携帯型ゲーム
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- コンピュータゲームにおけるコンシューマーゲームのうち、携帯可能なサイズに小型化されたゲーム機及び専用ゲームソフト。またはその市場全般を指す分類。本項ではこれを詳述する。
- 携帯可能なサイズの、コンピュータゲーム以外のゲームの道具、およびそれを用いた遊び。トランプ遊びや携帯用サイズに縮小された将棋やオセロ等、かつてのエポック社「ミニゲーム」・トミー「ポケットメイト」等が該当する。
- 携帯型ゲーム (2ちゃんねるカテゴリ) - 携帯型ゲームの話題を扱う2ちゃんねるのカテゴリのひとつ。
目次 |
概要
コンシューマーゲームの中の一分類のため、携帯電話を用いて遊ぶ携帯電話ゲームは含まれないことが多い。ソフト内蔵型のいわゆる電子ゲームは含むことと含まないことがある。
携帯用途のためゲーム機本体が小型で持ち運びしやすい。自宅だけでなく外出先でも容易に利用できる。
コンピュータゲームを考察する上で、テレビを使用した据え置き型のテレビゲームと対比させられることがある。2007年以後、特に日本市場ではソフトウェア・ハードウェア共に携帯型が据え置き型を超えておりゲーム機の主流となっている。
特徴と傾向
以下に、携帯ゲーム機に多く見られる特徴・傾向を列記する。
- ゲーム機に表示装置が内蔵されている。もっぱら液晶ディスプレイが用いられる。
- コントローラがゲーム機本体に一体化している。
- ゲーム機の電源は電池。初期は乾電池だったが、2000年代以降はリチウムイオン二次電池が主流となった。特に小型のものにはボタン型電池を採用したものもある。
- ゲームソフトのメディアはROMカートリッジを用いるものが多い(光ディスクドライブを採用しているプレイステーション・ポータブルは例外)。ソフトがハードに内蔵されて取り替えられなかったりデータ転送で外部から読み込むなど、本体がメディアを兼ねるものもある。
- ゲーム機本体およびソフトが、同時期に発売されたテレビゲーム機と比較すると安価なものが多い。
- 消費電力の少ない電子部品を使用している。そのため同時期のテレビゲーム機等と比較すると性能は劣る。しかし近年、その差は以前よりは縮まっている。
- ちょっとした時間に遊ぶことが多いため、ゲームのルールや操作方法がすぐに理解できるゲームソフトが比較的多い。
- テレビゲームは家族と共同で所有しているケースも多いが、携帯型ゲームはゲーム機・ソフトともたいてい一人で専有している。
- 個人でのゲーム機本体やソフトウェアの専有意識があることから、通信機能を利用し通信対戦やキャラクターの交換などにより他者とのコミュニケーションをとることのできる機能を盛り込んだソフトも多い。
利用者について
利用者は、パソコンゲームやテレビゲームと携帯型ゲーム機とでは必ずしも一致しない。前者は男子学生や長年ゲームに親しんでいる熟練ユーザーにある程度偏っているが後者は小学生や主婦、会社員なども含めた幅広いユーザーが存在する。
その利用局面も多岐に渡る。電源を入れればその瞬間に利用可能な機器も多い事から、他の用事の片手間に利用する向きもある。調理や洗濯といった自動化され断片的に時間の空く家事や通勤、用便中や寝入り端等の注意力が散漫になっても差し障りの無い生理現象が起きている間など、非常に幅広い。
このためメーカー側はその様な事情に配慮した物を発売する傾向が見られ一回のプレイ時間が極めて短い物や随時状態を保存(セーブ)して電源を切れる物、または常に電源は入りっぱなしで操作が無い時は状態に変化が起こらない物などが好まれる傾向にある。
しかしその一方で、ゲームの状態によって随時操作を積極的に要求する内容の物も存在する。これらは「生き物を世話する」事を擬似的に体験させる物に多く、一回の操作自体は数秒程度で完結するものが大半である。その様な物では随時ペットを持ち歩くような事に等しくなるため、これにまつわる事故が発生しやすいと言えよう。1990年代に異常なまでの流行を見せた『たまごっち』では下は幼稚園児から上は社会人まで幅広い利用者が見られたがこれらゲーム機からの操作要求によって他の要件が度々中断される等の現象も招き、学校や企業内において携帯ゲーム機の禁止令が出されるなどの混乱を招いている。
利用者に積極的な使用を促さない受動的な内容の物と積極的に使用する事を求める能動的な物とでは、その在り様の差から利用者に一定の違いが見られる。また、一人で遊ぶ内容かそれともコミュニケーションツールとして利用できるかによっても利用者は異なる。
発展の歴史
携帯型ゲームは、ハードウェアと密接に関係して発展してきた。
1976年にアメリカにおいてマテルが『Mattel Auto Race』を発売。これが世界初の携帯型電子ゲーム機とされる。同社が翌1977年に発売した『Mattel Football』はヒット商品となり、各社から様々な製品が登場した。その一部は日本にも輸入された他、日本国産のものも各種登場した。そして、1980年に発売された任天堂の「ゲーム&ウオッチ」シリーズは大ヒット商品となった。
当時の携帯型ゲームはゲームソフト自体が本体の内蔵部品に書き込まれているため、別のゲームソフトが必要になったときには本体も含めて新しいものを購入しなければならなかった。また表示装置も登場人物などの形状の点滅箇所があらかじめ決められている程度の、今から見ればごく簡易的なものだった。その後10年ほどは電子ゲームと呼ばれる、このようなタイプの携帯型ゲームが主流だった。
その流れは、1989年に任天堂が発売した「ゲームボーイ」によって大きく変わる。当時普及していたテレビゲーム機・ファミリーコンピュータと同様にゲームソフトを記憶したカートリッジを交換して使用でき、液晶も縦横に点を配列した方式のものを採用したことによりさまざまなゲームを遊ぶことを可能にした。現在の携帯型ゲームの原点である。この機種は、安価な本体価格の設定と、熱中度の高いゲームソフト『テトリス』の効果で爆発的にヒットした。
同年には米Atariから「Atari Lynx」が、翌1990年にはセガから「ゲームギア」、NECホームエレクトロニクスから「PCエンジンGT」と携帯型ゲーム機が続々と発売された。いずれもカラー液晶画面を搭載し性能でもゲームボーイに勝っていたが本体価格の高さ、電池の持ちの悪さ、対応ソフトの不足や偏り等の要因により牙城を崩すに至らず姿を消していった。
ゲームボーイの普及はそこそこの性能で安価・軽量であり、また乱暴に扱われがちな携帯機器(児童向け玩具)にあって足元に落下させた程度では簡単には破損しない丈夫さが愛好者を増やした要因ともいえよう。特に対応ソフトウェアの幅広さに加え、電池切れを余り気にせず何処でもすぐに利用できた点でも同機種は長く愛好された。当初は単純なルールの物が当初好まれたがその一方でじっくり腰を据えて遊ぶ物も用意されていた点も、幅広い支持を得るのに役立ったと推測される。
その後、携帯型ゲームの所持者からはカラー液晶ディスプレーを搭載しなおかつ電池の持続時間の長い次世代の携帯型ゲーム機を望む声も徐々に増えてくるがこれらの要求を満足する携帯型ゲーム機はこの年代には発売されなかった。液晶ディスプレイの技術が発展途上にあり、技術革新が困難だったためである。
また単価の安い携帯ゲーム機ソフトはメーカーにとって利幅も小さく、開発コストや期間を抑える事が要求された。そのため、ヒット作の後追いの安直な企画(特に『テトリス』のヒット直後はパズルや落ちゲーばかりだった)や明らかに練られていない作りのソフトの粗製濫造状態を経て次第にユーザーに飽きられていく。折りしも当時は据置型ゲーム機の世代交代期であり、ROMカートリッジに比べて割安であるCD-ROMを採用したソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション」やセガの「セガサターン」といった次世代機に世間の耳目は傾いてしまい一時はゲームボーイも市場から姿を消す寸前までになる。
そんな状況に陥りつつあった1996年、携帯型ゲーム市場に新たなヒット商品が誕生する。バンダイの『たまごっち』、さまざまなメーカーから発売されたいわゆる「ミニテトリス」といったキーホルダー大の商品である。とくにたまごっちは今まではゲームとは縁の遠い存在だった10代の女性を中心に大ヒット。社会現象にまで発展した。愛らしいキャラクター、とても小さくどこへでも携帯可能であったこと、カラフルな本体デザインなどが支持を集めた理由であった。その後もハドソンの『てくてくエンジェル』、任天堂の『ポケットピカチュウ』を初めとする万歩計ゲーム、SCEの「ポケットステーション」等のテレビゲーム用の記録メディアに小型の液晶ディスプレーをつけたものなどが発売された。
1996年はカートリッジを交換するタイプの携帯型ゲーム機にとっても大きな年となった。任天堂はこの年『ポケットモンスター 赤・緑』を発売。次第に小学生を中心に広がり、ゲームソフトの売り上げランキングで1年以上にわたり上位にランクインし続ける大ヒットとなる。それをきっかけにゲームボーイ市場は活気を取り戻し『マリオのピクロス』等のスマッシュヒット、「ゲームボーイポケット」の発売にも支えられ息を吹き返す。1998年にはカラー液晶ディスプレー搭載モデル「ゲームボーイカラー」を発売する。
1998年10月にはSNKより「ネオジオポケット」、1999年3月にはバンダイの「ワンダースワン」等の性能の高いライバル機も発売され任天堂の独占状態となりつつあったカートリッジ式の携帯型ゲーム機市場に競争が起こった。携帯型ゲームと据置ゲームのデータ連動を実現させる64GBパック、携帯電話と接続したネットワークサービスを受けられるモバイルアダプタGBなど従来には無かった遊び方も示されるようになった。
2001年、任天堂はゲームボーイの後継モデル「ゲームボーイアドバンス」を発売。性能はファミコン並みから一気に向上、スーパーファミコンと比較しても見劣りしない作品が作られた。そのため、他社の携帯型ゲーム機は市場から姿を消すこととなった。また、2003年2月には上位モデル「ゲームボーイアドバンスSP」を発売している。
ゲームボーイアドバンスにはファミリーコンピュータ、スーパーファミコンからのリメイク・続編が多く発売されている。2004年にはファミリーコンピュータの初期の作品をゲームボーイアドバンスに移植したファミコンミニシリーズも登場した。また、GBAケーブルで繋ぐことで任天堂のテレビゲーム機ニンテンドーゲームキューブの操作用コントローラーとしてゲームボーイアドバンスを利用するタイプのテレビゲームの試みも行われている。
2004年年末には、任天堂より「ニンテンドーDS」、SCEより「プレイステーション・ポータブル」が相次いで発売され、特にニンテンドーDSは新規性のあるコンセプトが世代や性別を越えて人気を集めている。日本国内では、これらの機種の普及により、ゲーム市場の中心が据え置き型ゲームから携帯型ゲームへと徐々に移行を見せ始めている。
また携帯電話のウェブページ閲覧サービス開始に伴い、1999年頃から携帯電話専用のコンピュータゲームも登場し始めた。これらのゲームソフトはiモードなどの携帯電話会社の提供するネットワークサービスを通じてアプリをダウンロードして使用する場合が多い。これらもまた、本体の内蔵部品の技術革新により画面表現能力が向上し、広く普及している。
携帯型ゲーム機年表(国内メーカー)
- 1980年 - ゲーム&ウオッチ(任天堂)
- 1985年 - ゲームポケコン(エポック社)
- 1989年 - ゲームボーイ(任天堂)
- 1990年
- 1998年
- 1999年
- ネオジオポケットカラー(SNK)
- ワンダースワン(バンダイ)
- 2000年 - ワンダースワンカラー(バンダイ)
- 2001年 - ゲームボーイアドバンス(任天堂)
- 2004年
- プレイステーション・ポータブル(ソニー・コンピュータエンタテインメント)
- ニンテンドーDS(任天堂)
- 2006年 - ニンテンドーDS Lite(任天堂)
- 2008年 - ニンテンドーDSi(任天堂)
- 2009年
- プレイステーション・ポータブル go(ソニー・コンピュータエンタテインメント)
- ニンテンドーDSi LL(任天堂)
関連項目
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