分倍河原駅

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Template:駅情報 thumb|230px|JRホーム(2008年4月17日撮影) thumb|230px|JRホーム臨時出口(2008年4月17日撮影) 分倍河原駅(ぶばいがわらえき)は、東京都府中市片町二丁目にある、京王電鉄東日本旅客鉄道(JR東日本)の。京王電鉄の管轄駅である。

目次

利用可能な鉄道路線

駅構造

出札改札ともに京王電鉄が管理しており、JR東日本の駅員は配置されていない。

2007年6月までは、南武線川崎 - 立川間で唯一みどりの窓口が設置されていない駅だったが、それ以降、南武線の他駅でもみどりの窓口が廃止されている。代替として定期券指定席券売機が設置されている駅が多いが、当駅には設置されていない。マルス端末POS端末の設備がないため、特急券指定券特別企画乗車券などの発売はしていないが、当駅発着の遠距離乗車券(片道・往復)に限り補充券で発売している。

JRの自動券売機、京王側のPASMO対応券売機を用いてチャージが可能である。

当駅は自動改札機の導入が京王の他駅に比べて大幅に遅れた。そのため、イオカードは入・出場も自動券売機での使用もできない時期が長く続いた。

東西方向に延びる立川崖線に沿った崖下に南武線のホームがあり、南武線ホームの西端を京王線ホームが南南西・北北東方向に直交し、その交点の北東側の崖上に駅舎がある。コンコースが狭く、乗り換え対応の自動改札機で仕切られているため、ラッシュ時はかなり混雑する。コンコースは南武線ホームを1階、京王線ホームを2階にたとえると1.7階といった高さにある。以前は京王系の立食い蕎麦屋高幡そば」が出店していて、JR・京王の双方から利用可能だったが、エレベーター設置工事で閉店した。

コンコースから南武線上りホームは直接階段を下る。下りホームへは京王線ホームと同レベルの跨線橋へ少し上がり、線路をまたいでからホームに下りる。コンコースの混雑が激しいために、この跨線橋の南武線下りホームの階段を上がったところに京王線下りホームに直結する連絡改札がある。また、主に東芝日本電気 (NEC) への通勤客のために朝ラッシュ時に限り南武線下りホームから直接隣接する道路に出られる臨時改札が開く。この臨時改札に限り隣駅である府中本町駅の駅員が出向いて改札業務を実施し、簡易Suica改札機が2台設置されている。

コンコースから京王線下りホームには階段を少し上がる。上りホームに行くには地下道を使う必要がある。

トイレは南武線・京王線両方に設置されている。JR側は立川方面ホームに、京王側は改札口内に設置されている。京王側にはユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」が併設されている。エレベーターは南武線・京王線両方に設置されている。

なお、自動改札機が導入されるまでの間、京王線コンコース・南武線コンコースとの間に連絡改札はなかった。

京王電鉄

府中側が地上中河原側が盛土高架相対式ホーム2面2線を有する。

のりば

1 Template:Color京王線 高幡不動京王八王子高尾山口多摩動物公園方面
2 Template:Color京王線 調布明大前笹塚新宿都営新宿線方面

JR東日本

相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。

のりば

1 Template:Color南武線 府中本町登戸川崎方面
2 Template:Color南武線 谷保立川方面

利用状況

  • 京王電鉄 - 2009年度の1日平均乗降人員は86,262人である。
  • JR東日本 - 2008年度の1日平均乗車人員は40,377人である。この数値は、JR東日本管内では102位である。

乗降人員の推移 (京王)

  • 2009年度:86,262人
  • 2008年度:86,329人
  • 2007年度:83,803人
  • 2006年度:78,963人
  • 2005年度:77,556人
  • 2000年度:73,025人
  • 1995年度:77,586人
  • 1990年度:67,698人
  • 1985年度:52,946人
  • 1980年度:42,844人
  • 1975年度:32,870人
  • 1970年度:31,531人
  • 1965年度:30,346人
  • 1960年度:16,082人
  • 1955年度:9,193人

駅周辺

[[ファイル:Keiousen_Bubaigawara_eki_3.jpg|thumb|250px|駅前ロータリーの新田義貞像]]

改札を出て左に向う道が分倍河原商店街。商店街を北進すると東京都道229号府中調布線旧甲州街道)にぶつかる。商店と小規模事業所、住宅の混在した地域である。

右は歩道橋で南武線とその横の道路を渡り駅前ロータリーに出る。改札口側はそのまま歩道橋につながっているが、ロータリー側は段丘の下になるため、階段、スロープになっている。事業所等のビルが目立つが少し離れると住宅地である。

ロータリーにはタクシー路線バス、数社の送迎バスそれぞれの乗り場がある。サントリー府中工場の見学者用バス(通称「モルツバス」)もここから出ている。南武線の踏切道を南進すると交差点の先に武蔵府中税務署がある。


路線バス

北口

分倍河原駅 - 商店街を抜け、旧甲州街道街道に出て左へ踏切を渡った先にあり、徒歩で3 - 4分かかる。

片町文化センター - 上記分倍河原駅の1つ府中駅側の停留所。街道に出て右へ。距離は同程度だが、踏切を渡らなくて済む。

南口

分倍河原駅 - 南口ロータリー内

  • 京王電鉄バス京王バス中央・府中市コミュニティバス「ちゅうバス」
    • 分53 NEC正門・都営泉二丁目・万願寺経由 日野駅行(京王電鉄バス)※朝2本のみ
    • 府52・分52 南町二丁目経由 郷土の森総合体育館行(京王バス中央)
    • 南町・四谷循環 南町二丁目・中河原駅経由よつや苑西行(ちゅうバス)
    • 府52 府中市役所経由 府中駅行(京王バス中央)
    • 南町・四谷循環 府中市役所経由 府中駅行(ちゅうバス)

歴史

京王電鉄

JR東日本

駅名の由来

最初の駅名となった「屋敷分」とは、当時の地名(屋敷分村)から名付けられたもの。

改名された分倍河原は「分倍」と「河原」の複合地名で過去の歴史に基づく。1333年元弘3年)5月に鎌倉幕府を倒すために挙兵した新田義貞と、幕府側の北条泰家が戦った「分梅古戦場」(分倍河原古戦場)という古戦場跡があり、駅前ロータリーには新田義貞の像がある。なお、1454年享徳4年)にもこの地で鎌倉公方足利成氏関東管領上杉氏を破った合戦が行われている。

なお、地名表記は「分倍」と「分梅」があり、由来は「この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田を倍に給した所であったという説から分倍」、「梅にまつわる土地が多い事から分梅」などと諸説あるが、なぜこの地名になったかは資料が無く未だに不明である。かつては分配(ぶんばい)とも読まれていた。

もう一つの地名である「河原」は、江戸時代以前に多摩川が現在より北寄りの、この付近を流れていたことによる。住所表記上の地名は、駅舎を含む京王線の東側は府中市片町、西側は南武線の北側が美好町、南側が分梅町である。南武線の北側はかつての屋敷分村で、上記の通り旧駅名の由来となった。なお以前コンコースにあった立食い蕎麦屋は「分梅店」だった。

隣の駅

京王電鉄
Template:Color京王線
Template:Color特急
通過
Template:Color準特急・Template:Color急行
府中駅 - 分倍河原駅 - 聖蹟桜ヶ丘駅
Template:Color通勤快速・Template:Color快速・Template:Color各駅停車
府中駅 - 分倍河原駅 - 中河原駅
東日本旅客鉄道
Template:Color南武線
府中本町駅 - 分倍河原駅 - 西府駅

脚注

Template:脚注ヘルプ Template:Reflist

関連項目

外部リンク

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