刑法

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Template:ウィキプロジェクトリンク 刑法(けいほう)とは犯罪とそれに対する刑罰の関係を規律するをいう。

犯罪の成立要件とその犯罪に対して科せられる法律効果としての刑罰の内容を規定した国家的法規範の全てを「実質的意義における刑法」、同名の法典たる「刑法」(明治40年法律第45号)を「形式的意義の刑法」という。

日本法において「刑法」という場合には、その語義について広狭いくつかの用法がある。

狭義
刑法典、すなわち「刑法」(明治40年(1907年)法律第45号)という名の法律(形式的意味の刑法)を指す。刑法典が一般的な犯罪に関わるものとして「普通刑法」とよばれる。
広義
刑法典を含めて、犯罪と刑罰について規定するすべての法令を指す。刑法典を除くほかの刑罰法規は「特別刑法」といわれる。
最広義
広義の刑法に加え、刑罰を補充する保安処分に関する法など、各種法令の罰則規定において刑事罰とその補充する制度が規定されている場合を含めて観念する。

刑法の規定に基づき犯罪とされた内容について、実際にどのように捜査・裁判(公判)を遂行すべきかを規定するのは、主に刑事訴訟法である。

以下では、主に日本法における狭義の刑法(刑法典)について述べる。

目次

日本の刑法典

Template:日本の法令 刑法(けいほう、明治40年4月24日法律第45号)は、犯罪に関する総論規定および犯罪の個別的要件やこれに対する刑罰を定める日本の法律。明治40年(1907年)4月24日に公布、明治41年(1908年)10月1日に施行された。刑法典ともいう。日本においていわゆる六法を構成する法律の一つであり、基本的法令である。ただし、すべての刑罰法規が刑法において規定されているものではなく、刑事特別法ないし特別刑法において規定されている犯罪・罰則も多い。

最終改正は平成19年5月で、第208条の2危険運転致死傷罪)の「四輪以上の自動車」という文言が「自動車」という文言に変わり、原動機付自転車や自動二輪を含むようになった。

日本の刑法の歴史

古代

上代には大祓詞(おおはらえのことば)では、身体障害、疾病、自然災害も含んだ天津罪(あまつつみ)国津罪(くにつつみ)の観念があり、これらは祓(はらえ)により浄化された。しかし、公開刑の死刑、財産刑、没収、追放なども存在したとされる。大化改新ののち、大陸からの帰化人や留学生により大宝律令養老律令が制定された。これらは唐律の規定にならうが、規定の簡素化と刑の緩和がはかられていた。なお、弘仁9年(818年)から保元元年(1156年)までの339年間、朝臣に対して死刑が行われなかった<ref>大塚仁 刑法概説P.31</ref>

中世

鎌倉時代には律令法は公家の荘園や洛中に限られ、武士慣習法を取り入れた御成敗式目(貞永式目)が国法的地位にあった。死刑、流刑、追放刑、自由刑、身体刑、職務刑、のほか財産刑が行われた。室町末期から戦国時代には幕府法、各分国法が行われ、残虐な刑が威嚇主義的に行われた。また、縁座連座の制度が拡大され、喧嘩両成敗の法が武士の間で広く行われた<ref>大塚仁 刑法概説P.32</ref>。

近世

武家の刑法は徳川時代に完成を見る。徳川吉宗の時代に御定書100ヶ条公事方御定書下巻)が、徳川の判例法の集大成として制定された。刑罰にも身分制を取り入れ、死刑も武士は切腹、斬罪、庶民には磔、獄門、火刑などと差別化され、遠島刑、追放刑、自由刑、財産刑、身分刑、などが行われた。江戸末期には、佐渡水替人足、人足寄場などは近代自由刑の更生施設的な意味も見いだされるとされる<ref>大塚仁 刑法概説P.33</ref>。

ただし、公事方御定書など江戸幕府制定の規定が直接適用されるのは、天領旗本領など幕府の支配下にあった地域に限られており、諸藩の領内では藩法に基づく刑法・刑事訴訟が行われていた。

明治初期の刑法典

仮刑律
慶応4年(1868年、後の明治元年)2月に新政府によって暫定的に制定された刑法。律令公事方御定書などを基として作成された。また、刑法草書(熊本藩)との共通点も見られることから、熊本藩出身者(当時新政府に出仕していた細川護久とその周辺か?)が起草したという説が有力である。旧天領であるに対して施行され、諸藩に対しては残酷な刑罰を除去する事を命じた上で当面の間は自藩の刑法を施行させた(版籍奉還後は死刑執行には政府の許可を得ることとなった)。
新律綱領
明治3年旧暦12月27日1871年2月16日)に暫定的ではあったが、諸藩も含めて全国的に施行された刑法。全6巻(8図、14律192条)で構成された。の影響を受けて旧来の刑法よりは厳罰主義色は減ったものの封建的色彩が依然として強力であった。また、江戸幕府では禁じられていた刑法典の出版・頒布が初めて認められた。
改定律例
明治6年(1873年6月13日に制定された追加法。欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。構成要件に関する規定を初めて設けた。

旧刑法

刑法(明治13年太政官布告第36号)は、今日では現行の刑法と区別して「旧刑法」と呼称されている。明治13年(1880年7月17日治罪法(刑事訴訟法)とともに制定され、同15年(1882年1月1日に新律綱領・改定律例に代わって施行された。全4編、430条から成る。

明治5年(1872年)頃から司法省内で本格的な刑法草案の起草が進められていたが、「校正律例稿」(明治7年)・「日本帝国刑法初集」(明治9年、「改正刑法名例集」とも(総則のみ))などいずれも不十分なものであった。そこで司法省はボアソナードフランス刑法典を基本にした刑法草案の作成を依頼して、でき上がった草案を元に元老院内に伊藤博文(後に柳原前光に交代)を中心に陸奥宗光細川潤次郎らとともに「刑法草案審査局」を設置して審議を行って修正を加えた。

犯罪を重罪・軽罪・違警罪の3種類に分けて規定している。基本的には1810年に制定されたフランス刑法典を基本にしているが、自首による罪の減軽(85条以下)、親族関係への配慮(犯罪を犯した者を蔵匿・隠避した親族に対しては罪を問わない(153条)、親族間の窃盗については罪を問わない(377条-親族相盗例)など)、不敬罪の厳罰化(117条、119条)など、日本の伝統的な法思想に基づく規定もある。対外的には日本が文明国であることのアピールを目指した側面と、国内的には自由民権運動の激化に対抗するための治安法制としての側面が見られる。

刑法典論争

ところが、旧刑法制定の直後から、この刑法に対する不満の声が政府内から持ち上がった。旧刑法はフランス法の影響を受けて国家による処罰権の行使に制約が加えられていること(さらに民法典論争で同じくフランス法をモデルとした旧民法が非難の的となったことも影響した)、このころヨーロッパでは新しい刑法理論(近代学派(新派))が誕生して、従来の理論(古典主義(旧派))と激しい論争が行われているのに、旧刑法ではその成果が反映されていないことなどが問題視された。さらには当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して対応できていないという不満が批判に拍車をかけた。このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「賭博犯処分規則」・「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(1890年行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の伊東巳代治と違憲論の井上毅の間で激論が交わされた)などによって、旧刑法の理念との矛盾を含んだ新しい法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であった。

この動きを見た司法省は、ドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。改正案は1890年1895年1897年1901年1902年と5度にわたって議会に提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官裁判官も加わった)の反対論などによっていずれも挫折してしまった。

現行刑法の制定

第1次西園寺内閣司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織し、そこで刑法改正論議を行わせることにした。松田の苦労が実を結んで、明治40年(1907年)に現行の刑法が成立した。

新しい刑法には、強力な治安法制を確立させたいという政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型について抽象的・包括的な定め方がされ、法定刑の幅が広く取られた。裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、その裁量によって執行猶予を付すことができたり、逆に累犯に対しては重い処罰をすることができるものとなった。これは犯罪者の更生や社会防衛のための柔軟さを兼ね備えたものであり、当時の国際水準においては最先端の刑法典であった。だが、その一方で政治的な意図が運用に反映され過ぎれば、人権が侵される危険があり、実際に刑事裁判においてはその歴史をたどってしまった。それが克服されたのは、司法行政権が、内閣を構成する司法大臣から裁判所の下に移り、人権の尊重を謳った日本国憲法の制定以後のことである。

改正刑法草案

時代の変遷や社会の高度化に伴い、原因において自由な行為共謀共同正犯など現行の刑法が想定していなかった問題が山積していたため、政府は大規模な刑法の改正に乗り出した。そして、昭和49年(1974年)5月29日、法制審議会総会が、前述の問題に対する解決や保安処分、現代的な犯罪類型などを盛り込んだ改正刑法草案(全369条)を決定した。しかし、犯罪となる行為の範囲が広くなりすぎる、国家主義的であるなどの批判を受け、国会に上程されることなく現在に至っている。

主な内容

現行刑法典は、2編から成る。

第1編(第1条〜第72条)総則は、刑法の適用範囲、死刑懲役刑・罰金刑などの刑の種類、執行猶予共犯、2個以上の犯罪の処理方法などを定めている。この編の規定は、明文のない限り他の刑罰法典(例;軽犯罪法組織犯罪処罰法会社法上の特別背任罪)に定められた犯罪にも適用される。刑法の総則を理論化したものが講学上の刑法総論である。

第2編(第73条〜第264条)各則は、殺人罪窃盗罪放火罪など各種の犯罪類型や、その未遂罪を処罰するかどうかなどを規定する。これら各犯罪の構成要件等について研究するのが講学上の刑法各論である。

主な改正

大正10年(1921年)改正

大正10年4月16日法律第77号-業務上横領罪法定刑の変更。

昭和16年(1941年)改正

昭和16年3月12日法律第61号

昭和22年(1947年)改正

日本国憲法公布に伴い、その精神に沿うようにするための改正(昭和22年10月26日法律第124号)。

昭和28年(1953年)改正

昭和28年8月10日法律第195号

  • 執行猶予の要件の緩和、再度の執行猶予(24条2項)・必要的保護観察(25条の2)新設
  • 仮出獄の規定の整備

昭和29年(1954年)改正

昭和29年4月1日法律第57号

  • 執行猶予における任意的保護観察(25条の2)の導入
  • 国内犯に関する旗国主義の航空機への拡張

昭和33年(1958年)改正

昭和33年4月30日法律第107号

昭和35年(1960年)改正

昭和35年5月16日法律第83号

昭和39年(1964年)改正

昭和39年6月30日法律第124号-身代金目的罪拐取罪(225条の2)新設

昭和43年(1968年)改正

昭和43年5月21日法律第61号

昭和55年(1980年)改正

昭和55年4月30日法律第30号-収賄罪・斡旋贈賄罪の法定刑加重

昭和62年(1987年)改正

昭和62年6月2日法律第52号

  • 電磁的記録不正作出及び供用罪(161条の2)、電子計算機損壊等業務妨害罪(234条の2)、電子計算機使用詐欺罪(246条の2)新設
  • 条約による国外犯の規定(4条の2)新設

平成3年(1991年)改正

平成3年4月17日法律第31号-罰金等臨時措置法によって引き上げられていた刑法の罰金額を、直接引き上げるもの。

平成7年(1995年)改正

主に、漢字カタカナ混じりの文語体から、ひらがな口語体に改めるための改正(平成7年5月12日法律第91号)。

原則として内容に変更を加えないこととされたが、次の点で実質的な改正もされた。

  • 瘖唖者(いんあしゃ)減軽規定(旧40条)の削除
  • 尊属殺人(旧200条)・尊属傷害致死(旧205条2項)の削除
    最高裁の尊属殺重罰規定違憲判決<ref>尊属殺重罰規定違憲判決:最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁-最高裁判例情報</ref>後も削除されずに形式的に残っていた旧200条を削除し、他の尊属加重規定も削除したもの。

平成13年(2001年)改正

平成13年7月4日法律第97号
  • 支払用カード電磁的記録に関する罪(18章の2)新設
平成13年12月5日法律第138号
平成13年12月12日法律第153号
  • 保健婦助産婦看護婦法の改正に伴い、「助産婦」から「助産師」への名称変更

平成15年(2003年)改正

平成15年7月18日法律第122号
  • 国民以外の者の国外犯の規定(2条の2)新設
平成15年8月1日法律第138号
  • 仲裁法制定に伴う改正(197条等)

平成16年(2004年)改正

平成16年12月8日法律第156号

平成17年(2005年)改正

平成17年5月25日法律第50号
刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律制定に伴う改正。
平成17年6月22日法律第66号

平成18年(2006年)改正

平成18年5月8日法律第36号
  • 公務執行妨害罪窃盗罪に選択刑として罰金刑を追加
  • 業務上過失致死傷罪の罰金刑の上限引上げ
  • 労役場留置に関する規定の整備

平成19年(2007年)改正

平成19年5月23日法律第54号

平成22年(2010年)改正

平成22年4月27日法律第26号
  • 刑事訴訟法の改正による死刑の時効の廃止(31条、34条1項)
  • 懲役または禁錮10年以上の時効の延長(32条)

刑法の適用範囲

刑法の場所的適用範囲

日本の刑法では刑法第1条属地主義を採用しており、この属地主義の立場を基本として犯罪の類型ごとに属人主義保護主義世界主義で補充する形をとっている(刑法第2条以下)。

刑法の時間的適用範囲

遡及処罰の禁止

日本の刑法では、その施行後になされた犯罪に対してのみ適用される。犯罪行為から裁判までの間に法律が改正された場合、裁判時の法律を遡及的に適用してはならないという遡及処罰の禁止の原則をとっている。但し、裁判時の法定刑が行為時より軽い場合には、裁判時の法律を適用してもよいことになる(刑法6条)。

刑の廃止

犯罪行為時に刑法が施行されていても、裁判時に廃止されている場合にはその行為を処罰することはできない(刑事訴訟法337条2号)。もっとも、経過規定が置かれている場合は処罰が可能である。

限時法理論

限時法理論とは、刑の廃止に際して経過規定が置かれていない場合にも、解釈上処罰を可能とする理論である。もっとも、罪刑法定主義の観点から、限時法理論を否定するのが通説である。

刑法の人的適用範囲

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脚注

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関連項目

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日本の代表的な刑法学者については、Category:刑法学者または日本の法学者一覧を参照

参考文献

特集・刑法典の百年(ジュリスト1348号)

外部リンク

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