団塊の世代

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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:Redirect 団塊の世代(だんかいのせだい)とは、第二次世界大戦直後の日本において、1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代である。戦後第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。第二次世界大戦後の日本の歩みと人生を共にしており、またその特異な人口構成ゆえに、良くも悪くも日本社会の形成に大きな影響を及ぼしている世代である。

目次

概説

この世代の父が、第二次大戦終結に伴って復員したため、自ずと婚姻と出生人口がこの時期に重なった。

1948年までは一部の例外を除き一般の避妊・中絶・不妊手術は法律で禁止されていた。1948年優生保護法によって限定的に容認し、翌年の1949年の改正で「経済的な理由」での中絶も容認する事になったため出生率の増大に歯止めがかかり、1950年度以降は出生率が低下していった。

このため、日本においては、1947年 - 1949年に生まれた人口が突出する結果となった。

作家の堺屋太一1976年に発表した小説『団塊の世代』で、「団塊の世代」が日本社会に及ぼす大きな影響が一般社会にも認識された。アメリカ合衆国などでも同様の現象が見られているが、こちらは「ベビーブーマー」と呼ばれている。

定義

団塊の世代を指す定義は幾つかある。

最も厳密で一般的な定義としては、1947年から1949年までの3年間に亘る第一次ベビーブームに出生した世代を指し、約800万人に上る(厚生労働省の統計)。人口面からの分類法であり、堺屋太一によるノジュールの訳語による語源の由来と密接に関係している。680万人とする説もあるが、こちらは人口推計における、1947年から1949年に生まれた世代が到達しているであろう年齢の人口を加え合わせた物である(同統計は毎年の10月1日現在であり、その時点で当該年齢に達している人)。

ベビーブームに関係なく時代的・文化的・思想的な共通性からの分類に関しては、論者によって定義が錯綜する。最も広い定義としては、1946年から1954年までに生まれた世代である。

この背景は

  1. 第二次大戦後の復興期に生まれた事
  2. 親が第二次大戦を経験した世代である事
  3. 戦後教育の強い影響下にある事
  4. 学生運動との関連
  5. 高度経済成長期に「金の卵」と呼ばれた事

など多くの分野で共通する体験と、そこから生じた価値観を持つとされる。

前後の世代

プレ団塊の世代

団塊の世代よりも数年前に生まれた世代を「プレ団塊の世代」と呼ぶ例がある<ref>住友信託銀行基礎研究所 1943年~1946年生まれを「プレ団塊の世代」と呼んでいる。</ref><ref>越後ジャーナル 2005年1月号 1943年~1946年生まれを「プレ団塊の世代」と呼んでいる。</ref><ref name="dankai">東村山市役所 1944年~1946年生まれを「プレ団塊の世代」と呼び、1950年~1953年生まれを「ポスト団塊の世代」と呼んでいる。</ref>。なお、1946年生まれについては、第二次世界大戦後であるがベビーブーム前である為、団塊の世代に含まれる例と、焼け跡世代や戦中生まれ世代に含まれる例がある。

ポスト団塊の世代

Template:See also 団塊の世代よりも数年後(1950年代前半)に生まれた世代を「ポスト団塊の世代」と呼ぶ場合もある<ref name="dankai"/>。ベビーブームの余波は1950年代前半まで続いており、2007年10月1日時点の人口を見ると、朝鮮戦争が始まった年に生まれた2007年時57歳(1950年生まれ)が209.2万人、連合国占領が終わった年に生まれた2007年時55歳(1952年生まれ)が182.9万人となっている<ref>統計局ホームページ-日本の統計-第2章 人口・世帯 2 - 4 年齢各歳別人口、または<関連するグラフ>を参照。</ref>。

成長過程

学齢期

団塊の世代は、その膨大な人口のため、幼い頃から学校は一学年二桁のクラス数であり、教室は50~60人学級ですし詰め状態で教室不足を招くほどであった。また、その好むと好まざるにかかわらず学校を主な舞台として競争を繰り広げた。

なお、団塊の世代の大学受験事情について、「団塊の世代は受験戦争が激しかった」と評する人が多いが、「それは必ずしも適切な評価とはいえない」とする者もいる。団塊の世代の大学進学率は15%程度と低く、大半の高校卒業生は就職した。経済的に貧しい時代で、裕福な家庭以外は地元の国公立大学進学を望む傾向が強く、そのために国公立大学の競争率が高かった。また女性の場合は、学力が高く経済的に余裕があっても「女に学問はいらない」という考え方が残っていた。

青年期

地方農村の中学校卒の若者は、高度経済成長期で働き口が豊富だった東京や大阪などの大都市へ集団就職した。彼らは「金の卵」と呼ばれ、工場や商店などで大勢雇われ日本経済の底を支えた。大学進学率も高くはなく、多くは高卒中卒で修学を終えて、労働に従事した。

高校から大学へ進学したインテリの若者たちは、既存社会体制への反発からいわゆる学生運動と呼ばれた大学改革やベトナム戦争反対の反体制運動に身を投じた。こうした動きは、都市部大学から地方大学へも広がり、全共闘運動などで政府や既成秩序に反発する新左翼的な活動へと転じていった。

しかし、1969年東大紛争が敗北に終わり、70年安保闘争も不調に終わると多くの若者が学生運動から離れていき、追い込まれた一部の運動家の暴力行為がエスカレートしていった。更にあさま山荘事件や党派の分裂による内ゲバの横行などで、それまで穏健な支持を与えていた世間の目が冷たくなると、急速に学生運動離れが進み、1970年代半ばまでにほとんどの若者は政治活動から距離を置くようになった。

文化的側面から見ればファッションという概念が浸透し始めた世代であり、男性はジーンズ、女性はミニスカートを好んで装いレジャーやドライブを好むなど、そのスタイルは現代に至るまで続く若者文化の基盤と呼べるものであった。この世代は、それまで絶対的なものとして意識されていた欧米(主にアメリカ合衆国)と東洋(日本)の文化の対立を相対化し、ごった煮にして双方を楽しもうとする多文化世代の先駆けとなった。

壮年期

1970年代後半になると子供を産む人が増えてくる。第二次ベビーブーム時に生まれた子供のことが団塊ジュニアと呼ばれるため、団塊の世代の子供のことは真性団塊ジュニア呼ばれている。真性団塊ジュニアという言葉を使うときは、団塊ジュニアのことを偽団塊ジュニアと呼ぶこともある<ref>Research and Development「団塊ジュニアは団塊世代の子供ではない!?」</ref>。

従来の家制度の意識が薄れ、核家族による家庭指向が強く、見合い結婚と恋愛結婚が逆転した世代である(国立社会保障・人口問題研究所『第12回出生動向基本調査夫婦調査の結果概要』)。その為、団塊の世代が親元から独立して家庭を持つようになると、著しい住宅不足となった。この対策として、大都市の近郊には数多くの核家族向けの近代的な団地が造成された。

また大手企業は、社員の福利厚生用に、集合住宅タイプの社宅を構えた。その周辺に生活物資を売る商店が集まり、衛星都市と呼ばれる中都市ができた。これによって大都市を取り巻く都市圏は大きく広がり、それに伴う通勤通学のための交通網の整備が急がれ、鉄道の輸送力増強や新線建設、道路の新設や拡張が行われた。都市膨張の時代である。

結婚し子供をもうけた後の団塊の世代は、ニューファミリー世代と呼ばれ、家庭に対してそれ以前の家父長的な価値観を持つ世代とは違う自由な価値観を持っているとされた。

1986年1991年バブル景気時代には、団塊の世代は40歳前後の働き盛りとして社会の中核を担っており、仕事に没頭するあまり家庭を顧みなくなった団塊男性も少なからず存在した。中には、企業戦士として過労死した者さえいた。団塊の世代の社会改革運動の挫折が、企業経済活動を代償物としたとも言える。

中年期

1991年になると、バブル崩壊ソ連崩壊に遭遇し、「社会主義の没落」「グローバル資本主義の席巻」の中で45歳~50代を迎えた。焼け跡世代を中心としてアメリカ型システムが無批判に礼賛された。しかし一方で日本型年功序列制度に基づく中高年の高賃金が既得権益化していた影響で、子供世代就職氷河期に襲われ、不安定雇用労働者(プレカリアート)が急増した。

引退期

2007年から2009年にかけて、年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視された。一斉大量退職によるマンパワー不足を回避し、技能継承のため、定年延長や再雇用等で乗り切ろうとする企業があり、また彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。団塊の世代が長年にわたり伝承してこなかった知識や技能をいかに後進に伝承するかが、企業だけにとどまらず社会全体の課題となり、2007年問題と呼ばれた。さらに、5年間の雇用延長を行った場合、2012年から2014年2007年問題と同様の問題が生じる可能性があり、このことを2012年問題と呼んでいる。

消費活動の主体として
企業からは、退職給付等による消費や健康で旺盛な消費意欲に対して、「団塊ビジネス」に期待が寄せられている。
2006年のアオキによるフタタTOBは、団塊の世代の退職により紳士服、特にスーツ市場が縮小することを予想した戦略ではないかといわれた。
地域の担い手として
2005年頃から近年各地の地方自治体で団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。島根県で県知事名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったのがニュースになった。このほか北海道においても移住促進活動が盛んに行われている。

しかし実際にはこのような「団塊ビジネス」の多くはうまく進展しておらず、これについて後述するような偏った世代論に基づいてマーケティングを行っている為ではないかとする意見がある<ref name="shinwa">Template:Cite web</ref>。

今後・老年期

団塊の世代は、2012年頃以降には年金受給世代となり、2022年頃以降には後期高齢者となり、一定の部分は社会的入院や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていく。つまり団塊の世代は、良くも悪くも日本を「支えてきた」世代から「支えられる」世代になるのである。その影響は団塊の世代の人数が多い分、後の世代にとって軽視できないほど大きい。

そのため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げ、支給開始時期の先送りが行なわれることとなった。このため、団塊の世代は、逃げ水のように去っていく年金支給への不満から、自分たちよりも前に生まれた焼け跡世代以前の世代よりも損をしているという感覚が広がっている。

同様に、青年層は、人口の多い団塊の世代を支える負担を自分たちが背負わなくてはいけないという不満が広がり、世代間闘争の様相を見せている。特に就職氷河期1970年生まれ以後の世代は、焼け跡世代や団塊の世代の雇用と既得権益を護るために就職の面で犠牲にされた。また現在の制度では年金給付水準の引き下げと保険料負担の引き上げが長期に亘って毎年段階的に行われるため、団塊の世代の退職金・年金はほぼ保障されるのに対して、就職氷河期世代は先が見えないことから、その世代間不公平について寄せられる批判も多い。

経済史との関連

団塊の世代の就職時期は、中卒で1962年~1965年、高卒で1965年~1968年、大卒で1969~1971年となる。団塊の世代の中卒のいわゆる「金の卵」が労働推進力となった時期は高度経済成長期と重なり、最も人数が多かった高卒就職者は高度経済成長中期・末期と重なる。そのとき、高度経済成長期に企業や政治のトップにいた世代は、佐藤栄作桜田武などの1900年代生まれの世代である。

団塊の世代が中堅となって支えた時期は、世界の機関車時代と対米攻勢時代(30代)、バブル景気時代(40代初期)である。そのとき、企業や政治のトップにいた世代は、世界の機関車時代と対米攻勢時代の時が戦中派世代1920年代生まれ)、バブル景気の時代の時が焼け跡世代1930年代生まれ)である。

新左翼へのシンパシー

団塊の世代の人々の人生は日本の戦後史に符合するため、様々な戦後日本の事象に当てはめられる。1960年代後半における大学生やごく一部の高校生・浪人生らによる学生運動の隆盛に団塊の世代が関連した事実は否定し得ない。しかしながら前述の通り、今日のように大学進学が一般的な選択肢ではなかった当時の大学進学率は15%弱に留まっており、当時の青年の多数派は高卒・中卒として学業より労働に従事していた<ref name="shinwa"/>人々である。

また、大学生もノンポリとして学生運動から距離を置いていた者の方が多く、一部には体育会などを主体に体制側に立った者も存在している。従って全共闘世代という別称に代表されるイメージは適切とは言い難い。むしろ総じて保守、ないし無党派(政治への無関心)傾向が強いと言われる<ref>http://reposen.jp/home/report/summary.php?re_id=554&ca_id=12</ref>。

無論、運動に直接参加せずとも運動への理解を示す風潮があった事は否めないが、それは当時の世間全体の風潮であり、この世代に限定されたものではない。

ビートルズ世代

音楽では10代にビートルズやその影響下で現れたグループ・サウンズの洗礼を受け、大学生はジャズ喫茶やゴーゴー喫茶を溜まり場にしてアングラ劇団を楽しむという青春だった。このためビートルズ世代とも呼ばれるが、殆どの者はむしろグループサウンズの方を好み、ビートルズサウンドに触れていたのは少数派であったという。

経済との関連

巨大な消費市場として

高度経済成長とともに成人した団塊の世代はひとたびある商品を志向すれば、たちまち大きなマーケットを形成した。「クルマ」や「家電」然り、「住宅」然りである。

日本の製造業にはトヨタホンダミサワホームソニーシャープNECなど、団塊の世代の加齢とともに成長した企業も多い。流通業においてはイトーヨーカドーセブン-イレブン・ジャパンセゾングループ日本マクドナルドなどの企業が団塊の世代の加齢と歩調を合わせるように大きな成長を遂げ、その後の世代の消費生活にも大きな影響を及ぼした。

年功序列・終身雇用

団塊の世代は年功序列終身雇用が一般的だった時代を過ごし、年功序列、終身雇用の制度は、上下関係や組織への忠誠心が重要視され、円滑な技能継承や離職率を低く抑える等、様々な面で良く機能してきた。しかし冷戦終結後、グローバリズム競争に突入し、バブル崩壊後の年功序列、終身雇用制度の衰退に伴い、離職率の急上昇を引き起こし、若い世代は組織への忠誠心、年功序列、終身雇用という考えが少なくなり、上下関係の概念も自然と希薄になっている。

団塊以前の世代の中には年功序列、終身雇用制度に守られ立場と給与に見合った働きをしてない人間が多いとの指摘がある。窓際族同然の立場でありながら、多忙な若手社員を遥かに上回る高給を得ている者も少なくないとされ、事務処理業務で1000万円程の収入がもらえるのは世界中でも過剰に保護された日本のこの世代だけとの批判が根強い。

文化との関連

文化的には村上春樹宮本輝などの純文学の担い手を生み、荒俣宏北方謙三菊地秀行ら娯楽的な小説の大家を輩出した。ガンダム安彦良和大河原邦男ゲッターロボ石川賢少女漫画界の24年組などが活躍し、1970年代以降の、漫画・アニメからなる新興文化(サブカルチャー)の隆盛を支えた人々である。

エピソード

  • ライブドアによるフジテレビ買収騒動の最中、当時のライブドア社長堀江貴文を支持するかというアンケートで他の世代を押さえ、最も「支持」という答えが出たのが団塊の世代であった。
  • 団塊の「塊」の字が「魂」に似ていることから「だんこんのせだい」、鬼の部分に注目して「き」とよみまたは「だんきのせだい」という誤読が多いTemplate:要出典

脚注

<references/>

関連項目

外部リンク

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