伊予国

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伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、南海道に位置する。ほぼ現在の愛媛県にあたる。延喜式での格は上国、遠国。予州と呼ぶこともある<ref>伊豆国(豆州)や伊勢国(勢州)と区別するため二文字目を用いる。「伊州」は伊賀国。</ref>。 伊予国は伊豫國の代用表記である<ref>全国国尽など</ref>。 伊与国と表記している木簡もある。

目次

沿革

  1. 7世紀に成立した。
  2. 明治9年(1876年)2月25日、宇和郡沖ノ島、姫島、鵜来島を土佐国幡多郡へ編入する。
  3. 明治30年(1897年)10月1日、愛媛県(管伊豫国12郡1市)に府県制を施行する。

国府・国分寺・一宮など

国府は越智郡にあった(『和名抄』)。現在の今治市であるが、未だ遺跡は見つかっていない。今治平野にあったことは確実であるが、場所については、古国分・中寺・町谷・上徳・八町など諸説ある。

国分寺の僧寺は今治市国分の59番札所国分寺の東方に塔跡があり、基壇の上に心礎を含む12個の礎石が残されている。 尼寺は、僧寺の南方約1300メートルにある桜井小学校の敷地から唐草文軒平瓦が出土しているので、その付近と想定される。

延喜式神名帳には大社7座・小社17座の計24座が記載されている。大社はすべて名神大社で、以下の7社である。

一宮は大山祇神社で、二宮以下は不詳である。総社の所在も不詳で、伊加奈志神社(今治市)、大山祇神社境内社「伊予国総社」が論社である。

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国司

伊予守

伊予介

伊予掾

郡市

  1. 律書残篇では13郡。
  2. 貞観8年11月8日(866年12月18日)、宇和郡を割いて喜多郡を置き14郡となる。
  3. 明治11年(1878年)12月16日、郡区町村編制法により18郡を編制する。
  4. 明治22年(1889年)12月15日、温泉郡の一部に市制を施行し、温泉郡から離れて松山市となる。18郡1市となる。
  5. 明治30年(1897年)4月1日、郡制施行のため10郡を廃し、4郡を置く。12郡1市となる。

郡市一覧

貞観8年から明治11年までの千年にわたり以下の14郡であった。

  • 宇摩郡 - 山田・山口・津根・御井(みい、近井[ちかい])・余戸(あまるべ)
  • 新居郡 - 新居・丹上(井上[いのへ])・嶋山・花(立花)・加茂・神部
    はじめ神野郡といった。大同4年9月22日(809年11月3日)、同年4月13日(809年5月30日)に即位した嵯峨天皇の諱と郡名とが同じであったため、上諱を避けて新居郡と改めた。
  • 周敷郡 - 田野・池田・井出・吉田・石井・神戸・余戸
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。周桑郡の一部となる。
  • 桑村郡 - 籠田(こた)・御井・津宮(つのみや)
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。周桑郡の一部となる。
  • 越智郡 - 朝倉・高市(たけち)・桜井・新屋(にひや)・拝志(はやし)・給理(こほり)・高橋・鴨部・日吉・立花
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。越智郡の一部となる。
  • 野間郡 - 宅万・英多(あがた)・大井・賞多(さがた)・神戸
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。越智郡の一部となる。
  • 風早郡 - 栗井・河野・高田・難波・那賀
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。温泉郡の一部となる。
  • 和気郡 - 高尾・吉原・姫原・大内
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。温泉郡の一部となる。
  • 温泉郡 - 桑原・埴生(はぶ)・立花・井上(いのへ)・味酒(まさけ)
    1. 明治22年(1889年)12月15日、温泉郡の一部が松山市となる。
    2. 明治30年(1897年)4月1日、温泉郡を廃する。温泉郡の一部となる。
  • 久米郡 - 天山・吉井・石井・神戸・余戸
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。温泉郡の一部となる。
  • 浮穴郡 - 井門(いど)・拝志・荏原(えばら)・出部(いづべ)
    1. 明治11年(1878年)12月16日、上浮穴郡と下浮穴郡を編制する。
    2. 明治30年(1897年)4月1日、下浮穴郡を廃する。温泉郡と伊豫郡の各一部となる。
  • 伊予郡 - 神前(かむざき)・吾川(あがわ)・石田・岡田・神戸・余戸
    明治30年(1897年)4月1日、廃する。温泉郡と伊豫郡の各一部となる。
  • 喜多郡 - 矢野・久米・新屋
    貞観8年11月8日(866年12月18日)、宇和郡を割いて郡を置く。
  • 宇和郡 - 石野(いはの)・石城(いはき)・三間(三門)・立間(立門)
    明治11年(1878年)12月16日、西宇和郡、東宇和郡、北宇和郡、南宇和郡を編制する。

※郷名は『和名抄』による。

地名の由来

  • 伊予の語源については、諸説ある。
  • 温泉説。
「いよ」の「よ」は温泉の「ゆ」から転訛したものとする。それに発語の「い」を付して「いよ」になったという説である。温泉とは道後温泉を表すとみられ、さらに「い」に「いい」という意味を持たせ、「いい湯」が「いよ」になっという解釈も語られている。寺内浩他編の『愛媛県の不思議辞典』によると、この説は上代特殊仮名遣からみて、一般的には「ゆ」は「よ」には音韻変化しないとされ、「ゆ(湯)」から「いよ」になったとは考えにくいとしている。
この説に対しては、延喜式に「伊予郡」と「温泉郡」と2つ書かれているが、「伊予」になった「温泉」が郡名として残っていることの明がつかないという反論もある。
  • これに対して、湧水説がある。
古代人は、温泉以外に湧水も「いゆ」と呼んでおり、これが「いよ」になったとするものである。古代、生きていくのに欠かせない水の湧き出ずる所はありがたい存在として、特別重要な地として扱われるようになり、これが湧水の周辺を指す小地域としての地名から、より広い地域、さらには古事記にいう「伊予の二名之島」=四国を指す地名となっていったというものである。
この説を補強するのが伊予神社(愛媛県伊予郡松前町)で、同神社は「正四位上」の位を朝廷から授けられた由緒正しい神社であり、祭神を愛比売命(えひめのみこと)と月夜見命(つきよみのみこと)とする。「愛比売」は古事記に、「伊予を愛比売といひ」とあるように愛媛の古名である。
また、同名の伊予市上野地区にある神社の旧境内跡地には弥光井(いこい)神社(今日では湧水跡のみ)がある。古代、この地はゆるやかな傾斜地であり、水源に乏しかったことから、湧き水が特別重宝されたと推察されている。
上掲の2説については、伊予市広報2006年1月号を参考とした。
  • 弥説
谷川士清の『倭訓栞』に載せる説である。伊豫ノ二名ノ洲と呼ばれた四国は国生み神話では淡路島の次に生まれたので、「いよ」は物の重なることを表す「弥」(いや)の意味であるという。
  • 預説
『豫章記』に載る説である。「天神第六代面足惶根尊」が伊豫国を支配する際に「(伊豫国を)伊(彼に)豫(預ける)」との詔があったという。しかし、「伊豫」は仮字(万葉仮名)に過ぎない。

脚注

<references />

関連項目

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