佐賀市
出典: Wikipedio
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Template:日本の市 thumb|right|250px|佐賀市中心部の航空写真。中央やや右下に「逆コの字型」の佐賀城跡の堀がある。 thumb|right|250px|嘉瀬川
佐賀市(さがし)は、佐賀県の県庁所在地で、同県最大の人口を擁する市である。
佐賀県の経済・行政の中心地で、市街地は平坦な佐賀平野の中心地にある。秋には嘉瀬川河川敷を中心に佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、100万人近くの観光客が訪れるバルーンの街として賑わう。
目次 |
地理
佐賀県の南東部に位置する。市域は南北に長く、南側は有明海に面し、南東部と北側は福岡県に接している。
市域の北半分、すなわち大和町の中部・北部と富士町・三瀬村は脊振山地(筑紫山地)に含まれ、山がちで標高の高い地形である。これに対し長崎自動車道付近を境にして南側の地域はすべて標高100m以下の低平な平野地帯である。この平野は佐賀平野(筑紫平野)と呼ばれる沖積平野である。
佐賀市街は、市内平野部のちょうど真ん中付近に位置している。もともと佐賀平野の1農村に過ぎなかったが、ここに村中城・水ケ江城を構えて拠点としていた竜造寺氏が戦国時代後期に勢力を伸ばしたことが1つの転機となった。竜造寺氏の後を継いだ鍋島氏は、この2つの城をもとにして慶長年間に大改修を行い佐賀城を築城するが、この際に城周辺も再整備される。条里制の名残で、規則正しく区画されていた道路・水路を生かして街を整備したため、現在でも分かるように碁盤の目のような整った区割りが成立したとされている。これにより、佐賀(佐嘉)は肥前佐賀藩の城下町として、また長崎街道の宿場町として発展し、廃藩置県後に県庁所在地となったことで、佐賀県の行政の中心地としての地位を確立する。
現在の佐賀市街は、佐賀駅を中心としてビル街・商業街があり、それを取り囲むように低層住宅地が位置し、住宅地辺縁に郊外型の大型商業地が点在する。宅地化はやや道路に沿いながらもほぼ同心円状に進んだ。中心市街地では佐賀駅移転・工場の移転再整備・基幹道路整備という一連の流れにより再開発が進んだ地域もある。いわゆる高層建築物はほとんどなく、もともとの地形とも相まって、比較的平坦な街並みである。
明治期からの市街地であった佐賀駅周辺や城内地区では、商店街型の小売業が郊外型商業地に押されて衰退してきている。また、地価高騰により住宅地が郊外に集積したことで、高齢化と緩やかなドーナツ化現象が進んで、中心市街地の衰退に拍車をかけている。
一方の郊外部では、農地に点在していた住宅の間に新しい戸建住宅や団地が造成されるなどして、開発が順調に進められて市街地が拡大していった。佐賀市の特徴として、通勤の軸が鉄道ではなく自動車(道路)であるため、主要道路の沿線に住宅地が形成されてきたことが挙げられる。中心市街地では、1990年代以降の地価下落を受けて中層マンションも集積されつつあるが、依然として分散傾向が続いている。
市街地を出ると、郊外には広い田園風景が広がる。市内を北上していくと、おおむね長崎自動車道付近から、平坦な平野が一変して山地に変わる。山地では渓流など、自然景観に恵まれる。
- 東端:東経130度23分
- 西端:東経130度8分
- 北端:北緯33度29分
- 南端:北緯33度8分
平野部:佐賀平野
平野部分は低平地で海抜が低く河川が多いため、昔から洪水の頻発地帯であり、灌漑や治水によって農地や住民の生活が守られてきた。
市街地北部の国道34号線付近でも海抜5mであり、有明海沿岸堤防の計画高水位より低い<ref>佐賀平野の宿命(洪水と干ばつの歴史) 佐賀中部農地防災事務所</ref>。また、起伏が少ないため水はけが非常に悪い土地である。一度堤防が決壊して町や農地が水浸しになると何週間も引かないことがある一方、水争いでの村同士の対立も深刻であった。これを一変させたのが、江戸時代に入ってから成富兵庫茂安らの協力で佐賀藩が行った治水事業である。平野全体で治水や灌漑を一体的に考える当時としては画期的な手法によって、洪水被害が軽減され水争いが減少した。また明治以降、干満差が大きい有明海を取り囲む高い堤防と水位調整、さらに蛇行の多い水路を直線的に改良して排水効率を向上する水路整備や排水ポンプ場整備により、現在の洪水被害は以前よりも少なくなっている。
洪水による土砂運搬も手伝って、佐賀平野は水田に適した稲作地帯となった。有明海に面する市域南部では、自然陸化に加えて干拓などにより人工的に造成された土地が多い。東与賀町や川副町の大部分、本庄町・西与賀町・久保田町の南端などは江戸時代以降の干拓により造成された新しい土地である。
平野部では水路が多い。古くからの市街では生活用水にも使われていた狭い水路が家の裏側に張り巡らされる一方、田園地帯では農業用水を貯める水路や「クリーク」と呼ばれる堀が多数あり、宅地化しても多くが水路として残されている。江戸初期に設置された石井樋により嘉瀬川から分流した多布施川は、市街地北部を縦断して佐賀城内に至り、古くより生活用水のとして用いられていた。現在も多布施川から旧佐賀市の水道水が取水されている。城内通過後の多布施川は佐賀江川につながり、市街地南部を再び縦断して今度は農業用水に用いられ有明海に至る。
山地:筑紫山地
この地域の佐賀平野と脊振山地は、川久保断層などの断層系によって直線的に隔てられ、丘陵地帯がみられないのが特徴である(対する小城市や神埼市方面では丘陵地帯がある)。佐賀県の中央やや上、市内では西端付近に位置する天山(1046m)が市内最高点で、市内北端の福岡県境に連なる雷山や羽金山などがそれに次いで高い。両地点間には山々が連なり、その間を川上川(嘉瀬川)水系の河川が縫うように流れ、佐賀市北部を縦断しながら南下している。川上川水系の川岸の平地に、集落や農地が点在している。川上川最上流の三瀬村西部には北山ダムがあるが、その下流の富士町中部に佐賀県最大規模となる嘉瀬川ダムが建設中であり、2011年に完成する予定である。また、川上川水系から離れた大和町の一部や金立町・久保泉町の山間部では、少雨時に水不足になりやすいため、多数のため池が点在する。
- 山:天山 (1046m) 、彦岳 (845m) 、白石山 (794m) 、雷山 (955m) 、羽金山 (900m) 、亀岳 (740m) 、権現山 (586m) 、金立山(502m)
- 羽金山にはJJY送信所(はがね山標準電波送信所)がある。(日本に2つあるJJY送信所のうちの1つ)
気候
本土の中では比較的温暖で降水量が多い地域に入る。太平洋側気候に入るが、西・北・東の三方を囲む山と南に開けた干満差の激しい有明海の影響により、同じ有明海沿岸の熊本市などと同様に内陸性気候の傾向が強い。冬には最低気温が低く、夏には最高気温が高くなるうえ、1日での最低気温と最高気温の差も大きい。標高の高い富士町や三瀬村では年間平均降水量が多く、年平均気温が低い。市南部(平野部)では雪は少なく積もることもほとんどないが、市北部(山地)では玄界灘からの北西季節風に伴い毎年冬に5 - 10cmのほどの積雪がある。
- 年間平均降水量: 約1800mm(佐賀市街部) - 約2400mm(三瀬村) (参考・福岡市の年間平均降水量:約1600mm)
- 年平均気温: 約13℃(三瀬村) - 17℃(佐賀市街部)
人口
2000年10月1日の国勢調査時の諸統計(旧佐賀市)
隣接している自治体・行政区
地域
市街中核部(勧興・循誘・日新・赤松・神野) | |||||
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佐賀駅を中心に広がる市街部で、ほぼ環状道路の内側におさまっている。駅から城内(県庁付近)にかけてビル街・商店街が広がり、その周囲を旧来からの住宅地が取り囲む。城下町時代からの名残を残し、碁盤の目のように整った町並みであるが、街路が狭いところが多い。 | |
東部(蓮池・巨瀬・兵庫・金立・久保泉) | |||||
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金立・久保泉の北部は金立山を中心とした山地。それより南側は平野部で、旧来からの水田地帯に住宅街が点々と存在する。水田の区割りや水路網が複雑であったが、区画整理により多くの農地が集約され、道路整備も進んだ。近年になっても新興住宅地や商業地の開発が盛ん。モラージュとゆめタウンという、2大ショッピングモールが立地。 | |
南部(諸富・南北川副・東西与賀・本庄・嘉瀬) | |||||
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全域が旧来からの水田地帯。近代以降の干拓地は区割りが広く整った水田が広がる。古くからの住宅地も点在する一方、現在も所々で住宅開発が進む。 | |
西部(鍋島・新栄・開成・久保田) | |||||
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旧来からの水田地帯。区画整理や数度の大規模な開発、旧・佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)立地に伴う整備などを経て、比較的新しい住宅地が広く展開している。 | |
北中部(高木瀬・若楠・大和) | |||||
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大和町北部は農村と観光地が点々とする山地。その南側には旧来からの水田地帯が広がり、南に行くにつれて住宅街の密度が増す。長崎自動車道の佐賀大和インターチェンジが位置し、幹線道路沿いにイオンショッピングタウン佐賀大和が立地。 | |
北部(富士・三瀬) | |||||
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全域が山地で大部分が森林。北山ダムや川上川流域に農村地帯や観光地が点々としている。 |
- 地域区分は既知のものではなく、便宜的なものである。
- <ref>佐賀県佐賀市の地名 Yahoo!地図、2010年1月10日閲覧。</ref><ref>通学区域一覧(学校別) 佐賀市、2010年1月10日閲覧。</ref>
- 三):三瀬村、富):富士町大字、大):大和町大字、高):高木瀬町大字、鍋):鍋島町大字、田):久保田町大字、久):久保泉町大字、金):金立町大字、兵):兵庫町大字、蓮):蓮池町大字、東):東与賀町大字、本):本庄町大字、西):西与賀町大字、巨):巨瀬町大字、嘉):嘉瀬町大字、北):北川副町大字、諸):諸富町大字、川):川副町大字
合併に伴い、旧三瀬村が「大字」表記を廃止したのを除き、昭和の大合併・平成の大合併で編入された地域は大字を廃止せずそのまま地名として採用している。
歴史
沿革
thumb|right|250px|佐賀城鯱の門 縄文時代から弥生時代にかけて、市南部の平野地域はまだ海底であったが、度重なる海進・海退と河川による土砂運搬により、今ある佐賀平野が作られる。また有明海の干拓によって平野面積がさらに拡大した。
律令制下では肥前国に属し、現在の佐賀市大和町に肥前国国府が置かれた。戦国時代には龍造寺氏が支配。龍造寺氏が絶えたのちの1608年(慶長13年)、龍造寺氏の重臣であった鍋島直茂が藩主の座に就き、以後は廃藩置県まで鍋島氏が統治する佐賀藩の本拠地となり、佐賀城が築城された。水運と農業中心の小さな町だった現在の佐賀市街付近は、佐賀城築城後に佐賀藩本藩の城下町として発展し、商工業が大きく発達した。
佐賀藩は別名を肥前藩ともいい、明治維新において、版籍奉還を上奏した「薩長土肥」の1つとなった。また、長崎に近かったため西洋の科学技術を積極的に導入し、幕末には反射炉、精錬方、三重津海軍所などが設置され、鉄製大砲や蒸気船、指字電信機(エーセルテレカラフ)、暗箱カメラなどが外国の技術者に頼ることなく独力で製作され、我が国の科学技術近代化に大きく貢献した。
明治時代は佐賀県の併廃とともに佐賀県、伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県、と変わり、最後には佐賀県が分離されてその県域に入った。1889年の市制施行時の市域は現在の市中心部の一部だったが、昭和の大合併により旧佐賀市、平成の大合併により現在の佐賀市の市域となった。これにより市域は福岡県境へと拡大した。人口規模は特例市の要件(20万人)を満たしているが、現在のところ指定されていない。
城下町時代の街並みは、目立った街並みの保存運動等が起こることが無く無秩序な建て替えなどでその多くが失われたが、佐賀市歴史民俗館がある旧市街東部の長崎街道沿いなどでは当時のものに近い町屋や明治 - 大正にかけての洋風建築を見ることができる。
近現代
thumb|right|200px|佐賀の乱の忠魂碑 佐賀市は1970年代以降開発が急速に進められて都市らしくなっていったが、それまでは都心の一部を除き農村と変わらない風景だった。
- 1870年(明治3年):佐賀藩の士族を中心とした佐賀移民団286名が組織され、北海道釧路郡の開拓にあたる。
- 1872年(明治5年):伊万里にあった県庁が佐賀に移され、伊万里県から佐賀県に変わる。
- 1874年(明治7年):士族反乱の嚆矢、佐賀の乱がおこる。
- 1945年(昭和20年):8月5日夜半 米軍による佐賀市の空襲。(佐賀県下初の焼夷弾爆撃で63機が2196発、439トン投下)
- 1949年(昭和24年):豪雨により洪水が発生、死者数十名、浸水2万戸以上という被害を出した。
- 1953年(昭和28年):豪雨により佐賀平野のほとんどの河川の堤防が決壊し、死者・行方不明者62人、総額249億円(当時の金額、現在の1300億円相当)の被害を出した。(昭和28年西日本水害)
- 1976年(昭和51年)
- 1989年(平成元年):市制施行百周年、佐賀市文化会館の開館、アジア初の熱気球世界選手権開催。
- 1991年(平成3年):ごみの6分別収集開始。
- 1996年(平成8年):佐賀市立図書館開館。(旧佐賀市での市民の図書館利用率が日本一を記録した)
- 1998年(平成10年)7月28日:川副町に佐賀空港が開港。
- 2004年(平成16年):市南部で竜巻が発生し、数百件の家に被害。
行政区域の変遷
right|thumb|1955年4月1日現在における佐賀市の位置と範囲 right|thumb|2005年10月1日現在における佐賀市の位置と範囲
- 1889年(明治22年)4月1日:市町村制施行により、佐賀市が発足。同時に、現在の市域にあたる以下の村が発足。
- 1899年(明治32年)6月6日:古瀬村が巨勢村に改称。
- 1922年(大正11年)10月1日:神野村を佐賀市へ編入。
- 1935年(昭和10年)11月3日:蓮池村が町制施行。蓮池町となる。
- 1953年(昭和28年)4月1日:南川副村が町制施行。南川副町となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日:西与賀村・嘉瀬村・兵庫村・巨勢村・高木瀬村を佐賀市へ編入。
- 1954年(昭和29年)10月1日:北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村を佐賀市へ編入。
- 1955年(昭和30年)3月1日:東川副村と新北村が新設合併し、諸富町が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日:
- 蓮池町の一部を佐賀市へ編入(他の地域は千代田村の一部となる)。
- 南川副町・中川副村・大詫間村が新設合併し、川副町が発足。
- 1955年(昭和30年)4月16日:春日村・川上村・松梅村が合併し、大和村が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日:
- 小関村・南山村・北山村が新設合併し、富士村が発足。
- 西川副村を川副町に編入。
- 1959年(昭和34年)1月1日:大和村が町制施行。大和町となる。
- 1966年(昭和41年)10月1日:
- 東与賀村が町制施行。東与賀町となる。
- 富士村が町制施行。富士町となる。
- 1967年(昭和42年)4月1日:久保田村が町制施行。久保田町となる。
- 2005年(平成17年)10月1日:佐賀市・富士町・大和町・諸富町・三瀬村が新設合併し、新市制による佐賀市が発足。
- 合併前の佐賀市は、国勢調査人口166,745 (世帯数65,443)、面積103.76km²、人口密度1607人/km²であった。
- 合併後の佐賀市は、国勢調査人口206,967 (世帯数77,853)、面積355.15km²、人口密度583人/km²となった。
- 2007年(平成19年)10月1日:川副町・東与賀町・久保田町を佐賀市へ編入。
- 合併後の佐賀市は、推計人口約240,000 (世帯数約89,400)、面積431.42km²、人口密度556人/km²となった。
市町村合併
「平成の大合併」の一環として2005年(平成17年)10月1日に佐賀郡大和町、富士町、諸富町、神埼郡三瀬村と合併(新設合併)し、新たな佐賀市として発足した。合併により解散した町村はいずれも佐賀市内の一地域としてその名を残している。またこれによって市域が福岡市と隣接するようになった。県庁所在地同士が隣接する事例は京都市と大津市、仙台市と山形市に続き3例目である。
さらに、2007年(平成19年)10月1日付で、佐賀郡の中で最後まで残っていた、川副町、東与賀町および久保田町を編入し、佐賀市郡地域の広域合併を終えた。なお、平成の大合併前の佐賀市は「昭和の大合併」によって規模を拡大した経緯があるほか、平成の大合併で、佐賀県内では、小城郡が消滅し、神埼郡、東松浦郡、西松浦郡および藤津郡で、郡内の町村が1自治体だけとなっている。
政治・行政
市政
- 現職:秀島敏行
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 石丸源作 | 1889年5月20日 | 1891年12月 | |
2 | 石丸勝一 | 1892年2月26日 | 1896年2月 | |
3 | 永田暉明 | 1896年4月16日 | 1898年2月23日 | |
4 | 村岡致遠 | 1898年11月22日 | 1899年9月 | |
5-6 | 石丸勝一 | 1899年10月26日 | 1909年10月 | |
7 | 長谷川良之 | 1910年1月7日 | 1912年4月19日 | |
8-12 | 野口能毅 | 1912年7月5日 | 1931年2月2日 | |
13 | 野田鞆雄 | 1931年2月3日 | 1932年7月2日 | |
14 | 横尾敬義 | 1932年8月20日 | 1936年8月19日 | |
15-17 | 橋爪勇 | 1936年8月27日 | 1946年10月15日 | |
18 | 野口能敬 | 1947年4月20日 | 1951年4月14日 | この代以降公選 |
19-20 | 小野哲一 | 1951年4月26日 | 1959年4月30日 | |
21-25 | 宮田虎雄 | 1959年5月1日 | 1979年4月30日 | |
26-27 | 宮島剛 | 1979年5月1日 | 1987年1月15日 | |
28-30 | 西村正俊 | 1987年2月16日 | 1999年2月14日 | |
31-32 | 木下敏之 | 1999年3月15日 | 2005年9月30日 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初-2 | 秀島敏行 | 2005年10月24日 | 任期2013年10月22日 | 新制佐賀市・公選 |
行政機構 <ref>佐賀市行政機構図</ref>当面は大概の行政業務を旧市町村ごとの支所が行う予定。窓口業務は、現在のところほとんどの業務は各支所でそれぞれ行われている。
- 各部署(市長 - 副市長 - )
- 総務部 - 総務法制課、秘書課、人事課、財政課、契約検査課、管財課、消防防災課
- 企画調整部 - 総合政策課、行政管理課、情報システム課、男女共同参画課、歴史まちづくり課
- 経済部 - 商業振興課、工業振興課、観光振興課
- 農林水産部 - 農業振興課、農村環境課、森林整備課、水産振興課
- 建設部 - 都市政策課、用地対策課、緑化推進課、建築指導課、建築住宅課、道路整備課、道路管理課、河川砂防課
- 環境下水道部 - 環境課、循環型社会推進課、下水道企画課、下水道建設課、下水浄化センター、衛生センター
- 市民生活部 - 市民生活課、市民活動推進課、市民税課、資産税課、納税課
- 保健福祉部 - 福祉総務課、保護課、保険年金課、人権・同和政策課、健康づくり課、障がい福祉課、高齢福祉課
- 出納室
- 佐賀市立富士大和温泉病院
- 議会 - 事務局
- 監査委員 - 事務局
- 選挙管理委員会 - 事務局
- 農業委員会 - 事務局
- (教育長 - )教育委員会
- こども教育部 - 教育総務課、学校教育課、学事課、こども課
- 社会教育部 - 社会教育課、青少年課、スポーツ振興課、文化振興課、市立図書館
- 諸富出張所教育課、大和出張所教育課、富士出張所教育課、三瀬出張所教育課、川副出張所教育課、東与賀出張所教育課、久保田出張所教育課
- 交通局 - 総務課、業務課
- 水道局 - 総務課、経理課、営業課、工務課、浄水課、大和事務所
- 諸富支所 - 総務課、産業振興課、建設課、環境下水道課、市民サービス課、保健福祉課
- 大和支所 - 総務課、産業振興課、建設課、環境下水道課、市民サービス課、保健福祉課
- 富士支所 - 総務課、産業振興課、建設課、嘉瀬川ダム対策課、環境下水道課、市民サービス課、保健福祉課
- 三瀬支所 - 総務課、産業建設課、市民サービス課、保健福祉課、三瀬診療所
- 川副支所 - 総務課、産業振興課、建設課、環境下水道課、市民サービス課、保健福祉課
- 東与賀支所 - 総務課、産業振興課、建設課、環境下水道課、市民サービス課、保健福祉課
- 久保田支所 - 総務課、産業振興課、建設課、環境下水道課、市民サービス課、保健福祉課
市役所支所所在地(カッコ内は電話番号)
- 諸富支所(〒840-2192 佐賀市諸富町大字諸富津1番2号(0952-47-2131))
- 大和支所(〒840-0292 佐賀市大和町大字尼寺1870番(0952-62-1111))
- 富士支所(〒840-0598 佐賀市富士町大字古湯2685番(0952-58-2111))
- 三瀬支所(〒842-0301 佐賀市三瀬村三瀬2764番(0952-56-2111))
- 川副支所(〒840-2295 佐賀市川副町大字鹿江623番地1(0952-45-1111))
- 東与賀支所(〒840-2221 佐賀市東与賀町大字下古賀1193番地(0952-45-1021))
- 久保田支所(〒849-0203 佐賀市久保田町大字新田1109番地1号(0952-68-2111))
- 佐賀市議会(定数38人)
- 議長:福井章司、副議長:江頭弘美
- 2007年(平成19年)10月1日の南部3町合併後に暫定定数44名(川副町3名、東与賀町1名、久保田町2名)となったが、2009年(平成21年)10月18日の選挙で条例定数の38名に戻った。
- 市政の方針として、第一次総合計画では、“人と自然が織りなす「やさしさと活力にあふれるまち さが」”を挙げている。
- 2000年代に入って木下敏之前市長のリーダーシップにより市営都市ガス事業の民間譲渡(佐賀ガスへの移行)<ref>市職員組合の強い抵抗を押し切る形で実行された。</ref>や、市窓口の一新、市施設や組織の見直し、コスト削減<ref>NAS電池やIP電話導入による経費削減、サムスングループ系列のサムスンSDSと共同開発した新しい情報処理システム導入などの経費削減策が行われた。</ref>などの大幅改革が行われたが、
- 一方で、木下市政の急激な改革に対する批判の声が上がり、また市職員組合も反旗を翻し2005年(平成17年)9月の市長選挙で秀島敏行(市水道局長などを歴任した市職員OB)が自民党と社民党<ref>佐賀県の自治労の支持政党は現在でも社民党である。</ref>の推薦という異例の形を受けて当選。成果を挙げている財政立て直しを評価する声とが交錯した。
- 中心商店街の活性化<ref>いわゆる「シャッター通り」の典型と揶揄される。</ref>や、市中心部にあるエスプラッツ<ref>商業施設と集合住宅の複合施設。駐車場不足という致命的な欠陥を抱えているため、商業施設は思うように集客できず、テナントの入れ替わりが多い。</ref>の再建などが市政の課題として挙げられている。
- 市町村合併に関しては、2005年(平成17年)10月に合併しなかった佐賀郡南部3町(川副町、東与賀町、久保田町)と、2007年(平成19年)10月1日に合併した。
- 市議会選挙では、2003年(平成15年)4月の選挙の不在者投票で党派誤記が発覚し、その候補が1票差で落選、最高裁判所の判決により無効となり再選挙(再選挙では無投票となった)となった。また、次の2005年(平成17年)10月の選挙でも投票者より票のほうが13票多くなるという集計ミスがあった上、按分票の判断で1票差(厳密には0.226票差だった)で当選した候補の当選が無効となり次点候補が繰り上げ当選した。さらに2007年(平成19年)の参院選では不在者投票の二重計上で開票時間が大幅に遅れるなど、佐賀市選挙管理委員会のミスが続いている。
広域行政機関
県政
佐賀市から選出される佐賀県議会議員の定数は10議席である。現在の任期は、2007年(平成19年)4月30日から2011年(平成23年)4月29日まである。
警察
産業
- 財団法人佐賀県地域産業支援センター
- 社団法人佐賀県貿易協会
- 佐賀県豊かな海づくり推進協議会
医療
文化教育施設・機関
- 佐賀県フィルムコミッション
- 財団法人佐賀県体育協会
- 佐賀県教育センター
- 佐賀県北山少年自然の家
インフラ・県土保全
- 佐賀県住宅供給公社
- 佐賀県道路公社
- 財団法人佐賀県緑化流通センター
- 財団法人さが緑の基金
国政
出先機関
- 厚生労働省佐賀労働局(佐賀市・鳥栖市・多久市・小城市・神埼市・神埼郡・三養基郡)
- ハローワークプラザ佐賀、マザーズサロン、ヤングハローワークSAGA
- 社会保険庁佐賀社会保険事務局(佐賀市・鳥栖市・多久市・小城市・神埼市・神埼郡・三養基郡)
- 国土交通省九州地方整備局(佐賀国道事務所、佐賀河川総合開発工事事務所、嘉瀬川ダム工事事務所)
- 国税庁福岡国税局佐賀税務署(佐賀市・多久市・小城市)
- 法務省法務局佐賀地方法務局
- 法務省佐賀少年刑務所
- 防衛省自衛隊佐賀地方協力本部
衆議院
佐賀市は、佐賀県第1区と佐賀県第2区に衆議院選挙区が分かれている。詳細は、それぞれの選挙区を参照のこと。
参議院
佐賀市は、参議院 九州沖縄ブロック・佐賀県選挙区(全県区)に属し定数は2議席である。
司法
- 佐賀地方裁判所(佐賀市・多久市・小城市・神埼市・神埼郡吉野ヶ里町・鳥栖市・三養基郡基山町・上峰町・みやき町)
- 佐賀家庭裁判所(佐賀市・多久市・小城市・神埼市・神埼郡吉野ヶ里町・鳥栖市・三養基郡基山町・上峰町・みやき町)
郵便
カッコ内は郵便番号。
佐賀市内の主な郵便局(その他は日本郵政HP参照)
地域区分支店
- 久留米東支店(〒839-87)
- 佐賀県内には地域区分支店が存在しない。
集配支店
- 佐賀支店(〒840-00,〒840-08)
- 佐賀北支店(〒849-09,〒840-02)
- 佐賀北支店古湯集配センター(〒840-05)
- 佐賀北支店三瀬集配センター(〒842-03)
- 佐賀北支店諸富集配センター(〒840-21)
- 佐賀北支店早津江集配センター(〒840-22)
- 佐賀北支店久保田集配センター(〒849-02)
経済・産業
郊外では広い平野を利用した農業が地域産業として維持されてきた一方、工業では重工業よりも軽工業の方が発達しているという特徴がある。
もともと有数の稲作地帯であった広い農地は、農業を取り巻く環境の変化に応じて野菜畑などに転用することで維持されてきた。工業に関しては地勢上、海(有明海)には面しているが、遠浅で大型船が航行できない海域であるため、重工業があまり発達してこなかった。また、20世紀前半に石炭を産出して栄えた県西部とは対照的に炭鉱が無かったため、炭鉱業やその後継としての工業が発達しなかった。一方、伝統的に食品産業が根付いていた経緯などから食品工業や繊維産業が発達してきた経緯がある。1970年代頃より繊維産業は主軸から外れる一方、1990年代以降は新たに自動車部品産業が伸びてきている。
県庁所在地であり就業者数からみてもサービス業の占める比重は大きいが、商業において出荷額が他の同規模都市に比べてとりわけ多いわけでもない。現在、売場面積5万㎡クラスの大型郊外型商業施設が3施設競合状態にあり、供給に対する需要のアンバランスが見られるが、土日や祝日には県西南部からも集客をしている。
本店・主要営業所を置く企業は県内都市では随一だが、周辺各県に比べると必ずしも多くない。地方の県庁所在地によくみられる、支店経済都市的な傾向もある。
産業別人口から見ると第3次産業の割合が特に多く、第2次産業の割合が日本平均より比較的少ない。(2005年10月1日、国勢調査のデータ<ref name="sensus2005ind">018産業(大分類)別15歳以上就業者数 佐賀市</ref>)
- 第1次産業:8,756人(7.6%)
- 第2次産業:21,968人(19.2%)
- 第3次産業:83,092人(72.4%)
- 分類不能の産業:895人(0.8%)
(参考・現佐賀市(前掲)と旧佐賀市(後掲)の2000年(平成12年)10月1日現在の産業別人口<ref name="sensus2005ind" />)
- 第1次産業:9,415(8.0%) - 2,798人(3.5%)
- 第2次産業:25,585(21.8%) - 16,022人(19.2%)
- 第3次産業:82,114(69.9%) - 60,655人(76.1%)
- 分類不能の産業:362(0.3%) - 275人(0.3%)
第1次産業
県庁所在地ながらも田畑も多く、農業も盛んである。米の生産と合わせ、二毛作で大麦、小麦などの麦類、また大豆などの豆類や生産が多く、穀類の生産が総じて多いのが特徴である。野菜や花、イチゴの生産も多い。山の斜面ではみかんの栽培も盛ん。畜産では、肉牛や豚、鶏などの飼育も山間部を中心に行われている。山間部の林業は衰退の一途をたどっている。
平成の大合併前の佐賀市域では海苔の養殖がほとんど行われていなかったが、久保田町・東与賀町・川副町の有明海沿岸では非常に盛んであり、関連する海苔加工なども含めて地域の主産業となっている。市町村別の海苔生産額は、合併前の数値を合算すれば全国1位となる。サルボウ(モガイ)、ウミタケ、ワラスボ、ムツゴロウといったこの海域特有の海産物も獲れ、郷土の味としても親しまれている。
市内の漁港
- 寺井津漁港
- 広江漁港
- 佐嘉漁港
- 福所江漁港
- 戸ヶ里漁港
- 戸ヶ里地区
- 早津江地区
- 大詫間地区
- 三軒屋地区
第2次産業
以前は輸送の利便性から工場は佐賀駅周辺に集まっており、繊維や食品などの軽工業が工業の中心であった。1970年代からは、市街地開発などにより工場が撤退・移転し、長崎自動車道や国道周辺など、用地開発のコストが小さく交通の便のよいところに誘致された工業団地が工業の中心となった。
出荷額が最も多いのは食品を中心とする軽工業である。江崎グリコグループの九州グリコ・グリコ乳業は創業者江崎利一が佐賀県出身である関係から地場企業である。
また、諸富町の味の素九州工場も古くから立地している主力の地場企業である。諸富町ではたんすを主とする家具産業も盛んで地場産業となっている。久保田町には1923年操業開始の王子板紙佐賀工場が立地している。
主な工場集積地
- 久保泉工業団地 - 久保泉町。南東側で第2分譲が進行中。
- 佐賀大和工業団地(佐賀工場団地) - 高木瀬町
- 鍋島商工団地 - 鍋島町
- 富士町南部工業団地 - 富士町上熊川
- 諸富家具工業団地 - 諸富町徳富
今後の展望として、進行中の計画(久保泉)の達成、従来からの食品産業の振興や、北部九州に集積されつつある自動車産業の関連産業の誘致などが推進されている。
第3次産業
県の中心都市として多くの店が集まるため、サービス業、卸売業、小売業、飲食店などの産業が市中心部では周辺に比べて盛ん。1990年代から郊外に大型商業施設が建ち始め、市中心部の商店街では次々と店舗の閉鎖や撤退が続きいわゆるシャッター通りとなり、空洞化が問題となった。巻き返しを狙って再開発ビルエスプラッツが建設されたが客は伸び悩み、数年で閉鎖となってしまった(現在は再開)。現在も空洞化からは脱却できていない。
中心市街地活性化に関しては、駐車場不足、目玉となる商業施設の不在などが挙げられている。また、乗用車やバスなどが市民の主な交通手段であるにもかかわらず、駐車場が不足していることも挙げられる。一方で広大な売場面積を有する郊外の大型商業施設は車によるアクセスの良さから賑わいを見せ、幹線道路沿いを中心として商業集積が進みつつある。
主な商業地
- 中心商店街 - 佐賀駅から県庁周辺の市中心部の商店街。銀天通り、片田江、唐人町、呉服元町、新道、水ケ江、県庁通り、白山、元町など。佐賀玉屋・西友佐賀店などが核店舗だが、広範囲に多業種の店舗が散在する。
- 大和町南部 - ジャスコ・ベスト電器佐賀大和店・ホームワイド・イオンシネマ等を擁する大型商業施設イオンショッピングタウン大和を中心に集積。国道263号沿いで長崎道ICにも近い。
- 兵庫町(夢咲コスモスタウン) - ゆめタウン・ベスト電器佐賀本店・ニトリ・トイザらス等を擁する大型商業施設ゆめタウン佐賀を中心に、周辺にはデオデオ、GOLF5、SPORTS DEPO等が集積。国道34号・環状東通り沿い。
- 巨勢町 - 西友佐賀巨勢店・Mr.Max・109シネマズ等を擁する大型商業施設モラージュ佐賀を中心に集積。国道264号・環状東通り沿い。
- その他 - 環状線やバイパス沿いでは、比較的大型のロードサイド店が集まる場所が多数ある。
特産品
- さが錦(菓子)
- 丸芳露(菓子)
- 肥前ビードロ - 精錬方で江戸末期から実験用ガラス器具を製造したことに始まり、食器やランプ用の生産を経て、工芸品として継承されている。
- 鍋島緞通 - 佐賀藩御用品として発達した木綿絨毯。
- 名尾和紙 - 大和町名尾に伝わる伝統的製法の和紙。
- 佐賀海苔 - 一般用のほか、贈答用に特化した高級品も多く生産。最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』の名で販売している。
佐賀市に本社を置く主な企業
- 佐賀銀行
- 佐賀共栄銀行
- 佐賀ガス
- 松尾建設
- 佐電工
- 戸上電機製作所
- リコー計器、佐賀リコー - リコー系列
- 九検
- ソクト
- フルテック - フルタ電機系列
- 理研農産化工
- 村岡屋
- 佐賀新聞
- サガテレビ
- エフエム佐賀
- ソアー
- オプティム
- 佐賀電算センター
- ダイレックス
- スーパーモリナガ
- 鈴花
- ギャザー
教育
大学・短期大学
- 西九州大学短期大学部
- 佐賀女子短期大学
- 放送大学佐賀学習センター(特殊な学校法人)
高等学校
県立高等学校
- 佐賀県立佐賀西高等学校
- 佐賀県立佐賀東高等学校
- 佐賀県立佐賀北高等学校
- 佐賀県立致遠館高等学校(県立中高一貫教育校・併設型)
- 佐賀県立佐賀商業高等学校
- 佐賀県立佐賀工業高等学校
- 佐賀県立高志館高等学校
私立高等学校
※佐賀市では、「佐賀市奨学金」という高校生を対象とした給付型奨学金制度がある。
中学校
佐賀市立中学校
- 佐賀県中学校一覧#佐賀市を参照
佐賀県立中学校
- 佐賀県立致遠館中学校(県立中高一貫教育校・併設型)
私立中学校
国立大学法人附属中学校
小学校
佐賀市立小学校
- 佐賀県小学校一覧#佐賀市を参照
国立大学法人附属小学校
幼稚園
市立幼稚園
- 佐賀市立本庄幼稚園
私立幼稚園
国立大学法人附属幼稚園
特別支援学校
佐賀県立
国立大学法人附属
各種学校・専修学校
- 九州国際情報ビジネス専門学校
- 九州国際高等学園
- 佐賀インテリジェントビジネス・カレッジ
- 佐賀工業専門学校
- 佐賀コンピュータ専門学校
- 佐賀市医師会立看護専門学校
- 佐賀歯科衛生専門学校
- 佐賀調理製菓専門学校
- 佐賀日中学院
- 佐賀理容美容専門学校(アイ・ビービューティカレッジ)
- 専門学校公務員ゼミナール
- 寺元ドレメデザイン専門学校
- 西九州大学福祉医療専門学校
- 緑ドレスメーカー服飾専門学校
学校教育以外の施設
保育所
- 佐賀県保育所一覧を参照
交通
古くから長崎街道やそれに沿う道、運河が特に発達していた。明治時代に鉄道が開通した後道路が発達し始めたものの、市街地だけだった。戦後、市街地以外で土地整理が行われたのに伴い大きな道路が発達し、国体が開催されたころにその動きが加速した。その後、交通量の増加により城下町特有の街路の狭さも相俟って中心市街地の交通渋滞が深刻化し、これを緩和するために市街地を取り囲む形でほぼ全線4車線の環状道路が整備され、また1985年(昭和60年)には高速道路が開通し、今に至っている。
古くからの市街地(旧城下町エリア)は長崎街道防衛のため狭く曲がりくねった道が多いが、そのほかの地域はほとんどが田を埋め立てて造成された道路なので直線道路が圧倒的に多く、ドライバーにとっては走りやすい道路が多い。
近年では、県東部の鳥栖市周辺が交通の中心であり、久留米・鳥栖と長崎・佐世保を結ぶ道路・鉄道の通過点的な性格が強く、拠点としては伸び悩んでいる。熊本・大牟田方面とを結んでいた国鉄佐賀線の廃線はこれに拍車をかけた。ただ、道路に関してはこの方面とを結ぶ有明海沿岸道路が整備されつつあり、唐津方面とを結ぶ西九州道などの整備も進めば現状より改善される可能性がある。
- 周辺地域へのアクセス
- 鳥栖市など県東部、久留米市方面 : 長崎本線、34号・264号・長崎道
- 鹿島市など県南西部 : 長崎本線、34号・207号・444号
- 武雄市、伊万里市など県西部 : 長崎本線⇒佐世保線・松浦鉄道西九州線、国道34号・498号・長崎道
- 多久市など中部、唐津市など北西部 : 長崎本線⇒唐津線、203号・323号・長崎道
- 福岡市方面 : 長崎本線⇒鹿児島本線、263号・385号
- 長崎市方面 : 長崎本線、34号・長崎道
- 佐世保市方面:長崎本線・佐世保線、34号・35号・長崎道⇒西九州道
- 大牟田市・熊本市方面 : 208号・有明沿岸道
- 東京・大阪方面 : 長崎本線 - 鹿児島本線 - 山陽本線(山陽新幹線)・東海道本線(東海道新幹線)、佐賀空港・福岡空港
空港
- 佐賀空港(愛称 : 佐賀有明空港)
川副町に所在。旅客定期便は東京国際空港(羽田)1日4往復と大阪国際空港(伊丹)1日1往復。アクセスに関しては、市中心部と佐賀空港の間を路線バスが結んでいるほか、リムジンタクシーも運行している。
佐賀空港開港以前は、福岡空港が最寄り空港として利用されていた。但し、佐賀空港の運航路線以外の連絡用として、佐賀市内と福岡空港を結ぶ高速バスが現在も存在する。
鉄道
- 九州旅客鉄道(JR九州)
道路
- 高速道路 : 長崎自動車道
- インターチェンジ:佐賀大和インターチェンジ
- その他の施設:金立サービスエリア
- 地域高規格道路 : 有明海沿岸道路(計画)
- インターチェンジ:諸富インターチェンジ - 川副インターチェンジ - 空港東インターチェンジ - 空港西インターチェンジ - 東与賀インターチェンジ - 佐賀ジャンクション - 嘉瀬南インターチェンジ - 嘉瀬南インターチェンジ - 久保田インターチェンジ(いずれも予定)
- 一般国道
- 県道(主要地方道)
- 主な一般県道(その他の一般県道は佐賀県の県道一覧を参照)
- 佐賀県道333号佐賀環状東線(東部環状線(環状東通り))
バス
以下の各社により、佐賀駅に隣接する佐賀駅バスセンターを中心に近隣の市町村とを結ぶ路線網が構築されている。
一般路線バス
高速バス
船舶
- 市内には漁港しかなく、佐賀市を発着する一般旅客航路は無い。
- 諸富町では夏季に定期遊覧船や予約制遊覧船が運航している。
姉妹友好都市・提携都市
国内
国外 thumb|right|100px|ウォーレン郡 thumb|right|100px|蓮堤区 100px|right|thumb|オレンジ色が連雲港市
- Template:Flagicon ウォーレン郡(Warren County)とグレンズフォールズ市(Glens Falls)(アメリカ合衆国 ニューヨーク州)
- Template:Flagicon 蓮堤区(GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/)(大韓民国釜山広域市)
- Template:Flagicon 連雲港市(GiBupC <a href="http://gpsnqwvzbsbg.com/">gpsnqwvzbsbg</a>, [url=http://dbtauaohikgv.com/]dbtauaohikgv[/url], [link=http://fasownhcrtod.com/]fasownhcrtod[/link], http://npemhjdofvfv.com/)(中華人民共和国江蘇省)
- Template:Flagicon クサック村(Cussac-Fort-Médoc)(フランス共和国ジロンド県)
- Template:Flagicon リメイラ市(Limeira)(ブラジル連邦共和国サンパウロ州)
観光・文化
中心市街地周辺では、生活利用を目的に改良された多布施川などの支流が街中を張り巡らしており、昭和40年ごろまでは生活用水や水路、水遊び場として広く利用されていた。
中心部の街角の至る所に恵比寿像が点在し、総数は500体近くあるとされている。これらは、江戸時代より商売繁盛などを願って設置されたもので、古くより身近な存在として市民に親しまれてきた。観光素材として取り上げる動きはこれまでなかったが、2004年より市民団体や行政によって観光事業も行われている<ref>佐賀のまちかど恵比寿さん</ref>。
古墳時代の遺跡から佐賀藩時代の城跡、さらに幕末期の反射炉跡まで、比較的多くの史跡が残っている歴史のある街である。各史跡の時代は幅広いが、そういった史跡がまとまって存在する地域が少ないため拠点的な観光地が乏しく、観光客数が伸び悩む原因とされている。一方で無形遺産は比較的豊富で、古くは肥前国風土記の伝承があるほか、葉隠や徐福などの伝説も残っている。
また、平野部では佐賀平野特有のクリークが多く点在している。クリークは、夏季には河川と水量を調節しながら水が供給され、冬季などはため池のような役割を担い、年中ほとんどの時期で水を有していた。そのため、トンボやホタルなどが多く生息しており、この地域の自然の特徴とされている。これらは観光資源でもあり、「トンボ王国・さが」と題して観光や環境教育に活用されている。一方で、水辺が多いことでボウフラが発生しやすく蚊が多いといわれており、市報でも毎年ボウフラ対策を呼びかけるほどで<ref>市報さが 平成19年6月15日号p8, 平成18年7月1日号p36</ref>、蚊の羽音になぞらえて「ぶんか都市」(「文化都市」と掛けている)と自嘲する声もある。
一方で、山岳部でも水辺の環境は良好で、旧富士町は「緑と清流と温泉の町」として水の郷百選に選ばれている。
文化公共施設
thumb|250px|県立博物館 thumb|250px|県立美術館 thumb|250px|総合運動場陸上競技場
- 日の出地区
- 佐賀県総合運動場陸上競技場 - サガン鳥栖の準ホームスタジアムとして、J2の試合も年間数回程度開催される。
- 佐賀県総合体育館 - 久光製薬スプリングスのホームとしてV・プレミアリーグの試合も開催される。
- 佐賀市文化会館 - ライブ、コンサートなどでは佐賀県の中心施設。
- 佐賀県立森林公園野球場
- 佐賀ブルースタジアム(佐賀市立野球場)
- 佐賀市立体育館
- 佐賀市健康運動センター
- 旧佐賀郡
- スポーツパーク川副
- 佐賀市立諸富文化体育館(ハートフル)
- 佐賀市立図書館(東与賀館)
- 川副公民館(旧川副町民会館)
史跡・歴史遺産
right|thumb|250px|筑後川昇開橋 thumb|right|250px|佐嘉神社
- 吉村家住宅 - 1789年建造とされる佐賀県下最古の現存する住宅。富士町上無津呂。
- 久保泉町・金立町・大和町付近には、多数の古墳をはじめとして、古代~中世あるいはそれ以前の史跡が点在する。
- 佐賀市街地には佐賀藩時代、明治維新期の史跡が点在する。
- 筑後川昇開橋 - 筑後川に架かる、旧国鉄佐賀線の朱塗りの可動式橋梁。国の重要文化財。
- 山口家住家 - 19世紀前半に建てられたとされる、この地域特有の「じょうご造り」の古民家。国の重要文化財。川副町大詫間。
- 佐野常民記念館
- 三重津海軍所跡 - 幕末に設置された海軍所跡。蒸気船等の運用と教育機関が存在した。九州・山口の近代化産業遺産群候補。
- 龍造寺隆信像と燈堂(あかしどう)
- 行幸記念碑 - 東与賀町。昭和天皇最後の行幸地。
このほか、各地に徐福の伝説が残る。佐賀市内だけでも金立町、諸富町、富士町、大和町の4か所が徐福ゆかりの地とされている。上陸地の諸富町寺井津「浮盃」、片葉の葦、ビャクシン、金立町「千布」、阿辰観音、金立山のフロフキ(徐福記念館)など経路上に多数の伝説がある<ref>佐賀県の徐福伝説</ref>。
名所、景勝地、公園など
- 北山ダム、21世紀県民の森 - 釣りやサイクリングなどの行楽地、避暑地として利用される。散策路、自然景観の名所でもある。
- 三瀬ルベール牧場 どんぐり村 - 南フランスの田舎町をイメージした観光牧場。
- 三瀬温泉やまびこの湯
- 天山スキー場 - 県内唯一のスキー場。11月~3月頃営業。
- 西の谷の棚田 - 日本の棚田百選。富士町古湯。
- 古湯温泉 - 古くより湯冶場として栄える。美人の湯。
- 熊の川温泉 - 盛衰を繰り返し、湯冶場として現在に至る。
- 川上峡 - 「九州の嵐山」とも呼ばれる。渓流の周囲に景勝地や行楽地、温泉などが点在。
- 肥前大和巨石パーク - 巨石を集めた河畔公園。
- 大和中央公園 - 5 - 6月に見ごろを迎える花しょうぶ園がある。
- 夢咲公園 - 児童遊園。
- 佐賀県立森林公園 - 自然公園とスポーツ施設を併設。
- 佐賀城公園 - 城堀沿いと城跡周辺に広がる公園。散策路、桜や紅葉の名所。
- 空港公園 - アスレチック施設、観光施設。
- 近隣にはコスモス園、わた畑も整備されている。
- 川副さくらロード
- 松土居公園
- 干潟よか公園 - アスレチック施設。
- シチメンソウ群生地 - 東与賀町の有明海沿岸一帯。
- ふれあいクリーク公園
祭事・催事
- 白鬚神社の田楽 - 2000年(平成12年)12月27日に国の重要無形民俗文化財に指定。
- 見島のカセドリ - 2002年(平成14年)2月20日に国の重要無形民俗文化財に指定。
- 三重の獅子舞 - 佐賀県の重要無形文化財に指定されている。
- 栄の国まつり - 8月初旬市の中心部で開かれる。
- 銀天夜市 - 6月・7月から8月まで土曜日を中心に商店街で開かれる。
- 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ - 10月下旬 - 11月上旬に開かれる熱気球の国際大会。
- SAGAバルーンチャレンジシリーズ - 11月下旬 - 2月下旬まで断続的に行われるバルーンフェスタ開催後の小規模大会。
- 佐賀ライトファンタジー - バルーンフェスタ開幕前日から翌年1月ごろまで行われる市街部道路のライトアップ。
- 佐賀城下ひな祭り - 2月から3月まで開かれる。
- チューリップ祭り - 4月に久保田町で開かれる。
その他
佐賀市出身の有名人・著名人
佐賀市に合併された町村の出身者も含む。
政治
文化
- 宮地嘉六(小説家)
- 岡田三郎助(洋画家)
- 針すなお(漫画家)
- 326(イラストレーター)
- 岡康道(クリエイティブ ディレクター、CMプランナー、コピーライター。タグボート。)佐賀市川副町
- 田原輝(画家) 佐賀市川副町
- 深川善次(画家)佐賀市川副町
- 吉田進一(画家)佐賀市川副町
- 大隈武夫(画家)佐賀市川副町
- 内田広己(画家)佐賀市川副町
芸能
- 村井国夫(俳優)
- 松雪泰子(女優)
- 本村健太郎(弁護士、俳優)佐賀市川副町
- 中越典子(女優)
- はなわ(タレント)
- 誠直也(俳優)
- 内山敬太(ミュージシャン、ケイタクの「ケイタ」)
- 朝夏まなと(宝塚歌劇団団員、花組に在籍)
- 嬉野雅道(「水曜どうでしょう」などで活躍するテレビ番組ディレクター)
- 西岡孝洋(フジテレビアナウンサー)
- 田代まさし(元タレント)
- 優木まおみ(タレント)
- 真菜(歌手、SEED)
- 荒木真樹彦(ミュージシャン)
スポーツ
- 大麒麟將能(大相撲力士)
- 栃栄篤史(大相撲力士)
- 新谷博(プロ野球選手)
- 岸川雄二(プロ野球選手)
- 渡辺正和(プロ野球選手)
- 香田誉士史(高校野球部監督)
- 井上茂徳(元競輪選手)
- 小川浩一(プロ野球選手)
- 水町亮介 - プロバスケットボール選手(新潟アルビレックスBB所属)
その他
- 石井亮一(日本初の知的障害者養護施設「滝乃川学園」創設者)
- 江崎利一(実業家、江崎グリコ創業者)
- 黒田チカ(日本初の女性化学者)
- 坂井三郎(太平洋戦争で活躍した戦闘機パイロット)
- 佐野常民(日本赤十字社の前身にあたる博愛社の創設者、佐賀の七賢人の1人)佐賀市川副町
- 新郷重雄(世界的な品質コンサルタント)
- 武富善吉(幕府時代に佐賀藩の財政を支え、明治期に政商となった)
- 平山憲一(日光プリンスホテル料理長、百笑厨人)
佐賀市在住の有名人
- 島田洋七(漫才師、タレント、作家)代表作:佐賀のがばいばあちゃん
その他
- 旧佐賀市と旧富士町は、水の郷百選(1996年)に選定されている。
- 佐賀市は英語表記で"Saga city"となるが、英語には賢明・聡明・知恵という意味の「sagacity」という単語がある。(ウィクショナリー英語版sagacity)
出典
脚注
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外部リンク
- 行政
- 観光
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