小室哲哉

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Template:半保護 Template:Infobox Musician 小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - 、本名同じ)は、日本の東京都府中市出身の音楽プロデューサー作詞家作曲家編曲家キーボーディストシンセシストシンセサイザープログラマーミキシングエンジニアDJVJアーティスト。元尚美学園大学芸術情報学部教授。妻はglobeボーカルkco

愛称は「先生」「てっちゃん」「テツ」「コム」「小室」「TK」「テチ」「テツニー」など。

身長167cm、体重47kg。

目次

略歴

学生時代

音楽の時間に作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。しかし小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」と語っている<ref name="komurobisual">シンコーミュージック・エンタテイメント刊 『Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK』より。</ref><ref>メディアファクトリー刊 『まっすぐ進む夢へのヒント54』 木根尚登著より。</ref>。日本万国博覧会シンセサイザー冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。

家にあったギターヴァイオリンエレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。渡辺美里の1thアルバム「eyes」に収録されている「きみに会えて」・TM NETWORKの4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという<ref name="ritttokomuro1"/>。

早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという<ref name="komurosinso"/>。

早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね白竜原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。

第一全盛期

1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が第28回日本レコード大賞金賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。

自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子荻野目洋子おニャン子クラブ福永恵規堀ちえみ中山美穂松田聖子小泉今日子宮沢りえ観月ありさ牧瀬里穂中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。

1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

第二全盛期

1994年TMN終了前後から、観月ありさ篠原涼子trfhitomi内田有紀H Jungle with tdosglobe華原朋美安室奈美恵tohko鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。

1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞<ref name="nikkan081104a">Template:Cite web</ref>。1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した<ref name="nikkan081104a"></ref>。1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1,500万枚以上を記録した<ref name="nikkan081104b">Template:Cite web</ref>。さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった<ref name="nikkan081104b"></ref>。1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWS(後のRojam Entertainment)を設立した<ref name="nikkan081104b"></ref>。1997年はスピード2のテーマ曲のリミックスを手掛けるなどした<ref name="nikkan081104b"></ref>。

2000年以降

しかし1999年からCDの売り上げが急降下<ref name="nikkan081104b"></ref>。ファン離れが急速に進んだ<ref>Template:Cite web</ref>。活動の幅を広げるため2001年吉本興業と契約を結んだものの、低迷は続いたままとなった<ref name="nikkan081104b"></ref>。2002年には2001年に結婚していたASAMIと離婚、約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという<ref name="nikkan081104b"></ref><ref name="sankei081104b">Template:Cite web</ref>。

またASAMIと離婚直後の2002年11月にKeikoと再婚した<ref name="nikkan081104b"></ref>。この頃から所有していた別荘、株、高級乗用車、クルーザーなどの資産売却を行うようになった<ref name="nikkan081104b"></ref>。2004年には約70億円の損失を出しRojam Entertainmentから撤退した<ref name="nikkan081104b"></ref>。さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった<ref name="sankei081104b"></ref>。2008年11月1日NACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」と語っていた<ref>Template:Cite web</ref>。

5億円詐欺容疑による逮捕・起訴

2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った<ref name="mainichi081104">Template:Cite web</ref>。

しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに、印税を受け取ることが慣例となっている<ref name="mainichi081104"></ref>)されており、小室には著作権がなかった<ref name="mainichi081104"></ref>。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴<ref name="mainichi081104"></ref>。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった<ref name="mainichi081104"></ref>。

このため男性は地方検察庁刑事告訴を行った<ref name="mainichi081104"></ref>。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日に小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で大阪地検特捜部逮捕された<ref name="sankei081104a">Template:Cite web</ref>。11月21日に起訴、さらに同日保釈保証金3,000万円を支払い保釈された<ref>サンケイスポーツニュース</ref>。

2009年1月21日に大阪地方裁判所にて初公判、3月12日に第2回公判が行われ、小室側が遅延損害金を含む計6億4800万円を被害者側に振り込んだことが明らかになった2009年3月10日に解決金を含めて6億5000万円をエイベックス・グループ・ホールディングス社長松浦勝人が立て替え払いを行い、被害者に完済した)。お金を振り込んだ後、被害者側に謝罪の手紙を送っているが被害者側に受け取りを拒否されている。<ref>[1]mns法廷ライブ【小室被告第3回公判(1)】小室被告「改めて音楽しかないと思った」より出典</ref>なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた。<ref>>[2]mns法廷ライブ【小室被告第3回公判(1)】小室被告「改めて音楽しかないと思った」より出典</ref>しかしながら、被害者側との示談交渉においては「誠意が足りない。お金が足りない。」と断られている。なお、SNSmixiでは2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベースの署名活動も行われていた。(署名TVでも行われていた。)さらに小室の母親やマネージャー、弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、<ref group="†">日本大学名誉教授板倉宏は、「巨額詐欺なので、被害者が許した場合でも執行猶予の確率は30%。実刑になった場合は1億円なら1年が相場、今回は弁済しているので3年くらいが妥当」と述べている(出典:「執行猶予30%…小室哲哉、まだまだ続くいばら道」夕刊フジ』2009年3月13日配信)</ref>小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界や音楽業界関係者もいる。<ref>mns法廷ライブ【小室被告第3回公判(1)】小室被告「改めて音楽しかないと思った」より出典[3]及び[4]</ref>第3回公判は4月23日に行われて結審。

2009年5月11日大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。弁護側・検察側の控訴はなく、同年5月25日午前零時を以って刑が確定された。

再出発

Template:現在進行 2010年5月に復帰第一作としてAAAに「Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜/逢いたい理由」を提供。また翌6月には森進一への提供楽曲が発売されることがマスメディア、及び5月2日付の小室のtwitterにて明らかとなった<ref>Template:Cite web</ref>。 『眠らないラブソング/道標』の楽曲提供が決まり、作曲の他作詞、編曲も手掛けることとなり、復帰後は初のプロデュース作品となる。その他にも、やしきたかじんへの楽曲提供も(秋元康作詞)予定されている。

バイオグラフィ

  • 早稲田実業学校時代より複数のバンドで活動。

20世紀

1974年

1975年

1980年

  • SPEEDWAYに参加。
  • 月光仮面の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。
  • 2nd.アルバム『BASE AREA』で数曲を作曲した。
  • ミス・オレンジショックをプロデュース。

1983年

  • バンドを結成しては解散する時期を送る。(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等<ref name="komurosinso"/>)
  • 安岡力也の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。
  • SERIKA with DOGのサウンドプロデュースを行う。
  • SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意。
  • 村田バンドに参加。
  • 宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成。リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
  • コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテストに応募。「1974 (16光年の訪問者)」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。

1984年

1985年

  • アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。
  • 小室哲哉にとって初のメジャー歌手の提供曲となる岡田有希子の曲「Sweet Planet」の作曲を手掛ける。

1986年

1987年

1988年

1989年

  • 2月、デュラン・デュラン東京ドームライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
  • 「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。
  • 続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。
  • アルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリース。ソロツアーも開始。
  • シンクラヴィアを本格的に使い始めた。

1990年

  • 当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
  • 角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
  • オリジナルアルバム『Psychic Entertainment Sound』をリリース
  • TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。

1991年

  • 「SPACE WORLD」を開催、「Think Of Earth」を披露。
  • X JAPANYOSHIKIと「V2」を結成。
  • V2「背徳の瞳」をシングルリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
  • ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。
  • avex traxとライセンス契約を結ぶ。
  • 自身の個人レーベル第1号となる「TK TRACKS LABEL」を設立。
  • ディスコイベント「TK TRACKS NIGHT」を開催する。

1992年

  • 提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム『Hit Factory』を製作。
  • 初の全面プロデュースユニットとしてtrf(Tetsuya komuro Rave Factory)を結成。
  • 大谷香奈子と離婚。

1993年

  • trfがシングル「GOING 2 DANCE」でデビュー。
  • 2ndシングル「EZ DO DANCE」で、洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
  • 米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
  • 英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。

1994年

1995年

1996年

  • globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
  • globeのアルバム『globe』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
  • 華原朋美のアルバム『LOVE BRACE』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
  • 安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
  • 安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で第38回日本レコード大賞受賞。
  • 4月に嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレーが発売された。その五ヵ月後の9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
  • 4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
  • カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
  • 11月、厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を開催する。
  • 12月、小室哲哉とルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルずつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRing香港からgrace ipをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。
  • 大晦日23時から24時間の間にインターネットイベント「TK Trillion Net」が開催された。

1997年

1998年

1999年

2000年

21世紀

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

  • クラブ・イベント「Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party」を開催した。
  • avexの手掛ける高音質ネット配信の研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイザーに就任。
  • 「@MUSIC HD Sound」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
  • 12月、中国の女優である陳好に楽曲提供する。

2006年

  • ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。
  • DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
  • 3月、エプソン品川アクアスタジアムのアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
  • 小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行った。「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
  • 10月には米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム『Be What It Is』の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
  • 11月、自身のMySpaceオフィシャルサイトを開設。
  • 12月、音楽配信を主とした新たなインディーズレーベル兼個人スタジオ「TKCOM」を立ち上げる。

2007年

  • Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
  • 4月、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。著作権を巡る詐欺事件(前述)のため同大学は2008年11月4日付けで小室哲哉を懲戒解雇処分した。
  • 6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
  • 7月、DJ TK名義で「Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜」をリリース。
  • 11月2日 - 3日楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
  • 11月8日 - 11日秋葉原のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した。
  • 12月、音楽プロダクションイーミュージックの制作総指揮に就任。
  • 12月、同月に設立された芸能事務所「Empire Play Music」に所属。
  • 大晦日から元旦にかけて多福寺にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を開催する(この模様はYouTubeで公式配信された。)

2008年

  • 2月、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Winter」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
  • 3月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Spring」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
  • 5月、「MTV Video Music Awards Japan 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
  • 6月、江の島アイランドスパの新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
  • 7月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Summer」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
  • 8月、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
  • 9月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Autumn」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
  • 11月4日、兵庫県内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、大阪地検特捜部に逮捕される<ref name="sankei081104a"></ref>。これを受け、「Empire Play Music」は同日付で小室を契約解除した。

2009年

2010年

ディスコグラフィ

小室哲哉が楽曲提供、プロデュースした楽曲の一覧は小室哲哉提供楽曲一覧を参照

レコード会社は以下の表記とする。

ソロシングル

タイトル 発売日 レーベル 備考(タイアップ等)
1st RUNNING TO HORIZON 1989年10月28日 (EP) アニメシティーハンター3』OPソング
2nd GRAVITY OF LOVE 1989年11月17日 (EP)
3rd CHRISTMAS CHORUS 1989年12月1日 (EP)
4th 天と地と〜HEAVEN AND EARTH〜 1990年4月21日 (EP) 映画『天と地と』テーマ曲
5th 永遠と名づけてデイドリーム 1990年12月12日 (EP) 音楽座ミュージカル『マドモアゼル・モーツァルト』テーマソング
6th Magic 1992年10月1日 (EP)
7th Pure (Hyper Mix) 1992年11月27日 (EP)
8th SPEED TK RE-MIX 1997年7月9日 (EM) 映画『スピード2』テーマ曲、「TETSUYA "TK" KOMURO」名義
9th Blue Fantasy - Love & Chill Out 2001年10月24日 (F)
10th SPEED TK RE-MIX〜炎のコマ 2001年10月24日 (EM) 高橋由伸桜庭和志入場テーマ曲
11th Blue Fantasy - DJ KRUSH Remix 2002年4月24日 (F)
12th Someday mF remix 2006年1月5日 (M) DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
13th If you like it or not 2006年2月5日 (M) DJ TK」名義、ラップ・kco
14th @Buddha Bar 2006年3月7日 (M) DJ TK」名義
15th SOMEDAY 2006 2006年4月22日 (M) DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
16th Arashiyama 2006年8月8日 (M) mF247版、「DJ TK」名義
17th I WANT YOU BACK (mF247 remix) 2006年10月4日 (M) DJ TK」名義、ボーカル・kco
18th アンジェリーナ mF Prepromix 2006年12月9日 (M) DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
19th アンジェリーナ mF Prepromix Inst. 2006年12月9日 (M) DJ TK」名義
20th ガッツだぜ!! DJ TK MIX 2007年4月1日 (M) DJ TK」名義、ウルフルズのヒット曲のリミックス
21st Arashiyama 2008年4月30日 (T) iTunes Store版、全世界同時配信
22nd HAPPY ENDING 2008年5月12日 不明 syncl公式サイトで配信、若尾裕之著『ミュージック葬でハッピーにいこう!』に付属CDとして収録

ソロアルバム

スタジオアルバム

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st Digitalian is eating breakfast 1989年12月9日 (EP)
2nd Psychic Entertainment Sound 1990年9月21日 (EP) Tetsuya Komuro & Mr.Maric」名義
3rd Far Eastern Wind - Winter 2008年2月13日 (T) iTunes Store配信限定、全世界同時配信
4th Far Eastern Wind - Spring 2008年3月5日 (T) iTunes Store配信限定、全世界同時配信
5th Far Eastern Wind - Summer 2008年7月23日 (T) iTunes Store配信限定、全世界同時配信
6th Far Eastern Wind - Autumn 2008年9月10日 (T) iTunes Store配信限定、全世界同時配信

サウンドトラック

ライヴ・アルバム

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st tjm - tetsuya komuro Jungle massive 1995年7月19日 (AV)
2nd tk-trap 1996年5月22日 (AN)
3rd TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.1 2002年11月20日 (Y) TSUTAYAのみで限定販売
4th TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.2 2003年2月26日 (Y) TSUTAYAのみで限定販売

リミックス・アルバム

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st Blue Fantasy - Love & Chill Out With Trance Remixes 2002年6月21日 (F)
2nd Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜 2007年7月4日 (M) DJ TK」名義

その他

タイトル 発売日 レーベル 備考
- Hit Factory 1992年10月21日 (E) セルフカバー・アルバム
- TK1998 1998年11月26日 (SA) 限定BOX
- PIANO globe〜globe piano collection〜 2003年3月19日 (A)
- PIANO WIND (TK AMBIENT SELECTION) 2003年3月19日 (Y)
- PIANO VOICE (TK PIANO WORKS) 2003年3月19日 (Y)

オムニバス

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st SAGA CLASSIC SELECTION 1992年12月2日 (E) クラシック・セレクション
2nd TK MILLION WORKS 1996年11月16日 (AV)
3rd ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS 2000年3月23日 (AV)
4th THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - s 2006年2月22日 (G)
5th THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - a 2006年2月22日 (AV)
6th TK INSTRUMENTAL WORKS SELECTION 1986〜2003 2006年2月22日 (G)
7th TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST 2008年5月7日 不明 iTunes Store配信限定、全世界同時配信

ビデオ・DVD

  • 1989年 Digitalian is eating breakfast
  • 1996年 tk-trap(1月19日 - 20日に幕張メッセで行われた2日間限定のライブを収めたビデオ)

レコーディング参加作品

※(直接的な)プロデュース・作曲・編曲を兼ねて参加した作品は除く。

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ライヴ・コンサートイベント

※主催・オーガナイザーを務めたライヴ等も含める。

公式書籍

  • 1988年 Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK (子供の頃の写真と共に、自らが詳しく生立ちを語ったヒストリーと、PWLのマット・エイトケンとの対談他を収めた自伝写真集)
  • 1989年 Digitalian is eating breakfast (ソロアルバム制作後のインタビューと楽譜を収めた本)
  • 1990年 音を生け捕る - 映画「天と地と」音楽監督NOTE (自身の曲解説が収録されている本)
  • 1992年 HIT FACTORY (マイアミで行われたソロセカンドアルバムの制作風景と、プライベート写真集)
  • 1993年 告白は踊る (東京をコンセプトに、自身の哲学や、これまでの仕事を振り返ったエッセイ)
  • 1995年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.1〜Vol.2 (音楽番組「TK MUSIC CLAMP」の対談を活字に起こした本)
  • 1996年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.3〜Vol.5 (桑田佳祐YOSHIKI織田哲郎小林武史つんくなど多数登場)
  • 1996年 深層の美意識 /著者:神山典士 (小室哲哉監修の公式自伝本)
  • 1998年 first step in asia (「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」、「TK Presents GROOVE MUSEUM」を、ドキュメントで構成したフォト&インタビュー)
  • 1998年 プロデューサーは次を作る - ビジネス成功22の方程式 /著者:中谷彰宏・小室哲哉
  • 2003年 VOICE OF WORDS (小室哲哉が書いた詞をセレクトした歌詞集)
  • 2009年 罪と音楽 (絶頂期から2009年時点、未来をテーマにした書き下ろしエッセイ)

関連書籍

  • 2000年 TKman (ティーケイマン) 1 & 2 /作:柴田亜美 1巻(第1話 - 第20話) 2巻(第21話 - 40話)
  • 2008年 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評53 TMN&小室哲哉 ポップス神話創世
  • 2008年 ミュージック葬でハッピーにいこう! /若尾裕之著(付属CD作曲・プロデュース)

ゲーム

テレビ・ラジオ・雑誌連載

※テレビ・ラジオの項ではレギュラー出演していたもののみ記す。

テレビ

ラジオ

雑誌連載

音楽性

テクノファンクユーロビートジャングルハウストランスアンビエントHIP HOPR&Bレイヴハードロックプログレ、果てはクラシックフォークAORラテンワールドミュージック純邦楽演歌など、幅広い曲調を使い分け、かつ複数のジャンルを融合させる音楽を手掛ける事を得意とする。ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・1990年代J-POP、又はそれにおけるデジタル・オーディオ・ワークステーションの普及の立役者として知られる。

大きな特徴として「唐突な転調」があるが、(例:Aメロ或いはサビに入る部分など)それを多用するようになったのは、TM NETWORKのファーストアルバム「RAINBOW RAINBOW」のレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。因みにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している<ref name="ritttokomuro2">リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2004年6月号より。</ref>。

※「TMサウンドとTMサウンドを形作ったシンセサイザーとの関わり」も参照されたし。(TM NETWORKを参照)

人物

本人について

  • 早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。
  • かなりの偏食であり、特にかつては大の魚嫌いであった。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが降ちてきて、それがトラウマになった為と言われる<ref name="komurobisual"/>。それを最初に吹聴して回ったのは、木根尚登宇都宮隆である<ref>メディアファクトリー刊 『続・電気仕掛けの預言者たち』 木根尚登著より。</ref>。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。ただ最近はkcoに促された事もあり、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。
  • またかなりの小食・早食いであり、いわゆる小室ブームの時も食事の殆どはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。当時のマネージャー曰く「世界一エンゲル係数の小さい人」とのこと<ref>朝日新聞出版刊 『AERA』 1998年12月14日号より。</ref>。
  • ファミリーレストラン好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほどであった。
  • 大のフェラーリファンとしても有名。色違いのフェラーリを複数台所有している。過去にはプライベートでF1観戦に訪れ、フェラーリチームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。
  • 漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代にはアーサー・C・クラークを敬愛し<ref>『幼年期の終わり』の英名をTMのアルバムタイトルに引用、その後『Rendez-vous in Space 2001』で共作を果たす。</ref>、2001年には世間的な評価が低かった劇場版ファイナルファンタジーにも賛辞のコメントを呈している<ref>公式サイトより。</ref>。また、さくらももこの携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという<ref>幻冬舎刊 『ももこの21世紀日記 N.03』 さくらももこ著より、さくらは「自分の抱いていた哲哉さんのイメージにギャップを感じた」と記している。</ref>。そして最近はケロロ軍曹のファンを公言しており<ref name="zubarikomuro"/>、自身のブログ・Twitterでも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。
  • 左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った<ref name="etanarukomuro">ソニー・マガジンズ刊 『ETERNAL NETWORK』より。</ref>。
  • 小室が趣味でiTunes Storeからダウンロードした楽曲は2万曲に上る<ref>『TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST』より。</ref>。

仕事について

  • 楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORKglobeGABALLなどのユニットの一員としても活動する。
  • 雛形あきこの歌手デビューにあたって雛形の所属事務所からプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに浅倉大介を起用させた。
  • 華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った<ref name="purotugi">飛鳥新社刊 『プロデューサーは次を作る』:中谷彰宏・小室哲哉著より。</ref>。そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。
  • 現在は国際麻薬統制委員会(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から2008年11月4日まで尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任して、音楽特論(新世紀音楽概論)を担当していた。
  • 自宅スタジオでのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている<ref name="zubarikomuro"/>。
  • 他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと<ref>『ORUMOK RECORDS』 VTRブックレットより。</ref>。
  • レコーディングの際のみソフトウェア・シンセサイザーを「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」として使用していない。音自体はハードウェア・シンセサイザーで作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それをPro Toolsなどでエディットしてゆく形を好んでいる<ref name="ritttokomuro2"/>。
  • 常に楽曲は100曲のストックを持っている。しかし、小室自身の感じるシンセサイザーサウンドの「賞味期限」は3か月であるため、その時になったら常に1からサウンドを練り直しているという<ref>TM NETWORK Offcial My Spaceの2007年10月21日分のブログより。</ref>。
  • レコーディングにおいては、特にトラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、機材・設備・果ては土地の空気・気圧・温度・湿度・静電気に拘りを見せる。また、短いサイクルでレコーディングスタジオを世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う」「もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている<ref name="zubarikomuro">TBS系列『ズバリ言うわよ!』で発言。</ref>。
  • プロデュースに専念するようになった頃から、レコーディングではギターも演奏するようになった。テレビでギター演奏するのを披露したのは篠原涼子ミュージックステーションに出演した時に披露したもっと もっと… がはじめてである。
  • 小室が作曲をする際には世界中の楽曲の音源から採取したフレーズ・リズム・メロディを音楽ジャンル別に分けて、更に「イントロ用」・「サビ用」・「アウトロ用」等に分けて記憶させた(その数は2万〜3万という)シンクラヴィア(後にPro Toolsにシフト)を駆使して行う。レコーディングの際にはいかに自らの曲のイメージに合わせながらシンクラヴィアで「カードの様に」組み合わせ、「小室サウンド」としてサンプリング、アレンジして完成させるかがポイントになっている<ref>講談社刊『Views』1995年8月号より。</ref>。また、複数の楽曲を同時進行で作成する為に1つの部屋に4軒のスタジオを建てていた<ref>フジテレビ系列『とくダネ!』「小室哲哉・全233曲分析・・・意外な事実」より。</ref>。小室はその状況を「羽生善治さんのCMと似ています」とコメントした<ref name="purotugi"/>。
  • 1990年代、マイケル・ジャクソンから楽曲提供を依頼されていたが、制作した楽曲は採用されなかった<ref>Template:Cite web</ref>。
  • 1990年代より音楽配信に並々ならぬ関心を抱き、1996年1月より自身の当時の公式サイト「Planet TK」にてNTTの音楽圧縮技術「TwinVQ」を用いた簡単な配信の実験を行っていた。2000年にはTM NETWORKの新曲を無料で配信する試みを行うが、その時の音質を「カセットテープ並み」と消極的に見ていた<ref>『TM NETWORK TOUR MAJOR TURN-ROUND Supported by ROJAM.COM』パンフレットより。</ref>。2005年6月avex内に設立された高音質配信研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイサーに就任、globeの楽曲を当時新しくavexにより設立された音楽配信サイト「@MUSIC HD Sound」(現在はmora winと共有化)より試験的に配信していた。2005年8月iTunes Storeの日本でのサービスが始まるとその様子を「黒船来航」と喜びのコメントを出した<ref>iTunes Music Store JAPAN サービスインへのTKコメント</ref>。
  • 作詞では、「CAN YOU CELEBRATE?」という英語の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘がある<ref>1997年11月1日の朝日新聞の記事から抜粋。</ref>が、小室は「サウンドにハマる言葉を選んでいた」と発言した<ref>『たけしの万物創世紀』で「科学で作ったミリオンヒット曲」の項目の時のVTRでのコメント。</ref>。作詞において特に影響を受けたのは渡辺美里との仕事であるという。「彼女の詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していた」<ref>『TK MUSIC CLAMP』での渡辺美里との対談で発言。</ref>とのこと。
  • ライヴでの演奏はほぼシンセサイザー主体である。1990年代前半まではマルチ・キーボードでの即興プレイ、ミュージックシーケンサーを駆使しての多重演奏を主体としていたが、1993年よりクラブDJが行うミキシング・コンソールでのリアルタイムリミックスに興味を抱き、1998年のイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」以降、リズムを含めたほとんどの音が内蔵されたPro Tools・ハードディスクとミキシングコンソールが機材の大部分を占めるようになり<ref name="komutnheri">TM NETWORKWORLD HERITAGE DOUBLE-DECADE COMPLETE BOX』ブックレットより。</ref>、ブラス音、パッド音、つまみを使用した音色変換・パート別の音量調節を中心とするようになる。しかし、どのようなミックスになるかは小室のその時の気分次第であり、公演ごとに一つひとつアレンジが異なる。演奏のきっかけになる元の楽曲の拍子が突然消えることが多い為、スタッフ・ミュージシャンは多大な緊張を強いられるという<ref name="etanarukomuro"/>。
  • 小室は90年代を振り返り「4日に1曲作っていた」「数々の記録は嬉しくない訳ではないが全く実感がなかった」「自分のお金を自分でどの位使っていたかわからなかった」「完全に裸の王様だった」と称している<ref>テレビ朝日系列『オーラの泉2008年5月3日放送分でコメント。 </ref>。
  • 自らの固定ファンを「15万個の消しゴム」とたとえ(この言葉は1991年頃、松浦勝人が「TMの楽曲をユーロビートにしたらどうだろう」と持ちかけたときに「楽曲がファン以外に広がらない」という危惧・諦めから生まれたという)、その固定ファンからどうしたら大衆に広がるかを試行錯誤していた<ref name="komurosinso"/>。しかし最近は「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」と心境の変化を語った<ref>テレビ東京系列『みゅーじん/音遊人』 2007年12月23日放送分でコメント。</ref>。

人間関係

  • TRFのメンバーとクリスマスパーティを行った際、メンバーひとりひとりに現金一千万円をプレゼントし、YU-KIには更に「誕生日プレゼント・御苦労さん代」と称して一千万円以上もするベンツをプレゼントした。
  • 業界ではYOSHIKIと小室の関係をよく知る人からは「YOSHIKIの猛獣使い」と呼ばれている<ref name="zubarikomuro"/>。
  • 1990年代前半、小室が本格的にエレクトロニック・ダンス・ミュージックの制作を開始した際、以前より顔見知りであった千葉龍平の紹介で松浦勝人と対面。以後、二人は音楽制作での重要なブレーンとなる。しかし、制作・セールス方針、印税の分配等で松浦・千葉と小室の意見が決裂、1996年に絶縁。その時の状況を松浦は「完全に小室さんをライバル視していた・目標は『打倒小室』だった」と語っている。その後はエグゼクティブプロデューサーとして関わる事はあっても深層面での制作協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。しかし、2008年に小室が逮捕された際、その翌年に小室の債務の一部を肩代わりし、今後の制作の為のスタジオ・小室夫妻の為の部屋を用意する。公判の際にも、「音楽業界について色々教えてくれた恩師」「類まれなる才能を持つ稀有な音楽家」と話したことに小室が感動し、松浦・千葉と和解する<ref>フジテレビ系列2009年12月20日放送『芸能人の告白』より。</ref>。

使用機材

キーボード・シンセサイザー

TM NETWORK結成当初、テレビ出演で使用していた。

プロデュース・デザイン作業に積極的に関与し、1990年代中頃までイメージキャラクターとしても活動していた。ライヴではMIDI接続のリモートキーボードとしてのみ使用していた。

主に1990年代前半から中頃に使用していた。

1999年以降、主軸にしている。

主に2000年以降のTM NETWORKの活動で使用される。

製作機材

シンクラヴィア
Pro Tools

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関連企業

  • Office TIMEMACHINE(株)

1984年TM NETWORKデビュー時に設立されたTMのマネジメント・コーディネート業務専門の芸能プロダクション。別名「TIMEMACHINE CAFE」・「TIMEMACHINE CORPORATION」・「TIMEMACHINE GROUP」。一時期、葛城哲哉阿部薫浅倉大介貴水博之も所属しており、初期のaccessのマネージメントも行っていた。「TMN終了」時に解散。

  • T-MUE-NEEDS(株)

TM NETWORKのグッズ・イベント等の企画・運営会社。「TMN終了」時に解散。

  • グラデミー(株)

小室が1991年に設立し、代表取締役社長に就任した映画製作会社(宇都宮、木根も取締役に就任、角川春樹三菱商事もバックアップとして参加していた)。社名の由来は、「グラミー」と「アカデミー」を掛け合わせた造語とも<ref name="komurosinso"/>、英語で「引力」と表す「gravitation」と英語で「純粋・学術的」と表す「academic」を掛け合わせた造語とも<ref name="komurorizumu">ソニー・マガジンズ刊 『TMN "RHYTHM RED" TOUR DOCUMENT』より。</ref>いわれる。木根尚登著「月はピアノに誘われて」の映画化、TM NETWORKの楽曲「THE POINT OF LOVERS' NIGHT」をモチーフにした映画製作(小室、原案・脚本、木根)<ref name="komutnheri"/>、「チーム・グラデミー」名義でのF1参加<ref name="komurorizumu"/>の企画が持ち上がったものの、それ以降公式のアナウンスが無いまま自然消滅した(F1参加は実現した)。

小室の個人レーベル運営及びイベント制作のために設立された会社。現在では小室とは離れた事業会社としての性格も持つ。

TK TRACKSの子会社。小室と直接の関係はない。

  • TK state(有)
    • TK MUSEUM
    • TK state America MUSEUM
    • TK SEQUENCE
    • TK SEQUENCE America
    • TK ENTERTAINMENT SERVE
    • Prime Direction TK Room
    • tetsuya komuro rise

1994年から2000年まで運営されていた小室の個人事務所。「TK MUSEUM」はイベント限定で音楽ユニットとしても活動していた(このノウハウは後のTKCOMに活かされる)。

小室と丸山茂雄ニューズ・コーポレーションが共同で設立したアジアマーケットをターゲットとした事業会社。しかし、「SPEED TK RE-MIX」のスーパーバイザー・中国で放送されたオーディション番組「小室魔力」の番組監修を務めて以来目立った活動を行わなかった。後に本社を母体としてRojam Entertainmentに発展する形で解散・吸収合併した。

香港を拠点とした本格的なアジア進出を目的とした総合音楽プロダクション。小室は2004年5月に全持株を売り実質上経営から撤退するも、プロデューサー契約として残っており(専属ではない)、現在も小室の個人スタジオを運営・管理する等関係は途絶えていない。

サッカー関連のマーケティング、制作などを行うための会社として設立、後に実質的な小室・木根(一時期のみ)の個人事務所となる。TKCOMの発足に伴い、休眠。

個人スタジオの変遷

※太字は2008年現在使用しているスタジオである。

評価

業界人の評価

  • マドンナ宇多田ヒカル坂本龍一などを手がけたエンジニア・GOH HOTODAは、「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」と語っている<ref name="komutnheri"/>。
  • 坂本龍一は「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」と話している<ref group="†">『TK MUSIC CLAMP』での坂本龍一との対談で発言。</ref>。
  • 森進一は「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」と語っている<ref>Template:Cite web</ref>。

社会的な評価

  • 小室がavex traxとライセンス契約を結んだ際、EPIC内では、「他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!」と議論が巻き起こった(当時の音楽業界では「音楽プロデューサーはレコード会社の社員・元アーティストの専属契約」であることが多かった為といわれる)。その問題に対応するため、trfデビューの際、丸山茂雄は「アーティスト主導の芸能事務所」をコンセプトに「Antinos Management(現ブルーワンミュージック)」を設立、小室は第一号契約者となった<ref name="komurosinso"/>。
  • ラジオ局の中には小室の楽曲のOA禁止を決める所がでた<ref group="†">FM802が代表的である。</ref><ref>[5]</ref>。
  • 反面、FM大阪は小室の楽曲を積極的に流している。
  • 小林武史とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。
  • 小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。また、日本の作詞家別シングル総売上枚数は阿久悠松本隆に次ぎ第3位、作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位である<ref name="nikkan081104a"></ref>。

チャート

1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースを行った楽曲が1位から5位を独占した。同一作家、兼、プロデューサーによる上位5曲独占は全世界音楽史上初。

1995年度のJASRAC発表の著作権使用料の分配額ランキング(JASRAC賞)では、小室哲哉が作詞・作曲を行った楽曲が国内作品の1位から3位を独占した。同一作家による上位3曲独占は史上初。

主な提供曲(1980年代〜1993年)

下記は一部にすぎない。詳細は小室哲哉提供楽曲一覧を参照

  • 岡田有希子
    • 「Sweet Plant」 生前最後のアルバムに収録された下記曲を含むアルバム曲で、編曲は2曲とも松任谷正隆が担当。
    • 「水色プリンセス」 作詞は上曲と同じで三浦徳子。小室哲哉が多数のアイドルに楽曲を提供するきっかけを作った作詞家でもある。
  • 福永恵規
    • 「10月はさよならのパームツリー」 元おニャン子クラブのメンバーに初めて提供したミディアムテンポの歌謡曲。編曲は下記曲と共に大村雅朗。
    • 「ハイパー・ラッキー」 こちらはアップテンポの楽曲で、小室哲哉の特徴的な早口のアイドルPOPS。
  • 岩崎良美
    • 「スロープに恋して」 作詞は松井五郎。編曲は武部聡志で、小室哲哉の80年代の楽曲提供曲を多くアレンジした一人。
  • 原田知世
    • 「家族の肖像」 作詞・秋元康、編曲・後藤次利というゴールデンコンビでの楽曲。
  • 荻野目洋子
    • 「NONSTOP DANCER」 アルバム「ノン・ストッパー」に収録されている楽曲で、荻野目洋子自身が一番好きな曲と公言した曲。
    • 「ジャングル・ダンス」 NHK「みんなのうた」で何度も流れていた楽曲。
  • 松田聖子
    • 「Kimono Beat」 元レベッカ土橋安騎夫がサウンドプロデュースしたアルバムの「Strawberry Time」に収録されている楽曲。
  • 大西結花
    • 「パンドーラ」 小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。
  • 八木さおり
    • 「月と恋心」 同じく小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。作詞は森雪之丞で、編曲は武部聡志。
  • 沢口靖子
    • 「Follow me」 沢口靖子が出演した「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌。作詞は川村真澄で編曲は大村雅朗。同ドラマではTMNetworkが主題歌を担当した。
  • 郷ひろみ
    • 「空を飛べる子供たち〜Never end of the earth」 アルバムの最後に収録されている楽曲で作詞は秋元康。
  • 奥田圭子
    • プラスティック(1985年
  • 中山美穂
  • 堀ちえみ
    • 愛を今信じていたい(1987年)引退前のラストシングル
  • 伊藤かずえ
    • 星屑のイノセンス(1988年
  • 小泉今日子
  • 宮沢りえ
    • ドリームラッシュ(1989年)デビューシングル。小室がプロになってから始めてサウンドプロデュースしたアイドルであり、後にプレッシャーから大変な作業だったと語っている
    • NO TITLIST(1990年)宮沢りえが主演のフジテレビ系ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」の主題歌。デビュー曲と同様に編曲も担当している。
  • 田中美奈子
    • 夢みてTRY(1990年)田中美奈子が主演の「トップスチュワーデス物語」の主題歌。
    • 「I say Hello Again」 こちらは「夢みてTRY」のカップリング曲で、B'z松本孝弘がエレキギターを弾いている。
  • 観月ありさ
    • TOO SHY SHY BOY!(1992年)作詞・作曲・編曲、サウンドプロデュースを担当。
  • 東京パフォーマンスドール
    • キスは少年を浪費する(1993年)サウンドプロデュースと作曲・編曲を担当。
    • ダイアモンドは傷つかない(1993年)楽曲提供のみでなく、ミキシングまで手掛けた楽曲。
    • 「Sanctuary〜淋しいだけじゃない」 所属していた篠原涼子穴井夕子が歌唱している楽曲。後に小室哲哉プロデュースで篠原涼子がセルフカバーしている。

主なヒット曲(1993年〜)

1994年、小室哲哉は、trfの「survival dAnce 〜no no cry more〜」で初めて100万枚以上のヒットを達成。

1997年の華原朋美の「Hate tell a lie」まで20曲のミリオンヒット曲を世に送りだした。(小室ブーム参照)。

※下記は主な小室哲哉プロデュース作品であり、一部にすぎない。 ☆ … ミリオン ☆☆ … ダブルミリオン

1993年
1994年

1995年

1996年

1997年
1998年
1999年
  • BE TOGETHER」鈴木あみ ※TM NETWORKのカバー曲
2000年

個人レーベル

参加ユニット

関連項目

関連人物・交友関係

  • 関連人物
宇都宮隆木根尚登丸山茂雄小坂洋二小室みつ子久保こーじ藤井徹貫日向大介浅倉大介坂元裕二前田たかひろ松尾和博安室奈美恵岩佐俊秀華原朋美ジャン・ミッシェル・ジャール鈴木亜美アーサー・C・クラーク青田典子ニック・ウッド
  • 交友関係
喜多村豊大多亮岡村靖幸大江千里渡辺美里松本隆大村雅朗松本孝弘阿部薫デュラン・デュランYOSHIKIhideToshI葛城哲哉若尾裕之中田英寿原田大三郎DRAGON坂本美雨細木数子スティーヴィー・ワンダースティーヴィー・サラス高見沢俊彦持田香織

外部リンク

脚注

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注釈

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出典

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de:Tetsuya Komuro en:Tetsuya Komuro es:Tetsuya Komuro fr:Tetsuya Komuro id:Tetsuya Komuro ko:고무로 데쓰야 sk:Tecuja Komuro th:เท็ตซึยะ โคมุโระ zh:小室哲哉

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