共にイベントを行なった。
- 興行の内容(特にジャニーズ事務所系)によっては、主催者の意向により、球場内の売店でのアルコール類の販売が行われない場合がある(バーガーショップ等の球場外にある売店では、販売されている)。
最寄駅
脚注
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関連項目
thumb|right|325px|夜の東京ドームおよび東京ドームホテルを望む空中写真
- 日本の野球場一覧
- 東京ドームホテル - 同じ運営会社の経営。巨人戦観戦宿泊プランもある。
- 元気を日本に 日本プロ野球 - 日本テレビ
- ラジオ日本ジャイアンツナイター - ラジオ日本
- ミラクルジャイアンツ童夢くん - 開場のころ、イメージキャラクターとなっていた。
外部リンク
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