春風亭柳昇

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春風亭 柳昇(しゅんぷうてい りゅうしょう)とは落語名跡である。2003年平成15年)に5代目が逝去して以来、空位となっている。代数に関しては場合によりまばらであり3代目と表記されているものもある。(落語芸術協会では5代目となっている。)柳曻として名乗ることもある。


5代目 春風亭 柳昇(しゅんぷうてい りゅうしょう、1920年10月18日 - 2003年6月16日)は、東京都武蔵野市出身の落語家江戸噺家。数々の新作落語を創作した。本名、秋本 安雄。ペンネーム、林 鳴平

目次

肩書き

  • 社団法人落語芸術協会副会長(後に理事長)
  • 日本演芸家連合幹事長
  • 社団法人日本芸能実演家団協議会理事
  • 国立演芸場設立促進委員長
  • ゆうもあくらぶ理事長
  • 警察官友の会常任理事
  • 財団法人発明学会幹事
  • 春陽会

決まり文句

冒頭で必ず「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きな事を言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では…(沈黙)、わたし一人でございます…」

人物

戦時中は陸軍に召集され、歩兵として中国大陸に渡ったが、敵機の機銃掃射で手の指を数本失っている。利き手をやられたため、元の職場に復職することもできず途方に暮れていたところ、戦友に6代目春風亭柳橋の息子がおり、その縁で生活のために柳橋に入門して落語界入り。手を使った表現が多い古典落語では成功はおぼつかないと考え、新作落語一本に絞って活動して成功を収めた(もっとも、晩年には古典の「お茶漬け」も演じたように、古典落語を演じるのに十分な技量は持っていた)。20世紀後半の新作落語を代表するスペシャリストともいえる存在であり、その飄々とした語り口は多くの落語ファンに愛されていた。当代までは前座や二つ目で名乗る名であった柳昇の名を一代で大看板としたと言える。なお、新作落語の一部は柳家金語楼(ペンネーム有崎勉)に書いてもらっており、金語楼は後輩のために無償で台本を提供していた。

日本会議代表委員を務めるなど、右派系の言論活動も行った。

80歳を過ぎてなお高座やテレビへの出演を積極的に続け、まさに生涯現役の噺家であったが、高座での挙措に衰えが囁かれるようになった矢先の2003年6月16日、胃癌のため逝去。Template:没年齢

柳昇の名跡については、弟子である9代目小柳枝昇太などが6代目を襲名するという噂が芸能マスコミ等では囁かれることがある。しかし、公式な場においての具体的な動きは現状では見られていない。

次男はアニメ監督・アニメーター知吹愛弓

経歴

得意ネタ

  • 結婚式風景
  • カラオケ病院
  • 課長の犬
  • 里帰り
  • 南極探検
  • 日照権
  • 扇風機
  • 免許証
  • 三国志
  • 小切手
  • 雑俳
  • 牛ほめ
  • 与太郎戦記 (自身の大東亜戦争体験を、面白おかしく落語としたもの)

受賞歴

ラジオ

テレビ

著書

  • 「与太郎戦記」(立風書房)大映で映画化4本・花王名人劇場でドラマ化
  • 「陸軍落語兵」(立風書房)大映で映画化1本
  • 「与太郎戦記ああ戦友」(立風書房)
  • 「人に好かれる話し方」(サンケイ出版)
  • 「少年少女落語「そこつの電話」(学校図書KK)
  • 「柳昇落語グラフィティ」(レオ企画)
  • 「与太郎高座」(日本テレビ)
  • 「ボク大人に負けないぞ」(ポプラ社)
  • 「決定版、人に好かれる話し方」(中央書院)
  • 「短歌集・風もないのに世の中まわる」(明窓出版)
  • 「短歌集・今日は誰がの誕生日」(立風書房)
  • 「寄席花伝書」(青也コミュニケーションズ)
  • 柳昇の新作格言講座
  • 「寄席は毎日休みなし」(うなぎ書房)

ビデオ

「柳昇落語」二巻(クリンメディアKK)

出囃子

  • お前とならば

弟子

ペンネーム

林 鳴平。噺家は、おハヤシって高座に出て開口一番「え~(へ~)」と言うところから、自ら命名。

その他

  • 春風亭は元々柳派の亭号である(春風亭柳枝など)。したがって柳昇も柳派に属する。
  • フジテレビ「お笑いタッグマッチ」の司会役で人気が沸騰し、時代の寵児となる。番組開始冒頭に柳昇は不協和音に似たトロンボーン演奏をしていた。同番組にはレギュラー陣に同時に真打に昇進した10代目桂文治4代目三遊亭小圓馬4代目春風亭柳好三笑亭夢楽がいた(他の出演者は落語協会4代目柳家小せん初代金原亭馬の助)。
  • 自身の軍隊体験を落語調に綴った自著「与太郎戦記」はベストセラーとなり、大映で数度映画化された。その映画には自身もカメオ出演している。
  • 晩年は落語好きの女子大生を中心に人気が集まり、彼女達を中心に親衛隊ともいえる「柳昇ギャルズ」が結成された。結成は「花王名人劇場」(関西テレビ)の演出・プロデューサーを担当していた東阪企画澤田隆治の仕込みとの噂(「北野ファンクラブ」(フジテレビ)の放送にてビートたけし談)がある。書記長は素人時代の木村万里。落語協会の二つ目川柳つくしも一員だった。
  • 漫画「究極超人あ〜る」の劇中の舞台である春風高校校長、柳昇(やなぎ のぼる)の外見及び喋り方のモデルであり、実際、校長の姿は大きなアレンジも無く当時の柳昇ほとんどそのままに描かれている。同作のイメージアルバムやサウンドトラックでは特別出演としてこの役で声優もつとめた。高座でも若い人が多い席では、「あ〜る」以降はたまに「校長の柳昇でございます」とやったりして、ウケを取っていたようである。
    • 「あ〜る」がOVA作品化された際には、柳昇の次男である知吹愛弓が監督を務めた。元はといえば、「あ〜る」の原作者であるゆうきまさみと知吹との間に親交があった事が縁となり、柳昇本人の許可を得てキャラクターとして登場したものである。また、柳昇と知吹はツーショットでNTTの広告に出演(知吹については本名表記)した事もあった。
  • 温厚で飄々としたイメージがあるが、1984年に芸協が鈴本演芸場と絶縁した際、これを不服とした桂文朝桂文生桂南喬落語協会に移籍した事を聞くと「あいつらとは二度と共演したくない」と激怒した程、裏切りを許さず、生真面目な一面を持っていた。
  • 江戸時代、先祖が居住していた関前村(現在の武蔵野市)の富士講の指導者であった為、70年代に自宅から富士講に関する古文書など多数の資料が発見された。
  • 吉祥寺など地元武蔵野市での高座の後には、西荻窪駅南口にある鮨屋「松寿し」に好んで通っていた。
  • 新作落語を全否定し、新作落語を手がける落語家を徹底的に嫌い、片っ端から非難したことで知られる6代目三遊亭圓生が、そのようなことを言えなかった数少ない人物でもある。これには落語協会と芸協という所属団体の違いや世代差による落語家としての格の違いもあったが、それ以前の問題として柳昇は傷痍軍人であり、戦争で負った手の負傷がゆえに古典落語での大成は難しいとして新作落語一本に絞っていたという事情が大きい。つまり、落語観の相違を理由とした非難であっても、発言内容次第では当時は数多くいた傷痍軍人やその団体からの批判を招いて社会問題化しかねない可能性があったためで、さすがに6代目圓生の周囲の人間が釘を刺していたと言われている。
  • 2008年7月6日放送の笑点では、弟子の春風亭昇太が大喜利の代理司会をしているが、そのときの2問目で林家たい平が「ある落語の師匠のネタを使い廻している」として、「あー林家たい平と言えばー…我が国ではー…」と柳昇の決まり文句をネタにしていた。
  • 松村邦洋はテレビ番組のロケで「春風亭でぶ昇」の名を拝命してもらっている。

出典

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