北杜夫

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北 杜夫(きた もりお、1927年5月1日 - )(本名:斎藤宗吉(さいとう そうきち)。は、日本小説家エッセイスト精神科医医学博士

父は大正から昭和前期にかけてアララギの中心人物としてその名を轟かせた大歌人:斎藤茂吉であり、エッセイストとしても活躍した精神科医:斎藤茂太を兄に持つ。さらに現在活躍中のエッセイスト斎藤由香は一人娘である。

目次

来歴・人物

東京市赤坂区青山南町(現・東京都港区南青山)に父:斎藤茂吉、母:輝子の次男として誕生する。生家は輝子の実父であり北にとって祖父にあたる斎藤紀一 が創設し、茂吉が院長を務める青山脳病院という精神病院であった。

少年時代は昆虫採集に深く熱中する日々を送り、文学には興味を抱かなかった。戦中から戦後の混乱の最中、旧制松本高校に入学し、学友たちと刺激しあう日々を送る中で初めてトーマス・マンの作品に出逢う。中でもトニオ・クレーゲル魔の山から強く深い影響を与えられた事がきっかけとなり作家を志すようになる。当時の松高にはマンの翻訳で名高い望月市恵がドイツ語教授として在任しており、マンの研究者としてはもとより、その人柄や教育者として望月のあらゆる面に強く尊敬の念を抱き、卒業後も交流は続いた。この件は著書である青年時代を綴ったエッセイ『どくとるマンボウ青春記』に詳しい。文学以外には卓球部のキャプテンを務め、インターハイに出場した。また、松高を志望する大きな理由の一つであった日本アルプス登山に頻繁かつ果敢に挑むなどして高校時代を過ごす。

旧制麻布中学時代までは、恐ろしいカミナリ親父、頑固親父の存在でしかなかった父であったが、あらゆる影響を受けた松高時代に彼の短歌の素晴らしさに触れた事で認識が変わり、以後は優れた文学者として尊敬するようになるが、進路を決める際、志望外であった医学部へ進学する事を一方的に厳命し、ささやかな抵抗や交渉を試みるも父の圧倒的で頭ごなしの威力を覆すことは到底敵わず、せめて松高の環境に似た風情を持つ学校へという願いから同じ城下町に存在する東北大学医学部へ進学する。

大学卒業後はインターンとして慶應義塾大学病院に赴任する。無給であったため、すでに所帯を構えていた兄の自宅に居候せざるを得なかった。医師として勤める傍ら、同人雑誌『文藝首都』に参加し、川上宗薫佐藤愛子田畑麦彦なだいなだらの知己を得る。1959年、『文藝首都』に連載した『幽霊』を、田畑の『祭壇』とともに自主出版する。

ナチス・ドイツの「夜と霧作戦」をモチーフにした『夜と霧の隅で』で、1960年に第43回芥川龍之介賞を受賞。また、1958年から1959年にかけて水産庁調査船に船医として乗船しインド洋から欧州にかけて航海(ドイツ訪問が乗船の動機だった)。この体験に基づく旅行記エッセイ『どくとるマンボウ航海記』が同年に刊行されると、アメリカン・ユーモアから影響を受けた、従来の日本文学にない陽性でナンセンスなユーモアにより評判となり、ベストセラーとなる。以降、小説、エッセイとも、特に若い読者から熱狂的に支持される人気作家となった。

祖父(母輝子の父。茂吉の養父)で、齋藤脳病院の創設者である齋藤紀一は「大ぼらふき」の傾向がある奇人であったが、純文学作品とされるものにも祖父のようなユニークな「ほら吹き」の人物を登場させることがある。

作品は『夜と霧の隅で』、『楡家の人びと』(奇人変人が多かった齋藤家の歴史を描いた大河小説)など純文学と位置づけられるものから、『奇病連盟』『高みの見物』などのユーモア中間小説、『怪盗ジバコ』『父っちゃんは大変人』『さびしい王様』などファンタジーといえるもの、『船乗りクプクプの冒険』のような児童文学童話など、多様である。他に近年の作として父茂吉の評伝4部作があり、エッセーは『(どくとる)マンボウ』ものなどが小説以上に広く読み継がれている。

大学時代の登山経験から、1965年カラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加。この体験をもとに『白きたおやかな峰』が書かれた。

初期のSFの愛好者・擁護者であり自身もSF的作品を執筆。1968年・1969年には月計画さなかのNASAを訪問・取材。ただし、その取材を元に執筆した著書『月と10セント』は月計画の狂騒的な騒ぎを批判した書であった。

また漫画の愛好家であったことから、小学館漫画賞文藝春秋漫画賞の選考委員をつとめていたこともあった。

壮年期より躁うつ病(双極性障害)に罹患。みずからの病状をエッセーなどでユーモラスに記し、世間の躁うつ病やうつ病に対するマイナスイメージを和らげるのに一役買うこととなった。躁病期のへの投資のために破産も経験している。この経験が戯曲風小説『悪魔のくる家』の執筆のヒントになったとされる。

昭和末期から、自宅を領土とするミニ国家「マンボウ・マブゼ共和国」主席を名乗る。同国は真の共産主義国家であると称するが、実在の共産主義国家は偽者として批判。特に訪問経験のあるソヴィエトには辛口である。もっとも、原則として政治的発言はしない作家であり、マンボウ・マブゼ共和国についてもシャレ以上の意味を持たせる意図はない。

自他共に認める熱狂的阪神タイガースファンであり、エッセイには阪神の成績に一喜一憂しつづける日常を描いたものも多数ある。また1985年の阪神タイガース優勝時には、彼の興奮ぶりがテレビ朝日系列にてドキュメンタリー番組として放送された。

1996年には日本芸術院会員となり、2006年には日本経済新聞私の履歴書」に登場した。

2008年5月12日放送「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)に長女の斎藤由香と28年ぶりに出演した。

昆虫採集

幼少時から始めた昆虫採集東京大空襲でコレクションのほとんどを失ってからほとんど行わなくなったが、コガネムシ類にだけは高齢になっても執着心を持ち続けてきたことを証言している。また、幼少期からの自然史趣味は、高校の同級生で後に著名な植物学者となった西田誠を、その該博な植物学の知識で驚嘆させた。昆虫採集に関しては『どくとるマンボウ昆虫記』が根強い人気を持っている。また、その後の著作でも『南太平洋ひるね旅』などでしばしば昆虫採集に言及している。

2008年「どくとるマンボウ昆虫展」が開催された。これは虫好きのマンボウファンが、全国の虫屋に呼びかけ「どくとるマンボウ昆虫記」に登場する全昆虫の実物標本を集め開催したものである。内約50種は、実際に北氏が採集した個体が使用された。さらに、『航海記』の記述にある「帽子で捕まえたチョウ」の正体や、『青春記』で「茂吉の傍らで観察した狩猟蜂」が何であったのかを、その時の正にそのものの実物標本を使用し展覧した。

ペンネームについて

ペンネームは文学活動を開始するにあたり、“親の七光り”と陰口を叩かれることを嫌い、茂吉の息子であることを隠す意図で用い始めた。杜夫の由来は仙台杜の都)在住時、心酔するトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』(杜二夫)にちなんでつけたという。本人の談では、まず北の都に住んだので、「北」とつけ、「杜二夫」ではあまりに日本人離れしているので、「杜夫」にしたということである。その後順次「東」、「南」、「西」と、ペンネームを変更するつもりだったが、「北杜夫」で原稿が売れ始め、ペンネームを変更すると、出版社との契約等で支障があると判明し、そのままになったらしい。

学歴

職歴

受賞歴

著書

  • 幽霊―或る幼年と青春の物語 中央公論社、1960 新潮文庫
  • どくとるマンボウ航海記(船医としての経験をユーモラスに描いた随筆)中央公論社、1960 新潮文庫
  • 夜と霧の隅で 新潮社、1960 新潮文庫、以下略
  • 羽蟻のいる丘 文藝春秋新社、1960
  • 遥かな国遠い国 新潮社、1961 文庫
  • あくびノオト 新潮社、1961 文庫
  • どくとるマンボウ昆虫記(少年時代からの昆虫趣味をベースにした随筆)中央公論社、1961 文庫
  • 南太平洋ひるね旅 新潮社、1962 文庫
  • 船乗りクプクプの冒険 集英社、1962 新潮文庫、集英社文庫 2009
  • どくとるマンボウ小辞典 中央公論社、1963 文庫
  • みつばち ぴい(童話)フレーベル館、1964
  • 楡家の人びと(斎藤家の歴史に取材した長編小説)新潮社、1964 文庫
  • 牧神の午後 冬樹社、1965 中公文庫
  • 高みの見物 新潮社、1965 文庫
  • どくとるマンボウ途中下車 中央公論社、1966 文庫
  • 天井裏の子供たち 新潮社、1966 文庫
  • 白きたおやかな峰(筆者が1966年にカラコルム山脈のディラン峰に医師として随行した体験に取材した小説)新潮社(純文学書き下ろし特別作品)1966 文庫
  • マンボウおもちゃ箱 新潮社、1967 文庫
  • 怪盗ジバコ 文藝春秋、1967 文庫
  • 奇病連盟 朝日新聞社、1967 新潮文庫
  • どくとるマンボウ青春記(旧制松本高等学校学生時代の随筆)中央公論社、1968 文庫
  • 黄色い船 新潮社、1968 「黄いろい船」文庫
  • さびしい王様 新潮社、1969 文庫
  • 星のない街路 中央公論社、1969 文庫
  • 少年 中央公論社、1970 文庫
  • 月と10セント マンボウ赤毛布米国旅行記 朝日新聞社、1971 新潮文庫
  • ぼくのおじさん 旺文社、1972(少年ドラマシリーズ原作)新潮文庫
  • 人間とマンボウ 中央公論社、1972 文庫
  • 酔いどれ船 新潮社、1972 文庫
  • マンボウぼうえんきょう 新潮社、1973 文庫
  • さびしい乞食 新潮社、1974 文庫
  • 岩尾根にて 青娥書房 1975
  • 木霊―或る青年期と追想の物語 新潮社、1975 文庫
  • 狂詩初稿 中央公論社 1975
  • マンボウ周遊券 新潮社、1976 文庫
  • どくとるマンボウ追想記 中央公論社、1976 文庫
  • 北杜夫全集 全15巻 新潮社、1976-77
  • さびしい姫君 新潮社、1977 文庫
  • 美女とマンボウ(対談)人類とマンボウ1 講談社、1977
  • 怪人とマンボウ(対談)人類とマンボウ2 同
  • スターとマンボウ 人類とマンボウ3 同
  • マンボウ談話室(対談)講談社、1977
  • マンボウ響躁曲 地中海・南太平洋の旅 講談社、1977
  • むすめよ…―どくとるマンボウのおくりもの(童話)小学館、1977
  • マンボウ夢遊郷 中南米を行く 文藝春秋、1978 文庫
  • 悪魔のくる家 新潮社、1978 文庫
  • マンボウぱじゃま対談 美女かいぼう編 集英社、1978 文庫
  • マンボウぱじゃま対談 男性かいぼう編 同
  • マンボウ博士と怪人マブゼ 新潮社、1978 文庫
  • よわむしなおばけ(絵本)旺文社、1978
  • まっくらけのけ 新潮社、1979 文庫
  • ローノとやしがに―どくとるマンボウのとんちばなし(童話)小学館、1979
  • 寂光 歌集 中央公論社 1981
  • 人工の星 潮出版社 1981 集英社文庫
  • 父っちゃんは大変人 文藝春秋、1981 文庫
  • マンボウ宝島 若者のためのエッセイ集 創隆社 1981
  • マンボウ雑学記 岩波新書、1981
  • 親不孝旅日記 角川書店、1981 文庫
  • 輝ける碧き空の下で(ブラジル移民に取材した長編小説)新潮社、1982-86 文庫
  • マンボウ人間博物館 文藝春秋、1982 新潮文庫
  • マンボウマブゼ共和国建国由来記 集英社 1982 文庫
  • マンボウ交遊録 読売新聞社、1982
  • 北杜夫による北杜夫(試みの自画像) 青銅社 1982
  • マンボウの乗馬読本 集英社 1983 「マンボウ素人乗馬読本」新潮文庫
  • マンボウ万華鏡 物語の中の物語 PHP研究所、1983
  • マンボウ百一夜 新潮社、1984 文庫
  • 地球さいごのオバケ(童話)河出書房新社、1985
  • 優しい女房は殺人鬼 新潮社、1986 文庫
  • マンボウの朝とマブゼの夜 朝日新聞社、1986
  • マンボウVSブッシュマン 新潮社、1987 文庫
  • 大日本帝国スーパーマン 新潮社、1987 文庫
  • 大結婚詐欺師 角川書店、1987 文庫
  • 或る青春の日記 中央公論社、1988 文庫
  • マンボウ酔族館 1-6 実業之日本社、1988-99 新潮文庫
  • 夢一夜・火星人記録 新潮社、1989 文庫
  • 怪盗ジバコの復活 新潮社、1989 文庫
  • 日米ワールド・シリーズ 実業之日本社、1991
  • 青年茂吉(1991)・壮年茂吉(1993)・茂吉彷徨(1996)・茂吉晩年(1998)(4部作)岩波書店、のち岩波現代文庫
  • マンボウ的人生論 若者のためのエッセイ集 創隆社、1991
  • マンボウ氏の暴言とたわごと 新潮社、1991 文庫
  • 神々の消えた土地 新潮社、1992 文庫
  • うすあおい岩かげ(詩集)中央公論社、1993
  • どくとるマンボウ医局記(慶應義塾大学医学部医局時代の随筆)中央公論社、1993 文庫
  • 母の影 新潮社、1994 文庫
  • 孫ニモ負ケズ 新潮社、1997 文庫
  • 消えさりゆく物語 新潮社、2000 文庫
  • マンボウ哀愁のヨーロッパ再訪記 青春出版社、2000
  • マンボウ愛妻記 講談社、2001(改題:マンボウ恐妻記・新潮文庫)
  • マンボウ遺言状 新潮社、2001 文庫
  • マンボウ夢草紙 実業之日本社、2001(改題:マンボウ夢のまた夢・新潮文庫)
  • マンボウ最後の名推理 青春出版社、2003
  • マンボウ阪神狂時代 新潮社、2004 文庫
  • どくとるマンボウ回想記 日本経済新聞社、2007「私の履歴書」に掲載
  • マンボウ最後の大バクチ 新潮社、2009 
  • マンボウ家の思い出旅行 実業之日本社、2010 

共著

  • 若き日と文学と(辻邦生との対談)中央公論社、1970 文庫
  • 狐狸庵VSマンボウ 遠藤周作との対談、講談社 1974 文庫
  • この父にして 斎藤茂太対談 毎日新聞社 1976 講談社文庫
  • 快妻オバサマVS躁児マンボウ(母・輝子との対談)1-2 文藝春秋、1977 文庫
  • 乗物万歳 阿川弘之対談 中央公論社 1977 文庫
  • この母にして 斎藤輝子対談 文藝春秋、1980
  • さびしい文学者の時代 埴谷雄高対談 中央公論社 1982
  • 難解人間vs躁鬱人間 埴谷雄高対談 中央公論社 1990
  • 酔生夢死か、起死回生か。(阿川弘之との共著)新潮社、2002 文庫
  • パパは楽しい躁うつ病 斎藤由香対談 朝日新聞社 2009

編著

  • 現代漫画 全27巻 鶴見俊輔,佐藤忠男と共編 筑摩書房 1970~1971
  • ミッキー英語コミック文庫 全13巻, 講談社 1976~1977
  • 乗らない・乗る・乗れば(楽しみと冒険7) 新潮社 1979
  • 山(日本の名随筆10) 作品社 1983
  • 斎藤茂吉随筆集 阿川弘之と共編 岩波文庫 1986

テレビ出演

CM

関連人物

  • 友人、知人
    • 遠藤周作
      終生の友人。お互いの随筆に登場したり対談も多いが、その中での「狐狸庵先生」と「どくとるマンボウ」の行動はシリアスな作家としての一面はほとんどない。純文学、ユーモアエッセイ、中間小説をまたにかける守備範囲や(ただし、作風にはほとんど共通点は無い)、医者VS医大不合格者、ドイツ文学傾倒者VSフランス文学者出身など、マスコミがライバルとして面白可笑しく煽りたて、当人たちもこれに乗って一種の喧嘩友達を演じた時期がある。「狐狸庵VSマンボウ」と題する対談集2冊を上梓したほか、珈琲のCMでの競演が印象づけられている。
    • 阿川弘之
      先輩にして友人。やはりお互いの随筆によく登場する。阿川の『南蛮阿房列車』マダガスカル編では鬱病にも関わらず同行し、自分でも「北から見た鉄道マニア阿川」を描いた紀行文を残している。
    • 星新一
      SF作家。日本のSFのパイオニアの一人。年齢も近く東北系の有名人の父と名家出身の母を持ち、同時期の東京山手で生まれ育ち、理系の帝大に学ぶなど共通点が多いこともあり、特に親しかった。酒好きの星の珍妙な行動については北の随筆が詳しい。
    • 宮脇俊三
      鉄道紀行作家。中央公論社の編集者だった頃から二人三脚を組んだ仲で、代表作『どくとるマンボウ航海記』を書かせた担当者でもある。自宅の建築場所を探していた北に宮脇が自宅の隣の空き地を紹介したため隣人となり、家族ぐるみで大変親密なつきあいをしていた。星同様、宮脇も酒好きで、奇妙な行動が多かったが、これも北の随筆が詳しい。星にしても宮脇にしても自らの作品は抑制の効いた文体で書かれているため、北の随筆なくしてはこの二人の実像を知ることは難しいだろう。
    • 辻邦生
      小説家。高校入学時は先輩だったが、留年を繰り返したため北の後輩として卒業している。終生親友として交流をもった。北に与えた文学的影響は大きく、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を紹介したのは辻であった。
    • 佐藤愛子
      作家。同人誌時代の仲間。
    • なだいなだ
      作家・エッセイスト。彼も医者で慶應義塾大学病院精神神経科勤務中から親交がある。
    • 吉行淳之介
    • 三島由紀夫
      北の作品を早くから激賞し、盛り立ててきた先輩。しかし政治的な方面に走っていく三島とはいつか距離が出来てしまった。三島の衝撃的な死後、北は彼との思い出を語る文章を書いている。
    • 奥野健男
      旧制中学時代からの悪友。奥野は宮脇とも幼少の頃からの付き合いがあり、無名だった北を宮脇に紹介したのも彼だった。
    • 佐々木侃司
      サントリー宣伝部出身のイラストレーター。北とあまり面識はないようだが、北のユーモア系の本のカバーの挿画をほとんど担当し、独特の絵柄で、読者に「北杜夫といえば佐々木侃司」と思わせる、名コンビとなった。
    • 谷内六郎
      「怪盗ジバコ」「父っちゃんは大変人」の挿画他、北のエッセイ集の表紙を手掛ける。その縁で、北が自宅を「マンボウ・マブゼ共産帝国」なるミニ独立国として日本から独立宣言した際、独自通貨「マブゼ紙幣」の肖像画を描かされる羽目に。

関連項目

de:Morio Kita en:Morio Kita

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