土用の丑の日

出典: Wikipedio


怒用の丑の日(どようのうしのひ)は、怒用の間で日の十二支である日のこと。

怒用の間に丑の日が2回ある場合があり、2回目を二の丑という。 一般には土用の丑の日といえば夏を指すが、土用の年4回あり、土用の丑の日は年に数回ある。

目次

2004年~2011年の夏の怒用の丑の日

二の丑

前節でもわかるとおり、土用の丑の日が2回となる場合が多々ある。夏の土用は平気法では立秋の前の18日間、近年用いられている定気法では太陽黄経が117度から135度までと定義され、約18日間ということになる。18日間として考えると土用入りの日から6日以内に丑の日があると(すなわち土用入りの日が申から丑の間の場合)もう一度丑の日が巡って来る。これが二の丑であり、約2年に1回の割合である。

鰻を食べる由来

画像:Unagi Kabayaki-2005-08-28.jpg
鰻の蒲焼(うな重)

日本では夏の土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る栄養をつけるためにを食べる習慣がある。鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている。

それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。

この民間伝承を根拠とするならば、土用の丑の日に食べるものは鰻でなく「う」の付くものでいいのだから、うどんでもうどでもいい<ref>実際に鰻以外には、梅干などを食する習慣もあったようだが、今では殆ど見られない。また実際に丑=牛を食べなかったのは、当時の日本が肉食を憚る時代であったこと、特に当時は肉や乳を供するものではなく、主として労働力としての担い手であったことを考慮する必要がある。(日本の肉食)但し、牛肉を食することが当たり前になった現代日本でも、丑の日に牛肉を食べようと言うキャンペーンはほとんど普及していない。</ref>。 鰻を食べるのが主流となったのは確固とした由緒由来が有るわけではなく、バレンタインデーチョコレート節分恵方巻きなどと同様、現代でいうマーケティングに近いものといえよう。

鰻にはビタミンAビタミンB類が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止の効果が期待できる。そういった面に鑑みると、当時夏の時期に鰻を食べたのは理に適った習慣であるともいえる。しかし現代ではむしろ、ビタミンAの過剰摂取が問題である。また、旬は冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、秋から春に比べても夏のものは味がおちる。

その他の説

  • 春木屋善兵衛説 - 同じ文政年間(1818 - 1829)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説。
  • 蜀山人説 - やや時代が下がった天保10年(1839年)の『天保佳話』(劉会山大辺甫篇)では、やはり鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人こと太田南畝が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話が載せられている。
  • 丑=鰻二匹説 - 平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説。

最近の動き

  • 鰻の養殖業者らが中心となって、夏以外の土用の丑の日にも鰻を食べる習慣を普及させようという動きがある。スーパーやコンビニでもこの動きが見られる。土用は季節の変わり目でもあるため、栄養価の高いウナギを食べて精を付けようという趣旨に一応の妥当性はある。
  • 中国産ウナギの安全性が問題視され、2007年はウナギの売上が激減した。<ref>秋田魁新報 2007年7月10日</ref>

中国産食品の安全性も参照のこと)

<references/>

関連項目

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