北海道

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プライバシー・ポリシー Wikipedioについて 免責事項 Template:半保護 Template:基礎情報 都道府県 [[ファイル:Flag_of_Hokkaido_Prefecture.svg|thumb|300px|北海道の旗(中央は道章)]]

北海道(ほっかいどう)は都道府県の一つであり、日本国の最北端に位置する地方公共団体である。札幌市道庁所在地とする北海道庁の管轄下にあり、今日における日本全国1都1道2府43県中唯一の「道」である。ただし、北方領土ロシア実効支配をしており、道庁が実質的に管轄出来ていない国土が存在する。

この北海道1道のみで構成される地方北海道地方といい、面積83,456.58km²、日本の総面積の約2割超(22.9%)を占める。

北海道はまた、の名でもある(明治以前は蝦夷地)。日本列島を構成し、本州の北に位置する面積77,981.87km²の島で、日本列島四大島の一。島名は律令制における五畿七道の各道に倣って新設された北海道による。

目次

名称

この島の先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では「アイヌモシリ」(Ainu mosir, 「人間の住む土地」の意)と呼ばれる。日本人(和人)は近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた<ref>徳川斉昭も蝦夷地の開発を構想し、「北海道」の名称を考えていた。田端宏「風と人間」 田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 2003年3月 2ページ</ref>が、明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討し、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。結局「北加伊道」を基本として採用し、海北道との折衷案として、また、律令制時代の五畿七道東海道南海道西海道の呼称に倣う形として「北海道」と命名された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。

北海道は地方自治法において他の都・府・県と同格の普通地方公共団体の1つとされているが、「都」「府」「県」はこれを外して「東京」「愛知」のように表記・呼称することがあるのに対し、北海道については「道」を外して単に「北海」と表記・呼称することは非常に稀である(北海タイムス北海学園大学など、社名や学校名等の固有名詞の一部分に使用される例はある)。一方、道である普通地方公共団体は北海道しか存在しないため(東京都の「都」と同様に)、逆にが「道産米」等、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。

thumb|300px|北海道地図

後述の通り、1886年から1947年まで北海道を管轄した地方行政官庁は北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。1901年に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後1946年の第1次地方制度改革で市制町村制東京都制とともに府県制が改正されたとき、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。改正法律の附則の規定により従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年の地方自治法施行により「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。

地方公共団体としての北海道

地方公共団体としての北海道は、北海道本島の他、利尻島礼文島奥尻島天売島焼尻島渡島大島渡島小島等の属島をその領域に含む。択捉島国後島色丹島歯舞群島も北海道の領域の一部だが、1945年ソビエト連邦が占領し、現在も同国の後継国家であるロシア連邦の実効支配下に置かれており、現在、日本の施政権が及んでいない(北方領土問題を参照)。

北海道には179の市町村(3512915)、64のがある(この他、北方領土に5郡6村がある)。北海道では、森町が「まち」である以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。

地理

Template:Infobox 島

[[ファイル:Satellite image of Hokkaido, Japan in May 2001.jpg|thumb|200px|2001年5月30日地球観測衛星テラ搭載のMODISセンサにより撮影]]

としての北海道は、面積77,981.87 km²(日本では本州に次いで2番目、世界では21番目に大きな島)。アイルランド島よりやや小さく、樺太よりやや大きい。南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函トンネルにより鉄路で繋がれている。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流宗谷暖流、及び親潮東樺太海流が流れている。

北海道は大きく分けて胴体部にあたる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島)よりなる。

胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地北見山地と、西の夕張山地天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地上川盆地名寄盆地等の盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。

北海道東部は千島弧の延長である知床半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続き平野は少ないが、南側では十勝平野根釧台地等の大平野が形成されている。

渡島半島に続く地域は、石狩湾から石狩平野勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である。ここには人口約190万を抱える札幌市や、千歳市苫小牧市等が並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部にあたり、石狩低地帯の西に位置する南西部山地、その南に黒松内低地帯、更に南には渡島山地がある。

北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰等)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,290mである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山等の山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。

thumb|424px|北海道の一級水系の流域図 一級水系は13水系ある。石狩川天塩川十勝川釧路川網走川常呂川湧別川渚滑川留萌川沙流川鵡川尻別川後志利別川

阿寒湖大沼屈斜路湖サロマ湖支笏湖洞爺湖摩周湖ウトナイ湖網走湖能取湖風蓮湖などの湖がある。

北海道の位置
東端:東経148度53分59秒(択捉島ラッキベツ岬
西端:東経139度20分16秒(渡島大島西端)
南端:北緯41度20分58秒(渡島小島南端)
北端:北緯45度33分19秒(択捉島カモイワッカ岬

自然公園

国立公園

国定公園

道立自然公園

気候

西岸海洋性気候温暖湿潤気候が見られる道南の一部沿岸地域を除くと、ほぼ全域が亜寒帯湿潤気候である。夏と冬の温度差が大きく冬の積雪は根雪となる。道内全域が豪雪地帯、一部地域は特別豪雪地帯になっている。道北道東は寒さが非常に厳しく、沿岸部を除くほぼ全域で最寒月の平均気温が-8度以下となり、零下20度以下まで下がることが多い。

地域により日本海側気候(オホーツク型・北海道型)・太平洋側気候(東部北海道型)に属する。

  • 日本海側気候(オホーツク型) 宗谷支庁南部・網走支庁の大部分
  • 日本海側気候(北海道型) 宗谷支庁(南部を除く)・上川支庁・留萌支庁・空知支庁・石狩支庁・後志支庁・日高支庁の一部・胆振支庁の大部分・檜山支庁・渡島支庁
  • 太平洋側気候(東部北海道型) 網走支庁の一部・根室支庁・釧路支庁・十勝支庁・日高支庁の大部分・胆振支庁の一部

気温は夏冬とも一般に日本海側で高く、オホーツク海・太平洋側で低い。

  1. 日本海側気候の地域は冬季には低気圧気圧の谷の他、季節風による降雪が多く、降水日数(1mm以上の降水が観測される日数)の最多月も冬季(1・2・12月の何れか)である。太平洋側気候の地域は冬季には低気圧や気圧の谷のみによる降雪が殆どで、強い冬型の気圧配置で季節風が山岳を越えて降雪することがあり、降水日数の最多月は冬季以外(3 - 11月の何れか)である。
  2. 太平洋側沿岸部では夏には霧が発生し、夏でも気温が25度を超えることは少ない。
  3. 内陸の盆地部は気温の年較差が大きく冬季には零下30度以下になるなど記録的な低温を示すことも多い。特に、名寄盆地上川盆地雨竜川周辺などは最も寒さが厳しく、零下40度以下の気温が観測されている日本の寒極である。
  4. 道南の沿岸地域は道内では最も温暖で東北地方と似通った気候であり植生も類似している。
  5. 札幌などの都市部では都市化などの影響により冬季の気温が急激に上昇している。

北海道地方には梅雨がないとされ、気象庁でも北海道の梅雨入りは発表されていないが、梅雨前線が北海道にかかり、2週間ほどぐずついた天気になることがある。これを蝦夷梅雨という。

また、台風の襲来も少ない。台風として上陸するのではなく、温帯低気圧となってから上陸することが多い。ただし、温帯低気圧は台風と異なり、温度差がエネルギーのため、台風に持っていた温かい空気と北海道以北の冷たい空気との温度差が大きくなるため、発達し、道内に被害を与えることがある。

人口

北海道の人口は5,627,424人(2005年10月1日、国勢調査で国内7位)で、道央および道南に集中した人口分布となっている。

Template:人口統計

文化と慣習

歴史の浅い北海道では、本州などの様に七五三酉の市などに代表される季節に纏わる慣習などは、縁遠い存在で、神棚玄関の正月用飾り付けに於いても注連縄の様な質素な物ではなく、宝船七福神)を模したものである。

食文化

Template:Main 正月に食される「口取り」(口取り菓子)も北海道独特である。本来、口取り菓子は、茶会に出される料理(本膳料理)であるが、御節料理の一部で扱われ、正月に食される。これは、鯛や海老など縁起物を縁取った菓子(今日では白餡を用いた練り切り羊羹などもある)である。

郷土料理Template:Main

道政

thumb|260px|北海道庁本庁舎(道庁本館)

歴代知事

詳細は北海道知事一覧を参照。 北海道庁時代の歴代長官については北海道庁 (1886-1947)の項を参照。

  • 初代:田中敏文(1947年4月21日 - 1959年4月22日、3期)
  • 2代:町村金五(1959年4月23日 - 1971年4月22日、3期)
  • 3代:堂垣内尚弘(1971年4月23日 - 1983年4月22日、3期)
  • 4代:横路孝弘(1983年4月23日 - 1995年4月22日、3期)
  • 5代:堀達也(1995年4月23日 - 2003年4月22日、2期)
  • 6代:高橋はるみ(2003年4月23日 - 、2期目)

北海道議会

Template:Seealso thumb|260px|北海道議会庁舎 定数は106人。構成は以下の通り。(2007年4月30日現在)

財政

2006年度の実質公債費比率は19.9%と、全国では長野県に次いで2番目に悪い。

平成18年度決算の財務状況

  • 財政力指数 0.38046 ( 都道府県平均 0.46 )
  • 経常収支比率 93.8% ( 都道府県平均 92.6% )
  • 実質公債費比率 20.6% (注 過去3ヵ年平均 都道府県平均 14.7% )
  • 実質収支比率 0.1
  • 定員管理の適正度 人口100,000人当たり職員数 1,389.79人 (都道府県平均 1,173.11人)
  • ラスパイレス指数 90.5 ( 都道府県平均 99.6 )

北海道債の残高

  • 平成20年度末北海道債残高 合計 5兆6971億円
    • 一般会計分 5兆5058億円
    • 特別会計分   1912億円 

地域区分

支庁

thumb|424px|北海道の市町村・支庁区分図

地方自治法155条に基づき、北海道では北海道支庁設置条例で支庁を設置し、各支庁はその管内において、納税証明書の発行および旅券発給等の窓口業務など、管轄地域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。北海道支庁設置条例によれば支庁の所管区域は郡部であり市部は含まれないが、実際には北海道が定めた北海道行政組織規則等によって支庁業務が行われている市部を含め支庁の区域と見なされることが多い。(2010年4月から施行予定されている北海道総合振興局設置条例では、所管区域に市部・郡部共に記されている)これら、支庁に関する条例・規則の詳細は北海道の条例・規則のページを参照されたい。

2008年6月28日の道議会で14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出帳所として5振興局を置くする条例が可決された。しかし、縮小の対象となった、檜山支庁、日高支庁、留萌支庁、根室支庁、石狩支庁の支庁所在地を抱える管内各自治体では住民の怒りの声が上がっており、地域経済の悪化に拍車がかかることも懸念された。また、再編する際に必要な公職選挙法の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)、2009年4月実施は不可能となり、当初の条例は施行されず、結局2009年3月31日の道議会で「北海道総合振興局設置条例」が改正され、総合振興局・振興局改称後も、どちらも地方自治法上の同格の支庁として存続することになった。総合振興局は、隣接する振興局管内の広域行政を担うことができる、網走支庁がオホーツク総合振興局となる以外は名称は現在の支庁名を継承する、幌延町が留萌支庁管内から宗谷総合振興局管内・幌加内町が空知支庁管内から上川総合振興局管内に移る、など定められた。(北海道新聞2009年4月1日「支庁再編条例が成立」)

支庁一覧

以下に示す番号は、上で示した図の番号と対応している。管内の市町村の詳細は、各支庁の記事参照。

支庁一覧
支庁
自治体
コード
庁舎
所在地
管内
市町村数
面積
(km²)
域内人口
(人)
1 石狩 01300-5 札幌市6市1町1村3,539.862,310,001
2 空知 01420-6 岩見沢市 10市15町 6,558.22365,563
3 後志 01390-1 倶知安町 1市13町6村 4,305.82250,065
4 渡島 01330-7 函館市 2市9町 3,936.32449,371
5 檜山 01360-9 江差町 7町 2,629.8846,999
6 胆振 01570-9 室蘭市 4市7町 3,698.00426,627
7 日高 01600-4 浦河町 7町 4,811.9681,403
8 上川 01450-8 旭川市 4市16町2村 9,852.17535,456
9 留萌 01480-0 留萌市 1市7町1村 4,019.9161,488
10 宗谷 01510-5 稚内市 1市7町1村 4,050.7675,665
11 網走 01540-7 網走市 3市14町1村 10,690.55324,719
12 十勝 01630-6 帯広市 1市16町2村 10,831.24354,147
13 釧路 01660-8 釧路市 1市6町1村 5,997.38261,883
14 根室 01690-0 根室市 1市4町(5村) 8,534.1384,035
※ 根室支庁の面積には、北方領土5,127.9 km²を含む。

総合振興局・振興局(2010年度4月より)

括弧内の地域は広域行政を分担する振興局地域 right|384px

名称 位置 所管区域
空知総合振興局 岩見沢市 空知地域・(石狩地域)
幌加内町は上川総合振興局管内へ
石狩振興局 札幌市 石狩地域
後志総合振興局 倶知安町 後志地域
胆振総合振興局 室蘭市 胆振地域・(日高地域)
日高振興局 浦河町 日高地域
渡島総合振興局 函館市 渡島地域・(檜山地域)
檜山振興局 江差町 檜山地域
上川総合振興局 旭川市 上川地域・(留萌地域)
留萌振興局 留萌市 留萌地域
幌延町は宗谷総合振興局管内へ
宗谷総合振興局 稚内市 宗谷地域
オホーツク総合振興局 網走市 網走地域
十勝総合振興局 帯広市 十勝地域
釧路総合振興局 釧路市 釧路地域・(根室地域)
根室振興局 根室市 根室地域

概念的区分

概念的区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる<ref>大分類・道央・道南・道北・道東</ref>。

  • 道南地方:渡島・檜山の2支庁管内
  • 道央地方:石狩・後志・空知・胆振・日高の5支庁管内
  • 道北地方:上川・留萌・宗谷の3支庁管内
  • 道東地方:網走・十勝・釧路・根室の4支庁管内

胆振・日高を道南に区分したり、網走を道北に区分したり、或いは上川の富良野地区を道央に、空知の深川地区を道北に区分したり、上川の塩狩峠以南を道央に区分したりする例も見られる。

地域生活経済圏としての区分

他方、北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏(PDF)」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。(北海道の2005年の国勢調査人口562万7424人)。

  • 道南圏(49万6370人):渡島・檜山の2支庁管内
  • 道央圏(343万3659人):石狩・後志・空知・胆振・日高の5支庁管内
  • 道北圏(67万2609人):上川・留萌・宗谷の3支庁管内
  • オホーツク圏(32万4719人):網走支庁管内
  • 十勝圏(35万4147人):十勝支庁管内
  • 釧路・根室圏(34万5918人):釧路・根室の2支庁管内

その他の地域分け

国の出先機関(地方支分部局)の支局等が、一般に札幌市旭川市函館市釧路市の4ヶ所のみに設置される場合は、概ね支庁を分割することなく、その支局等が置かれる支庁と近隣の支庁を管轄することとなる(例:釧路支局が釧路支庁と根室支庁を管轄する)が、一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、支庁を分割して管轄する場合がある(特に空知支庁の北部と中南部であることが多い。例:札幌法務局と旭川地方法務局、札幌運輸支局と旭川運輸支局)。

日銀の管轄は、函館支店が渡島・檜山支庁、釧路支店は釧路・根室・十勝支庁を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の旭川事務所の管轄が上川・網走・宗谷・留萌支庁となっている。

また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、北海道の報道機関の一覧にて。

歴史

Template:See also

先史時代

北海道には数万年前の氷河期シベリアから陸橋となった宗谷海峡マンモスオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて人類が渡ってきた。約1万2、3千年前には氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。

道内各地で旧石器時代の発掘調査は、群馬県岩宿遺跡で旧石器が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を放射性炭素年代測定法では21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある。<ref>関口明「文化は北から南から」10-13ページ(田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 2003年3月)</ref>

縄文時代後期の「周溝墓」と推定できる環状土籬が見つかっている。これは北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外に周堤の外径が74 mもあるキウス遺跡や知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)など環状土籬が発見されている。

続縄文文化

本州以南は多数の渡来人(帰化人)が移住することで弥生時代を迎えたが、北海道にまでは弥生文化(水稲耕作)が伝播せず、縄文文化が続いた(本州の弥生・古墳時代に並行する続縄文時代<ref>この呼称は、水稲耕作を取り入れることができず、縄文文化から完全に離脱し得なかったという「稲作中心史観」が見え隠れし、守旧的で停滞的な文化というイメージがつきまとう。関口明「文化は北から南から」23ページ(田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 2003年3月)</ref>は、紀元前2世紀から8世紀の奈良時代頃まで続いた)。この文化は、北はサハリン南端部、東は国後島択捉島、南は東北地方から新潟県西部にまで及んでいる。 この時期のはじめの土器は東北北部の土器の影響が及んだ恵山式土器で紀元前2世紀から3世紀紀までを恵山文化と呼ぶ。この文化と弥生文化との交流を示す鉄器や碧玉製の管玉が見つかっている。また、この文化の影響が道央部に及んで江別式土器が出現する。この土器は後北式土器<ref>後期北海道式薄手縄文土器の略称</ref>とも呼ばれている。江別式土器を特徴とする江別文化は紀元前1世紀から7世紀頃までで、サケ・マスの漁撈生業を中心とした狩猟・採集経済である。この文化の遺跡からソバの花粉や緑豆の種子が検出されており、食用植物が栽培されていたと考えられる<ref>菊池俊彦「縄文時代の北海道」 上原真人・白石太一郎・吉川真司・吉村武彦編『列島の古代史 ひと・もの・こと 1 古代史の舞台』岩波書店 2006年 14-15頁</ref>

擦文文化

つづいて、7世紀後半より土師器の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする擦文時代となって、この文化を8世紀までを前期、9~10世紀を中期、12世紀頃までを後期の三期に区分する。この文化は和人(本州以南の日本人)との交易によって、12世紀ごろには鉄器を持ち、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化に成熟した。

オホーツク文化期

オホーツク海沿岸には、アイヌによって擦文時代が営まれていた頃、道東に海獣狩猟を中心とするオホーツク文化を持った人々が移住したが、アイヌ文化が成熟した頃に忽然と姿を消した。アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。この古代文化は、3世紀から13世紀にサハリン、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に展開された。このうち、北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推測されている。

和人進出

古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場し、阿倍比羅夫と接触を持ち、奈良時代平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。

中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)等様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、等を日本人(和人)との交易で得るようになっていった。

また鎌倉時代以降になると、後の松前藩和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。

松前藩

室町時代には渡島半島の南端に和人が道南十二館を築き居住地(和人地)を設けた。戦乱を避けて移住する者が増えると、現地のアイヌとの間に対立が起きた。その結果、1457年(長禄元年)に起きたコシャマインの戦いで、武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。

松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。1784年(天明4年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。

江戸時代後期から、シベリアからロシアが領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本と北海道近辺で接触した。中にはゴローニン高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内近藤重蔵間宮林蔵伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、1799年(寛政11年)に東蝦夷地を、1807年(文化4年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として1802年(享和2年)に蝦夷奉行を置き、後に函館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は1821年(文政4年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。

近代

[[ファイル:Sapporo2.jpg|thumb|260px|1888年建設の道庁旧本庁舎(札幌市)]] 1868年(明治元)に、新政府は蝦夷地に箱館裁判所を置くことを決め、直ぐにその名を箱館府と改めた。但し、戊辰戦争のひとつ函館戦争(一時、「蝦夷共和国」成立)が起こり、すぐには蝦夷地は新政府の下に統一されなかった。榎本武揚総裁の五稜郭の降伏後、蝦夷地は1869年(明治2年)に北海道と改称され、11国が置かれた。同年7月館藩(松前藩)領以外を管轄する開拓使が設けられてから北海道の開拓は本格化した(屯田兵)。1870年(明治3年)、根室国花咲郡根室郡野付郡東京府に編入されたが、同年末に廃止。明治4年(1871年7月14日 廃藩置県に伴い館藩の旧領(爾志郡檜山郡津軽郡福島郡)に館県設置。同年9月 館県は道外の弘前県などと合併、弘前県(青森県)の一部となり消滅。明治5年(1872年)10月 福島郡など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管。これにより北海道全域が開拓史の所管となる。開拓使は1882年(明治15年)に廃止され、代わりに函館県札幌県根室県の3県が設けられたが、その行政効率の悪さから1886年(明治19年)には再び統一行政機関として北海道庁が置かれた。明治政府の政策により多くの人が移住し、道内各地に開拓の波が押し寄せた。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。また、鉄道国道が建設されたが、網走刑務所に代表されるように、懲役刑の一環として行われた面もある。石炭が産出されることから、数多くの炭鉱が開発され、輸送するための鉄道が縦横に張り巡らされた。

  • 北海道11国86郡(1869年設置)
読み
渡島国
亀田郡かめた
茅部郡かやべ
上磯郡かみいそ
福島郡ふくしま
津軽郡つがる
檜山郡ひやま
爾志郡にし
後志国
久遠郡くとう
奥尻郡おくしり
太櫓郡ふとろ
瀬棚郡せたな
島牧郡しままき
寿都郡すつつ
歌棄郡うたすつ
磯谷郡いそや
岩内郡いわない
古宇郡ふるう
積丹郡しやこたん
美国郡びくに
古平郡ふるひら
余市郡よいち
忍路郡おしよろ
高島郡たかしま
小樽郡おたる
読み
胆振国
山越郡やまくし
虻田郡あふた
有珠郡うす
室蘭郡むろらん
幌別郡よりへつ
白老郡しらおい
勇払郡ゆうふつ
千歳郡ちとせ
石狩国
石狩郡いしかり
札幌郡さっぽろ
夕張郡ゆうばり
樺戸郡かばと
空知郡そらち
雨竜郡うりゆう
上川郡かみかは
厚田郡あつた
浜益郡はまましけ
天塩国
増毛郡ましけ
留萌郡るもい
苫前郡とままえ
天塩郡てしほ
中川郡なかかわ
上川郡かみかは
読み
北見国
宗谷郡そうや
利尻郡りしり
礼文郡れふんしり
枝幸郡えさし
紋別郡もんべつ
常呂郡ところ
網走郡あばしり
斜里郡しゃり
日高国
沙流郡さる
新冠郡にいかふ
静内郡しつない
三石郡みついし
浦河郡うらかは
様似郡さまに
幌泉郡ほろいつみ
十勝国
広尾郡ひろお
当縁郡とうふち
上川郡かみかは
中川郡なかかわ
河東郡かとう
河西郡かさい
十勝郡とかち
読み
釧路国
白糠郡しらぬか
足寄郡あしよろ
釧路郡くしろ
阿寒郡あかん
網尻郡あはしり
川上郡かわかみ
厚岸郡あつけし
根室国
花咲郡はなさき
根室郡ねむろ
野付郡のつけ
標津郡しへつ
目梨郡めなし
千島国
国後郡くなしり
択捉郡えとろふ
振別郡ふれへつ
紗那郡しやな
蘂取郡しへとろ
得撫郡うるっぷ
新知郡しむしる
占守郡しゅむしゅ

※得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、1875年樺太・千島交換条約により得撫島以北の千島列島を編入したため千島国に加わった。

  • 注:よみがなは『新北海道史』による。

現代

1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁総理府外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道を初めとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧1級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道は全ての国道を国が管理した。

2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。

産業

北海道内総生産の産業別構成比は、第1次産業が3.3%、第2次産業が22.4%、第3次産業が76.7%である(2000年度。この他に控除すべき数値があるため合計は100%を超える)。全国と比べて第1次産業、第3次産業の比率が高く、第2次産業、特に製造業の比率が小さい。

第1次産業

農業畜産業
北海道は、日本の食糧基地と自称するほど農業が盛んで、全国の約12%にあたる1兆579億円の農業産出がある(2003年)。麦や芋等の畑作も全国と比べて比率が高く、テンサイジャガイモ小麦等全国一の品目が多い。中でも産出額の内約45%を占めるのは畜産であり、特に乳用牛の生産額が大きい。道内の生乳生産量も全国の約40%を占める。また、日高支庁を中心にサラブレッド等の軽種馬の生産も盛んである。
農家1戸当たりの耕地面積は16.9ha(2002年)で、他都府県の13倍にも達する。これは単に土地が広いこともあるが、北海道の各地方の気候条件に対応した農業が発達し開拓当初から大規模化したこと、農村部で兼業の機会が少ないために専業農家が多く、離農する者が多かったことから周辺農家が離農地を吸収合併し規模を拡大してきたこともその要因とされる。空知・上川・十勝・網走(北網)が北海道の四大農業地帯と言われている。
日本とオーストラリア間の自由貿易協定を柱とする経済連携協定日豪EPA/FTA)に関する交渉が2007年4月から両国間で開始された。同協定が締結され農産物の関税が撤廃された場合、オーストラリア産農産物の輸入増により北海道農業は大打撃を受け、新たな財源がまったく確保できないとすると、北海道経済全体で約1兆3700億円の経済損失が生じ、約8万8000人が失職すると、北海道は試算している[1]。これが現実となれば農業・酪農のみならず道内消費や他産業まで、北海道拓殖銀行の破綻をはるかに超える影響が及ぶとされ、道財政の破綻・財政再建団体転落の可能性も指摘されている。
宗谷支庁釧路支庁根室支庁酪農地帯。気候が耕作には適していないため、亜寒帯湿潤気候を利用した酪農が盛んである。釧路支庁、根室支庁では農家1戸当たり耕地面積は60.3ha(2003年)にも達し、宗谷支庁に至っては99%が牧草地である。大規模経営のため農家の所得水準は高く、北海道の農家1戸あたり農業所得は約580万円である。特に鶴居村の約1370万円は全国最高である。肉牛の生産もしている。
稲作は主に空知支庁上川支庁等の道央で行われている。代表銘柄は、「きらら397」・「ほしのゆめ」・「ななつぼし」。特に上川中部のコメは一等米比率が高く、品質の良さで知られている。
渡島支庁は比較的畜産が盛んで、後志支庁は、余市町仁木町を中心に果樹の生産が盛ん。羊蹄山麓はジャガイモの産地となっている。
空知支庁は稲作のほか、北部でソバ、南部でタマネギも生産している。特にソバの収穫量は幌加内町が全国1位、深川市が第2位、旭川市が第3位、滝川市が第4位で、日本を代表するソバ産地であると言える。
上川支庁は、日本を代表する野菜産地である。タマネギジャガイモニンジントウモロコシアスパラガスキャベツダイコン・キノコなどの生産量が多い。また、大豆大麦ソバ小豆(アズキ)・テンサイ(ビート)等も生産されている。富良野市はニンジンの、名寄市はアスパラガスの、和寒町はカボチャのそれぞれ生産量日本一である。コメも先述の通り生産量が多い。
網走支庁では、タマネギジャガイモトウモロコシテンサイの生産量が多い。北見市はタマネギの産地として有名。酪農も大変盛ん。
十勝支庁は、北海道随一の農業地帯。小麦テンサイ小豆等の豆類・トウモロコシ等の生産が多い。酪農も盛んである。
水産業
明治時代までは日本海沿岸でニシン漁が栄えた。その後カムチャツカ半島沖、ベーリング海沖での北洋漁業が飛躍的に伸び、太平洋沿岸で水産業が発達した。また同時に発展した水産加工業は北海道の工業の基盤ともなった。
1977年排他的経済水域(200海里水域)設定で遠洋中心の北海道の漁業は大打撃を受けた。しかし依然として、北海道での水揚げ量は全国のおよそ4分の1を記録<ref>「政府統計の総合窓口」のうち平成18年漁業・養殖業生産統計(概数)</ref>するなど、水産業は北海道の主要な産業のひとつである<ref>平成10年度の事業報告 北海道立資質研究所海洋地質部</ref>。またホタテカニウニ等の水産物を目当てに訪れる旅行者もいるなど、観光産業にも貢献をしている。
現在の水揚げ量は根室市が道内で一番多い。釧路は1990年まで、13年連続世界1位の水揚げ量であったが、その後急減。2006年現在、静岡県焼津市が水揚げ量全国1位である。

第2次産業

北海道の製造業は、太平洋側に面した大規模港湾のある、苫小牧市苫小牧港)、室蘭市室蘭港)、釧路市釧路港)に発達している。苫小牧市は人口規模で札幌市の1/10未満だが製造品出荷額で札幌市を抜く。この3市の製造品出荷額は北海道全体の実に4割を占め、北海道経済の機関車としての役割がある。なお、道内最大の都市である札幌市は消費依存型の都市で、食品加工業以外目ぼしい製造業はない。

鉱業
明治から高度成長期(1960年代まで)にかけては、石狩炭田三笠市歌志内市夕張市等)と釧路炭田釧路市白糠町釧路町厚岸町等)を中心に石炭産業が盛んであったが、現在は釧路市の太平洋炭礦を最後に大規模な採炭は終了。国内で唯一、坑内採炭事業が釧路コールマインによって継続されて採炭されている。
昭和に入り、鴻之舞鉱山紋別市)のの産出量が増加。全盛期には「東洋一の金山」といわれるが、資源枯渇等を理由に1973年閉山。また、豊羽鉱山札幌市南区)もかつて亜鉛で日本最大級の産出量を数え、希少金属であるインジウムの産出量も世界一だったが、2006年鉱量枯渇のため閉山となる。
イトムカ鉱山(旧留辺蘂町、現北見市)ではかつて良質の水銀を産出し、第2次大戦中に最盛期を迎えたが、1974年に閉山した。現在は水銀含有廃棄物のリサイクルや精練を行っている。
工業
北海道の工業は太平洋沿岸の苫小牧、釧路の両地域に集約。食品加工は苫小牧から札幌にかけての内陸の諸都市に集中している。
中国経済の勃興による旺盛な需要の伸びに伴い、室蘭市の製鉄は増産状態が続いており街に活況が戻ってきた。北海道全体が不況感にある中で、2005年になって製造業の発達した都市では経済状態に漸く回復感が戻ってきた。
  • 苫小牧市釧路市は大規模な製紙、パルプ業が発達し、機械製造、飼料・肥料コンビナートを有する商工業都市。特に苫小牧市単独で札幌市の製造品出荷額を上回り、釧路港の貿易総額は石狩湾新港の4倍強である。
  • 室蘭市は製鉄、化学コンビナートによる工業都市。
  • 函館市造船、食品加工製造。
  • 札幌市は道内産の農水産品加工から発達した食品加工製造が盛ん。
  • 旭川市は食品加工製造、製紙・パルプ業、電子機器、家具、酒造、出版印刷業。
  • 帯広市は菓子などの食品加工製造。
建設業
明治以降の北海道は国策による開拓と開発が積極的に行われ、建設業は公共事業に大きく依存して発展を遂げた。現在でも北海道は公共事業への依存度が高く、道内各都市には年商100億円規模の建設会社が必ずあると言われるほどである。しかし近年は公共事業の大幅な減少によって、建設業は大きな苦境に立たされている。
産業系特区
苫小牧東部開発計画石狩湾新港地域開発等、国と道が一体となった大規模開発は何れも苦戦を強いられている。現在、再建会社が事業を引継ぎ運営しており、一時期は新規進出も極めて厳しい状況ではあったが、近年では札幌圏に位置する地理的な優位性から、石狩湾新港地域開発では物流関連、リサイクル関連企業の進出等が相次ぎ、堅調な成長を持続している。

第3次産業

観光関連産業
1972年札幌オリンピック開催を機に、北海道開発庁を中心に新千歳空港鉄道の整備が進み、観光産業が大きく花開いた。夏は避暑やアウトドアレジャー、ドライブ、オートバイによるツーリング、冬はスキー、そして1990年代からはスノーボード等が楽しめる他、日本の農業基地としての北海道という側面から名産食品もあり、温泉の多さも手伝って毎年多くの観光客を集めている。また、観光客等を対象として小売業運輸業が発達している。
しかし近年では海外旅行が安価で手軽になったことから北海道の魅力が相対的に薄れてきている。北海道拓殖銀行の破綻後は連鎖倒産も相次ぐ等、観光産業の経営状況は必ずしも芳しくない。
道外からの観光客数は1997年以降年間600万人前後でほぼ横ばいに推移しているが、この間に外国人観光客は12万人(1997年度)から29万人(2003年度)へと増加している。特に台湾香港韓国の3地域からの団体客数の伸びが大きい。雪の降らない台湾や香港の人々にとって、北海道は手近でありながら雄大な自然や温泉が楽しめる場所であり魅力に感じられている。また、倶知安町にあるニセコマウンテンリゾート グランヒラフには、2002年頃よりオーストラリアからのスキー・スノーボード客が急増している。スキー場下のひらふ地区にある宿泊施設や飲食施設には、多くの外国人旅行客が訪れているため、街は海外のリゾート地を思わせる状態になっている。最近では富良野市周辺にも多くのオーストラリア人が押し寄せている。
バブル経済崩壊以前は、テーマパークや大規模な温泉街等がある道央地域が観光の中心であったが、近年は大自然の風景が見られる美瑛町富良野市知床旭川市旭山動物園等が人気を得ている。札幌市旭川市釧路市の3市が国土交通省国際会議観光都市に指定され数次の国際会議が開催されている。2008年には洞爺湖サミット(後述)が開かれた。
情報関連産業
札幌には1980年代の家庭用テレビゲーム機の初期の頃からハドソンなどゲームソフト会社が数社存在していたが、拓銀の破綻などから廃業や札幌を脱出し、東京へ拠点を移した会社が多い。近年コールセンターの立地に札幌市釧路市で積極的な制度整備を図っている。

姉妹・友好提携地域

交通

鉄道バス道路は以下の項を参照。

北海道の鉄道路線北海道の乗合バス事業者北海道地方の道路一覧北海道の道道一覧

港湾

重要港湾は12港、そのうち特定重要港湾は2港。

特定重要港湾
重要港湾

空港

以前は日本各地の空港と直接結ぶ路線も多様に見られたが、近年は新千歳空港乗継と東京国際空港(羽田)乗継に路線が整理縮小されてきている。

2005年度旅客数(日本の空港#乗降客数参照)
※国内線旅客数の内、東京(羽田)便の旅客数を上位空港のみ括弧内に記載。
空港 旅客合計 国内線 国際線
旅客数 定期便 旅客数 定期便
新千歳 1773万8000人 1711万0876人
(911万6627人)
道内 稚内利尻女満別
釧路
62万7124人 ユジノサハリンスク
ソウル釜山北京
上海大連香港
台北グアム
道外 青森花巻秋田
仙台山形福島
羽田成田新潟
富山小松松本
静岡中部伊丹
関西神戸岡山
広島・(出雲徳島)・
福岡
函館 209万4813人 194万2066人
(128万9554人)
道内 旭川・釧路・丘珠
奥尻
15万2747人 ユジノサハリンスク
ソウル
道外 羽田中部関西
旭川 120万2693人 112万3426人
(88万8488人)
道内 函館 7万9267人 ソウル
道外 羽田中部・(伊丹)・
関西
女満別 101万0459人 100万8020人
(50万5234人)
道内 新千歳・丘珠 2439人 -
道外 羽田中部関西
釧路 93万8353人 89万0397人
(57万7102人)
道内 新千歳・丘珠・函館 4万7956人 -
道外 羽田・(中部伊丹)・
関西
帯広 66万7243人 61万2147人
(52万0026人)
道外 羽田名古屋・(関西5万5096人 -
丘珠 37万5797人 37万5797人 道内 稚内・女満別・中標津・
釧路・函館
0人 -
稚内 23万4981人 23万4981人 道内 新千歳・丘珠 0人 -
道外 羽田・(中部関西
中標津 22万3330人 22万3330人 道内 丘珠 0人 -
道外 羽田
紋別 5万5754人 5万5754人 道外 羽田 0人 -
利尻 3万5662人 3万5662人 道内 新千歳 0人 -
奥尻 1万1786人 1万1786人 道内 函館 0人 -
礼文 487人 487人 - - 0人 -
※出典は国土交通省航空局・暦年・年度別空港管理状況調書(PDF形式)
斜字は不定期路線を示す
※就航先は2008年4月1日現在
チャーター便の旅客数含む
※括弧は通年運航ではない(季節運航もしくは運休期間がある)路線を示す
三大都市圏への便は太字

報道機関

北海道の報道機関の一覧を参照。

観光

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文化財

北海道の映画祭

洞爺湖サミット

2008年第34回主要国首脳会議が北海道洞爺湖畔での開催が安倍政権により打診され、高橋はるみ知事の判断により開催が決定している。2005年における北海道庁の試算では警備費だけで約30億、全体では約70〜80億円となっており、夕張市財政破綻問題を抱え、巨額の積算赤字に苦しんでいる財政難の中でさらに重たい負担が北海道にかかる見通しとなっている。

スポーツ

動物・植物

北海道を舞台にした作品

北海道を舞台にした作品一覧を参照。

北海道出身の有名人

関連項目

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脚注

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外部リンク

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行政
観光

Template:Wikitravel

Template:日本の都道府県 Template:日本の地域 Template:北海道の市と郡ace:Hokkaido af:Hokkaido ar:هوكايدو az:Hokkaydo bar:Hokkaido bat-smg:Huokaids bg:Хокайдо bs:Hokaido ca:Hokkaidō cs:Hokkaidó cy:Hokkaidō da:Hokkaido de:Hokkaidō el:Χοκκάιντο en:Hokkaidō eo:Hokajdo es:Hokkaidō et:Hokkaidō eu:Hokkaido fa:هوکایدو fi:Hokkaidō fj:Hokkaido fr:Hokkaidō gl:Hokkaido he:הוקאידו hi:होक्काइडो hr:Hokkaido hu:Hokkaidó id:Prefektur Hokkaido is:Hokkaidō it:Hokkaidō ka:ჰოკაიდო ko:홋카이도 la:Hoccaido lt:Hokaidas lv:Hokaido prefektūra mk:Хокаидо mn:Хоккайдо mr:होक्काइदो ms:Hokkaidō nl:Hokkaido (Japan) nn:Hokkaido no:Hokkaido oc:Hokkaidō pam:Hokkaidō pl:Hokkaido pt:Hokkaido qu:Hokkaido ro:Prefectura Hokkaidō ru:Хоккайдо sco:Hokkaido simple:Hokkaido sk:Hokkaidó sl:Hokaido sr:Хокаидо sv:Hokkaido prefektur sw:Mkoa wa Hokkaidō ta:ஹொக்கைடோ tg:Префектураи Ҳоккайдо th:จังหวัดฮกไกโด tl:Hokkaidō tr:Hokkaidō tt:Хоккайдо ug:خوككايدو ئارىلى uk:Хоккайдо vi:Hokkaidō war:Hokkaidō zh:北海道 zh-min-nan:Pak-hái-tō zh-yue:北海道

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