国民主権

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国民主権(こくみんしゅけん、Template:Lang-en-shortTemplate:Lang-de-short)は、国民政治権力の源(拠り所)であり、政府国民の意思により設立され運営される機関であるとする思想のこと。主権在民または人民主権ともいう。

目次

概要

日本国憲法は「国民主権」を採用している。

「国民主権」は、歴史的で多義的な概念であり、その時代、論者によって内容が異なる概念であるが、主権在民または「人民主権」ともいう。

「人民主権ないし国民主権」は、17~18世紀にかけて、社会契約説の概念を背景に、ロックルソーによって発展させられた概念であるが、「人民」と「国民」は、プープルとナシオンという対立的な概念として図式化されることもある。

「人民主権ないし国民主権」は、日本のほか、アメリカ合衆国フランスドイツ多くの国家の現行憲法で採用されているが、その内容は必ずしも同一ではない。これらの国に対し、英国では、国会主権がとられているが、政治的主権は市民が有するとされている。

歴史

「人民主権」の原型は、古代ギリシア民主政(democracy)に求めることができる。democracyは、古典ギリシア語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力・支配)をあわせたデモクラティア(democratia)が語源であり、直訳すれば「民権」ないし「民衆支配」である。中世的な身分社会を前提とした古典的な意味での民権論は、アーブロース宣言にまで遡ることができる。

他方、「主権」の概念の原型は、ローマ法の法学者ウルピアヌスの「元首は法に拘束されず」(princeps legibus solutus est)、「元首の意思は法律としての効力を有する」(Quod principi placuit、legis habet vigorem)に遡ることができるが、ジャン・ボーダンによって近代的な意味を与えられて確立された概念とされている。

主権概念と結びついた近代的な意味での「人民主権ないし国民主権」の概念は、17~18世紀にかけて、社会契約説の概念を背景に、ロック、ルソーによって発展させられた概念である。ロックとルソーの人民主権は相当に内容が異なり、ロック流の人民主権論は、アメリカ合衆国憲法に、ルソー流の人民主権論は、フランス革命に影響を与えたとされているが、当時は、民主政の概念とは区別され、必ずしも民主政と結びつく概念ではなく、逆に、君主政貴族政とも結びつき得る概念であるとされていた。

1776年バージニア憲法が人民主権を採用した初めての憲法とされ、他の州の憲法や、アメリカ合衆国憲法もこれを引き継いだ。

フランス革命の際、エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスは、プープル主権論(souveraineté du peuple)を採用しつつも直接民主制を肯定するルソーのプープル主権論を批判して、主権と国家の統治組織を創設する憲法制定権力(制憲権)を区別した上で、主権は人民のみが有し、制権権を有するのは主権者のみであるが、制憲権によって創設された組織上の権力を行使する者は必ずしも人民ではないとして、代表民主制を直接民主制よりも優れた制度であるとした<ref>高野敏樹『社会契約と主権(1)-憲法制定権力論の視点からみたシェイエス理論とルソー理論の位相-』(Sophia Junior College Faculty Journal Vol.28, 2008, 27-39)</ref>。1791年憲法は、シェイエスの理論に忠実に、代表制と制限選挙制を採用したが、主権はナシオンに属するとした。このようにナシオン主権論(souveraineté nationale)は歴史的には君主主権とプープル主権論の双方を否定するために、発展した概念であった。ナシオン主権論とプープル主権論の二者の図式的に対立させたのは、第三共和制下におけるカレ・ド・マルベールであり、初めてナシオンとプープルの違いを意識的に区別して、プープル主権を体現したのが1793年憲法であるとした。ナシオン主権論によれば、主権者たる「国民」の意思は抽象的にしか存在しえず、これは自由委任に基づく代表者による討論の中で再現されるので、純粋代表制が要請される。また、制限選挙制と結びつくのは、抽象的な国民の意思を再現すべき自由委任に基づく代表者の選出には、一定の能力が必要とされると考えられるからである。プープル主権論によれば、主権者たる「人民」の意思は、現に存在する人々の具体的な意思であり、直接民主制によって具体的に表される。また、プープル主権は普通選挙制と密接に結びつくが、それは全国民からあまねく意思を吸い上げることで、具体的な国民の意思が表れると考えられるからである。

後進資本主義国であったドイツでは、1894年になって、主権者である人民が皇帝を選挙によって選ぶという人民主権に基づく自由主義的なフランクフルト憲法が制定されたが、選挙によって選ばれたフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が皇帝になることを拒否し、1850年、自らが王権神授説・君主主権に基づく欽定憲法であるプロイセン憲法を制定した。その後、プロイセンは、1871年、他の君主制国と合して一つの連邦を作り、ビスマルク憲法を制定して君主主権をとっていたが、1919年制定されたワイマール憲法で「国民主権」がとられることになった。

同じく日本では、1874年から始まる自由民権運動が広がりを見せ主権在民が唱えられたことがあるが、明治一四年の政変によって、1889年、プロイセン憲法を参考にした明治憲法を制定して君主主権をとることになった。その後、主権の所在を回避する形で民本主義天皇機関説が唱えられ、そのことを誤解した天皇機関説事件があったが、1946年に公布された日本国憲法によって「国民主権」がとられることになった。

日本における学説

日本国憲法第1条が国民主権を定めている。日本の学説においては平和主義基本的人権の尊重とともに三大原則の一つとされている。この憲法における国民主権は、個人主義人権思想の原理に立脚する、とされている。

国民主権のもとでは、主権は国民に由来し、国民は選挙を通じて代表機関である議会、もしくは国民投票などを通じて主権を行使する。その責任も国民に帰趨する。

歴史的には、必ずしも君主主権と相反するものではないとされていたが、日本国憲法下の学説では君主主権を否定する原理であるとするものが多い。

伝統的見解

日本国憲法制定後、まもなく生じた尾高・宮沢論争を経て、国民主権とは、全国民が国家権力を究極的に根拠づけ正当化する権威を有すること(正当性の契機)に尽きるとの宮沢説が伝統的見解となった<ref>『全訂日本国憲法』</ref>。この見解は、国民主権を君主主権ないし天皇主権を否定する概念とする一方、他方で、正当性の契機における「国民」は、国家権力の正当化し権威付ける根拠であるから、有権者に限定されず、抽象的な全国民を意味するとする。そして、その権威は国民に由来するが、権力は代表民主制に基づき、「最高機関」である国会が行使すると解した上で、憲法上要請される代表制は、選挙民の意思に拘束されない自由委任を前提とした「政治学的代表」を意味するとする。

プープル主権論の復権

以上のような伝統的見解に対しては、現状隠蔽的機能ないし体制イデオロギー的機能を有しており、科学的認識に基づき克服されるべきものと批判して、フランスの学説を参考に、「国民」を「現に存在する人の集団(能動的市民からなる有権者団)」と考えるプープル主権論を主張する見解が現われた。杉原泰雄は、プープル主権論によれば、伝統的な見解は、「国民」を「過去から未来までを通じて存在する、抽象的な人間の集団」と考え、純粋代表制、制限選挙制と密接に結びつくナシオン主権と同視してよく、普通選挙制を採用する日本国憲法に合致しない非民主的な主張と批判されることになる。もっとも、日本国憲法は、明確に代表制を採用しているおり、プープル主権によっても、直接民主制を採ることはできないので、実在する民意との合致の要請を含む半代表制を要請するものとする<ref>半代表制とは、フランスの公法学者エスマンがイギリスの代表制を参考に現在はフランスに存在しない制度としてアイデアを提示した概念で、「議会の意思が実在する民意をできる限り忠実に反映するため、①代表者たる議員が普通選挙・比例代表制によって選ばれ、②命令的委任を認め、③人民投票によって補完される」、直接民主制と半分ミックスされた代表制である。</ref>。杉原は、エスマン流の半代表制をとりつつ、それを更にルソー流に徹底させて、法律で命令的委任、国会議員のリコール制等の直接民主的制度を定めることも憲法上許容されるとする<ref>欧州の現行憲法では、命令的委任と解することを明示的に禁止するものがある。第五共和制フランス憲法27条1項は、「命令的委任はすべて無効である」と規定し、ドイツ連邦共和国基本法38条「・・・議員は、国民全体の代表者であって、委任及び指示に拘束されず、かつ自己の良心にのみ従う」と規定している[1]。</ref>。このように、プープル主権論によれば、主権は、単なる法的政治的な理念ではなく、国民に国家の意思力そのものが帰属している状態が確保されるように憲法組織が構成されるべきという原理を含んだものと解されるのである。

展開

樋口陽一は、事実と規範の問題を峻別した上で、科学的な事実認識に立つのであれば、日本国憲法が採用するのはプープル主権であり、普通選挙制度はその要請であるとする点については、杉原に賛成しつつも、規範の問題としてはプープル主権の名の下に、命令的委任等の直接民主制的制度の導入を合憲とするのに反対する。プープルの有する制憲権は、一度発動した以上は制度の中に永久凍結されてしまい、過去から未来までを通じて存在する、抽象的な人間の集団である国民が主権を有するという建前に変化したとみて、伝統的見解と結論を同じくする。他方で、代表制については、単なる政治学的代表であるという伝統的見解のイデオロギー性を批判して、半代表制であると解しつつも、なお自由委任の有する重要性は減じていないとしてマルベール流の半代表制をとる。樋口によれば、杉原流のプープル主権論は、かえってその時々の政治権力の行使を正当化する反憲法・人権侵害的なイデオロギー的機能を有することになる。

芦部信喜は、そもそも上記のような特殊フランス的な議論の建て方をする必要はないとする一方、他方で、国民主権は正当性の契機に尽きるとの伝統的見解を前提としつつも、プープル主権論の問題提起を受け止めて理論的に再構築した。それが国民主権は、正当性の契機につきるものではなく、国家の最終的な意思決定を行う権力を行使する権力的契機の二つを含むという見解であり、これはボン基本法におけるドイツの通説と基本的立場を同じくする。この見解は、権力的契機の面における「国民」は有権者団を意味するものと解した上で、権力的契機は国家の最終的な意思決定権力の行使であるから、具体的には国家の最高規範の定立、すなわち、憲法制定権力の行使として表れるが、制憲権の行使を自由に認めることは憲法秩序の不安定化を招くため、制憲権の行使たる憲法制定時に、制憲権自身がその権力を、制度化された制憲権としての憲法改正権として憲法中に封じ込めたと解し、日本国憲法の代表制は、単なる政治学的代表ではなく、国会の意思と実在する民意との事実上の合致の要請を含む「社会学的代表」であるとする。樋口流のプープル主権論に一定の理解を示して半代表と極めて類似した概念をとりつつも、命令委任等の法的拘束力を有する直接民主制的制度の導入は憲法上禁止されていると解する。

代表制及び国民投票制度との関係

日本国憲法については43条に規定があり<ref>「(両議院は、)全国民を代表する(選挙された議員でこれを組織する)」</ref>、明文上は自由委任を原則として代表制をとり、例外的に、憲法改正国民投票(96条)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条)などについて、国民投票制度を採用しているが、これら明文に定める以外に国民投票制度を法律で制定することができるかについては解釈上争いがある。

「国会は唯一の立法機関である」(41条)とされていることから、投票の結果に国会が拘束されるという国民投票制度は違憲であるという点にはほぼ異論はないが、その結果を国会が参照にするだけの諮問的な国民投票制度は憲法に反しないかが問題とされる。ナシオン主権論によれば、自由委任・代表制に反することから、このような制度を制定することは、憲法に反するとされるが、プープル主権論によれば、許容されるのみならず、半代表制の要請であると解釈されている<ref>辻村みよ子「レフェレンダムと議会の役割」ジュリスト1022号126頁</ref>。

イギリスの議会主権

Template:See also <ref>この項『象徴天皇制への誤解と立憲君主制の本質』倉山満(国士舘大学非常勤講師2006.05.08)[2]から起筆</ref>イギリスは立憲君主国であり、主権は「議会における国王(女王)」(King(Queen) in Parlament)にあるとされ議会主権ないし国会主権」(Parliamentary Sovereignty)と呼ばれている。これは法学者A.V.ダイシーの著作(『憲法序説』1885年)にちなみダイシー伝統と呼ばれる。ダイシーはイギリスの政治体系は「議会における国王主権」「法の支配」「憲法習律」にあるとし、国王は尊厳を代表し、実際の作用は貴族院・衆議院両院が行う。行政権は下院に融合されているが、最高裁は上院に属している<ref>2009年10月1日をもって連合王国最高裁判所に改組された。裁判官となる法官貴族は引き続き上院の構成である。</ref>。君主は法の擁護者であるが、それゆえ「法の支配」に従う。

このように、イギリスは、「人民主権ないし国民主権」をとるものではないが、「憲法習律」を介して「政治的主権」は市民にあるとされることがある。「憲法習律」は、裁判規範ではないが、単なる政治慣例や慣行とは異なり、政治家にゆだねられた行動規範であり、君主と政治家を拘束する。憲法習律違反があったときは、市民は下院議員の選挙を通じて政治的な実権を行使するのである。

文献情報

  • 宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』日本評論社
  • 樋口陽一『比較憲法』(第3版)、青林書院、1992年
  • 芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法』(第4版)岩波書店
  • 『議会主権論の検討-その意味と限界-』元山健(早稲田法学会誌1975-2-20)[3]
  • 『イギリス議会主権-その法的思考-』坂東行和(敬文堂)[4]
  • 『マニフェスト・マンデイト論考』小松浩(神戸学院法学第34巻第1号2004-4)[5]
  • 「「国民主権」論の検討(1)」渡辺良二(滋賀大学経済学会 滋賀大学学術情報リポジトリ1975-11)[6][7]
  • 「「大地の用益権は生きている人々に属する」-財産権と世代間正義についてのジェファーソンの見方」森村進(一橋法学2006-11 一橋大学機関リポジトリ)[8]

脚注

<references />

関連項目

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