名古屋飛行場

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Template:画像提供依頼 Template:Infobox 空港 名古屋飛行場(なごやひこうじょう、Nagoya Airfield)は、愛知県にある飛行場である。かつての「名古屋空港」であるが、2005年に中部国際空港が開港したことに伴い、第二種空港から飛行場に指定変更され正式名称も「名古屋飛行場」となった。愛知県は独自に県営名古屋空港(けんえいなごやくうこう、Prefectural Nagoya Airport)という愛称を与えている。所在地から小牧空港と呼ばれることもある。時刻表上では「名古屋」、特に中部国際空港と区別する必要がある場合は「名古屋(小牧)」と表記される。

目次

概要

名古屋市の中心から北へおよそ15kmの濃尾平野北東部に位置しており、行政区分上では西春日井郡豊山町小牧市春日井市名古屋市北区)の3市1町にまたがっている。航空自衛隊小牧基地に隣接しており、滑走路を共有しているが、防衛省設置管理の共用飛行場ではない。管制業務は、飛行場管制業務と着陸誘導管制業務を航空自衛隊小牧管制隊が実施しており、進入管制業務とターミナル管制業務については、中部国際空港の国土交通省大阪航空局中部空港事務所が広域管制によって実施している。

旅客定期便は、日本航空グループのジェイエアのみが就航しており、ジェイエアにとっては本社・ベースが存在する拠点飛行場である。ジェイエアはワンワールドに加盟しているものの、その他の加盟航空会社はすべて中部国際空港発着であるため、名古屋でのシームレスな乗り継ぎという観点では利便性が劣る。しかし、名古屋市内から比較的近いこともあり利用者も多い。

ビジネスジェットの運航などゼネラル・アビエーションに力を入れており、ビジネス機専用ターミナルが国内線ターミナル内に設置されている。トヨタ自動車のような地元企業、N688TTなどを中心にビジネスの拠点として多くのビジネスジェットに利用されているほか、F1日本グランプリ鈴鹿サーキット三重県鈴鹿市)で開催される時にはドライバーの中継地になっている。また、毎年ビジネスフォーラムが開催される。

歴史

前史

1934年7月に名古屋港埋立地10号地に名古屋国際仮飛行場として開港、1940年に名古屋飛行場となる。同時期に同じく11号地の埋め立てが許可され、1941年に名古屋国際飛行場が開港。拡張のため一時閉鎖(1944年)するが、終戦後は放置される。現在は東邦ガス空見環境センターになっている。

小牧飛行場時代

名古屋空港時代

thumb|220px|right|多くの外国航空会社が発着していた名古屋空港当時 1952年から2005年にかけては、愛知県の玄関口としての機能を持ち、日本国内の主要空港の一つであった。しかし、中部国際空港の開港により、ほとんどの旅客定期便が新空港に移転された。

2005年2月16日には出発最終便である20:45発サイパン行きのチャーター機JAL8839便(折り返し中部国際空港到着の1番機JAL8830でもある)JA607Jを航空会社・空港関係者がペンライトを持って見送り、大勢のファンに惜しまれつつ、第二種空港としての幕を閉じた。

名古屋飛行場時代

中部国際空港の開港以降は、設置管理を国土交通省から愛知県へ移管、設置区分も「第二種(A)空港」から「その他公共用飛行場」に変更され、「名古屋飛行場(愛称:県営名古屋空港)」となった。旧名古屋空港のIATA空港コードであったNGOは中部国際空港へ移管され、ICAO 4レターコードも旧名古屋空港のRJNNからRJNAへ変更された(なお、中部国際空港がRJNNになったわけではなく、中部はRJGGである)。また、前述のように一部管制業務を国土交通省航空局から航空自衛隊小牧管制隊に移管した。なお、定期便や国内・海外飛来機等の旅客は全て従来の国内線旅客ターミナルビルにて取り扱い、税関出入国審査検疫は1つの部屋にまとまった小規模なものとなり、新たにフィンガーコンコースを新設した。

日本航空グループのジェイエア広島西飛行場から本社・ベースを移転し、ジェイエアの拠点飛行場となった。

  • 2005年(平成17年)2月17日 - 設置者を愛知県に移管。その他飛行場へ指定変更。進入管制及びターミナルレーダー管制業務は中部国際空港が一括して担当。飛行場管制業務及び着陸誘導管制業務を、航空自衛隊小牧管制隊に移管。「名古屋空港」から「名古屋飛行場」に名称変更。
  • 2007年(平成19年)10月31日 -三菱重工のテストパイロットが操縦する 航空自衛隊所有のF-2B戦闘機が離陸に失敗し炎上。乗員2名は脱出したもの重軽傷を負った。
  • 2009年(平成21年)2月24日 - フジドリームエアラインズ1号機が到着、名古屋飛行場をベースに路線訓練を開始。
  • 2010年(平成22年)4月22日 - 日本航空が2011年春までに全面撤退することを表明<ref>日航 名古屋(小牧)から全面撤退へ 産経新聞</ref>。

施設

  • 旅客ターミナル(旧国内線ターミナル)
  • ビジネス機ターミナル

以前の国際線旅客ターミナルビルは、わずか6年しか使用されず、「中部国際空港の予定があったのになぜわざわざ建設したのか」という批判は根強い。しかし旧国際線旅客ターミナルの処理能力が限界に達していたのも事実で、ボーディングブリッジは旧国際線ターミナルのものをそのまま使用するなど、最低限の投資で建設された。移管時に閉館し、周辺敷地と共に空港から切り離された。

その後、空港国際線ターミナルビルを活用し、名古屋空港ビルディングが設置主体、ユニー株式会社が開発主体となってショッピングセンターエアポートウォーク名古屋が2008年10月にオープンした。<ref>エアポートウォーク名古屋とは|アピタとシネマと135の専門店エアポートウォーク名古屋</ref> なお、名古屋空港内には名古屋空港内郵便局も併設されていたが、2005年2月16日をもって廃局となった。

国内線ターミナル内の「名古屋空港航空宇宙館」は2004年10月31日に閉館となり、そこにあった航空機の一部(MU-2など)は、2005年4月1日に豊山町の神明公園内に愛知県が建設した「航空館boon」に、引き続き展示されている。

周辺

拠点・焦点都市としている航空会社

1社の航空会社がこの空港をハブ空港(拠点都市)としている。また、焦点都市として運航している航空会社は無い。

就航路線

かつては北九州空港へも就航していた。

また、2007年のセントレアとの合意<ref>座席制限を60から100に増やすことも合意 出典:「航空情報 2009-2」 酣燈社</ref>により、定期便の「新規路線と主要路線の増便」は閉ざされている。

日本航空の再建を巡り、当初は小型機中心の運航により採算を取ることが可能と考えられたことから、セントレアからの路線移管も含め路線を維持することで検討が進められた。しかし、名古屋地区では全日空がセントレアのみで路線展開しており、旅客分散により両社の「共倒れ」を恐れる国土交通省並びに債権者である銀行団からの見直しを求める声を受け、2011年春、全面撤退することが表明されている。これに対し、地元自治体は小牧基地の機能強化につながるとして強い反発を示している<ref>日航、小牧空港から撤退検討 地元自治体は反発</ref>。

利用機関・会社

空港へのアクセス

名古屋市街まで約10 km(20分)

公共交通機関の発達が悪いものの、道路や大規模な駐車場が整備されているため、自家用車でのアクセスのほうが容易である。

バス

道路

その他

脚注

<references/>

関連項目

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外部リンク

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