土佐国

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土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、南海道に位置する。ほぼ現在の高知県にあたる。土州と呼ぶこともある。延喜式での格は中国、遠国。

目次

沿革

  1. 7世紀都佐(とさ)国造と波多国造の領域をあわせて建てられた。土佐は、平安時代までしばしば土左とも書かれた。
  2. 明治9年(1876年)2月25日、伊豫国宇和郡沖ノ島、姫島、鵜来島を幡多郡へ編入する。

国府・国分寺・一宮など

国府は長岡郡にあった。現在の南国市比江で遺跡が発掘されている。紀貫之が国司を勤め、『土佐日記』において在任期間の事柄が記されている。

土佐国府については、昭和52年(1977)~平成2年(1990)間に、計25次の発掘調査が行われたが、まだ国府中心部の様相や全体的な官衙配置を確定するまでには至っていない。南国市比延付近にあったことは間違いない。

国分寺は、現在四国八十八カ所第29番霊場になっている国分寺(真言宗智山派)と同じ場所にあった。東大寺式伽藍配置であったと推定されている。推定規模は一辺約150メートルと考えられている。国分寺の下層から郡司などの豪族館などの古い施設が発掘されている。平安時代後半に金堂などが焼失し、その後は衰退した。

延喜式神名帳には大社1座1社・小社20座20社の計21座21社が記載されている。唯一の大社は土佐郡の都佐坐神社(現 土佐神社高知市一宮)で、土佐国一宮になっている(名神大社ではない)。二宮は小村神社高岡郡日高村)である。総社は南国市の「惣社」である。元々は南国市比江の国府の隣にあったが、後に南国市国分の国分寺境内に移転している。

歴史

もともと、流刑地の一つであった。平安時代末期、源義朝の五男で頼朝の同母弟 希義が流されて、兄の挙兵の折に自らも立ち、鎮圧されている。またこの他にも、紀夏井藤原師長土御門天皇尊良親王といった人々が、流人として土佐の土を踏んでいる。室町時代細川氏守護を務めていたが、戦国期には土佐七雄(土佐七豪族とも)である本山氏安芸氏一条氏吉良氏津野氏長宗我部氏香宗我部氏などが拮抗したが、長宗我部元親が勢力拡大し、土佐を統一、やがて四国全土を支配下に治める。しかし、その後、長宗我部氏が織田信長豊臣秀吉の攻撃を受けると、次第に勢力を衰退させ、秀吉の時代には土佐一国を安堵されるのみにとどまっている。元親の四男 長宗我部盛親関ヶ原の戦いで西軍に加担し、改易。以後、山内一豊が土佐24万石で入部し、山内氏による土佐藩支配の時代となった。旧長宗我部家臣など在地の武士は郷士として遇されたが、山内家とともに入部してきた上士階級としばしば対立して幕末までその構造は変わらなかった。土佐藩主で幕末の四賢侯と賞賛された山内容堂はじめ、郷士からは土佐勤皇党で知られる武市半平太坂本龍馬中岡慎太郎望月亀弥太岡田以蔵などが輩出される。明治後に高知県となった。

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国司

土佐守

土佐介

関連項目

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