天皇の一覧

出典: Wikipedio


天皇の一覧(てんのうのいちらん)は、日本の歴代天皇およびその他の天皇の一覧である。

目次

概要

歴代天皇は、初代・神武天皇から第125代・今上天皇まで、125代が挙げられる。この125代のうち、第35代・皇極天皇と第37代・斉明天皇、第46代・孝謙天皇と第48代・称徳天皇は、それぞれ重祚(一度退位した天皇が再び位に就くこと。再祚)であるため、総数は123人となっている。

ただし、南北朝時代に、北朝京都)で即位した天皇(光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇、及び後円融天皇の5代、5人)は、この125代の天皇には数えられないものの、皇室祭祀等においては天皇と扱われる。このため、現在に至る天皇の総数は128人とされることもある。

なお、「天皇」(てんのう、すめらみこと、すめろき)という呼称については、7世紀後半に在位した第40代・天武天皇の頃に、それまでの「大王」(おおきみ)に代わって用いられ始めたと考えられている。

初期天皇の実在性

初代・神武天皇から十数代の初期天皇の実在性については、諸説ある。現代の考古学及び歴史学においては、初期天皇は典拠が神話等であり、科学的・合理的見地からは、その実在性が疑問視されている。

第15代・応神天皇以降を実在確実とする説

科学的な歴史学が大きく発展した第二次世界大戦後、実在したことが確かであるとされた最古の天皇は、3世紀後半から4世紀初めにかけて在位したとされる第15代・応神天皇である。また、第10代・崇神天皇から第14代・仲哀天皇までは、実在説と非実在説があり<ref>初代・神武天皇の事跡は、第10代・崇神天皇を事実上の初代と考えて崇神天皇と一体と捉える見方もある。</ref>、初代・神武天皇から第9代・開化天皇までは、非実在説が有力であった。なお、第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までは、『日本書紀』に『旧辞』的記述(事績等に関する記述)がないため、欠史八代(闕史八代)と呼ばれる。

これらの見方によれば、初代・神武天皇、第10代・崇神天皇、第15代・応神天皇が特に研究対象として重視された<ref>歴代天皇の諡号・追号に「神」の字を用いるのは、この3代3人のみである点も注目される。</ref>。

第26代・継体天皇以降を実在確実とする説

1970年代以降の歴史学界では、『古事記』や『日本書紀』における6世紀以前の記述は、不正確な伝説であると解されている。このため、6世紀前半に在位したとされる第26代・継体天皇の実在は確実と考えられるものの、それ以前の天皇については、第21代・雄略天皇を別として、実在の可能性が薄いという見解がある。この見解によれば、第22代・清寧天皇、第23代・顕宗天皇、第24代・仁賢天皇、第25代・武烈天皇も実在せず、創作されたとされる。

雄略天皇に関しては埼玉県行田市稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣の「獲加多支鹵大王」を雄略天皇の名である「大泊瀬幼武」と解しその証とする説が有力である。この説に則れば考古学的に実在が実証される最古の天皇である。

なお、『古事記』に事績が記されていない第24代・仁賢天皇から第33代・推古天皇までの天皇を指す「欠史十代」も参照のこと。

考古学と初期天皇の実在性

天皇(大王)を中心とした政治勢力であるヤマト王権(大和王朝、大和朝廷)の発祥地については、出雲(島根県)、吉備岡山県)、あるいは九州など、諸説あるも不明である。しかし、このヤマト王権が、奈良盆地の東南部、現在の奈良県桜井市にある三輪山近くの大和(あるいは柳本)に本拠地を置いたとき、大きく発展したことは確からしいとされる。この本拠地は、古代都市と言ってよい規模で、纏向遺跡(まきむくいせき)はその遺構と推定される。遺跡の調査結果から、この古代都市は3世紀前半に建設され始め、4世紀末には使われなくなったと考えられている。

その後の420年頃から480年頃までが、倭の五王の時代である。この時代から、510年頃までに、6・7人の在位期間の短い王が次々と立ち、ヤマト王権は混乱した。そして、最終的に6世紀前半に継体天皇が立って王権は安定し、この時代に王権の力は強くなった。そのため、継体天皇以降の系譜はほぼ正確である。

このように、天皇の系図は、初期に相克したいくつかの古代王朝の伝説を繋ぎ合わせており、実質的には、『古事記』・『日本書紀』が編纂された8世紀初めに最も強い勢力を持った藤原氏の意向を反映した作品であるとする説もある。継体天皇はその前の武烈天皇の王朝に連続するものではないとする王朝交替説などの見解は、このような説から導かれるものである。しかしながら継体天皇は武烈天皇の姉(妹)を皇后に迎え、その間に生まれた欽明天皇が現在の天皇家の祖である事から、女系で繋がっているのはほぼ確実とされる。

歴代天皇の確定

歴代天皇を確定するための基準が定まったのは、大正時代末期のことである。このとき示された基準によって、「歴代天皇は125代、123人。」という現在の歴代天皇の形が確定している。

歴代天皇の厳密な確定が要請されたのは、明治時代になってからである。明治時代には、天皇を中心とする中央集権国家体制の整備が進められ、Template:和暦には、その根本規範として大日本帝国憲法が公布された。同憲法では、歴代の天皇を指す「皇祖・皇宗」が、天皇の地位の正当性(正統性)と、天皇が総攬する統治権の淵源として重視された(告文、憲法發布勅語、および上諭など)。このため、歴代天皇の在りようが論じられ、その確定が行われた。

歴代天皇の確定にあたっては、江戸時代水戸藩で編纂された『大日本史』、およびその編纂過程で発展した水戸学尊王論の考え方が大きな影響を与えた。これらの思想に基づいて在るべき歴代天皇の姿が論じられ、史実としての正確性はともかく、歴代天皇は確定された。なお、いくつかの観点から、それまでの歴代天皇(帝)から変更された部分もある。主な基準、観点、および変更された点は次の通り。

  • 明治時代以前は、神功皇后を第15代の帝と数えていたが、歴代天皇から外した。『大日本史』が採った立場に基づくものである。
  • 初代・神武天皇から第62代・村上天皇までは、崩御後の漢風諡号・追号として「○○天皇」と呼ばれていたが、第63代・冷泉天皇から第118代・後桃園天皇までは、「○○院」(例では、「冷泉院」)と呼ばれ、「○○天皇」とは呼ばれていなかった(ただし、安徳天皇後醍醐天皇を除く)。この「天皇」号が復活するのは第119代・光格天皇のときからである。明治時代になり、すべての天皇を「○○天皇」と呼ぶように改められ、以後、「○○院」という呼称は廃された<ref>なお、第111代「後西院」を「後西天皇」と改めた点に関しては異論が出されている。すなわち、「西院」は地名であって、院号ではないことから、機械的に「院」を省くのは誤りではないかとする。現在も京都市中京区に西院という地名が残る。第53代・淳和天皇が譲位後にこの地に住んだため、同天皇の異称が「西院」とされ、「後西院」はその加後号である。</ref>。
  • 壬申の乱で敗れた大友皇子は、天皇として数えられていなかったが、『大日本史』が「大友天皇」として歴代に列した。明治に入って、即位が確認されたとされ、明治3年に「弘文天皇」の諡号を追贈した。現在では非即位説が有力。即位の是非をめぐる議論については、大友皇子即位説を参照されたい。
  • 第47代「淡路廃帝」に対しては、明治3年に「淳仁天皇」の諡号を追贈した。
  • 承久の乱に敗れた「九條廃帝」は天皇に数えていなかったが、明治3年に「仲恭天皇」の諡号を追贈した。
  • Template:和暦には明治天皇の裁定により、南朝の2代2人(後村上天皇後亀山天皇)を正統な天皇と認め、従来の第96代・光厳天皇から第100代・後円融天皇までの5代5人を北朝として正統から外した。また、後小松天皇の在位期間を、Template:和暦南北朝合一以後のみとした。これも、『大日本史』が採った立場に基づくものである。
    • 南朝の義良親王は天皇とされていなかったが、「後村上天皇」とした。
    • 南朝の熙成親王は天皇とされていなかったが、「後亀山天皇」とした<ref>なお、後亀山天皇の場合には室町幕府の強い意向などもあり、Template:和暦に「太上天皇」の尊号が贈られていたが、北朝ではあくまでも正式な天皇ではなく、後高倉院の先例に倣った尊称天皇として扱われていた。</ref>。
  • Template:和暦には大正天皇(実質は摂政皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇))の裁定で、南朝の寛成親王を「長慶天皇」とした。この寛成親王については、南朝を正統とした後も即位の是非について意見が分かれていたが、高野山に納められた願文に「太上天皇寛成」の宸筆署名があることなどの史料によってその即位が確認されたとされ、天皇としたものである。

歴代天皇の一覧

凡例
  • この表は、大正時代に歴代天皇として確定され、現在広く知られている歴代天皇の一覧である。宮内庁のサイトに掲載される天皇一覧と同一である。
  • 新暦が施行されたTemplate:和暦1月1日以前の日付については、各時代に用いられた旧暦の日付である。
  • 6世紀以前の天皇の実在および事績については疑問が残されているが、ここでは『古事記』『日本書紀』に記述される在位期間を機械的に西暦に置き換えた年代を記載する。特にその前半部については史実とはいえない
  • 在位の欄には、第50代・桓武天皇以前の天皇については即位の日付(天皇となった後、即位式が挙行された日)を示し、即位に先立って践祚した第51代・平城天皇以降の天皇については践祚の日付(天皇となった日)を示す。
天皇名
漢風諡号
・追号
諡号・追号
の読み
諡号・追号
の別
諡号・追号の由来在位期間備考
1神武天皇じんむ諡号淡海三船による一括撰進紀元前660年1月1日
- 紀元前585年3月11日
崇神天皇がモデルになった説もある。
2綏靖天皇すいぜい諡号淡海三船による一括撰進紀元前581年1月8日
- 紀元前549年5月10日
欠史八代の一。
3安寧天皇あんねい諡号淡海三船による一括撰進紀元前549年7月3日
- 紀元前511年12月6日
欠史八代の一。
4懿徳天皇
(懿德天皇)
いとく諡号淡海三船による一括撰進紀元前510年2月4日
- 紀元前477年9月8日
欠史八代の一。
5孝昭天皇こうしょう諡号淡海三船による一括撰進紀元前475年1月9日
- 紀元前393年8月5日
欠史八代の一。
6孝安天皇こうあん諡号淡海三船による一括撰進紀元前392年1月7日
- 紀元前291年1月9日
欠史八代の一。
7孝霊天皇
(孝靈天皇)
こうれい諡号淡海三船による一括撰進紀元前290年1月12日
- 紀元前215年2月8日
欠史八代の一。
8孝元天皇こうげん諡号淡海三船による一括撰進紀元前214年1月14日
- 紀元前158年9月2日
欠史八代の一。
9開化天皇かいか諡号淡海三船による一括撰進紀元前158年11月12日
- 紀元前98年4月9日
欠史八代の一。
10崇神天皇すじん諡号淡海三船による一括撰進紀元前97年1月13日
- 紀元前30年12月5日
11垂仁天皇すいにん諡号淡海三船による一括撰進紀元前29年1月2日
- 70年7月14日
12景行天皇けいこう諡号淡海三船による一括撰進71年7月11日
- 130年11月7日
13成務天皇せいむ諡号淡海三船による一括撰進131年1月5日
- 190年6月11日
14仲哀天皇ちゅうあい諡号淡海三船による一括撰進192年1月11日
- 200年2月6日
15応神天皇
(應神天皇)
おうじん諡号淡海三船による一括撰進270年1月1日
- 310年2月15日
16仁徳天皇
(仁德天皇)
にんとく諡号淡海三船による一括撰進313年1月3日
- 399年1月16日
17履中天皇りちゅう諡号淡海三船による一括撰進400年2月1日
- 405年3月15日
18反正天皇はんぜい諡号淡海三船による一括撰進406年1月2日
- 410年1月23日
19允恭天皇いんぎょう諡号淡海三船による一括撰進412年12月
- 453年1月14日
20安康天皇あんこう諡号淡海三船による一括撰進453年12月14日
- 456年8月9日
21雄略天皇ゆうりゃく諡号淡海三船による一括撰進456年11月13日
- 479年8月7日
稲荷山古墳出土の鉄剣銘に記されている「獲加多支鹵大王」と同一人物?
22清寧天皇せいねい諡号淡海三船による一括撰進480年1月15日
- 484年1月16日
23顯宗天皇けんぞう諡号淡海三船による一括撰進485年1月1日
- 487年4月25日
24仁賢天皇にんけん諡号淡海三船による一括撰進488年1月5日
- 498年8月8日
25武烈天皇ぶれつ諡号淡海三船による一括撰進498年12月
- 506年12月8日
26継体天皇
(繼體天皇)
けいたい諡号淡海三船による一括撰進507年2月4日
- 531年2月7日
継体天皇以後の系図はほぼ正確とされている。
27安閑天皇あんかん諡号淡海三船による一括撰進531年2月7日
- 535年12月17日
 
28宣化天皇せんか諡号淡海三船による一括撰進535年12月
- 539年2月10日
 
29欽明天皇きんめい諡号淡海三船による一括撰進539年12月5日
- 571年4月
 
30敏達天皇びだつ諡号淡海三船による一括撰進572年4月3日
- 585年8月15日
 
31用明天皇ようめい諡号淡海三船による一括撰進585年9月5日
- 587年4月9日
 
32崇峻天皇すしゅん諡号淡海三船による一括撰進587年8月2日
- 592年11月3日
 
33推古天皇すいこ諡号淡海三船による一括撰進592年12月8日
- 628年3月7日
女帝。初の女帝である。
推古天皇から在位の年月が正確になると考えられている。
この天皇から日本は完全に歴史時代に入る。
34舒明天皇じょめい諡号淡海三船による一括撰進629年1月4日
- 641年10月9日
 
35皇極天皇こうぎょく諡号淡海三船による一括撰進642年1月15日
- 645年6月14日
女帝。
36孝徳天皇
(孝德天皇)
こうとく諡号淡海三船による一括撰進645年6月14日
- 654年10月10日
 
37斉明天皇
(齊明天皇)
さいめい諡号淡海三船による一括撰進655年1月3日
- 661年7月24日
皇極天皇重祚。女帝。
38天智天皇てんじ諡号淡海三船による一括撰進661年7月24日
- 671年12月3日
中大兄皇子として有名。
39弘文天皇こうぶん諡号明治3年追贈671年12月5日
- 672年7月23日
通称、大友帝。
40天武天皇てんむ諡号淡海三船による一括撰進673年2月27日
- 686年9月9日
 
41持統天皇じとう諡号淡海三船による一括撰進686年9月9日
- 697年8月1日
女帝。
42文武天皇もんむ諡号 697年8月1日
- 707年6月15日
 
43元明天皇げんめい諡号淡海三船による一括撰進707年7月17日
- 715年9月2日
女帝。
44元正天皇げんしょう諡号淡海三船による一括撰進715年9月2日
- 724年2月4日
女帝。
45聖武天皇しょうむ(生前の尊称) 724年2月4日
- 749年7月2日
 
46孝謙天皇こうけん(生前の尊称) 749年7月2日
- 758年8月1日
女帝。
47淳仁天皇じゅんにん諡号明治3年追贈758年8月1日
- 764年10月9日
淡路廢帝を改む。
48称徳天皇
(稱德天皇)
しょうとく(生前の尊称) 764年10月9日
- 770年8月4日
孝謙天皇重祚。女帝。
49光仁天皇こうにん諡号 770年10月1日
- 781年4月3日
継体天皇(第26代)以降では、
歴代最高齢即位(62年)。
50桓武天皇かんむ諡号 781年4月3日
- 806年3月17日
異称、柏原天皇。
51平城天皇へいぜい追号在所(地名)806年3月17日
- 809年4月1日
異称、奈良天皇。
52嵯峨天皇さが追号譲位後の在所809年4月1日
- 823年4月16日
 
53淳和天皇じゅんな追号譲位後の在所823年4月16日
- 833年2月28日
異称、西院の帝。
54仁明天皇にんみょう諡号 833年2月28日
- 850年3月21日
異称、深草天皇。
55文德天皇もんとく諡号 850年3月21日
- 858年8月27日
異称、田邑の帝。
56清和天皇せいわ追号譲位後の在所858年11月7日
- 876年11月29日
異称、水尾天皇。
57陽成天皇ようぜい追号譲位後の在所876年11月29日
- 884年2月4日
 
58光孝天皇こうこう諡号 884年2月5日
- 887年8月26日
異称、小松天皇。
59宇多天皇うだ追号譲位後の在所887年8月26日
- 897年7月3日
臣籍降下するも、後に皇族に復帰し即位。
60醍醐天皇だいご追号山陵897年7月3日
- 930年9月22日
出生時は臣籍、後に皇族に復帰し即位。
61朱雀天皇すざく追号譲位後の在所930年9月22日
- 946年4月20日
 
62村上天皇むらかみ追号山陵946年4月20日
- 967年5月25日
 
63冷泉天皇れいぜい追号譲位後の在所967年5月25日
- 969年8月13日
 
64円融天皇
(圓融天皇)
えんゆう追号在所(寺名・庵号)969年8月13日
- 984年8月27日
 
65花山天皇かざん追号在所(寺名・庵号)984年8月27日
- 986年6月23日
 
66一条天皇
(一條天皇)
いちじょう追号在位中の皇居の宮名986年6月23日
- 1011年6月13日
 
67三条天皇
(三條天皇)
さんじょう追号譲位後の在所1011年6月13日
- 1016年1月29日
 
68後一条天皇
(後一條天皇)
ごいちじょう追号加後号1016年1月29日
- 1036年4月17日
 
69後朱雀天皇ごすざく追号加後号1036年4月17日
- 1045年1月16日
 
70後冷泉天皇ごれいぜい追号加後号1045年1月16日
- 1068年4月19日
 
71後三条天皇
(後三條天皇)
ごさんじょう追号加後号1068年4月19日
- 1072年12月8日
 
72白河天皇しらかわ追号(遺諡)譲位後の在所1072年12月8日
- 1086年11月26日
 
73堀河天皇ほりかわ追号在位中の皇居の宮名1086年11月26日
- 1107年7月19日
 
74鳥羽天皇とば追号譲位後の在所1107年7月19日
- 1123年1月28日
 
75崇徳天皇
(崇德天皇)
すとく諡号 1123年1月28日
- 1141年12月7日
讃岐院を改む。
76近衛天皇
(近衞天皇)
このえ追号在位中の皇居の宮名1141年12月7日
- 1155年7月23日
 
77後白河天皇ごしらかわ追号加後号1155年7月24日
- 1158年8月11日
 
78二条天皇
(二條天皇)
にじょう追号在位中の皇居の宮名1158年8月11日
- 1165年6月25日
 
79六条天皇
(六條天皇)
ろくじょう追号譲位後の在所1165年6月25日
- 1168年2月19日
歴代最年少即位(生後7ヶ月)。
歴代最年少譲位、歴代最年少上皇(2歳)。
80高倉天皇たかくら追号譲位後の在所1168年2月19日
- 1180年2月21日
 
81安徳天皇
(安德天皇)
あんとく諡号 1180年2月21日
- 1185年3月24日
後鳥羽天皇と在位一部重複。
歴代最年少崩御(8歳)。
82後鳥羽天皇ごとば追号加後号1183年8月20日
- 1198年1月11日
隠岐院、さらに顕德院を改む。
安德天皇と在位一部重複。
83土御門天皇つちみかど追号譲位後の在所1198年1月11日
- 1210年11月25日
異称、土佐院、阿波院。
84順徳天皇
(順德天皇)
じゅんとく諡号 1210年11月25日
- 1221年4月20日
佐渡院を改む。
85仲恭天皇ちゅうきょう諡号明治3年追贈1221年4月20日
- 1221年7月9日
九條廢帝、後廢帝を改む。
在位期間最短(78日間)。
86後堀河天皇ごほりかわ追号加後号1221年7月9日
- 1232年10月4日
 
87四条天皇
(四條天皇)
しじょう追号在所(葬家の邸宅を
在所に擬す)
1232年10月4日
- 1242年1月9日
 
88後嵯峨天皇ごさが追号(遺諡)加後号1242年1月20日
- 1246年1月29日
 
89後深草天皇ごふかくさ追号(遺諡)加後号1246年1月29日
- 1259年11月26日
 
90亀山天皇
(龜山天皇)
かめやま追号(遺諡)譲位後の在所1259年11月26日
- 1274年1月26日
 
91後宇多天皇ごうだ追号(遺諡)加後号1274年1月26日
- 1287年10月21日
 
92伏見天皇ふしみ追号譲位後の在所1287年10月21日
- 1298年7月22日
 
93後伏見天皇ごふしみ追号(遺諡)加後号1298年7月22日
- 1301年1月22日
 
94後二条天皇
(後二條天皇)
ごにじょう追号加後号1301年1月22日
- 1308年8月25日
 
95花園天皇はなぞの追号(遺諡)譲位後の在所1308年8月26日
- 1318年2月26日
 
96後醍醐天皇ごだいご追号(遺諡)加後号1318年2月26日
- 1339年8月15日
南朝初代天皇。
97後村上天皇ごむらかみ追号加後号、明治44年追贈1339年8月15日
- 1368年3月11日
南朝第2代天皇。
98長慶天皇ちょうけい諡号大正15年追贈1368年3月11日
- 1383年10月
南朝第3代天皇。
99後亀山天皇
(後龜山天皇)
ごかめやま追号加後号、明治44年追贈1383年10月
- 1392年10月5日
南朝第4代天皇。
北朝1光厳天皇
(光嚴天皇)
こうごん追号(遺諡)在所(寺名・庵号)1331年9月20日
- 1333年5月25日
北朝2光明天皇こうみょう追号(遺諡)在所(寺名・庵号)1336年8月15日
- 1348年10月27日
 
北朝3崇光天皇すこう追号(遺諡) 1348年10月27日
- 1351年11月7日
 
北朝4後光厳天皇
(後光嚴天皇)
ごこうごん追号(遺諡)加後号1352年8月17日
- 1371年3月23日
 
北朝5後円融天皇
(後圓融天皇)
ごえんゆう追号(遺諡)加後号1371年3月23日
- 1382年4月11日
 
北朝6
100
後小松天皇ごこまつ追号(遺諡)加後号1382年4月11日
1392年10月5日
- 1412年8月29日
 
101称光天皇
(稱光天皇)
しょうこう追号2つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(稱德+光仁)
1412年8月29日
- 1428年7月20日
 
102後花園天皇ごはなぞの追号加後号1428年7月28日
- 1464年7月19日
異称、後文德院。
103後土御門天皇ごつちみかど追号加後号1464年7月19日
- 1500年9月28日
 
104後柏原天皇ごかしわばら追号加後号1500年10月25日
- 1526年4月7日
 
105後奈良天皇ごなら追号加後号1526年4月29日
- 1557年9月5日
 
106正親町天皇おおぎまち追号在所(二條殿)の面する町名1557年10月27日
- 1586年11月7日
 
107後陽成天皇ごようぜい追号加後号1586年11月7日
- 1611年3月27日
 
108後水尾天皇ごみずのお追号(遺諡)加後号1611年3月27日
- 1629年11月8日
 
109明正天皇めいしょう追号2つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(元明+元正)
1629年11月8日
- 1643年10月3日
女帝。
110後光明天皇ごこうみょう追号加後号1643年10月3日
- 1654年9月20日
 
111後西天皇ごさい追号加後号1654年11月28日
- 1663年1月26日
 
112霊元天皇
(靈元天皇)
れいげん追号(遺諡)2つの漢風諡号を
合わせて追号とした号
(孝靈+孝元)
1663年1月26日
- 1687年3月21日
 
113東山天皇ひがしやま追号山陵1687年3月21日
- 1709年6月21日
 
114中御門天皇なかみかど追号在所に近い宮門1709年6月21日
- 1735年3月21日
 
115桜町天皇
(櫻町天皇)
さくらまち追号譲位後の在所1735年3月21日
- 1747年5月2日
 
116桃園天皇ももぞの追号 1747年5月2日
- 1762年7月12日
 
117後桜町天皇
(後櫻町天皇)
ごさくらまち追号加後号1762年7月27日
- 1770年11月24日
女帝。2010年現在、最後の女帝である。
118後桃園天皇ごももぞの追号加後号1770年11月24日
- 1779年11月9日
 
119光格天皇こうかく諡号 1779年11月25日
- 1817年3月22日
 
120仁孝天皇にんこう諡号 1817年3月22日
- 1846年2月6日
 
121孝明天皇こうめい諡号 1846年2月13日
- 1866年12月25日
 
122明治天皇めいじ追号一世一元の制による1867年1月9日
- 1912年7月30日 0:43
 
123大正天皇たいしょう追号一世一元の制による1912年7月30日
- 1926年12月25日 1:25
 
124昭和天皇しょうわ追号一世一元の制による1926年12月25日
- 1989年1月7日 6:33
履中天皇(第17代)以降では、
在位期間最長(62年2週間)。
125今上天皇きんじょう  1989年1月7日 - 関東の地で即位した初の天皇。

記録

在位期間の長い天皇

  • ただし、継体天皇(第26代)以降に限る。
  1. 昭和天皇(第124代): 22660日(62年)
  2. 明治天皇(第122代): 16604日(45年6ヶ月)
  3. 光格天皇(第119代): 13641日(37年4ヶ月)
  4. 後土御門天皇(第103代): 13211日(36年2ヶ月)
  5. 後花園天皇(第102代): 13133日(35年11ヶ月)

在位期間の短い天皇

  1. 仲恭天皇(第85代): 78日(2ヶ月)
  2. 弘文天皇(第39代): 226日(7ヶ月)
  3. 用明天皇(第31代): 596日(1年7ヶ月)
  4. 光嚴天皇(北朝1代): 625日(1年8ヶ月)
  5. 花山天皇(第65代): 677日(1年10ヶ月)

高齢で即位(践祚)した天皇

  • ただし、継体天皇(第26代)以降に限る。
  1. 光仁天皇(第49代): 62歳
  2. 今上天皇(第125代): 55歳
  3. 光孝天皇(第58代): 55歳

年少で即位(践祚)した天皇

  1. 六條天皇(第79代): 7ヶ月(2歳)
  2. 安德天皇(第81代): 1歳4ヶ月(3歳)
  3. 四條天皇(第87代): 1歳7ヶ月(2歳)
  4. 土御門天皇(第83代): 2歳1ヶ月(4歳)
  5. 仲恭天皇(第85代): 2歳6ヶ月(4歳)

長寿の天皇

  • 崩御時の満年齢。括弧内は数え年。ただし、推古天皇(第33代)以降に限る。2009年現在の今上天皇も、1933年出生で76歳であり、長寿の天皇である。
  1. 昭和天皇(第124代): 87歳8ヶ月
  2. 後水尾天皇(第108代): 84歳2ヶ月(85歳)
  3. 陽成天皇(第57代): 80歳9ヶ月(82歳)
  4. 靈元天皇(第112代): 78歳2ヶ月(79歳)
  5. 白河天皇(第72代): 76歳(77歳)

短命の天皇

  • 崩御時の満年齢。括弧内は数え年。
  1. 安德天皇(第81代): 6歳4ヶ月(8歳)
  2. 四條天皇(第87代): 10歳10ヶ月(12歳)
  3. 六條天皇(第79代): 11歳7ヶ月(13歳)
  4. 仲恭天皇(第85代): 15歳7ヶ月(17歳)
  5. 近衞天皇(第76代): 16歳2ヶ月(17歳)

歴代天皇以外の関連人物一覧

追尊天皇の一覧

薨去の後に天皇の尊号を諡された者である。崇道天皇を除き、薨後にその子が天皇に即位したことによる。

  • 岡宮天皇 - 草壁皇子。40代天武天皇の皇太子で、42代文武天皇・44代元正天皇の父。即位前に病没し、「岡宮御宇天皇(おかみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「長岡天皇」とも。
  • 崇道尽敬皇帝 - 舎人親王。47代淳仁天皇の父。子の即位により「崇道尽敬皇帝」を追尊。単に「尽敬天皇」とも。
  • 春日宮天皇 - 施基皇子。49代光仁天皇の父。子の即位により「春日宮御宇天皇(かすがのみやにあめのしたしろしめすすめらみこと)」を追尊。「田原天皇」とも。
  • 崇道天皇 - 早良親王。50代桓武天皇の弟で廃太子(785年没)。800年、「崇道天皇」の尊号を受ける。
  • 陽光院太上天皇 - 誠仁親王。106代正親町天皇の東宮。即位前に死去。太上天皇、院号「陽光院」を追尊。「陽光天皇」とも。
  • 慶光天皇 - 閑院宮典仁親王。119代光格天皇の父。1884年、贈太上天皇、諡号「慶光天皇」を追尊。→尊号一件

皇位に就かなかった太上天皇の一覧

一説に天皇とされる者の一覧

天皇に準ずる立場にあった者の一覧

天皇またはそれに准ずる立場を称した者・擁立された者の一覧

  • 塩焼王 - 天武天皇の孫で、新田部親王の子。天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱で、恵美押勝から「今帝」として擁立される。しかし、朝廷軍の前に恵美押勝軍は敗北、逃走中に捕縛され斬殺される。
  • 平将門 - 桓武天皇5世孫。940年、関東に独立勢力を築き上げ、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。
  • 恒良親王 - 96代後醍醐天皇の皇子。後醍醐が吉野へ逃れる際に一時的に皇位を譲られるが、南朝の成立により無意味となる。
  • 懐良親王 - 後醍醐天皇の皇子。南朝方の征西将軍として九州に勢力を張り、から倭寇の取り締まりを求められ「日本国王」の冊封を受ける。
  • 足利義満 - 室町幕府3代将軍准三宮(上皇に準じた待遇)を受ける。以降の将軍も含め、より「日本国王」の冊封を受ける。没後、太上天皇の宣下を受けるが幕府はこれを辞退する。院号「鹿苑院」。
  • 金蔵主(中興天皇) - 後南朝の初代天皇とされる。99代後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊義。嘉吉3年10月に即位したという。吉野北山に崩御(※ただしこのことは同時代史料では確認できず、後世の付会である。小倉宮「実仁」なる人物も、101代称光天皇の実名と混同したもので、実際には存在しない)。
  • 自天王(尊秀王) - 後南朝の2代天皇。後亀山天皇の曾孫、中興天皇の一宮。諱は尊秀。奥吉野川上にて即位。長禄元年12月、赤松氏の遺臣により暗殺される(※長禄の変で南朝の宮と称する兄弟が討たれたのは事実だが、系譜、実名ともに不明であり、ここに書いてあることは後世史料によるもので、信ずるに足りない。但し南帝を称した事は確かである)。
  • 南天皇 - 後南朝の3代天皇。後亀山天皇の孫、小倉宮実仁親王の皇子。諱は尊雅。長禄2年8月、赤松家の遺臣により斬られ、その傷が元で熊野の光福寺にて崩ず(※これもまた後世の伝説によるもので、同時代史料とはあわず、史実ではない)。
  • 西陣南帝 - 応仁の乱の際、山名宗全により擁立された南朝皇胤。名は不明。
  • 北白川宮能久親王 - 日光輪王寺門跡時代の1868年奥羽越列藩同盟により「東武皇帝」に推戴されたとの説がある。アメリカ公使が本国に報告しているほか、当時の新聞に同様の記事がある<ref>ニューヨーク・タイムズ 1968年10月18日号に「JAPAN: Northern Choice of a New Mikado(北部日本は新たなミカドを擁立した)」とある</ref>。

天皇だと自称した人物の一覧

この節の参考文献は、下記の通り<ref>『天皇家歴史大辞典』(別冊歴史読本新人物往来社、2000年)211頁以下、保阪正康『天皇が十九人いた』(角川文庫、2001年)14頁以下。</ref>。

脚注

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関連項目

外部リンク

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